今こそ私が話しておきたいこと。

12日に正式発表があって一週間が過ぎましたが、私の元には何の連絡もありません。

私の気持ちはすでに伝えてあるのですから、何もないということはそういうことなのだと、そろそろ気持ちを切り替えなければならないとは思いながら、万に一つがゼロにならない限り、今回のことが頭を離れることはありません。

昨日ツイッターにもつぶやいた通り、不覚にもスマホを落とし、画面を破損させてしまうということになってしまったことも、今の私が平常心ではないということの表れだと自戒する出来事となりました。

Jクラブを短期間で辞めてしまい、現在の施設を作って早4年が過ぎました。

もう二度とそういう仕事に関わることはないと思いながら、色々な思いが交錯し自分がやってきたことを整理して行く中で、自分でも気づいていなかった様々なことを、身に付けてきたこを気づかせてもらった貴重な日々でした。

そしてそれらをもっと分かりやすく伝える方法があったのではないかと考えるようにもなりました。

それらが整理されていく中で、やはり伝えるという行為がやりたいと思うようになり、西本塾や個人指導の形で、試行錯誤を続けて行く中で、私の能力を現場で発揮したいという気持ちが少しずつ大きくなっていくことも自然なことだったと思います。

「正しいことは正しい、こうすれば必ずこうなるのに」、そういう自信めいたものが膨らんで行くことと、それを発揮する環境がないということにジレンマを感じていました。

しかし、私の築き上げてきたものがどんなに正しいものだったとしても、それを受け入れ、それぞれの能力向上に役立ててもらうということが最も重要なことであることにも、遅まきながら気づいていくこととなりました。

すべては『誰かのために』が大前提であるということです。

それは体の不調を訴え、私の施術を受けに来てくれる人たちへの思いも同じです。

「私の言っていることは絶対に間違っていないのに、なぜ分かってくれない」、では、何のお役にも立てないということです。

8月の後半、依頼を受けて『大阪府立大学サッカー部』の指導をさせてもらいました。

これまで温めてきた指導方法を試す絶好のチャンスでした。

けっして考えを押し付けるのではなく、チームとして選手個人として成長したいという気持ちのアシストをするというスタンスです。

そのためには、今彼らが行っている体の使い方と、私の指導する体の使い方を行うことによって、何が違うのか、どういう利点があるのか、それを身に付けるためにはどんな考え方で何を行えばよいのかをきちんと伝えて、その気になってもらうことが一番大事なことだと思いました。

彼らは全員ではなかったかもしれませんが、私から学ぶことを自ら希望してくれた選手たちです。

私のことなどまったく知らないチームに押し掛けて行ったわけではありません。

実技の指導は1日だけでしたが、私が準備した内容は伝えられたと思っています。

この4年間は決して無駄ではなかったと思わせてくれました。

そして今、選手としての環境やレベルは違いますが、彼らと同じ年代の選手を相手にするかもしれないという気持ちで色々なことを考え続けています。

万に一つ、それが実現したとしたら、こうして具体的に発信することはおそらく難しくなってくると思うので、今私が考えていることを言葉にしておきます。

まさに、「生涯一トレーナ西本直が話しておきたいこと」です。

私はサッカーの経験がまったくありません、24年前Jリーグが開幕するときに合わせ、サンフレッチェ広島からの誘いを受け、トレーナーとして仕事をするために広島に移り住んできました。

U23と言うカテゴリーの選手たちは、まだこの世に生を受けていない頃の話です。

そこから様々な競技の様々なレベルの選手を相手に仕事をしてきましたが、サッカーに関してはWカップにアジアの代表として、連続して出場できるレベルにはなりましたが、本選で世界の強豪を相手に互角以上に戦うというレベルには、残念ながら到達してはいないと思います。

それこそJリーグが開幕して24年、育成年代の競技人口は野球を上回るところまで来ています。

戦術的にも個人の技術レベルも、まさに隔世の感があると思います。

多くの指導者が海外に渡って指導方法を学び、小学生の選手たちでも海外遠征がある時代です。

もう井の中の蛙ではないはずです。

ではなぜもう一歩踏み出せないのか、殻を破れないのか、多くの指導者が研鑽を重ねているところだと思います。

そこに私の考え方がなぜ役に立てると考えたのか、その切り口というかものの見方が、残念ながら疎かにされているのではと思うからです。

5年ほど前、Jクラブからトレーニングコーチとしてチームの強化を手伝ってほしいという誘いを受けた時に、すでにその骨格は出上がっていました。

私が理想とするサッカー選手の理想像は、「90分間頭と体を動かし続けることが出来る」と言う能力を持った選手です。

世界の超一流選手はもちろんのこと、日本のJリーグに所属するクラブから声をかけられるレベルにある選手は、サッカーの底辺の広がった現在、特別な能力を持った選ばれた選手であることは間違いないことだと思います。

