「操体」から学んだ人間の体の不思議。

私が20代の後半、そこから先の人生をどう生きて行くのか考え始めた時に出会ったのが「操体法」という考え方であり、「渡辺栄三先生」という素晴らしい人間でした。

そこからはや30年以上が過ぎ、私なりに自信というか、進んできた方向性に間違いがなかったと思えるようになってきました。

32歳、故郷宇和島に帰って「西本治療室」という看板を掲げて開業した時、治療を受けに来てくださる方々には申し訳ないですが、今のような自信はまったくありませんでした。

約5年間、渡辺先生の元で操体を学ばせていただき、鍼灸の専門学校の夜間部に通い、鍼灸師の資格も取得しました。

しかし現実として、一人で施術を行い、それぞれの痛みを抱えて来所してくださる方々に、満足してお帰りいただけるだけの施術が出来るのか、不安の方が大きかったことは間違いありません。

会社を辞めて開業を決意したことを渡辺先生にお伝えしたところ、「西本君なら絶対に大丈夫、自信をもって患者さんに向き合いなさい」と言っていただいたことだけが、心のよりどころでした。

どこかが痛いから、どこかを揉んだり叩いたり針を刺したりするのではなく、相手の方の体全体のみならず、心の部分にも向き合い、より良い方向に導くことが出来る、それが私が「操体」という考え方と実践を学んで得た結論です。

それでもなお、自分が学んだことで、それらのすべてに対応できるのか、何より私自身が人間として、相手に寄り添うという人間性を身に付けているのか、不安ばかりのスタートでした。

それでも教えていただいたことを駆使し、相手のために少しでも役に立ちたいという気持ちで向き合うことで、不思議なくらい症状が改善していくという事実に、私自身が驚いてしまいました。

その生活が2年続いた後、Jリーグ開幕に合わせて広島に移り住み、既に24年の月日が流れて行きました。

宇和島では、当然ですが一般の方の腰痛や肩・首の痛みといった、いわゆる不定愁訴の改善や、地元の中学生や高校生の運動部員たちのスポーツ障害の対応が主な仕事でした。

32歳、開業したばかりの私に大きな期待はされていなかったと思いますが、思った以上の効果が出ることで、それが口コミで広がり、早朝から深夜まで、いったいいつ仕事を終えられるのかと、自分の体を心配するほどの忙しさとなりました。

それが環境が変わり、いきなりプロサッカー選手を相手の仕事となりました。

目の前の選手たちは、まさに今すぐに痛みを改善して欲しい、曲がらない膝を曲がるようにして欲しい、魔法か手品のような効果を期待されているような毎日でした。

選手たちも個人としてチームとして生活をかけて戦っていましたが、私自身もとにかく結果を出さなければと、ある意味選手と同じかそれ以上の気持ちで、毎日が戦いの連続でした。

トレーナーという立場でしたが、他の人間が出来ることを同じようにやっていればいいなどという気持ちは一切なく、どんなに難しい状況でも、私の技術で少しでも可能性があるのなら、「そんなやり方は見たことも聞いたこともない、本当に大丈夫なのかと言われても、不安ならやめてくれ、私を信頼してくれないのならやらなくてもいい」と開き直って、思いついた方法をとにかく施していました。

それらがことごとく効果を表してくれて、私は自分の技術や考え方にどんどん自信を深めて行きました。

選手はサッカーという競技のプロかもしれないが、「私はこの世界で誰にも負けない一番の存在」、そこまで思うようになりました。

「私以上に結果を出せる人間が居るなら、いつでもその人を連れてきてくれ、もし本当に自分がその人よりも劣っていると思ったら、いつでも自分は身を引くから」、と常に懐に辞表を忍ばせているくらいの気持ちでした。

そのためにはどんな無理難題に対しても、知らない出来ないという言葉は絶対に口にせず、様々な方法を考え試行錯誤しながら答えを探し出していきました。

私の30年間は、その繰り返しでした。

そして、その30年間の早いうちに、私の考えていることが一般論や教科書的な答えとは違うものになって行ったことも感じていました。

それでも後戻りすることなく我が道を進んできました。

常にその時その瞬間に、私が一番正しいと思うことをやってきました。

そうやって一般論から離れれば離れるほど、私の考え方や方法論が理解されないという現実に直面していくことになって行きました。

「なぜ私の言っていることが分からないのだろう、どうして私の言うことを聞いてくれないのだろう」、そんな思いばかりが大きくなって行きました。

3年と少し前になりますが、今の場所に施設を作り、一般の方からプロスポーツ選手まで、ここに腰を据えて、これまでの経験を世の中のために還元していこうと決意して出直すことにしました。

ここでも同じ気持ちになっていました、「私の言うことがなぜ理解されないのだろう、絶対に間違いないことを言い、間違いなく効果を感じてもらえる施術を行っているのに」と。

模型やアプリを使って体の仕組みを説明したり、過去の経験談をお話したり、少しでも分かりやすいように説明もしていましたが、私の思いは本当に届いているのだろうかと考えさせられることが多々ありました。

それがつい最近、私自身の心が軽くなったというか、私は何のために今の仕事をしているのか、誰の為に仕事をしているのか、そんなことを考える余裕が出てきたためか、他者に対して自分の考えを押し付けるというか、正しいことをただ正しいと言うだけでは伝わらない、これまでの私は良い意味でも悪い意味でも自己満足を追い求めていただけで、本当の意味で他者に対して優しい人間ではなかったと思うようになりました。

自分が低い所に降りてきて、相手のレベルに合わせてあげるなどという不遜な考えではありません。

相手の立場に立ち、同じ感覚を共有し、心を寄せる以外に、私の思いを相手に伝える方法はないことがやっと分かってきました。

正しいことを正しいと言うだけでは何も伝わらない、そんな当然のことを今頃になってやっと気づいたのですから、お恥ずかしい限りです。

今日の地元紙のページに、僧侶の方が「傾聴」という行為のことを書かれていましたが、説法でも説教でもなく、ただ相手のお話に真剣に耳を傾ける行為の中にこそ、相手が救われる何かがあるというお話でした。

