嬉しい知らせ、そして私が目指しているもの。

つい先ほど、嬉しい知らせが届きました。

今回は相手の承諾があったので、実名で紹介させてもらいます。
先日現役引退を発表した、ジュビロ磐田の岡田隆選手です。

彼との縁は、彼が西本塾生から私の存在を聞き、ブログを読んでくれてから広島を訪れてくれたことから始まりました。

その数年前から肉離れ等の筋肉のトラブルに悩まされ、シーズンを通してまともに練習すら行うことができない状態が続いていたそうです。

私が彼と直接会ったのは一度だけですから、それで人柄まで語ることはどうかと思いますが、彼のことを知っている人たち、またこれまで応援してくれたサポーターの方々なら、その実直な人柄は誰しも認めるところだと思います。

私のところを訪れてくれた時、その直前の契約更改で、もう契約してもらえないのではという危惧さえあったようでした。
それがもう1年やらせてもらえることになったので、最後になるかもしれない1年に悔いを残したくないと、指導を受ける気持ちになったそうです。

短い時間ではありましたが、体のことトレーニングのこと、私のできる限り、彼のためにいろいろな話をさせてもらい、施術を行いトレーニングを行ってもらいました。

今までの常識からは想像もつかない私の発想に、最初は戸惑っている部分もありましたが、時間の経過とともになるほどそういうことかと頷いてくれました。

そして帰る際には晴れ晴れとした表情で、「この考え方でしっかりトレーニングを継続していきます」と力強く言って帰ってくれました。

その後途中経過の報告にメールが届き、「ここ数年悩み続けてきた筋肉系のトラブルの不安もなく、毎日の練習が楽しくて仕方がありません。今の自分のパフォーマンスがチームの中で試合に出場できるレベルではないと監督が判断するのなら、それは仕方がありませんが、自分としては毎日充実した日々を送れています。」という言葉が書かれていました。

私にとっては何より嬉しい言葉でした。

小さいころからサッカーに取り組み、プロという頂点まで上り詰めた選手は、それだけで十分評価されてしかるべきだと思います。

サッカーという競技そのものだけではなく、体に対するとらえ方とか、トレーニングに対する考え方や方法論も、一般の方たちとは全く違うレベルで作り上げられてきたと思います。

それが肉離れ等のケガに悩まされ、まるで出口の見えない毎日を過ごすようになってしまった時、自分だけではどうしようもない状況に陥ってしまいます。

もちろんプロの組織ですから、チームドクターもいればトレーナーも常に身近にいます。
それでも足りない何かがあると漠然と思ったにせよ、それが何なのか誰に聞けばいいのか、分からないままに時が過ぎて行くだけになってしまいます。

岡田選手は縁があって私の存在と考え方を知ってくれました。
そして行動を起こし、自ら広島に足を運んでくれました。

その時の顛末は彼が現役選手であるということで、所属しているチームのスタッフに対する遠慮もあって名前は公表しませんでした。

その際にも私が思ったのは、そういう遠慮や気遣いが、彼らスタッフの成長というか発想を広げることを妨げてしまっているのではないか、ということです。

きちんと勉強し資格も取り、日々選手のために一生懸命働いている、自分たちがやっていることは間違ってはいない、結果は神のみぞ知る、それでいいのでしょうか。

少しでも選手のためになるなら、プライドや立場を捨てて、新たな発想や知識、技術を学ぶ勇気を持つべきではないのでしょうか。
これは彼の所属していたクラブに限ったことではありません、ほとんどのクラブで同じような状況だと思います。

トレーニングの方法論や体の使い方に関しても同じです。

過去の自分を否定されてしまう、そのどこが悪いのでしょうか。

昨日よりも今日、今日よりも明日と、常に成長していこうという気持ちがなければ、すぐに若手や移籍してきた選手にポジションを奪われてしまう厳しい世界のはずです。

今迄と同じことをやっていてもその地位を揺るがされない選手などいるのでしょうか。
それは世界の超一流選手とて同じだと思います。

岡田選手は残念ながら今シーズンで引退をし、クラブの強化部で、新たな人生を歩み始めることが決まったようです。
彼の人柄を考えても、クラブとして彼のような人間を離さなかったのは、正しい選択だと思います。

誰でも正しい努力をすれば同じ高みに届くとは言いません。
ただ故障を抱えたままで思ったよう練習も出来ないままに、選手生活を終わってしまうことほど悲しいことはありません。
それは小学生でもプロの選手でも同じです。

岡田選手が話してくれたように、「こんなにサッカーが楽しいと思ったことはありません、毎日の練習が充実しています」、そんな日々を過ごさせてあげたいのです。

そして、その中から選ばれた選手たちが試合という戦いの場に送り出されていくのです。

私のやり方や考え方に異を唱えられることもありますが、そのことに対して賞賛されても否定されても、私は何とも思いません。
私を評価できるのは、私が直接指導した選手だけだからです。


