故障をさせない工夫

慢性的な要素が大きい故障と、アクシデントによるケガはまったく別物だと思います。

それがまったく同じもののように扱われて、あのチームはケガが多い、あの選手はケガが多いというような言われ方をしてしまいます。

アクシデントによるケガは、基本的に相手との接触によっておこるものを指します。

慢性的な要因による故障は、筋肉の炎症や肉離れ、腰痛や首の寝違えなどをこちらに分類します。

ただ、アクシデントと言っても、本来その選手の動きがもっと良ければ、うまくかわすことができたとか、瞬間的な動作によって起こった肉離れが、本人の管理不足なのか、アクシデントなのか、難しい部分もあります。

それでも、ここまで準備しておいたのだから、このアクシデントは仕方がないと自他ともに認められるような自己管理ができていたのなら話は違います。

きちんと準備をしていなければ、起こるべくして起こったと言われても仕方がない場合もあります。

ですから私の仕事としては、与えれた環境の中で、どれだけの準備をさせるかということに尽きると思います。

通算7シーズン関わらせてもらった社会人野球のチームでは、もっともそれが理想に近い形で行えた例だと思います。

プロのチームのように、ケアを行うスペースもスタッフもほとんどいない状態で、いても一人というチームがほとんどです。

午前中はそれぞれ会社員として働き、昼食を取った後にグランドに集合して練習が始まるという環境です。

プロチームのように、練習開始より早くグランドに来て、クラブハウスで風呂に入って体を温め、トレーナーからマッサージを受け、自分でストレッチや軽い負荷でトレーニングをして、万全の状態で練習に臨むなどということは不可能なのです。

そうなると、練習最初のウォーミングアップは、もっとも重要なメニューということになります

一昔前の社会人野球は、全員でグランドを何周かして、全員で軽く体操をしたり、各自が思い思いに体を動かして終わりという、なんとも意図の見えないことが当たり前のように行われていました。

野球は試合時間は長いですが、一つのボールに対している当事者が行うプレーは短い時間で、まさに瞬発力が要求される、静から動のスポーツです。

そのプレーを行うために、さらに長時間にわたって続く練習に備えるために、まったく対応できていないと考えました。
これではケガをしても仕方がないと思ったのです。

そこで、約50分間の時間をかけ、ウォーミングアップとトレーニングをミックスした内容のメニューを作り上げました。

もちろん全員に同じ動きを要求します。

手を抜く選手に対しては厳しい姿勢で臨みました。

50分間のメニューの中身は、内容も順番も考えつくして作ったもので、どれかを省くこともできないし、それ以上加える必要もなく、それさえしっかりやってくれれば、そのあと行われる練習に対して何の不安もなく全力で取り組むことができると、選手たちに納得させて行いました。

それでも何かあったら、あとはしっかり面倒を見るから思い切ってやってくれということです。

またこれを続けることで、身体能力の向上も図ることができ、一石何鳥の効果があるとも言いました。

長時間の練習のため、間食にバナナとオレンジジュースを支給して、練習に集中できるようにもしました。

そして最も重視したのは、練習の後に全員で行うパートナーストレッチです。
これは先輩後輩関係なく、二人一組になって行うストレッチです。

約15分をかけ全身くまなく丁寧に伸ばしていきます。

ここまで行っているチームはおそらくどこを探してもないと思います。

お互いに行う方と受ける方が交替しますので、体の仕組みを自然と学ぶことができます。

限られた人数で活動しますので、お互いの信頼関係が築け、チームの連帯感を高めることにもなって行きました。

私が関わっている間には、慢性的な要因の筋肉の故障はほとんどなかったと思います。

自分の体は自分で守るという意識と行動が、ケガや故障を少なくする最も大切なことなのではないでしょうか。
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目標設定の大切さ

無理なく連動して、しなやかで、それでいて力強い動作。
何となくイメージしていただけたでしょうか。

体が大きいイコール力が強い、だからかなわない。

日本が戦争に負けて、その復興をアピールするために行われた東京オリンピックの頃は、まさにそういう時代でした。

欧米の体の大きな選手たちと、日本人の体格を比べれば、そう思う人がいても当然でしょう。

体重別の階級制が取り入れられた種目でも、食べているものが違うからと、今では何のことか分からないようなことさえ言われていました。

日本で本格的にウエイトトレーニングが取り入れられたのは、まさにその東京オリンピックで一つでも多くメダルを獲得するためにと、その数年前から海外を視察した人たちが目の当たりにしてきたトレーニング方法だったのです。

もともと体の大きな選手たちが、タンパク質たっぷりの肉食で、そのうえあんな凄いトレーニングをしているのかと、日本人は驚いてしまいました。

その頃の日本で、ウエイトトレーニングらしきものを行っていたのは、まさに本職のボディビルダーと、ウエイトリフティングの選手たちだけでした。

ですから、他の種目の選手たちがウエイトトレーニングを行おうとしても、道具もなければ指導者もいないという、ないない尽くしだったのです。

お家芸の柔道やレスリングといった、取り入れていて当然と思われていた種目の選手たちでさえ、筋肉が硬くなるだとか、そんな時間があったら練習した方がいいと、せっかく視察してきた人たちの意見も取り入れられなかったようです。

そして時代は変わり、どんな種目でもその大切さは認められ、時間をかけて取り組まれるようになりました

だからこそ今、正しい理論に基づいたトレーニングを行わないと、結局はまた何十年か後には、やっぱりあんなことはやらない方がいいんだよという人が出てくるかもしれません。

もうそんなことはないと思いたいですが、何事にもサイクルがあって、きちんとした理論と結果が伴わなければ、絶対にないとは言い切れないと思うのです。

トレーニングをすればケガをしない体になる、そんな言い方も当たり前のように言われるようになりました。

このことは、このブログでも詳しくお話してきましたが、トレーニングをする、体が強くなる、だからケガをしにくくなる、というような単純な話ではないのです。

引退した選手ですから実名でもいいのですが、いちおう〇本選手と呼びます。
広島カープに入団した当初は体が細く、とてもプロではやっていけないと自分で考え、まさに肉体改造と呼ぶにふさわしいトレーニングで、筋力と筋肥大を獲得し、連続出場記録をつくり2000本安打も達成して一流プレーヤーとなりました。

では彼はその後ケガをしなかったのでしょうか。

指を骨折してもスタメンに名を連ね、片手でバットを振り続けホームランを打ったり、肩の痛みでろくに返球もできないまま守備位置を明け渡すこともありませんでした。

それはある意味凄いことではありますが、チームの勝利のために、応援しているファンのために、他に選択肢はなかったのでしょうか。

トレーニングによってケガをしない体を獲得したとはとても言えません。

まだ現役ですが、良い方の例えなので名前を出しますが、ヤンキースのイチロー選手は、アメリカに渡って以降も、肉体改造をして体重を増やしたとか、筋力アップに努めたなどという話は聞いたことがありません。

日本にいた時から取り組んでいた、関節の可動域を広げ、筋肉の柔軟性を増し、体の連動性を高める、まさに私が言い続けていることを実践し、居並ぶ大男たちの中で、彼が持って生まれた能力を磨き続けることで、最高のパフォーマンスを発揮し、ほとんど故障らしい故障をせず現役生活を続けています。

こういう体がケガをしない体であり、こういうトレーニングこそがケガをしない体を作る、本来の意味の正しいトレーニングであることは、誰の目にも明らかなのです。

一野球選手として好きか嫌いかと言われれば、私自身の好みの問題で、彼の言動にあまり興味はないのですが、〇本選手や〇原選手には、トレーニングをすれば近づけるが、イチロー選手のようにはなれないと思っている人が多いのです。

私はまったく逆だと思います。

自分の持って生まれた能力を余すことなく発揮できるようになることは、誰にでもできることです。

ただそれがどこまでのレベルにあるかは、その人次第です。

それを言葉は悪いですが、体に無理な負荷をかけて大きく強くしたところで、もともと大きくて強い選手の自然な動きに対抗できるはずがないのです。

私がサンフレッチェ広島の一員として、初めてキャンプでスウェーデンに行った時のことです。

練習試合の相手は、いまの日本で言うと地域リーグのレベルでしょうか、普通に仕事をして夜に練習をしているような人たちだったと思いますが、とにかく体がでかい、強い、速い、私はサッカー自体はまったくの素人でしたので、日本のというかサンフレッチェのレベルがどういうものなのか、まったく分かりませんでした。

それが、ヨーロッパのアマチュアチーム相手ということで、こちらの方が色々な意味で上なのかなと思って見ていたら、身体能力だけでなく、ボールスピード、パススピードの速さにびっくりしました。

日本人の特徴であるスピードや俊敏性を磨く以外に、こういう人たちに対抗する方法はないと思ったのです。

体の大きさだけなら、最近欧米人に負けないような選手も出てきましたが、やはり大きさや強さで対抗するのは無理があると思います。

そのためのトレーニングの方向性として、それぞれの人間が持って生まれた能力を余すところなく発揮できるようにすること、これこそ本当の意味での目標設定ではないでしょうか。

その結果には優劣がつきます。

ある人はいわゆるアマチュアレベルで終わり、ある人はプロにはなれたけれど、それほど活躍はできなかった、またある人はプロとして世間に知られる存在となった、そうして篩にかれられていく中で、それぞれの競技で日の丸を背負い、国を代表する選手にまで羽ばたいていけるのではないでしょうか。

今DNA検査で、スポーツ競技の向き不向きまで、選別を行うことができるなどという報道も見ましたが、そういうことではなく、それぞれが夢と希望を持って、チャレンジしていく姿こそ尊いのではないでしょうか。

連動のイメージをさらに

今回はラットプルダウンの動きで、連動の意識を高めていただきたいと思います。

このマシンは、本来であれば鉄棒にぶら下がって自分の体重を負荷にし、懸垂を行うことで鍛えられる背中の広背筋を、より効果的に刺激するために考案されたマシンです。

現実的に懸垂が10回以上できる人は少ないと思いますし、出来るよという人でも両手の幅はほぼ肩幅くらいで、広背筋というよりも、肘を曲げる上腕二頭筋が主導筋になっていることがほとんどです。

マシンで行うような、両手をガッツポーズをするときのように開き、ゆっくり体を上下させることは、よほどトレーニングを積んでいる人でないとできないと思います。

まずは両手を肩幅以上に開きマシンに向かって座ります。
重量は普段よりも軽めに設定してください。

この時バーを強く握ってしまうと、そのまま屈筋群にスイッチが入り、肘を曲げ胸やお腹に力が入ることで背中が丸くなり、本来の広背筋に刺激が行かなくなるので、グリップバンドなどを使うことをお勧めします。

動き出しの意識は、シーテッドローイングの時と同じで骨盤を真っ直ぐ立てることから始めます。

その動きが背骨を大きく反らし、背骨のS字の湾曲を強調します。

するとバーにぶら下がっていたことで、左右に羽を広げるようなポジションにあった肩甲骨の下端が、背骨の動きに合わせて中央に寄ってきます。

左右の肩甲骨がくっつくような感覚です。

その時腕を曲げてバーを引き下ろそうという感覚はありませんが、肩甲骨の動きに合わせ肩から肘の上腕部は体側に向かって近づいていきます。

その時すでに、ピンをさした何十㎏かの重さは持ち上がっています。

バーを引き下ろしたから重量が動いたのではなく、骨盤を立て背骨を反らし、肩甲骨が動いたからバーが引き下ろされ、重量が持ち上がったという流れが大切なのです。

首の後ろに下すのであれば、そのまま今の意識を強くしていくことだけを考えます。

もう少し低いところまで下さなければと思った瞬間、肘を曲げることに意識が行き背中は丸まり、まったく違う体の動きになってしまいます。

まだ後頭部の上の方でそれ以上下がってこないのなら、そのポジションをフィニッシュポジションとしてしっかり意識を集中すればよいことで、それ以上は必要ありません。

もっと低いポジションまで持ってきたければ重量を下げればいいだけのことです。

胸の前に下してくるときは、軽すぎるとお腹のあたりまで下している人も見かけますが、これもまったく目的から逸脱しています。

ゆったりとしたつながりの中で体の動きに集中できる重量が、その時のトレーニングに対してベストな選択となります。

背中から首にかけての大きな筋肉ですので、正しい動きで刺激ができると割と短期間に変化が実感できます。

見た目に姿勢が良くなったとか、ワイシャツや上着が窮屈になったなどという感想は例外なく聞かれることです。
もちろん最初は重く感じた重量が、とても軽く感じられ、一枚二枚とピンをさす位置が変わってくるでしょう。

15年くらい前ですが、捕手として入団してきた選手が、親しくさせていただいていた当時のコーチに連れられて、以前使用していた施設を訪れてくれたことがありました。

もちろん私などよりはるかに筋力のありそうな体つきでしたが、このラットプルダウンはどうやっても私の方が重い重量を軽そうにやって見せることができたのです。

彼はむきになって力んで引き下ろそうとしますが、まさに腕の力だけでやっているだけですから、結果として重量も動作も、私の方が勝っているように見えるのです。

もちろん説明はしましたが、彼は残念ながらそのことには気付いてくれなかったようで、重量回数のトレーニングを続けたようでした

それだけが原因ではないと思いますが、数年でプロの世界から消えていきました。

以前にも紹介したように、重いものが持ち上げられるようになった、回数がこなせるようになった、結果として体重が増え体も大きくなったというレベルの効果で、実際のスポーツ動作の改善や競技成績が向上できるのであれば、ベースになっているレベルが低かったというだけのことです。

さらにその上を目指したいのであれば、もっともっと細かい動き作りに目を向ける以外、我々日本人が世界と戦う体を作ることなどできるはずはありません

自分の目標がどこにあるか、肉体改造ということばに踊らされて、進む方向を間違えないでほしいと思います。

動きが洗練されてくると、当然扱える重量が増えてきます。

同じ意識で同じように動かしているつもりでも、筋力は確実に強化され可動域は広がり、しなやかで強い、まさに動ける体が出来上がっていきます。

言葉で説明するのは本当に難しいことです。

私はこのブログの閲覧者が、毎日1000人を超えるようになったら、東京かどこかで100人くらい入れる会場を借りて、直接自分の体でやって見せる講習会をやりたいと思っています。

現実的な数字ではありませんが、私の理論に共鳴してくれる人が一人でも多く、一日でも早く増えてほしいと思っています。

このままでは〇〇トレーニングという流行が、次から次とやってきては消え、結局は何が大事だったんだという現実が延々と続いてしまいます。

どうにかならないでしょうか。


ブログを読み、私に興味を持っていただいた方から、、直接話を聞きたいというコメントをいただいています。
残念ながら、新しい施設を準備中で、一か月先の予定も立てられない状況です。
まずは私のどういうところに興味を持っていただいたのか、何を聞きたいのか、コメントを通してやり取りさせていただければ、他の読者の方々にも参考になると思うのですがいかがでしょう。

もちろんほかの方々にも、ご意見やご感想をお寄せいただき、できるだけ一方通行にならないようにしたいと思っていますので、よろしくお願いします。

裏の筋肉

広島市内、久しぶりの雨が降っています。
昨日であれば、松山に向かう高速船に乗るのに、多少の影響があったかもしれませんし、みんなが楽しみにしていた花火大会も中止になってしまったかもしれません。

晴天が続き、水不足に悩まされている地域があったり、大雨で被害が出ている地域があったり、我々人間の文明がどんなに進んでも、自然の力にはかないません。

さて、一般人の方でも継続することで習得できる、といっても持って生まれた能力を使えるようにするだけなのですが、それでも若いスポーツ選手以上にしなやかな動きに見える秘訣はどこにあるのでしょう。

人間の筋肉には屈筋と伸筋があると言いました、見た目にも機能的にも目立つのは屈筋の方です、言葉のイメージは悪いですが、敬意を込めて「裏の筋肉」と呼んでいます。

胸の筋肉お腹の筋肉、腕を曲げる力こぶ、体力自慢力自慢を誇示するときの決めポーズは、そうした屈筋たちを収縮させ、見る人に誇示し圧倒させるのが常です。

ところが日常の動作において、圧倒的に活躍してくれているのは間違いなく伸筋の方です。

ただまっすぐ立っている時、歩いている時、自転車をこいでいる時、こうしてパソコンのキーボードをたたいている時、ほとんどの状況で、明らかに屈筋よりも伸筋が仕事をしてくれています。

スポーツの動作でも、走る・跳ぶ・投げるという基本的な動作から、相撲や柔道などの組み合う動作においても、実は引き付けると表現され、いかにも屈筋が仕事をしているように見えても、実は伸筋が主役の場合が多いのです。

例えば相撲で回しを引き付けると言いますが、単純にその言葉どおり力こぶの二頭筋を主役にして、まわしを引き付けると自分の体の重心が浮いてしまうことが分かります。

引くというよりも、上腕三頭筋で肘を絞るような感覚で、相手のまわしをがっちり押さえこむ、という表現が正しいのではないでしょうか。

競技綱引きを見たことがあるでしょうか、子供の運動会で行われるような綱引きでは、まさに屈筋を使って腕を曲げることで綱を引き合っていますから、効率が悪いことこの上ない運動になっています。

