不安定の中にこそ安定がある。アイドリング・揺れることの意味。

私がなぜ屈筋ではなく、伸筋の重要性を発信し続けているのか、その一つの答えが今日の記事の表題にあります。

トレーニングイコール肉体の強化、それが体幹であったり太腿の裏側であったり、体の前面の腹筋や胸筋だったりと、とにかく強く大きくということがトレーニングの効果であり、目的だという認識が疑うことのない常識だと思われています。

トレーニングを頑張れば、ケガをしにくい体が手に入る、自分の足らない能力を補ってくれると信じ、一生懸命に取り組んでいると思います。

現在グループトレーニングを行っている4人のなかで、スタート時点ですでに「体づくり」という目的は十分に果たしていたのが高2のY君でした。

高校入学時には細身だったそうですが、チームで取り組まされている筋力トレーニングのお蔭で、入学後の1年間のトレーニングで10キロ強の体重が増加したそうです。

本人の努力は想像を超えるものだったと思います。

当然本来の目的である、彼にとって苦手だったスピードや俊敏性といったサッカー選手にとって大事な能力の向上も期待していたと思います。

ところが彼の期待に反して、動きの改善が図られるどころか、さらに重くぎこちない固い動きとなり、本物のゴリラには申し訳ないですが、ゴリラのような動きと評される、目指した方向性とは全く違うものとなっていました。

言われたことを言われた通り、いやそれ以上に努力したからこそ、チームの誰よりも立派な筋肉を身に付けられたのだと思います。

そういう指導が、本当に人間の動作にとって、サッカー選手としての彼らの能力を向上させるためにプラスになると信じている指導者の側にこそ責任があるのです。

「どうして素早い動きが出来ないのか、どうして柔らかいボール扱いが出来ないのか」、それが自分が一生懸命頑張ってきた「体づくりのためのトレーニング」の一番大きな弊害だと言われたら、彼はどうすればいいのでしょうか。

残念ながら、まさに彼はその悪循環の中に居て、そこから抜け出すことが出来ていません。

後の3人は、幸いなことにゼロからのスタートだったので、私の指導を頭も体もすんなり受け入れてくれ、加えて本来の目的であるサッカ-の動きが向上しているという実感があるため、すべてが良い循環を生んでいます。

ではなぜ体づくりのトレーニングが、私の言う良い結果を生まないどころか、さらに悪い方向へと引き降ろしてしまうのでしょうか。

それは体を安定させてしまうからです。

体が安定するという言葉にマイナスなイメージを持つ人はまずいないと思います。

昨今のマスコミ報道でも、「トレーニングによって体幹が安定したことがフォームの安定につながった」という意味合いの言葉が多く使われています。

それを見聞きする我々の側は、疑うことなくなるほどそういうトレーニングを行えばいいことがあるんだと思わされます。

では、私が求めている方向性とはどんなものなのでしょうか。

我々人間は重力というものが存在する、丸い地球の上に二本の足で立って生活しています。

ここに発想の分かれ道が出来ます。

ひとつは重力に抗して安定を得るために、体を強くするという方向性です。

「どこからでもかかってこい」と言わんばかりの強靭な肉体、押しても引いても倒れない体に鍛え上げようというものです。

これは一見正しいように思いますが、ひとたびバランスを崩されると、あっけないほど簡単に倒れてしまいます、それが重力の中で生きているということです。

対して私が求めていることは、重力の中で二足歩行をしなければならない我々にとって、安定がすべてではなく、不安定をうまく利用し、不安定な中に暮らしているからこそ発揮できる体の能力を磨いていこうという考え方です。

安定を求めて地面を踏みしめ、居着いてしまうのではなく、いついかなる瞬間も前後左右そして上下にと重心を自由に移動させることが出来る状態にしておくことこそ、我々に与えられた最も優れた能力であると考えるのです。

ここ最近の気づきですが、これまで歩く走るの一番の基本となるドリルである「アイドリング」という動作を行ってもらう時、その一番の目的は、おそらくこれまでまったくイメージがなかった、「骨盤を縦に動かす、いや骨盤が縦に動く」という事実を正しく認識してもらうために考えたドリルでした。

今でもそれは変わっておらず、絶対に感じ取ってほしい感覚の一つです。

とくに初心者の方には、しつこいくらいこのドリルの重要性をお話ししています。

そして、さまざまなトレーニングやドリルを繰り返し、実際のサッカーという競技の動作に結び付けて行く中で、このアイドリングという動作から前方への移動までのドリルが、大げさに言えばすべての動作の基本になっているということを確信しました。

