学び合う楽しさを感じながら。

私もそれなりの年齢になってきました。
もしずっと会社勤めをしていたとしたら、そろそろ定年後の生活を考えなければならない状況を迎えていたことでしょう。
幸いなことに私の仕事には定年というものはありませんし、施術と動きづくりのトレーニング指導という両輪ともに、まだまだ続けていくことができそうです。

どんな仕事でもマスターしなければならないスキルがあって、それをベースにして応用発展させていくことが個人としての成長だと思います。
今私が行っていることにスキルという概念を当てはめるとしたら、いくつかそれに当てはまるものはあると思います。
ではそれを形の上でマスターすれば、同じような結果を出すことができるかというと、なかなかそうはいかないことがこの仕事の難しいところです。

何を持って結果を出せたと言えるのかも、正直これと言った定義さえ見つけることができません。
いまの世の中では当然のこととなっている、数値化する可視化するという客観的な評価を受けることが最も難しい分野かもしれません。
それではダメだとすべてをデータ化し、情報を共有することでケガの予防や能力向上に貢献しようという試みは、以前から行われてきました。
私はそれを否定する気はありませんが、私がやりがいを感じているのは、目の前にいる人間の体と心の変化を、まさに手に取るように分かるという、なんとも曖昧な表現しかできない部分です。

様々な人間を相手にしています。
私の仕事の片輪である施術行為ですが、一般的な概念では、施術行為を行う施設を訪れる人たちは、ほぼ例外なく受け身な立場です。
受け身というのは、それぞれの施術者が行う行為に依存し、その技術で自分の不調を改善してもらおうという意味です。
そんなことは当然で、それ以外何を目的にそんな所に行くのかと言われることでしょう。
もし自分の抱える痛みや体の不調が、その行為によって改善したとしたらそれはそれで素晴らしいことかもしれませんが、本当の意味でその人の体は改善できたと言えるのでしょうか。

人間は産まれてから男性は18歳、女性は16歳で個人差はありますが人間という動物として成熟します。
地球上に存在するすべての生き物は、種を保存して行くために成長し終焉を迎えます。
人間だけがそうでない営みを行うようになってしまいました。

そんな一生の中で、自分の体はどういう風にできていて、どういう風に使うことが自分に与えられた能力を十分に発揮できるのか、などということを考えて生きている人はほとんどいないと思います。

私は何故か、そしていつからかは分かりませんが、そんなことばかり考える人間になっていました。

体の痛みや不調を訴える人に対して、そんな理屈など関係なく、施術を終えた時に「楽になりました、ありがとう」と言ってもらえれば十分お役に立てたと思える仕事なのに、「あなたはどうしてこういう状態になってしまったのか、どういう風に自分の体と向き合っていればこんなことにならなかったのか」、「人間の体はね・・・」と、聞きたくもない話かもしれませんが、このことを知らないままにこれからの人生を続けて行くことは得策ではないと、聞かれてもいない話を始めてしまうのです。

せっかく縁あって私の元を訪れてくれた人には、身に付けた技術を発揮して体の状態を改善してあげるだけではなく、自分の体を見つめ直し、自分の体と対話するための「文法」のようなことを伝えてあげなければ、ここに来てもらった意味は半減すると勝手に思っています。

「治してもらう」ではなく、自分の体は自分で責任を持って使い、責任を持って手入れして欲しいと思っています。

入り口を入ってその方法を、一緒に身に付けて行きましょう、というのが私のスタンスです。

同じようにスポーツ選手の能力向上を目的としたトレーニングも同じです。
有名な選手が取り入れているから、今流行っていてみんながやっているから、そんな動機で特定のトレーニングを取り入れる人が多いと思います。

よく例に出す話ですが、子供の頃駄菓子屋さんで、色や大きさの違う糸のついた飴玉があって、その糸が束ねられた中から一本を選んで引いて、引っ張られた飴玉をもらえるというのがありました。
たぶん5円で1回引けたと思いますが、同じ5円なら大きな飴玉をもらえた方が嬉しいに決まっています。
飴玉の方をちょっと引っ張って、目当ての飴玉につながっている糸を見つけてやろうと、子供ながらに工夫しましたが、私はそういうところは生真面目で、間違ってもお店のおばちゃんの目を盗んで、はっきりと分かるように飴玉を引っ張るなどということはしませんでした。

今の世の中ではインターネットを使って、自分の知らない分野のことでもそれなりの知識を得ることができるようになりました。
逆に言えば上っ面の言葉だけで、分かったような気になっている人が多いのではないでしょうか。

途中の考え方どころか、基礎となる一番大事なところさえ知ろうとせず、すぐに結果を求める、そんな人が多くなって来たようにも思います。

スポーツ選手にとって「結果を出す」という表現はとても難しいことです。
個人の対人競技であっても、勝ち負けはその時その瞬間の相対的な力関係の評価であって、その選手の能力の「絶対評価」ではありません。
私はこの絶対評価という言葉にこだわりますが、絶対評価にはこれが最上でこれ以上はないという言い方はあり得ません。
自分がこれで良いと満足してしまった時点で成長は終わりだということです。

