寂しいお知らせです。

今日は3月1日、ほとんどの公立高校は卒業式を迎えたことだと思います。
ここ広島港でも、卒業式に向かう保護者の方の姿がたくさん見られました。

トレーニングに通ってくれているヒカル君も、今日卒業を迎えます。
まだどこへ行くのかは決まっていませんが、4月から始まる新しい環境での生活に胸を膨らませていることと思います。

今日は寂しいお知らせをしなければなりません。
昨日の夜、智志から2月いっぱいで区切りをつけたいという言葉を聞くことになりました。

ご存知の通り、智志は我が家の三男で4人兄弟の末っ子です。
専門学校を卒業後、一般企業に就職しましたが、思ったような環境ではなかったのか、早期に離職してしまい、いわゆるフリーターと呼ばれる生活が続いていました。

それがちょうど1年前、忘れもしない3月3日から、私の仕事を手伝ってくれるようになりました。

もともと私は、自分のやって来たことを誰かに伝えるという事など出来るわけがない、私と同じことを考え実行出来るようになれるわけがないと決めつけ、弟子というか後継者を育てるといことをしてきませんでした。

まだまだ道半ば、自分のことで精一杯で、すべて含めて私の一代限りで終わってしまうことを覚悟していました。

3年半前にここをオープンした時にも、これまでの経験を少しでも還元しながら、あと何年続けられるかわからないですが、細々とでも続けていければという気持ちでした。

しかし、少しずつ欲が出て来て、もうひと頑張りしてみようかなという気持ちになった頃に、智志から父さんの仕事をやってみたいという言葉を聞き、人生でもこれほど嬉しいと思ったことがないというくらい大喜びしました。

智志は広島に移り住んだあと生まれた子供で、物心つく前からスポーツの世界で活躍する私の姿を見て育ちました。
子供ながらに父親の仕事に対しては、憧れというか尊敬に近い感情を持ってくれていたと思います。

何事にもタイミングというものがあると思いますが、昨年の3月という時期は、お互いにとってベストなタイミングだったのかもしれません。

私の仕事はやり方を学べば出来るようになるわけではありません、学校に通って資格を取ったからといって、すぐに実践に役立つ技術を身に付けられるわけでもありません。

私が最初に言ったのは、「3年くらいは父さんのやっていることを見ていろ」という言葉です。
これからは親子としてではなく師弟として、私のすべてを吸収して欲しいと思いました。

昨日までの1年間、楽しいことも辛い出来事も、色々なことがありました。
私にとっては夢の中にいるような一年でした。

そんな中で智志は、私の想像をはるかに超える成長を見せてくれました。
それは単に私の指導だけではなく、西本塾や深める会に参加していただいた皆さんとの交流の中で、これまで経験したことがない様々なことを学ばせていただいたことが大きかったと思います。
このことは改めて皆さんに感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。

西本塾で私と過ごした2日間の締めくくりに、感想を述べていただく時間を設けていますが、私という人間に出会い、私の考え方に触れた参加者の方が、涙を流しながら言葉を発してくれている光景は、1月に23歳になったばかりの智志の目にそして心にどう映ったでしょうか。

あっという間に私の技術を身に付け、考え方を吸収してくれました。
ならば何故区切りを付けたいという言葉になったのか、お話ししておかなければならないと思いました。

すべては私の力不足でした。

私はこれまで、とにかく真実を追い求めて来ました。
選手のために何をすることが一番正しいのか、自分は何をどう考え、どんな事が出来るようにならなければいけないのか、試行錯誤しながら妥協を許さず、自分の道を歩んで来ました。

自らを職人と称し、誰にも負けない腕を磨き続けてきたつもりでした。

そんな私に一番足らなかったのが、仕事は生活するためのお金を稼ぐ手段だという当然の感覚でした。
いわゆる経営のセンスというものがまったく欠けていました。

縁あって私に関わった人たちに対して最良の力を発揮したい、ただそれだけでした。
まさに自己満足の極地のような考え方です。

そういうところも含めて、智志は私のことを凄いと思っていてくれたのかもしれません。
しかし、親子とはいえ成人した智志に対してそれなりの報酬を支払うことができなければ、使用者としての責任を果たす事はできません。

