4周年を迎えて、思うところを書いておきます。

広島港旅客ターミナルビルの2階に、「Conditioning Studio 操」をオープンして丸4年が過ぎました。

もうあの頃の心模様を思い出すことが難しいくらい、日々の活動に集中する毎日となっています。

もう二度とサッカ-に関わることはないだろうということだけは、強く思ったように記憶していますが、意に反してサッカ-選手の能力向上のための動きづくりという一大テーマを追い続けているように思います。

何度も書いてきたように、スポーツライターの木崎伸也さんのお蔭で、私の中で整理しきれていなかったことを、言葉として発信できるレベルにまで引き出してくれたことは感謝しかありません。

過去の仕事を振り返った時、最もやりがいを感じていたのは社会人野球チームと、個人としてかかわったプロ野球の投手の仕事でした、もちろん私が野球少年であったからです。

どちらも目指したことは、人間の体そのものをどう効率的に使うかということでした。

野球に関して、プレーヤーとして人に言えるほどの経験はない私ですが、体そのものをどう使うかという問いに対して、常になぜどうしてを繰り返していました。

それがもう5年近く前の出来事になってしまいましたが、これまで仕事の面では感じたことがない、やり残してしまったという感覚が、木崎さんとのやり取りの中で、もう少しこうすれば良かった、もっと選手そしてチームの役に立てたはずだという気持ちが膨らんで行きました。

それを発揮する対象がないままに月日が流れて行きましたが、振り返ってみると「西本塾」であったり、個人指導であったりと、形は違えど私から何かを学ぼうとしてくれる人がたくさんいました。

比率で言えばサッカーに関わる人が最も多かったと思います。

それ以外の種目やスポーツに直接関係ない方々も含めて、それぞれの方々に対し少しでもお役に立てる内容の指導をしたいと試行錯誤を繰り返してきました。

そして、一つひとつの問題点に対してその答えとなるものを見つけ出していくうちに、これを個人としてはもちろんのこと、チーム全体で取り組んでくれたらどんな動きが出来るチームになるのだろうと、我ながら夢が膨らむ思いでした。

個人として指導を受けてくれた選手たちは、それぞれのレベルで成長の手ごたえを感じてくれ、そのレベルが高ければ高いほど、知り得たノウハウをライバルとなる他の選手には教えたくないと思ってしまうようで、私の理論が表だって広がりを見せるまでには至っていません。

それはある意味仕方がないことで、そういう中でも私を探し出し、指導を受けてくれた選手たちを、何とかしてライバルたちより一歩先んじた存在になってもらうために、真剣に向き合ってきました。

その成果は、もちろん感じています。

スポーツ選手の指導だけではありません、体の不調に悩まされ、藁をもつかむ思いで私の元を訪れてくれる一般の方に対しての施術においても、大きな手ごたえを感じる毎日です。

私でなければ、そう思ってくれる人がたくさんいます。

そうやってあらためて足元が安定してくると、やはり考えてしまうのが、もう一度トップレベルの戦いの場に戻ってみたいという、長年やってきたことへの思いです。

あの時点で、もう勝った負けたは卒業させてほしいと、社会人野球の仕事を辞し、平穏な日々を送ろうと決めた矢先に新たな挑戦へのオファーがありました。

人生あみだくじが私のキャッチフレーズのようになっていましたが、まさに新たな1本の線を加えられた思いで、その線に身を任せることを選びました。

上下関係や規律の厳しい野球の世界から、まったく雰囲気の違うサッカーの世界への再々転身には、心の準備というか気持ちの切り替えが出来ていなかったのかもしれません。

しかし、短い期間でしたが色々なことを経験させていただき、自らの体調管理も含めて、改めて自分の能力を組織の中で活かすためにはどうすれば良かったのかという、私にとって一番苦手なことに関しても、少しは勉強できたと思っています。

サッカーに拘っているわけでは決してないのですが、終盤戦を迎えたJリーグですが、今年も過去に実績を残した指導者たちがクラブから解任という現実を突き付けられました。

私が5年前に目指したのは、90分間頭と体を動かし続けることが出来る選手を一人でも多くピッチに立たせ、監督が思い描いた戦術を全うできるチームを作りたいということでした。

たくさんの試合を見ているわけではありませんし、元々サッカーの経験者でもない私が言うのは少し見当違いかもしれませんが、今行われているJリーグの試合で、それを感じさせてくれるチームがいくつあるのでしょうか。

試合展開によってはある程度仕方がない部分もあるのでしょうが、毎回毎回判で押したように言われる「足が止まる」という現象が改善しない限り、世界のサッカーを自由に見ることが出来るようになって、目の肥えたサポーターを満足させるゲームは出来ないように思います。

監督を代え選手を代えても、その部分に取り組むという本質的な意識改革なしに、現状を変えて行くことは出来ないと思います。

既に現役を退いて年数が経った指導者は、こういう考え方になかなか賛同できないようですが、自分がやってきたこと以外に方法があると思いたくないだけのことです。

まだまだ体が動く若い指導者なら、自分の体でそのことを理解し、もっと早く現役時代に知りたかったという声は私の所にも届いています。

来ーシーズン、もし私にその仕事を任せてくれるチームがあったとしたら、今度こそそのチームに所属する選手や指導者の意識を根本から改革し、サッカーに関わる全ての人をあっと言わせるチームを作るお手伝いをしたいと思います。