まあお互いがそう思ってやっていますから、私がむきになってこうやった方が勝ちますよという必要もないのですが。

競技綱引きは、全身の関節の伸ばし比べをしているようなものです。

膝・腰・背骨・背中・腕と関節という関節を伸ばすことで、相手の力と対抗しています。

唯一曲げているのは綱を握るための指の関節です。

私は本格的に綱を引いたことがありませんので、軽々には言えませんが、肘を伸ばすことと指を握ることのバランスは、やった人にしか分からない微妙なバランスだと思います。

そうやって私は、人間の行うどんな動きにも、私自身のフィルターを通して見ることが当たり前になっています。

目の前に繰り広げられている現象は、同じ目線から見て写真やビデオに撮れば、後で見直しても全員が同じものを見たはずですし、見えたはずです。

ところがそうやって同じ物を見ているつもりでも、私の網膜を通して脳が認識している情報はまったく違うものである場合が多いのです。

みんな私と同じ景色が見えている時、同じように見え、同じことを感じている。

それがそうではなかったことに、今年の前半初めて気付きました。

少し遅すぎました、それが周りと自分がかみ合わない最も大きな根本的な問題だったのですから。

さて、どうやったら伸筋が自然にしなやかな動きを行ってくれるのでしょうか。

それはどこかを動かそうという発想を捨てることです。

どこかを動かそうと思った瞬間、実はほかの何か所も、というより全身が一つになって動きだすという感覚が分かれば、どこかだけをムキになって頑張らせること、一言で言ってしまえば「力む」ということが必要なくなるのです。

力んでいることイコール頑張っている、頑張っているように見えることが一生懸命やっていると、自他ともに思い込んでいるのです。

シーテッドローイングというマシンを使ったトレーニング種目をイメージしてみてください。

ケーブルにつながったハンドルを握り、両足をストッパーに乗せて膝を少しだけ曲げた状態で踏ん張り、上半身は前傾した状態から、体を起こしハンドルを引き付けて背中の筋肉を鍛えましょうというコンセプトのマシンです。

凄い体をした方が、100㎏を超える重量を引っ張る姿は迫力満点です。
それぐらいの筋力がある方でも、80㎏くらいの重量を扱う時でも見た目は同じような体の使い方をします。

ところが私が指導した方の動きはまったくイメージが違います

まず前傾した姿勢から、太腿の前側の筋肉を意識して膝の角度が変わらないようにします。
そのまま腕にはほとんど力を入れずにハンドルバーが握り続けられる力だけにしておきます、この時さらに力が要らないようにグリップバンドなどを使ってもらうこともあります。

膝が意識できたら骨盤を立てていきます、骨盤の一番下の坐骨だけが座面に着いている感じになるくらいしっかり骨盤を立てていきます。

そうすると自然に骨盤から腰椎の一番下の部分が起き上がるように反っていき、背骨全体が大きく前後のS字カーブを描いていきます。

背骨がそういう風に動くことで、腰から背中の大きな筋肉が、骨の動きをより反らしやすく協力してくれ、背骨が反ったことで左右の肩甲骨が内下方に寄ってきます。

これはそういう風にやろうと思わなくても、体の構造で自然にそうなっていきます。

すると引き寄せられた肩甲骨の動きに呼応して、すでに両肘は胴体の横まで引き付けられています。

ハンドルを握った手で、重量を引っ張ってやるぞと力まなくても、骨の動き関節の動きを丁寧に連動させていけば、勝手に重量に対して必要な筋力は発揮されていたのです。

最後に動いてきた体全体の意識を一気に高めれば、完全なフィニッシュポーズとなり、まさに全身の連動を実感できます

そんな簡単なことでと思われるでしょうが、これで私が言い続けている持って生まれた能力は十二分に発揮できる体に変わっていくのです。

その連動ができないような、必要以上の重量を扱えば、動きの中から自然さが失われます

それで筋肥大が起こるのかという質問も受け続けていますが、その方の求める動きに必要な筋量は間違いなく獲得できます。

一般の方が週に一度の頻度でトレーニングを続けていただき、早い方で一年もすれば上着のサイズが合わなくなったと不思議な顔をされます。

週に二度も三度も苦しいトレーニングを続けていても、ほとんど効果を感じられなかったのに、たったの一度それも1時間弱のトレーニングで、どうしてこんなに変わったんだろう、驚かれるのは当然です。

これが体に対して正しいアプローチをした結果なのです。

次回は別の種目で、もう一度「連動の手順」を説明します。

四足歩行をお手本に

プロのスポーツ選手より、動きの質が高い一般人の方もいます、と前回断言しました。

それがどういう動きのことを言っているのか、おそらく想像がつかないと思います。

誰がどう考えても、一般のそれも60歳をゆうに超えた方が、親子どころかお孫さんに近いような年回りのスポーツ選手より、どういう部分が優れているというのか、今回はそこを掘り下げてみたいと思います。

単純に見た目の体格や、身体能力の指標となるテストの数値などでは、もちろんスポーツ選手にかなう訳はありません。

人間も言うまでもなく地球上に存在する動物の一種です。

長い進化の過程を経て、まるで地球が人間だけのものであるかのような文明社会を築き、生活しています。

生物としての我々は、男性で18歳、女性は少し早く16歳で、肉体的には完成します。

そしてその後は、残念ながら少しずつ衰えていきます、これが現実です。

これがこと運動能力という面から見れば、的確なトレーニングを継続することで、数値上の向上は一定の年齢まで見られますし、それぞれのスポーツ動作には経験値も重要な要素となりますので、そういう要素を含めれば、16歳18歳が運動選手としてのピークであるとは言えません。

それでも現実的に、そのくらいの年齢がピークに近くなっている競泳のような種目もあります。

人間が二足歩行になったことで、得たものはもちろんたくさんありますし、四足歩行のままでは今のような文明は有り得なかったと思います。

しかし、二足歩行になったことで失われてしまった能力もたくさんあると思うのです。

その一番大きな部分が、背骨を介しての肩関節特に肩甲骨と、骨盤の動き特に股関節の連動性の低下です。

四足の動物の動きをじっくり見てください、股関節や肩甲骨などという部分の動きではない、まさに全体が一つになって動いています。

会話はできませんが、歩いている犬や猫に、今どこを意識して動いたのとか、走り出す瞬間にはどういうところに力を入れたのとか、人間どうしなら、根掘り葉掘り質問攻めにされそうなことを聞くまでもなく、まるで自然に無駄なく体を使っていますよね。

人間は二足歩行になったため、上半身とくに肩関節から先の腕の独立性が格段に高まりました。
逆に言えば、それぞれが勝手な方向に動いてしまうことで、全体の調整がうまく出来なくなることで、体の歪みや違和感、そして痛みへと進んでいくのです。

そのために私が考えたのは、最初からすべてを連動させて、四足動物のような滑らかな動きを作りましょうでは、絶対に無理なので、頭でっかちの人間には、まず一か所を起点にした動き作りのトレーニングから始めてもらうのです。

まずは肩甲骨、ほとんどの方は肩甲骨というものの働きや、その物自体が動いていることすら気付いていません。

肩甲骨を動かしてくださいと言っても、見た目には肩自体を上げ下げしているだけで、肩関節が動いているだけです。

私がやって見せると、肩甲骨自体が大きく前後左右に動いて見えますので、初めて見た方は別の生物を見るように驚かれます。

実は私が肩甲骨を動かしている時、骨盤と背骨がしっかりとサポートしてくれています、けっして肩甲骨が単体で動いているわけではありません。

肩甲骨なんて動くはずがないと言っている人ほど、他の部分はまったく参加せず、肩関節だけを上下に動かしているだけなのです。

これが二足歩行になった弊害です。

四足歩行の動物には、逆に肩だけを動かしてなんてできないのです。

何百本の糸を使って操る、精巧に作られたマリオネットをイメージしてください。
どこかを動かすために、その部分だけの糸を動かそうとすれば、他の糸が緩んだり引っ張られすぎてしまい、人形全体としての動きが自然ではなくなります。

一か所が動くためには、すべてが連なりあって動かなければなりません。

そういうイメージのトレーニングを繰り返していただくことが、力みのない自然な動きを作り出し、極端な例だと体格では全くかなわないスポーツ選手と同じ重量を、一般の方が、いとも簡単に扱うことができるようになったりするのです。

ここまで来ると、見た目の体の大きさとか、スポーツ選手だからという先入観をすてて、素直に動きを見比べていただければ、スポーツ選手以上の動きを表現できる、一般の方がいらっしゃることは何ら不思議なことではないのです。

肩甲骨と背骨、股関節の連動動作、次回さらに続きます。

理想のトレーニング

これまでにも「これが理想のトレーニング」というものは存在しないと言ってきました。

トレーニングに取り組む目的によって、やり方が一通りでないことは誰が考えても分かることだと思います。

その中で、様々な方法論が生み出されてきました。

基本となる運動生理学や解剖学といった、医学的なベースになる部分も、昔正しいと言われたセオリーが、今では全く間違っていたなどということも現実にあります。

有名なアーノルドシュワルツネッガーが好んで行っていた、「ハイボリューム・トレーニング」は、引用文ですが「低強度の比較的軽いウェイトを使用し低強度で行うため、セット数とレップ数を増やし、トレーニング頻度も多くする。レップ数は10~20レップくらいで行い、セット数は20~30セットと言う、かなりのボリュームで行う方法」だそうです。

世界一になったボディービルダーが採用した方法とはいえ、当時から逆の発想で、高強度で少ない回数で行う方法が、より効果的だという考え方もあって、真っ向から対立していたようです。

ボディービルディングという、明確な目標に対してでも、これ以外にも様々な考え方が存在しているくらいですから、他のスポーツの選手や、一般の方がトレーニングとして行うのであれば、それはもう数えきれない考え方があっても仕方がないことかもしれません。

そういう百花絢爛、玉石混交のトレーニング理論がある中で、いみじくも私の考え方を「セオリー」として残したいなどと大口を叩いたのも、操体法から始まった私の体への思いが、過去現在と存在するトレーニング論が、すべて我々人間の身勝手な考え方というか、体を道具として扱ってしまっていることに危機感を持っていたからです。

我々人間には、持って生まれた素晴らしい能力があります。

関節の8方向への展開をベースに、驚く程自由に体を操ることができるという能力です。

それらを、それぞれの環境で生きていくために、上手に使いこなしていかなければなりませんが、どんな環境でも使い慣れて上手に動いてくれる動きと、まったく使わなくても生活できるのなら、使わず仕舞になってしまう能力も存在します。

例えば私の好きな「鶴瓶の家族に乾杯」に登場する山里の80歳をゆうに超えたようなお婆ちゃんが、曲がった腰で鍬を上手に使って畑を耕しているシーンなどみていると、おそらくレポートに赴いた芸能人や若いスタッフの誰もお婆ちゃんのように鍬を打ち続けることはできないでしょう。

逆に、お婆ちゃんに重いカメラやマイクを持ってくださいと言っても、それは違う意味で大変な労力を使うことになり、やはり若い人にはかなわないということになります。

人間の体はその環境に適応して、きちんと働いてくれるようにできているのです。

スポーツ動作でも同じです、どんなに激しい運動に見えても、関節の運動方向や可動域は、競技やポジションによってかなり異なります。

できれば、普段は使わない運動方向や可動域に対しても、きちんと刺激を加え、いつ何時そのポジションが求められても対応しておくことこそが、現実的にパフォーマンスを向上させケガの予防にもなるのです。

練習や試合の翌日など、そういう感覚でトレーニングを行えば、体のクールダウン(筋肉の柔軟性を取り戻し、疲労回復を早める)としては最も理想的な時間の使い方だと思います。

そういう発想に至ったのは、操体法に出会い8方向を基本にした関節の運動が、人間の体の動きを作るベースになっていることに、早くから気付いていたからにほかなりません。

私にとってのトレーニングとは、「持って生まれた能力を余すところなく発揮できる準備をすること」であり、それはある意味、老若男女すべての人に当てはまるものだと思うのです。

「プロスポーツ選手と一般の我々が同じトレーニングをするのですか」って思いますよね、私の答えは「はいそうです」、となります。

そんなバカなと思われるでしょうが、現実60歳直前から、4年5年とトレーニングを継続していただいた男性の方は、私の指導するトレーニング初心者のプロスポーツ選手よりも、間違いなく動きの質が良いです。

これは誰が見ても分かりますし、悔しいでしょうけれど選手自身にもはっきりとその違いが認識できます。

それほど人間の能力には眠っている部分がまだまだたくさんあります。

その能力をきちんと発揮できるようにしてあげることができれば、選手としての質は間違いなく向上し、成績にもはっきり反映されるはずです。

一般の方であれば、年齢を感じさせない若々しい動きで、これこそ小手先のアンチエイジングとは違う、本当の意味での健康の維持増進になると思います。

次回、子供から大人まで、一般人からプロスポーツ選手まで、どういうトレーニングが効果的なのか、話を進めていきます。

これからのこと

午前中、内装業者さん、施工業者さん、そして広島市の担当者の方を交えて、現地での最終確認作業が行われました。

私ももうすぐ55歳、一般の会社勤めの方であれば、定年まではまだ数年あるが、元気なうちに早期退職して自分のやりたいことをやって、人生の後半戦に夢を持とう、そういう感じで起業されたりする方も多いのではないでしょうか。

私は32歳で会社を辞め、操体法を学び鍼灸師の資格も取って、個人開業という形をとりました。

今こう言う状況になったからといって、改めて別の何かをということができるほどの能力もありません。

これから一つずつ歳を取っていきますが、いわゆる治療院の形態をとれば、場所もそんなに広くはいりませんし、設備にお金をかけることも必要にならないのかもしれません。

しかし、私にはどうしても二つの顔が必要なのです。

32歳で初めて治療院を作った時には、もちろんベッドがあるだけのスペースでした。

その場所で仕事をしたのはたったの2年間でしたが、そこでの仕事を通して、通ってきてくださる方が本当の意味で健康を取り戻し、元気に暮らしていただくためには、ベッドの上の施術だけでは限界があると感じていたのです。

もちろんそんなことを望まない人も多かったとは思いますが、運動部の学生だけではなく、年配の女性の方や普段運動に縁のない方にも、私なら的確な指導ができるのにと、ずっと思っていました。

広島に来る直前には、3台置いていたベッドを1台にして、何種類かの機械を置いて、私流のトレーニング指導を始める準備をしていましたので、おそらくそういうことになっていたと思います。

何人かの方から、初期投資を応援するから、特別会員扱いで定期的な指導をしてほしいと言っていただいたのです。

いくら宇和島が小さな町だと言っても、当時でもスポーツクラブはありました。
月々の会費を払えば、自由に使えるシステムはあの頃から存在していたはずです。

ただこれは今も変わらないと思うのですが、たんに会費が安いとか高いとかいう金銭的な問題ではなく、自分にとって本当に必要な指導を受けられるかどうかということに尽きると思うのです。

その後広島に渡り、プロチームのトレーナーとして仕事をすることになったわけですが、当然のごとく体のケアとトレーニングは表裏一体のもので、自分の求めていた環境がそこにはありました。

その後、神戸を辞めた後、自分の施設を作らなければならなくなった時、賃貸マンションの1室という環境ではありましたが、無理をしてトレーニング機械を購入し設置して、チームにいた時と変わらない環境で仕事ができるようにしました。

今回も同じです。

自分の年齢や諸条件を考えても、治療院という形を取った方がゆくゆくは楽なのかもしれません。

現実的に、安くはないお金を払って、1時間私とマンツーマンでトレーニングをしたいという方が、どれだけいるのかは分かりません。

それでもやはり自分のスタイルを貫いて、体と向き合っていきたい、体の続く限り自分の理想を追い求めていきたい、単純な男です。

新しい施設は、8月のお盆休み明けをオープンの目安としていますが、少し遅れるかもしれません。
私の人生、自分でも驚くほど先の見えないことが続いています。

今度こそ、最後の城を作らなければなりません。

木を見て森を見ず

今日は私がなぜこの仕事を続けているのか、自分の頭を少し整理してみたいと思います。

サラリーを辞めて20数年になります。
学生の頃には、こういう仕事に付きたいとは全く考えたこともありませんでした。
それがある方との出会いから、医師でなくても人の体そのものを相手にして、喜んでいただける仕事があることを知りました。

それから紆余曲折の人生が始まったわけですが、最初からプロのチームや選手を相手にしていたわけではありません。
故郷である愛媛宇和島に帰って治療院を開業してから、来てくださる方お一人おひとりの体から様々なことを学ばせていただき、少しずつ自分のスタイルというか、身体に対する向き合い方が出来上がっていきました。

大きな野望や夢を持っていたわけではなく、自分の身に付けた技術で人様のお役に立ちながら生活していけたらいいな、たぶんそんな風にしか思っていなかったと思います。

その頃は、毎月購読していた専門誌を見ながら、こういうものに取り上げられたり記事を書いている人たちは、自分の技術や知識とは別のレベルの人たちで、いつか自分の活動も取り上げられるように、などとは考えもしませんでした。

それでも近隣の学校の運動部の選手たちがたくさん通ってきてくれるようになると、指導されている教員の方からは、私がいつか日の丸を背負って、日本を代表するトレーナーになってください、などと自分では全く想像もしていなかったことを言っていただくようになり、ほんの少しですがそういう夢も持ち始めたかもしれません。

それが縁あって、あっという間にJリーグというプロの組織に入ることになり、生活は一変しました。

それでもそこで要求されたことは、宇和島で治療院を営んでいた時に発揮していた技術を、そのままここでやってくれればいいということでしたので、特にストレスを感じることはありませんでした。

二年目に入り、トレーナーを増員することになりました。
その時マツダ時代からトレーナーを務めていた同僚から、「これからはトレーナーも分業化が進んできます、チームドクターの管理のもと、選手に対してトレーナー全員が同じレベルで対応できるようになることが要求される時代になります。」と言われました。

彼は私の能力を正当に評価してくれていましたから、これは私に対して、あなたにはその能力がないと言われているのではなく、逆に、私しかできないことが多すぎると、他のトレーナーとの連携が取りにくく、選手からも頼られすぎてしまい、医療スタッフとして孤立してしまう可能性があると、心配してくれた言葉でした。