恥ずかしい話ですが、現在私のやっている仕事で得られる収入では、智志の能力に見合う報酬を支払う状況にありません。

このままの状況が続けば私に迷惑をかける、親思いの智志はそう思ってくれたのかもしれません。

すでにどこに出しても通用するレベルの技術と考え方を身につけた智志ですが、その能力を生かして収入を得る環境がありません。

1年というこのタイミングで区切りを付けて、私の元を離れ新たな道を模索したいという言葉に、頷くことしか出来ない私は、情けないとしか言いようがありませんでした。

もう少し経営という側面に思いが及んでいたら、智志の能力を存分に発揮できる環境を与えてあげられたと思うと、親として師として責任を痛感しています。

智志は私の後継者として唯一無二の存在です。
もう同じ気持ちで同じ環境で指導できる人間は現れないと思います。

たったの1年間とはいえ、私のすべてを智志に伝えられたことは、絶対に消える事はないと思います。

今の私が、改めて受け入れる準備ができたら帰って来てくれなどと、未練がましい言葉を発してしまうのは、智志に対して失礼だと思います。

ただ私が伝えてきたことを、いつか沢山の人に役立てて欲しいと思います。
それが私がこれまで生きて来たことの証であると信じています。

こんな内輪の話を公にすることには抵抗もありましたが、智志の成長を楽しみにしてくれていたであろう 西本塾生、個人指導や施術を受けてくださったたくさんの皆さんに、何の挨拶もなく智志の存在がここから消えていくことは申し訳がないと、恥を忍んで書かせていただきました。

智志が悪いところはまったくありません、父として師として経営者として、私の力不足が今回の結果を生んでしまいました。

なによりも1年間頑張ってくれた智志に申し訳ない気持ちでいっぱいです。

今朝智志には、もう仕事としてではなく、続けてきたトレーニングをしにきてくれるも良し、智志が指導をしてくれた、今月いっぱい続く子供たちのトレーニングに付き合ってくれるということでもいいから、ここに足を運んで欲しいとお願いしてきました。

元々すべてを一人でやってきた私です、今更こうなったからといってジタバタしても仕方がないことは承知しています。

それでもやはり寂しいです。
こんな状況を作ってしまった自分が情けないです。

当然ですが、父親として智志のこれからを応援したいと思います。

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今日から3年目に入ります。

今日は9月9日、ここ「conditioning studio 操」をオープンしてちょうど2年となりました。

仕事をしている場所こそ違え、やっている仕事は基本的に同じなので、2年という月日が短いような長いような、どちらにも感じられます。

これまで特定の個人や団体を相手にすることが多かったので、様々な立場でそれぞれ違う目的を持ってここに来てくれる人たちとの出会いは、ある意味とても刺激的でワクワクさせてくれるものでした。

今までと違う意味で、自分の存在がだれかのために役に立っていると実感できる瞬間は、頑張ってきてよかったと素直に思えるものでした。

私は単純な男で、その時その瞬間に考えていることが優先され、長期的な展望とかこうなりたいという目標のようなものを掲げることがありませんでした。

2年前も、約4ヶ月の空白期間を経て、立ち止まってばかりはいられない、もう一度歩き出さなければと考えた時、自分にできることはこれしかないわけで、そのためには施設を作らなければと奔走しました。

たくさんの方に励ましていただき、なんとかオープンにこぎつけたことに対する感謝の気持ちは、これからも忘れることなく持ち続けていきたいと思います。

本来であればやっと形が整ったのですから、自分の年齢を考えても、この施設を守り続け体の続く限り頑張り続けようと思わなければならない立場だと思います。

もう現場に立つことはない、この施設こそが終の住処となる、そういう覚悟が必要なことも自分なりには分かっていました。

広島という街に根ざし、地域の皆さんのために自分の技術を発揮することで、これからの人生を作っていかなければならない、そして生活の糧としていかなければならないことも分かっています。

しかし、2年経った今でもそういう状況にはなり得ていません。

分かってはいるのだけれど、自分自身がそうなって行くことを心の底から望んでいるかというと、少し違うからです。

今ここを訪れてくれている方々は、こうやって書き綴っているブログや幾つかの媒体に書いた私の文章を読んで、それぞれが抱えている問題の解決策が、もしかしたらここにあるのではないかと思ってくれた事がきっかけで、わざわざ遠くから来ていただく方がほとんどです。

広島市内から来ていただく方の方が少ないくらいです。

そんな真剣な思いを持って問合せを頂く方に対して、ご希望の日時に予約が取れないでお断りしなければならない状況よりも、普段は暇でも、この時とばかりに真剣に向き合える時間を共有できる今の方が、自己満足でしかありませんが、自分の気持ちとしては充実感があります。