私が手塩にかけて育て上げた選手たちを自在に操り、自分の理想とするサッカ-をピッチの上で表現できる優秀な監督とでなければ一緒に仕事は出来ませんが、もしそんな夢が叶うのなら、最後の力を振り絞って、その任を全うしたいと思います。

とは言え、現実としてそれが実現する可能性はゼロに等しいと思います。

それでもそのゼロの可能性のために、頼まれてもいないことを常に考え続けてきた結果が今の私なのです。

こんなことを考えている時が一番楽しいのです。

私がフィジカルコンタクトの時の体の使い方で説明している通り、私自身が屈筋を固め、もう収縮の余力がない、3・5・7理論の3の方向へ出力しきっている筋肉になってはいけないのです。

屈筋を使って力むのではなく、伸筋の収縮度合いを冷静に判断し、必要十分な筋力発揮行うことで、私自身の視野を広げ、少しでも多くの人たちのお役に立てるようにしなければ、これまで身に付けてきたことを世の中に還元することなどできませんから。

「誰かのためにお役に立ちたい」、そのためには、「正しいものは正しい、良いものは良い」と言い続けるだけではなく、相手が求めていることを正確に判断し、それ以上のものを与えられるように柔軟に対応できるようになることこそ、今そしてこれからの私に求められる姿なのではないかと思っています。

先日行った、「大阪府立大学サッカー部」の指導では、このことが一番のテーマでした。

今回それをクリアできたと、私なりには納得しています。

この場所で4年間築いてきた信頼を継続させることが、今の私に一番求められていることは確かだと思います。

ただ一度きりの人生、何度でも挑戦は続けたいと思います。

どんな形であれ、常に立ち止まることなく、あみだくじの上を歩き続けて行きたいと思います。

ブログの更新も週に一二度となっていますが、記事の更新に関係なく、文字通り毎日アクセスしてくださる方が何人もいるということをお聞きし、これからも思うところを書いていきたいと思いますので、よろしくお付き合いください。


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今は異端と呼ばれても。

明日からの二日間、以前に1週間の遠隔サポートを受けてくれたサッカー少年とそのお父さんが、金沢から直接指導を受けに来てくれます。

プロや競技レベルのスポーツ選手が指導の対象だった私が、いつの間にか小学生から中学生、高校生そして大学生と、アマチュアの選手と言うよりも、育成年代の子供たちを相手に指導する機会が増えてきました。

私の指導は基本的に個人を対象としていて、特に器具を使ったトレーニングでは、ほぼマンツーマンの指導となりますので、二人を同時に指導することさえ、自分としては納得できる指導が出来ないような気になってしまいます。

それは、すべての動作においてマニュアル化されたものはあってないようなもので、一瞬一瞬の体の動きとそれを行う意識が、私の要求するものであってほしいと思うからです。

こんなやり方では10人20人いやもっと大人数のチーム単位では指導できるわけがありません。

ほとんど私の趣味の領域を出ないように思われるかもしれませんが、私はこのスタイルで仕事を続けています。

以前に社会人野球のチームを指導していましたが、その時にも全体を3班に分け、一度の指導するのは10人以下でした。

器具やスペースの問題はもちろんありますが、私の目がすべて届く範囲の中での指導でした。

日々接していく中で人間関係も出来て行きますので、それなりに納得できる指導は出来ていたと思います。

更には選手たちが、1年1年経験を積んでくれることで、先輩が後輩の本当の意味での手本となってくれ、私の手間というか指導を楽にしてくれました。

月末に指導する予定の『大阪府立大学サッカー部』には、器具を使ったトレーニングを指導するのではなく、あくまでもグランドレベルで行う、まさにサッカー選手に必要な動きづくりを指導する予定です。

私に興味を持ってくれる人たちにはいくつかの共通点があります。

ひとつは、ある程度の年齢、30歳くらいでしょうか、その頃になって自分のこれまでを振り返った時、正しいと思って真剣に取り組んでいたこと、とくにトレーニングに関してですが、本当に自分にとって正しい方法だったのか、あれだけ努力したのに、どうして目標に届かなかったのかという問いに対して、納得できる答えが欲しいという方が何人もいます。

そういう人たちは本当にまじめで、目標に届かなかったのは自分の努力が足りなかった、そして何より、自分はそこまでの選手だったのだと、自らに問題があったと思ってしまいます。

もう一つは、自分なりに一生懸命練習をしてきたが、常に体に故障を抱え、納得いく練習が出来なかったという人たちです。

同じ練習をしても故障をしない人もいれば、自分のようにあちこち痛いところだらけで、まともに練習することが出来なかったが、それも自分の努力が足りなかったと、誰のせいにすることなく自らを責めてしまうのです。