そこで重要となってくるのが成長を加速させて行くための方法論と言うことになります。
その一つの考え方が私の提唱している「動きづくり」と言う概念です。

大雑把な言い方ですが、最終的な能力の向上を選手自身と私が、共に納得できるレベルに達するためには、様々な段階を経て積み上げていかなければなりません。
「動きづくり」という言葉は、ある意味ゴールに近いもので、この部分だけを知りたい、教えて欲しいと言う目的が見え見えの依頼を受けたことも、一度や二度ではありません。

どんなレベルの選手であっても、一番基礎の部分から時間をかけて頭と体に染み込ませていけば、絶対に能力を向上させられます。
それには多少の時間がかかります、チームの専属ではありませんから、そう言う意味で私が満足できる指導はできません。

しかし、私のような何の肩書きもなく無名な人間の考え方に共感し、指導を受けてみようと広島まで足を運んで来てくれる選手たちは心構えが違います。
現状より一歩でも半歩でも成長したい、そんな熱い気持ちを持っている選手には、私はそれ以上の熱を持って指導しています。

口先だけの選手はすぐに分かります、飴玉の大きさに気を取られて、結局は最後の部分だけしか覚えて帰ろうとしませんから。
当然成長も望めません、例えば走ると言う行為なら、畳一枚のスペースがあればできるドリルに費やす時間が7割で、実際に外で走る時間は3割で良いと言っています。
ドリルが完全に身につかなければ、走ると言う行為の体の使い方を変えることはできないからです。

先日指導を受けに来てくれたドイツのシュツットガルトでプレーしている浅野拓磨選手は日本代表には呼ばれ続けているものの、定位置を確保するところまでは至っていません。
選手としてはもちろん満足できるはずもなく、彼の大きな武器であるスピードを活かすためにはどんな体の使い方をしたら良いのか、サンフレッチェ広島在籍時から、私の指導を受けたことのあるチームメートが行なっている、見たこともないトレーニングの仕方に興味を持ち、私の存在もとても気になっていたそうです。

代表選手として行動していると、他の選手がどんな人からどんな指導を受けているという類の話がたくさん聞こえてくるそうです。
目の前で体幹トレーニングやヨガを取り入れたトレーニングを行う様子を目にすることも多いようです。

彼の良いところは、他の選手がやっているからと言う理由で飛びつくのではなく、そもそもそれを行う意味は何かとか、自分にとって本当に必要な知識でありトレーニングなのかを知らないままに行うことは得策ではないと考えたことです。

ですから私の指導したことが、単なる方法論ではなく、人間の体を考える上での基礎となっている理論であることはすぐに理解してくれました。

こうして様々なタイプの選手と接することで、私の対応力というか指導する側としての心構えや言葉の選び方まで、本当に勉強になります。

浅野選手は22歳(11月に23歳になります)、世界で戦う上でまだ若いからとは言っていられない年齢です。
彼の大きな武器であるスピードを最大限に活かすためには、日常の体のケアは絶対条件で、加えてまだまだ身につけてもらわなければならない体の使い方が沢山あると感じました。
彼が望んでくれれば、私が専属トレーナーとしてドイツに行っても良いと思わせてくれるほどの大きな可能性と潜在能力を持った選手です。
私が直接関わった選手でそう思わせてくれたのは浅野選手が初めてです。
私が直接世界を相手に仕事ができるかも、そんな夢を見させてくれました。

現実にはあり得ないことでしょうが、こうして夢のようなことを考えているからこそ、色々なアイデアが湧いてくるのが私の常ですから、浅野選手との出会いを私も糧にして、さらに成長して行きたいと思います。

相手のために何をどう伝えれば良いのか、やればやるほど自分の中でもっともっとという欲が出て来ます。
もう自己満足ではなく、私が行った指導で選手がどう変わって行ったか、そこまで追い求めて行くことで、西本理論を学び、同じように選手のために指導して行きたいと奮闘してくれてる西本塾生たちが、胸を張って指導できるように、小さな声かもしれませんが、声を上げ続けていこうと思います。

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想いは届いていました、それもこんな遠くまで!

今日は朝からバスとアストラムラインを乗り継ぎ、広域公園にサッカーを観戦に行ってきました。

まずは午前中、11時から女子サッカーの試合、地元『アンジュヴィオレ広島』『静岡産業大学磐田ボニータ』戦です。

監督が今年から変わり、私がヴィッセル神戸に在籍していた当時選手だった『東博樹』君が就任していましたので、どんなサッカーを見せてくれるのかも楽しみにしていました。

女子サッカ-を生で見るのは初めてでしたが、やはり男子に比べると個人の身体能力も基本的な技術も少し違っているので、監督の采配というか戦術が大きく勝敗を分けるような気がしました。

昨年負けが続き下部リーグに降格してしまったので、圧倒的な強さで勝ち点を重ね1年で上のリーグに復帰して欲しい所ですが、そう簡単にはいかないようでした。

私がもし力を貸してくれと言われたとしたら、色々やらなければならないことがたくさんありそうでしたが、選手の能力を引き出す戦術があっての個人の能力であることは間違いない訳で、やはり信頼できる監督のサポートをするというのが、私の能力を活かせるカギだとも思いました。

そして2時から、隣のメインスタジアムに移動して、『サンフレッチェ広島』対『ジュビロ磐田』戦を見ました。

こちらも、現役時代の雄姿を良く知っている『森保一』対『名波浩』という、当時の日本を代表するMFどうしの監督対決にも興味がありました。

今日は動きがどうの個人の能力がどうのはさておき、低迷するサンフレを何とか応援しようと、家内と三男の3人で応援しました。

結果は0対0のスコアレスドロー、試合内容も正直見ごたえがあったとは言いづらく、危ないシーンの方が多かったのですが、とにかく全員が一生懸命戦っている事だけは伝わってきました。