このドリルの動きが正確に理解し実行出来ないと、その後のドリルや動作は私の意図している物とは似て非なるものになってしまうということです。

「骨盤を縦に動かす、肩や肩甲骨を縦に揺する」、言葉で言えばそうなるのですが、体の部分ではなく全体が一つの物体として揺れているという感覚まで行かないと、不安定を使いこなすというレベルにはとても届かないことが分かってきました。

人間の体は体重の約60パーセントが水分でできていると言われています。

皮膚という皮袋の中身は60パーセントが水分なのですから、それが気持ち良く揺れてくれなければスムーズで滑らかな体の動きなどできるはずがありません。

残りの40パーセントをいくら力ませたところで、所詮は半分にも満たない存在なのですから。

深めのワイングラスの中に60パーセントの水を入れたところを想像していただき、それをゆったり揺らしたところで中の水がこぼれることはありません。

それを40パーセントが支配してコップを激しく揺らせたとしたら、水はコップの中から飛び出してしまうでしょう。

不安定な地球上に立つ我々こそが、良い意味での不安定さを失うことなく上手に体を操ることこそが、本当の意味での「自らの意図した筋肉の収縮活動を、反復継続して行うことが出来るの能力」と私が定義した技術そのものではないでしょうか。

その不安定さ柔らかさを一番表現してくれるのが、骨盤と背骨だと思います。

棒高跳びのポールは、選手の体重や筋力、そして目的とする高さに応じてグラスファイバーで出来たポールの硬さを変えて使用するそうです。

柔らかくしなやかであれば良いというものではありません。

その選手の求めるレベルに応じた強さが必要なことは当然のことです。

その強さの意味が間違って伝えられているというか、私が間違いだと思っている概念を、世の中のほとんどの人たちが正しいと思ってしまっているという訳です。

不安定を使いこなすためにはそれ相応の筋力が必要となります。

それが骨盤と背骨を操ってくれる、広背筋を中心とした背中の伸筋群です。

そのために、ベンチプレスもスクワットもすべてのトレーニング種目は、背骨を動かすために行うと言っているのです。

それを本当の意味で分かってもらうためには時間がかかります。

頭で理解したつもりだけではまったく意味を成しません、逆に体がトレーニングによって私の求める動きに近づいたとしても、理論的な部分の理解がなければ応用が利きません。

それくらい難しい作業です。

まだ意識が確立されていない中高生だから、継続した指導を受けているからこそ、半年足らずで私の指導を吸収出来たと言えるかもしれません。

彼らが出来たことが他の選手にできない訳がありません。

これまでは「私が出来ることを、君たちが出来ない訳がない」という言い方をしてきましたが、これからは「中学三年生の男女でも出来たことを、君たちができない訳がない、自分が変わりたくない変われないと逃げている言い訳に過ぎない」と言ってやろうと思います。

体全体が揺れているアイドリングから、上半身と下半身をほんの少し捩じってあげることで、重心が移動し前方に進んで行くことが出来ます。

さらにその動きの回転数を滑らかにあげて行けばスピードが上がります。

その後に続く「引っ張り出しのドリル」にも、新しい大きな発見がありました。

この部分はこれまでにない大きな変化だと思います。

トレーニングに通って来てくれる彼らから、次から次へと大きな気付きを与えてもらっています。

それは私の真剣さと、彼らの真剣さが正面から向き合っているからこそのものだと思います。

4月開催予定の西本塾までまだ時間がありますから、まだまだ新しい何かが私の中に湧き出してくれると思います。

私自身がそれらをどう整理して伝えられるか、開催はまだ決定ではありませんが、実現したらきっと面白いものになると思います。

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自らの意図した筋肉の収縮活動を、反復継続して行えるようにするのがトレーニングの目的。

これまで色々な形で指導をする機会を与えて頂きました。

一口で指導と言っても、色々な意味があり、一括りにして語ることはできません。

私の場合、私に期待されていることに応えるというよりも、対象となる選手やチームにとって何が必要なのか、それを正確に見極めることなしに指導はできないと思ってきました。