そばで見ていても話を聞いていても、それは第三者としての立場です、私が相手にしているのは目の前にいる選手だけですから。

その思いが通じて、こうして直接引退の報告をしてくれた岡田選手、もう岡田君ですね、には本当に感謝しています。

こういう出来事の積み重ねが、私の自己満足をくすぐり成長させてくれているのです。

また、西本塾生からの報告でも、大東文化大学女子のラクロス部の監督をされている森さんからは、今年1年ケガ人がゼロに近い状態でシーズンを乗り切れたため、3部に降格していたチームが、リーグ戦を全勝で終え、入れ替え戦も制して1年で2部に復帰したという嬉しいニュースが届きました。

その他、着実に私の理論の元に活動してくれている塾生から嬉しい報告が届いています。

3年間行ってきた西本塾そして深める会は、無駄ではなかったと自負しています。

これからも一人でも多くの人の役に立てるように活動していきます。

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自分の体を知るということ。

昨日は広島県北部の庄原市に、トレーニングを指導している高校生のサッカー選手の試合を応援に、智志と二人で出かけてきました。

いつもなら応援という言葉ではなく、「動きを見に」という言い方をすると思いますが、昨日は純粋に彼をそして彼のチームを応援するために90分かけて車を走らせました。

結果は残念なことになりましたが、負けた時点で彼の高校サッカー生活が終わるという大事な試合を観戦でき、まるで親戚の子供を応援するように大きな声を出して一喜一憂できたことは、私にとっても久し振りに楽しい時間となりました。

彼はこの後も大学に進んでプレーを続け、夢であるプロ選手を目指していくので、残された数か月ですが、しっかり指導してあげたいと思います。

さて、10月の中旬に発行された健康雑誌「壮快」を見た方は、このブログを読んでくれている方の中でも少ないかもしれません。
全国の書店に並んでいる雑誌ですが、読者の年齢層はおそらく60歳以上の方ではないかと思います。

脊柱管狭窄症という病名をつけられた人に対する対処法の特集で、今年私が関わった2冊の本を見ていただいた編集者の方が、私の考え方を聞きたいと広島まで取材に来てくれました。

記事の中でも紹介してくれましたが。脊柱管の狭窄は「原因」ではく、「結果」であると私は考えています。

整形外科を受診すると、「脊柱管狭窄症だからしびれなどの症状が出ている」という説明を受けるでしょう。
「脊柱管狭窄症こそがしびれの原因である」ということです。

しかし、実際には脊柱管が狭まっていても症状が出ない人もいますし、その逆の人もいます。

今回、こういうことが書かれたページとは別に、中綴じのカラーページに、操体法の考え方を基本とした、簡単にできる「寝ながら体操」というタイトルで、いくつかの体操が紹介されました。

先週のことですが、この雑誌を読んでこのページの体操を行ってみたが、直接施術と指導を受けたいと、広島市内それも同じ南区にお住いの78歳の女性が来所してくれました。

2年前に脊柱管狭窄症の診断を受け、足裏にしびれを感じていたが、この2か月前辺りから体全体が捻れたような感覚になり、歩くことが難しくなってしまったそうです。

当然整形外科の受診は継続しているようでしたが、6種類もの薬を処方されているものの、何の効果も感じず、このままではどうなってしまうのだろうかと不安を感じていた矢先に、この雑誌を手に取り、そこに紹介されていた私が、広島市内どころか同じ南区で開業していると知って、これは何かの縁があったと思っていただいたようでした。

この方に限らず、こうして病名が付けられリハビリに通ったり薬を飲み続けている方は、かなりの数いらっしゃると思います。
それでも自分が思っているような改善が図られていかないことに、疑問と不安を持っているのが現状ではないでしょうか。

私は今ここで、現代医療の批判をしようとしているわけではありません。
医療の側の医師にも問題がないとは思いませんが、それよりも重要なことは患者の側に、「体に対する知識があまりにも足りな過ぎる」ことが一番の原因なのだと思います。

今回の女性の方にも、出来る限り分かりやすく体の仕組みを説明し、人間という地球上に存在する生物として、78年間生き続けてきた肉体が、どういう状況にあることが自然なのか、一緒に考えていただきました。

ここ数か月同じようなお話をさせてもらうことが多くなっています、それも相手は70代の女性というということもパターンとなっています。

すべてをここに書くことは出来ませんが、今回も強調したことは、その方がまだ10代の頃、今のご自分の年齢である80歳近い方、いや60代であってもかなりの高齢に見えていたのではありませんかということです。

すべての動物は種の保存が可能になった時期をもって、肉体的な完成とみなされると思います。
それ以降体のすべての機能は徐々に低下していくことは当然のことなのです。

人間は頭脳が発達したことで、それ以降も経験値を積み上げ、色々な意味での成長は可能ですが、動物としての肉体的な機能の成長は望むことは出来ないのです。

ところが現代においては、特に日本では超高齢化社会となっていて、80代でもお元気な方はいくらでもいらっしゃいます。
しかしそれはあくまでも個人差があって、等しくみんながそうであるわけはないのです。