私は体が悲鳴を上げる原因は3つだと常に言い続けています。

ブログを真剣に読んで頂いている方々はもう何度も聞いたよと言う話ですが、もう一度整理しておくと、

① その運動動作が、人間の体の仕組みに沿った効率的なものとなっているか。

② 正しい動作が行われているとしても、それぞれの競技レベルに応じた基礎体力が備わっているか。

③ ①②を満たしていたとしても、体にとって多き過ぎる負荷、オーバートレーニングになっている。

このどれかと言うよりも、育成年代の故障の原因は、それらすべての複合要因だと思います。

そしてケガをしないために、パフォ-マンスの向上のために、筋力向上肉体改造の号令のもとに、一生懸命トレーニングを行うことになります。

もちろんそれを結果に結びつけ、トップレベルに成長していく選手はたくさんいます。

しかし、同じ努力をしてもその高みには届かないどころか、故障に悩み消えて行く選手が多いことも事実です。

私の存在に気づき、指導を受けたいと思ってくれる人たちは、ある意味エリートではない人たちかもしれません。

子供の頃から体格に恵まれ、技術的にも他を圧するものを持っていたならば、さらにその長所を磨くためにトレーニングに励むことは当然のことだと思います。

遺伝的に体格に恵まれなかったり、努力の結果が体の故障となって表れ、頼るところさえない状況に陥った人たちが、もしかしたらの思いで私の元を訪ねてくれます。

色々な意味で王道を歩んでいる人たちにとって、私の理論と言うか考え方など、ただの小理屈にしか聞こえないのかもしれません。

しかし、そんな人たちも必ず壁にぶち当たる時が来ます。

そして、そこでもがき苦しんだ時、初めて私の話も少しは聞いて見ようかなと思ってくれるようです。

トップレベルの選手たちの中に、そういう例が何人かありました。

私はそうならないように、若さだけで突っ走っている選手に、今このことに気付けば、違う自分というか新しい自分の能力に出会うことが出来る、ということを伝えたいとは思っていますが、そういう年齢の選手たちには、なかなか私の言葉は響いていかないようです。

何と言っても、私の言っていることやっていることがマイナー過ぎるからです。

最新のトレーニング理論だとか、有名な選手が取り入れているからとか、数値化され客観的に効果が証明されているものを行いたいと思うのは当然のことです。

私はそれに異を唱えるつもりはありません。

しかし、全員が一つの方向に向いてトレーニングを行ったとしたら、誰がとび抜けた存在になりうるのでしょうか、と言うよりも、そこで示された結果以上のなにかを得ることが出来るのでしょうか。

私がやっていることは数値化したり客観的な評価も得ることは出来ないでしょう。

数は少ないですが、お互いの感覚として周囲との相対評価ではなく、自らの成長を確実に感じられる絶対評価という意味では、間違いなく結果に結びついていると思います。

世の中の99.999%の人たちが正しいと信じてやっていることで結果が出なかった人たちが、数字にも表せないようなマイナーな私の理論に沿って、動きづくりの掛け声のもとに、地道な努力を積み重ねた結果、それぞれのレベルで納得できる変化を感じてくれているとしたら、私のやっていることにも意味があると思います。

周りの選手たちと同じ、世間が認めた王道を歩むも良し、私のような人間の言うことに興味を持って取り組んでみるも良し、どちらが良い悪いという話ではなく、それぞれが自分の判断で決めればいいと思います。

その自分の判断がまだできない育成年代の子供たちには、「こんな考え方もあるよ、こんなやり方もあるよ」と、出来れば知って欲しいと思います。

その機会を与えてくれるのは、大人である保護者の方や指導者しかいないわけで、そういう意味でも固定概念に縛られず、広く話を聞いてみようという人が増えて欲しいと思います。

本当に数は少ないですが、私の考え方に興味を持ち、更には共感してくれる人が増えてきました。

私の考え方がスタンダードになる日は、残念ながら来ないかもしれませんが、一つの選択肢として認めてもらえるレベルにはなって欲しいと思います。

そのためには、私を信頼して集まってくる人たちを確実に成長させ、これが特別なことではなく、人間の体の仕組みに沿った、ごく自然な考え方であることを理解していただくという作業を積み上げて行くしかないと思います。

悲観的な気持ちはまったくありません、種を蒔き始めたのは、まだ4年ほど前のことですから。

今はサッカーが指導を受けに来てくれる競技のメインとなっていますが、元々専門だと思い結果も残してきた野球の投手や、ゴルファ-のトレーニングも指導したいと思っています。

現在の状態からレベルアップするためには、「大きく強くだけが目的ではない、こんな考え方もあるんだよ」と言うことを知るだけでも、成長のきっかけになるのではないかと思います。

新しい出会いに期待ですね。

明日からの指導、週末の『西本塾』、そして月末に迫った大阪府立大学の指導、楽しみな毎日が続きます。

私も体力勝負です(笑)

学び合う楽しさを感じながら。

私もそれなりの年齢になってきました。
もしずっと会社勤めをしていたとしたら、そろそろ定年後の生活を考えなければならない状況を迎えていたことでしょう。
幸いなことに私の仕事には定年というものはありませんし、施術と動きづくりのトレーニング指導という両輪ともに、まだまだ続けていくことができそうです。

どんな仕事でもマスターしなければならないスキルがあって、それをベースにして応用発展させていくことが個人としての成長だと思います。
今私が行っていることにスキルという概念を当てはめるとしたら、いくつかそれに当てはまるものはあると思います。
ではそれを形の上でマスターすれば、同じような結果を出すことができるかというと、なかなかそうはいかないことがこの仕事の難しいところです。

何を持って結果を出せたと言えるのかも、正直これと言った定義さえ見つけることができません。
いまの世の中では当然のこととなっている、数値化する可視化するという客観的な評価を受けることが最も難しい分野かもしれません。
それではダメだとすべてをデータ化し、情報を共有することでケガの予防や能力向上に貢献しようという試みは、以前から行われてきました。
私はそれを否定する気はありませんが、私がやりがいを感じているのは、目の前にいる人間の体と心の変化を、まさに手に取るように分かるという、なんとも曖昧な表現しかできない部分です。