2年間様々な出会いがあり、自分の気持ちにも変化がありました。

自分で言うのはおこがましいですが、2年前の自分より色々な意味で遥かに成長しているという実感があります。

それを発揮する環境が欲しいと思うようにもなりました。

私から学んでくれた方の中に、ある組織に私を売り込んでくれた方がいます。

私の経験から生まれた技術や知識を学びたい、立場こそ違え、自分の引き出しに加えたいというのが、西本塾や個人指導を受けに来てくれる方々の一番の動機だと思います。

その方もそうだったはずです、その目的はもちろんの事、その方自身の問題ではなく、一から整理し直し、さらに進化を続けている西本理論を、もう一度私に現場で発揮して欲しいと、真剣に思ってくれたのです。

事前に相談がありましたが、それを断る理由は私にはありませんでした。

現実には、それがすぐに形となって実現するほど簡単な問題ではありません。

彼が送ったメールは、だれかの目に触れる事はあっても、責任ある立場の人間にまで届く事はないかもしれませんし、もし届いたとしても、そこから何かが動き出す事など万に一つの確率だと思います。

それを承知で行動を起こしてくれた、その方に対しては感謝の言葉しかありません。

西本塾がきっかけで、札幌には2年続けて伺い、昨年末には千葉にも伺いました。

融通の利かない私ですが、やはり一人でも多くの人に自分の考えを伝えなければならないと思うようになり、その方法ももっと考えなければならないのかもしれません。

できる事ならここを拠点として、こちらから出かけていく事で、その機会を増やさなければならないとも思っています。

私の話を聞きたいと、呼んでいただけるのなら、どこにでも出掛ける心の準備は出来ています。

もちろん勝負の世界でもう一度という気持ちもあります。

さらにはこれからを担う育成年代を育てるお手伝いをしてみたいとか、その指導者を対象に自分の考えを伝えたいとか、体の不調を抱えどうしていいのかわからないという人のために、私の力を発揮したいという気持ちももちろんあります。

あれもしたいこれもしたい、それらをすべて満たすやり方があるのか、それとも何かに絞ってそこに向かって進むのか、迷い続ける日々が続いています。

そんな中、昨日訪れてくれた選手との時間は、まさにそんな事を忘れさせてくれる濃密な時間でした。

自分の抱える問題点をきちんと整理して来てくれているので、私も指導がしやすかったのですが、だからこそ上辺だけの指導では伝えきれるはずもなく、お互いが納得できるまで繰り返しました。

我ながらボールを蹴ることがこんなに上手だったかと思えるほど、練習相手として十分な精度で蹴ることが出来ました。

これこそボールを蹴る動作は、伸展伸展の体の使い方だと言い続けていることで、自分の体もそういう風に動けるようになったのだと思います。

前に後ろに右に左に360度プラス上下も含め、あらゆる方向へ瞬時に移動し、頭を働かせ続ける能力、ピッチの中のどこに自分がいて、周りの状況がきちんと把握でき、そのうえでボールを扱う、こんな難しい事をサッカー選手は行わなければならないのです。

そのために最低限必要な体を自分の思った通りに動かすための意識と、それを可能にするトレーニング、5時間もかけましたが、まだ半分くらいしか伝えきれなかったと思います。

こんな選手のためなら何時間でも付き合えると思いましたが、次の予約の方があったため区切りをつけなければなりませんでした。

会話の中で、同僚の選手がやはり動きづくりに、どなたかの指導を受けて取り組んでいるという話を聞きましたが、明らかに私とは違うアプローチであることがわかり、いい悪いは別として、色々工夫している選手や指導者もいるんだと安心しました。

昨夜の代表戦は良い結果に終わり、それぞれの立場で安心している方も多いと思いますが、チームとしての目標はもちろんはっきりしていますが、個人としてできる事、もっと能力を向上させることは可能だと思うので、私はそういう選手の動きを見続けることで、昨日のような選手に対して、さらに良い指導やアドバイスができる準備をさせてもらいたいと思います。

もう糸の切れたタコのように、風任せというわけにはいきませんが、自分の可能性を信じて、向上心を持って歩みを進めていきたいと思います。

2年間ここで出会った皆さん有難うございます、これからもよろしくお願いします。

数値と感性

私は学者でも研究者でもありません、今やっている仕事には合わない言葉かもしれませんが、自分は職人だと思っています。

頼まれた仕事に対して自分の持っている技術や経験を最大限に発揮し、そこに新しいアイデアというか遊び心を加えて、お互いが満足できる結果を求めてくのが私のやり方です。

私が相手にしているのは、物言わぬ道具や機械の類ではなく生身の人間ですから、同じように仕上げようとしても二人と同じ結果を出すこともできません。

そこが面白いと言っては不謹慎かもしれませんが、思ったような変化を見せてくれない、ある意味出来の悪い相手の方がやりがいを感じるところもあったり、またこちらの想像を超えるような成長を見せてくれる相手に出会って、人間の無限の可能性を感じさせてもらえたり、飽きることなくいまだに職人家業を続けています。

