故障を乗り越えて

まさに貧乏性です、何にもやることがない時期には、本当に家に居ても所在無くて、一日が過ぎるのが本当に長く感じていましたが、ここまで来ると目が覚めてから気付くともうこんな時間かという日々が続いています。

細々したことは、前もって考えておけばこんなことにはならないのでしょうが、人間期限を決められたり追い込まれないと、なかなか動き出せないものですね。

まるで子供の頃の、今の時期を思い出しますね、夏休みの宿題がまだ終わってなくて、さてあと何日で全部できるだろうかと、そんな遠い昔を思い出します。

そんな中でも、様々な競技でチームの成績と故障者の数の関係が話題になります。

ケガや故障に関しては、これまでもこのブログで様々な意見を述べてきましたが、やってしまったものはもうどうしようもないのですから、どうやって復帰していくかということの方が、現実的には重要な問題となります。

私がこれまで深くかかわった選手というのは、どういう訳かベテランと言われる年齢になっている選手が多かったように思います。

それこそいろいろな経験をしてきたと思いますが、ケガや故障に関しても、まったく何にもなかったという選手はいないと思います。

その時々の経験の中で、自分が納得できる内容のリハビリやトレーニングを行えないまま復帰していたため、こんなはずではなかったという思いを引きずっている選手が多いように思います。

新人でもベテランでも同じなのですが、結局は同じことを何年か繰り返しているだけで、本当に必要な体のためのトレーニングが、私に言わせればできていません。

ですから、ケガをしたのが若手の場合は、早い時期にこうなって良かったという話をしました。

ケガをした選手に良かったもないのですが、チームメートと一緒に練習している限り、それにプラスしてじっくりトレーニングに時間をかけようという選手はまずいません

外れてしまったことをマイナスに捉えずに、今こそ自分の能力をすべて発揮できる体の動きを作ってみよう、というプラスの発想になった選手は、見違えるような動きと身体を手に入れて早期に復帰してくれました

膝の手術を受けたからといって、他の部分には何の問題もないのですから、膝の回復状況を確認しながら、どんどん他の部分のトレーニングができるわけです。

それが全身の血行を改善することにもつながり、何といっても精神的な積極性が回復を早める一番の薬にもなります。

他の選手と離れているからといって、卑屈になることもなく、かえって自分の方が中身の濃い充実した時間を過ごしているという自信が生まれ、グランドに戻った時に余裕を持って他の選手を見ることさえ出来ていました。

ベテランの選手の場合は、大きな故障はそのまま引退につながりますので、長期間の離脱には精神的な負担が重くのしかかってきます。

これまで何人もの選手にこう言われました、「あと5年、いやあと3年早く西本さんと出会いたかった」と。
切実な言葉だと思います。

しかし、同じ言葉は若手の選手からは聞くことができませんでした。

経験の違いといえばそれまでですが、まだまだ勢いでやっているだけなので、時間さえ過ぎればすぐにでも同じ状態に戻れると信じて疑わないような選手が多かったと思います。

三菱重工広島硬式野球部に、2回目の復帰となった2010年の1月のことです。

初めて選手全員を前にして、クラブハウスで1時間ほどのミーティングを行いました。
その時最前列でなんと正座をしたまま真剣に聞いてくれていた選手がいました。

大学出身の2年目の外野手で〇田君と言いましたが、話し終わって、さあ行くぞと声をかけ、立ち上がって歩き出そうとした瞬間、足がしびれてしまっていて転んでしまい、何と足の小指の中足骨を骨折してしまったのです。

漫画のような話ですが、笑いごとではありません。
最前列で目を輝かせて私の話を聞いてくれていたのは分かっていましたから、骨折には驚きましたが、こいつはなんとしても私が責任を持って復帰させようと強く思いました。

まだチーム全員の名前も分からない時ですから、彼に対する先入観もありませんでしたので、とにかく松葉杖をつきながらでも、他の選手に対して私が発する言葉を聞き漏らさないように、傍にいるように伝え、だれよりも早く私の考え方が染み付いていった選手になりました。

彼のリハビリはもちろん私がマンツーマンでつきっきりですから、他の選手に羨ましがられるほどでした。

残念ながら、社会人野球のレベルは彼の想像以上の世界で、その後2年で野球部は引退することになりましたが、引退後会社も辞め、現在は夢を実現させ、香川県の公立高校の教員に採用され、まだ野球部は持たせてもらっていないようですが、近い将来必ず「西本イズム」を形にする指導者として、甲子園を目指してくれると思います。

「けがする前より逞しく」のモットーは、たんに肉体的な問題ではなく、精神的にも大きく成長できるチャンスなのです。

だからこそ、数値や画像だけを判断材料にしてほしくないのです。
どうしてケガをしてしまったのか、防げるケガだったのかそれとも不可抗力だったのか、どちらにしても、これまでのトレーニングや考え方に問題はなかったのか、自分に向き合う絶好のチャンスなのです。

ここで素直に自分と向き合える選手か、それともやはり何かのせいにしてしまうのかで、私はその選手の将来が見えるような気がします。

大きなケガを乗り越えて復帰し、さらに大きな存在となって復活していく選手を、誰よりも近くで見ていられる仕事は、やりがいとともに大きな責任を感じながらの毎日でしたが、本当に楽しい日々でもありました。

これからのスポーツ界を担う若い選手たちとともに、ドクターとトレーナー諸君にも大いに頑張っていただきたいと思います。
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あと2週間になりました。

昨日、新しい施設の工事の状況を見に行ってきました。

何もなかったスペースに、床が張られ壁も天井もできていました。
クロス屋さんが、手慣れた手つきで模様の入った真っ白い壁紙を張るのを見ていました。

5月にいろいろあって広島に帰ってきた当初は、本当にぼろぼろで何も考えられず、何をする気も起らず、たぶんこれまでの人生で一番最悪の状態であったように思います。

時間はかかりましたが、心身ともに回復し、いよいよ新しい施設で仕事を始められることができそうです。

家族には本当に心配をかけてしまいました。
みんなが温かく迎えてくれて、やっぱり家族と一緒がいいんだなと思った4か月間でした。

新しい施設に足を踏み入れた瞬間から、ここがこれからずっと自分が仕事をしていく場所になるんだと思うと、身が引き締まる思いでした。

ヴィッセル神戸を成績不振で解雇され、広島に帰ってきたとき、同じように傷心の心を癒してくれたのは、今この窓から見えていた港の景色でした。

今はマンションやスーパーが間にできてしまって、残念ながら港も海も見えなくなってしまいましたが、収入もなく、いまに見てろと、心の中で呟きながら過ごした1年間を支えてくれたのは、この穏やかな景色だったように思います。

今回も、場所探しのため何か所か見て歩きましたが、すぐ目の前に港の桟橋があり、瀬戸内の穏やかな海が広がるこの場所は、私にとって何にも勝る居心地の良さを感じさせてくれました。

まだサラリーマンをしていた頃、頼まれて茨城県の小さな町に施術に伺ったことがありました。
詳しくは覚えていませんが、駅から延々とバスに揺られる道すがら、ポツンと一軒のログハウスが見え、よく見ると何かの施術所のような看板がついていました。

こんな自然の環境の中で、それもログハウスの中で施術ができたら、お互いに癒されるんだろうなと、強く心に残りました。

もし、四方を壁に囲まれ、窓を開けても隣のビルの壁しか見えないような場所にベッドを置いて施術をしたり、トレーニングをするとしたら、どんな気持ちになるのだろうと思い、最後は海の見えるこの場所を選びました。

オープンしてもそう簡単には、人に来ていただけないでしょうから、海を見ながら自分の体を気持ちよく整えていくことができそうです。

この場所を選んだもう一つの理由は、市内の方であろうと遠い街に住んでおられる方に対しても、場所を教えるのが簡単だというのも大きな理由でした。

広島の宇品港、検索していただいても地図を見ていただいても、すぐに分かります。

JRの広島駅から、バスも路面電車も「宇品港行き」が出ていますから、迷いようがありません。

ブログを読んでいただいて、私に興味を持っていただき、広島まで行ってみようかという方がいらっしゃたら、是非ご連絡ください。

糖質制限の食事をしておりますので、広島風お好み焼きにはお付き合いできませんが、違うメニューであれば夜もご一緒できると思います。

これまで同じ仕事の方との、横のつながりが持てない人間でしたが、これからは逆にいろいろな方にお会いして、私が知らないたくさんのことを教えていただきたいと思っています。