様々な人間を相手にしています。
私の仕事の片輪である施術行為ですが、一般的な概念では、施術行為を行う施設を訪れる人たちは、ほぼ例外なく受け身な立場です。
受け身というのは、それぞれの施術者が行う行為に依存し、その技術で自分の不調を改善してもらおうという意味です。
そんなことは当然で、それ以外何を目的にそんな所に行くのかと言われることでしょう。
もし自分の抱える痛みや体の不調が、その行為によって改善したとしたらそれはそれで素晴らしいことかもしれませんが、本当の意味でその人の体は改善できたと言えるのでしょうか。

人間は産まれてから男性は18歳、女性は16歳で個人差はありますが人間という動物として成熟します。
地球上に存在するすべての生き物は、種を保存して行くために成長し終焉を迎えます。
人間だけがそうでない営みを行うようになってしまいました。

そんな一生の中で、自分の体はどういう風にできていて、どういう風に使うことが自分に与えられた能力を十分に発揮できるのか、などということを考えて生きている人はほとんどいないと思います。

私は何故か、そしていつからかは分かりませんが、そんなことばかり考える人間になっていました。

体の痛みや不調を訴える人に対して、そんな理屈など関係なく、施術を終えた時に「楽になりました、ありがとう」と言ってもらえれば十分お役に立てたと思える仕事なのに、「あなたはどうしてこういう状態になってしまったのか、どういう風に自分の体と向き合っていればこんなことにならなかったのか」、「人間の体はね・・・」と、聞きたくもない話かもしれませんが、このことを知らないままにこれからの人生を続けて行くことは得策ではないと、聞かれてもいない話を始めてしまうのです。

せっかく縁あって私の元を訪れてくれた人には、身に付けた技術を発揮して体の状態を改善してあげるだけではなく、自分の体を見つめ直し、自分の体と対話するための「文法」のようなことを伝えてあげなければ、ここに来てもらった意味は半減すると勝手に思っています。

「治してもらう」ではなく、自分の体は自分で責任を持って使い、責任を持って手入れして欲しいと思っています。

入り口を入ってその方法を、一緒に身に付けて行きましょう、というのが私のスタンスです。

同じようにスポーツ選手の能力向上を目的としたトレーニングも同じです。
有名な選手が取り入れているから、今流行っていてみんながやっているから、そんな動機で特定のトレーニングを取り入れる人が多いと思います。

よく例に出す話ですが、子供の頃駄菓子屋さんで、色や大きさの違う糸のついた飴玉があって、その糸が束ねられた中から一本を選んで引いて、引っ張られた飴玉をもらえるというのがありました。
たぶん5円で1回引けたと思いますが、同じ5円なら大きな飴玉をもらえた方が嬉しいに決まっています。
飴玉の方をちょっと引っ張って、目当ての飴玉につながっている糸を見つけてやろうと、子供ながらに工夫しましたが、私はそういうところは生真面目で、間違ってもお店のおばちゃんの目を盗んで、はっきりと分かるように飴玉を引っ張るなどということはしませんでした。

今の世の中ではインターネットを使って、自分の知らない分野のことでもそれなりの知識を得ることができるようになりました。
逆に言えば上っ面の言葉だけで、分かったような気になっている人が多いのではないでしょうか。

途中の考え方どころか、基礎となる一番大事なところさえ知ろうとせず、すぐに結果を求める、そんな人が多くなって来たようにも思います。

スポーツ選手にとって「結果を出す」という表現はとても難しいことです。
個人の対人競技であっても、勝ち負けはその時その瞬間の相対的な力関係の評価であって、その選手の能力の「絶対評価」ではありません。
私はこの絶対評価という言葉にこだわりますが、絶対評価にはこれが最上でこれ以上はないという言い方はあり得ません。
自分がこれで良いと満足してしまった時点で成長は終わりだということです。

そこで重要となってくるのが成長を加速させて行くための方法論と言うことになります。
その一つの考え方が私の提唱している「動きづくり」と言う概念です。

大雑把な言い方ですが、最終的な能力の向上を選手自身と私が、共に納得できるレベルに達するためには、様々な段階を経て積み上げていかなければなりません。
「動きづくり」という言葉は、ある意味ゴールに近いもので、この部分だけを知りたい、教えて欲しいと言う目的が見え見えの依頼を受けたことも、一度や二度ではありません。

どんなレベルの選手であっても、一番基礎の部分から時間をかけて頭と体に染み込ませていけば、絶対に能力を向上させられます。
それには多少の時間がかかります、チームの専属ではありませんから、そう言う意味で私が満足できる指導はできません。

しかし、私のような何の肩書きもなく無名な人間の考え方に共感し、指導を受けてみようと広島まで足を運んで来てくれる選手たちは心構えが違います。
現状より一歩でも半歩でも成長したい、そんな熱い気持ちを持っている選手には、私はそれ以上の熱を持って指導しています。

口先だけの選手はすぐに分かります、飴玉の大きさに気を取られて、結局は最後の部分だけしか覚えて帰ろうとしませんから。
当然成長も望めません、例えば走ると言う行為なら、畳一枚のスペースがあればできるドリルに費やす時間が7割で、実際に外で走る時間は3割で良いと言っています。
ドリルが完全に身につかなければ、走ると言う行為の体の使い方を変えることはできないからです。