その個人の能力を、監督が思い描く戦術の中でどう活かし、自分の持っている個人の技術とミックスして90分間動き続けることが出来るかということが、選手に求められる最も重要な能力であると思います。

それが「足が止まる」という一言で片づけられてしまうサッカーの世界の固定概念に、どうしても納得がいかなかったのです。

スタミナ持久力という能力を得るために、過酷な走り込みが常態化し、故障者が絶えない中、それを乗り越えた選手だけが指導者の評価を得ることが出来ます。

しかし、どれだけそういうトレーニングをしたとしても、最後まで走り切ることが出来ないこともみんな分かっているはずです。

一対一のぶつかり合いに関しても、本来そういう状況にならないようにプレーできればそれが一番良いのでしょうが、そうはいかない状況の中で、日本の選手は体格に恵まれず、いわゆるフィジカルが弱いという烙印を押され、肉体改造の名のもとに筋力トレーニングに励み、人も羨む立派な肉体を手に入れたにもかかわらず、やはり海外の選手と渡り合って、日本の選手が強いという評価を受けるレベルにはありません。

この発想を続けて行く限り、永遠に目的に達することは出来ないと考えることは間違っているのでしょうか。

けっして諦めているわけではなく、発想を変えてそれらをクリアする方法を考える人がなぜいなかったのかと言いたいのです。

その一つの答えが、私の提唱する人間本来の体の仕組みを活かした、体づくりではなく動きづくりを前面に押し出したトレーニングの方法であり、それを基本とした体の使い方を身に付けようというものです。

それらを、クラブチームではなく、年に数回しかまとまってトレーニングや試合を行わない代表チームの選手たちにどうやって伝えるか、徒労に終わるかもしれませんが、そのことをまさに真剣に考えています。

最初から大上段に振りかぶって自説を説くのではなく、まずは選手の動きを分析し、改善点を見つけ出し、それを受け入れてもらうための人間関係を構築するところから始めなければなりません。

それぞれの年代を代表する選手たち、なかにはすぐにでもA代表から声がかかる選手もいるかもしれませんし、そういう選手を育てなければなりません。

目的ははっきりしています、3年後の2020年、自国開催される東京オリンピックでメダルを獲得できるチーム作りの一端を担うことです。

私がどうのこうのではなく、監督が思い描く戦術を90分間表現し続ける能力を身に付けてもらうことです。

現時点でも選ばれた才能の持ち主の彼らが、さらに成長していくきっかけを作ってあげることが出来れば、私の役割は十分果たせたことになると思います。

普段それぞれのチームで戦っている選手たちの元に足を運び、動きを確認し話をして新たな提案をして歩く、そしてみんなが集まって一緒にトレーニングを行う時に、3年後に向かって一歩ずつ着実に成長してくれる選手を、一人でも多く作って行きたい、そんなことを今考えています。

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2020年東京オリンピック日本代表チームに私は必要とされるでしょうか。

久し振りの更新となりました。

ブログを書き始めてこれほどの期間、と言っても2週間くらいですが、更新しなかったことはなかったと思います。

さて昨日、日本サッカー協会から、2020年東京オリンピック日本代表の監督が、元サンフレッチェ広島監督の『森保一』君に決まったことが発表されました。

彼との出会いはJリーグ開幕の年、私が初めてサッカーのJクラブの一員として、トレーナーと選手の立場で出会うことになりました。

あれから24年、未だに個人的な縁が続いている唯一の人間です。

そんな彼がサンフレッチェから監督としてオファーを受けた時、スタッフとして私を是非呼んで欲しいと、フロントに掛け合ってくれたそうです。

当時は前監督の元、成績が低迷し、J1残留を至上命令として、経営状況も含めクラブの実情を最も理解している彼に白羽の矢が立ったようでした。

経営上の問題で有力な選手の補強もままならない状況の中、選手のコンディショニングやトレーニングで、現有戦力の底上げを図りたいと、私の力を必要としてくれたようでしたが、フロントからは「西本さんはね・・・」という言葉で、受け入れてはもらえなかったそうです。