例えばAという選手が捻挫をしました、Bというトレーナーがそのケガに対して、どういう処置をしたか、チームドクターの所見はどうだったか、そういう情報をデータ化して共有し、BトレーナーでなくCでもEでも継続してケアにあたることができるという体制です。

こういう考え方は、もちろん間違っていないし、組織としてやっていくためにはこうあるべきだということは私にも分かります。

ただ私がここに呼ばれてきた一番の理由は、推薦してくれた教員の方々が、痛みを訴える生徒たちが、これまでの常識では考えられないスピードで回復し、おそらくは間に合わないだろうと思っていた試合に出場できたとか、肩の痛みでろくに練習ができないバレーボールのアタッカーが、試合会場で直前の20分の施術で、試合に臨みアタックを打ち続けるといった、漫画のような話を目の前で体験し、その技術を地方の学生相手で終わらせるのはもったいないと、背中を押されて広島まで来てしまったのです。

教科書に書いてあるような、何日過ぎたからこういうケアをしましょう、という仕事なら私でなくても極端に言えばだれでもできるのです。

選手は一日一日が勝負です。

スポーツを職業として行っているのです、それもプロとなれば、その仕事場を失うということは、そのまま生活の糧を失うことになるのです。

そういう選手たちのために、一日でも早く練習ができるようにしてあげたい、試合に出させてあげたい、そう思わないトレーナーはいないと思います。

その方法論として、私のやり方が教科書的でないことは間違いありません。
しかし、誰よりも真剣に選手のことを思い、心と身体に向き合えば、その日その瞬間まで準備もしていなかった言葉やケアの方法が、私の中から溢れ出てくるのです。

後から考えると、自分が発した言葉なのに誰か別の人間が話をしているような感覚でした。
こんな言い方をすると、まるで怪しい世界ですね。

そんな感覚になったのも、日々体に向き合いたくさんの経験を積んできたことで、その中から整理されて出てきた言葉だったんだろうと思います。

その頃はまだ数年の経験しかなかったのではと思われるかもしれませんが、操体法を学び始めてから、こと体のことに関しては誰よりも真剣に向き合ってきたつもりです、年数の問題ではないと思います。

そして自分がそういう考え方になって行けば行くほど、他の人たちが見ているものと、自分が見ているもの見えているものが違うような気がしてきたのです。

膝が痛いから膝、腰が痛いから腰、一見当たり前のようですが、本人は膝が痛いと訴えているのに、私には他の部分がこっちだよここもだよと、体全体が訴えかけてくるのです。

木を見て森を見ず、枯れかけた一本の木を見るのではなく、どうしてこの木が枯れたしまったのかを知るためには、森全体を眺め、そこを流れる川や、土や空を眺め空気を感じれば、何か訴えかけてくるものがあるはずです。

それを報告書に書け、情報を共有しろと言われても、木の枝葉しか見ていない人間に伝えようがありません。

この感覚は選手本人には分かります、膝が痛いって言うけど、こうやって腰を捻ってごらん、こんなに左右のバランスがくるっていれば膝の負担が大きくなって当たり前でしょ、だからこうやって全体を整えて、とやって行けば不思議なことに曲がらなかった膝が曲がるようになった、などということが現実に起こるのです。それでも教科書的にやってくれというのなら私の出番は終わりですが。

たぶん施術を見ている人には、何をしているか分からなかったかもしれません、それが私の感覚なのです。

魚釣りに行ったことがある人なら、テグスがもつれてほどけなくなった経験は誰にでもあると思います。
その時一番手っ取り早いのは、何か所か切ってしまって結びなおして一本のテグスに戻すというやり方です。

これでは元の長さより短くなりますし、その道に詳しい人に言わせると、結び目が多いと魚の引きの感覚も違ってくると言います。

人間の体はそう簡単に切ったり繋いだりするものではありません。
丸ごと一つの体、必ず糸の両端は存在します。

それを信じて、あわてず騒がず全体をゆったり見回して、少しずつ時間をかけてほどいていけば、必ず元の状態に戻ってくれるのです。

20数年そんなことばかり考えて体と向き合ってきました。

世間は20年前の同僚トレーナーの予想通り、誰でもできる分業化が進んでいました、残念ながらそういう組織で職人の出番はもうなさそうです。

しかし、怪しいやつかもしれませんが、私を信じて頼ってきてくださる人に対しては、怪しい能力のすべてを発揮して真剣に向き合っていきたいと思います。

普段の自分を知るために その6

シリーズに戻ります。

これまでは下半身からの動きを中心に説明してきましたが、今回は腕の動きから体がどう動いてくれるかをみていきます、名称は「腕ひねり」と覚えてください。

姿勢はまだ仰向けに寝たままです。
膝は伸ばしたままでも、立てた状態でもどちらでもかまいません。

視線は自然に天井を見上げて、そこに両手のひらを合わせて自然に肘を伸ばして、指先が視線の先の天井を指すような形をとります。

その姿勢から、合わせた手のひらをどちらかに回してみてください。

もちろん肘は曲がってきますし、肩甲骨も動きます、背中や背骨、腰や膝を立てていれば、その膝がどちらかに倒れてもかまいません。

体の末端である、重ね合わせた手のひらの動きが、どうやって体全体に伝わっていくのか、じっくり味わってください。

右に回した方がつながりがいいか、左に回した方が回しやすいか、動きを比べてみてください。

人間の体は、どこか一つの関節だけを動かそうと思っても、可動域という問題がありますので、すぐに動きが止まります。

どこかの関節だけを動かそうと思っても、実はその時には、すでに他の関節は動いています。

手のひらを回す動作自体は、手首の内旋と外旋動作です。

その動作を行うために、肘関節と肩関節は同時に動き出しています。
ですから手首の動きが止まった時点で、実は肩の動きも限界になっているのです。

肩の動きを助けるために肩甲骨が回りはじめ、背骨が横に湾曲し、骨盤が傾き、踵が伸ばされていく、そうです、これまで行ってきた動きの要素がすべて入っているのです。

膝を立ててスタートした人は、背骨の捩じり動作も加わります。

これが操体法を学ぶ上で、パターン化されたバリエーションが少ないと言われる一つの理由です。

Aという操法はここの動きを引き出せるから、どこそこの部分を改善するのに効果がある、どこそこが痛いという人には、Bという操法を行うことが効果的だ、そういう単純な発想ではないのです。

どの部分を強調して動き出しても、体の要求通りに動きを連ねていくと、誰がどうやっても体という、丸ごと一つのものとして動いてくれるのです。

ですから、ぎっくり腰でどんなに痛みが強く、えびのように丸まって動けない状態の人でも、腰が悪いのだから膝倒しをすれば改善できるという考え方では、仰向けで膝を立てるという基本姿勢が取れないから、いったいどうしたらいいのだろう、ということになってしまうのです。

ですから、これまで説明してきた「背伸び」「踵伸ばし」「膝たおし」「つま先上げ」「腕ひねり」なども、これをやらなくてはいけないとか、どういう順番でないといけないとか、ねばならないは一つもないのです。

拙著にも書きましたが、唯一注意事項は、からだとの対話に集中しすぎて気持ち良さを味わうことで、時間の感覚がゆったり流れてしまい、気付いたら布団を出るのが遅れてしまったということにならないようにしてくださいという、何ともとぼけた注意事項です。

私も毎朝、順番通りに全部なんてやっていません。
目が覚めた時に、もぞもぞっと自然に動き出す体の要求に身を任せて、なんとなく動き続けるだけです。
これって人間の本能ですよね、あくびをしながら手足を伸ばす動作など、まさに自然な体の要求です。

あとは、足首を色々な方向に回せば、布団を出て1日をスタートするスタンバイオッケーですね。

毎日とは言いません、できるだけこれまで説明してきたことを続けることで、自分の体がどういう風に動くのか、その時の感覚はどういうものか、なんとなくですがこの辺りまで倒れたとか、捻ったときあの辺りが見えたとかいう目安も、自宅の寝室ならできるかもしれません。
そうやって自分を知ることが、いざという時に自分がどこまで回復したかの目安になりますし、なにより体中の関節を8方向に動かすという、人間本来の仕組みに程よい刺激を入れ続ければ、そう簡単に体のバランスを崩してしまうこともなくなってしまうと思うのです。

いかがでしょうか、まずは自分の体を知ること、これがすべてのスタートになります。

たかが捻挫と侮ることなかれ

今日は30度を超える暑さの中、広島でも名門と言われる、広島カントリー西条コースに行ってきました。
ゴルフをしない方から見れば、この暑いのに何を好んで山の中を歩き回るんだと言われそうですが、実際暑かったです。
同伴の3人はみなさん年上の方で、最年長は65歳、しかしラウンド中は年齢などみじんも感じさせない溌剌としたプレーをされますし、スコアも普通に70台で回る強者です。

熱中症対策にはもちろん万全を期し、普段ならほとんど歩きで回るのですが、さすがに今の時期はカートで日よけと体力温存です。
本日のスコアは91点、自分としては悪い方ではないのですが、前後半ともOBが一つずつあり、短いパターを何度も外したので、納得のいくラウンドではありませんでした。

同伴者に教え上手の方がいて、今日はその指導を受けられたことが最大の収穫でした。
私にとってのストレス解消は、やはりゴルフに行くこと、これに尽きるようです。

さて今日は、先日つくばに講演に行った際に参加いただいた方から、質問をいただきましたので、そのことについて書いていきます。

内容は、「お子さんが捻挫をして、病院での検査では骨に異常はないと言われた2週間が過ぎたが、どういう日常のケアをしたらよいか」という質問です。

講演の際に、参加していただいた方は、ブログを読んでいただいて質問コメント受け付けますと言ってしまいましたので、約束通りお答えをします。

出来ればコメントは、管理者である私以外が閲覧できないカギ付ではなく、どなたもが読めるオープンな形で書いていただけると、私がどういう質問にどう答えたのかが読者に伝わり、もっとありがたいのですが。

捻挫というのは、経験したことがないという人が少ないほど、日常でよくあるケガの一つです。

その痛み具合というか、重症度も様々です。

実は私も平成8年に、サンフレッチェ広島を辞め、三菱重工広島硬式野球部に移ったばかりの時、まだ2月の初旬だったと思いますが、トレーニングの指導をしている時、自分がジャンプトレーニングの実技をやって見せた瞬間、着地で足首を捻り、その場にうずくまってしまいました。

すぐにアイシング圧迫固定をしましたが、もの凄く期待されて入ったトレーニングコーチが、いきなりケガで離脱ではシャレにもならないので、サンフレのチームドクターの病院を受診した際には手術を勧められましたが、断って保存療法で自分で何とかしますということにしました。

剥離骨折靭帯損傷というかなりひどい状態でした、足首の腫れはひどいものでした。

それでも新任のコーチが、会社の構内にあるグランドで、ギブスに松葉づえというスタイルでは恰好がつかないと、痛みをこらえて毎日自分でテーピングをして靴を履けるようにして、遠目には分からないようにして2か月くらいを過ごしたことも今となってはいい思い出ですが。

これくらいの重傷になると足の張れもひどく、本来であれば保存療法を選択してもギブス固定は絶対に必要です。

もう自分が競技者として何かをやることもないという判断と、足が動かなくても他にやること、できる仕事がたくさんありましたので、絶対に人には勧められない方法でしたが、今では普通に走ることもできるようになっています。

さて子供さんの捻挫ですが、まず捻挫をしたとい事実があれば、必ず病院に行くことをお勧めします。

言葉は悪いですが、けっして病院が捻挫を治してくれるわけではありませんが、状態を正確に把握するという意味ではX線写真で、最低限骨の異常があるかどうかは確認しておかなければなりません。

痛みが強ければ無理にはしないと思いますが、ストレス撮影といって、内側や外側に動かせるところまで捻った状態で撮影することもあります。

これは本来X線は骨の状態しか分かりませんので、捻った角度が反対の正常な足の角度に比べて、どの程度過度に捩じれるかによって、靭帯や筋肉といった軟部組織の状態もある程度知ることができるので、行われることがあります。

捻挫をして足が腫れたということは、この軟部組織に異常があることを表しています。

ほとんどは関節の角度を維持するために存在する靭帯という組織が、強い力で引き伸ばされて、本来の生理的な長さを超えてしまい、完全断裂まで行かなくても、部分断裂もしくはいわゆる伸びているという状況になっています。

その付着部分にX線で明らかな炎症が見られれば、剥離骨折の可能性も大きいということになります。

そのあたりの、どの程度痛んでいるかという判断は医師の経験という部分が大きな比重を占め、X線の機械の制度や撮影の角度など技術的な問題もあり、セカンドオピニオンやサードオピニオンを求めてもいいくらい、医師によって言うことが違います。

私が謝る筋合いではありませんが、現実何度も経験してきたことです。

骨折だと言われてギブスをつけて帰ってきた選手を、翌日私が付き添って別の病院に行き写真を取り直したら、どう見てもこれは骨折ではないという判断を受けたこともあります。

子供さんの場合は、痛みの度合いを言葉で表現することが難しいですし、例えばX線で迷うような症例でも、小学生の子供さんに対し、さらにCTやMRI検査で詳しく診てみましょうという医師はほとんどいないと思います。

具体的な指示がなく、安静にとか様子を見てという言葉に、本人も保護者の方も困ってしまうのが現状です。

そしてある程度ケガの状況を判断したうえでないと、ここから先は一般論では軽々しく言えない領域です。

私のレベルでも、X線写真を直接見させていただき、医師の判断を聞いたうえで、さらに自分の目で見て直接触ったうえでないと、処置どうこうは言いにくいのです。

今回のご質問では、骨の異常はないということ、二週間で通常歩行が可能となっていることから考えると、軽度の靭帯損傷、いわゆる靭帯が伸びたけれど、切れたり骨の付着部のストレスも大したことがなかったと考えられます。

であるならば、時間の経過を考えてもそろそろ靭帯を締める(これは私流の言い方になりますが)時期に来ていると思います。

この時期をしっかりやらないことが、なかなか治らないだとか、ゆるくなってその後、捻挫が癖になってしまったという状態を生んでしまう原因となります。

私の目の前に足があれば、私の手を使って徒手抵抗で負荷を調整して締めていく作業を行っていくのですが、もちろんそんなことはできませんので、市販のゴムバンド、なければタオルでもいいですから、足首を痛みのない角度に反らした状態で、様々な方向から負荷をかけ、角度を保てるように頑張らせることで、筋肉・靭帯を締めていくという方法が考えられます。

これも言葉で説明するのは非常に難しいのですが・・・。

診ていただいている医師の言われる通り、この時期に無理をすることは得策ではありません。

しかし、何もしないで安静にして、痛みがなくなったから次はこうやってというやり方では実際遅いのです。

伸びた靭帯に上手に負荷をかけるやり方と、本人がもう全然痛くないよというまで休ませてしまった後から動かし始めるのと、予後は明らかに違います。

しかしこれも私の経験によって作り出された考え方で、誰かに真似をしてくださいと言っても、プロチームのトレーナーでも嫌がりました、痛みを増幅させたら自分の責任問題ですから。

さてこれが答えになったでしょうか、引っ張りの負荷に対して角度を維持するというトレーニングを、軽く軽く根気よくやってみてください。

スポーツにおける地域格差

今しがたツイートしましたが、昨年まで関わった社会人野球のメインイベントである、都市対抗野球大会が東京ドームで行われています。

私が子供の頃は、スポーツといえば野球がメインで、各地方の主要企業は必ずと言っていいほど硬式野球チームを持っていました。

私の高校の先輩にも、地元や県外の企業チームに進んだ方はたくさんいました。
それほど狭い門という訳でもなかったのです。

公式戦ともなると企業をあげて、社員どころかその家族まで動員して、まさにカネや太鼓の鳴り物を使っての大応援で、企業の一体感を醸し出す絶好の媒体でした。

その名残が、今でも東京ドームの応援席で繰り広げられています。
野球に興味のない人でも、入場料は内野席でも安いので、応援を見にドームに足を運んで見てください。
企業やそれぞれの地方色を全面に出した、グランドを見ているより面白いほどです。
間違いなく楽しんでいただけるはずです、私が保証します。

裏技ですが、どちらかのチームの応援受付に行けば、入場券に加えて応援グッズや軽いお弁当までもらえるチームもあります。
自チームの応援席を少しでもいっぱいにしたいので、チーム関係者でなくても喜んで入れてくれます。

その勝敗なのですが中国地区の戦績が思わしくありません。
私が初めて関わった平成8年には、準優勝という結果を残しましたが、それ以来夏の大会では上位に入ることができなくなりました。

社会情勢の変化で、企業チームは次々と活動を中止し、チーム数は激減してしまいました。
企業色は残っているものの、クラブチーム化したチームもたくさんあります。

そうなると、有望な選手にとっては売り手市場で、まずはプロからの誘いを優先し、次の選択肢となるのが、安定した大企業のチームということになるのです。

選手を引退した後のことを考えれば当然のことです。
さらに、大学が関東のリーグであれば、そのまま在京の企業チームを希望するのも仕方のないことです。

そうした状況の中で、地方のチームは大きな実績はなくても、何年かかけて育てられそうな原石のような選手を探し出す努力をしなければならないのです。
これはプロのスカウトも同じことを狙っていますから、こんな選手がいたのかという原石を探し出すのは至難の技です。

そうした中でも九州のチームが、ほとんど地元出身の選手だけで全国大会上位を維持し続けたことは、地方のチームに希望をもたらせました。

私もそういう状況の中で、個人の身体能力の向上や練習内容を工夫したり、選手の意識を変えることで、全国に通用するチーム作りのお手伝いをしたいと頑張ってきましたが、この環境の中では自分の力でできることもここまでかなと、昨年末に卒業させていただきました。