先ほど、昨年まで来ていただいていた方々に、新規開業の連絡メールを差し上げ、何人かの方からは早速の返信も頂きました、ありがたいことです。

これからは、私がどれだけお役にたてるか、熱い部分は残しつつも、少しずつ変わっていく自分にも期待していきたいと思います。

新しい施設の名称は「Conditioningu Studio 操」と名付けました。

操体法の「操」です。

横文字を使ったのは長女のアイデアです、工房じゃなくてStudioがいいって、私とはセンスが違うのでなるほどとアイデアをもらいました。

昨年まで使用していた「トレーナーズルームからだ工房」は、同じ施設名を使っている場所があったことと、心機一転の再スタートということで、変更することにしました。

住所は広島市南区宇品海岸1-13-26広島港宇品旅客ターミナル2階となります。

以前と同じように完全予約制で日曜と月曜を休みにするつもりです。

ただ、たぶんゴルフと自転車の予定がなければ、頼まれれば仕事をするかもしれません、ご相談ください。
あまり働き者ではないことと、仕事が詰まりすぎると集中力が続かないので、ぼちぼちがいいですね。

黙って座って待っていて、来た人を診るのでは、時間の無駄ですから、空いている時間はしっかり自分のために使うのが私の主義です。

本当にもう少しです、頑張ります。

数値か感性か

昨日今日と広島にも雨が降っています。
私の住んでいる場所は不思議なというか面白い現象がありまして、北側の廊下から市内の中心部を見ると明らかに雨が降っているのが分かるのに、南側のベランダから宇品港方向を見ると、まったく雨が降っていないということがよくあるのです。

旧広島市民球場で行われているカープ戦をテレビで見ている時も、直線距離にして4キロほどしかないのですが、雨粒がはっきり見えて5回までできるのかななどと家族で話をしながら見ている時、ふと窓の外を見るとまったく降っていないということもよくありました。

海が近いせいでしょうか、冬になると北側の山々には真っ白に雪化粧がされますが、この辺りが積もることは年に数回のことです。

今年の夏の平均気温は全国で何とベスト5という、あまりうれしくない上位入賞ですが、気候温暖、地震も少なく、瀬戸内ですから津波の心配も少ない、静かで穏やかな場所に暮らしています。

数か月間だけでしたが、毎日が緊張感の中で責め立てられるような感覚で暮らしていた日々が、夢か幻のように感じています。

ちょうど今、Kさんから新しいコメントが届きました。

管理者以外閲覧禁止のマークがついていましたので、全文をご紹介できないことが残念ですが、いただいた内容について触れてみたいと思います。

Kさんはあるウインタースポーツで長い競技歴をお持ちで、競技者として日本代表レベルまで到達され、現在は選手をサポートする、スポーツトレーナーをされている方のようです。

私は残念ながら行ったことはないのですが、選手をサポートするために作られた、横浜にある医科学センターで測定した様々なデータをもとに、トレーニングの目標を立てシーズンに向けての準備を行われていたそうです。

いわゆる科学的トレーニングというものの見本のようなメニューが組まれ、こういう風にやればこうなるという、まさに言葉は悪いですがモルモットにされて、結果を求められたのだと思います。

私が相手にしてきた選手たちでも、代表に呼ばれると、必ずこの身体能力の測定というものが行われているようでした。

それが最低でも選手本人や所属チームに、きちんとフィードバックされてくれれば、やるなとは言えないのですが、シーズン中の時期にもかかわらず、選手の負担になるような測定種目があり、慣れた選手はまったく本気で測定を受けないという話も聞いていました。

今回招集したメンバーの平均値はいくつで、前回に比べてどうしたこうしたと、またどこかの学会か講演会で、チームドクターかトレーナーが発表する材料にされるんだろうなと、帰ってきた選手とよく話をしたものです。

本来であれば、チーム独自ではなかなか測定することが不可能な種目を測定してもらえれば、選手のために生かす方法もあったと思うのですが、残念ながら私の経験の中ではそういうことはありませんでした。

こういう最新鋭の測定機械が備えてあって、こういうレベルの人たちに対して実施し、こういうデータを持っているというのが、ああいう組織の目的になっているとしたら、まったく意味のないことだと思います。

本当にあれは何のために行われていたのか今でも不思議です。

Kさんんも選手生活の後半には、試合の2.3日前になると、システマチックなトレーニングを離れ、経験則による独自の動きを取り入れたトレーニングに移行させていた、と述べられています。

さらに気づけば、そういうトレーニング方法はすでにオーストリアのスキーチームが行っていたそうです。

私が知らない世界の情報、経験談を教えていただきKさん本当にありがとうございました。

同じようなことを経験し、感じている現役選手は、少なくはないと思います。

言われたこと決められたことだけをやって、トップレベルの選手になれるわけはありません。

技術的なこと基礎的な運動能力を鍛えるためのトレーニングのこと、そして戦術的なことを含めて、確固たる信念を持って日々取り組まなければライバルに勝てるはずはありません。

「あいつは〇〇に対して一家言持っている」と言われることがありますね、悪い意味にとられると、人のアドバイスに聞く耳持たない偏屈な頑固者、になってしまうのですが、そうならないためには、数値で表されたデータには見えてこない部分を共有できる自分以外の存在は、選手にとってこれ以上ない味方になれるのではないでしょうか。

私はそういうトレーナーをずっと目指してやってきたつもりです。

それが時代とともに、医科学センターのような施設が整備され、データが読めて機械の操作ができることがトレーナーの能力の指標のようになってきました。

私には分かりませんが、そうであるならば、データを入力すればあとはすべてパソコンが指示をしてくれるソフトだって可能になってくるでしょう。

元広島の高木選手のアキレス腱断裂のリハビリを行っている時、当時の監督から健側と患側の筋力データの比率が80%にならないと、ピッチの中での練習に入れないと言われました。

彼はそういうことを知識として学んできたのでしょう。

しかし現実には、彼の健側の筋力はチームの誰よりも高い数値を示し、患側のリハビリを長期間にわたって行っている間も、休んでいるどころか、さらに高い数値になっていたのです。

患側のトレーニングをどんなに行っても、健側に追いつけるわけがないのです。

それでも80%という数字にこだわる彼に、では健側に1か月ほどギブスをまいて筋力が落ちるのを待ちますか、と皮肉を込めて迫りました。

もうその時点では、どんな動きにも対応できる準備はできていたし、動きの中で自他ともに左右差を感じることのないレベルに達していたのです。

「機械がサッカーやってるんじゃないぞ」って、さすがに目の前では言えませんでしたが、独り言では声に出していったような気がします。

リハビリ期間中に、ランニングをするときには、私は必ずすぐ後ろをついて走りました。

体のバランスや足の運び具合、そして彼の息づかいを感じながら走るのです。

一定の場所で待っていて、遠目に見える動きでは正確な動きは見えませんし、通り過ぎる瞬間に声をかけても、かなり苦しくなっても強気な返事をする選手と、まだまだいけるのに弱気な返事をする選手がいます、性格の違いです。

ですから付かず離れず、すべてを把握するためには後ろを付いて走るしかないのです。

トレーニングの機械も治療機械も、どんどん進んで行くのでしょう。

でもそれを使う対象は生身の人間です。
数字が改善してほしいのではなく、選手が思い切って動けるようになってほしいのです。

お互いが数値や画像だけに頼るのであれば、これから先もっともっと故障者は増え、復帰は遅くなるでしょう。

久しぶりに仕舞い込んでいた思いを吐き出した文章になりました。

イチロー選手が示してくれたもの

日米通算4000本安打を達成したイチロー選手に対して、野球関係者だけにとどまらず、多くの方々が賞賛の言葉を寄せています。

多少でも野球が分かる人であれば、その数字の偉大さは分かるはずです。

インタビューで本人が言っていたとおり、打席を与えられる環境さえあれば、数年後にはピートローズ選手の記録を抜いて、世界一の安打記録を達成することも夢ではありません。