とくに1トップに起用された『皆川選手』は、前節に続いてのスタメンだったので、とにかく体を張ってという表現がぴったりで、必死にボールを追いかける姿が印象的でした。

森保監督には1年でも長く、新しいスタジアムが完成するまで監督を続けて欲しいと思っていますが、厳しい経営環境の中、思ったような選手補強も出来ない中で、こういう苦しいシーズンもあると思います。

直接手伝いが出来ないことが残念ですが、どんな形でも彼のために出来ることがあればと言う気持ちを持っています。

帰りは、息子智志の車で帰ってきました。

智志は現在青山選手のパーソナルトレーナーを務めていますので、関係者駐車場にも入ることができるのです。

おかげで家内と二人、後部座席に乗せてもらい、お客さん気分で運んでもらいました。

智志と青山選手のことは改めて許される範囲で書いてみたいと思います。

さて今朝目が覚めた時のことです。

メールをチェックすると、ブログのコメントが届いていました。

眠い目をこすりながら読んでみると、いっぺんに目が覚め老眼鏡をかけてしっかりと読み直しました。

昨日の記事に対して、温かい応援のメッセージが書かれていました。

コメント欄ではなく、記事として紹介させていただきますので、読んでください。

 西本さん、はじめまして、海外在住の野村と申します。
 欧州のスロベニアという小さい国にかれこれ20年以上住んでいます。

 二年ほど前でしょうか、木崎さんの記事をきっかけにこのブログに巡り会い、「この人は本物だ」と一番初めから読み始め、広背筋、骨盤の構造、肩甲骨、フライングバック、伸筋、動きづくり、などなど学ぶことも多く、マイケル・ジョンソンの走りかたがいいとあればビデオを探して子供と一緒に見たり、その後は毎日、(文字通り毎日です)ブログの更新をチェックしています。

 子供は今10歳、やはりサッカーをしています。
 ちゃんと背中を使えていると思っているので、特別に西本理論のトレーニングをしているわけではありません。
 でも悪い癖がでてきたりしたら定着する前に直してしまうつもりで見ています。

 西本塾に参加するにはちょっと遠ぎるので、西本さんの文章や参加者の感想から、塾の内容を一生懸命想像して学んでいます。

 自分の子供だけでなく、他の子供たちの動きも動きづくりの観点からみていますが、外国人でも(ここではうちの子が外国人ですが)ぜんぜん背中が使えていない選手はたくさんいます。

 姿勢の悪さが弱点になってると思う子供にときどき、「こうやったらもっと速く走れるよ」「もっと強く蹴れるよ」と教えてあげることもあります。
 だいたいその時は見違えるほどよくなっても、定着せず数日もすると元に戻ってしまいます。
 親でもなく、コーチでもない立場の限界ですね。
 でもそのダメな子ではなく、そばで見ている子が目をキラキラさせて一緒にやってみたり、その場で吸収してしまうこともあります。
 やっぱり上手くなりたい、と本気で思っている子供が一番伸びるようです。

 いろんなコーチの指導を見ていて、現役時代にユーゴ・リーグなどで活躍した指導者はみな、他の人より「頭を上げろ」ということに気づきました。
 姿勢が良ければ体を動かすうえでアドバンテージになるだけでなく、まわりの状況がよく見えてよりよい判断ができる、いい選手になる条件なんですね。

 今回の更新で、「私の存在も指導理念も世の中に逆行して広まって行きません。」と書いてありますが、こんな遠くまで届いてますよ、と励ましになればと、勇気をだしてコメントします。

 これからもずっと読みつづけます、どうぞよろしく。


遠く欧州のスロベニアと言う国にお住いの野村さんと言う方から頂いたものですが、私の愚痴など自分で自分の世界を狭くしていたのだと恥ずかしくなりました。

誰の為に、誰に伝えるために書いているのではない、自分が言いたいこと言わなければならないことを書いているのだから、他人の評価は気にしないと言っておきながら、きちんと評価してくれない、良いものは良い、正しいものは正しいと世の中に広まって欲しいと、全く矛盾していることを言っているんですね。

自分にとって心地よい言葉が聞こえてこない、私の理論が評価され指導の範囲が広がって行かないことにも、少しいらだちさえ感じていたのかもしれません。

そのことを感じ取っていただいたのでしょうか、私のブログを熱心に読んでいただき、ご自分のお子さんや、その周りの子供たちにまで、私の考えに沿ったアドバイスをしていただいたり、目の前にいる私たちから見れば外国人選手の体の使い方が、私の言うところのその部分と実際にどう違うのかをしっかり見て頂いていました。

嬉しいやら有難いやら、朝からとてもハイな気分で一日が始まりました。

文章の中で興味深かったのは、「海外の子供たちの中でも背中を使えていない」という部分です。

私も昨年末この目で見て確信しましたが、彼らは遺伝的に我々日本人に比べて間違いなく広背筋の機能は発達していると思います。

ところがそのことがあまりにも当たり前すぎて、意識して使えていないということも事実のようでした。

一流と言われている選手たち、さらに超一流と呼ばれる選手たちは、間違いなく背中の使い方が上手です。

ただそれは意識してと言うレベルではなく、まさに当たり前のことで、しかもどんな状況においてもそれが崩れることなく発揮され続け、その結果正しい姿勢が維持されているということです。