ですから、私を受け入れた側からすれば、そんなことは頼んでいないと思われることも多々あったことと思います。

もちろん私がその組織の最高責任者として招かれることはありませんし、個人が対象だとしても、私の考え方がすべてに優先されるとは思っていません。

ただ、私が関わった限りは、期待された以上の結果を出させてあげたいという思いが何よりも優先されました。

その過程では当然のように軋轢があり、衝突することもありました。

それでも目先の結果ではなく、もっと大きな目標に目を向けさせ、そこに到達するためにはこういう考え方や方法論が必要なのだと、熱く語ってきました。

トレーニングに関しては、何度も繰り返し書いてきたように、ただ体を追い込む、いじめるなどという発想はありませんでした。

選手にとってはそう感じることもあったかもしれませんが、私の中ではすべてにおいて計算ずくで、本当に必要な能力を獲得してもらうためには絶対に乗り越えなければならない課題でした。

10年くらい前だったでしょうか、当時指導していた社会人野球の三菱重工広島が、立派な雨天練習場を新設してくれました。

それまでは雨が降ると、練習らしい練習ができず、スケジュールが大きく狂ってしまうことがありました。

雨天練習場のお陰で、その問題が大きく改善されたことは言うまでもありませんでした。

中でも、私が取り入れたサーキットトレーニングは、選手の能力を大きく向上させられたと思っています。

選手を2人ずつペアを組ませ、できた数だけの種目を並べ、時間を決めて交代で行わせ、すべての種目を一回りもしくはふた回りさせるというものです。

その種目は野球選手としてだけではなく、スポーツ選手として必要な、あらゆる動きをスムーズに行えるように考えて設定しました。

時間はその時期の練習や、前後のトレーニングの内容を勘案して、けっして無理なく、そしてもちろんかなりきつい内容でした。

一人が行っている時には、相棒は休んでいるのではなく、補助と言うか一緒に動きていなければならない種目がほとんどですから、二人が終わった瞬間に隣の種目に移動して行うので、インタバルというか休憩はありません。

団体競技ですから、できれば全員が高いレベルの能力を身に付けて欲しいことは当然ですが、個人差が大きいこはある程度仕方がないことでした。

それを自覚してもらう意味でも、全員で行うサーキットトレーニングには意味があったと思います。

ややもするとトレーニングはが、ただキツければ効果あると思われてしまうことがありますが、それはあくまでも結果であって、指導する側される側、双方の自己満足に過ぎないことがほとんどです。

問題はその内容であることは誰が考えても分かることで、その一つ一つに意味を持たせなければ、行う意味はありません。

今行なっている中高生のサッカー選手たちとのトレーニングも同じです。

彼らには明確な目標があります。

そして、私のところでトレーニングを行うことができる期間も、最初から決まっていました。

ただの肉体改造で、体重の増加や筋力アップが目標なら、本意ではありませんが、そういう指導もできたかもしれません。

4月からそれぞれ次のステップに進み、そこからさらに上のステージを目指す彼らに、今、身に付けて欲しいことを、限られた期間の中で指導しなければならないという、私にとってもひとつの挑戦でした。

これまで作り上げてきた理論を基礎としたノウハウで指導すれば、それぞれの目標に対して、ここまでは届かせることができるという勝算は当然ありました。

今回驚いたのは、私が過去指導してきた誰よりも、中高生の彼らの変化は大きく、私の予定というか想像をはるかに超えた能力を身に付けてくれています。

彼らはただ言われたことを素直にやってくれるだけではなく、実際のプレーの中の動きとの関係性や、トレーニング自体の意味に対しても、貪欲に質問し吸収してくれています。

そのやり取りの中で、私自身がこれまで感じてこなかった沢山のことを気づかせてくれています。

そんな中、受験勉強が一段落し、4月からの生活に気持ちが向かい始めると、トレーニングに対しても、今やっておかなければ、4月以降どうなるんだろうという不安感からか、頻度を増やす傾向が出てきました。

動きが明らかに変わってきた、トレーニングが楽しくて仕方がない、その効果を感じれば感じるほど、トレーニングを休みなくない、1日でも多くトレーニングをやりたい、その気持ちは嬉しいしよく分かります。

しかし、いくら若くて疲れ知らずの年頃とはいえ、また彼らの息遣いを感じながら、負荷を調整しているとはいえ、明らかにオーバートレーニングになっていると感じる部分が見えてきました。