ただそれぞれのチームによって事情が違いますから、限られたメンバーの中に40歳にならんとするイチロー選手を、スタメンで使い続けてくれるチームがあるかどうかは分かりません。

現在の所属チームであるヤンキースでも、定位置であった1番ライトでスタメンに名前を連ねることはほとんどありません。

本人も、球場入りしてメンバー表を確認し、自分の名前を探すことから一日が始まり、気持ちと身体をフィットさせていくのが難しくなってきたと述べています。

私たち家族が神戸に住んでいた時、家族でグリーンスタジアム神戸に「オリックス対近鉄」の試合を見に行ったことがありました。

前年に、指導していた三菱重工広島から近鉄に入団した「磯部公一」選手を激励するためでした。

バックネット裏の高いところに座りましたが、下まで降りて行って大きな声で「いそべー、がんばれー」と叫んで、本人が軽く会釈して応えてくれたことを覚えています。

そのあと、席の後ろの通路でどこかで見たような人が立って話をしているのに気づき、よく見ると、「父ロー」と呼ばれている、イチロー選手のお父さんでした。

その頃には頭角を現し、すでに一流選手でしたが、まさかここまでの記録を残す選手になるとは正直思いませんでした。

イチロー選手の場合、野球の世界でよく言われる「線が細い」体だったことが、将来性という意味で疑問視されていたように思います。

「振り子打法」と呼ばれたバッティングフォームにも、ダメ出しをする指導者が多かったとも聞いています。

野球選手の生活パターンは完全な夜型で、ナイトゲームが終わった後に食事をしたり飲みに出たりという生活になりますから、体が大きくなるというよりも、単純に太る要素ばかりが目についてしまいます。

俗に、野球選手と水商売の女性のダイエットは難しいと言われるゆえんです。

今現在でも、ユニフォームを着た後ろ姿を見て、もう一回りお尻回りが大きくなると良いピッチャーになるとか、打球が飛ぶようになると、当然のように発言する、元選手の解説者がたくさんいますが、イチロー選手の活躍を22年間も見続けてなお、同じことを言い続けられる神経はどうなっているのでしょうか。

今年も地元球団のある選手が、トレーニングで肉体改造をし、一回り大きくなったことがスイングのスピードを上げ、飛距離を伸ばし、安定した成績を残せるようになった一番の要因だと、盛んに言われていますが、体つきだけは大きくなっても成績が伴わない選手のことには一言も触れてくれないのはなぜでしょうか。

とにかくイチロー選手は、これまでの野球人の常識からは計り知れない存在で、解説者の方々もイチロー選手レベルの思考回路を持つこと自体無理なのではないでしょうか。

野球に対する姿勢というのは、ユニフォームを着ている時は当たり前で、プライベートな時間も含めて、というより、プライベートな時間こそどう過ごすかということが、超一流になれた理由なのだと思います。

お腹を突出し、たるんだ二重あごを恥じることもなくグランドに立ち続ける日本のプロ野球選手を、イチロー選手はどう思っているのでしょうか。

アメリカに渡ってから、故障者リストに載ったのがたったの1度だけ、こんな選手は他にはいません。

その秘密を探ることこそ、それほど大きくない日本の選手が、野球だけではなくそれぞれの競技の中で、世界に伍していくための大きなヒントになることは、誰の目にも明らかだと思うのですが。

その方法論の一つとして、イチロ-選手がずっと取り組んでいるトレーニングメソッドがあります。
鳥取に本部を構え、小山裕史さんが運営する「ワールドウイング」というトレーニングジムで行われている初動負荷理論という考え方に基づいた体の使い方です。

そのために考案された機械を使いますので、系列のジム以外では同じマシンに出会うことはできません。
私も浅からずご縁があって、2度鳥取にお邪魔したことがありますが、各競技のトップレベルの選手たちが真剣にトレーニングを行っているところを見させていただきました。

私のような個人で作る施設程度の規模では、スペースの問題もありますし、高額なトレーニング機械の購入や、そのための研修費用も捻出できませんので、ベースになっている動き作りという意味では大いに参考にさせていただいていますが、いかに既存の機械を使って自分の理想とする動きを追及するかというのが、私にとってのテーマというか目標になっています。

日本どころか世界に羽ばたくという意味が、ワールドウイングという名前にはあると思うのですが、私は一般の人たちに対して、お一人おひとりの目標を達成していただけるよう頑張っていきたいと思います。

それにしても、日本のスポーツ選手たちに意識はいつになったら変わっていくのでしょう。

マリナーズで同僚だった長谷川投手が、イチロー選手のフリーバッティングを見て、飛距離に驚いたというお話をされていましたが、けっして力がないわけではなく、十分遠くへ飛ばせる体の使い方、パワーも兼ね備えてのあの体なのです。

ここは一発長打が欲しいという打席では、本当にスタンドの中段まで運ぶような打球を見せてくれます。

見かけの体の大きさや、トレーニングで扱える重量と、自分の体を使いこなせることとは意味が違うものなのです。

まさに「体作りから動き作りへ」の見本のような選手です。

普段イチロー選手に対して、個人的にはファンだとか特に注目しているわけではないと言っている私ですが、今日ばかりは、褒め称える以外言葉がありません。

もちろん面識はありませんし、一度会ってみたいということもありません。
彼が見せてくれる結果だけで、十分すぎるインパクトを私に与えてくれますから。

ストレッチあれこれ

先日は、ちょこっと17日が誕生日であったことを書かせていただいたところ、コメントやツイッターの方でも、おめでとうの言葉をいただきありがとうございました。
55歳、まさにこれからGOGO!の精神で進んで行きます。

広島に拠点を準備してはおりますが、私の話を聞きたいと言ってくださる方があれば、日本中いや世界のどこでも飛んで行って、いつもの調子で熱く語ってみたいと思っています。

また、トレーニングの方法や体の使い方、また故障を抱えた体のケアについても、来ていただけるのであれば、お役に立てていただいてお帰りいただけるよう全力でサポートしますので、よろしくお願いします。

さて今日は、前回の流れでストレッチというものに対する私の考えを書いていきます。

一般的には、ストレッチは体を柔らかくするための静かな体操のようなものとして捉えられているのではないでしょうか。

毎度私の口から出てくる言葉ですが、「これが正しいストレッチです」というものは存在しません。

トレーニングと同じで、目的や行うタイミングの違いによって、やり方も意識もまったく違ったものになるからです。

さらに、個人個人によって筋肉に対する負荷というか、アプローチの強度もまったく違ってきますので、これからお話しすることをベースにして、自分は今どういう状況で、何のためにストレッチを行うのかということを、明確にしてから行っていただきたいと思います。

ですから、足をこう伸ばしてとか、膝をこう曲げてというような、ストレッチのポーズの説明は一切しませんから悪しからず。

今私が、新しい施設の開業に向けて行わなければならないストレッチは、3か月前に広島に帰ってから、運動らしい運動はほとんど行っておらず、今の自分の体がどういう状態なのかを知るために、様々な動きを通して、関節や筋肉の状態を確認していく作業というのが、大きなテーマです。

であるならば、曲がらないところをもっと曲がるようにしようとか、縮んでしまっている筋肉の繊維を、もっとしなやかに伸びるようにしようとすることを、目標にしてしまうと、かなり体にとっては大きな負担になります。

結果としてはそれでも体の変化はあるのですが、風呂上がりの気持ちも体もゆったりしたタイミングで、テレビを見ながらいくつかのポーズで、ゆっくりと身体を伸ばしていくというのが、今の私が行っているストレッチに対する意識です。

おそらくオープンが近づくにつれ、少しずつ意識が変わり、もう少しもう少しと欲が出て、以前の状態に近づけられるようなやり方に変わってくると思います。

現在スポーツ活動を行っている方でしたら、特に子供さんの場合、限られた時間の中で、サッカーなり野球なりバスケットなりの技術練習を多くやりたいのは当たり前で、時間をかけてストレッチを行うのは、指導者も選手も望まないことではないでしょうか。

以前ヴィッセル神戸のフィジカルコーチをやらせていただいていた時、私を呼び寄せた当時のバクスター監督から言われた言葉なのですが、「サッカー選手はボールと一緒ならどこまででも走り続けられるが、素走りほど嫌いなものはないから、メニューを考える時に考慮してくれ」というものでした。