職人として辛い所は、組織に属してしまうと、すべての対象者に対して平等にとか、可もなく不可もない対応を求められ、コツコツ何かを作り上げることより、大量生産のラインの作業になってしまうことです。

そこに求められるのは結果を客観的に判断するための数値であり、今現在常識とされている方法論を踏襲することです。

プロスポーツ選手というのはまさにその逆で、人と同じことをしていては選手として生き残っていくことのできない世界に生きているわけで、そういう選手たちを相手にする立場の人間たちの意識が、それと真逆なものを良しとしていることに、私は納得どころか意味が分かりません。

人間の体は、私自身まだまだ見ることのできない、無限の可能性を秘めているということだけは実感しています。

それをどういうやり方で掘り起し開花させられるか、一言でいうとそれを追い求めての職人家業だと思っています。


古今東西数えきれないほどのトレーニング理論やメソッドが公開され、そして消えて行きます。

方法論より先に、まずは「自分がどうなりたいのか」という目標設定の甘さが、正しい方向性を見いだせない一番の理由だと思います。

見いだせないと言いましたが、現実として単純にこうなりたいと思った時、それを実現してくれる何かがなければ、考えても仕方がないということだったかもしれません。

方法論に頼れば、そこには過程と結果があり、それらは数値として厳然と突きつけられることになります。

しかし、それらが目標とした一定のレベルに達したとしても、本来の目的であったことが達成されたかと言えば、そうでないことがほとんどだと思います。

例えばサッカーの選手が、一歩目のスタートが若いころよりも遅くなったと感じたとします。

筋力の衰えか、はたまた練習が足りないのか、今流行の体脂肪率の増加が原因かもしれない、色々なことを考えたとします。

少なくともその問題点に対しては、出来うる限りの対応をして、数値の上では十分当初の問題点であるスタートの遅さは改善できるはずだということになります。

ところがそうはなりません。

なぜ遅くなったのか、その原因がどこにあったのか、その部分の分析が間違っていれば、当然ですが改善されるはずはありません。

あれもやったこれもやった、ここも改善したあそこも改善できた、これ以上何をやったらいいのか、もう自分の能力はここまでなのか、そう思ってしまうのも当然でしょう。

なぜかそういう状況に追い込まれた選手が、私の元を訪れる場合が多いのです。

私の言う「体づくりから動きづくりへ」という言葉に共感してくれたというか、数値に現れる結果で評価できる体づくりでは、自分にとって本当に必要な動きの改善はできなかったとうことに気づいたからです。

「動きづくりってなんだろう、もしかしたら自分にもまだ可能性が残っているのではないか」、そう思うことがスタートです。

何度も言いますが私は研究者ではありません、高価な測定装置を備えた研究室に白衣を着て座っている立場の人間ではありません。

私がみるのは、目の前にいる人間そのものです。

その立ち居振る舞いから表情や、ものの言い方、ちょっとした仕草にさえ人間としての本性が見え隠れしています。

そして問題点と改善できるところを検証してきます。

さらに何より大切なことは、「本人の本気の度合」です。

口ではああだこうだ言っていても、本気でそうなりたいという意思を感じる人間は、私の経験ではそうはいないと思います。

本気度を見分ける目は、私なりに身に付いてきたと思っています。

私の本気度を超えるものがない人間とは、当然ですがかみ合わず、私の一人相撲になってしまうことも何度かありました。

だから今は、相手の意識レベルに合わせてしか指導をしないようにしています、もちろんそれが高まるように持って行くのも私の仕事だとは思っていますが。

数値で表せない分、お互いの気持ちというか信頼関係が一番重要になってきます。

一番苦手なところですが、うまくやろうとか気に入られようなどという感覚は私にはありません、目的はそんな問題とは違う所にあるので、相手のために言わなければならないことは厳しい言葉になっても言わなければならないと思っています。

明日もそんな一人が、私の元を訪れることになっています。

彼の意識と動きを3時間で変えるのが私の仕事です、どんなことになるか私自身とても楽しみです。

また一般の方ですが、30年来の腰痛に悩まされ、何度もぎっくり腰に襲われ、勧められるままに様々な施設を訪れ、様々な施術を受けてきたが効果を感じたことがないという50代の男性が先日訪れてきました。