先日指導を受けに来てくれたドイツのシュツットガルトでプレーしている浅野拓磨選手は日本代表には呼ばれ続けているものの、定位置を確保するところまでは至っていません。
選手としてはもちろん満足できるはずもなく、彼の大きな武器であるスピードを活かすためにはどんな体の使い方をしたら良いのか、サンフレッチェ広島在籍時から、私の指導を受けたことのあるチームメートが行なっている、見たこともないトレーニングの仕方に興味を持ち、私の存在もとても気になっていたそうです。

代表選手として行動していると、他の選手がどんな人からどんな指導を受けているという類の話がたくさん聞こえてくるそうです。
目の前で体幹トレーニングやヨガを取り入れたトレーニングを行う様子を目にすることも多いようです。

彼の良いところは、他の選手がやっているからと言う理由で飛びつくのではなく、そもそもそれを行う意味は何かとか、自分にとって本当に必要な知識でありトレーニングなのかを知らないままに行うことは得策ではないと考えたことです。

ですから私の指導したことが、単なる方法論ではなく、人間の体を考える上での基礎となっている理論であることはすぐに理解してくれました。

こうして様々なタイプの選手と接することで、私の対応力というか指導する側としての心構えや言葉の選び方まで、本当に勉強になります。

浅野選手は22歳(11月に23歳になります)、世界で戦う上でまだ若いからとは言っていられない年齢です。
彼の大きな武器であるスピードを最大限に活かすためには、日常の体のケアは絶対条件で、加えてまだまだ身につけてもらわなければならない体の使い方が沢山あると感じました。
彼が望んでくれれば、私が専属トレーナーとしてドイツに行っても良いと思わせてくれるほどの大きな可能性と潜在能力を持った選手です。
私が直接関わった選手でそう思わせてくれたのは浅野選手が初めてです。
私が直接世界を相手に仕事ができるかも、そんな夢を見させてくれました。

現実にはあり得ないことでしょうが、こうして夢のようなことを考えているからこそ、色々なアイデアが湧いてくるのが私の常ですから、浅野選手との出会いを私も糧にして、さらに成長して行きたいと思います。

相手のために何をどう伝えれば良いのか、やればやるほど自分の中でもっともっとという欲が出て来ます。
もう自己満足ではなく、私が行った指導で選手がどう変わって行ったか、そこまで追い求めて行くことで、西本理論を学び、同じように選手のために指導して行きたいと奮闘してくれてる西本塾生たちが、胸を張って指導できるように、小さな声かもしれませんが、声を上げ続けていこうと思います。

想いは届いていました、それもこんな遠くまで!

今日は朝からバスとアストラムラインを乗り継ぎ、広域公園にサッカーを観戦に行ってきました。

まずは午前中、11時から女子サッカーの試合、地元『アンジュヴィオレ広島』『静岡産業大学磐田ボニータ』戦です。

監督が今年から変わり、私がヴィッセル神戸に在籍していた当時選手だった『東博樹』君が就任していましたので、どんなサッカーを見せてくれるのかも楽しみにしていました。

女子サッカ-を生で見るのは初めてでしたが、やはり男子に比べると個人の身体能力も基本的な技術も少し違っているので、監督の采配というか戦術が大きく勝敗を分けるような気がしました。

昨年負けが続き下部リーグに降格してしまったので、圧倒的な強さで勝ち点を重ね1年で上のリーグに復帰して欲しい所ですが、そう簡単にはいかないようでした。

私がもし力を貸してくれと言われたとしたら、色々やらなければならないことがたくさんありそうでしたが、選手の能力を引き出す戦術があっての個人の能力であることは間違いない訳で、やはり信頼できる監督のサポートをするというのが、私の能力を活かせるカギだとも思いました。

そして2時から、隣のメインスタジアムに移動して、『サンフレッチェ広島』対『ジュビロ磐田』戦を見ました。

こちらも、現役時代の雄姿を良く知っている『森保一』対『名波浩』という、当時の日本を代表するMFどうしの監督対決にも興味がありました。

今日は動きがどうの個人の能力がどうのはさておき、低迷するサンフレを何とか応援しようと、家内と三男の3人で応援しました。

結果は0対0のスコアレスドロー、試合内容も正直見ごたえがあったとは言いづらく、危ないシーンの方が多かったのですが、とにかく全員が一生懸命戦っている事だけは伝わってきました。

とくに1トップに起用された『皆川選手』は、前節に続いてのスタメンだったので、とにかく体を張ってという表現がぴったりで、必死にボールを追いかける姿が印象的でした。

森保監督には1年でも長く、新しいスタジアムが完成するまで監督を続けて欲しいと思っていますが、厳しい経営環境の中、思ったような選手補強も出来ない中で、こういう苦しいシーズンもあると思います。