他にも同じようなことが書かれたものに接する機会があり、あらためて唯我独尊、我が道を歩んできたことに後悔ではなく、だからこそ今気づかせてもらえたのだと、これからの生き方に変化が生まれてきそうな気がしています。

さてそうは言いながらも、施術行為やトレーニングの効果には絶対の自信を持ってきました。

そこに私の人間性が加われば、もっと良い結果が期待できると思います。

そのうちの施術行為ですが、もちろん橋本敬三先生が創始された「操体法」という理論体系が私の基礎となっています。

西本塾等でたくさんの方にその入り口を指導させていただきましたが、操体には本来「型」というものは存在しないはずです。

それでは伝えることが出来ないので、名前が付いたいくつかの操法が存在しますが、それとて便宜上のもので、この操法をやればこういう痛みが治るとか、この部分の痛みに対してはこの操法が効くなどという、一般的な施術者の講習会で語られるような方法論は、操体には本来存在しません。

ではなぜ人間の体が発する痛みや違和感が、操体の施術を行うことで改善したり軽減できたりするのでしょうか。

さらには、施術を繰り返していくことで体をうまく動かすことが出来るようになり、運動能力の改善や向上という効果まで期待できるのか、少しまとめておきたいと思います。

操体の施術を行う目的はひとつ、「骨盤と背骨を中心とした、関節の6方向の動きを、それぞれが生まれもった能力の範囲内で、自由に動かすことが出来るようにしておくこと」ではないでしょうか。

すべての操法は、どこから動き始めても全身に広がって行きます。

一定の法則は存在しますが、それは原則的なものであり、個々の人間の体がその時その瞬間に心地良いと感じた動きを、体全体に連動させていきます。

操体を学んでいくとき、単純な運動方向の比較で、痛い方向から痛くない方向へという原理原則から入って行きますが、少しずつその原則から離れて行くことを実感していきます。

操体を治療技術の一つとして学び、パターン化していくつかの操法を身に付けてしまうと、そこから外れてしまっときの対応が出来なくなってしまいます。

手の持ち方支え方、言葉のかけ方、動かす際のスピード力加減、脱力のさせ方など等、やりようによってはパターン化して教えることも可能だとは思います。

しかし、それらは何のために行っているのかという根源に戻ると、前述の「骨盤と背骨を中心とした、関節の6方向の動きを、それぞれが生まれもった能力の範囲内で、自由に動かすことが出来るようにしておくこと」に戻らざるを得ないのです。

ではどうしてそのことが体の痛みや動きを改善してくれるのでしょうか。

元々人間の体はその能力を持って生まれてきます、「人間の体に仕組まれたからくり」とはそういうことで、だれでも平等に仕組まれているものです。

ところが我々の日常生活では、その6つの方向性と可動域をすべて必要とはしていません。

せっかく与えられた可動範囲も、必要最小限の中でしか使われておらず、それは我々一般人だけではなく、スポーツ選手の競技動作でも同じことが言えます。

さらに人間は二本足で立って、重力に抗しバランスを取りながら生活しなければなりませんので、常にどこかしらの筋肉を収縮させておかなければなりません。

「心休まる暇はないという」言葉がありますが、体こそゆったり休んでいられる時はないのです。

「横になって寝ている時は全部休んでいるではないか」、そう思うでしょう、しかし、体に問題を抱えて私の元を訪れてくる人たちは、ベッドに体を横たえても、体の緊張が解かれることはありません。

仰向けに横たわった時、膝が曲がって浮いてしまい、踵とお尻、腰の部分も反って浮いてしまい、肩甲骨と後頭部、極端に言えばこの4点しかベッドに接しておらず、立っている時の緊張がそのまま横になっても続いてしまうという人がほとんどです。

この状態では何時間ベッドで睡眠をとろうと、本来の意味での体を休ませることにはなりません。

ほとんどの方が枕はどういうのが良いですか、布団は固い方が良いですか柔らかい方が良いですかと聞いてきます。

答えは、道具ではなく「まずは、ご自分の体がゆったりと休める状態を作っておくことです」、と言うことになります。

そうでなければ何をどう変えても同じことです。

そのために何をするか、もう一度言いますが、「骨盤と背骨を中心とした、関節の6方向の動きを、それぞれが生まれもった能力の範囲内で、自由に動かすことが出来るようにしておくこと」なのです。

昨年3月に、漫画家「えだお」さんとの共著で発売した「1回5分体が喜ぶ健康術」(ガリバープロダクツ)や、宝島社のムック本「身体の痛みを治す寝たまま体操」(売り切れのため入手困難です)、取材協力の形で記事にしていただいた、健康雑誌「壮快」等、私の思いや方法論が世に出て行きました。

どこまでその思いが届いているのか正直分かりませんが、本当に体のことを考えるならば、お手軽な対症療法に目を向けるのではなく、「体は丸ごととつの存在」という橋本敬三先生の言葉を待つこともなく、自分の体にしっかり向き合い、体と対話するという、一見意味不明な言葉に思えるかもしれませんが、6方向に体を動かして語りかければ、必ず何かを返してくれます。

その言葉が聞こえるようになれば、少なくとも今以上に健康な体を取り戻すことは出来ると思います。

私が30年間続けてきた操体から学んだことは、私の技術が上がったとかいうことではなく、相手の体と心に寄り添って、無理なく6方向への誘導を行うことが出来れば、結果として体は元の状態を取り戻していくという事実です。

今現在の体に、新たな能力を加えるとか、壊れてしまった機能を私が治すとかいうことではなく、「その人その人が持って生まれた体の能力を、今現在のそれぞれの体で、出来るだけ自由に使いこなせる状態に戻してあげる」、と言うことではないでしょうか。

私の能力が上がった部分があるとしたら、相手の本来の能力を見極めて、深追いせず「良い塩梅」な状態を探れるようになったことかもしれません。

どちらにしても、私が治してあげた、などと思った時点で勘違いだと思います。

ただそれが出来ない施術者が多いことは事実だと思います。

自分の方法論にこだわったり、能力を持っていたとしても組織の論理に埋もれ、本来できることさえできない人も居るでしょう。

相手の立場に立って、その人の言葉に傾聴し、より良い方向性を共に探って行けるように、これから成長していきたいと思います。

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西本塾を終えて、30年前操体を学び始めた頃の自分に立ち返って思うこと。