そうでない選手は、正しく使えるにもかかわらず、意識して屈筋を使うことで体を固くし無駄な力を使い、腰が落ち背中を丸めた前傾姿勢になっているということです。

我々は機能的に発達していない広背筋に働きかけ、本来の機能を発揮してもらえるように準備しておくことはもちろんのこと、どんな状況下でもその機能が失われないように意識付けすることで、海外の選手に十分対抗できると考えたのです。

お子さんはスロベニアのお生まれだとしたら、言葉を覚えることと同じで、周りの子供たちがやっている動きをみて、自分のそれが出来ることが当然だと、自然に思えるように育っているのではないでしょうか。

これも実際にそういう環境で生まれた子供を育てた父親から聞いた話で、私にとっては想像でしかありませんが、それほど間違いない発想だと思います。

仰る通り、いわゆる伸びる子供と言うのは、自分に対してではなく他者に対するアドバイスにも耳を傾け、自分に置き換えるというか、そのままではなく取捨選択して自分のものにしていく能力が高いと思います。

「素直な子は伸びる」と言いますが、素直にハイハイではなく、取捨選択と言う能力が一番大切な能力だと思います。

そのためにはどんなアドバイスにも素直に耳を傾けるという素直な姿勢が大切なことは言うまでもありません。

姿勢の問題は結果論ではなく、次の行動に素早く移行できる準備の姿勢だと思います。

その意味で、「頭を上げろ」という言い方は、ワンポイントアドバイスとして的確なものだと思います。

西本塾に関しても、流石に広島まで来て参加してくださいという距離ではありません。

だからこそブログの内容や受講してくれた人たちからの感想は、何ものにも勝る副読本になっているのでしょう。

西本塾も不定期開催となり、次の予定も立てていませんが、野村さんから頂いたコメントは、私にとって何よりの力になりました。

是非次回の開催も検討したいと思います。

私の考え方に賛同していただける方もあれば、批判的な意見をお持ちの方もあると思います。

それは当然のことで、私がどうこう言うことではありません。

ただこうして、私の言葉に真剣に耳を傾け、勇気づけるような言葉をかけてくださる方が実際にいて、もしかしたら他にもいるかもしれない、それも広島だ日本だではなく、ネットを通じて日本語の読める方なら、地球上のどこにいても私の存在や考え方に触れることが出来ていることが分かり、もうこれ以上嬉しいことはありません。

ブログの最後の所に拍手の数が出たり、その日の閲覧者数も分かりますが、気にしないと言いながらやはり数字を気にしてしまうのも正直なところです。

私に直接出会うことが現実として不可能な方にも、このブログこそが直接的なつながりでなくて何なのかと思わせて頂きました。

これからも自己満足と他者に対してのメッセージという両面を意識しながら、力むことなく私の思いを綴って行こうと思います。

野村さん、本当にありがとうございました。

直接お会いしてお話しできる機会はないとは思いますが、この数年の私の周りで起こる様々な出来事を想うと、「願いは叶う」という言葉がぴったりです。

私の体がバリバリに動ける間に、奇跡が起こることを願います。

もう一度言わせてください、ありがとうございました。

『良いものは良い、正しいものは正しい』と言って欲しい。

今日はただの愚痴かもしれません。

先日行った西本塾を受講してくれた人たちからは、既に感想をいただき、ここで紹介させていただきました。

その内容を信じるかどうかはそれぞれの判断ですが、実際に私の指導を受けた人はどんなに強固な固定概念を持ち込んだとしても、私の言うことやっていることが、人間の体にとって効率的で効果的な動きであることを理解してくれます。

どんな色眼鏡で見られても、そんなことで揺らぐような理論ではありませんから。

それでも参加者によっては自分が私の指導を受けたことを公にしたくないと、感想を紹介させてもらう際に匿名を条件にする人がいます。

それどころか、直近の参加者の中には感想すら送ってくれない人もいました。

感想を送っていただくことを強制していないのですから、送られてこないことにどうこう言うつもりはありません。

ただ二日間の私の真剣な指導に対して、それぞれの立場や環境の中でどう感じどう活かしていこうとしているのか、私にとってはとても興味深いことです。

そんな中のお一人から、だいぶ時間はたちましたが、感想と近況報告が送られてきました、しかし、その内容をご紹介することは出来ません。

その文中から個人や団体が特定される可能性があるので、記事にはせず私の中だけで納めて欲しいという但し書きが添えられていました。

とても興味深いことが書かれていて、ぜひ多くの人に読んで頂きたいものでした。

確かに私はいわゆる公人ではありません、生涯一トレーナーを自認する普通の人間です。

ただ西本塾を主宰し、多くの方に指導している内容は、私の積み上げてきた経験と知識の集大成として『西本理論』と言う言い方で、興味を持ってくれた人に伝えているものです。

ですから西本塾でお話ししたことは、個人と個人の一対一の関係ではありません、参加者の方からすればそうかもしれませんが、私から見ればまったく同じ立場の西本塾生で、私に対する感想は西本塾、西本理論に対する感想だと捉えています。