この20年様々な環境を経験して思うことがあります。
選手の素質云々は別として、スカウト活動をして行く中で選手の身体的な状況の把握があまいようなきがするのです。

だいぶ前から個人情報保護法という言葉が一人歩きして、選手の怪我の既往歴等が秘密にされたり、把握はしていても詳しいことまで聞き取れていないことがほとんどなのです。

送り出す側としては、何とかして採用して欲しいわけですから、選手にとって不利になることは言いたくないのは当然です。
しかし、そうやって採用された選手が、入団以前の故障が原因で活躍できないまま消えて行く例が後を絶たないのです。

それは本当にその選手のためになったのでしょうか。

そういう選手を受け入れて、ケアしていかなければならない医療スタッフには大きな負担となります。

有望な選手にとっては売り手市場だとは言いましたが、そうでない選手やその指導者にとっては、とにかく何処かに入りたい、何処かに入れてやりたいという気持ちになると思うのです。

スポーツ選手は入ってからが勝負です、期待されて入ったはいいけれど、活躍できなければ寂しい思いをするのは本人です。

そうした状況の中でも、中央の大企業や当然プロのチームであれば、毎年毎年新人を採用したり、途中でも移籍とかトレードとかいう方法で、戦力強化を行うことができます。

それが地方のチームとなると、新人の採用にも人数の制限が大きく、先ほどの話のように故障を抱えたままの選手を採ってしまうと、鍛えて育てることもできないことになります。

アベノミクスではないですが、スポーツの世界でも地方と中央の格差が大きくなって行くのかもしれません。
それでも生き残るためには、やはりきちんとした個人調査を行い、気持ちも身体もしっかりした鍛えがいのある選手を採用し、正しい理論をもとにしたトレーニングを行いながら経験を積ませていく、これしかないのではないでしょうか。

私にできることは、選手のために役立つという意味で、正しい理論の部分を広めていくことしかできませんが。

普段の自分を知るために その5

今回は、「からだとの対話の仕方」シリーズに戻ります。

操体法を学び始めた時、私と同時期に講習会に参加し、施術の技術の一つとして学ぼうとした人たちは、3か月の1クルーを終了しないままに止めてしまう人がいました。

一般の方向けの操体法の本を見ると、私が書いた本もそうですが、実技のパターンが少ないことに驚かれるかもしれません。

ですから受け取り方によっては、そのいくつかのパターンさえ覚えてしまえば、もうそれで操体法が分かったような気持ちになったのかもしれません。

それと、もうすでに何かしらの技術を持って、施術にあたっている方もいましたので、考え方と技術のバリエーションを増やしたいということだったのかもしれません。

一般の方が、このブログを読んでいただいて、ご自分の健康管理とくに腰痛や肩こりが少しでも楽になればという目的であれば、ご紹介するいくつかのパターンを覚えていただいて、毎日実践していただくだけで、十分効果を感じていただけると思います。

さて今日は、「つま先上げ」という動作です。

前回の「膝倒しは」、関節の8方向への展開中、おもに左右への捩じりを感じていただけたと思いますが、つま先上げは背骨の前後の動きを実感していただける動きとなります。

仰向けに寝たまま両膝を立て、左右に倒した膝倒しの後、今度は両足を立てたまま足先に意識を集中してください。

足の裏全体が床に着いていますよね、その状態から踵は着けたままで、つま先をゆっくり反らせ始めて、足首全体を反らせてみてください。

足首だけで動こうとすると、すぐにストップがかかります、その足首を反らそうと意識しているあなたの体はどうなっていますか。

お腹を膨らませて、腰から背中全体を反らそうとしていますか、それともお腹を引っ込めるようにして体を丸めることで、足先の動きをし易くしていますか。

私もそうですが、ある時は反らせた方が、またあるときは丸まった方がと、同じ人間でもその時その時で体の要求する動きは変わってくるのです。

お腹の上に両手を置けば、まさに腹式呼吸を行う時の要領そのままですね。

ぎっくり腰で誰にも触られたくないという時には、この腹式呼吸が一番効果的です。

足先は動かせなくても、足先を上げようとしたら背骨が動いた、という感覚で腹式呼吸を行えば、さらに効果的です。

最近腰痛の改善方法として、ただただうつ伏せで上半身を少し反らせた状態を続ける、ということが紹介されているのを目にしますが、腰痛を訴える方のほとんどは、背骨が猫背で丸くなったままで、あらゆる動きを行っていますから、背骨一つ一つの隙間は一定の間隔を保てず、後ろ側が開いて前側詰まったような状態にあるはずです。

このまま動けば、ただせさえ狭くなっている方はさらに神経を圧迫することになりますから、痛みが出て当然です。

うつ伏せで、クッションのようなものを顔か胸の下に敷いて、少しでも前側のつまりが改善されて、関節の隙間が広がれば、動きやすくもなるでしょうし、痛みが改善されても不思議ではありません。

しかし、背骨は前後だけの動きでは不十分です、なんといっても8方向が最も分かりやすい関節なのですから。

そのすべての方向への展開を、常に準備しておけば、ぎっくり腰になることも慢性的な腰痛に悩まされることも、ゼロとは言いませんが、必ず減ってくるはずです。

もう一度仰向けでつま先に意識を集中しましょう。

つま先を上げようとした瞬間、どうですか背骨どころか体全体、頭の先まで動きを感じられたはずです。

足先を上げるということはこういうことだったのか、体の動きをあなたの頭は納得していただけたでしょうか。

腹式呼吸などと難しいことを考えず、つま先上げですが、途中から足先のことまで忘れるくらい背骨の動きに集中してみてください。

膝倒しほどのダイナミックな動きではなく、横で見ていてもほとんど何もしていないようにしか見えない地味な動きですが、とても大事な動きです。

毎回そうですが、前回のはもう終わったから今日はこれね、ではなく最初の動きに一つ一つ足していってください。

以前の動き自体にも変化が出るかもしれませんし、それぞれが関連しあっていることも、身体が分かってくれるようになると思います。

無駄な力が抜け、筋肉の収縮に頼らない重さを使った動きを楽しんでみてください。

今日は一息入れましょうか

あまりにも毎日、難しいことをやっていただくことを強要している感があるようなので、少しこの辺りで休憩を入れたいと思います。

今日は、こうしてくださいああしてくださいは一切ありませんので、気楽に読んでください。

それにしても強いですね、過去のことなので、このブログではもう触れないようにするつもりにしているのですが、ここまで頑張ってくれると、一言くらいは言わないといけないでしょうね。

私が感じるのは、とにかく最後まで戦術が徹底できていることが一番ではないでしょうか。

そのための走力とかも身に付いてきていると思います。

走るという行為については、これまでに詳しく説明してきましたので、そういう視点を持って見ていただくと、私の考えていることも、あながち理屈だけではなく実践的な理論なんだなと、思っていただけるかもしれません。

そのチームを率いる〇〇監督も、選手時代から何をしなくてもこれだけはやってほしいという、私のとっておきの技術があります。

拙著の中でも紹介させていただいた「足指もみ」というものです。

私の一番の弱点だった胃腸の弱さを克服できたのも、この足指もみのお蔭だったと思っています。

これがどんなに気持ちがいいものかを説明するのは絶対に不可能です、なぜなら他に例える感覚がないのですから。

グルメレポーターがどんなに工夫しても、たいがいは〇〇のようなとか、〇〇をどうかしたような、というすでに知られている物との比較で言ってくれなければ、見ている我々には伝わりませんよね。

まあそうい言われても、食べてみなければ分からないのが常ですが。

私の足指もみを受けた方は、例外なくその気持ち良さに、受けたことがない第三者には説明ができないと言います。

すぐそばで見ている人がいたとしても、感覚は伝わりませんから。

この技術を30年ほど前に学んでいる時、亡くなられた私の師である渡辺栄三先生から、珍しく具体的な指導を受けたことを覚えています。

それは技術的なことではありません。

足指もみを、その頃まだ本当に小さかった、私の長女と長男を相手に練習しなさいと言われたのです。

家内や、その他大人であれば、私が勉強していることを知っていて、練習台になってくれているのですから、下手でもストレートには言いにくいし、正当な評価もしにくいだろうと言われるのです、もっともな話です。

ひと時でもじっとしていない幼い子供であれば、下手くそで気持ち良くないのであれば、一も二もなくすぐに起き上って、続けさせてくれないよと言われたのです。

それはもう毎日必死で練習しました。

我ながら素質があったのでしょうか、それほど時間がかからずに子供は横になったまま、私の足指もみを受けてくれるようになりました、そろそろ終わりだよと言っても、もう少しとおねだりされます。

それどころか、寝る前になると必ずやってくれと私を呼びに来る始末です。

足指もみを受けながら眠りにつくとは、上の二人はなんと幸せな時を過ごしたことか、今となってはうらやましい限りです。

これから作る私の新しい施設、これまではただ私の施術を体験したいという、ある意味ミーハーな動機の方はお断りしていました。

本当に痛いところがあって困っているとか、真剣に体と向き合って、継続して診て欲しいという方でなければ、基本的にお断りしていました。

私の技術を発揮するにふさわしい人を相手にしたいという、何とも生意気な施術者でした。

「来る者拒み、去る者追わず」なんというか、仕事に臨む、普通では有り得ない私のポリシーでした。

安心してください、これからは少し方針を変えて、私の足指もみだけでも一度受けてみたい、私の考える体の整え方を体験してみたいという方も大歓迎です。

組織に向かって西本理論を声高に発信しても、受け取る側にその気がなければ、私の思いも空回りしてしまうだけでしたから。

それがわざわざ足を運んできてくださる方を、もう無下にはできませんよね。

誰かさんに、西本さん変わったなぁ、って言われてしまいそうです。

広島に行って原爆ドームと宮島を観光したら、宇品に寄って「足指もみ」を受けて、旅の疲れを癒して帰ろう、そんな人が来ても大歓迎です。

自分で書いていて笑ってしまいますが・・・。

その私が一番残念で一番悔しいこと、それは私が私に足指もみをしてもらえないことです。

後継者を作ってこなかったことで一番後悔しているのは、実は私自身かもしれません。

普段の自分を知るために その4

分かったような分からないような、いったいこれで何がどうなるのと、思いながら真剣にお付き合い下さっているみなさんありがとうございます。

今日もよろしくお願いします。

今回は、「膝倒し」という動きです、前回の「踵伸ばし」と同様に、用語としてこれからたびたび登場しますので、覚えておいてください。

仰向けに寝た状態から、両膝を立ててみてください。

こう言うとほとんどの方が、膝の角度はどれくらいですか、足の幅はと、矢継ぎ早に質問が飛んできますが、その答えは毎度おなじみの、「自分の好きなようにやってください」です。

このやり取りも、どの動作の時にも必ず出てきますので、私に聞く暇があったらご自分の体に聞いて、こうすると動きやすそうだなとか、このくらいが収まりがいいなとか、そういう感覚を大事にして行ってください。

もちろん途中で変えたくなったら変えていただいて結構です。

そうやってできた、自分なりの仰向けで両膝を立てた状態から、どちらかにゆっくりと両膝を倒していってみてください。

右に倒した方、どのあたりまで倒れてくれましたか、その道中スムーズに動きいてくれましたか、腰や背中に痛みや違和感は感じなかったでしょうか。

動きを感じ取っていただけたら、動いて来た道をゆっくり戻してみてください、このときの感じはいかがですか。

今度は逆の方向に倒してみましょう、そしてゆっくり戻していきます。

言葉にすればたったこれだけの動作なのですが、膝を倒すという動作は、実は全身運動(連動)であることが分かったと思います。

動き始めの意識は膝頭あたりにあると思いますが、すぐに太腿全体から腰、それから背骨全体を巻き込み肩や首まで自然に動いていきます。

当然のことなのですが、身体は丸ごと一つのもので、すべてつながっていますから、膝だけを倒すなどということは実際には不可能なことです。

なるほどそうかと思っていただけたら、もう一度体全体丸ごと一つの気持ちで動いてください。

先ほどとは違う味わいがあるかもしれません、そして左右の感覚の違いや、動いていく道中で、どこかの部分に違和感や、逆に、この動きをこのまましばらく味わっていたいという「快」の感覚が目覚めてくれたかもしれません。

この動きもけっして深追いは禁物です。

とにかく膝を倒すということが、身体にとってどういうことなのか、この一点を感じてください。

まだまだいくつかのパターンを説明した後にしか、その後の応用とか、健康法として、また施術への応用まで話が進められませんが、私の体験談を一つご紹介しておきます。

もう20年以上も前になりますが、32歳で故郷宇和島に帰り開業し、8か月が過ぎ、新年を迎えた年明けに、高知県の宿毛市で行われた10キロのロードレース大会に参加した時のことです。

疲労困憊ゴール直前の直線道路から、最後に左に曲がってゴールというコースだったのですが、直線に応援の方の姿が多く、少しでも良い走りを見せようとスパートをかけ、左への進入路に気付かず行き過ぎてしまい、あわてて左回りでUターンしたため、左ひざを捻ってしまい立ち上がれなくなりました。

なんとか足を引きずりながらゴールまでたどり着きましたが、完全に靭帯を痛めてしまったと思いました。

左足だったので車は何とか運転でき、宇和島まで帰りましたが、痛みは増すばかりでした。

二日後には仕事始めがせまり、開業したての治療院を休みたくない一心で、アイシングもしましたが、運良く二日後に、なんとか治療院に立たせてくれたのは、まさに今日ご紹介した「膝倒し」だったのです。

痛みで他の動きはほとんどできない状態で、唯一動けたのがこの動作でした。

二日間ひたすら繰り返しているうちに、自分でも不思議でしたが、曲がらなかった膝が曲がり、踏ん張れなかった足に力が加えられたのです。

我がことながら「操体法」恐るべし、「膝倒し」恐るべしを実感させられた出来事でした。

とにかく今日もやってみてください、何も考えずに何度か繰り返したことで、腰が軽くなったような気がする、なんて言う人もいらっしゃるかもしれません。

でもやりすぎ深追いは絶対だめですからね。

次回また別の動作の説明です。

普段の自分を知るために その3

いつも前置きが長いですが、今日も一言。

私のように生身の人間を相手にすることを生業とする仕事を目指している人や、今現在そうであるという人は、是非今説明している感覚を研ぎ澄ます努力をしてください。

一般の方が、ご自分の健康の維持管理の一助にと、読んでいただいているのとは立場が違います。

客観的な評価方法と言われている〇〇テストが陽性だとか、どこそこの関節の可動域が何度だからどうしたとか、そんなことを知っていたり、きちんと評価できることを自分の評価にしないでください。

他人様の体を知ろうと思えば、まずは誰でもない自分の体としっかり対話できる自信をつけてください。

あくまでも感覚の世界です。

その気があれば誰にでも分かることだし、知識で割り切りろうとする人には永遠につかめない感覚かもしれません。

私はこれまで、後継者と呼べる人を養成してきませんでしたが、ほとんどの人が自分の体のことを理解しないまま、人の体をどうこうする技術だけを学ぼうとしていることに違和感を覚え、これは無理だなという判断になってしまったためでした。

では今日の本題です。

仰向けに寝たまま、手足を伸ばし伸びをして体の感覚を感じていただきましたね。
ここからは少し細かい分析に入ります。

細かいと言っても、なんとなくそう言われてみればのアバウトな世界です。
正解も不正解もありませんので、気軽にやってみてください。

最初は踵伸ばしです。

と言っても踵が足から離れていくわけではありません。
どちらからでもいいですからお尻を足元にずらし込むような感じで、骨盤を上下させて、踵を押し出して伸びていく様子を感じ取ってください。

右を伸ばそうとすれば当然左のお尻はずり上がり、骨盤の上下に動く様子がよく分かると思います。

片方が終わったら、一呼吸おいて、左右比べながらゆっくり動いてみてください。

いかがですか、右を押し出す時には体全体が連なりあって、柔らかく動いているような気がするけれど、左を伸ばそうとすると途中で突っかかるようでやりにくいような気がする。

また、どっちもスムーズに動いて別に違和感は感じないなとか、どっちをやろうとしても腰やわき腹が突っ張って具合が悪いとか、なにか体から訴えかけてくるものがあったはずです。

とにかく、どっちがいいとか悪いとかを決めるために動くのではなく、あくまでもどこかを動きの起点として動き始めると、体全体がどうやってその動きを助けてくれるのかという連係プレーを感じ取ってください。

このことが最終的に、操体法を治療の技術に発展応用できるかどうかの分かれ道です。

本当に相手の体に入り込んで、一体感を持った施術ができるか、言葉は悪いですが形だけになってしまうのか、真剣に向き合ってほしいと思います。

今日は、ひたすらこの踵伸ばしというものがどういう動きなのか、私が言わんとしていることは何なのか、じっくり感じ取ってください。

それができれば、次回からの様々な動きのパターンからも、様々な体の声を聞き分けることができるはずです。

焦らずゆっくりいきましょう。


一般の方々、今日はちょっと施術者目線になってしまい申し訳ありません。

ご自分が関わってきた、そういう仕事の人たちを、改めて思い出しながら、あくまでも気楽にやってみてください。

ひとつ注意事項は、もっといけるとかまだ伸ばせるとか、たくさん動けた人が健康だという判断ではありませんので、絶対に無理をしないでください。

この辺までなら動きやすいかなとか、この辺で痛みが出そうだから、少し手前でやめとこうとか、腹7分目くらいにしてください。

からだとの対話を楽しむことが一番の目的ですから・・・。


普段の自分を知るために その2

前回は寝起きや、夜寝床に入るときの寝姿、仰向けに横になった自分の体をじっくり観察する方法を説明しました。

今回は、その体がどういう風に動いてくれるのか、その体の診方を説明していきます。

人間の体の観察方法には様々なものがあります。

現代医学であれば、X線やCTやMRIといった画像診断で、外から体の内側の情報が見られます。
また内視鏡によって、直接体の内部の様子を見ることもできるようになりました。