週末の二日間、数えて20回目となる西本塾を行いました。

初めてこういう勉強会を行おうと思った時、「ほんとに私の話を聞きたいという人がいるのだろうか、募集をかけて、たとえ申し込んでくれる人が一人でもいたなら、その人のために全力を尽くそう」、そう思って始めました。

それが回を重ねて行くうちに、たくさんの参加者が来てくれる回もあれば、今回のようにたった一人という回もありました。

そのすべての回で、私はその瞬間瞬間、自分が伝えられるすべてのことを真剣に伝えてきました。

毎回、日曜日に二日間のすべてが終了した時、すべてを出し切ったという安堵感と、身体的肉体的な疲労から、普段感じることのない感覚に、毎回陥ることになりました。

自分では、こんなに疲れることは他にはないと思います。

今回の参加者が一人だったことで、私の考え方に興味を持って実際に学びたいという人の多くは、すでに参加してくれて、西本塾としての活動も、そろそろ終わりにした方が良いのかなと思うようになりました。

年内は予定通りに行いますが、来年は回数を大幅に少なくするか、休止することも考えています。

そんな中、今回受講してくれた岸本さんは、操体法に出会い、操体法を深く学んでこれからの人生に活かしていきたいという、明確な目的を持っての参加でした。

岸本さんは現在36歳ですが、30数年前、私が20代半ばで操体法というものを知り、渡辺栄三先生という存在に出会うことがなければ、今の私は間違いなく存在していません。

それほど、私にとって渡辺先生という方との出会いは大きなものでした。

もし操体法を学びたいと思った時に出会ったのが、他の方だったら、人生にタラレバはないと言いますが、ここまでのめり込むことは無かったと思います。

西本塾に参加してくれる人の受講動機の中にも、操体法を学びたいという希望は多くの方から寄せられていました。

しかし、さまざまなフィールドで活躍されている参加者に対して、操体法のみに焦点を絞ったお話をすることは難しく、本当に初歩的な内容にしかできないことは、私の中でも残念に思っていました。

それが今回、まさに30年前の私がそうであったように、操体法はとても素晴らしいものであろう、という漠然としたイメージは持ちつつも、どこの誰から学べばいいのか、高齢であった橋本敬三先生に直接指導していただけるはずもなく、何を頼りに師と定める人を探すのか、ある意味人生を決めるかもしれない大きな決断でした。

その対象に自分がなるかもしれない、大きな責任を感じることとなりました。

岸本さんからの受講動機を智志に読ませた時の感想が、「操体法を学びたいと思った人が、父さんのところに来るのは間違いだよ」、という言葉でした。

私にとっても意外な言葉でしたので、真意を訪ねると、「いきなり父さんに操体法とは何かという深い話を聞かされると、これは難しすぎて自分には無理かもしれないと思われるかもよ」、だそうです。

一緒に仕事をし始めて半年にも満たない智志ですが、人の体に向き合う方法論や考え方としての操体法は、ただの施術の技術をはるかに超えたものであるということを理解し始めたからこその言葉でした。

言葉は悪いですが、カリキュラムがあって回数やある一定の期間学べば、身に付くような簡単なものではないということです。

だからこそ私は、息子である智志にも伝えることは出来ないと、弟子というか後継者としても考えたこともありませんでした。

それが3年前の出来事から考え方が変わり、自分の作り上げてきた理論と実践を、このまま眠らせておきたくないと思うようになり、人に教えるということを始めたのでした。

ですから、二日間に亘って必死で伝え続けてはいますが、そこで学んでもらえることは、入り口の扉を開けて中を覗いてもらう所までで、そこから先に踏み込むも、ざっと眺めて扉の外に出て行くのも自由だと言っているのです。

過去個人指導も含めて、150人近くの方に私の考えを伝えてきました。

その中のほんの数人の方が、学び続け深め続けてくれています。

そんな方が、数人でもいてくれることで、私は人に教えるという活動をしてきて良かったと思っています。

今回参加してくれた岸本さんが、この二日間学んでくれたことを、これからどう活かしてくれるのかは分かりません。

しかし、今回はこれまでとは違った感覚になり、30年前の自分に対して指導するような気持ちで指導しました。

私の理論の源流はすべて渡辺先生から学んだ操体法にあると思います、それをベースにして目の前の人間一人一人に対して真剣に向き合うことで、自分なりの操体法、自分なりの「からだ観」を作り上げてきました。

一日目の午前中から、最初の部分から、話の途中でその内容と操体法の考え方の関連性を、何度も何度も繰り返しお話ししました。

その度に自分の中に渡辺先生がよみがえり、30年前の自分を思い出しました。

岸本さんから届いた感想から、私の思いは十分に届いたと感じました。

そして智志の抱いた不安も杞憂なものとなると思います。

初めて私の前に立ち、私と智志、そして家内を含め3人に対してたった一人で向き合わなければならない岸本さんは、本当に大変だったと思います。

本当にお疲れ様でした、そしてありがとうございました。

以下、岸本さんから送られてきた感想です、二日間の奮闘ぶりを想像しながら、読んでいただければと思います。

20期生の岸本です。

西本先生、智志先生、奥様改めて2日間ありがとうございました。

西本塾に来るまでは、西本先生は怖い人なんだと勝手に想像していました。
実際に会ってみると気さくな方で安心したのもつかの間、塾が始まるとまるであのガンジイのようでした。

そう本気なんです、なぜ受講動機をしっかりと書かせるのかわかりました、中途半端な覚悟で参加するのは失礼にあたると思いました。

最初に言われた智志さんの「操体法を教わるのにここに来るのは間違いだ。」という言葉は一瞬ドキッとしましたが、2日間を終えてやっぱり間違っていなかったと心底思いました。