初めてお会いするその方に、私の考える体の仕組みや腰痛のメカニズムを話し続けました。

1時間後、今まで感じたことのない体の変化に、すぐには言葉がありませんでした、どう表現したらよいのか分からないと。

治ったとか治らない、痛いとか痛くなくなったではない、まさに数値どころか、これまで感じたこともない感覚の変化、これこそその方の体を変えてくれる唯一の手がかりであり、目標設定のスタートなのです。

私の、科学的でも何でもない感覚的な説明に、最初は納得できないというか納得のしようがないという顔をしていました。

当然でしょう、その方の職業は担当分野こそ違いますが、循環器系を専門とするドクターなのですから。

しかし、そうであるからこそ医療の限界も知っているし、人間の体の不思議さや可能性も感じているはずなのです。

数値に頼り、数値を使いこなせなければ時代遅れのように言われますが、私は人間の体の可能性を信じ、そして相手を何とかしてあげたい、自分ならなんとかできるかもしれない、その小さな可能性も信じて、これからも職人としての腕を磨き続けて行きたいと思います。

雑感、世界陸上をテレビ観戦して

台風15号、広島市内からは遠ざかっているようですが、今回は台風が西側を通ったため、朝から風雨が強い状況が続いています。

現在は雨は小降りになっているようですが、風は一向に収まる気配はなく、目の前に広がる宇品港の景色も、普段とはまったく違うものになっています。

こんな日は基本外出は控えるべきで、予約の変更やキャンセルがあったため、朝から開店休業状態が続いています。

夕方三男が車で迎えにきてくれることになっているので、自分のためのトレーニングや海を眺めながら時間をつぶしている状態です。

さて、今回はあまり注目していませんでしたが、世界陸上が連日テレビで放送されています。

昨日はなんとなくですが、長い時間中継を見続けました。

残念ながら日本の選手と海外のトップレベルの選手たちのレベルが違い過ぎて、日本がんばれという雰囲気には程遠い状態だと思います。

その中でも、やり投げの新井選手だけは、久し振りに良い体の使い方をしているなと思わせてくれる選手が登場しました。

中学までは野球をやっていたそうですが、詳しいことはわかりませんが、高校に入ってからやめてしまい、目標を失った状況の中で出会ったのが、世界陸上をテレビで見た時に凄いなと思った海外のやり投げ選手の投てきを見て、自分もやってみたいなと思ったことが、やり投げを始めたきっかけだそうです。

現在中日ドラゴンズのGMを務める落合博満さんも、団体競技である野球になじめず、いわゆる野球エリートの道を外れたにも関わらず、その才能は誰が見ても光るものがあったようで、プロの道に進み、超のつく一流選手になっていった選手でした。

やり投げはまさに個人競技ですが、その技術を習得するためには、きちんとしたコーチの指導を受けなければならないでしょうから、単純に我が道を行くでは済まないと思います。

彼に限らず、大きな可能性を持っている選手は世の中にはたくさんいると思います。

今選手という言葉を使いましたが、スポーツ環境に恵まれなかったり、本人がまったく気づかないままに才能が埋もれてしまうということもあると思います。

みんながスポーツを行うことを望んでいるわけではありませんが、スポーツに限らず様々な分野でこういうことはあるのではと思います。

新井選手を見るのも名前を聞いたのも初めてでしたが、助走から最後に投げる態勢に変わり、リリースしてファールにならないように踏ん張るところまで、素人目に見ても無駄がないというか、動作の全てが槍を投げるということに繋がっているように見えました。