なるほどそうだなと思い、色々なパターンのトレーニングを考えたものでした。

スポーツ動作というのは、一言で言ってしまえば、日常生活では必要のない筋肉の収縮や、関節の可動域を使い、体に対して不必要な負荷をかけることが前提の動作ですから、ケガを覚悟でというよりもケガをするために行っていると言っても言い過ぎではないのです。

本来スポーツを行うこと、PLAYということばの語源は「楽しむ」という意味だったはずです。

それが、選手に選ばれるために、試合に勝つために、プロの選手になるためにと、ハードルが上がっていくにつれて、楽しむことよりも我慢することだったり、痛みを隠すことだったりと、本来あってはならない方向へと変わってしまうのです。

その激しい動作に対応するためには、安全な状態の中で、これから起こるであろう様々な状況を想定して、筋肉を収縮させ、関節を様々な方向に動かし、そういう風に体を動かしておく必要があるのです。

それがストレッチであり準備運動ということになります。

では選手全員が何の準備もしていない状態で、気温の低い冬のトレーニングがこれから始まるとします、何をしなければならないでしょうか。

いくら静的なストレッチ(できるだけ反動をつけずに、痛みを感じない範囲で30秒から60秒間じっとそのままの姿勢を取り続ける)から行おうとしても、屋外の寒い中であれば、じっとしていることで筋肉を伸ばすどころか逆に固まってしまうことになります。

そのためには筋肉そのものの温度(筋温)を上げておかなければなりません。

足並みをそろえて号令をかけてのランニングではなく、それぞれのペースでリラックスした状態でジョギングをしながら少しずつ体を温め、静的ストレッチを挟み、ジョギングとストレッチを繰り返すことで少しずつ動ける体の準備をしていくのが理想です。

そのストレッチも後半にかけて、静的なものから動的なストレッチに変えていきます。

足を振り上げたり体全体を捩じったりと、より実際の動作に近いものにしていきます。

こういう考え方で行うことで、体は無理なくスポーツ動作に移行できるでしょう。

夏の時期であっても、汗をかいているからと油断をせず、筋温を上げるための時間はかけるべきです。
通気性の無い、汗取りと呼ばれるウェアーを着て、ひたすら汗をかきたがる選手がいますが、まったく意味がありません。
きちんと、筋温を上げることを意識すべきなのです。

そして終わった後のストレッチですが、これは誰が考えても分かるとおり、激しく収縮を繰り返してくれた筋肉を沈静化することが目的ですから、静的なストレッチが有効になります。

ただトレーニングの施設の整った環境がその場にあれば、運動終了後に普段のトレーニングで扱う半分以下の負荷を使って、可動域いっぱいに動くような動作を行うことを勧めています

この意味は、どんなスポーツ動作でも、可動域をを100%使い切るような運動の局面はまずありません。
3・5・7理論で言うところの、ニュートラルである5の近辺を行ったり来たりしている運動を行っています。

であるならば、もう少し広い収縮の範囲を、軽い負荷で使い切っておくほうが、筋肉の血流が盛んになり、結果として疲労の回復を早めることができるからです。
「積極的休養」などと言う言い方もされています。

クールダウンと称して、ただ何周もジョギングをして終わりというのよりは、はるかに筋肉に対して丁寧でやさしい方法だと思います。

もっと言えば、ベッドに横になって受けるマッサージよりも、筋肉に対して本当の意味のリラクゼーションを与えられるはずなのですが、気分の問題でしょうか、こちらを優先する選手のなんと多いことか・・・。

あとは個人の個体差の問題が大きいですね、同じ姿勢で同じ時間ストレッチを行ったからといって、同じ効果が得られるはずはありません。

そこで一番問題になるのは、本人の意識の問題です。

子供さんにそれを要求するのは不可能です。
こればかりは将来のことも含めて、硬い子供もやわらかい子供も、今はここの筋肉が伸びているんだよというところから教えていかなけれなりません。

人それぞれ、いろんな体があるんだよと、いうことも知っておかなければなりませんから。

曲がらない体を一瞬で変化させる方法は、つくば市にお邪魔した時に実演して、皆さん驚かれましたが、体の仕組みとしては当然のことで、あとは地道に継続すること、何よりもこれが大切になります

頑張って書き続けていますが、ちょこちょこお休みもさせていただきますので、よろしくお付き合いください。

再出発に向けて

いよいよ今日からテナントスペースの内装工事が始まりました。

内装工事といっても、床はコンクリートの打ちっぱなし状態で通路側の壁もなく、天井も配管が見えるそのままの状態で借りるので、もうほとんど一から作るようなことになりました。

加えて、エアコンの室外機の設置場所が、屋上のそのまた上のスペースに指定され、こちらの希望した窓の外側のベランダのスペースに置くことは認められず、クレーンを使っての大仕事になるとかで、その分の費用がかさむことになったりと、なかなか思うようにはいきませんでした。

しかし、私にとってはおそらく最後の仕事場として、大切な場所となるスペースですから、限られた予算の中ではありますが、できるだけ妥協せずに作っていくつもりです。

長い長い休み期間となりましたが、残りの日数が決まってくると、もっと色々やっておけば良かったかな、などと思ってしまうところもあります。

子供の頃、お盆を過ぎると夏休みももう終わりだなと焦ってしまいましたが、それに近い感じでしょうか。

私の仕事には2本の柱があり、一つはベッドの上で行う「操体法」をベースにした施術行為です。

こちらに関しては、いくら期間が空いたからと言って感覚が鈍ったりすることはありませんし、体力的にもまったく問題はないと思うので心配はしていません。

問題は、お借りしたスペースの6割をさいて作る、トレーニングスペースで行う指導の方です。

その二つの割合がどれくらいになるかは分かりませんが、トレーニングを指導するに際して、やはり自分の体の準備が必要になってきます。

前回にも書きましたが、まずは器具を使って自分の体を、動ける体に作り直しておかなければなりません。

その準備段階として大切になってくるのは、やはり「ストレッチ」という行為です。

一般的ないいかたをすれば、「準備運動」と言ってもいいかもしれません。

チームスポーツの指導をしていた時には、それぞれのチームの指導者の考え方もあり、また与えられた環境の中で、いかにスムーズに練習につなげていくか、ということも考えなければなりませんでしたので、トレーニング自体にも言えることですが、一概にこのやり方がベストというものはないような気がします。

以前に紹介した社会人野球チームのように、時間的な制約があり、個人任せではとても準備運動としてことが足りないという判断のもとに、私が組み立てた「ウォームアップステップ」と名付けた一連の動作を全員そろって行わせましたが、最低限これくらいはやっておかなければ、ケガや故障を未然に防ぐ準備としては不十分だと考えたからです。

これがプロのチームとなると、時間にも余裕があり設備やスタッフもそろっているわけですから、全員がそろって練習が始まるタイミングには、その瞬間からどんな激しい動きを要求されても、対応できる準備を各自が行っておくことが、要求されていました。

指導者の考え方として、ピッチの上での時間の使い方を考えるうえで、そういう部分をカットしたいと思うことは、一つの考え方として間違ってはいないと思います。

選手自身がそれに対してきちんと準備をする時間はあるのですから。

ただ現実として、本当に全員が高い意識を持って、それぞれの体にとって必要十分な準備がされていたかと言えば、疑問は残ります。

そういう意味では、個人の準備プラス、全体に対して、最低限の準備動作を行わせておいた方が良かったのかなと、思うこともあります。

プロである以上、自分の体が一番大切な商品ですが、その取扱いに関しては、全員がプロとしての意識と知識と経験を持って実行できるかといえば、やはり難しいと言わざるを得ません。

私が始めることくらいのことで、大げさにプロ選手の準備行為を持ち出すこともないのですが、この年齢であるからこそ、数か月のブランクはとても大きく、以前のような気持ちで入っていくと、おそらくすぐに体が持たなくなるでしょう。