そのことをほとんどの方が認めようとしません、認めたくないと言った方が正確でしょうか。

なぜ自分の体は痛みを発するのか、なぜ自分だけがこんなつらい思いをしなければならないのか、それは人間の体、自分自身の体がどんな仕組みで動いていて、どんなふうに動かせばいいのかということを知らないからです。

またどんなに正しい動き方をしていたとしても、70年80年と動き続けてくれた体が、若い頃と同じ機能を保ち続けられるわけがないのです。

それは、スポーツ選手が故障をする原因の「3大要素」とまったく同じです。

人間の体は、関節の隙間というか余裕があることで、6方向への動きを可能としてくれます。

すべての関節が6方向への連動を行ってくれることこそが、人間が人間らしく生きていけることを可能としてくれているのです。

そのことをしっかりと理解していただき、6方向への展開を私の力を借りて行っていただくことで、一般的な言葉でいうと体の歪みが改善され、歩くことが難しくタクシーで来られたその方が、帰りは電車とバスを乗り継いで帰ってみます、と言ってくれる状態に変化していくのです。

とても真剣に私の話を聞いてくれて理解もしてくれましたので、自分で行う3つの体操もしっかり伝授して、施術を終えた時でした。

1時間近くも仰向けの姿勢で横になっていたその体を、いきなり腹筋運動を行うように上半身を頭から起こそうとした瞬間、私がその動きを遮り、体の起こし方と、逆に横になるやり方を説明しました。

ほとんどの方が当たり前に行っているそういう体の起こし方こそが、自分の腰に必要以上の大きな負荷をかけ腰痛等の原因を自分で作ってしまっているのことに気づいていないのです。

人間には体の使い方という説明書は添付されてはいません、自分の体と対話をしながらどうやって動かすことが体を大切に使い続けられる方法なのかを、生涯をかけてその時その瞬間で探って行かなければならないのです。

過去にはこうやってできていたとか、他の人もみんなそうやっているはず、などとという言い方は何の意味も持たないのです。

この方は私と出会い90分という時間の中で、78年間知り得なかったたくさんのことを学んでいただけたと思います。
これからはきっと上手にご自分の体と対話をしながら、人生を全うしていただけると思います。

自分の体との対話という、聞いたこともない言葉を実際に行うことができるようになっていただくための文法のようなものが、操体法であり私の理論なのです。

この方も、カラーの写真ページがなければおそらく私のところには来ていただけなかったかもしれません。
きっかけとしては大きすぎるインパクトを与えられるかもしれません。

しかし私が本当に気付いていただきたいこと、知っていただきたいことはもっともっとたくさんあるのです、そのことを書いたのが「1回5分体が喜ぶ健康術」なのです。

改めて一人でも多くの方に読んでいただけることを願っています。

また、「壮快」の編集部の方から、12月に脊柱管狭窄症にテーマを絞ったムック本を出すことになり、私の記事を転載させてほしいという連絡がありました。
加えて、中綴じのカラーページで、切り取ってどこかに張り付けていつでも見られるのようなものを、付録として付けたいということも言っていただきました。

今回の方と同じように、そのページを見て実際にやっている方からの要望があったのでしょうか。

形を真似していただけるだけでもありがたいのですが、私の口癖の「なぜどうして」に気持ちを向けていただける人が一人でも増えて欲しいと思います。

高齢の方の体の痛みや動きの改善をお手伝いすることと、高校生のサッカー選手に効率的な動きづくりのためのトレーニングと、サッカー選手に必要な動きを指導することは、私にとってはまったく同じ感覚で行うものです。

サッカー選手であれ他の種目の選手であれ、高校生であれトップレベルの選手であれ、私の目から見ると改善可能な部分はたくさんあります。

それをどうやって本人に気づかせ、自分からそれを求めてくれるように仕向けて行くか、指導は上からでは通じません。

一緒に考え一緒に体を動かし、一つ一つ正しく理解したうえで身に付けてもらわなければ、何の役にも立ちません。

そのためにはまだまだ私自身の体が動き続けなければなりません。

もちろん頭と体の両方を動かし続けるのです。

どちらが止まっても私の理論は伝えられません、しっかり準備して行きます。

人間の心と体に触れるということ。

札幌に出かけている最中の出来事でした。

定期的に私の施術を受けてくれている「Aさん」から紹介を受けたという「Bさん」から、来週の木曜日、明日になるのですが、予約をしたいという連絡を受けていました。

その方は、私は好きな言葉ではありませんが、自らの言葉で、「私は腰痛持ちで、普段は行きつけの整体師のところで揉んでもらっているのですが、今回は自分でもかなり痛みが強いので、いつも以上にしっかり揉んでほしいとお願いして施術を受けたところ、途中で痛みがひどくなり動けなくなりました」、と言われるのです。

半月ほどたって、何とかましにはなったが、人から見てもおかしな動きをしていたようで、友人であるAさんが見かねて私を紹介してくれたということでした。

それが週末、以前と同じようなひどい痛みを感じ、動けなくなってしまったため、木曜日の予約をキャンセルしたいという連絡でした。

さらには、少し落ち着いて楽になったら、また連絡しますと言って電話を切られました。

これが現実です。

私はこんな悲劇を繰り返さないために、いつ自分がその立場になるか分からない一般の方と、そういう人に対応して、少しでも痛みや体の不調を改善してあげる立場の施術者双方に、人間の体の仕組みと対処の仕方を知って欲しいという思いを込めて、「1回5分体が喜ぶ健康術」を著したのです。