他の人には見せないでくださいという感想は、私個人に対する物ですから、本来はそういう関係性を求められても困るのです。

例えばこのブログの一部を読んだ人から、その内容に関してああだこうだと批判されたとしても、私はそれに対して反論するつもりも怒りをあらわにするつもりもありません。

最低限このブログを最初から最後まで、さらには西本塾に参加してくれた人から届けられた感想や、それに対する私のコメントも含め、すべて読み込んだうえで私の考え方に言いたいことがあるのなら、少しはこちらも相手にするかもしれませんが、そうでなければ何とも反応のしようがありません。

質問をしてくる人に対しても同じです、全部読んだらどこかに答えは書いてあるだろうということです。

私の考え方を学びこれまでの固定概念を打ち壊された人たちの戸惑いは、体験したことのない人たちには想像できないほどの衝撃かもしれません。

それが時間が経ち現実に戻ると、私の言っていることが異端ではなく、まったく当たり前のことで、自分たちが当たり前だと思ってきたことこそが、誰かに植え付けられてきた『固定概念』『既成概念』と呼ばれているものにすぎなかったということが分かってきます。

ここまでは私にとって当然の流れで、「正しいもは正しいし、良いものは良い」ただそれだけのことなのです。

当然私の理論に沿って指導をすれば、これまでとはまったく違った反応があり、驚くべき効果が出てきます。

そういう良い面が見えれば見えるほど、固定概念に縛られ自分たちがやってきたことがすべてだと思っている人たちにとっては面白くない訳で、どう反応して良いのか分からないパニック状態に陥ることになります。

素直に認められる人は10人に1人いるかいないかと言うレベルでしょうか。

チームメートやライバルより抜きんでた存在になりたいと私の指導を受け、実際にその効果を実感した選手たちは、私の存在をひた隠しにし、どんなトレーニングを行っているかさえ明かそうとしません。

それはある意味当然のことですが、自分だけが分かっていたとしても、それを評価する指導者に同等の目がなければ、素晴らしい能力も異端の扱いを受けることになってしまいます。

指導者として私の指導を受け、大きな衝撃を受けたと自分の環境に戻り、なんとか自分の指導している選手たちのために活かしたいと、私から学んだことを周囲に広めようとしてくれても、自分と違う考え方を持った指導者が選手にとって良い結果を出していくことを面白くないと感じる指導者の方が多いのです。

結果を残してきた、と言ってもそれは選手がやってくれたことですが、それによって現在の地位や立場を築いてきた指導者は、それ以外のものをなかなか受け入れようとしません。

常に勉強してと言っている指導者でも、自分の考え方の延長線上というか、自分以上に結果を残している指導者の後を追っているだけのことです。

何と器の小さい人間たちでしょうか、誰の為の指導者なのでしょうか、どうして良いものは良い、正しいものは正しいと素直に認められないのでしょうか。

私の指導を直接的また間接的にでも受けたことで、選手の能力が向上したとすると、自分の指導者としてのプライドが傷つくのでしょうか。

選手の能力を向上させるのが仕事なら、どこの誰の理論であっても素直に受け入れ、選手のために学び続ける姿勢こそが、本当の意味での良い指導者なのではないでしょうか。

これだけ情報化社会となってSNSと言うのでしょうか、一瞬にして情報が拡散される時代に、良い結果を出せば出すほど私の存在や考え方を学んだ事実も、それを応用して指導したことによって、今までには考えられないような大きな変化を選手が感じてくれたことを、どうして声を大にして発信してくれないのでしょうか。

先日指導に行ったサッカーチーム然り、西本塾生が指導したチームや選手が結果を出せば出すほど隠されてしまうことで、私の存在も指導理念も世の中に逆行して広まって行きません。

だからこそ、それを知った選手やチームが他と違う能力を身に付けられるというアドバンテージを感じているのかもしれません。
それこそ小さな考えです。

私が考えていることくらい、どこの誰でも当たり前に知っていて、体の動きも身に付けていて、それらをベースにしてもっと違うところで競い合ってこその全体のレベルアップではないのでしょうか。

私の指導を受けていると堂々と宣言し、真似ができるものならやってみろ、そんなお手軽な方法論ではないことを目の前で見せてやればいいのです。

体の使い方という概念に気がつかないレベルの指導者は、そこまでのものなのです、すぐに追い越して体を動かす技術という発想をどんどん広げて行けばいいのです。

耳に入ってくる様々なことが、ちっぽけなことばかりで話になりません。

なぜ私から学んだと堂々と公にしてくれないのでしょう、学んだことが『正しいし良いこと』だと思ってくれたのなら、過去の固定概念など変えて行けばいいだけのことではないのでしょうか。

選手が良くなって誰が困るのでしょうか。

私も言いたくても言えないことはたくさんあります、それでも言わなければならないことは言い続けて行きます。

誰かに何かを言われ言い返せないのは学びが足りないからです、もっとしっかり学び続けてください、自分の体で証明して行ってください。

それが出来ない人たちが、過去の固定概念の中で自分の立場を守ろうとしているのです。

すべては自分は誰の為に存在しているのか、それを突き詰めて行けばおのずと答えは出てくるはずです。

まるで愚痴のオンパレードでした。

精神的にはとても落ち着いているのですが、このことに関しては少し感情が先に立ってしまいました、以上。

私の生き方にこそ固定概念があったのかもしれません。

昨日は育成年代の子供たちのサッカーチームの指導の手伝いに行って来ました。

指導と言ってもサッカー経験のない私に出来ることは、『体の使い方』ということに絞られます。

指導の中で今まで使ったことのない言葉がまた出て来ました、ボールを扱う技術ではなく、『体を操る技術』と言う概念を持って欲しいということです。

実際には体を操る技術こそがボールを操ることそのものなのですが、ボールを思ったように扱えるという技術、具体的にはリフティングやドリブル、止めて蹴るという基本動作が技術そのものだという認識になっていると思います。