操体法に興味を持ち、勉強しているなんて恥ずかしいくらい何もわかっていなかったのですね。

人は自分の思惑通りに動いてくれない、そうしてもらう為には言葉が非常に重要なのだと。

肘を曲げる動作をして、他にどういった言い方ができる?と言われた時に何も出てこなかったし、自分の思ったように動いてもらえなかった時、言葉に詰まってしまう、実践ならそこで終わってしまいますよね。

トレーニングにしても、操体にしても人を相手にするので、人に伝える言葉は本当に重要なんだと思いました。

そして、いくら操体法の本を読んでも解らなかった、なぜこの動きをするのか、この動きをしたらなぜ改善するのかという部分が納得できました。

・筋肉は骨を動かすものそれ以上でもそれ以下でもない
・関節の6方向(8方向)への展開力と連動性
・上半身と下半身を繋ぐ唯一の筋肉広背筋の重要性
・局所からの意識をはずす、動いていること自体を気持ちいいと感じること
・最初から気持ちいいと感じてくれる人は稀だということ

などなど僕にとって、全てが重要な濃い内容でした。

からだほわっとの感想を求められた時に「終わった後に足が軽くなりました」、と言いましたが、実はあの時、意識が飛んでしまい正直に言うと何も覚えていない、今考えるとスゥーっと水の中に沈んでいくような感覚だったのかもと思います。

今後はこの考え方をしっかり自分の物にして、精進を続けていきます。
まだまだ入り口に立っただけ、たった2日でわかったつもりにならないよに。

奥様、夕食の買い出しありがとうございました。
智志先生、デモンストレーション、練習台ありがとうございました。
そして、西本先生2日間本当にありがとうございました。

痛みとどう向き合うか、意識の違いを超えて。


私が日々行う施術行為、気持ち良さだけを求める慰安的な行為を期待している方は基本的に受け付けていません。

そうは言いながら、実際に施術を受けると、途中あまりの心地良さに眠ってしまう人もいます。

健康管理を目的に定期的に通ってきてくれる人の中には、その心地良さを求めてという部分があることは否定しません。

そういう方々も、最初は体に問題を抱え、なんとかその痛みから解放されたいというのが来所の目的でした。

それが何回かの施術で改善していくうちに、本当の意味での自分の体と対話するという感覚に目覚め、当初抱えていた痛みをもう二度と繰り返したくないという思いから、定期的な施術を希望してくれます。

本来私は、どんな痛みを抱えてこようと、3回で改善させることを目標としています。

誤解のないように言っておきますが、それですべてが解決する訳ではありません。

人間の体は機械ではありませんから、壊れている箇所を探して、部品を交換したらそれで事足りるという訳にはいきません。

逆に言えば、きちんと機能するように整えておけば、あとは時間が解決すると思っています。

一刻も早くそれぞれの痛みから解放されたいのは分かりますが、そういう訳にはいかないのです。

痛いという部分を私が蹴っ飛ばしたとか、どこかにぶつけたとかいうはっきりした原因があれば別ですが、ほとんどの場合はそれぞれの日常生活の中で自分の体をどう使っているかということに対する、体からの評価、通知表のようなものです。

それを省みることなくして、他人事のように体の痛みを訴え、改善させろと言われてもできるはずがありません。

人間は勝手なもので、普段とくに問題を抱えていない時には、ほとんど自分の体と向き合おうとしていません。

まさに自分の所有物、どう使おうと自分の勝手で、そのどこが悪いのかという態度です。

それがひとたび問題を抱えると、自分の責任などと考える人はなく、なぜ自分の体はこうなってしまったのかと、とにかく治せ痛みを何とかしろと、まさに人任せで、医療機関や私のような人間のところを渡り歩くのです。

私はそんな人たちの体が可哀想でなりません。

縁あって私のところに来てくれたのですから、なんとかしてあげたい、さりとて体は改善できても、最終的にはその人の頭の中、考え方が変わらなければ、せっかく折り合いがついて動いてくれるようになった体が、また同じ目に遭わされ酷使されることを繰り返すことは目に見えています。

だから私は、頭が悪い人は治らないと言っているのです。

3回を目標の1回目は、まずその人の体の状態を把握することです。

本人の訴える痛みの場所や、医療機関で付けられた病名ではなく、連なりあって動いているはずの丸ごと一つの体の、どこに連動を阻害している問題があるのかを探るのです。

そして、それが本当に器質的に問題があるのか、それともそう思い込んでしまっているために痛みを感じたり動きが悪かったりしているのかを、私だけではなく本人の意識も含めて問題点を洗い出し、改善が可能な状況なのかを確認しなければなりません。

それさえできれば、相手がそれを分かるか分からないかは別として、私の中では間隔を空けて後の2回の施術で、体の自然治癒力が機能してくれるのを待ち、その人が生まれ持っている、本来の体に戻していく作業をするだけです。

痛いか痛くないかだけが施術の効果を判断する唯一の方法だと思っている方にとっては物足りないものかもしれませんが、痛みが改善する、体が治っていくというのはそういうことなのです。

3回が4回5回となることは、もちろんありますが、それは本人の感受性と、こちらの技術の問題です。

「もう来なくて結構です」という私の言葉に、怪訝な顔をされることもありますが、毎日施術したから早く良くなるとかいうことでもありませんので、とにかく私の施術で加えた刺激と、体の変化をしっかりリンクさせて、これから自分が体とどう向き合うかを考えて欲しいのです。

そうやって当初の痛みから解放され、私のことを信頼してくれた人たちが異口同音にいうのは、自分の周りに自分が抱えていた痛みとは別の箇所に問題を抱えている人がいるが、私のところでそれは改善されるのかという質問です。

自分は腰の痛みが楽になったが、首から手先にかけての痛みや痺れに悩まされている人には効果があるのかという意味の質問です。

そんな時に私が言うのは、「本人を診てもいないのに治りますとも治せませんとも言えませんが、どこにどんな問題があっても、改善する可能性はあると思いますよ」、と言うようにしています。

その方自身も、他の部分の痛みを改善したという方から紹介をされてここにきたことを既に忘れているというか、たとえ同じように腰の痛みを訴えていたとしても、まったく同じ症状はあり得ませんし、何より人間が違うのですから同じわけがありません。