こうなると自分から回数を減らしたいという言葉は言いにくいと感じて、私の方から回数を制限すると伝えました。

体はけっしていじめるものではありませんから。

この先、自分の夢を叶えてくれる、もっとも信頼すべき相棒なのです。

その信頼関係を作り上げるのが「伸kingトレーニング」「動きづくりのトレーニング」なのです。

自分の体をどうやって動かしたいのかをきちんと意図し、それが正しく行われているかを検証しながらトレーニングを行わなければ、意味がないのです。

楽そうなイメージがまだあるかもしれませんが、頭も体もフル回転させなければならず、想像以上にきついトレーニングです。

彼らと過ごす時間の中で、指導する側として何をどう伝え、色々な意味で彼らをどうコントロールするかという部分に関し、日々新たな発見があります。

これまで私は相手の能力の限界が、ある程度見えてしまうというか、決めてしまうことがありましたが、彼らを見ていると、そんなことはまったく意味をなさないことが分かります。

彼らの能力は無限大で、どこまで成長していくのかは、彼らがその歩みを止めない限り永遠に続いて行くような気さえします。

そんな彼らのお手伝いをさせてもらっていることを、とても嬉しく思います。

長く指導を続けられないことは残念ですが、3月末までの半年間とはいえ、彼らの人生の中で貴重な期間だったと思ってもらえるように、もうひと頑張りしたいと思います。

「想いは届く」のかもしれないという話。(雑感)

今日からの4日間、広島地方でも天気予報に雪マークが付いています。

寒さが苦手な私にとってはまだまだ辛い毎日が続きますが、一昔前に比べると着るものの暖かさが格段に違い、口で言うほどの寒さは感じていないのかもしれません。

私の趣味であるゴルフのウエアも、以前であれば雪だるまのように厚着をしなければ、とてもじゃないけど雪や風の中、山の中を歩き回ることなど不可能でした。

それが今では暖かい下着とその上に2枚着れば十分寒さに耐えられるのですから、科学の進歩というのは素晴らしいものです。

それは、「こんなことができたら良いな、こんな下着やウエアがあったら良いのにな」という、素朴な欲求というか、大げさにいえば夢を語らなければ何も始まらなかったことだと思います。

私の発想もまったく同じで、「こんなことができたら良いな」、すべてはそこから始まっています。

「こんなことができたら良いな」の源には、実はすでにこんなことができている人間がいるという事実を知ってしまったことです。

なぜこんな動きができるのだろう、どういう意識で体を操っているのだろうと想いを巡らせていると、不思議なほど答えが見えてきます。

見えるというか、私が見続けている人間の体が、「こうやって動けば良いんだよ、こんな感覚で動いているんだよ」と、語りかけているような気さえするのです。

そこから先は、残念ながら教えてはくれません。

どうやったらそんな動きができるのか、どんな体でどんな意識を持って体を操ればそこに近づいていけるのか、そんなことを考えることが楽しくて仕方がないのです。

そうやって方向性が示され、答えらしきものが見えてくると、やはりそれらを必要としている人間に教えたくなります。

縁あって私と出会う人たちは、私と同じように、「どうやったら今行なっている競技の技術が上手くなるのだろう、今現在一生懸命努力を積み重ねてはいるが、自分の知らない何かが他にあるのかもしれない」と、常に向上心と野次馬根性というアンテナを高く掲げていたからではないでしょうか。

現在夜間に行っているグループトレーニングを始めたのも、体の不調を訴え来所した子供とそのお母さんに、並々ならぬ意欲を感じたことがきっかけでした。

私にそれが伝わってこなければ 、私がそれに応えようと行動を起こしこともなかったはずです。

「想いは届く」とか「夢は願い続ければ叶う」などという言い方がありますが、夢や目標は言葉や気持ちとして外に出さなければどこにも届かないし、想い続けなければ簡単に叶うはずはありません。

どんな大きな夢も、他人からみればとるに足らない小さな夢や目標もまったく同じだと思います。

今の私は、自分にとっての大きな目標や夢は何かと問われれば、胸を張って言えるようなものがないのが少し寂しい気もしますが、それとてよく考えてみると、少しでも多くの人に認められるような舞台を想定しているだけのことです。