さらには一番大事なところですが、槍が耳の横をこするように体の一番近くをすり抜けて出てきます。

その前に、私が野球の選手に言い続けてきた、投げる方向に肘を向け手首は小指から出てくるのが正しいという、運動の連鎖を見事に表現してくれています。

体格的にもっと大柄な外国人選手は多くいますが、腕の振り方という意味では、予選A組の中では間違いなく一番良い動きだったと思います。

比較の問題ではなく、私がこれまで見てきたやり投げの選手の中でもトップレベルだと思います。

あれだけの体格と正しい腕や肘の使い方ができる選手ですから、もし野球を続けていればどんな投手になったことかと、余計なことを考えてしまいます。

今回は出場していませんが、村上選手も野球からの転向組で、テレビの企画で見ましたが140キロのスピードボールを投げていました。

同じ投げるという動作ですが、野球の関係者は槍を持つ手首の角度と、野球のボールを持つ角度は違うからと言いますが、私はまったく同じだと言い続けています。

今度新井選手にも、遊びでいいですから野球のボールを投げるところを見てみたいです、きっと凄いボールを投げると思いますよ。

他の種目では、残念ながら見るべき選手はいませんでした。

今日は200メートル予選にスーパー高校生16歳のサニブラウン選手が登場しますが、100でも2位になったガトリンと並んで走るそうで、気楽に走ってほしいと思います。

その他の競技は、もう比較云々というレベルではないので、見ていてあまり楽しくありません。

100メートル女子の福島選手も日本では敵なしですが、準決勝では予選で出した11秒23よりも悪い11秒32で、予選2組の7位に終わりました。

何度かレースを見たこともありますし、今年の織田記念陸上では目の前でその走りを見ました。

きちんとトレーニングを積み、日本女子としてはかなりのレベルに到達している選手なのでしょうが、私は何か物足りないものを感じてしまいます。

フォームもある程度完成されているのでしょうし、筋力という意味でも毎年の積み重ねが今の体を作り、それを使って走っているとは思います。

昨日のレースでも前半の30メートルくらいまでは、他の選手と遜色はないと思います。

ところが中盤から後半にかけて、圧倒的なスピードの差が出てきます。

スタート良し、前半の加速良し、なのに後半がということになってしまうのは何故でしょうか、海外の選手とどこが違うのでしょうか。

私が思うに、前半の速さは福島選手の体の軽さと、そして足を速く回転させる、いわゆるピッチの速さによるものだと思います。

ところが後半に入ると、地面を蹴る力が前に進む推進力としてではなく、強く蹴って大きく振り出されて着地する足が、推進力を止めるブレーキになっているように見えるのです。

骨盤の角度がきちんと維持されていないためです、体の前側の筋肉が出しゃばっています。

そのブレーキがかかった状態の体を、さらにアクセルである蹴り足で前に運んでいく、ブレーキを踏みながらアクセルを踏むという、なんとも大変な作業をしているように見えてしまいます。

さらにはここ一番のレースになると、やはり力んでしまうのか、そのブレーキアクセルの動作が顕著になって、足は走っているのだけれど骨盤は前に進んでいかない、そんな風に見えます。

力むイコール屈筋優位の筋力発揮となることは何度も繰り返してきました。

走るという行為に関しては、過去何度も触れてきましたが、短距離こそ、いかにブレーキをかけずに駆け抜けるかという動きが要求されると思います。

トップを争う選手たちは、骨盤がぐいぐい進んでいきます。

骨盤から背骨のアーチが見事に保たれ、膝から下がスイスイ前に運ばれ、ぐっとそり出した骨盤の股関節の真下に、ブレーキではなくスッと乗って行く感じで、滑るように前に進んでいきます。

いろいろなトレーニングを行っているとは思いますが、筋力では絶対に対抗できないと思います。

いかに地面とケンカしないで、ブレーキのかからない走りができるか、そのためにはどういう体の使い方をすればいいのか、私に意見を求められることはないと思いますが、今のままでは世界との差は広がるばかりだと思います。

見ている方はなんとでも言えます、選手やコーチが真剣に取り組んでいるからこそ、私なりの意見も言えるのです。

今日もじっくりテレビ観戦しながら、ああだこうだと自分の考えていることとの違いを分析したいと思います。

目の前の宇品港、まだまだ凄い風が吹き荒れています。



明日はきっと笑えるから

今日8月6日は、今私が住んでいる広島の街に原子爆弾が投下された日です。

爆心地となった場所まで、直線距離で4キロ弱の距離の場所に住んでいて、今平和公園となっているところから流れてくる元安川に架かる幾つかの橋には、火傷を負って水を求めて川に飛び込んでいった人たちのことが書かれた碑を、たくさん目にすることができます。

私は広島の生まれではありませんが、被爆地広島を日常的に感じる生活を送ってきました。

今日も原爆が投下された8時15分に合わせて、静かに黙祷をして犠牲した方々と広島の復興に思いを馳せました。

私が広島に移り住んできたのは、93年にJリーグが開幕し、そこに参入したサンフレッチェ広島の一員として仕事をするためでした。

開幕して3年くらいまでは、サッカーバブルとも言われた時代で、一気にプロ野球人気を追い越すのではという勢いでしたが、20数年経った今、現実にはそうはなっていないようです。