直接手伝いが出来ないことが残念ですが、どんな形でも彼のために出来ることがあればと言う気持ちを持っています。

帰りは、息子智志の車で帰ってきました。

智志は現在青山選手のパーソナルトレーナーを務めていますので、関係者駐車場にも入ることができるのです。

おかげで家内と二人、後部座席に乗せてもらい、お客さん気分で運んでもらいました。

智志と青山選手のことは改めて許される範囲で書いてみたいと思います。

さて今朝目が覚めた時のことです。

メールをチェックすると、ブログのコメントが届いていました。

眠い目をこすりながら読んでみると、いっぺんに目が覚め老眼鏡をかけてしっかりと読み直しました。

昨日の記事に対して、温かい応援のメッセージが書かれていました。

コメント欄ではなく、記事として紹介させていただきますので、読んでください。

 西本さん、はじめまして、海外在住の野村と申します。
 欧州のスロベニアという小さい国にかれこれ20年以上住んでいます。

 二年ほど前でしょうか、木崎さんの記事をきっかけにこのブログに巡り会い、「この人は本物だ」と一番初めから読み始め、広背筋、骨盤の構造、肩甲骨、フライングバック、伸筋、動きづくり、などなど学ぶことも多く、マイケル・ジョンソンの走りかたがいいとあればビデオを探して子供と一緒に見たり、その後は毎日、(文字通り毎日です)ブログの更新をチェックしています。

 子供は今10歳、やはりサッカーをしています。
 ちゃんと背中を使えていると思っているので、特別に西本理論のトレーニングをしているわけではありません。
 でも悪い癖がでてきたりしたら定着する前に直してしまうつもりで見ています。

 西本塾に参加するにはちょっと遠ぎるので、西本さんの文章や参加者の感想から、塾の内容を一生懸命想像して学んでいます。

 自分の子供だけでなく、他の子供たちの動きも動きづくりの観点からみていますが、外国人でも(ここではうちの子が外国人ですが)ぜんぜん背中が使えていない選手はたくさんいます。

 姿勢の悪さが弱点になってると思う子供にときどき、「こうやったらもっと速く走れるよ」「もっと強く蹴れるよ」と教えてあげることもあります。
 だいたいその時は見違えるほどよくなっても、定着せず数日もすると元に戻ってしまいます。
 親でもなく、コーチでもない立場の限界ですね。
 でもそのダメな子ではなく、そばで見ている子が目をキラキラさせて一緒にやってみたり、その場で吸収してしまうこともあります。
 やっぱり上手くなりたい、と本気で思っている子供が一番伸びるようです。

 いろんなコーチの指導を見ていて、現役時代にユーゴ・リーグなどで活躍した指導者はみな、他の人より「頭を上げろ」ということに気づきました。
 姿勢が良ければ体を動かすうえでアドバンテージになるだけでなく、まわりの状況がよく見えてよりよい判断ができる、いい選手になる条件なんですね。

 今回の更新で、「私の存在も指導理念も世の中に逆行して広まって行きません。」と書いてありますが、こんな遠くまで届いてますよ、と励ましになればと、勇気をだしてコメントします。

 これからもずっと読みつづけます、どうぞよろしく。


遠く欧州のスロベニアと言う国にお住いの野村さんと言う方から頂いたものですが、私の愚痴など自分で自分の世界を狭くしていたのだと恥ずかしくなりました。

誰の為に、誰に伝えるために書いているのではない、自分が言いたいこと言わなければならないことを書いているのだから、他人の評価は気にしないと言っておきながら、きちんと評価してくれない、良いものは良い、正しいものは正しいと世の中に広まって欲しいと、全く矛盾していることを言っているんですね。

自分にとって心地よい言葉が聞こえてこない、私の理論が評価され指導の範囲が広がって行かないことにも、少しいらだちさえ感じていたのかもしれません。

そのことを感じ取っていただいたのでしょうか、私のブログを熱心に読んでいただき、ご自分のお子さんや、その周りの子供たちにまで、私の考えに沿ったアドバイスをしていただいたり、目の前にいる私たちから見れば外国人選手の体の使い方が、私の言うところのその部分と実際にどう違うのかをしっかり見て頂いていました。

嬉しいやら有難いやら、朝からとてもハイな気分で一日が始まりました。

文章の中で興味深かったのは、「海外の子供たちの中でも背中を使えていない」という部分です。

私も昨年末この目で見て確信しましたが、彼らは遺伝的に我々日本人に比べて間違いなく広背筋の機能は発達していると思います。

ところがそのことがあまりにも当たり前すぎて、意識して使えていないということも事実のようでした。

一流と言われている選手たち、さらに超一流と呼ばれる選手たちは、間違いなく背中の使い方が上手です。

ただそれは意識してと言うレベルではなく、まさに当たり前のことで、しかもどんな状況においてもそれが崩れることなく発揮され続け、その結果正しい姿勢が維持されているということです。

そうでない選手は、正しく使えるにもかかわらず、意識して屈筋を使うことで体を固くし無駄な力を使い、腰が落ち背中を丸めた前傾姿勢になっているということです。

我々は機能的に発達していない広背筋に働きかけ、本来の機能を発揮してもらえるように準備しておくことはもちろんのこと、どんな状況下でもその機能が失われないように意識付けすることで、海外の選手に十分対抗できると考えたのです。

お子さんはスロベニアのお生まれだとしたら、言葉を覚えることと同じで、周りの子供たちがやっている動きをみて、自分のそれが出来ることが当然だと、自然に思えるように育っているのではないでしょうか。

これも実際にそういう環境で生まれた子供を育てた父親から聞いた話で、私にとっては想像でしかありませんが、それほど間違いない発想だと思います。

仰る通り、いわゆる伸びる子供と言うのは、自分に対してではなく他者に対するアドバイスにも耳を傾け、自分に置き換えるというか、そのままではなく取捨選択して自分のものにしていく能力が高いと思います。