それでも自分はこういうやり方でよくなったが、違う部分の痛みに対してはどういう施術をするのかという質問もされます。

「初めに言ったと思いますが、腰が痛いからと言って腰を触りましたか、膝が痛い人に対して膝ばかり触りましたか、私が治してあげたいのは、人間の体そのものであって、部分ではないと言いましたよね」、そういうことです。

操体法を学び始めてからすでに30年、自分なりに工夫も加えながらも、基本となるのはやはり体は丸ごと一つという橋本先生の言葉です。

結果が出ないとどうしても部分に気持ちが行ってしまい、そこにばかり時間をかけるような施術になってしまうこともありました。

体全体を整えるということが、本当に部分の痛みや動きを改善してくれるということに対して、最善の方法なのかと迷いが出たことも一度や二度ではありませんでした。

しかし、経験を積めば積むほど、そういう焦りが相手の体を本当の意味で診ることができない、「木を見て森を見ず」になっていることを思い知らされてきました。

土曜日に遠路来てくれた高校生の女の子は、1年前に体育祭のピラミッドの練習中に、5段のピラミッドが崩れ内転筋を痛め、いまだに歩行時に痛みを感じ、日常生活の支障をきたす状態だというのです。

医学的な画像診断では完治している、そう言われても痛いものは痛い、動きにくいものは動きにくい、それが人間です。

そのことを確認していたからこそ、私がお役にたてると信じ、遠路来ていただくことにしたのです。

定期的に通ってくれているYさんにそのことをお話しすると、例によって例のごとく「どうやって治すの」という言葉が返ってきました。

「いつもYさんに受けていただいている施術ですよ、どこがどう痛かろうと、治してあげなければならないのは、その人の体全部であって、かける時間配分は多少変わりますし、操法のパターンも変わりますが、やることは同じなのですよ」、というのが私の答えです。

自分にとっては有効な施術でも、他人のしかも違う部分の痛みに対してどう対応するのか、気になるのは当然だと思います。

しかし、どんな方が来ても、私はその人の体に丁寧に語りかけ、本来の動きを探って行くだけです。

この感覚だけは伝えきれない部分ですが、智志には肌で感じ、空気を感じさせることで、時間をかけて伝えて行ければと思っています。

私のようなやり方では、仕事としての効率は悪いかもしれませんが、人間の体と心を相手にしている立場として、最も大切にしなければならない部分で、それをないがしろにしてしまっては、ただの商売になってしまいます。

一人一人に真剣に向き合うことで、体に対する考え方を変えてくれる人が、一人でも多くなって欲しいと思います。

すべてを決めるのは、「体と対話する」という姿勢です。

そんな日々を過ごしていると、最近やたらと疲れを感じるようになった気がします。

智志と一緒に仕事をするようになってから、自分の頭の中だけで分かっていれば良かったことを、きちんと言葉にするというひと手間が加わりました。

それまでは、必要以上に説明してもどうせ分かってもらえないからと、基本的なところだけは説明しますが、あとは結果で勝負というスタンスになっていたように思います。

言葉にするという行為には、大きなエネルギーが必要です。

当然ですが一度発した言葉は取り消せません、政治家のように都合の悪いことは無かったことにしてくれという訳にはいかないのです。

真剣に体と心に向き合い、きちんと説明するということは本当に大変なことだと思います。

そのことで私の頭と体は総動員され、気がつけば自分の体にそれらが溜め込まれている、そんな状況になってしまっているようです。

あまり好きな言葉ではないのですが、私も少し切り替えるという感覚を持たなければならないのかもしれません。

熱戦の続くオリンピック放送を見ながら、一喜一憂することも良い意味でストレス解消になっています。

日本選手だけではなく、世界のトップアスリートから大きな刺激をもらおうと思っています。

プラス思考で

私の唯一の著書「朝3分の寝たまま操体法」、その発売からちょうど11年となりました。
今年も一度増刷がかかり、版を重ねて第13冊となりました。

私が思いを込めて書いた本ではありますが、すでに手元を離れ自由に育って行った我が子のような存在となっています。

今回その本が新たな出会いに繋がりました。

先週の水曜日、こんな電話をいただきました、「1年前に胸腺腫瘍の摘出手術を受けた主人の術後の様子が芳しくなく、決まったように一日おきに身体中に痛みがあって、手術を受けた病院はもちろん、勧められるままに整形外科から心療内科まで、様々な医療機関を受診しましたが、状態が変わらずどうしたものかと思っていました。たまたま手に取った本を読んで、この人のところに行けば何か良いことがあるかもしれないと思って電話しました。」という内容でした。

本を読んでいただいているのですから、私がどういう人間で、その時点までどういう仕事をしてきたのかはわかった上でのことだとは思いますが、胸腺腫瘍摘出後の体の異変と、私のやってきたことがどう結びついたのか、私自身不思議に思いました。

どこでどんな検査を受けても異常が見つからないし、手術とこの痛みの相関はないと言われ、ではなぜご主人の体はそういう症状を訴えっているのか、ご本人はもちろん奥さんもとても心配されて、どこかご主人の体に良いところはないかと常にアンテナを立てていたようでした。

そんな時に、私の書いた本の内容に、もしかしてと興味を持っていただいたのでした。

ご主人にも本を読んでいただき、ご本人が興味を持っていただき私の元を訪れてみたいと言っていただけるのなら、改めて電話をしてくださいと、電話を切りました。

程なく電話があり、昨日今日の二日間広島に来ていただくことになりました。

お住まいは横浜で、ご主人は以前から予定していた山口県内の湯治場で、1週間ほど温泉療養をされていて、その帰り道の広島に寄っていただくという偶然といえば偶然ですが、まさに必然のような巡り合わせとなりました。

胸腺という内分泌系の器官の問題であれば、私など全く専門外なことはわかっていますが、一日おきに悩まされる体の痛みがなんとかならないかというご相談でしたので、もしかしたら私の施術がお役に立てるかもしれませんとしか言えませんでした。