そのことを聞いて、私も「そんなことを言われてまでチームのために働こうとは思わない」と、彼に言ったことも覚えています。

サンフレッチェに在籍したのは、Jリーグが開幕してからの3年間だけで、20年以上も前のことですが、昨日のことのように覚えていることがいくつかあります。

ひとつは、現在名古屋グランパスを率いる風間八宏君のことです。

そしてもうひとつの思い出は、森保一君とのリハビリの日々でした。

3年目のシーズン、6月の梅雨の時期、毎日降り続く雨に練習場の芝生が根腐れをしてしまい、異臭が漂うような状況になってしまいました。

ピッチコンディションは日に日に悪化し、ホームゲームの3日前と2日前には、ピッチでの練習を回避せざるを得ない状況にまでなってしまいました。

しかし試合前日、当時の監督はスタッフミーティングでその日の練習はピッチを使って行うと宣言しました。

私も事前に状況はチェックしていて、とてもじゃないけどこんな状況で練習を強行すれば、ケガ人が出ることは避けられないと抗議しましたが、「西本、サッカーの試合はどこで行うか知っているよね、明日は公式戦が行われるんだ、ピッチの上で練習しないでどこで練習するんだ」と、当然のように言われたことをはっきり覚えています。

それは監督として当然の判断だったかもしれません、しかし、その日のピッチの状況は想像を絶する酷さで雨も降り続いていました。

そんな状況の中で強行された練習の最中、私の危惧していたことが実際に起こってしまいました。

それが、当時の言い方に変えますが、ポイチの足首を襲った『脱臼骨折』という選手生命をも脅かすほどの大ケガでした。

駆け寄った私の目の前で、あらぬ方向に曲がってしまった足首を、自分の手でぐきっと捩じり、元の状態に戻した彼の姿は、生涯忘れることが出来ません。

色々なケガの現場に立ち会いましたが、私自身がくらっとなる体験はそれが最初で最後です。

どれほどの痛みだったか想像もつきません。

そのまま私が背負ってクラブハウスに運び、病院の手配をし、二人だけでロッカーで過ごした時間から、私の車に乗せ病院に運び検査を受け、その足で手術を受けるために別の病院に移動している間の彼の姿を絶対に忘れることは出来ません。

入院の準備のために駆けつけた奥さんの前では気丈にふるまっていましたが、私の前では悔しさと痛みと怒りが交錯した、人間『森保一』をぶつけてくれました。

彼を復活させるために、自分のできることを、いやできないことでも何でもやってあげたい、心からそう思わせてくれました。

当時はスポーツヘルニアという呼び方がされていた鼠蹊部の痛みに関しても、足首の手術後、同じ安静期間が必要なら、しっかり診てもらって本人と私が納得できる説明が得られたなら手術を受けようと、当時浦和レッズのチームドクターをされていた仁賀先生の元を二人で訪ね、診察を受けた結果、それならこの際手術を受けようと、彼をそのまま埼玉の病院に残して、などということもありました。

広島に帰ってからは、まさに彼の為だけに働いたというか、辞めるまでの半年間、他に何をしていたのか、何もしていない訳ではなかったと思うのですが、まったく記憶に残っていません。

彼を少しでも万全の状態にするまではチームを離れることは出来ないと頑張りましたが、シーズン終了間際にぎりぎり間に合い、そのシーズンをもってサンフレッチェを辞めることにしました。

詳しいことは書けませんが、自分の考えを曲げられなかったことが一番の原因で、その後の紆余曲折の人生も、その繰り返しだったと思います。

翌年から、地元広島の社会人野球チーム、三菱広島のコンディショニングコーチとして1年間仕事をしましたが、1月に練習を開始した直後に、彼は私の新天地に差し入れを持って陣中見舞いに来てくれました。

日本代表の花形選手がグランドに足を運んでくれたことで、選手たちの士気も上がり、私にとっても本当に有難い出来事でした。

その後は直接的なつながりは少なくなりましたが、オフには食事に誘ってくれたり、私の近況を心配して電話をくれたりという関係が続いていました。

サンフレッチェの監督になった後、風間八宏君からオファーがあったことを告げると、広島に残って欲しいと言ってくれました。

最初に断られたけれど、その後も折に触れて私をチームに呼び戻してほしいと言い続けてくれたようでした。

その後川崎に行ってしまいましたが、数か月で広島に帰ってしまうことになり、彼にはすべてを話しました。

それからはチームへの復帰は諦め、けが人や故障者が出て、チームのスタッフには任せきれないと彼が判断した時、私の電話が鳴り、時には彼自身が選手を連れてくることもありました。