このブログにも何度も書いてきましたが、巷にあふれる健康指南書の類は、「どこかを揉めばどこかが治る」式の、お手軽で短絡的なものがほとんどです。

人間の体はそんなことでは改善できない、体を治す整えるということの本質を追及していかなければ、誰の為にも何の為にもならないと、しつこいくらい言い続けてきました。

しかし、そんな言葉は、10年前に本を出させてもらった講談社の担当の方でさえ、「それは正論かもしれないが、一般の読者はまだそれを求めるレベルに来ていない、お手軽お気楽な健康法でなければ、出版社として書籍化して商売にならない」というのです。

私はそんな出版社の売らんかなという姿勢が、現状を作り上げてきた大きな責任があるはずだと反論しましたが、それが受け入れられることはありませんでした。

このブログのタイトルである、「生涯一トレーナー西本直が話しておきたいこと」が、まさにこのことなのです。

私が施術者としての道を歩もうと決めてから、たとえどんな状態になっている人であっても、少なくとも現状よりは良くしてあげられる、100の痛みを抱えてきた人でも、たった1つ減らして99であっても、絶対に改善の糸口は見つけられたと、自他ともに感じられる施術を行えるようになったと、自分の技術に自信と確信を持って仕事として行ってきたつもりです。

今回のAさんのこと、まだこんな施術を行っている人間がいるのかと悲しくなりました。

いくら普段からAさんの体を触っているとはいえ、Aさんから今日はいつもと違い痛みが強いから、いつも以上にしっかり揉んでくれという言葉を真に受けて、言われるままの施術をして、Aさんの症状を悪化させた自分の行為を恥じることはないのでしょうか。

Aさんがそうしてくれと望んだから、そうしただけで、自分は何も悪いことはしていないと思っているのでしょうか。

施術者として、相手の体を改善することが目的ではなく、自分が学んだある一定の手技を施すのが仕事だと思っているのでしょうか。

今回のようなことは過去にも何度も経験していて、その度に私が言うことは、「こんなに酷くなったのは私のせいではありません、その原因がはっきりしているのなら、そこへもう一度行って治してもらってください」、という言葉です。

しかし私の知る限り、「こうなってしまったのはあなたの施術のせいです、何とかしてください」と、文句を言って駆け戻って行く人は聞いたことがありません。

もちろんそんな目に合されたところに、もう一度行きたいと思う人はいないでしょうから当然のことではありますが、文句の一つは言っておいてもらわないと、施術した側は、自分が施したことを間違いだと気づくことも出来ないのです。

そんな状態になった人に、駆け込まれる身にもなってくれと言うことです。

私がいつも口を酸っぱくして言う、「木を見て森を見ず」「枝葉の技術を追い求めるな」と言うのはそういうことです。

〇〇法、〇〇テクニックを学ぶのではなく、人間の体の仕組みと、どうやって動いているのかという本質を探る以外に、それに対応する技術など身に付くわけはないのです。

私の本は一般の方向けの健康指南書の体をなしていますが、本当に読んでほしいのは施術する側の人間なのです。

Bさんは今回のことで、痛みが強いときには施術行為を受けない方が良い、いや受けてはいけないという気持ちになったと思います。

丁寧な方で、今日改めて同じ趣旨の連絡があり、明日のキャンセルを確認してきました。

これまでの私なら、「しばらくして、もう少し楽になったら改めて予約しますと」いう言葉を遮り、「痛くなくなったのなら私のところに来ていただく必要はないでしょう、痛いから来るのではないのですか」と、言葉を返したと思います。

しかし、今のBさんには何を言っても分かってもらえないと思います。

「今の状態で詐術を受けたら、また酷いことになる」、私のことを知らないBさんに、これ以上何を言っても始まりませんから。

結局これが現状なのです。

本当に困った時にきちんと対応できる施設がない、体に不都合を感じたら、痛い所を揉んだり叩いたり突っついたりしてもらうことが施術だと思い込んでいる一般の方々、その要求にさえ応えていれば事足りると思っている施術者を自認している人間たち。

「何を偉そうに、自分はお前以上に技術を持っている」、自信を持ってそう言い返してくれる施術者が、一人でも多くいることを願うばかりです。

施術行為、人の体に触るということは、人の心に触れるということです。

一人でも多くの方にこの感覚を伝えて行きたいと思います。
そのために書いた、「1回5分体が喜ぶ健康術」を、もっとたくさんの方に読んでいただきたいと切に願っています。