最近は内科に行っても、本当にこれで何かが分かるレベルのドクターはいるのだろうかと思ってしまう、聴診器や打診による診察方法もあります。

漢方では、視診や脈診といって、手首の橈骨動脈に指を当て、体の内部の状態を探るなどという方法もあります。
いずれにも理屈があり、分かる人には分かるのかもしれません。

診断方法としては長足の進歩を遂げているのだと思いますし、これからもどんどん新しい技術が開発されていくのでしょう。

病気を遺伝子レベルで解明し、がんの治療や、いずれ身に降りかかるであろう将来の病気の予想までできるのだそうですから、人間は本当にすごいことを考えるものです。

私は医学者でも宗教学者でもありませんし、これから年を取っていく中で、もっともっと長生きがしたいと思うようになるかもしれませんが、人間に限らず生きとし生けるものには始めがあって終わりがあります。

わが子が先天的後天的に限らず、難病にかかってしまえば(現実我が家でもそういう状況なのですが)自分の命と引き換えにでも助けてあげたいと思うのが、親の心だと思います。
科学の進歩に期待しているのは、私自身も同じ気持ちです。

しかし一方で、いつも思い出す光景があります。
だいぶ前にテレビで見たシーンなのですが、移動していく群れから少しずつ離れていく年老いた像、死期を悟り、おそらくはそれまで自分が率いてきた群れの一番後ろで、立派に育っていった子供や孫たちを見送り、林の中に消えていきました。

小さな像が、遅れる老像を振り返り「パオー」と呼びかけるのですが、先頭を歩く群れのボスは振り向くこともせず進んでいくという光景です。

老像が群れを離れ、歩いて行った先には、たくさんの像の骨がありました。
みんな自分の最後は自分で始末するというのが、像の掟なのでしょう。

もちろん人間に当てはめることなどできません、それでもできれば私もこういう心構えで年を取っていきたいと願っています。

話がそれましたが、私のもとを訪れてくる方々の究極の目的は、ちゃんと体が動くようにしてくれということに尽きると思います。

多少の痛みが残っていたとしても、今日明日、もっといえば一時間後の仕事ができるようにしてくれればいいという切実な訴えです。

ということは、私が体を診る一番大切な視点は、「どこをどう動かしたらどう痛いのか」ということで、結果として欲しいのも、その動作がとにかくできるレベルまで戻せたかということが、その方のお役にたてたかどうかを決める判断になると思うのです。

ですから、普段の自分の体がどこまでどういう風に動けて、どういう風には動けないのかという現実を知らなければ、せっかく体が動くようになっても、いつまでたっても痛みが消えないと思い続けるしかないのです。

寝違えを主訴に来られた方に多いのですが、首の可動域はほぼ完全に回復し、生活にまったく不自由な状態ではなくなっているにもかかわらず、「あーこれ以上振り向けない、ここまで行くと突っ張って」と、まるでもともと自分の首がお化け屋敷のろくろ首でもあったかのように言われる方があります。

「私でもそれ以上動きません、一周回せたら一緒にテレビ局に売り込みに行きましょう、一回ぐらい出られるかもしれませんよ」と冗談で返しても、まだ首をぐるぐる回し続けるのです。

それほど普段の自分を知らないという極端な例です。

そこで、仰向けに横になった状態から、まずは手足を大きく伸ばして、伸びをしてみましょう。

言われなくても寝起きには何気なくやっているという動きかもしれません。
その時、両手両足の角度はどうでしょう、右手は真上近いのに左手は横に向かって伸ばしていたとか、右足にはグーと伸ばしている感じがあるのに、左足はそのままだったり、真っ直ぐ体を伸ばしているつもりが腰を右に押し出していたり。

面白いですよ、あれ、自分の体こうやって動いてたんだ、新しい発見があるはずです。

そして、続けていくうちに、朝はこうだったような気がしたけど、夜はこうだとか、昨日はこうだったけど今日はとか、日々その瞬間の変化に気付いてくるかもしれません。

まずは大きく伸びをして、体の動きを眺めてください。

記録することも記憶することも必要ありません。

体そのものが何となく違いを感じて教えてくれます。

体の声に耳を傾けましょう。

次回、もっと色々な動きで体の声を聴くやり方をお伝えします。



追記
少しずつ読んで頂いている方が増えてきて、さらに頑張ろうという気持ちになっています。
内容に関しましてのご感想やご質問など、コメントして頂けると嬉しいです。
文末の拍手にもポチっと押して頂くと元気百倍です、よろしくお願いします。

普段の自分を知るために その1

もう何年前だったでしょうか、70を少し過ぎた男性が、腰痛を主訴に私のもとを訪れました。

聞けばその方、60歳を超えたあたりから健康のためにと、朝目が覚めた瞬間、布団の中でいきなり腕立て伏せを30回、間髪入れずに腹筋運動を30回行ってから、寝床を離れるという生活を続けてこられたそうです。

それがこのひと月以上、起き抜けの運動をやりたくても腰が痛くてできなくなったと言われるのです。

それを聞いて私は、この方が気の毒なのではなく、この方の体が気の毒に思えて仕方がありませんでした。

睡眠時間に個人差はあるにせよ、数時間は横になって身体を休めていたはずです。
それが目が覚め意識が覚醒した瞬間に、体に対して大きな負荷をかけることが、はたして健康のためになるのでしょうか。

ご本人はいたって真面目に、十数年日課にしてきたことができなくなって困っている、なんとか腰痛を改善して、今まで通りのことができるようにしてくれ、と言われるのです。

まずは主訴である腰痛に対して、体全体を整えるためのアプローチをしていくのですが、そのときにも足は触らなくてもいいから腰を治せ、肩は腰痛に関係ないだろうと、あくまでも悪いのは腰で、他の部分を触っている暇があったら腰を触れと言われるのです。

さすがにこれはだめだと思って、私は一から体の仕組みや、どうして今こうして痛みを訴えているのかなど、出来る限りの説明を試みました。
しかしその方の耳にはほとんど届いていないようでした。

ですから、腰痛そのものの痛みを軽減してあげることができたとしても、本当にこの方のためになるのだろうかと、疑問に思えてしまいました。

私が言いたいことはもう分っていただけると思います。

少しでも楽になれば、また明日から寝起きのトレーニングが始まるはずです。

寝た子を起こすという言葉がありますが、まさに今の今まで休んでいた体を、どうやって今日一日上手に付き合って動いてもらえるように準備するか、それが本来寝起きの最初にやらなければならない、人間としての暖機運転、準備運動なのではないでしょうか。

自分の体を物のように扱い、壊れたら治せ、治れば好きなように使うのは自分の勝手、本当にそれで良いのでしょうか。

では体にやさしく、じっくりと話しかけ、その答えを聞き取っていく作業、「からだとの対話」とは、どうやって行うのでしょう。

それぞれご自分の寝起きをイメージしながら読んでください。

目が覚めました、その姿形はそれぞれだと思いますが、一度仰向けで手足を伸ばしてみてください。

体のどの部分にも無理な力が入らず、自然に手足が伸びているでしょうか。
膝は伸びているでしょうか、腰は反っていないでしょうか、背骨は真っ直ぐに感じるでしょうか、首は右を向いたり左を向いたりしていませんか、顎が出ていたり逆に喉が苦しかったりしていませんか。

自分の体です、自分でしか感じられない様々な感覚を研ぎ澄ませて、生まれた時から死ぬまで、毎日頑張って動き続けてくれる体のことを心を込めて想ってください。

まずはここからです。

何度も言いますが、この紐を引いたら大きな赤い飴玉がもらえる式の、これをやればすぐに痛みが取れて体が楽になる、何でもいいからそれを早く知りたいんだ、そういう考えからは一刻も早く離れてください。

治すのは、変わらなければならないのは、何よりも自分の考え方だということを肝に銘じてください。

そうして毎朝毎晩、夜は布団に入った時に、今日一日頑張ってくれた体は、どういう状態になっているのかな、朝目覚めた時には、さあ今日一日よろしくねと、お願いしなければならない体はどういう状態になっているのかと、じっくり観察してみてください。

これが本当に続けられた方は、次にどうすれば良いのかというステップに進んだ時に、ああなるほどそういうことねと納得していただけるはずです。

早く当たりの紐を引きたいと焦ってしまうと、からだとの対話はまったく成立しなくなりますので悪しからず。

自分の寝姿を自分で見ることはできませんし、他人の寝姿も、私のような観点で見ることはほとんどないと思いますが、自分の体との対話をするヒントとして、第3者の見方を少し説明しておきます。

どなたかに横になっていただいて、これから説明するチェックポイントを確認してみてください。

柔らかいベッドだと体が沈んでしまって分かりにくいのですが、仰向けで寝ている人の足元から全身を眺めると、鼻先からへそを通って恥骨を通り両足踵の真ん中を通る、体の正中線(センターライン)が、ほぼ真っ直ぐという人はほとんどいません。

顔が左右に向いていたり、左右に傾げていたり、それが複合していたり、肩の高さの違い、肩のねじれの違いによる肘や掌の向き、骨盤の傾きや骨盤の反りによってお腹が出っ張って見えたり、骨盤が傾いていれば当然足の長さが違って見えたり、足先の開き具合が左右違っているなどなど、探せばきりがないほど人の体は定規で描いたような左右対称ではありません。

この時点ではまだ、左右違うから悪いとか変だとか、そういう風には思わないでください。

これはあくまでも人の体を見ることで、自分の体との対話をしやすくするための練習だと思ってください。

いかがでしたか、人間の体は本当に不思議な存在です、けっして与えられた道具ではありません。

まずは「敵を知り己を知れば百戦危うからず」の例え通り、己の体とじっくり向き合ってみましょう。

体を整えるとは

少しずつ私の「からだ感」というものをお話していきます。

操体法というものの考え方も、これからの説明の中で少しずつご理解いただけるようになっていただけると思います。
一度に、こういうものですなどと私が説明できるほど浅いものではありません。

健康法や治療法などという言葉から連想されるのは、普通の健康な状態ではないからだを元に戻していくという、どちらかというとマイナス思考の発想になります。

体調が悪くない時、バリバリ働けている時、人は自分の体のことを特に考えてはいないと思います。

それがひとたび体調不良に陥り、どこかに痛いところが出てきたりすると、その時になって大慌てで病院やその他、自分の体を治してくれる第三者に頼ることになります。


私はどこも悪くないけれど、健康のためにウォーキングをしています、スポーツクラブに通っています、ダンス教室に通っています、という方もおられるでしょう。

そういうプラス思考で始めた行動さえ、私の経験では頑張りすぎなのか、やり方に問題があるのか、それがもとで体調に異変をきたしてという方がたくさんおられます。

それはなぜなのでしょうか。

では私が施術者として、体調の不良を訴えて来られた方に対するとき、何を持って改善できたという確信を持てるのでしょう。

それは本来人間として備えている機能を発揮できる状態に近づけられたということが、大きな判断材料となります。

では本来備えられている機能とはなんでしょう。

今日の午前中、長男夫婦に生まれた女の赤ちゃんのお宮参りに行ってきました。
まだ3か月にも満たない赤ちゃんですから、首も座っておらず寝返りも打てません。
それが月齢とともに確実に成長し、気がつけばハイハイをして、1年くらいすると立ち上がって歩くことができるようになります。

これらの行動は、親や周りの人間が教えることではありません。
人間として自然に備わっていく能力なのです。

ところが大人になって、足首の程度の悪い捻挫をしたり、肉離れを起こしてしまった後、組織としては回復したと言われているのに、自分がその足でどうやって歩いていたのか、どういう風に動いていたのか、見ている周りが笑ってしまうほどに不思議な体の使い方をしてしまうことがあります。

経験された方も少なくはないはずです。

我々は、当たり前とか普通という感覚に対して鈍感になってしまい、何かあった時にその普通に戻れなくなってしまうのです。

操体法というのは、どこかが痛くなった悪くなったという時に、対症療法として行うものではありません。

もちろん治療法としての体系も確立されていますから、私は施術者としてその技術を使わせていただいています。

しかしこれからご説明していく操体法の内容は、そういうものだと思わないでいただきたいのです。

私の年代の人たちが、車の免許を取り始めて自分の車を持った頃は、車を動かす前に必ず始業点検というものが必要で、走り出した後もいきなりスピードを出さず、暖機運転が必要だと教えられました。

今の車は電子部品の塊で、異常もすべてコンピューターが判断して教えてくれるそうですが、そのシステムが故障したらどうなるのでしょう、私にはよく分かりませんが。

それくらい大事に扱いなさいということだと思います。

翻って我々人間はどうでしょう。
少しでも長く寝ていたいと、ぎりぎりまで布団を離れず、食事もそこそこに着替えて家を飛び出し、満員電車に揺られて会社に向かうという生活をしている方が多いのではないでしょうか。

どかかが痛くなったことは分かっても普段の自分のからだがどういう風に動いてくれて、どういう風には動かされたくないのか、それを知らなければ結局は痛いか痛くないかだけが、自分の体を判断する目安として持てなくなってしまうのです。

自分の体を知ること、自分の「からだとの対話」、この観点が持てた人が、自分の体を自分で整え、ときに自分の手に負えなくなったときに、私のような人間の力を借りるということができるのです。

次回「からだとの対話」について深めていきます。

操体法 からだとの対話

昨日のブログに対して、たくさんの方が拍手を押していただき、お二人の方からは温かい応援のメッセージをいただきました。

ブログ拍手に対する返信のやり方が分からず、この場を借りてお礼を言わせてください、心のこもったメッセージ本当にありがとうございました。

また、ツイッターの方にもたくさんの方からお言葉をいただき、ただただ恐縮しております。

今の私は、こうしてご縁をいただいた、フロサポの皆さんのサポーターを名乗らせていただこうと思っていますがよろしいでしょうか。

そのフロサポの皆さんをはじめ、このブログを読んでいただいている多くの方々に、今日から、からだのメンテナンス編として、私がこの仕事に携わるきっかけとなり、その後もずっと私の思考のベースとなっている、「操体法」というものの考え方と、実際に日常生活に役立てていただける操体法の実際を、ご紹介していきたいと思います。

過去に著した拙著の内容を超えるものになるよう書いていきたいと思いますので、お付き合いください。

まず「操体法」という言葉を知っている方はどれくらいいらっしゃるでしょう。

私の本を読んでいただいた方以外で、その名前を知っている方はそれほど多くはないと思います。

操体法は明治30年生まれで、平成5年に96歳でお亡くなりになった仙台の医師「橋本敬三先生」が、日本で伝統的に行われていた民間療法の一つである「正體術」にヒントを得て確立した、画期的な健康法であり治療法であると言われています。

詳しくは関連の書籍がたくさん出ていますので、興味がある方は是非お読みいただければと思います。

私と操体法との出会いも、拙著に詳しく書かせていただきましたので割愛させていただきますが、胃腸が弱く体が極端に痩せていた私にとっては、治療家になるという夢と希望を与えてくれた大きな存在であるばかりか、私自身の体調を激変させてくれた、まさに運命の出会いでした。

常に下痢気味で、何を食べても身にならないんじゃないかと言われ、諦めかけていた私のからだを変えてくれた操体法、きっと皆さんのお役にも立てると思います。

少しずつ書いていきますので、次回からゆっくり読んでください。

人間力

正直今日は何を書いてよいのか分かりません。

昨日、地元広島で行われた川崎対広島の試合を、家内と二人で応援にきました。
チームにいる時、広島から応援に来てくれる家族のために用意した55番のユニフォームを、まさか自分が着てゴール裏のサポーター席で、リーダーと一緒に声を張り上げ応援する立場になろうとは夢にも思っていませんでした。

55番という番号は、ユニフォームを作るときにマネージャーからサポーターは12番目の選手という意味で12番を選ぶか、ひいきの選手の番号で作ると聞き家族に相談すると、家族は私のサポーターなので12番じゃない方がいいとのことでした。

ならばと考えたのが、今年55歳になるという意味と、チームから支給されている練習着のスタッフ番号が55で、ゴーゴーと語呂もいいと思って決めました。
おまけに背中にNISHIMOTOの名前まで入れ、さらに私のサインまで書き入れるという念の入れようです。

今となってはお恥ずかしい限りですが、単身で川崎に乗り込んだ私をサポートする家族の思いがいっぱい詰まったユニフォームでした。

それを自分が着ての応援です、複雑な気持ちでした。

クラブの関係者から見れば、肝心な時期に自分勝手に辞めていった人間に対して、何の感情もないと思います。
こちらから試合前に挨拶に伺ったとしても、邪魔になるだけだと思い、一サポーターとしてバスと電車を乗り継ぎ当日券を買ってサポーター席に入りました。

そこには数は少なかったですが、いつも見慣れた熱いサポーターたちの姿がありました。
そして何事もなかったように温かく迎えてくれました。

選手が入場して練習が始まり、コールリーダーの海人君の先導で熱い応援が始まりました。
いつもは下のピッチの中にいて、その応援に後押しされて戦っていたのが、逆の立場になり色々な思いがよぎりました。

それから約2時間、応援の言葉も体の動きもまったくついて行けませんでしたが、声を限りに叫び続けこぶしを振り上げ、一生懸命応援しました。

後半には少し疲れてしまい、何度か座り込んでしまいましたが、なんとか最後まで応援団の一員として少しはお役にたてたかなと思いました。

試合が終わり、横断幕やその他の備品の片づけを一緒に手伝い、照明が消されていくスタジアムのスタンドで、いつもこんなことをしてもらっていたのかと熱いものがこみ上げました。