それでも、体が黄色もしくは赤の信号を発しているということは、骨格の歪みや筋肉の緊張など、体そのものに何か問題があると考えるほうが自然だと思いました。

昨日は、とにかく私の考える正しい体の仕組みに対して、ご主人の現状の体のどこに問題があるのか、できる限りの言葉を尽くして説明を加えながら、体との対話を図りました。

昨日は痛みのあるほうの日だったようですが、施術中から痛いという感覚はなくなっていきました。

というよりも私は、ご主人の体に大きな歪みや連動を制限する不都合を、ほとんど感じなかったのです。

正直もっと大きな左右左や、どこをどう動かしたら痛いという、素人目にも明らかな問題点がたくさんあると思っていました。

しかし、それが見つからないのです。

私の元を訪れる一般の方で、50肩だ腰痛だという症状を抱えて来る人たちの体は、よくここまで我慢してきたなというくらいひどい状態になっている人がほとんどです。

それが1年以上も1日おきの痛みに悩まされ続けているという人の体に、そういうはっきりした歪みが見えないことに少し驚きましたが、微妙な左右左や感覚的な違和感を探りながら、体を整えていく施術を行いました。

「これは単純に体だけの問題ではない」、私は直感的にそう思いました。

私より3つ年上の方で、若い頃はサッカーをされていたというお話でしたが、手術以来ほとんど体を動かしていないためか、筋肉が緩んでしまっていました。

操体法は見た目にも、実際の施術を受けていただいても、いわゆる運動やトレーニングとは対極の静かな動きで、色々動いてはいただきますが、疲れるという感覚にはならないと思います。

しかし、初めて施術を受けた方の多くが、そのあと数時間して体の力が入らなくなったとか、すごく眠くなってすぐに布団に入って、ぐっすり寝てしまったと言われることがあります。

中には腰に力が入らなくなって、腰が抜けたような感覚になったと言われる方もありました。

そのことは伝えておきましたが、本当に夜になるとすごく眠くて久しぶりにぐっすり眠れたと、今日来ていただいた時に言われました。

この現象は、以前から私もどういうことなのか色々考えていました。

運動というのは筋肉の収縮活動です、それはすなわち細胞の振動です。

操体法は体の一部から始まった動きを、全身に連動して波及させて行く動きです。

まさに全身の細胞があますところなく使われて、今までに感じたことのない疲労感というかだるさを感じることにもなります。

普段使われていなかった部分の細胞まで、すべてが自然に気持ちよく参加してくれた結果だと思います。

だから不安に感じるどころか、こんなに楽に全身運動ができたと喜んでもらっていいと思います。

実際に、そういう感覚も短い時間で、それを過ぎると今までにない体の軽さを感じることも共通した感想です。

そうして体全体に動きが伝わったということは、それができる体であったということの裏返しでもあるのです。

ではなぜそういう体を持っているにもかかわらず、二日に一回というなんとも意味不明な規則性のある痛みを訴え続けているのでしょうか。

今日の施術は、昨日の終了時点を維持どころか、さらに良くなった状態で始めることができました。

昨日のような説明は必要なく、体と心を真っ白にして、自分の体との対話を楽しんでいただきました。

ただ施術前に昨夜は如何でしたかと聞いた時に、「ずっと痛みを感じなかったけれど、遅くなった時に少しこの辺りが」という言葉が聞こえた時に、私はその言葉を遮り、施術を始めました。

その瞬間私は確信しました、この人は痛みを探しているなと。

人間生きている限り、体のどこにもまったく異常がないという人はいないと思います。

いや自分はそんなことはないという人もいるでしょう、それはその人その人の感覚の問題で、多少痛みや違和感があっても、マイナスイメージの言葉を発することなく、オールオッケーと威勢の良い言葉が出てくる人と、重箱の隅を突っついてでも、マイナスな部分を探す人に分かれるようです。

痛みという感覚はまさに個人差が大きく、一律な判断はできません。

ここに来た時に感じていた痛みが、たとえ半分になったとしても、どうですかと聞いた時に、「いやまだこの辺りが」と、顔をしかめる人と、「いやー随分楽になりましたと」笑顔で答えてくれる人の違いは、単に性格の問題だけではないと思います。

しかしマイナスな言葉を吐く人は、そのあとの変化もあまり期待できないのです。

痛みにメモリはつけられませんが、10という痛みがたとえ1になったとしても、その人にとってその1は、痛いか痛くないかという問いに対しては、やはり痛いと言う言葉が口をついて出てくるため、その痛いという言葉の中に10のメモリを作ってしまうのです。

ですからどこまで行ってもゼロ、痛くないという言葉を使おうとはしないのです。

痛みは必要な感覚です、痛みがあるからこそそこに近づかないように体が反応してくれるのです。

しかし、それが度を超えてしまうと、まだ痛みを発しなくてもいい状態の時に「痛い」という信号を発してしまったり、痛いという感覚の手前で十分体を使うことができるのに、無理に痛みの出るところまで動かして、痛い痛いとアピールしてしまうことになるのです。

本人にはもちろんそんな悪気はありません、でも必要のないアピールは何も良い結果は生まないと思うのです。

そのことをわかって頂きたくて、真剣に語りかけました。

中にはそんな言われ方をすると、痛みも改善できないくせに何を偉そうにと、怒ってしまう人もいます。

人間の体は、どこをどう使っても自分の思った通りに動いてくれるわけではありません。

人間として生まれ備わった体のカラクリに沿って動かしてこそ、本来の効率的な動きが可能となります。

そのことはしっかり認識しなければなりません。

「こうやって動かすと痛いような気がするが、ならばこの部分をこうやって動かしてみると、それほど気にならなく動かすことができる」、そうなんです、体は部分の集まりではなく全体で協力して動くものなのです。