選手からは、「監督がこんなに信頼している方なのに、どうしてチームに戻ってくれないのですか」と、必ず聞かれましたが、「昔のことがあってね、いろいろ難しいんだよ」と答えるしかありませんでした。

そしてもう一言、「僕はねサンフレッチェのために君たちを診ているんじゃないんだよ、ポイチのために頑張っているんだから、とにかくしっかり治してポイチのために頑張ってくれ」と付け加えました。

営業時間の幅を超え、彼らのために頑張ったのはどんな形でもポイチを応援したいという気持ちからでした。

そんな彼がいよいよ苦境に立たされ、J1残留さえ危ぶまれる状況になった時、サンフレを応援してくださっている方には申し訳ないですが、これは運命の流れが動き出したのだと感じました。

チームがそれなりの成績であれば、彼が解任されるなどということは絶対になかったはずです。

そうなると毎年主力選手を抜かれ、一からチームを立て直す作業を延々と続けなければなりません。

彼が理想とするサッカーを、自分の選んだ選手を使って、思いっきり表現して欲しい、私はずっとそう思っていました。

前任者から引き継いだ戦術は、J2に降格させないための、現状できる最低限のシステムにすぎなかったのですから。

幸か不幸か、解任という形であったとしても、彼はやっとフリーな立場を手にすることが出来ました。

そしてちょうどそのタイミングが、2020年のオリンピックを率いる監督を決めなければならないという時期だったのです。

これはもう運命だと私は勝手に思ってしまいました、彼以外には考えられないと。

解任のニュースが流れた後、「お疲れ様でした、少し休んで新たなステージでの活躍を期待しています」とメールしました。

彼からは、「苦しい時に助けていただいてありがとうございました」と、感謝の言葉が返ってきましたが、悔しくて仕方がない状況の中でも人を思いやることが出来ることに、やはり違うなと素晴らしい彼の人間性を感じました。

その後オーストラリアに勉強に行っているということを報道で知りましたが、9月の中旬、台風の影響が一番強く、不要不急の外出は控えてくださいと、広島に警報が出ているさなかの日曜日の午後、突然彼から電話がかかってきました、私の都合がよければこれから伺いたいのですが、というものでした。

もちろん断る理由などなく、自宅近くの喫茶店で彼の到着を待ちました。

そこで約1時間くらいだったでしょうか、お互いの現状、とくに彼の現状を詳しく話してくれました。

政治家の常套句ではありませんが、決まっていない仮定の話にコメントは出来ないと言いながら、もしこうなったらこんなことをやってみたい、こっちになったらこうしたいと、熱く語ってくれました。

私もそれに応えて、こうだったらこんな形で、こっちになったら引っ越ししてでも手伝わせて欲しいと、仮定のこととはいえ自分の思いを伝えました。

土砂降りの雨の中、帰って行く彼の車を見送りながら、今の会話は私に対する意思確認だったのか、それとも友人としての会話の延長だったのかと、真意を測ることが出来ませんでした。

家内が仕事から帰った後そのことを話すと、「もし森保さんがあなたを必要としてくれるのなら、どんな状況になってもそれを優先してください」と言ってくれました。

ただの世間話のために、こんな雨の中わざわざ来てくれるわけないでしょとも言ってくれました。

その言葉に勇気づけられ、改めて自分の気持ちをメールしました。

返事は「約束はできませんが、気持ちは受け止めました」というものでした。

その数日後、協会の西野さんと初めての接触があり、その後は何の支障もなく、昨日の正式発表に至ったようです。

彼がこうなって行くことは運命だと言いましたが、私が今、本気で彼をサポートすることが出来ると思える人間になったことも運命だと感じています。

タラレバを言っても始まりませんが、そのすべてがこのタイミングのために準備された出来事だったのではなかったのかと本気で思っています。

もし私が必要とされたとしたら、これまで積み重ねてきたことのすべてを活かして、トレーニングの常識を変え、動きづくりの重要性を知らしめ、90分間頭と体を動かし続けて、森保一監督が思い描く理想のサッカーを表現できる選手を育成したいと思います。