世間一般ではそう思われている中、昨日行ったのは、私の考え方に共感し、西本塾にも参加してくれて指導に取り入れてくれている人間が指導してくれている数少ないチームですから、選手たちがどんな動きを見せてくれるのかとても楽しみにしていました。

限られた時間の中ですから、普段行なっている練習を見学させてもらい、気になることがあればコーチに話をして指導に活かしてもらうというスタンスで臨んだつもりでした。

それがせっかく私が来てくれたのだから、この際いろいろなことを直接指導してもらおうと、ほとんどの時間私が動き回って指導させてもらうことになりました。

私ももちろんその気があって、ちゃんとサッカーシューズを履いて行きましたが(笑)

もともと間接的に私の考えが伝わっているはずの選手たちでしたが、直接指導させてもらえるとなると、ついつい力が入り色々な事をやってもらうことになりました。

体の使い方を説明したり、うまく表現してくれている選手を見つけてお手本にしたりと、グランド全体を動き回り、出来る限り一人一人に声をかけて指導しました。

私自身も変化を感じましたが、普段指導しているコーチたちの目にも、短時間でどんどん変化していく選手の動きに驚きを隠せないようでした。

指導の内容は別として、今回自分の中に大きな変化を感じました。

今回はあくまでも見学者であって、もし指導をすることがあったとしてもボランテイアとしての立場での指導となります。

こういう指導はまさに私の仕事ではありますが、今回は仕事抜きの訪問でした。

私は仕事に対して常に結果責任を感じながら行なっています。
たとえ短時間であっても、その場限りの指導であっても、ただその時間を指導したという感覚にはなれません。

なんとか理解させたい出来るようにしてあげたいという気持ちが強く、時には厳しい言葉も発することもあります。

これまで関わって来た選手やチームを勝たせるという、唯一無二の命題を達成するためには、一切の妥協を許さず、すべてをかけて取り組んで欲しい、もちろん私自身が選手たち以上にその気持ちを強く持ち、表裏のある生活を送る訳にはいかなかったのです。

これが私の言う、『与えられた役割を演じる』という生き方でした。

この考え方の元となったのは、初めてプロの組織に飛び込んだ24年前、これがプロのサッカー選手かというお手本というか大きな影響を受けた、現在監督をしているある選手でした。

あえて名前は出しませんが、自分の専門分野では、この選手と対等以上な立場でケアをしトレーニングを指導しなければならないと考えた時、私の中での一切の妥協は消え去りました。

組織の一員であるという意識を持つこともなく、ただ目的のために最善を尽くすのがプロだと、最初に思い込んでしまったことが、その後のトレーナー人生にとって本当に良かったのかどうか、今では比較することもできません。

そういう自分を演じなければならない、そう思い込んで来ました。

昨日の私は、育成年代の子供たちと、呼んでくれた指導者のために、どんな私を期待されているのか、そんな私を演じていたのかもしれません。

それがなぜだかわかりませんが、そこへ向かう車の中から、指導している2時間という時間、そして家路を急ぐ20分の間も、とても心穏やかで心地良いのです。

こんな感覚は初めてだったかもしれません。

商売が下手だと言われ続けてはいますが、商売抜きで誰かのためにという感覚は私にはなかったかもしれません。

これまで作り上げて来た理論と実践を、安売りする訳にはいかないし、指導するに値する対象でなければ、本気になることもありませんでした。

それでも手を抜くなどという考えはないので、常に全力投球でとりあえず自己満足だけは出来る指導をして来たつもりでした。

昨日の私は声を荒げるどころか、ダメとか違うとか否定的な言葉もおそらく一度も使っていなかったと思います。
かと言ってダメなものに対して、適当な言葉で対処したつもりもありません。

実に自然に、選手達にとって分かりやすい言葉を選び、明るく大きな声で話しかけ、上手くいけばもちろん褒めと、自分はこんなことができる人間だったっけと、帰りの車中でほくそ笑んでしまいました。

指導することが楽しいと思ったことがこれまであったのかとも思いました。

すべては結果のため、何としても選手たちをこのレベルにまで引き上げなければと、必死にそういう私を演じてきたのだと思います。
と言うよりも、私自身がそう言う人間なのだと思い込んでいました。

年齢なりに少しずつ角が取れて丸くなってきたと言う言い方もできるかもしれません。
昨日の私も与えられた役を演じていただけなのかもしれません。

でもその役を演じることがこんなにも心地良いと感じられたのなら、本当の私はこっちだったのかもしれない、そんな風にも思いました。

これまでの私は、私自身が一番嫌う固定概念の中で、思い煩っていただけなのかもしれません。

どちらにしても、まだまだこれからの人生を歩んでいく中で、自分はこう言う人間なんだと決めてかかることはやめようと思いました。

信頼し指導を受けてくれる選手や、体の不調を訴え施術を受けてくれる人たちのために、私がどんな役を演じれば良いのか、それが自然に演じられてこそ、これまでの経験がお役に立てる一番の方法だと思います。