荷物を担いで外の駐車場まで運び、そのままとんぼ返りするという車組の荷台に荷物を載せ、出発する人たちを見送ったのは試合が終わって1時間以上たった10時過ぎでした。

もうその頃の私は、つい2か月前までチームの一員だったことなど忘れて、フロンターレサポーターの応援リーダーの一員になっていました。

選手やチームをサポートするトレーニングコーチではなく、はるばる広島まで応援に来てくれた彼らをサポートするためにここに自分がいる、という気持ちになっていました。

ほどなくチームバスが宿舎に向かって出発しましたが、それを見送ることもせず、ただただたくさんの荷物を載せて帰っていく彼らの安全を祈っていました。

そのあと何人かの方たちと一緒に市内に戻って食事をしました。
もちろんチームの内情や話してはいけないこともありますし、自分が辞めた経緯についてもすべてをお話しするわけにはいきません。

それでもリーダーたちからは温かい言葉をいただき、チームに対してこんなにも深い愛情を持って応援してくれているんだということが、ひしひしと伝わってきました。

私は自分のことを一トレーナー職人と称し、自分の領域ではだれにも負けないと公言し、それが分からない人間と相容れないことは仕方がないことだと思ってきました。

結局は独りよがりの度量の狭い考え方をしていたようです。

仕事に対して自信があるのは当たり前のこと、それをどうやって与えられた場所で生かしていけるか、というのが本当の意味で仕事ができるという評価をしていただける唯一の条件だったのです。

それを勘違いして小さな世界にこもり、なぜだどうしてだという思いばかりが先行した結果が、今回のことにつながっていったのだと、改めて考えさせられました。

年齢や経験、これまでの実績など目の前の選手にとってはどうでもいいことで、そういう若い選手たちを自分が正しいと思う方向に導いてあげられなかった私は、結局その任に足らずということだったのです。

一人抱え込んでしまった結果が体調の悪化であり、コミュニケーションの仕方にも、もう一工夫もふた工夫もあればよかったのかもしれません。

何の見返りもないサポーターのリーダーという立場に、真剣に向き合う彼らの言葉の端々から、選手のためと聞こえのいいことを言いながら、結局は自分のために言葉を発し、行動していただけなんじゃないのかと悲しい気持ちになりました。

自分を見つめなおし、これからの人生を生きていくために、昨日は色々なことを学ばせていただいた気がしています。

人生の舵が大きく狂ってしまいましたが、どんな出来事にも無駄なことなんてないんだと改めて感じた一日でした。

走るという行為 まとめ

今夜、地元広島で川崎フロンターレ対サンフレッチェ広島の試合が行われます。
このブログを見ていただいている方の多くは、この試合を特に注目されていると思います。

私にとっても、八宏対ポイチの対決という意味で、昨年は試合を見に行きました。
同じチームで一緒に戦った二人が、指導者としてどんな戦いを見せてくれるのか、去年はメインスタンドから試合そっちのけで、ベンチで指示を出し二人の後ろ姿ばかり気になっていました。
あれからもう一年近くに経つのですね、今夜の試合も楽しみにしています。

さて今回は、何回かに渡って書き続けてきた「走るという行為」を、振り返ってまとめてみます。

こういう考え方に至った背景には、様々な紆余曲折がありました。

走るという行為はある地点Aから、ある地点Bまでの移動を、より速くするために行われることです。

そのことに関してはどなたも異論はないと思いますが、その当事者がA地点にいる時にどういう状況にあって、B地点には何をするために行く必要があって、さらにその途中で目的地であるBの方向や距離が変わってしまったり、スピード自体もその速度を調整しなければならないなど、走るという行為は、単純に速度を速くすることだけを考えればよいのではないことは、容易に想像できると思います。

さらにその行為が、定められた時間の中で何度も繰り返さなければならないような競技であれば、上記の要素はさらに複雑となり、この走り方がベストであるとは言い難い状況となります。

20年以上前までは、プロ野球のトレーニングコーチ(ずばりランニングコーチという呼称もありましたが)には、陸上競技経験者の方が名前を連ねていたこともありました。

こうしてさまざまな要素を考えたうえで、この競技このチームこの選手には、どういうイメージを持って指導していくのかという問題は、考えれば考えるほど、これが正しいと言い切れるものが見つけにくくなってきました。

例えば野球で考えた場合、私が2チームで延べ8シーズン関わらせていただいた社会人野球ですと、DH制を取り入れていますので、投手が打席に立つことはありません。

そうであれば、投手がランニングをトレーニングとして行う方法や目的はおのずと決まってきます。

野手の場合は、全員攻撃時に打席に立って、バットを振ってから全力で走る、ベースを左回りに回る、ベース直前でスライディングをする、離塁してほぼ静止した状態から走り出す、牽制球に対応して進行方向の逆に戻る行為など、投手とははるかに違う要素の動作が要求されます。

さらに守備位置で言えば、捕手は別として、内野手と外野手とでは打球を追う距離や、方向にも大きな違いがあります。

これらを加味して考えると、外野手を基本にして組み立てていけば、他のポジションの選手でも、できるようになっていて損はないという意味で、トレーニングを組み立てていくのが理想的であると判断しました。

分けて行えば済むことですが、選手もスタッフも限られた人員で練習を行いますから、チームスポーツとしての一体感というものも必要となってきます。

例えば外野手が、投手の投げる球種とコースをあらかじめサインで確認しておいて、バッターの体の使い方や過去のデータまた、ボールをヒットしたその瞬間等の情報を一瞬で判断して、ボールの落下地点を予測しスタートを切るわけですが、この時にこれまで説明してきた、重心を一度後ろに下げて蹴りだす準備をする「居付く」という動作をやってしまうと、そのコンマ何秒かの間に打球は何メートル飛んでいくんですか、という問題に直結するのです。


いわゆる守備範囲に換算すれば、おそらく5メートル以上になるのではないでしょうか。

そのスタートのイメージが前回説明した、皮袋やこんにゃくのイメージで居付くことなく肩甲骨の振りだし動作で、行きたい方向へ瞬時に体重移動ができれば、抜けたと思った打球を見事にキャッチということになります。

さらに言えば、そういう届くか届かないかの球際のプレーを、普通のフライのように追いついて取ってしまうプレーこそが、本当の意味でのプロフェッショナルなファインプレーで、体の使い方が上手にできている超一流の選手だと思います。

普通に取れそうな打球なのに、飛びついてやっと捕球してファインプレーと喜んでいる選手は残念ながらそこまでの選手ということになります。

野球であれば、3時間を超える試合時間になったとしても、実際に意識を集中して、筋肉と神経の微妙な調整を必要とするような瞬発力を発揮している時間は、10分もないのが現実です。

平成8年に初めて三菱広島の指導を行ったとき、事前にミーティングを3回行い色々な知識を植え付けていく中で、この話もしましたが、たった10分なんてそんなバカなことはないという反発がありました。

守りの時間を考えてみましょう、投手が投げる球数を150球とすると、投手がモーションを起こして投球し、打者が打ったか打たなかったかを判断する時間が5秒くらいです。
150球×5秒で750秒ですから、これだけで12.5分という数字になりますが、本当にそうでしょうか。

ツーアウトランナーなし、打席には小柄な左打者、サインはアウトコース低めのストレート、この状況でライトを守っている選手と、レフトや三遊間の選手の緊張感が本当に同じだとは思えません。
明らかな送りバントの状況の時もあります、もろもろ考慮しても12.5分がそのままマックスの緊張感とは言えないはずです。

しかしそういう競技であるからこそ、この一瞬で勝敗を分けてしまうという怖いところがあるのです。

攻撃の時は、その当事者以外はベンチに座っています。
そして自分の順番が来た時に、いきなり自分の持っている能力のすべてを発揮してバットを振り、一塁に全力疾走するのです、肉離れを起こして足を引きずるシーンをよく見ますが、ある意味当然のような気もします。

サッカーでは、試合開始直後や終了間際の時間帯に点数がよく入ることから、「魔の5分」などという言い方があるようですが、ウォーミングアップから試合開始にかけての、身体と気持ちの準備が整わないうちにやられたとか、最後の5分もうひと頑張りが効かずやられてしまうというパターンでしょうか。

そのために必要なのが、延々と説明をしてきた走るという行為を一から見直す作業をしてみることなのです。

単純な走り方の問題だけではなく、走ることの意味を含めて、自分はこのピッチの上で90分間どうやって走り続けなければならないのか、それを自問自答して得られた結論としての走り方でなければならないと思うのです。

ただただがむしゃらに走り回って、そのことでチームに貢献できていたとしても、前半の45分も持続できないのであれば、本当にそのことがチームのためになっているのか、考える必要があると思います。

陸上競技の選手に正しい走り方を指導してもらって、タイムが向上した足が速くなった、それもいいでしょう。
持久走を延々と繰り返したり、インターバル走で心肺機能を鍛え上げ、誰にも負けないスタミナを身に付けた、素晴らしいことです。

最後にもう一度同じことを繰り返します、考えてください。

あなたがA地点にいる時にどういう状況にあって、B地点には何をするために行くのか、さらにその途中で、目的地であるBの方向や距離、到達した時点で行わなければならない目的そのものまで変わってしまったり、スピード自体も途中で速度を調整しなければならない、そしてその走るという行為を、必要に応じて自分の意思とは関係なく、何度も繰り返すことを要求されている。

それがあなたに必要な走力なのです。

サッカーだけではありません、そういう要素が必要な競技はたくさんあります。

何のために走るのか、誰のために走るのか、ゆっくり考えてみませんか。

走るという行為その5動き出しのイメージ

まずはじめに、今日ツイッターにも書かせていただきましたが、昨日ある方にツイートしたことがきっかけで、たくさんのフロサポの方々からフォローしていただき、このブログの閲覧者数も、ブログを書き始めて以来の数字になっていました。

中途半端に辞めてしまった私のことを、こんなにもたくさんの方が気にかけていただいていたこと本当に嬉しく思います。
ただ、私はもうクラブの人間ではありません。
このブログのタイトル通り、生涯一トレーナとして個人の立場で自分の考えを発信していく場所として、ブログを書いておりますので、直接的にチームや選手個人のことに言及することは基本的にありません、そのあたりをご理解の上、日常生活やスポーツ活動を行ったり、また観戦する際の参考にしていただければと思っています。
今後ともよろしくお願いします。

さて今回は、走るという行為に移行していくための静から動への体の使い方、昨年今年と見せつけられたブラジルチームの選手たちの、言葉に表せない迫力の秘密にも通じる部分が見えてくるかもしれません、お付き合いください。

走っている動作そのものの動きは、下半身・股関節と上半身・肩甲骨や肩関節に分けて考察してきました。

では、サッカーであればピッチの中でチームとして個人として、周りを見ながら流れている時と、ここというタイミングでトップスピードにと、うまく切り替えながら、ハーフタイムを挟んで45分を2回走り続けなければなりません。
ですから、まったく静止した状態から動き出すことは基本的には考えられません。

野球の守備動作ですと、投手の投球動作に合わせて、ほぼ静止した状態から動き出さなければなりません。

陸上短距離のスタートであれば、すでに話題にしましたが、体を支えている指先の支えがなくなって、重心のすべてが前方向に落ちていくタイミングに合わせて足を振りだす、ということになりますが、どんな競技のどんな状況でも応用できる体の使い方を提案していきます。

これまでは、体のパーツを下半身だ股関節だ肩甲骨だと、分けて説明はしてきましたが、実際には体というものは丸ごと一つの物体で、パーツを集めて作られたものではありません。

拙著「朝3分の寝たまま操体法」の後ろに方でも書きましたが、体を板状の「こんにゃく」の形状と質感をイメージしてみてください。
縦長の長方形の下側を持って上側を捩じると、全体が捻れ支えている下側にも動きが伝わりますよね、捻れたものには元に戻ろうとする力が生まれます。

この板状のこんにゃくには動かし方によってさまざまな動きを作り出せますが、こんにゃくの柔軟性にも限度がありますから、無理な動かし方をするとちぎれてしまいます。
人間の体にも同じことが言えるのではないでしょうか。

そのイメージを残していただいて、ではスタート動作をやってみましょう。
何度も言いましたが、地面を強く蹴って走り出すというイメージでは「居付き」の時間がかかってしまって、対人競技であれば、明らかに振り切られたり置いて行けなかったりということになります。

何の準備もせずに全身リラックスしてグランドに立ちすくんでいる選手はいないと思います。

体全体を皮の袋に見立てて、中にはたっぷりの水が詰まっている、そんな状態をイメージしてみてください。
実際に体重の約60%は水分ですから、これはただの空想ではありません。

その皮袋の中の水を常に揺らせておくのです、こんにゃくを柔らかくぷにゅぷにゅさせておくのです。

皮袋のとくに上の方をぶるんと揺らせて振りだしていくことをきっかけに、全身が前方に動き出すというのがスタートのイメージです。

まったくちんぷんかんぷんで、何の事だかわからないでしょう。
たぶんこんなことを考えている人間は、私以外にはいないでしょうから。
では、こういうドリルはどうでしょう。

つくばに講演に出かけた時に、小学生男女3人を相手に行ったドリルです。

運動会で1等賞になりたいそのためにはと、走り方を指導した後、当然のごとくスタートはどうやるんですかと質問されました。

スタンディングスタートですから、足は前後に開いた状態で、重心は前に乗せます。
普通に号砲が鳴ると、いったん重心が後ろに移り、後ろ脚が地面を蹴ってスタートということになります。
これでは居付いてしまう分スタートで出遅れることになります。

私の指導したイメージはこうです。

下半身のことはとりあえず頭から消して、板こんにゃくである上半身に集中させます。
こんにゃくを捩じるのにも時間がかかりますから、こんにゃくの裏側に張り付いている「肩甲骨」の部分をさらに集中させます。

前後の足幅は狭くして、、ほとんど揃えるか1足分くらいにしておき、肩から腕をだらっとぶら下げ、肩甲骨が前傾したこんにゃくの外側にずれ落ちていくくらいの状態にしておきます。

これは肩甲骨を上下に大きく動かすための準備です。

号砲と同時に、まずは右の肩甲骨を引き上げてみてください、たぶん肩を動かしていると思いますがそれでいいです。
もっと言えば、こんにゃくに例えた上半身自体を捩じっている感覚しかできなければそれでもいいです。

右を引き上げれば当然左はさらに下に下がります。

その瞬間足はどうなりましたか、肩甲骨を動かした瞬間に股関節が連動して足はしっかり踏み出されています。
力強く上半身を使えば力強く足は踏み出されています。
右がやりずらいと感じたら、左主導でやってみてください、どちらかやりやすい方が見つかるはずです。

これが我々人間に備わっている体の仕組みなのです、理屈ではありません。

いわゆる予備動作がなく、動き出した瞬間に重心の移動が始まっていますから、これができる人とできない人がマッチアップすれば結果は見えています。

今でも現役を続けている有名選手のフェイント動作は、何度も体自体をゆするので下半身さえ見ていれば十分対応できますし、その間に守りの陣形が整えられたのであまり脅威には感じませんでした。

ヴィッセル神戸の時にチームにいた、デンマークのミハエル・ラウドルップ選手の動きには、そういうフェイントという動きが見えず、何事もなかったように真っ直ぐ相手をかわしていくように見えるドリブルで、その頃の私には意味が分かりませんでした。

今なら世界一のプレーヤーであるメッシ選手がそういう動きをしていると思いますし、ブラジルチームはなんと全員からそういうイメージが伝わってきたことに、私は驚いたのです。

まだまだ私には分からないことだらけですが、こういうことを考えながらスポーツを見ることは、ほかの人にはない楽しみ方であると思います。

走るという行為その4上半身

下半身の動きは、股関節の滑らかなローリングが理想で、上半身はその動きを邪魔しないように、腕をどうやって振ろうとか体幹を安定させようとか、できるだけ考えない方がいいと思います。

それでも我々は、あるがままに自然のままにと言われることが最も苦手な指導のされ方だと思います。
そういう訳で、どういう動きが自然なのか、逆説的ではありますが考えを書いてみます。
前回と同じように、ドリルで進めていきます。

前回の動きが少し滑らかになった人もそうでない人も、とりあえず上半身の動きに集中してください。

まずは下半身の動きはいったん置いておきます。
肩甲骨を、と言いたいところですが、肩甲骨自体を動かせる人は滅多にいないので、肩という言葉を使います。

肩で円を描くように右左と交互に回しながら歩いてみてください、後ろ回しで歩いたら次は前回しで歩きます。
ゆっくり歩くときは、肩を後ろ回しで回して、右足と右肩、左足と左肩の同側を振りだした方がスムーズに歩けると思います。
これが一般的になんば歩きと称される歩き方だと認識している方が多いようです。

そのまま肩の後ろ回しで、その場駆け足をしてみてください、これも後ろ回しの方が動きやすく、前回しに変えるとぎこちなくなります。(すでにこの時点で、肩を回すという感覚が普段ない方は、どちらの動きも難しく、比較以前の問題である場合もあると思いますが、気長くやってみてください。)

後ろ回しの方が肩の動きに関与している背中の筋肉を使いやすいので、人間は後ろ回しの方がやりやすいと感じるはずです。

ところが、その場駆け足からスピードはゆっくりでも前方向に進もうとした瞬間、後ろ回しがやりにくく感じます。
しかし、そこで前回しに変えても全体として上半身の動きが滑らかになったとは感じられません。

ここが問題なのです。
これまで常識とされてきた腕を前後に振る動作では、できるだけ体幹部分(肋骨にぐるりと囲まれたドーム状の部分)が左右に振られたり捻れないように安定させ、そのうえで肩関節から手先までをしっかり振って推進力を得ようという考え方では、筋力の強さがそのままスピードに反映されることになります。