そうならないための準備が、ご紹介してきた「操体法」の体のチェックであり、加えてストレッチの重要性を身に染みて感じています。

本当にできるはずの動作ができない、曲がるはずの可動域がとれない、伸びるはずの筋肉が伸びない、悔しいのを通り越して、我ながら大丈夫かなと心配になっています。

それでもきちんと時間をかけて行っていると、不思議なもので体はちゃんと応えてくれます。

少しずつ少しずつ、休んでいた分、より時間をかけて、体との対話をしっかり行いながら、来るべき日に備えていきたいと思います。

今の自分を知ること

これまでにも書いてきたとおり、私の体は本当に痩せていて、177cmの身長で30歳まで60㎏を超えることはありませんでした。

身体能力という意味では、どう頑張っても筋力的にはかなわず、瞬発力とか持久力とか体の大きさ以外の部分で勝負できる分野に活路を見出すしかありませんでした

現在は68㎏くらいですが、15年くらい前、ヴィッセル神戸を辞めて広島に帰ってきたとき、ちょうど40歳の年ですが、すぐにでも他のチームからオファーがあるものと、今のように自分の施設を作る準備をせず、3か月間、日曜以外は毎日トレーニングジムに通って、私の嫌いな肉体改造に励んだ時期がありました。

今でこそ体作りではない、動き作りが大事なんだと偉そうに言い放ちますが、当時の私にとっては、仕事上の実績を知ってくださっている方の前では何の問題もないのですが、初対面の方からは、見た目で、この人が本当にトレーニングの指導ができるのだろうかという先入観を持たれてしまうほど、頼りなく見えてしまう体でしたので、はったりでもいいからなんとか見た目を変えなければと、それはもう真剣にトレーニングに取り組みました。

自分が選手に指導をしてきた中で得られた、どういうトレーニングをすればどういう反応があるという経験の蓄積の中から、自分のためにベストだと思えるメニューを作り、それこそトレーニングを終えた後、すぐには着替える元気もなく、自転車にも乗れないほど追い込んでトレーニングをしました。

3か月で66㎏からスタートした体重は75㎏まで増やすことができました。

9時から12時まで3時間のトレーニングを行い、昼食後昼寝をするという、筋量の獲得にとって、これ以上ないという恵まれた時間の使い方をさせてもらい、短期間で大きな成果を得ました。

しかし、その後もどこからもオファーはなく、1年間ほぼ無収入で、貯蓄を食いつぶしながらの生活が続き、家内には本当に迷惑をかけてしまいました。

その翌年、以前使用していた「トレーナーズルームからだ工房」という小さな施設を作って拠点としていたわけですが、昨年末それをたたんで川崎に乗り込んだという次第です。

今準備している施設は、ここからほど近い広島の宇品港の旅客ターミナルの2階にあるテナントスペースで、建設されて10年なかなか借り手がなく空いていたので、ではそこをということで準備を進めています。

現在私の体自体も、トレーニングが全くできていませんので、人様を指導できるレベルには程遠くなっています。

施設が完成しオープンできても、まずは自分のトレーニングをしっかり行って、ブログに書いてある動きを自分できちんとおさらいし、いつどなたに来ていただいても、実際に見ていただいてなるほどそういうことなんですねと、納得していただけるレベルに戻しておかなければなりません。

仕事として収入を得ることがまずは一番の目的となるのですが、自分の体を自分の理論に基づき、きちっと整備できる環境ができることは何よりうれしいことです。

昨日55歳になりましたが、そうやってトレーニングを継続できる環境さえあれば、私の体は何歳まで自分の理想とする動きのできる、良い状態で居続けてくれるのか、誰よりも自分自身に期待しています。

宿題をいただきました。

今日はお二人の方から頂いたコメントにお答えする形で、進めていきたいと思います。

こうして質問なりご意見をいただけると、独り言のように自分の考えを書き綴っている身としては、本当に嬉しくまたありがたく思います。

これからも皆さんどんどんコメントお願いします。

まずは、何度もコメントをいただいている大吉さんからのコメントです。

お久しぶりです。
いつも楽しく読まさせてもらってます。

ダッシュの件、前回のコンフェデ杯のブラジル代表の件をおっしゃってる時から、動きだしとかに注目するようになりましたが、ウルグアイ代表のみなさんも、やっぱり動きが違うなと思いました。

躍動感があるというか、流れがあるというか。

中学、高校の頃、サッカー部で100mダッシュをよくしましたが、大事なのは、ダッシュ後のプレイ、ダッシュしながらのプレイですよね。確かに。すごい納得し、そういう風なトレーニングをしたら全然違うなとおもってしまいました。

動きは、すべてつながってると思うだけで、「歩く」ということすらも新鮮に感じてます!


本当にそうですよね。

我々日本人は、何事にも几帳面で一生懸命取り組みます。
それが悪いことではないですが、それを行う目的や意識が正しい方向に向いていないと、無駄にエネルギーを消費しただけということになります。

いまでもトップレベルの選手たちが、アマチュア時代を懐かしんで、あの苦しい練習があったからこそ今があるとか、理不尽さを受け入れ乗り越えてきた仲間とのきずなは深い、などという発言を見聞きしますが、それらはすべて指導者の責任であると断言します。

その時間とエネルギーをもっとほかの練習に費やしたり、同じ苦しい思いをするにしても、後で分かるではなく、どうしてその時に理解できる指導ができなかったのでしょうか。

倒れるまで走ったとか、試合に負けた後走って帰らされたとか、その手の話は選手に聞くといくらでも転がっています。

私が指導していたクラブにも、とにかく何をさせても一生懸命で手を抜くことを知らず、動きにメリハリがなくてがむしゃらさだけが目立っている若手の選手がいました。

こういう選手が一番教え甲斐があります。
とにかくやれと言ったら何でもやってくれますし、このくらいで止めようと思ってももう少しやらせてくれとくるのですから。

こういう選手には、とにかくこれから行うドリルの意味を正しく認識させることが一番重要となります。

コーンやマーカーを並べポールを立て、スタートからゴールまでの間、それぞれのポジションでどういう動きを要求しているのか、その体の動かし方の意識と、その途中途中にも、実際には動く方向が変わるかもしれない、などということまで意識させ、ヨーイドンでいかに早くゴールを目指すことが目的でないことをしっかり理解させなければなりません。

下半身からターンさせるのか、肩甲骨から押し込んでいくのか、体重の移動と重心の移動の違いなど、実際にやって見せて、やらせてみて、話をしながらドリルを繰り返していきました。
口だけでは絶対に伝わらない感覚です、私がその動きを体現できなければ、私の指導は成立しないのです。

一度で分かるとかできるとかいう感覚ではないので、同じようなドリルをやっても、今日はこういう意識でやってみようとか、体の使い方を変えてみようというテーマを決め、少しずつ動きに無駄な力が入らず、臨機応変な対応ができるように作っていく作業を行っていました。

その動きをベースにして、実際のピッチの中で、どの方向へ展開していくか分からないプレーを予測し反応しながら、自分の体をコントロールしていかなければならないのですから、サッカー選手は本当に大変です。

天性のということばがあり、人種が違うからということばもあります、凡人に生まれた私のような人間からすると、それでも努力で追いつけ追い越せをやってほしいのです。

そのお手伝いを一生懸命やらせてもらっていました。

まずは歩くこと、そして走ること、それが何のために行われていることなのか、きちんと整理されてのトレーニングであり体の使い方ということになるのです。

こうして思い出していると、もっともっと教えてあげたかったなという気持ちになってしまいます。

さてもうおひとりの方です。
お名前がありませんでしたが、初めてのコメントをいただいたと思います。

宿題になるかわかりませんが、前々から思っていたことがあるので、書いてみます。

カーヴィーダンスを知っていますか?
考案者の樫木さんは、スポーツ選手のトレーナーもされているようです。

私はダイエットのためというより、エクササイズとして、カーヴィーダンスを行っています。
樫木さんも、肩甲骨を意識されているように思います。

一般人には、トレーニングというより、エクササイズ、という方が身近かもしれません。
日々の生活を送るにあたり、操体法的ラジオ体操みたいな運動があれば、ぜひ考えていただきたいです。