そして今回登場したBさんが、いつか私の元を訪れた時に、本当の意味での体の仕組みと、痛みの本質、そして体が治って行く過程を知っていただきたいと思っています。

「捻転135度を効率的に使うために」、難しい話なのでパスしていただいた方が良いかもしれません。

週末の深める回、静岡から参加してくれた榊山さんと智志、そして家内にも手伝ってもらって無事に終えることができました。

私にとって西本塾と深める会は、これまで活動してきたことの意味を問う、本当に大切な時間となっています。

今回は相手が一人だったということで、一人に伝えられないことがたくさんの人に伝えられるはずはないと、今、伝えられることをすべて伝えられるように頭を整理し、いつも以上に真剣な二日間を過ごせたと思います。

今日はそのことはさておき、これまで私が伝えてきたことの柱の一つである、重心移動による運動エネルギーの獲得方法の中で、捻転動作について自分の頭を整理し言葉にしておきたいと思います。

枝葉の方法論を必要としている人や、体の動きを真剣に考えていない人には、おそらく読んでも分からないと思うし、面白い内容ではないことを先に言っておきます。

いつものように長い文章になりますから、興味がなければ読んでいただかなくて結構です。

私の考え方の基本として、静止状態からエネルギーを生み出すための3要素として、落下目的方向への重心移動左右の捻転をあげています。

今日はその中の捻転動作についてです。

捻転動作を一番イメージしやすいのは、少し古くなりましたが大リーグでも活躍した野茂英雄投手のトルネード投法です。

トルネードと言うネーミングは、彼の投球フォームが軸足一本(彼は右投手ですから右足)で立った時、上半身を右方向へ捩じり、バッターに対して完全に背中を向けてしまった状態から、打者方向の左側に捩じり戻して投球するため、その動きを竜巻に例えたものでした。

捩じりきった時、野茂投手の目線は完全にバッターから離れてしまい、捩じり返したときに初めて打者方向そして、決められたサイン通りのコースを狙う目線になるわけですから、打者としてはどこを狙って投げてくるかが分かりづらく、恐怖心に似た感覚さえ持たされることになったと思います。

完全に背中を向けると言いましたが、軸足となる右足のスパイクの内側のラインは、投手板に対して平行が保たれています。

このことは非常に重要で、もしこのスパイクの足先側が時計回りにずれてしまうと、臍の向く方向は135度を超えてしまうことになります。

そうすると捩じり返して力を出し切った時の臍の向く方向は、打者方向まで戻すことができず、手前側3塁ベース側で終わってしまうことになります。

投手は本能的にそうならないように体を回そうとして、上半身を先に回して帳尻を合わせようとします、これが上半身が早く開いてしまう一つの原因です。

上半身、簡単に言えば肩が開く原因はもう一つあって、臍の向きを右側に45度回しきれていないまま、下半身を捩じり返そうとして、そのまま上半身がその動きに引っ張られることで、左肩が早く回りだしてしまうという現象もあります。

ほとんどの場合こちらの理由で体、肩の開きが早い投手がほとんどです。

ではなぜ135度が大事なのか、このことは私が知る限りどこにも書いてないと思います。

様々な捻転動作を伴うスポーツ動作を分析していく中で、関節の可動域やそれぞれを連動して使うという動きの中で、最も合理的だと考えられるのが135度だと考えるようになりました。

どんな動作にもフィニッシュという状態があると思います、その形が決まった時、動作としての完成度と言うか効果的な結果を生み、動作自体も美しく見えます。

それがなぜだろうと考えた時、このことはまだ数字を用いて関節の可動域等を勘案した分析は出来ていませんが、今の時点で言えることはというか、実際に動作を行ってみると、また良い結果を出せている動作は、どんな捻転動作でも目的方向から逆算して135度の角度から捻転動作を開始することが、最も効果的だという結論を得ています。

右投手であれば軸足である右足一本で立った時、スパイクの内側のラインは打者に対して90度を保ち、上半身を右方向に捩じって行くのですが、この時に下半身が上半身に連れられて大きく回りすぎてしまうと、下半身と上半身の捻転差が生まれず、体全体が右向け右になってしまいます。

スパイクの内側のラインを変えないことはもちろんですが、上半身を右に捩じって行く過程で、下半身は逆の左回りをさせるくらいの意識がないと、上半身の動きに負けてついて行ってしまいます。

お腹のラインと肩のラインがそろったまま右回転してしまうと、トップの位置から捩じり返していく際に下半身主導という動きが出来ず、肩のラインがお腹のラインと一緒に回り始めてしまいます。

これでは肩が早く開いてしまい、せっかくの捻転差と言う一番大きなエネルギーを発揮できなくなってしまいます。

古い話ですが、まだ現役を続けている広島の永川投手が上半身を右に捻転していく際に、スパイクの内側が右にずれて行くために、終点となる位置で臍が打者方向に向かないため、先に肩を開くことでコントロールを乱していることを指摘し修正させたことがありました。

私は彼に対して、そんなアドバイスをする立場ではありませんでしたが、専門のはずの投手コーチもそのことに気づいていなかったようなので、見るに見かねてアドバイスをしました。