特に広島では、サンフレッチェにとってもJ2への降格があったり紆余曲折を繰り返しながらも、ここ数年、森保一監督就任以来の快進撃で、プロスポーツとしての結果だけで言うと、プロ野球の広島カープをはるかに超える存在になっています。

にもかかわらず、サッカー専用球場の計画は遅々として進まず、交通の不便な現在の競技場では、観客動員数の大幅な増加は望めない状態が続いています。

私はあまり過去のことを引きずりたくないタイプの人間ですが、それでも、これまで経験してきた様々な出来事を忘れた訳ではありません。

一歩でも半歩でも前進したいと思って生きてきました。

20数年広島に住んで、少しずつですが分かってきたことは、70年前落とされた原子爆弾によって、今後75年間は草木も生えないと言われた広島の中心部が、ここまで復興を遂げ発展してきた要因の一つに、「広島東洋カープ」という存在が、絶対的な心のよりどころになっていたということです。

そしてその感覚は、親から子へ子から孫へと引き継がれ、脈々と広島市民の心の中に生き続けているのです。

現在のカープ人気は一過性のように思われているところもあるでしょうが、長い歴史の中で育まれてきた部分と、現在の世界情勢というか自衛権の問題を含め、広島の街が見直されていることも大きな要因だと思います。

チームが勝ったとか負けたとか、強いとか弱いとか、そんなことは二の次で、自分たちが守り育てた、まさに我が子のような存在となっています。

サンフレッチェがいくら優勝を繰り返しても、このカープの歴史を超えることはできないでしょう。

私のお世話になっている方々の中にも、カープ命と言わんばかりに熱心に応援されている方がたくさんいます。

一野球チームを超え、カープの存在は知れば知るほど不思議な力を持っていることがわかってきます。

そんな広島の街のシンボルとして、球団にも選手スタッフにも、応援に恥じない一生懸命なプレーが要求されます。

不甲斐ないプレーや采配には、広島弁の厳しいヤジが襲いかかりますから(笑)

そんなカープと共存していかなければならないサンフレッチェは、森保監督のもと、毎年主力選手を他のチームに持っていかれながら、素晴らしいチームを作り続けていることは大きな賞賛に値すると思います。

今年もきっと、大きな成果を上げて広島の街を盛り上げてくれることと思います。

広島という街の地方レベルでは、こんな状況だと思うのですが、日本全体で見れば、サッカーでは現在東アジアカップが行われていて、残念ながら昨夜行われた韓国戦の引き分けで、連覇は無くなってしまったようです。

Jリーグが開幕して20数年、チーム数も増えカテゴリーもJ2、J3と増え、サッカー自体のレベルも確実に進歩してきているのだと思います。

そんな中、日本代表として活躍した選手たちは、当然のようにヨーロッパの強豪国のリーグへ移籍していきます。

野球と同じような状況になっています。

もともと歴史が違いますし、それぞれのリーグが切磋琢磨しながら、独自のプレースタイルを築き上げ、世界で一番競技人口の多いスポーツとして君臨している訳ですから、選手の流失もある意味仕方がないことかもしれません。

そんな中でも、Jリーグの戦いの中で技と力を競い合っている選手たちの方が当然多い訳ですから、今回日本代表として選ばれた選手たちには、なんとしてでも良い結果を持ち帰って欲しいと思っていました。

あと1試合を残してはいますが、北朝鮮には逆転負け、韓国とは引き分けが精一杯、その内容も素人目にも「惜しかった」と言えるものではなかったと思います。

前回の記事でも監督が協会に不満をぶつけていたということを取り上げましたが、いくら順応性が高く協調性もあるのが日本人の良いところだと言われても、ブラジルやドイツ、イタリアにオランダと、その国の名前を聞けばなんとなくどんなサッカーをするのかが、私のような人間にもわかるようなプレースタイルが、20年経った今でも確立されていないことが一番大きな問題ではないでしょうか。