それによって、日々の生活の怪我の予防になったら最高だなぁと思います。


そうですね、一般の方にとってはトレーニングというよりもエクササイズということばの方がしっくりくるかもしれません。

私もテレビで、マラソンの「藤原新」選手のフォームを安定させるための軸づくりというテーマだったと思いますが、見させてもらいました。

考案者の方は長い経験と数多くの実績を上げてこられた方のようで、選手の信頼も厚かったようです。

スポーツ選手は意外に素直なところがあり、これは自分にとってプラスになりそうだというのは、直感的に感じるようですから、藤原選手も自分の走りに何か足りなという部分とうまくマッチしたのでしょう。

日本は超高齢化社会を迎え、命ある限りできるだけ健康で過ごしたいと思うのは当たり前のことです。

テレビを見ていても、健康食品の通販のコーナーがやたら多く見られますし、最後は子供や孫に迷惑をかけたくないと、医療関係の保険も目につきます。
若いうちから手を打っておかなければと思うのも当然です。

今年の初め、宮崎にキャンプに行ったとき、民間のフィットネスクラブを何度かお借りしてトレーニングを行いましたが、開店から午前中の早い時間は、近隣のお年寄りの方で超満員の状態でした。

プロスポーツチームである我々の方が驚く程の熱気の中で、それぞれがメニューをこなし汗を流し、その真剣さには本当に圧倒されました。

中には100キロマラソンを完走したこともあり、次のレースに向けてトレーニングを続けているという80代の女性の方もいて、とてもかなわないなと思いました。

ご質問のカーヴィーダンスですが、基本的な考え方は間違っていないと思います。

人間が本来持って生まれた能力を生かし切れていない部分、特に背中の筋肉や肩甲骨周りの部分に焦点を当て、無理なく刺激することで代謝を高め、筋力アップとダイエット効果もあるということは間違いありません。

テレビやネットでしか見たことはありませんが、それほど心拍数を上げなくて済むのでしたら、一般の方にも取り組みやすい効果的なエクササイズだと思いました。

ただ、その目的に対しての方法論がカーヴィーダンスしかないのかと言われたら、もちろん他にもたくさんあります。
まさに流行り廃りの典型のような業界ですから、いつまでこの言葉が続いていくのかは私には分かりません。

ここ数年、ラジオ体操の効果が声高に言われていますが、私が学んだ操体法の考え方から見ると、実はもろ手を挙げて賛成できないところもあるのです。

ラジオ体操をやったことがないという人はおそらくないと思うのですが、体全体を捩じったり回したり伸ばしたりと、関節の8方向への展開という意味では、操体法の理にかなっているように見えます。

ところが実際にやってみると、曲げたらつらい方向があったり、無理なところまで頑張らなくていいですよと言われても、そこは人情です、他の人ができているのにと、ついつい頑張ってしまうことにもなりかねません

そこを頑張るのが体操だろうということなのですが、操体法はそうではないのです、体操ではない、だから「操体」なのです。

痛みのある方向、角度、絶対に深追いしません。
言葉は悪いですが、むしろその逆で痛みを感じたら逃げていきます。

とても消極的に聞こえるかもしれませんが、たとえば体を左に倒して右手も左へという動作がありますね、ラジオ体操のように音楽に合わせて反動をつけて動くと、勢いでできてしまうかもしれませんが、ゆっくりやってみると、どこかの角度で体のどこかがもうそれ以上動かさないでという信号を出してくることが分かります

その信号を受け取ったら、そのまま来た道を帰っていき左に倒す動きに変えてくのです

最初に同じように左右やって比べておいて、やりやすい方向が自覚できれば、その方向だけを行ってもいいです。

反対側はどうするのかということなのですが、やりやすい方向へ動いている時、ストップをかけ違和感という信号を発してくれた場所は、動いていませんか、それも無理なく気持ちよく

これが我々人間に備わった自然の法則であり、それを見つけ出して応用したのが「操体法」の創始者である、医師でもあった「橋本敬三先生」ということになるのです。

先ほどの動きでは、両足は肩幅くらいに開いて、両足ともに踏ん張った状態でしたね、これでは横に倒す動きは現実キツイです。

このとき足にかかる重心を工夫してみてください。

右手を上げて左に体を倒していくとき、右足に体重を移して、左足はほとんどつま先でちょっと支えているというくらいにしてみたらどうでしょう。

びっっくりするくらい楽に体を倒すことができるのが分かると思います。

これが人間の体にとって無理のない動きの本質です。

これを先生は仏教の経典になぞらえ「般若経」としゃれた語呂合わせで呼ばれていました。

色々書きましたが、結局はそれを行う目的が一番の問題です。

設備の整ったスタジオで、おしゃれなウェアーを身にまとい、有名ではやっている最新のエクササイズがやりたいと思えば、それはそれで素晴らしい動機ですし、一人自室で自分の体と対話しながら、体の言い分に耳を傾けることで見えてくる方法論を模索していく作業も楽しいものです。

誰かに何かを教わらなくても、人間の体は関節が基本8方向へ動くことができ、その組み合わせが天文学的な数字であること、そして関節の動きにはそれぞれ制限があるので、体全体で動きを表現する必要がある、とこのくらいのことを頭に入れて、今日はどこから動かしてみようかなとか遊び感覚で行う方が、きっと健康な体を維持したいという目的にはあっていると思うのですが。

それを万人向けに整理して、誰でもこういう風にやると効果がありますよというやり方を考えた人が、世間的にはもてはやされていくのでしょうね。

私もいつまでも目の前の選手の息遣いを感じながらのトレーニングでないと、効果を上げる自信がないなどと言ってはいられないので、いつか一般の方にも気軽に取り組んでいただけるメソッドを考えなくてはならないのでしょうか。

コメントをいただいた方には、逆にこんなのはどうでしょうかと、アドバイスを頂けたらなどと虫のいいことを考えています。

楽しい時間

時間があることをいいことに、テレビでスポーツ観戦三昧の日々が続いています。

こういう仕事に就く前から、スポーツ全般、見ることに関しては食わず嫌いもなく、時間の許す限り様々なスポーツを見てきました。

もちろん自分でやったことがある競技など、ほんの数えるほどしかないわけですが、ルールや体の動きも含めて、何でも知っているような顔をして家族に解説しながら見てしまうので、ちょっとうっとうしい父親だったかもしれません。

いつだったか初めて「セパタクロ」という競技を見た時と、「カーリング」を見た時には、それぞれ違う競技スタイルですが、こんなスポーツがあるのかと驚きました。

先日テレビで紹介されていましたが、オリンピックの競技種目に入らない種目を集めた、ちょっと名前が分かりませんが、世界大会が行われていて、これはこれでものすごく面白い競技があったり、これはオリンピックになかったっけという競技があったり、本当に人間は色々なことを考えるものですね。

今行われている世界陸上でも、種目によって人種の遺伝的な優劣がそのまま成績に反映されるような側面があり、どうやっても日本選手は勝てないな、という種目があると思えば、こんな選手がいたのという、びっくりするような選手が登場してきたりと、見ている分には毎日楽しませてもらっています。

競技レベルの個人やチームを対象に、仕事をしてきた人間としては、その経験から言いたいことはたくさんありますが、すべては人間のやることですから、映画のロッキーのように、人間をマシンのように見立てて、ただ勝つことだけを目的にトレーニングを行ったとしても、そうならないことがあっても何ら不思議ではないし、だから見ていて楽しいのですね。

結果がすべての世界ですが、過程に対して真摯に向き合い、追求していける選手は素晴らしいと思います。

トレーニング論のようなことを書き綴っていますが、逆の立場であったとしたら、こうすればこうなるよと言われたことを素直に受け入れられるか、自分自身に置き換えると自信がありません。

やってみなければ分からない、未知の世界に挑戦している時の高揚感が、苦しい練習に耐え抜く動機づけになっていることも多いですから。

やはり選手にとっては、指導者の存在は大きいのでしょうね。

私はトレーナーという立場から仕事が始まりましたので、選手にとってみれば何かを教える人ではなかったと思います。
いつの間にか、何かを教えたい人になってしまいましたが、人に何かを伝えることは本当に難しいものです。