これまでの常識や固定概念を変えなければ、だれが監督になろうと協会の役職者が変わろうと、何も変わることはないと思います。

この2週間余り、現実には私がチームのスタッフになることは難しいことを十分わかっているつもりですが、万に一つ、もしそんな仕事をさせてもらえるのならと、頭の中がそのことでいっぱいになっていました。

知らない人が聞いたら、何を寝言を言っているんだと思われるかもしれません。

でも私は本気でそう思っていますし、それが出来ると思っています。

会社員を辞めてこの道に進んでから約30年、日本を代表する指導者と一緒に仕事ができるかもしれないという可能性が1%でもある人間になれたことを誇りに思います。

私はこれまでの人生で、自分からこうしたいと売り込んで仕事に就いたことがありませんでした、今回のことは人生で初めての自己アピールです。

コーチングスタッフはこれから決まるそうですが、私が必要とされることはあるのでしょうか・・・。


状況に応じたスピードと動きを両立した走るという行為の体の使い方。

今週、3月まで「西本塾夜間トレーニング部」に通ってきてくれていた、サッカー兄妹のお兄ちゃんH君が、大学の休を利用して帰省したことに合わせ、トレーニングに来てくれています。

妹のA子ちゃんもそうでしたが、せっかくの短い休みなのに、そのほとんど毎日をトレーニングに当てるという、私からしたら考えられないような真面目な兄妹です。

A子ちゃんは高校生になったばかりで、休みの期間にトレーニングすることでライバルに差をつけようという高い意識が見えました。
学校では器具を使ったトレーニングができないので、持たせてあったゴムの道具を使って、教えたやり方でずっと継続してくれていたようで、数ヶ月のブランクを全く感じさせない動きと筋力を見せてくれました。

H君の進んだ大学には最新の器具が豊富に揃ったトレーニングルームがあるようで、環境は素晴らしいそうです。
大学にはトレーニングを専門に指導するコーチがいて、私とは真逆の体づくりを優先したトレーニングを強制されて、せっかく身に付けたしなやかな身のこなしに、悪影響があるのではと心配していましたが、時間や曜日等は決められているものの、やり方に関しては細かい指導を受けることはないということで、その部分に関しては安心しました。

二人とも将来に向けて大きな目標があるので、そのためには何をしなければならないかということの方法論に、私の考えを最優先して取り組んでいるので、これから先どんな成長を見せてくれるのかとても楽しみにしています。

残念なのは彼らの実際にプレーしている姿を見られないことです。
しかし昨年の10月からの半年間、トレーニングに通ってくれている間にも、指導している人間の持って生まれた能力を効率的に発揮できるようになるための、体づくりではない動きづくりのためのトレーニングに真剣に取り組んでくれ、「落下・捻転・重心移動」という、最も基本的な能力をどんどん身に付けてくれていました。

その動きを基本として、実際にプレーしていく中で、こういうシーンではどうやったらいいのかという、まさにプレーヤーでなければ感じることのない感覚を、たくさん投げかけてくれました。

私が答えることができたのは、それらは全て基本となる動きの応用でしかないからです。

そうは言いながら、その疑問点は動画を見ているだけの私には、気付き難いものでした。

次々とそういう質問に答えていくことで、私自身の応用力は格段に高まり、平面でしか見られない動画の画面からも、新たな気づきが得られるようになりました。

教えているつもりが、まさに教えてもらっていたということです。

この半年間試合に出続けたことで、私から学んだことが実際のプレーに有用であることに自信を持ってくれたと思いますが、今回まず最初に質問されたことは、これまで一番難しい動きだと言っている「アイドリング状態から前に動き出す」という動作です。

もちろん基本としている3歩目にはトップスピードになっていることを目標にすることや、ある程度の距離をまっすぐ走らなければならないことが事前に判断できていてスタートを切るときには、上半身の前傾を維持し、加速距離を長くとるという体の使い方はマスターしています。

今回質問されたのは、もっと短い距離、5mから10mくらいでしょうか、その距離を挟んだ相手に向かっていく時、どのタイミングで前傾を解くかという問題です。

前傾したままの方が加速はしやすく、目的の場所まで到達する時間は短いのですが、その姿勢のままでは相手の次の動作に対応しずらくなります。

それに対して私の答えはこうです。

サッカーのプレー中はポジションにもよるのでしょうが、この短い距離をいかに速く走り、なおかつ相手の動きに対応したり、ボールを止める蹴るというもっとも重要な動作が行えなければなりません。