これが日本にとってベストだというものはまだ見つからないのかもしれません。

見つけるというより、作り上げていくのが本当ではないでしょうか。

ドイツだったりオランダだったりは、基本的な体格の問題や国民気質を含め、なるほどということをやっていると思います。

ならば日本も、自分たちの特性を最大限に生かした何かを作り上げていく、もうそんな時期にきているのではないでしょうか。

当然指導者も日本人でなければなりません、その候補となる人間も何人かは皆さんの中に思い浮かべられる人材はいると思います。

今回の試合を見ていて、韓国選手の姿勢の良さがやたらと目につきました。

逆に言えば、日本の選手たちの姿勢が悪いということです。

遺伝の問題もあるでしょう、しかし筋肉の支え方で決まる姿勢は、後天的なトレーニングで変えられる問題です。

プロサッカー選手、それも日本代表に選ばれるレベルの選手たちが、トレーニングをしていないわけがありません。

普段の生活の中で彼らを目にした時には、一般の人から見ればしっかり鍛えられた良い体をしていると見えるはずです。

なのになぜピッチ上で猫背気味の悪い姿勢に見えるのでしょう。

それは意識の問題だと思います。

「頑張らなければ」この一言に集約される思いが、体の前側に位置する屈筋群に力が入り、背中を丸める結果になってしまいます。

このブログでずっと書き続けてきましたが、そのことで股関節の自由度を失い、一歩目が遅くなり、地面を蹴って動き出すことで疲労が増し、時間の経過とともに頭も体も動かなくなるという、悪循環が繰り返されていくのです。

では、姿勢が良いといった韓国の選手たちは疲れないのか、そんなことはありません、比較の問題です。

彼らの方がボールに対しても人に対しても、明らかにその一歩目は速く、体をぶつけ合うときの態勢も崩れないことは、誰の目にも明らかだったと思います。

ではどうやって体を使う意識を変えるか、方法はいくつかあって、それぞれ一朝一夕とはいきませんが、一番大きな問題でなおかつ即効性があるのは、やはり意識を変えるということです。

一言で言ってしまえば、「屈筋を捨て伸筋で動く」という意識です。

これにはもちろん訓練というか練習は必要です。

意識を変えるとどんな良いことがあるか、頭と体が理解していなければ、誰もそうしようなどとは思わないでしょうから。

プレーを楽しめとか気楽にやれとかいう言い方がありますが、そんな簡単なことでは済まされません。

自分がそして自分たちが何をなすべきか、それができればどんな結果が待っているのか、それを全員が理解し、そのための練習を繰り返し、「よしこうやって戦うんだ」という覚悟を持ってピッチに立たなければ、そんな心持ちにはなれないでしょう。

意識を変えるためにはやることがたくさんあるのです。

日本の選手たちを見ていて、誰一人としてプレーを楽しめていると感じる選手はいませんでした、ということはそれだけの準備ができていないということなのでしょう。

監督の言い分もわかるような気がします。

ただ現実として与えられた環境の中で、最善を尽くすのがプロですから、環境を作る側にも大きな意識改革を期待して、応援してくださるたくさんの方々のために、最善の努力を行って欲しいと思います。

私如きがこうして言葉を連ねても、どこに届くわけでもないし、何が変わるわけではないでしょう。

しかし、被爆者団体の代表を務める、今年90歳になられる「坪井直」さんの言葉を借りれば「諦めたらおしまいなんですよ」ということがすべてではないでしょうか。

私に何ができるわけではありません、それでもこれを読んでいただいた方が、「今自分たちが行っていることが本当に正しいのか、何か違うんじゃないのか」 そんなことを考えるきっかけになってくれれば十分です。

過去は変えられませんが、今この瞬間から先は変えることができるはずです。

「明日はきっと笑えるから」そう思って苦しい時期を乗り越えていきたいと思います。


プロフィール

Author:西本 直
1993年、Jリーグサンフレッチェ広島を皮切りに、社会人野球三菱重工広島・協和発酵・ヴィッセル神戸・川崎フロンターレ、そして広島カープ佐々岡真司投手など、プロアマ問わず競技レベルのスポーツ選手から一般の方まで、トレーニングやメンテナンスの指導を行ってきました。
その経験と知識の蓄積を「西本理論」としてまとめ、一人でも多くの方に実践していただくことが、これからの私の使命であると信じ、このブログから発信していきます。
私の理論はスポーツ選手のみを対象としたものではなく、ビジネスマンや家庭の主婦まで老若男女すべてに当てはまる不変のものです。
指導や講演のご依頼も受け付けています。
実名でツイッターも書いていますので、チェックしてみてください。
また、2013年9月9日にConditioning Studio 操をオープンしました。こちらもご覧ください。
また、遠隔地にお住まいの方を対象とした動き分析とアドバイスを行っています。
詳細は「スタジオ操」のホームページ内の「遠隔サポート」をご覧ください。
今年2回目の西本塾を8月26・27の土日に開催を予定しています。
詳細はstudio操のホームページ内の「講習会情報」をご覧ください。
なお、今回も参加者が5名に満たない場合は開催しません。
9月10日には深める会も予定しています。

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