このブログを通して、私の頭の中にあった吐き出しておきたいものを、一気に書き連ねてきたので、気持ちが整理され落ち着いてきました。

今まで書いてきたことや、それに類すること、または何か新しいテーマをいただければ、もっともっと頭を働かせて、新しい発想が湧いてくるかもしれません。

どなたか私に宿題を与えていただけませんか。

珍しくサッカーネタで

先ほど終わったウルグアイ戦を見て思ったことを書きます。

Jのチームで4シーズンと少し仕事をしたとはいえ、サッカー自体は全くの素人なので、戦術面や個人の技術に関してはおこがましくて私ごときがコメントする立場にありませんので悪しからず。

私の視点は、ボールに対する動きだしのスピードと体の使い方をずっと追っていました。

以前に走るということの意味を詳しく書きましたが、日本選手の動き出しは重心が高く、常に足の裏で地面を蹴って、つまり一度居着いてからしか動けないように見えます。

さらに動く方向も相手より判断が遅れてしまっているため、追いかけるような走りになっています。

今行われている世界陸上でも、100mでは出遅れた選手は力んでしまって、本来の柔らかい動きができなくなって、加速できず追い切れない、という場面が多く見られたと思います。

チームとしての完成度の違いもあるのでしょうが、ウルグアイの選手たちはボールが出そうな場所に対して、準備が出来ているのでしょうか、体全体がスムーズに動き出しているように感じました。

そういう動きが繰り返されると、当然疲労の度合いも違ってきます。

サッカーのフィジカルトレーニングで、短いダッシュをする時、とにかく地面を強く蹴って早く走ればいい、という感じで走る選手がほとんどですが、早く移動できてもその場所で次に行う行為を想定して、背中を意識したバランスの取れた走り方を練習しなければ、サッカーという競技には役に立たないのではないでしょうか。

そういう意味でも、相手チームの選手たちは、ファーストタッチから次のプレーへの移行がとてもスムーズで、チャンスを確実に得点に結び付けられる要素が感じられました。

何事も一生懸命にやるのが日本人の良いところですが、こと走るという動作に関しては、もう少しトレーニングに工夫があってもいいのではと思います。

その相手が、W杯予選では苦戦を強いられているのだそうで、世界の壁はまだまだ高そうですね。

日本で行われる試合は、当然日本びいきの放送ですが、画面だけを見ていると本戦の予選リーグを勝ち上がることがどれだけたいへんなことか、残された期間でもう少し基本的な体の使い方を工夫して欲しいと思います。

まあ、私に言えることはこんなことくらいです。
まさか代表のフィジコがこのブログを読んでいるはずもないでしょうから。

肉離れについて

世界陸上のテレビ中継を見ながらパソコンに向かっています。

各競技にはオリンピックの他にも世界と名のつく大会がいくつかありますから、それぞれの大会全てに自分のベストなコンディションで臨むのは不可能と言ってもいいでしょう。

テレビ中継をするマスコミは、この大会こそが最も権威ある大会であるかのように盛り上げますが、陸上であればすでにプロ化されている選手も多く、大会の出場料や順位による賞金に加え、大会記録や世界記録などのボーナスが決まっていて、どこにベストを合わせてくるのかは、選手によって違っているのが現実だと思います。

日本国内の陸上競技大会はそれほど注目されませんが、ヨーロッパを中心としたグランプリ大会は観客の数も多く、注目度の高いスポーツとなっています。

なんといっても一つの競技場で、たくさんの種目を見られるのはありがたいことです。

東京でオリンピックが行われたら、是非見に行きたいと思っています。

ウサインボルト選手はスタート直前の雷雨というアクシデントにも負けずに、しっかり自分の走りで金メダルを取りましたが、予選から見てもこの大会で世界記録が出るような雰囲気はありませんでした。

本当にここに合わせてきたというボルトをこの目で見てみたいものです。

そういう意味では陸上は個人競技ですから、成績も個人の責任ということになりますが、団体競技の場合は出場する選手それぞれのコンディションがありますし、対戦相手によっても要求される動きが変わってくるので、それらを見極めて選手を起用し勝利に導く監督コーチの責任はより大きなものになってくると思います。

ケガや故障は、どんなに周到な準備をしていても起こるときは起きてしまうということは以前に書きました。

明らかに準備不足であったり、相手のラフなタックルでも、周りが見えていないためにやられるべくしてやられたように見えることもありますから、できることはしっかりやっておかなければなりません。

その中で今回は「肉離れ」について私の考えを述べてみたいと思います。

肉離れは当然ですが筋肉の損傷のことです

損傷の程度にもよりますが、まずは安静というのが常識となっています。

20年前、サンフレッチェ広島で仕事をしている時も、何人もの選手の肉離れを経験しました。

別の組織でのことですが、あるコーチから私のやり方に対してこんな言葉を投げかけられたことがありました。

早期から動かすやりかたに「筋肉の問題だからあわてない方がいいですよ」と言われたのです。

専門外の人間に私の理論を話しても理解させるのは難しいので聞き流しましたが、筋肉の問題だからこそ状況によっては予想の期間より早期の回復が可能なのです。

骨折した骨を早くくっつけてくださいと言われても、それはできない相談です。

それぞれの体の回復力を待つしかありません。

筋肉を修復してくれるのは、酸素と栄養をたっぷり含んだ血液であるということはすでに力説したとおりです。

安静にして横たわっているより、上手に筋肉の他動運動による収縮を起こさせた方が、筋肉に運ばれる血液量は誰が考えても多くなります。

ただその動かし方が難しいのです。

自動運動による収縮は、当然痛みを伴います。
自分では全く力を入れていない状態で、本人の痛みを伴わない範囲の中で関節の運動を行うことが必要なのです。

例えばビニールハウスで育てる「電照菊」の栽培のように、菊に対して24時間を72時間に感じられるように照明を調整することで、短い期間で花を育てられるように、筋肉にもどんどん血液を送り込むことで、傷んだ繊維を修復させることができるのではないかと考えたのです。

この方法には当然危険が伴います

本人が動かされることを不安がり、完全に力を抜いてくれないと、3・5・7理論の3の方向へ収縮しかけている繊維を引っ張ってしまうことになり、傷んだ繊維をさらに傷める結果となるからです。

選手との信頼関係が基本となります、この人に任せておけば何とかしてくれるという気持ちにさせることが一番です。

そして長時間動かし続けますので、こちらの体力もいりますし、雑談をして選手の気持ちを患部から逸らすことも大事な要素です。

太腿の肉離れであれば、その上で痛みを与えずに股関節と膝関節の曲げ伸ばしを続けなければなりません。

夜の試合中に肉離れを発症し、救急車で運ばれ足がつけないと車いすでホテルに帰ってきた選手が、その後3時間以上かけて行った結果、翌朝は自分の足で朝食会場に現れ仲間を驚かせ、一週間後には練習に復帰したなどということが、現実に何度もあったのです。

人間の体を治していくということの目的は、MRIなどの画像診断で、患部の炎症がなくなっていることを確認することでしょうか。

それがなくなれば何でもできる体に戻ったのでしょうか。

人間の体は痛みに対してもの凄く敏感で、例えば暗闇で画びょうを踏んでしまったとしたら、その痛みを体が覚えてしまい、完全に傷が癒えた後も、同じ状況に遭遇すると、絶対に画びょうなどないと分かっていても歩き方がおかしくなったりします。

以前説明した捻挫が癖になるのとは違う意味で、肉離れもケガをした時と同じような状況におかれると、またやるんじゃないかと身体が反応してしまうことがあります。

私は痛みが完全になくなり、画像に影も形もなくなってから、さあリハビリに取り掛かりましょうというやり方では、その体が怖がるという本能を消すことが難しいと思うのです。

ですから、関節の自動運動ができない状況でも、まったくの他動運動なら筋肉が動かせるのであれば動かしますし、多少痛みがあってもこれくらいの強度なら歩けるというのなら歩かせました。

「自分では動かせないけど、動かしてもらったら動いた」「まさか今日は歩けないと思ったけど、なんとか歩くことができた」「これ以上の角度は不安だけど、ここまでなら力が入るからこのトレーニングはやってみよう」そういうふうに、体との対話を繰り返しながら、自分の体を作り直していくというやり方をすれば、ゼロから積み上げていくよりずっと本人の不安感が少なく、これができたんだから次はこれもできるだろうという、積極的な発想でリハビリの強度を上げていくことができていくのです。