『人間の体を自分が思ったように操る』、言葉で言うのは簡単ですが、これほど難しいことはありません。

そこに少しでも近づくための方策を身に付け、指導するためには、やはり現場に足を運ばなければダメだと思いました。

目の前で動きをやって見せ、選手の動きや表情を観察し、どのタイミングでどんな言葉をかけてあげればこちらの意図が伝わるのか、本当に良い経験をさせてもらいました。

そしてそれが上手く伝わった時、本人はもちろん見ているすべての人がはっきりと感じられる変化を引き出せる、私の能力もなかなかのものだ思いました。

毎日接する立場ではないからこそ、責任ある立場ではなかったからこその気楽さもあったと思います。

でもこの感覚で接することこそが、選手たちのためにベターなものだったとしたら、どんな立場で指導を依頼されても、今回のような気持ちで接することは大事なことなのでしょう。

私の本性はどこにあるのか、そんなことはもうどうでも良いことなのかもしれません。

これからも、どんな役でも演じられるように、しっかりと自分自身を高めていこうと思います。

本日はただの雑感です、実利はないと思います。

これまで色々な仕事をしてきました、過去を語ってもあまり意味はないのですが、その時々で自分の力を十分に発揮させてくれる相手に出会ってきました。

もちろんそうでない相手の方が多かったと思います。

その違いは何かと考えると、相手が求めていることと、こちらが伝えたいことの違いということになるのだと思います。

私が会社員を辞め、施術を業として生きて行こうと決め故郷宇和島に戻って開業した2年後、広島にやってきました、34歳の時だったと思います。

サッカーという競技もプロと言う組織も、トレーナーと言う職業も、まったく知らないままに広島に来てしまいました。

軌道に乗りかけていた治療院をたたむことに迷いはありました。

信頼して通ってくれている人たちに対して申し訳ないという気持ちももちろんありました。

決め手となったのは、当時の責任者だった方の一言でした、「あなたが宇和島で発揮して信頼を得ていた技術を、このクラブの選手たちのために発揮して欲しい」、その一言でした。

何の計画性もなく、会社を辞め、勢いで開業してしまったため、いわゆる経営のノウハウというものをまったく持ち合わせていませんでしたし、自分が進むべき方向性も定まっていませんでした。

ただただ自分の技術を高めて行きたい、それだけだったと思います。

今でも発行されていると思いますが、トレーナーや施術者が対象の雑誌を読み、こう言うところに紹介されたり記事を書いている人たちの技術は、駆け出しの私には想像もつかない凄いレベルの人たちなんだろうと、いつかは自分もそういうレベルに追い付きたいと、単純に考えていました。

それが面接のような形で訪れた広島で、何人かの選手の体を診て欲しいと言われ、普段を同じように施術を行ってみると、選手から返ってくる言葉は私にとって意外なものばかりでした。

一言でいうと、私の技術は過去に体験したことがない体の変化をもたらせてくれた、というものでした。

何人かに施術し、異口同音にその言葉を聞くことになり、プロと言うある意味後のない立場におかれた選手たちの切実な言葉に、自分の技術をこういう人間たちのために使ってみたいと強く思い、翌日帰る頃には気持ちは大きく傾いていたことを覚えています。

その後チームの一員となったわけですが、「あなたが宇和島で発揮して信頼を得ていた技術を、このクラブの選手たちのために発揮して欲しい」という言葉を信じて仕事をしていた私に、容赦なく浴びせられたのが、「トレーナーなのに・・・」という言葉でした。

トレーナーの仕事は、練習や試合の前にテーピングをして、練習が終わればマッサージをして電気治療をして針を打ってと、私の技術や広島に来ることになったいきさつを知らない選手やスタッフ、そしてフロントと呼ばれる現場を知らない人たちからも、直接的間接的に私の仕事を批判する声が聞こえてきました。

そういうトレーナーの人員を増やしたかったのなら、そういうことをやりたい人を雇えば良かったのです。
私はそんなことをするために広島にきたつもりはありませんし、それがトレーナーだというのなら私はトレーナーではなかったかもしれません。

私は選手と一緒に戦いたかったのです。

どうすればこの選手を早期に練習に復帰させられるか、レギュラーであれベンチ外の選手であれ、能力的に向上の余地があると思えば、そのための方策を提案し一緒にトレーニングをしました。

なぜトレーナーがそこまでやるのか、もっと他にやることがあるのでは、そんな言葉を無視して選手がチームが少しでも向上するために、私の知識や技術が役に立つことがあるのなら、当然そちらを優先しました。

選手にもっとうまくなってほしい、チームとして目の前の試合に勝ってほしい、それがすべてでした。

当然選手としては自分に関わってくれる時間が長いトレーナーに、良い評価を与えることになるのでしょうが、そんな評価を気にして仕事をすることはありませんでした。

目の前の選手が与えてくれる課題に、どう応えればいいのか、それは痛みに対する施術であったり、能力を向上させるためのトレーニングであったり、当然その当時の私では十分な対応が出来ていなかったかもしれません。

その時に思ったのが、過去に目標としてきた、幾多の有名な方々の理論や方法論、そういう方々は多くは指導者として、後進の育成にも携わっている訳で、教科書的には間違っていない方法論を身に付けている人間は、その当時でもたくさんいたはずです。