それまでの足を踏みかえてプレートを踏むやり方を変え、最初から平行な位置に足を置いてから動作を始めるようにしたことで、その問題に関しては解消できたようでした。

135度、この角度は簡単なようで簡単ではありません。

いくら軸足の位置を安定させても、上半身の動きでその角度は曖昧さを増します。

そんな経験を踏まえて、サッカーのロッベン選手の動きの中に3分割という動きに意識を見つけ出しました。

下半身という位置づけの骨盤の部分を捩じるという意識と、上半身である肋骨のドーム部分を別々に捩じる、ある時は時間差をつけて下を先に動かしたり、上を先に動かすことで、下半身リードとか上半身リードという発想になります。

背骨は一本の棒状のものではなく、30個近い椎骨の集まりですから、それらを蛇のようにくねらせ、上から下に連動させたり下から上に連動させるというイメージは掴みやすいと思います。

しかしそれだけでは、しなやかという形容は出来ても力強いというイメージが持ちにくいのも事実でした。

そこで目に飛び込んできたのがロッベン選手が、相手と鼻の先がぶつかるくらいまで接近した瞬間、まったく相手が予測できないままに左右どちらかにほぼ90度の角度で、一瞬にして相手を置き去りにするという動きでした。

肋骨のドーム部分も、骨盤の部分も、直前まで相手に対して正対しているのに、最後の一歩を相手の足元に踏み込んだ瞬間にお腹の部分だけを踏み込んだ脚と逆の方向に捩じるという、まさに3分割としか言いようのない体の使い方をしているように見えました。

このことから派生して考えを巡らせているうちに、自分が行っているゴルフのスイング動作に置き換えて考えるようになりました。

これまで数々のレッスン書を読み漁り、レッスン動画を見てきました。

私は右利きですが、アドレスからテークバックへと上半身を右方向へ捻転し、グリップが右肩の上のトップの位置に来る直前に、上半身の動きに引っ張られるように右回転を余儀なくされていた下半身を、左方向へ捩じり返すことが重要であるという指導は、表現の違いこそあれ共通のものだと思います。

これこそが下半身主導のスイングであると力説されています。

トップの位置から下半身ではなく、上半身とくにグリップが先に動き出すことを厳に戒め、上半身主導とか手打ちと呼ばれ、アウトサイドインのスライス軌道になると言われてしまいます。

私自身そうならないために様々な理論に触れ実践してきました。

肩とグリップの二重振り子を使ってリズム良くスイングするとか、松山選手のようにゆっくりテークバックしてトップの位置を確認してから下半身をとか、トップの位置から腕をひっくり返すようにしっかり手を振れだとか、もう数えきれない理論が存在ます。

そんな中、どうやったら飛距離と方向性を両立させ、再現性を高めることができるのかという、理想的なスイングを求めて日々試行錯誤が続いています。

そして今、まだ完成には程遠いのですが、ロッベン選手や日本ハムの大谷選手、また先日動き分析を依頼してくれたバドミントンの古賀さんのスマッシュやクロスプッシュの動きをヒントに、ある一つの法則を見つけ出せた様な気がしてきました。

まずアドレスをします、そこから右回りで体を捩じって行きますが、左肩から始動して肩を回すとか、胸を右方向に捩じるとか、体の部分の動きの意識を離れ、とにかくクラブのヘッドでボールをぶっ叩くという準備のために、下半身を動かすという意識は消して、クラブだけを上げるように意識しています。

そう思っても、クラブを上げて行くという力が働いているため、当然上半身は右に捻転していきます。

クラブの動きにつられて右への捻転を続けて行くと、臍の向きは確かに正面を起点として右に45度くらいまわりますから、フィニッシュに向かって135度の角度を作る準備ができたことになります。

しかし、行き着くところまで回すことを許してしまうと、背骨が左に倒れ左肩が落ちて、いわゆるオーバースイングとなり、それを元に戻すためにシーソーのような肩の動きが必要となり、ギッコンバッタンと形容される初心者のスイングとなります。

当然ですが下半身もつれて行かれていますから、そのまま無理に下半身主導という意識が働くと、右肩が下がり下からあおり打つような打ち方になり、ダフリやトップと言うミスにつながります。

自分で見つけた135度というキーワードを意識しすぎて、私自身納得するスイングができたことがありませんでした。

この原稿を書くために、今朝も練習場でボールを打ってきました。

そこで得られた感触を文字にしておきます。

まずはテークバックではどっしりと構え下半身を使わない、グリップが右腰を過ぎて上昇していく方向に力のベクトルが変わったら、肋骨のドーム部分はそれについて行かせるが、下半身とくに骨盤部分は逆に左回転を意識して、上半身の右への捻転にブレーキをかける。

それによってお腹の部分が大きく捻じられ、それぞれが別の方向に動いているという3分割の意識が生まれる。

トップの位置が高くなろうとすればするほど、骨盤の左への捻転が強まりブレーキがかかり、結果として自分が思っているほどのオーバースイングとはならない、そしてトップの位置を確認する間もなく、骨盤の左捻転が続いているので、骨盤の動きでクラブが下りてくるという理想的な切り返し動作となり、胸や肩は開くことなく、骨盤だけが左への捻転を行い続けてくれる。