「素直な子は伸びる」と言いますが、素直にハイハイではなく、取捨選択と言う能力が一番大切な能力だと思います。

そのためにはどんなアドバイスにも素直に耳を傾けるという素直な姿勢が大切なことは言うまでもありません。

姿勢の問題は結果論ではなく、次の行動に素早く移行できる準備の姿勢だと思います。

その意味で、「頭を上げろ」という言い方は、ワンポイントアドバイスとして的確なものだと思います。

西本塾に関しても、流石に広島まで来て参加してくださいという距離ではありません。

だからこそブログの内容や受講してくれた人たちからの感想は、何ものにも勝る副読本になっているのでしょう。

西本塾も不定期開催となり、次の予定も立てていませんが、野村さんから頂いたコメントは、私にとって何よりの力になりました。

是非次回の開催も検討したいと思います。

私の考え方に賛同していただける方もあれば、批判的な意見をお持ちの方もあると思います。

それは当然のことで、私がどうこう言うことではありません。

ただこうして、私の言葉に真剣に耳を傾け、勇気づけるような言葉をかけてくださる方が実際にいて、もしかしたら他にもいるかもしれない、それも広島だ日本だではなく、ネットを通じて日本語の読める方なら、地球上のどこにいても私の存在や考え方に触れることが出来ていることが分かり、もうこれ以上嬉しいことはありません。

ブログの最後の所に拍手の数が出たり、その日の閲覧者数も分かりますが、気にしないと言いながらやはり数字を気にしてしまうのも正直なところです。

私に直接出会うことが現実として不可能な方にも、このブログこそが直接的なつながりでなくて何なのかと思わせて頂きました。

これからも自己満足と他者に対してのメッセージという両面を意識しながら、力むことなく私の思いを綴って行こうと思います。

野村さん、本当にありがとうございました。

直接お会いしてお話しできる機会はないとは思いますが、この数年の私の周りで起こる様々な出来事を想うと、「願いは叶う」という言葉がぴったりです。

私の体がバリバリに動ける間に、奇跡が起こることを願います。

もう一度言わせてください、ありがとうございました。

『良いものは良い、正しいものは正しい』と言って欲しい。

今日はただの愚痴かもしれません。

先日行った西本塾を受講してくれた人たちからは、既に感想をいただき、ここで紹介させていただきました。

その内容を信じるかどうかはそれぞれの判断ですが、実際に私の指導を受けた人はどんなに強固な固定概念を持ち込んだとしても、私の言うことやっていることが、人間の体にとって効率的で効果的な動きであることを理解してくれます。

どんな色眼鏡で見られても、そんなことで揺らぐような理論ではありませんから。

それでも参加者によっては自分が私の指導を受けたことを公にしたくないと、感想を紹介させてもらう際に匿名を条件にする人がいます。

それどころか、直近の参加者の中には感想すら送ってくれない人もいました。

感想を送っていただくことを強制していないのですから、送られてこないことにどうこう言うつもりはありません。

ただ二日間の私の真剣な指導に対して、それぞれの立場や環境の中でどう感じどう活かしていこうとしているのか、私にとってはとても興味深いことです。

そんな中のお一人から、だいぶ時間はたちましたが、感想と近況報告が送られてきました、しかし、その内容をご紹介することは出来ません。

その文中から個人や団体が特定される可能性があるので、記事にはせず私の中だけで納めて欲しいという但し書きが添えられていました。

とても興味深いことが書かれていて、ぜひ多くの人に読んで頂きたいものでした。

確かに私はいわゆる公人ではありません、生涯一トレーナーを自認する普通の人間です。

ただ西本塾を主宰し、多くの方に指導している内容は、私の積み上げてきた経験と知識の集大成として『西本理論』と言う言い方で、興味を持ってくれた人に伝えているものです。

ですから西本塾でお話ししたことは、個人と個人の一対一の関係ではありません、参加者の方からすればそうかもしれませんが、私から見ればまったく同じ立場の西本塾生で、私に対する感想は西本塾、西本理論に対する感想だと捉えています。

他の人には見せないでくださいという感想は、私個人に対する物ですから、本来はそういう関係性を求められても困るのです。

例えばこのブログの一部を読んだ人から、その内容に関してああだこうだと批判されたとしても、私はそれに対して反論するつもりも怒りをあらわにするつもりもありません。

最低限このブログを最初から最後まで、さらには西本塾に参加してくれた人から届けられた感想や、それに対する私のコメントも含め、すべて読み込んだうえで私の考え方に言いたいことがあるのなら、少しはこちらも相手にするかもしれませんが、そうでなければ何とも反応のしようがありません。

質問をしてくる人に対しても同じです、全部読んだらどこかに答えは書いてあるだろうということです。

私の考え方を学びこれまでの固定概念を打ち壊された人たちの戸惑いは、体験したことのない人たちには想像できないほどの衝撃かもしれません。

それが時間が経ち現実に戻ると、私の言っていることが異端ではなく、まったく当たり前のことで、自分たちが当たり前だと思ってきたことこそが、誰かに植え付けられてきた『固定概念』『既成概念』と呼ばれているものにすぎなかったということが分かってきます。