そういう人たちに学んできた知識や技術は、目の前にいる選手たちにとって本当の意味で役に立つものだったのかということです。

それを行っていれば自分たちは正しいことを行っている、一生懸命やっていることの結果として、選手が思ったような結果にならなくても自分の責任ではない、そういうことなのだと思います。

私は自分の言葉と行動に責任を負いたいと思いました。

時には選手にとって言われたくないような厳しい言葉もかけたと思います、そういうことも含めて、すべては選手を鼓舞するためのものでした。

当然全員に良く思われることはありませんでした。

そんな中で私のことを誰よりも評価してくれたのは、選手生命にかかわるような大きなケガをして、手術入院の後、復帰に至る過程をそれこそ一緒に戦った何人かの選手たちでした。

そういう選手に関わっていた時期、申し訳ないですが他の選手に対して何をしていたか、正直ほとんど覚えていません。

それでも当時の選手から、私が休日返上で若手のトレーニングを指導してくれたとか、リハビリのトレーニングに付き合ってくれてお蔭で、今の自分があります、などという言葉を聞き、記憶力が薄れたのか、目の前のことに集中しすぎて、すべてを覚えていないんだなあとか、色々なことを考えました。

当時からトレーナーと言う職業も分業化されシステマチックになることは言われていました。

しかし、私が相手にしていたのはプロのスポーツ選手たちです。

生活のすべてをかけて戦っているといったも過言ではない人間たちです、当たり前のことを当たり前に出来て、毎日ちゃんと練習していますという選手が生き残っていける世界なのでしょうか。

そういう選手たちを相手に仕事をする立場の我々が、他の人と同じ知識や技術を持っているという証の資格を武器に、組織として対応する、で良いのでしょうか。

こちらも同じプロとして、人より秀でた何かを持って選手に向き合うことが必要なのではないでしょうか。

選手のために必要な技術がないのなら、すぐにでも学んで身に付けるべきだし、それが出来ないのなら潔く身を引くべきです。
評価は選手がするものであって、組織がするのではないはずです。

現場を離れてもう5年になりました、現場への気持ちがゼロになったわけではありませんが、改めて外からプロの組織を見ていると、組織を維持していくためには仕方がないんだろうなと感じるところもあります。

しかし、やはり私の生き方から考えると、選手のためにもっとできることがあるんじゃないかと言いたくなることがたくさんあります。

広島に移り住んで四半世紀が過ぎようとしています、当初関わっていた選手たちが指導者になり、そして父となり、親子二代に渡って指導させてもらったりすることも何例かありましたし、指導者となったチームの手伝いをさせてもらったこともありました。

だから一般の方が知ることのできないことも、多少は知ることになります。

歯に衣着せず何でも言いたいことは言ってきたつもりですが、流石に言えないこともあります。

私を信頼してくれる人間に対して、それを損なうような結果だけは避けなければなりませんから。

まさに奥歯にもののが挟まったような言い方になりますが、私には世の中を変える力も、組織を変える力もありません。

それでも私に何とかして欲しいと言ってくれる人間に対しては、最善を尽くしています。

そういう選手たちと、いつ出会うのか、どんな状況で出会うのか、それは偶然ではなく必然だと思います、今がその瞬間です。

1年後3年後、そして20年後、その縁が続いていようとその場限りになっていようと、瞬間瞬間、私に出来る最高の対応をしたと、自分にウソ偽りなく思える仕事が出来ればそれで十分だと思います。

今、息子智志は私が歩んできた道を歩み始めています。
私から学んだ技術と生来の優しさで、良い仕事をしてくれていると信じています。

振り返った時に、後悔とかあの時こうしていればという反省などしても仕方がないことです、今この瞬間、自分に出来る精一杯のことをし続けて経験を積み重ねて欲しいと思っています。

今日に記事はまったくの雑感で、実利はありません。

もうすぐ59歳、この道を30年ほど真っ直ぐに歩いてきた私の独り言のなかに、同じような道を歩んでいる人たちにとって、何か感じてくれるところがあったかもしれません、本日は以上です。


プロフィール

Author:西本 直
1993年、Jリーグサンフレッチェ広島を皮切りに、社会人野球三菱重工広島・協和発酵・ヴィッセル神戸・川崎フロンターレ、そして広島カープ佐々岡真司投手など、プロアマ問わず競技レベルのスポーツ選手から一般の方まで、トレーニングやメンテナンスの指導を行ってきました。
その経験と知識の蓄積を「西本理論」としてまとめ、一人でも多くの方に実践していただくことが、これからの私の使命であると信じ、このブログから発信していきます。
私の理論はスポーツ選手のみを対象としたものではなく、ビジネスマンや家庭の主婦まで老若男女すべてに当てはまる不変のものです。
指導や講演のご依頼も受け付けています。
実名でツイッターも書いていますので、チェックしてみてください。
また、2013年9月9日にConditioning Studio 操をオープンしました。こちらもご覧ください。
また、遠隔地にお住まいの方を対象とした動き分析とアドバイスを行っています。
詳細は「スタジオ操」のホームページ内の「遠隔サポート」をご覧ください。
今年2回目の西本塾を8月26・27の土日に開催を予定しています。
詳細はstudio操のホームページ内の「講習会情報」をご覧ください。
なお、今回も参加者が5名に満たない場合は開催しません。
9月10日には深める会も予定しています。

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