痛みや不都合を感じる部分を探すより、良いところ動かしやすいところを探して、自分の体にもっと感謝しながら動いてもらわなければならないのです。

操体法では対極の方向を動き比べ、動きやすさや快不快の感覚を比較させ、動きやすい方、快と感じる方に誘導することを基本としています。

しかし、その度に「こっちは動きにくい、こっちは不快感がある」というネガティヴなイメージを体に持たせてしまうことにもなります。

今回のような方のような場合、いかにネガティヴなイメージを持たせないかということが一番大事だと思います。

とにかく体と心が解放された状態を1分1秒でも長く保たせてあげる、そのことが長く引きずってきたマイナスイメージを払拭する唯一の方法なのではないかと思いました。

お二人揃って笑顔で帰途についていただけました。

西洋医学は局所を見るからダメとか、東洋医学は体全体で捉えるから西洋医学より勝っているとかいう言い方もされますが、体を見ることに西も東もないのです。

あるのは目の前にあるその人の体だけです。

どんな検査にも現れない心の部分にまで少しだけ踏み込ませてもらい、痛みの原因を探り、決めつけてしまうのではなく、もしかしたらという言葉を付け加えながら、心と体を解きほぐす、今回そんなことが少しできたように思います。

どんな相手に対してでも、「この人のために自分が何ができるか」、先入観を捨て、こちらも真っ白な気持ちで対応すれば、何かが見つけられる、そう思いました。

ずっと心配されている奥さんの方がお疲れのようでしたが、今回は奥さんまで手が回りませんでした。

もしご縁が続いて、またここに来ていただくことがあれば、その時は奥さんにもからだほわっとを受けていただきたいと思います。

11年も前に書いた本から、こんなご縁が生まれました。

奥さんはそんな前に書かれた本だとは思っていなかったようでした。

私の体に対する想いは、あの頃からずっと変わっていません。

本の内容で、今書き直したいと思うところもありません。

あの時点で、私の中での「体観(からだかん)」は出来上がっていました。

もしかしたら同じような症状で悩んでいる人や、施術する立場でこういう方を相手にしている人があれば、今日書いたことが参考になるかもしれないと思い記事にしました。

さて、昨日今日明日と、ふるさと宇和島では「宇和島祭り」、地元では「和霊さま」の呼び名で親しまれている夏祭りが行われています。

今夜は高校の同級生たちが連を作って、「宇和島踊り」に参加します。

翼があるなら、これから飛んで行って同級生の連に加わり、もちろんその後に行われる飲み会にも参加して、気の置けない仲間たちと楽しい時間を過ごしたいと思います。

いくつになっても昔の友達はありがたいものです。

またいつか仲間の輪に加われるように、日々の仕事を頑張ろうと思います。

操体法のこと

私は今年の8月で57歳になります。

昨日NHKの番組で瀬戸内寂聴さんの元気な姿を拝見しましたが、1年近く寝たきり状態が続いて、こんな形で生きているくらいなら死んだほうがいいとまで思われたそうです。

今日で93歳になられるそうですが、こういう方の生き様に接すると、たかだかその半分くらいの年月しか生きていない私の、これまでの経験や今の時点で考えていることなど、ほんの通過点にしか過ぎないことを痛感させられました。

今となっては恥ずかしい話ですが、つい最近まで私は誰に対してもこう言い放っていました、「50数年の人生ではあるけれど、他の誰にも経験できない様々なことを、良いことも悪いことも含めてたくさん経験させてもらってきた、もういつ何が起こっても人生にやり残したことはない」と。

その時々の環境の中で、自分にできる精一杯のことをやってきたつもりです、それに対してどんな評価をされようと何も恥じるところもないし、慢心することもありません、自己満足と言われればそれまでですが、やることはやったという気持ちだけは常に感じることができていました。

最近少しづつではありますが、自分の中に小さな変化を感じています。

自己満足で終わってもいいと思っていたことを評価してくださる方が、意外にも多くいたことに気づかせてもらったからです。

ここ数年の環境の変化は、これまでの人生の中でも大きなものであることは間違いないのですが、これまではこういう事態に陥った時に、いくらプラス思考に捉えようとしても、現実に押し潰されてそれどころではなかったように思います。

しかし、振り返るとその時々に、なぜか私を支えてくれる人が現れてくれるのです。

もちろん家族の支えは一番ですが、思い出してみるだけでもたくさんの方々から、どうしてここまで親身になって私ごときのために力を与えてくれるのだろうと思うほど、古い言い方ですが、足を向けて寝られない方が私にはたくさんいます。

今もそうです、私の考え方を理解して真剣に学ぼうとしてくれる方や、私の知識や技術を信頼して体を預けてくれる人がたくさんいます。

今この瞬間にも、どこかでだれかが私を必要としてくれていることを、何の疑いもなく素直に思い描くことができるのです。

毎日ここを訪れる人がたくさんいるわけではありませんし、経済的に潤っているわけでもありません。

だからこそいざという時、いつでも対応できるというか断らなくても済むことで、信頼に応えることができています。

人間が生まれてきて良かったと感じられる一番の瞬間、自分の存在価値を確認できるのは、自分のことを信頼し必要としてくれている人がいると思える時ではないでしょうか。

自己満足ではなく、そういう気持ちがもてるようになってきました。

だからこの気持ちのままで、一人でも多くの方との信頼関係を築けるように、努力したいと思うようにもなりました。

目には見えませんが、たくさんの糸でたくさんの人と繋がっている、そう思っています。

Newspicksの連載もその一つです。

「アスリート解体新書」というタイトルで、様々な競技の一流選手の動きを私なりの視点で分析したことを言葉にすることから始まりましたが、今連載されているのは一般の方向けに、健康指南書としての内容を書いて欲しいという要求に対して書いた二冊の本が、木崎さんの構成編集を経て記事になっています。

一般の方向けに私がやってきたことといえば、まさに「操体法」を学び、その理論と実践を通して、体の不調に対応してきたことでした。

会社員を辞め本業にして3年目にプロスポーツの世界に身を投じたため、いわゆる施術だけを業としてきたわけではありません。

そのために、もしかしたら施術を業としている方々や、そう言う方々から施術を受けるみなさんの持っている既成概念や常識と、私の考えていることは少し違っているかもしれません。

まず施術を受けに行く方の目的は、体が感じる痛みを軽減したい、機能的に不具合が起きている部分を動くようにして欲しい、またたんに施術を受けることで肉体的心理的な安らぎを求めたいと、大きくこの三つに分けられるのではないでしょうか。