そういう場所は、表向きは華やかな成功感があるかもしれませんが、その内容が本当に評価されたものかどうかは別の問題です。

今の私が自己満足を感じられているのは、私が思考錯誤して作り上げてきたものが、確実に誰かの夢の実現をサポートしているという実感があるからです。

自分の夢や目標を実現するという立場から、誰かの夢や目標を応援できる立場に変わったということです。

正直まだそれだけで満足できているかと言われれば、すんなり頷くことは難しいかもしれません。

しかし、よく考えてみれば私のやってきたことの究極の目的は、誰かの役に立てる人間になるために、他の人とは違う何かを身に付けることだったのです。

そういう意味ではすでに私は人生の後半に差し掛かり、その夢を果たしているのかもしれません。

生活して行くためにはそれだけでは済まない部分があって、どうしてもそちらに目が向いてしまいますが、私がこんな人になりたいと思い続けてきた能力が、既に身についてきたことは間違いありません。

これからはそれらをどう活かしていくのかが、私の目標となるはずです。

小さなこと取るに足らないことを大きな問題として受け止め、誰よりも真剣に人間の体と向き合ってきたつもりです。

だからこそ次から次へと新たな疑問が湧き出て、それを解決する術を探ってきました。

ブログでも紹介しましたが、何度かこのブログにも登場していただいている西原雄一さんと一緒に等々力で試合を観戦させていただいた時、試合中やその後の会食の間にも色々な質問をしていただきました。

私にとって誰かが疑問に思っていることを自分の言葉で説明することほど楽しいことはありません。

なんでも知っていると自慢するわけではなく、私はこう思うという言葉が、一つのテーマから始まって堰を切ったように溢れ出て止まらなくなるのです。

その中でひとつ残念だったのが、海外に出ていった日本人サッカー選手が、どうして日本で活躍していたときのような体の動きができなくなるのかという質問をもらったときでした。

私の中では確信めいたものがあって言葉では説明しましたが、現実としてそれを裏付けるためには、平面の世界で繰り広げられる試合を何回何十回見ても、絶対に間違いないと言い切ることがどうなのかという思いがありました。

現実としてそれを確かめるためには、現地に行って生で選手の動きを見るしかありませんでした。
それもできることなら試合での動きだけではなく、練習している彼らの姿、それもトレーニングルームでのと、欲求は募るばかりでした。

そんなことが許されるはずはありません、どう考えても不可能なことです、こういうことを夢というのではという、現実離れした話でした。

そんな思いを持っていなければ、もしそんなチャンスが奇跡的にあったとしても、そういう視点で見てくることはできないと思います。

一時が万事です、自分のやりたいことがあるのなら、そこに近づくための努力、それに必要な情報収集、それを手に入れるための行動力が必要ですが、その努力さえ惜しまなければ必ず近づいていけるような気がしています。

行動には分岐点があって、自分の望んだ方向には進んで行けないこともあります。
そんなことの方が多いのかもしれません。

でもどんな結果になったとしても、そこに至った努力が消えることはありませんし、あそこでこっちの道へ進めなかったからこそ今があると、後になって後悔ではなく胸を張って良かったなと思える時が必ず来ます。

私は自分の人生を「人生あみだくじ」などといい加減なことを言ってきましたが、失敗とか後悔などという言葉ではなく、素直に今が一番良かったと思っています。

過去は変えられませんが、少なくとも今現在私に縁があって関わっている人たちにとって、私の存在が、それぞれの夢や目標に近づけてくれる「夢前案内人」と思ってもらえるようになることが、裏返して私の夢の実現に近づく唯一の方法ではないかと思っています。

とりとめもない文章でしたが、現在の心境です。


プロフィール

Author:西本 直
1993年、Jリーグサンフレッチェ広島を皮切りに、社会人野球三菱重工広島・協和発酵・ヴィッセル神戸・川崎フロンターレ、そして広島カープ佐々岡真司投手など、プロアマ問わず競技レベルのスポーツ選手から一般の方まで、トレーニングやメンテナンスの指導を行ってきました。
その経験と知識の蓄積を「西本理論」としてまとめ、一人でも多くの方に実践していただくことが、これからの私の使命であると信じ、このブログから発信していきます。
私の理論はスポーツ選手のみを対象としたものではなく、ビジネスマンや家庭の主婦まで老若男女すべてに当てはまる不変のものです。
指導や講演のご依頼も受け付けています。
実名でツイッターも書いていますので、チェックしてみてください。
また、2013年9月9日にConditioning Studio 操をオープンしました。こちらもご覧ください。
また、遠隔地にお住まいの方を対象とした動き分析とアドバイスを始めました。
4月15・16日の二日間西本塾を、予定しています。
詳細は「スタジオ操」のホームページ内の講習会情報をご覧ください。

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