今回は上半身がテーマですが、強い腕振りイコール強い足のけりとなって、何度も強調してきたブレーキがかかる瞬間を排除しにくくなります。

短距離選手のコメントで、「走路に軽くタッチしたような感覚で走れた」とか、「足跡を置いてきた」などという言い方を聞いたことがあります。
強く地面を蹴った感覚がなかったと言いたいのでしょう。

逆に、「スタートで出遅れて力んでしまい腕振りにもキックにも力が入って」というコメントには、明らかに力んだため推進力にブレーキをかけてしまう動作をやってしまったという思いが読み取れます。

では肩は前回しがいいのか後ろ回しがいいのか、答えは「両方しない」ということです。

また始まったと思われるでしょうが、前回のブログで紹介したドリフターズのやっていたヒゲダンスを思い出してください。
どちらに回していますか、そうです「上下」に動かしています。

上下なのですが、下半身・股関節がローリングしていますから、ヒゲダンスの歩きから走る動作に変えると、見た目には肩が前方向に振りだされているように見えるだけなのです。

けっして最初に説明した前回しの動きとは違うものです。

マラソンや長距離の選手が、気分転換にと腕をだらっと下げてリラックスしながら走ることがありますね、その時彼らは腕を振るのをやめようとか振ってはいけないとか、そういう感覚はないはずです。

だらっと下げて肘を伸ばしてしまったから、スピードが極端に落ちたということもありません。

1990年代に活躍した、中国長距離チームの馬軍団の選手たちの走法を覚えていますか。
先ほど紹介した、一般の選手がリラックスしたいときに行う、腕をだらりとさせたままで、最初から最後まで走り切っていました。

彼女たちは「上半身はダチョウ、下半身はシカをイメージしろ」という指示を、指導者である馬俊仁コーチからされていたそうです。
ダチョウには手がありませんから、なるほど上半身をぐいぐい下半身に前に運んでもらえ、という感覚だったのでしょうか。

では振るのでも振らないのでもない、肩から先の使い方を体感していただくドリルとして、ジャージであればポケットを、ポケットがなければだいたいその位置を、指先で軽くつまんで走ってみてください。

振りたくても指先と着ている服が固定されていますから大きくは振れません。
固定されているといっても、服には体との間にゆとりがありますから振ってないわけでもありません。

できるだけリラックスして、軽く洋服をつまんで走る、どうでしょうか、振っているわけでも振っていないわけでもない感覚、見えてきたでしょうか。

それに慣れてしまえば、つまんではないけれどつまんでいるつもりで走ってみる。
つまんでいることで、肩を回すとか上下という感覚も消えて、本当に楽な動きになります。

力が入って重く固まっている上半身を乗せて走るより、できるだけ下半身の負担にならないように、そっと乗ってくれて余計なことをしない上半身を乗せて走る方が、下半身は絶対に楽なはずです。

こんな走り方でスピードなんか出せるのか、これも何度も聞かれてきた質問です。

これまでやってきた、つまんでいるつもりの肩から手先が、股関節のローリングが滑らかにシフトアップされていくにつれて、いわゆる普通の腕振りに見えてくるのです。

しかしこれはあくまでも腕を振ろうとした結果ではありません。

スピードに対応して、下半身に振られているのです。

振られることで、体幹に余計な力が入らず、結果として体幹部分も安定して見える、これが私の考える理想の走り方です。

サッカーやバスケット、ハンドボールなど、移動距離の長短にかかわらず、試合の最初から最後まで安定した走力を維持するために、取り入れてみてはいかがでしょう。

次回は、走り方中間走は分かったが、静止した状態からのスタートのイメージが湧かないという質問が返ってきそうなので、それを取り上げます。

走るという行為その3股関節の使い方

今日こそ走り方そのものに入りたいと思います。

まず前提としていいることは、走ることそのもののスピードだけを競うものではない競技のための、ということを頭においてください。
それがそのまま、速さを競う競技にも応用できると思っていただければ、さらにありがたいです。

ここからは、経験による私の提案です、正しいとか間違っているという判断は、実際にやってみて体で判断してください。

まずは股関節の動きを作っていくためのドリルです。
走路に一本の直線を引いて、その上を歩いてみてください、踏み出す足の骨盤がローリングしてモデルさん歩きのようになると思います。

上半身の力を抜いて腕はどうやって振ろうとか肩はとか、一切考えずにひたすら直線の上を歩くのです。
少しずつスピードを上げてみてください、その時股関節のローリングを優先させていれば、上半身の動きはおのずと決まってきます。

それはどうやって使ってくださいではなく、それぞれの体が股関節から足先を振りだしていくために最適な動きを、体が自然にやってくれます。

自然にと言ってしまうのは簡単なのですが、これが実は既成概念から抜け出せず、こうしなければならない、こういう風に使えという指示がないと、どうやっていいのか分からないという人が多いのです。

そういう人には、ドリフターズがやっていたヒゲダンスの要領で、肩を上下に動かして歩いてみてください、というアドバイスをします。

背中を伸ばして一本のラインの上をヒゲダンスをしながらできるだけ早いスピードで歩く、これを繰り返していくと、なんとなく体に無理がない、前に進むという動きに対してブレーキがかかっていない滑らかな動きが実感できてきます。

次に線を2本にしてみてください、幅は骨盤の幅の範囲内で、何種類か用意します。

何種類かの幅の上を右左それぞれ踏み外さないように歩いてみてください。
力を抜いて自然に、ができない人は、やはりヒゲダンスのイメージで行います。

何種類かの中で自分が一番無理なくスピードを上げられる幅を見つけてください、そのライン上をひたすら骨盤のローリングのスピードを上げることだけを意識して、何度も何度も繰り返してください。

1時間もやれば、自他ともに分かる変化に気付くはずです。

まずは長時間行っているのに、そんなに疲れを感じていない、もうそんなに時間がたってるのという感覚になります。
そして今までの自分の歩き方とは違うのに、とてもスムーズで体が楽なことにも気づくはずです。

歩くことは移動の手段だと言いました、早く楽に移動できる体の使い方こそ理想の動きであるはずなのです。

それを走りに結び付けていきます。
簡単なことです。

無理なくスピードを上げてきた歩きの動作に、ある一定のスピードを超えると両足ともに地面から離れる、つまり飛んで走る動きに変えた方が楽だと感じる、限界スピードというものが存在します。

以前にも紹介しましたが、普通の人で時速7㎞くらいのスピードになります、そこまで我慢して早歩きを続け、もうこれ以上は無理だと感じたら、そのままライン上を走ってみてください。

もちろん股関節のローリングの意識はそのままで、どうでしょうか、イメージとしては早歩きの状態からスルスルスルという感じで、気が付くとトップスピードに到達していたという感覚です。

昔の車のマニュアルの変速機のギアが変わる瞬間のガクッというショックのない、滑らかな無段変速のオートマティックなギアチェンジという感じでしょうか。

当然体の負担も少ないですし、関節の動作にここを使ってここはどうしてという、つなぎ目がありませんから、昨日お話しした「居付く」という瞬間もありません。

つま先で地面を蹴って、その反力で体を前に進めるという発想では、着地の瞬間には一度体を受け止めるためにブレーキがかかります。

そのブレーキ動作をいかに少なくして推進力に変えるかというのが、これまでのテーマでした。

股関節のローリングで足を運んでいくという走り方には、そもそも地面をけるという感覚がありません。

何度も出てくるキーワードですが、強く蹴るのでも蹴らないのでもない地面との関係、難しいですが感覚の世界です。

蹴ろうと思えばブレーキ動作も大きくなり、蹴ってはいけないと思えば推進力が少なくなる。

ではどうすればよいのか、走るという行為を股関節のローリングという動きをメインにして作っていこうという提案を私はしているのです。

次回は、自然でいいですとは言うものの、上半身はどういうイメージがあったほうが良いのかというテーマで続けていきます。

走るという行為その2居付く

一人でもよいのですが、出来れば二人以上で競わせるという状況を作って、5m競争をやってみてください。

もっと長い距離になれば、そこまでスタートに集中する必要もないのですが、5mという短い距離ですと勝負はスタートで決まってしまいます。

この時の選手たちの動きをじっくり観察してみると、スターターの動きに集中し、一瞬たりとも出遅れないように気持ちも重心も前がかりになっていることが分かると思います。
そしてスタートの瞬間、どうでしょうか全員5メートル先のゴールに向かって動き出せたでしょうか。

瞬間的な動きで集中してみていないと分からないかもしれませんが、ほぼ100%の人間はスタートの合図の瞬間に、後ろに一歩下がってしまうのです。

人間の本能が、前に進むエネルギーを得るためには、極端に言うと一度後ろ方向に踏ん張って、その反力を使ってエネルギーを得ようとする動きをやってしまうのです。

同じことを何度かやらせてみてください、負けた選手は次こそ勝とうと、踏ん張る動作が極端になってきます。
見ていて面白いほどです。

次にその事実を説明し、前に進むんだから後ろに下がるなよと、声をかけてみてください。
今度はどうやってスタートしてよいのか分からず、動作がぎこちなくなってきたり、合図と同時に踏ん張らないことでワンテンポ遅れてスタートを切るなど、パニック状態になります。

この事実がまさに我々の既成概念に染み付いてしまった、「屈筋優位説」の証明なのです。

よしこの時と頑張る瞬間には、どうしても屈筋が働いてしまうのです、そしてその方が有利で正しいことだと思ってしまっています。

スタンディングスタートで右足を後ろにおいて構えていたとすると、その右足で地面を蹴って、地面の反力を得るためには、構えた時の重心配分から、一度右膝を曲げる(屈筋を使う)という予備動作があって、はじめて膝を伸ばして(伸筋を使う)地面をけるという動作が行えると思ってしまっているのです。

このことは、スタートという動作が直接結果に関与しない、例えば走り幅跳びとか走り高跳びなど、自分のタイミングで動き出せばよい状況であれば何の問題もありません。

しかし、短距離走はもちろんのこと、野球での盗塁のスタートやサッカーなどの対人競技で、相手を抜き去ろうとする時、逆に抜き去ろうとする相手に反応良くついていくという場合など、一瞬の遅れが致命的な状況を作り出すような状況の中では、この曲げて伸ばすという使い方は、絶対に避けるべきなのです。

しかし現実は、どんなにその事実を説明し練習の中である程度できるようになった選手でも、試合という結果を求められる状況の中では、やはり同じことを繰り返してしまいます。
とくに野球の盗塁の動作では、そんなこと練習でやってないだろうという動きをされてしまうことがあります。

この状況を「居付く」と表現しています、そのままの意味にとれば、長い時間動かないように聞こえるかもしれませんがほんの一瞬の出来事です。

いや短距離走ではスターティングブロックという道具まで使って、前に進む反力を得ようとしているよ、と言われるかもしれませんが、あのブロックこそクラウチングスタートで両手を広げて体を支え、号砲とともに両手の支えを外すことで重心が前方向に落下していき、その落下する上半身の先に足を降り出すためのブロックであって、両手両足の重心の配分を、一度すべてブロックに乗せ変えて、それをしっかり蹴ってという使い方では完全に居付いてしまう瞬間ができてしまうのです。

もしかしたら専門の陸上競技選手の中にも、いまだにブロックを強く蹴ってと思っている人がいるかもしれません。
これは難しい表現ですが、蹴るなと言っているわけでも蹴れと言っている訳でもないのです。

最も無駄なく体を前に運ぶ(結果として速く走る)ためには、その障害となる居付くという瞬間を排除したい、そのための方法論としてこうやったらどうでしょうかと考えられたものなのです。
実際にトップレベルのスタートの瞬間を見てもらえば、そういう雰囲気は伝わってくると思います。

ですから現実的にはブロックには強い圧がかかります、それは前のめりになった重心を支えようと足を前に運ぶという動作に必要な、最適な力が加わったということです。
はじめからこのブロックを強く蹴ることで強い反力をもらって、スタートダッシュにつなげようとした蹴り方とは意味が違うのです。

居付くという行為は、例えば真剣の日本刀で対峙した侍が、相手の剣の動きに対応しようと一瞬でも屈筋を使ってから伸筋を使うという居付きの動作が入れば、もうすでに相手の剣先が届いて、結果は死が待っているということです。

現在はそこまでの状況はありませんが、それに近い状況で戦っているスポーツ選手たちには、こういうことまで考えて体を使えるようにしてほしいのです。

なかなか実際の走り方の説明にたどり着けません。
次回にはなんとかと思っています。

走るという行為その1

私に鳥肌を立たせるほどの衝撃を与えてくれたブラジルチームの動きの変化、とくに走り方、今日はこれがテーマです。

我々が他者の動きを見て、単純に頑張っているな一生懸命やってるなと感じる動作のほとんどは、屈筋が優位に働いているいわゆる力んでいる状態であることがほとんどです。

逆に、まだ余力を残しているんじゃないの、もっとできるんじゃないかと言われてしまうような状態のときにこそ、本来我々が正しく筋力を発揮できていると私は思います。

走るという動作を取り上げる時、おそらくほとんどの人が「腕を振る」という言葉にたいして何の違和感も感じないと思います。
というよりも、早く走るという目的に対して必要不可欠な要素であると思っている方がほとんどでしょう。

以前にも取り上げましたが、走るという動作は歩くことの延長線上にあります。
ある場所からある場所への移動手段であって、それ以上でも以下でもありません。

単純に言えば重心が前に傾いていったとき、体が倒れてしまわないようにどちらかの足が前に出て体を支えるという行為が繰り返されているだけです。
そこには腕を振るという行為は関与していません。

階段をできるだけ早く駆け下りたいと思えば、腕など振っている余裕はないはずです。

これがスポーツ動作に置き換わると、スピードのある選手はそうでない選手に比べて明らかに評価が高くなります。

そのスピードだけを競う陸上競技は別として、他のスポーツでは、そのスピードを生かして地点間の移動が他の選手より明らかに早い選手であっても、到達した地点で次にどんな動きが要求されているかによって、まったく評価が変わってきます。

球技であればボールに追いついた、さてそこでということになります。

サッカーのサイドバックの選手が50m以上の距離をオーバーラップして攻め上がったところにパスが届いて、それを中央に折り返すためのクロスを上げるという状況で、走ってきたスピードを殺さずに正確にボールをキックすることは本当に難しい技術です。

野球でもベースから数mのリードを取り、投球動作に合わせてスタートを切り、トップスピードのままでスライディングをするという技術が必要となります。

何を言いたいのかと言えば、そこにどうやって腕を振るかという、腕振りありきの走法は存在しないということです。

体重を前に移動させていくとき、体のどこを運ぶのか、今はやりの言葉で言えば体幹部分ということになりますが、もっと限定的な言い方をすれば、それはずばり骨盤ではないでしょうか。

骨盤の両サイドにはまり込んだ大腿骨の骨頭部分が形成する股関節が、いかに滑らかに回転運動・ローリングできるかどうかが、早く重心を移動できる、つまり速く走れることになります。

走ることは全身運動ですべての運動の基礎となる、間違いではありません。

様々なスポーツで、いわゆる走り込みの期間が設けられ、野球など調子を崩すとミニキャンプと称し、ひたすら走り続ける光景が繰り広げられます。
走ることが有用であることの一番の利点は、重心を移動するという目的のために全身が協調して働かなければならないことを体感できるということです。

腕を振るとか腿を上げるとか、一部の筋肉を強調して使うイメージではとてもじゃないですが、長い時間走ることはできませんし、ダッシュを繰り返しても疲れるだけです。

本数を繰り返していくうちに、余分な力を使わない体のバランスを意識した、個人個人の持つ本来の力の発揮の仕方が分かってくるという意味では、走りこむという行為にも意味があるのかもしれません。

しかし、そこまでしなければ分からないものなのでしょうか。
正しい体の使い方を身に着ける方法はないのでしょうか。

次の動作に備え、走りながらも刻々と変化して状況を判断しながら、スピードを殺さないように走るためには、手は振るのか振らないのか、次回考察を深めていきます。

向き合っているもの

今日は私の思いを書いてみたいと思います。

このブログを作り始める時に様々な設定が必要となりました。

その中で自分が書いていきたい内容が、どのジャンルに属しているかを選択肢の中から選ぶという項目がありました。
読んでいただいている方からすれば、シンプルにスポーツという答えが出てくるかもしれません。

しかし私が選んだのは「心と身体」というジャンルでした。
さらにサブジャンルとしては「民間療法」という項目で登録しました。

決められたいくつかの選択肢の中から選ぶしかないので、こういう選択になったのですが、あえてジャンルは「スポーツ」そしてサブジャンルに「トレーニング」という項目を選ばなかったところに、自分がやってきたことへのこだわりがあるのです。

スポーツやトレーニングという言葉から連想されるのは、誰かと競うためにやっていること、という現実が大前提にあります、はっきり言えば勝つためにやっているということです。

その評価は相対評価で、その日その瞬間に相手よりも勝ったか劣っていたかということだけが結果として問われます。

個人としてチームとして、どれだけ努力を積み重ねてきたとしても、結果が出なければ評価の対象にはなりません。
極端に言えば、少し怠けていたとしても勝てば誰も文句は言わないわけです。

私もそういう仕事に長く携わり、努力がすべて報われるほど甘い世界でないことは十分承知しているつもりです。

しかしそうした世界を見れば見るほど、経験すればするほど、それで良いのだろうかという思いが強くなってきました。

けっして負けた時の言い訳をしているつもりはありません。

それぞれの分野で、トップレベルにいる選手であっても、評価の対象がその時の相手との相対評価ではなく、自分の成長を信じて常により良くなろうとする努力を続けているかどうか、昨日の自分より今日の自分、今日の自分より明日の自分と、誰に何を言われようと自分に対しての絶対評価が本当の評価であると信じて、努力を続けていけるかということだと思うのです。