残念ながら痛みと動きの改善に関しては、それほど大きな期待を持って施設を訪れてはいないと思います。

どちらかというと三つ目の要素が強いのではないでしょうか。

私がやってきたことは前者を目的とした手技であり施術です、それもまったく道具を使わないやり方です、それが操体法でした。

どんな目的で来ていただいても、それにお応えするために全力を尽くすことが求められるのは当然ですが、ただ施術を受けると気持ちがいいからという理由で来ていただく方には、申し訳有りませんが、「よし私の力で」とは思えないのです。

どこに行っても良くならない、私ならなんとかしてくれるかもしれない、そんな藁をも掴むような気持ちでやって来る相手に対しては、自分でも驚くような結果を出すことができるのですが、自分でなくてもと、こちらが勝手に思ってしまうような場合は、それなりの対応になってしまいます。

それなりというといい加減に聞こえてしまいそうですが、目的に合わせてきちんと対応していることはもちろんのことです。

9年間も一緒に戦ったプロ野球選手の場合、戦列を離れるような大きな故障は、バント処理をあやまって左肩を脱臼した時と、疲労性の腰痛で本人が本来の力を発揮できないと申し出た時の二回だけだったと思います。

そこには日常の操体法による施術が大きく貢献していたことは間違いないのですが、細かい話などしていませんので、彼はいまだに操体法の本当の意味での効果や凄さに気づいていないと思います。

毎日のように触る私から見れば、体の状態はほとんど把握できていますので、いちいち確認しなくても、こちらで勝手に整えておくことはできました。

そう言う意味で、今とくに痛みがあるわけではないけれど、とにかく良い状態を維持して欲しいという目的で定期的に訪れている方がありますが、そう言う方々は、私がいない期間やここを訪れる間隔が空いたときに、なんらかの不調を感じたことで、あまり好きな言葉でではありませんが、「体に関しては私に任せておけば安心だ」と思ってくださっているようです。

何度かひどい腰痛に悩まされ、その時々にジタバタした経験を持っているその方は、「ああいう風になって仕事に支障をきたすことにならないように、保険のつもりで通っているんだよ」と、笑って話をしてくれました。

そういう要求に対してもきちんと応えられるのも操体法の良いところですし、動けないくらいの状態で来れれた方にも対応できるのも操体法です。

操体法の創始者である橋本敬三先生は、この人間に仕組まれたカラクリを解明し、対処の仕方を体系的にまとめられた時、当時の日本医師会会長の武見太郎氏に、手紙を送り続けたそうです。

現在の国の予算に対する医療費の割合の増加をすでに予想しておられ、病気にならないための方策として、操体法は優れた効果があるということを力説しておられたようです。

場所もとらず道具もいらない、体に仕組まれたカラクリを知り、その使い方を工夫することで、予防効果はもちろん健康増進や、多少の不定愁訴なら自分で治すこともできる、そんな素晴らしいやり方を日本全国に広めることが医師としてやるべきことであるという主張をされたのだと思います。

医師会からまったく反応がないことで、自分だけでもやれることをやろうと、地元仙台では保健師さんを中心に草の根的に操体法が広がったと伺っていますが、病気の方が少なくなれば医師の仕事が減るのだからという意味で、もし医師会が反応しなかったとしたら、とても寂しいことですね。

今私は西本塾や深める会で、操体法に関する内容も指導しています。

しかしその内容はあくまでも施術者目線になってしまいがちで、本来橋本先生が普及させたかった、一般の方がいつでもどこでも取り組める、自己管理であり健康法としての操体法ではないように思います。

渡辺先生がカルチャーセンターで行っていた操体法教室は、まさにそういうものだったのではと想像しています。

私はいろいろなことをやりすぎてしまって、逆にいえばどんなことにも対応できるつもりではありますが、今、一般の方の健康教室的な内容で人を集めてという気持ちはありません。

一般の方に操体法を応用した健康法をお伝えするという意味では、Newspicksの連載がその役割を果たしてくれればと思っています。

自分の体と対話するという、意味不明な言葉を多用していますが、操体法ほど自分の体の状態を把握するのに適したものはないと思います。

体中の関節が連動する様子を自分で確認することができるということは、いい状態も少しおかしいなという状態も自分で気付くことができるのです。

そしてそれらを自分で改善することにもつながりますし、どの程度になればもう大丈夫とか、回復の度合いも自分でわかります。

色々なことをやってきて、これからも色々なことをやり続けるのでしょうが、操体法というものと出会わなければ、そして渡辺先生と出会わなければ、今の私は絶対に存在していません。

そのご恩に報いるためには、一番の基本である、自分の体は自分で整えるという操体法の基本理念をもっと世の中に広める活動も、やらなければならないことだと思います。

私にしかできない、私を信頼し頼ってくれる人を相手にしていることは、やり甲斐もあり充実感もあり、達成感もあり、何よりストレスがありません。

それでも、どなたかの紹介で、私の事などよく知らないでここを訪れた方にもきちんと対応し喜んでいただけるよう、心穏やかに笑顔で接する事ができるように、私自身の心と体を整えておかなければなりません。

プロフィール

Author:西本 直
1993年、Jリーグサンフレッチェ広島を皮切りに、社会人野球三菱重工広島・協和発酵・ヴィッセル神戸・川崎フロンターレ、そして広島カープ佐々岡真司投手など、プロアマ問わず競技レベルのスポーツ選手から一般の方まで、トレーニングやメンテナンスの指導を行ってきました。
その経験と知識の蓄積を「西本理論」としてまとめ、一人でも多くの方に実践していただくことが、これからの私の使命であると信じ、このブログから発信していきます。
私の理論はスポーツ選手のみを対象としたものではなく、ビジネスマンや家庭の主婦まで老若男女すべてに当てはまる不変のものです。
指導や講演のご依頼も受け付けています。
実名でツイッターも書いていますので、チェックしてみてください。
また、2013年9月9日にConditioning Studio 操をオープンしました。こちらもご覧ください。
また、遠隔地にお住まいの方を対象とした動き分析とアドバイスを行っています。
詳細は「スタジオ操」のホームページ内の「遠隔サポート」をご覧ください。

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