ここまでは私にとって当然の流れで、「正しいもは正しいし、良いものは良い」ただそれだけのことなのです。

当然私の理論に沿って指導をすれば、これまでとはまったく違った反応があり、驚くべき効果が出てきます。

そういう良い面が見えれば見えるほど、固定概念に縛られ自分たちがやってきたことがすべてだと思っている人たちにとっては面白くない訳で、どう反応して良いのか分からないパニック状態に陥ることになります。

素直に認められる人は10人に1人いるかいないかと言うレベルでしょうか。

チームメートやライバルより抜きんでた存在になりたいと私の指導を受け、実際にその効果を実感した選手たちは、私の存在をひた隠しにし、どんなトレーニングを行っているかさえ明かそうとしません。

それはある意味当然のことですが、自分だけが分かっていたとしても、それを評価する指導者に同等の目がなければ、素晴らしい能力も異端の扱いを受けることになってしまいます。

指導者として私の指導を受け、大きな衝撃を受けたと自分の環境に戻り、なんとか自分の指導している選手たちのために活かしたいと、私から学んだことを周囲に広めようとしてくれても、自分と違う考え方を持った指導者が選手にとって良い結果を出していくことを面白くないと感じる指導者の方が多いのです。

結果を残してきた、と言ってもそれは選手がやってくれたことですが、それによって現在の地位や立場を築いてきた指導者は、それ以外のものをなかなか受け入れようとしません。

常に勉強してと言っている指導者でも、自分の考え方の延長線上というか、自分以上に結果を残している指導者の後を追っているだけのことです。

何と器の小さい人間たちでしょうか、誰の為の指導者なのでしょうか、どうして良いものは良い、正しいものは正しいと素直に認められないのでしょうか。

私の指導を直接的また間接的にでも受けたことで、選手の能力が向上したとすると、自分の指導者としてのプライドが傷つくのでしょうか。

選手の能力を向上させるのが仕事なら、どこの誰の理論であっても素直に受け入れ、選手のために学び続ける姿勢こそが、本当の意味での良い指導者なのではないでしょうか。

これだけ情報化社会となってSNSと言うのでしょうか、一瞬にして情報が拡散される時代に、良い結果を出せば出すほど私の存在や考え方を学んだ事実も、それを応用して指導したことによって、今までには考えられないような大きな変化を選手が感じてくれたことを、どうして声を大にして発信してくれないのでしょうか。

先日指導に行ったサッカーチーム然り、西本塾生が指導したチームや選手が結果を出せば出すほど隠されてしまうことで、私の存在も指導理念も世の中に逆行して広まって行きません。

だからこそ、それを知った選手やチームが他と違う能力を身に付けられるというアドバンテージを感じているのかもしれません。
それこそ小さな考えです。

私が考えていることくらい、どこの誰でも当たり前に知っていて、体の動きも身に付けていて、それらをベースにしてもっと違うところで競い合ってこその全体のレベルアップではないのでしょうか。

私の指導を受けていると堂々と宣言し、真似ができるものならやってみろ、そんなお手軽な方法論ではないことを目の前で見せてやればいいのです。

体の使い方という概念に気がつかないレベルの指導者は、そこまでのものなのです、すぐに追い越して体を動かす技術という発想をどんどん広げて行けばいいのです。

耳に入ってくる様々なことが、ちっぽけなことばかりで話になりません。

なぜ私から学んだと堂々と公にしてくれないのでしょう、学んだことが『正しいし良いこと』だと思ってくれたのなら、過去の固定概念など変えて行けばいいだけのことではないのでしょうか。

選手が良くなって誰が困るのでしょうか。

私も言いたくても言えないことはたくさんあります、それでも言わなければならないことは言い続けて行きます。

誰かに何かを言われ言い返せないのは学びが足りないからです、もっとしっかり学び続けてください、自分の体で証明して行ってください。

それが出来ない人たちが、過去の固定概念の中で自分の立場を守ろうとしているのです。

すべては自分は誰の為に存在しているのか、それを突き詰めて行けばおのずと答えは出てくるはずです。

まるで愚痴のオンパレードでした。

精神的にはとても落ち着いているのですが、このことに関しては少し感情が先に立ってしまいました、以上。


プロフィール

Author:西本 直
1993年、Jリーグサンフレッチェ広島を皮切りに、社会人野球三菱重工広島・協和発酵・ヴィッセル神戸・川崎フロンターレ、そして広島カープ佐々岡真司投手など、プロアマ問わず競技レベルのスポーツ選手から一般の方まで、トレーニングやメンテナンスの指導を行ってきました。
その経験と知識の蓄積を「西本理論」としてまとめ、一人でも多くの方に実践していただくことが、これからの私の使命であると信じ、このブログから発信していきます。
私の理論はスポーツ選手のみを対象としたものではなく、ビジネスマンや家庭の主婦まで老若男女すべてに当てはまる不変のものです。
指導や講演のご依頼も受け付けています。
実名でツイッターも書いていますので、チェックしてみてください。
また、2013年9月9日にConditioning Studio 操をオープンしました。
また、遠隔地にお住まいの方を対象とした動き分析とアドバイスを行っています。
詳細は「スタジオ操」のホームページ内の「遠隔サポート」をご覧ください。
「第25回西本塾」を11月18・19日の土日に開催を予定しています。
詳細はStudio操ホームページ内の「講習会情報」をご覧ください
尚、深める会も12月10日に予定しています。

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