私は個人に対して、本来発揮できるはずの能力の中で未開発の部分を探して、私なりのアプローチでそれを使いこなせるようにしていくことが仕事だと考えています。

選手が変わった良くなったと評価していただいた場合、それは私が新たな能力を授けたということではなく、使えていなかった能力を、本来の形に戻すお手伝いをしただけのことなのです。

そこには他者との相対評価はありません、自分がどうなりたいか、どうなれるのか、それを一緒に探して一緒に努力する、その過程はスポーツとかトレーニングという言葉のイメージとは違う次元のところにあるような気がするのです。

カタカナで表すトレーニングという言葉にはないイメージ、まさに「心と身体」生身の人間そのものを相手にしている感覚なのです。

そうなるとサブジャンルは必然的に民間療法しか選択肢がなかったのです。

人間の行う動作を言葉や数字に表すことほど、難しく意味のないことはないと思います。

昨年サッカーのテストマッチ日本対ブラジル戦をテレビで見た時に、攻守の切り替えなどというレベルではなく、気付いた時には全員が一斉にゴールに向かって攻め上がる、例えて言うならば海の中で見られる、何千単位の小魚の群れが一つの塊になっていて、それが一瞬にして方向を変えるというシーンを見たことはないでしょうか。

自分たちを餌にする大型の魚に対して、塊になることで威嚇するというような意味があるらしいのですが、ブラジルチームの選手たちの動きには、個々人には人を圧するような威圧感はないのですが、全員が一瞬にして攻め上がるその瞬間の雰囲気には、まったく無駄がなく、一つの方向に対して風が吹いたような、んんん難しいですね。
テレビの画面からも、ただ単にスピードアップしたなどという感覚ではなかったのです。
鳥肌が立ったのを覚えています。

そしてつい先日のコンフェデレーションズカップでも同じ光景が繰り返されました。

こういう感覚はトレーニングなどという言葉では片づけられない、まさに人間の心と身体が一体化した時に表現される何かがあるはずなのです。

それをたんに感覚的な言葉の表現ではなく、再現性のある現実的な動きとして表現してもらえるように、様々なアプローチを準備はしたのですが。

その一つの取り組みが、走る時の体の使い方の指導でした。
次回にこのテーマを取り上げます。

勝たせるためのトレーニングから、結果ではなく、人間の心とからだそのものを相手にアプローチしていく、そんな仕事がそろそろできないでしょうか。

トレーニングコーチとしての仕事

またもや回顧録風になることをお許しください。

私はこれまでいくつかのチームや個人を相手に仕事をしてきました。
その度ごとに対外的な呼称が変わりました。

サンフレッチェ広島でのスタート時には、名刺にトレーナーと書かれていました。
二年目はストレングス&コンディショニングトレーナー、そして三年目はフィジカルコーチ、体は一つしかありませんがやることはどんどん増え責任も重くなっていきました。

ただ三年目は、新しく就任した監督の意向で私のやり方が否定され、大きなケガをした主力選手(高木琢也のアキレス腱断裂と森保一の足関節脱臼骨折)のリハビリにかかりきりの一年でしたが。

そして移籍した社会人野球の三菱重工広島では、対外的には登録の関係でトレーナーでしたが、何から何まで思いつくことは何でもやらせてもらいました。

そしてヴィッセル神戸、ここでは広島時代に目をかけてもらったバクスター監督の依頼でフィジカルコーチとして仕事をし、いわゆるメディカルなトレーナーの仕事はしませんでした。

広島カープの佐々岡真司投手の場合は、個人契約のトレーナーとして、チームの練習等には立ち入れませんが(宮崎キャンプンはトレーニングルームまで入っていきましたが)、トレーニングやコンディショニング、投球フォームにまで立ち入ってアドバイスをさせてもらいました。

そして今年の1月から5月初旬まで、川崎フロンターレのトレーニングコーチという立場で仕事をしましたが、風間八宏監督からは、外から言われていたようなケガをしない体作りだとか、けが人の早期復帰といったような、一般的に担当コーチとして当然の仕事をしてほしいというよりも、チームの勝利に向けて個々人の能力アップということが最も重要な課題として要求されました。

私の仕事は多岐に渡ります。
こんなことまでやるのかと思われるくらい何でもやってきました。
そしてそれらを自分の納得できるレベルまで引き上げ、他の誰にも負けない結果を残してきたつもりです。

最近書店で目にした、題名は忘れましたが、「自分でやった方が早い、人に任せられない」ダメな上司の典型的な人間でした。

今回も同じです、風間監督を補佐して、将棋に例えて言うとそれぞれの駒に応じた能力をきちんと発揮できるように、体の動きを作っていくというのが、最も大きな任務でした。
とても一人で達成できる目標ではありません。

駒にはそれどれ違った働きがありますから、歩には歩の金には金の、そして飛車には飛車のと、与えられた能力を余すことなく発揮できる準備が必要となります。
まあ、時々歩が攻め上がって成金ということがありますが、それさえ自分を勘違いしてしまうと本来の仕事ができなくなったりします。

そうやって私が磨き上げた駒を、練習という戦いの場所でしっかり鍛え上げ、たくさんのサポーターが応援してくださる本番の試合で、個人個人そしてチームとしての完成度を確かめていくという作業が繰り返されていくのです。

ケガをしない体作りと一言で言われますが、このブログでも書き続けてきたとおり、どんなに準備をしてもケガをなくするということは現実ありえませんし、早期復帰も選手個人やチームの考え方で、私が思っているようにはいかない部分があることも仕方のないことかもしれません。

そうした現実の中で、使える持ち駒をどうやって並べて、勝利に導くために相手に立ち向かっていくのか、というのが監督の仕事ですから、私のような立場からは想像もつかないプレッシャーの中で、毎日生活をしているのでしょう、せっかく呼んでくれたのに、もう少し役に立ちたかったのですが・・・。

さて、キャンプが始まった頃から、私のトレーニング方法や考え方が、これまでのサッカー界には見られないという意味で、独自の理論とか異質の考え方などと言われましたが、そのことについて少し整理してみたいと思います。

私はいくつかのチームで仕事をしましたが、たとえ同じチームであっても、その時々でチームが求めているやり方も方向性も微妙に違ってきます。

ですから、「私はこういう考え方でこういうやり方しかできません」では、その要求にマッチしない可能性が大きくなります。

今回も同じです。
たまたま、監督である風間八宏が西本直という人間の考え方や方法論をある程度知っていてくれて、それをこのチームで発揮してほしいということで呼ばれたわけですから、こちらはそれに対して、何も構える必要はありませんし、出来ることをやればよいのですから。

しかし、それではこちらもこの仕事をプロとしてやってきた人間ですから面白くありません。

彼が現役生活を終えて最初に著した本と、最新の著作を購入し、今彼が何を考えどういうサッカーをやろうとしているのかということを、素人なりに知っておこうと思いました。

そして、練習の内容に関しても記述がありましたので、いかにスムーズに練習に入っていける体の動きを作るか、そのためにはどういうトレーニングが必要なのか、自分の中でシュミレーションし頭を整理して臨みました。

周囲から聞こえてきた独自の理論という言われ方は、私にとってある意味まったく的外れな評価です。
風間八宏がやりたい練習、彼が求めている選手の能力、それを実現させるために私の引き出しの一部を開けただけなのですから。

もしまったく別の考え方で、別の能力を要求している指導者のもとで同じような仕事をしなければならないとしたら、おそらくまったく違う光景がグランドで見られたかもしれません。
たぶんそんな仕事は受けなかったと思いますが。

トレーニングの主役は私ではありません。
王将はあくまでも監督、選手は優秀な持ち駒として自軍の王将を守り、相手の王将を攻め落とす、私は盤の外側で自分のやってきた方向性を確認する、そんな感じではないでしょうか。

ちなみに、私の著作を読んでいただき、トレーニングに関して冷静な分析をしていただいた方のブログを紹介させていただきますので、参考までにご覧ください。
右側のカテゴリーの欄にある本、スポーツとたどっていただくと私の書評が読めます。
この方がどういう方なのか分かりませんが、サッカー以外にも様々な分野に精通しておられて、内容はとても読みごたえがあります。
こちらからどうぞ。

かたいを改善するには

このブログの内容、難しいでしょうか。
教科書に書いてあることがすべてだと思っていたり、たんにこうゆう分野に縁のなかった方から見れば、かなり異質な意味不明の内容に思えるかもしれません。
今日のテーマの通り、頭の中を柔軟にして読んでいただければと思います。

体の硬さを改善する方法と言えば、誰に聞いてもストレッチという言葉が出てくると思います。
少し年配の方なら柔軟体操という言葉になるでしょうか。

前回お話ししたように、遺伝的な要素である筋肉の端の腱や靭帯の形状によって、ある意味仕方がない部分もあります。

他者との比較で、あの人より硬い、あの人のように柔らかくなりたい、という願望にはお応えできないかもしれません。

今日説明することで分かっていただきたいのは、今日までご自分の体が硬いのは仕方がないことで、一念発起してふろ上がりのストレッチを続けても改善できなかったという方や、子供さんの体が硬いのは、申し訳ないけれど自分たち親の子供なんだから仕方がないと諦めてしまっている方々に、ストレッチの方法そのものの考え方や方法論の部分で、そうだったのかと思っていただけることができるかどうかにかかっているのです。

ストレッチの代表的な動作に、床の上で足を伸ばして座り(長座姿勢)足先のほうに体を倒して手の指が届くとか届かないとかいう形がありますね。

この姿勢で、まったく指先に届かないどころか、上半身がほとんど前傾しているように見えない、強烈な硬さが自慢になっている方までいます。

それをどうするかという時に、お風呂上りで体が温まっている間に、前に曲げられない体を、家族の誰かに後ろから押してもらうという行為に出ることになります。

これは一般家庭の中でだけ見られる光景ではありません。
スポーツの現場でも当たり前のように行われています。

子供の頃を含めて、一度もこの手のやり方で体の硬さを改善することを試みた経験のない人は、ほとんどいないと思います。

ストレッチの動作は様々ありますが、基本このやり方(曲がらないから無理にでも曲げる)で対応してきたはずです。

では結果として、体の硬さは改善されたでしょうか、答えはやはりほとんどの方がNOではないでしょうか。

いわゆる柔らかい体を持っている方に言わせると、「もう少し継続していれば誰でも柔らかくなるんだよ、あきらめが早いんだ」ということになります。
本人にしても、「自分は三日坊主で努力が足りないんだな」と、自らを責める真面目な方も多いと思います。

ではなぜ続かない、続けられないのでしょう。
それは効果が感じられないからです、体に変化があればよしもう少しと意欲もわいてきます、楽しみにもなってきます。
固い体を無理やり押されて辛い思いをした結果、何の変化もなければ続けられるわけがありません。

ここからが本題です。

私は筋肉の仕組みを3・5・7理論で説明しました。
単純な模式図でいうと、ノーマルな状態で5という単位の長さにある筋肉が、収縮の限度である3の方向に縮んでいくとき、関節の運動をにおける逆の方向へ作用する筋肉は、伸長される限度である7の方向へ伸びていくというものです。

腕の力こぶを作って、上腕二頭筋を収縮させれば、本来肘を伸ばすために存在する上腕三頭筋は、二頭筋の収縮を邪魔しないようにゆったりと7の方向にゆるんで伸びていくというイメージです。

であるなら長座の姿勢で、体が前傾できないという状況の体はいったいどうなっているのでしょう。

前傾する際に、その動きを邪魔しないようにゆったりと伸びてほしい筋肉はどの部分でしょうか。
これはやってみれば分かりますね、腰から背中、肩から首にかけての体の構面の筋肉たちです。
プラスして腰からおしり、腿の裏側からふくらはぎ、さらにはアキレス間のあたりまでという人もいるでしょう、とにかく体の後面が硬く突っ張って、体を前に行かせてくれません。

その伸びない筋肉に対して、当たり前のように外力によって後ろから前に押すことで、伸びることを強制しようとしてきたのです。

もともと体が硬いと言っている人は、ノーマルな状態も5ではなく4.8とか4.7という、すでに収縮方向にベクトルが向いたままの状態になっているかもしれません。

その筋肉に対して、無理に引き伸ばそうとするならば、筋肉はその刺激に素直に応えてくれるでしょうか。
最大の問題はここにあるのです。

筋性防衛という言葉があります、正式な医学用語の意味は、「腹部内臓器に病変があると,その臓器の近くの腹筋群に持続的な収縮がみられることがある。このような内臓病変にもとづく骨格筋の反射性収縮を筋性防御という」という難しい言葉なのですが、これを私流にアレンジして通常の骨格筋レベルの反応行為にも応用して考えてみると、「伸ばされたくない筋肉に対して、無理な外力によって伸長刺激を強要すると、筋肉はその刺激に対して逆の収縮する反応を起こすことによって、伸長を阻止しようとする」という分かったようなわからないような説明になります。
何か難しい理論を言っているようですが、私のこじつけの部分もあります。

この考え方でいけば、強い刺激のマッサージを受けた後に、逆に筋肉が張って痛みが出たということも説明がつきます。
良かれと思って外から入れた刺激に対して、筋肉の内面はその刺激以上の力で対抗したため、過度の緊張を起こした、という説明です、こういう経験をお持ちの方もあるはずです。

要するに、前に曲がらない体が、ただでさえ硬くて前に行きたくないのに、後ろから無理に押されることで、それ以上痛くならないように体を硬くして、逆に後ろに反る方向に力を発揮することで、押される力に対抗して体を守ってしまう、ということになってしまっているのです。

ですから結果として、やればやるほど柔らかくならないということになってしまうのです。

ほとんどの方がこれまでの説明で、そうだったのかと思っているはずです。
いや自分はそうやって柔軟な体を作ったよという方もいるでしょう。
それはもともとその程度の柔軟性は持っていたのに、本来できる柔らかく使うことをしていなかっただけで、体に対して適度の刺激を与えることで、本来の能力を発揮できるようになったというのが私の考えです。

ではもともと硬い体に生まれた自分はやっぱり諦めるしかないのか、それでは淋しすぎます。
何度も言いますが他者との比較ではありません、もって生まれた能力、柔軟性を発揮できていない体を、なんとか自分本来の体に戻していこうという発想です。

やってみましょう。
長座の姿勢から、無理をせずにこの辺りまでならというところまで前傾してください。
そこから逆に、背中を反らすようなイメージで体を起こしてください、その時にこれ上反らせないという少し手前の無理のない角度で、後ろから肩甲骨の上部から肩のあたりを誰かに支えてみてもらってください。

自分は後ろに反らす、補助者は前に押す、この両者の力が拮抗して動かない状態、お互いが押し合っている感じです、そのまま5秒くらいキープして、ゆっくり力を抜きあいます。

力を入れる時は、力比べにならないように7割くらいの力で、そして緩める時もガクッと崩れないように、ほわっとやってください。

この動作を5回くらい続けてみてください。

いかがですか、1回ごとにこの辺りまでなら前傾できるよというスタートポジションが、足の指先方向に近づいていくのが分かると思います。
5回終了時には、スタート時との違いは明らかになっているはずです。

前にいかない体を後ろに倒す方向で動かし抵抗をかけたことで、どうして前に倒れやすくなったのでしょう。

7の方向に伸びてほしい、体の後ろ側に位置する筋肉に対して、逆に3の方向に縮むという運動をしてもらったのです。

ここに筋肉を調整していく考え方の本質があります。

3から7の間を収縮・伸展している筋原線維が、伸長方向への可動範囲を失ってしまっている場合、逆にほどよく収縮方向に運動させることで、結果として伸展方向が改善される、という仕組みが私たち誰の体にも備わっているのです。

これは、私の体へのアプローチのスタートとなった「操体法」の施術の経験の中で、様々な状態の体を改善していくうちに、自分なりに掴んだ感覚でした。

そしてそれをスポーツのトレーニングにも応用し、関節の可動域を広げ、実際の運動に使える可動域が広がり、運動の方向性が改善され、故障防止の観点からも大きな効果を得てきました。

説明したのは一つの例にすぎませんが、すべての動作に応用はできるはずです。

つくばで行った講演会でも、実技を交えて説明しましたが、即効性があり驚かれました。
それをさらに継続していただくことで、本来備わっているはずの、それぞれの体の柔軟性に近づくと理解していただきたいと思います。

みんなそれぞれ違う人間です、違うから面白いのです、人を羨むこともありません、自分なりの体で自分なりの使い方を楽しんでください。

プロフィール

Author:西本 直
1993年、Jリーグサンフレッチェ広島を皮切りに、社会人野球三菱重工広島・協和発酵・ヴィッセル神戸・川崎フロンターレ、そして広島カープ佐々岡真司投手など、プロアマ問わず競技レベルのスポーツ選手から一般の方まで、トレーニングやメンテナンスの指導を行ってきました。
その経験と知識の蓄積を「西本理論」としてまとめ、一人でも多くの方に実践していただくことが、これからの私の使命であると信じ、このブログから発信していきます。
私の理論はスポーツ選手のみを対象としたものではなく、ビジネスマンや家庭の主婦まで老若男女すべてに当てはまる不変のものです。
指導や講演のご依頼も受け付けています。
実名でツイッターも書いていますので、チェックしてみてください。
また、2013年9月9日にConditioning Studio 操をオープンしました。
また、遠隔地にお住まいの方を対象とした動き分析とアドバイスを行っています。
詳細は「スタジオ操」のホームページ内の「遠隔サポート」をご覧ください。
「第25回西本塾」を11月18・19日の土日に開催を予定しています。
詳細はStudio操ホームページ内の「講習会情報」をご覧ください
尚、深める会も12月10日に予定しています。

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