そこにお腹を中心とした3分割の捻転差が発生し、捩じり返しのパワーが生まれ強いインパクトを迎えられる。

インパクトの瞬間には捩じり戻しの方向が逆になるため、骨盤の動きが止まったように見える、ここを強調してツイスト打法と言う言い方で指導している指導者もいるが、これはそこまでの動作があってのことで単独で逆捻りは生まれようがない。

この意識がスイングに持てると、今までに感じたことのない強い捩じりと捩じり返しを感じるが、ビデオに撮ってみてみると、おそらく今までよりも捩じっていないように見えるはずだと思います。

ここに人間の捻転という動作に対する誤解と言うか、認識の違いがあるように思います。

しっかり捩じっていることが捩じっていないように見える、けっして捩じっていないのではなく、3分割された体の動きが相殺し合っていると考えることが自然にそういう感覚を生み出すのだと思います。

この事実を応用してそれぞれの競技動作に当てはめることができれば、強いキック動作を行うための3分割の使い方とか、速いボールを投げるため捻転動作、ボールを遠くに打ち返すための捻転動作などなど、これまでになかった体の使い方を見出すことができるのではと考えています。

まだまだ試行錯誤が続きますが、我ながらなかなか面白いことを考えているなと思います。


人間の動きを見る視点として。

明日明後日と「深める会」を行います。

今回の参加者はお一人だけなので、複数の人数の中で、私から学んでくれたことをどう活かしているか、また抱えている問題点などを話し合っていただくという、深める会ならではの貴重な意見交換をしていただくことが出来ないのは申し訳ないのですが、その代りといっては何ですが、すべての時間を榊山さんのために構成することができます。

どちらがどうという意味ではなく、どんな状況になっても参加していただく方のためにベストを尽くすのは当然のことですから。

また、来週末には、3年連続となった札幌での西本塾を行います。
今回は西本塾2期生の諏訪さんの主催で、私は講師という形での参加となります。
参加してくださる方々に対して、少しでもお役にたてる内容にしたいと、色々頭を悩ませています。

最近のブログによく登場した、福岡の中学生長距離選手の「そら君」のレースも明後日に迫ってきました。
私の提唱する走りをどこまで体で表現してくれるか、そして自分の目標としている自己記録を更新できるか、とても楽しみにしています。

結果はもちろんですが、初めて指導を受けてくれて1か月という短い期間でしたが、お父さんと二人真剣に取り組んでくれたことが、私にとっては何より嬉しいことでした。

朗報を待っています。

また、お父さんから送られてくる動画を見て、遠隔地であってもそれなりに継続した指導ができることを確認できたことで、希望があればそれに応えることができると告知したところ、西本塾生の古賀さんからバドミントンという競技の動き分析を依頼していただき、これにも応えることができたように思います。

私がこれまで様々なスポーツ動作を観察してきた中で、どういう視点でそれらを見ているのか、私という人間に興味を持っていただいた方々が一番知りたいことはこれなのではないかと思います。

しかし、私のものの見方感じ方という部分は、当然ですが一朝一夕に作り上げられてきたものではありません。

私が人間の体を見るということのスタートは、施術者としての目線からでした。

なぜ痛みを感じるのだろう、蹴られたとか転んだとか捻ったとか、原因のはっきりしたものは勿論のこと、通常の練習やトレーニングを行っていても、痛くならない選手もいれば痛みを訴える選手もいる、その違いは何だろうと言うあたりがスタートだったと思います。

さらには同じ内容のトレーニングをしていても、要求される動きを身に付けて行く選手とそうでない選手も、当然ですが存在しました。

それがたんにセンスがあるとか、運動神経が良いとかいうことではなく、もっと他に根本的な問題があるのではないか、経験を重ねるごとに様々な疑問が湧いてきました。

その答えを提示してくれるものは、残念ながらありませんでした。

と言うよりもそんなことまで考えている人間はいなかったのかもしれません、自分はメディカルなトレーナー、リハビリ担当、またボールを使わない部分でのトレーニング指導、選手上がりで監督のアシスタントとして技術的な部分の指導をする、など等、自分の仕事に枠を設け、他の分野に立ち入らないことが暗黙の約束事だったのかもしれません。

私にはそんなしがらみがなく、本当はあったのかもしれませんが気がつかなかったというか無視したというか、選手のために少しでも自分にできることがあると思ったら、当然のようにそれを行ってきました。

そんなスタンスを通してきたため、組織としては受け入れられない部分が多くなったのかもしれませんが、自分の能力を必要としてくれる相手があるならと、方向性を変えることはありませんでした。

今回、陸上競技の長距離とバドミントンというまったく異質な競技の動きを、仕事として分析しアドバイスさせていただきましたが、改めて自分が培ってきた「視点」が、ことの本質を見るために必要なものであることを再確認できました。

この感覚は、残念ながら言葉にしたとしても共有していただくことは出来ないと思います。

「私と同じ視点を持ちたい」、多くの方からそう言われました。

そこにマニュアルは存在しません、日々そういう感性で人間の体を見続けてきた私の目にはそう映るというだけのことであって、それが唯一無二の正しいものの見方だと言っているわけではありません。