そのためには、たんに前傾を深くして落下捻転という二つの要素を組み合わせるのではなく、前傾は最小限にとどめ、骨盤・股関節と肩甲骨・肩関節の捻転を最大限に使って、骨盤から背骨の捻転動作を、いかに素早くそして力強く行うかという意識が必要となる、というのが答えでした。

細かく言うと、外見的には肩を前後に振っている動作ですが、重心移動でどちらかの足が体を支えるために地面に着地した足と、対角線となる逆側の肩を引き戻すこで起こる捻転という動作を繰り返すことになるわけですが、短い距離を速くとなった時には、前傾を最低限とすることで、肩の前方への振り出しも少なくなったわけですから、前ではなく肩甲骨を背骨に向かって引っ張る動作に集中することで、逆側の肩と肩甲骨の動きは自然に任せ、とにかく後方に引っ張ることを意識の中心とした動かし方が求められます。

この動きによって、瞬間的な方向転換も、ストップではない「アイドリングステイ」という状態にも無理なく移行することができます。

もちろんH君のように、基本動作がきちんとできている選手に対してのアドバイスであることは当然のことで、いきなりこの体の使い方を行おうとしてもできるはずがありません。

この捻転動作の元となっているのが、やはり「アイドリング」と名付けた動作そのものなのです。

「アイドリングを疎かにしてはいけませんよ、アイドリングが全ての動きの基本ですから」と、何度も言い続けていますが、ここでもまた同じことを言わなければなりません。

知らない人には当然できるはずがありませんが、一度学んだだけで、そんなの知っているとか、やったことはあるけど続けてはいないというレベルでは、本当の意味で体が自然に動いてくれることはありません。

その前段として器具を使った「伸kingトレーニング」を継続する必要もあるし、器具がない環境であれば「FBT」はさらに重要度を増すのです。

「背中を使えるようにする、背骨を操る」、色々な言い方をしていますが、人間が動くという現象は、やはり「骨盤から背骨を6方向へ動かす」という、人間に与えられた最も基本的で最も応用力のある能力を、効率的に発揮できるように準備しておくということが一番大事なことであると、改めて感じることになりました。

こういうことを気付かせてくれることも、関係が継続している選手だからこそです。
これからももっとたくさんの疑問が湧いてきて、私の中から答えを引き出してくれると思います。

先日指導させてもらった「大阪府立大学サッカー部」の選手たちも、一度の指導でしたから、今まで知らなかった新たな発見がたくさあって、大きな刺激を受けてくれたことだと思いますが、H君以上に疑問点が沢山湧いてきて、もっと聞きたいことがあるとか、学び足りないことが沢山あると思ってくれている選手がいると思います。

現実的に直接指導のチャンスはないかもしれませんが、彼らにもさらに成長してもらえるように、関係は続けていきたいと思っています。
彼らの戦うリーグも後期が開幕し、初戦は逆転で勝利したとの連絡がありました。
さらに戦いは続きますが、是非学んだことを活かして、勝ち続けて欲しいと思います。

短期間でもたった1日でも、本当に学びたいという気持ちがあれば、どんなレベルの選手であっても、必ず吸収して成長の糧にしてもらうことができると信じています。


プロフィール

Author:西本 直
1993年、Jリーグサンフレッチェ広島を皮切りに、社会人野球三菱重工広島・協和発酵・ヴィッセル神戸・川崎フロンターレ、そして広島カープ佐々岡真司投手など、プロアマ問わず競技レベルのスポーツ選手から一般の方まで、トレーニングやメンテナンスの指導を行ってきました。
その経験と知識の蓄積を「西本理論」としてまとめ、一人でも多くの方に実践していただくことが、これからの私の使命であると信じ、このブログから発信していきます。
私の理論はスポーツ選手のみを対象としたものではなく、ビジネスマンや家庭の主婦まで老若男女すべてに当てはまる不変のものです。
指導や講演のご依頼も受け付けています。
実名でツイッターも書いていますので、チェックしてみてください。
また、2013年9月9日にConditioning Studio 操をオープンしました。
また、遠隔地にお住まいの方を対象とした動き分析とアドバイスを行っています。
詳細は「スタジオ操」のホームページ内の「遠隔サポート」をご覧ください。
「第25回西本塾」を11月18・19日の土日に開催を予定しています。
詳細はStudio操ホームページ内の「講習会情報」をご覧ください
尚、深める会も12月10日に予定しています。

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