私にはどう見えるかと、答えを求めてくる人もありますが、それは答えではなく私の感性でしかないのです。

今、息子の智志に伝えているのは、まさに私の感性です。

生まれてからずっと私の言葉を聞いて育っていますから、既に分かったようなことを言いますが、それらは上辺のことで、現実的な経験はないのですから、説得力があるはずがありません。

それでも、身近で私の感性に触れられることは、他の誰にも与えられない特別な権利ですから、じっくりと時間をかけて自分の視点を作って行ってほしいと思います。

前置きばかりで終わってはいけませんので、今日どうしても書き残しておきたいテーマですが、「人間の動きを見る視点の基本は、関節の6方向への連動がどうなされているか」ということです。

関節の運動方向は、6方向に加えて離解と圧着という2つを加えて、本来は8方向なのですが、関節ですから当然隙間があるということが前提の運動方向ですので、最近は6方向に限定して話を進めています。

人間が動いているというのは、基本的には移動を伴っていることを指していると思います。

移動しているというものの本体は、骨盤から背骨にかけてのいわゆる「体幹部分」だと思います。

腕や足の骨は、その部分の動き無くして勝手に動くことは出来ません。

いや座ったままで移動しなくても、手も足も動かせると言われると思いますが、二足歩行になった我々だけがそう思い込んでいるだけで、四足歩行の動物を見れば体幹部分の動きなしに、手足が動くことがないのは分かると思います。

我々は2足方向だからそんなことは関係ない、そう思ってしまったことで、人間は連動という概念を忘れかけていると思います。

話が外れますが、その典型的な現象が肩甲骨の動きを忘れて腕だけを動かし続けてしまうことによって起こる、40肩や50肩と呼ばれる症状です。

四足動物は骨盤から背骨をしなやかに連動させることで、チータのように凄いスピードで走ることができます。

西本塾でもその動画を見せますが、まさに我々がお手本としなければならない動きです。

一般的に知られるようになった言葉に、体幹トレーニングというものがありますが、私の理解では、そのトレーニングを行うことが、動物本来の関節の連動を妨げる要因になっているのではないかと思います。

体幹は安定させるものではなく、連動させるべきもののはずです。

それを痛烈に印象付けてくれたのが、サッカーのロッベン選手のトレーニング風景を撮った動画でした。

NewsPicksの連載の中でも記事にしましたが、私はロッベン選手の動きに3分割という概念を見出しました。

人間が移動していくためのエネルギーは3つ、上から下への落下するエネルギー、移動方向への重心の移動、そして体を捩じる捻転だと思います。

そのうちの捻転という動作が実は一番難しいものだと、最近特に思うようになりました。

捻転の理想角度は135度、これは私が常に発している言葉です。

この135度の作り方が何よりも重要だと考えるようになりました。

単純に捩じる振り向くのではなく、もちろん背中側に背骨がありますが、前側でいうと、肋骨と骨盤の間で骨のないフリーな部分、おへそのあたりですが、この部分を中心として上と下をどう捩じるのか、歩くこと走ることから始まって、ボールを投げる、ボールを蹴る、バットを振る、ゴルフクラブを振るなど、すべての動作に一番重要で一番難しい使い方だと思います。

先日来ていただいた競輪の選手や、トライアスロンの選手の方の指導の中でも、体幹を安定させるという言葉が独り歩きしてしまい、動かさないように固めてしまうことが正しい使い方だと思っているところが見られました。

バドミントンのスマッシュ然り、サッカーのキック動作然り、今私が取り組んでいる飛距離と方向性を両立させるゴルフスイング然り、ただ体を捩じるのではなく、お腹を中心とした上と下をどちらの方向にどれだけ捻じるのか、その結果として、あまり捩じっていないように見えるという人間の体の不思議な構造、人間の体を見るという視点の裏には、基本的な体の仕組みに加え、新たな使い方という部分に興味を持ち自分自身で実践していかなければ、他の人と違う視点にはならないと思います。

次回は野球やゴルフのスイングを例に、3分割の捻転動作を考察したものを言葉にしておきたいと思います。


プロフィール

Author:西本 直
1993年、Jリーグサンフレッチェ広島を皮切りに、社会人野球三菱重工広島・協和発酵・ヴィッセル神戸・川崎フロンターレ、そして広島カープ佐々岡真司投手など、プロアマ問わず競技レベルのスポーツ選手から一般の方まで、トレーニングやメンテナンスの指導を行ってきました。
その経験と知識の蓄積を「西本理論」としてまとめ、一人でも多くの方に実践していただくことが、これからの私の使命であると信じ、このブログから発信していきます。
私の理論はスポーツ選手のみを対象としたものではなく、ビジネスマンや家庭の主婦まで老若男女すべてに当てはまる不変のものです。
指導や講演のご依頼も受け付けています。
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また、2013年9月9日にConditioning Studio 操をオープンしました。こちらもご覧ください。
また、遠隔地にお住まいの方を対象とした動き分析とアドバイスを行っています。
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