専門でない人間も含めて、誰が見てももう大丈夫です、という状態でなければ、何にもさせられないというのであれば、我々の仕事はいらなくなります。

私のモットーであった「ケガする前より逞しく」で、選手を復帰させられたのは、こういう考え方に基づいた私独自のアプローチ法があったからです。

一般の方がこの方法を応用するのは、残念ながら非常に難しいと思います。

自動運動ではなく、完全な他動運動で筋肉の繊維を刺激して血流を増やす、そう簡単な技術ではありません。

不幸にして肉離れを起こしてしまったら、傷んだ筋肉を治してくれるのは、酸素たっぷりで栄養素をたくさん含んだ血液と時間が薬だと肝に銘じて、間違ってもたばこを吸うようなことはせず、しっかり呼吸してしっかり食べて、自己治癒力を信じましょう。

刺激と反応その2

30年前、何も知らなかった私に「操体法」を教えていただいた「渡辺栄三先生」から学んだことで、心に残っていることをもう一つ書いておきます。

一つ目はすでに書きましたが、「足指もみ」を、自分の子供の体を借りて練習しなさいというものでした。

本当に気持ち良くなければ、すぐに体を起こして逃げてしまう幼い子供が、もっと続けてくれというほど上手になれば、誰にでも通用する「足指もみ」の免許皆伝、ということだったと思います。

腰が痛い時はこう、膝が痛いときはなどという指導は、先生の口から一度も聞いたことがありませんが、この言葉だけはなるほどこれがプロの技かと、深く印象に残った言葉があります。

「寝違えて首が回らなくなった人に対して、首を触って治せるのは誰でもできる、本当に体の仕組みが分かったのなら、触るのはくるぶしから下だけ、それで治せるようになれば、どんな状態にも対応できるよ」

最初はまったく意味が分かりませんでしたが、故郷で開業していた頃、まさに首が回らなくなって来院された方に対して時間をかけて足指もみをしている時、なるほどそういうことだったのかと、先生の言葉を思い出し、改めて体の仕組みの妙を体験しました。

右にも左にもどちらに回しても痛みがあり、ベッドの上で仰向けになっていただいても、顎があがり目線は真上よりも遠くにあり、首は左に傾いたまま苦しそうに横たわっていました。

枕の高さをタオルで調整することで、なんとか寝ていられる状態でした。

その体を、無理にゆするのではなく、その方の体が自然に波を打つように、丁寧に丁寧に「足指もみ」を続けること30分くらいたった頃でしょうか、枕代わりのタオルが必要なくなり、気がつけば目線も真上を向き、首の傾きもほとんど真っ直ぐになっていました。

「足指もみ」は通常10分から15分かけて行います。
それも、できるだけのんびりしていただいて、体と心をリラックスしていただくために、途中からは話しかけることもせず、静かに揺れを楽しんでいただくのですが、その時は、痛みに意識を向けさせないために、話題を見つけては雑談をしていました。

そうは言いながら、私はその方の様子をしっかり見極め、痛みを与えないように指もみを続けながら、この後どういう操法で体と向き合っていこうかと、全神経を集中した状態を続けているのです。

ですから、少しずつ表情が緩み、こわばっていた体がゆったりとしてくることも、文字どおり手に取るように分かっていました

30分くらいして手を止め、今どの辺りが見えていますかと問いかけると、あれ最初と全然見えているところが違うと言われ、こちらが言う前に首を左右に動かし、「あれ動いた」と、びっくりされていました。

もちろん、それで終わりではないのですが、もし最初から首が痛くてどうしようもないと言ってこられた方の首を触って、さあこれから何をされるんだろうという状況を作ってしまったら、その方の体も心も、こんな短時間ではほぐれてくれなかったのではないでしょうか。

ここまでくれば、私に任せておいて大丈夫だろうという、安心感も生まれているでしょうから、全身を整えていく操法に自然に移行できて、ご本人には何をされて何が起こったのかも分からないうちに、とりあえず首はくるくる回るようになってくれました。

首をどうこうするどころか、本当に足指もみだけで、半分以上目的を達することができたのです。

なるほど先生の言われていたことはこういうことだったんだと、嬉しくなったことを覚えています。

もちろん寝違えと言われるような状況になっている体は、全身が驚く程バランスを崩し、もし首が痛くなくても腰や肩や膝が痛いと言われてもおかしくない状態でしたが、すべて含めて丸く収まってくれました。

私が専門学校に通っている頃に、後学のために様々な施術を体験しましたが、その中で操体法を選んだのは、自分がやってもらうのならこれしかないと思ったからです。

まったく無理なことをさせられない、痛みを我慢してなどという感覚とは真逆で、気持ちのいい方へ動けという、こんなことでと思ってやってみると、体の変化がお互いに確実に実感できる。

もうこれしかないと思いました。
受けっぱなし、やりっぱなし、やることはやりましたでお金を払って帰るのはどうも違うような気がしたのです。

寝違えを足先で治す、そう聞くと手品のようですが、触っているのは足先でも動いているのは全身です。
もちろん首だって動いています。


手のひらの大きさには限度がありますから、全身をいっぺんに触れるなんてできません。
だから触っているのは足先と言いましたが、実は触っているのは体そのものなのです。

だから、腰という部分を触らないで腰の痛みが軽減しても、何にもおかしくないし、足先を触って寝違えが改善されても何の不思議もないのです。

これが人間の体の凄いところです。

だから足し算で考えないでほしいのです、自分の体が良くなろう元に戻ろうとする流れを止めないでほしいのです。
その流れを作るお手伝いを、私がさせていただいているのです。

刺激はどこからでも入れられるし、どこにでも届きます。

体は、丸ごと一つの存在なのですから。

刺激と反応

講談社からうれしいお知らせが届きました。

拙著「朝3分の寝たまま操体法」が、またまた増刷となり、版を重ねて第10刷になったそうです。

2004年7月の初版から昨年まで、すでに7冊を数えていましたが、今年はフロンターレ効果で早々に2回の増刷がありました、まさかもうないだろうと思っていたら増刷のご連絡をいただき、買って読んでくださった方々にはお礼の言葉もありません。

講談社プラスα―新書というシリーズの一冊として出版され、ちょうど9年が過ぎました。
毎月3・4冊は出版されている人気シリーズで、当然書店の棚では見かけることもなくなったので、ネットで買っていただけるのでしょうか、本当にありがとうございます。

冒頭の佐々岡投手のフォーム改造の取り組みの内容も、後半の体への思いも、今でも十分通用する、新しいとか古いとかではない大事なことが書かれていると、自分でも時々読み返しています。

何度目かの再出発に、これまで頑張ってきたご褒美かなと、このタイミングの増刷を心から嬉しく思います。

さて前回は、体を治してくれる究極の存在は「血液」であるということを書きました。

では私にその血液をどうこうすることができるのでしょうか。

私の考え方の基本になっている、橋本敬三先生の操体法の基本理念に「息」「食」「動」「想」そしてそれらを取り巻く「環境」の中で我々は生き、生かされているという言葉があります

長くゆったりと息を吐けることが「長生き」に通じ、贅沢や見栄のためではなく、体のことを一番に考えた「食事」をいただき、生まれ持った原理原則を外れないように「動き」、好いことばかりではない毎日の中でも前向きな「想い」を持ち続け、それらを逃げることのできない、今ここに生きている「環境」のなかで、バランスよく生きていくことが大切なのだと言われています。

宗教ではありませんが、人間がみんなこういう風に考えて生きていければ、争いごとのない平和で暮らしやすい世の中になると思うのですが、いかがでしょう。

これらはすべて自己責任において行うことです。

誰かに強制されて息をするわけでもなく、食べたくないものを無理に食べる必要もありません、スポーツを職業にでもしない限りは、体をいじめるなどという表現を使うほどの運動も必要ありませんし、考え方も見方を変えれば下を向いてばかりいる必要もありません。

そうした要素を前向きにとらえながら、今与えられた環境の中で一生懸命生きているのですが、それでも悲しいかな人は必ず歳を取っていきます、病気にもなります、痛いところも出てきます。

それも自然の摂理と受け止められる人と、いつまでも若いころの健康体を欲張る人とでは「想」の部分で大きな違いが出て、本来改善できる部分にまで影響を及ぼすことにもなります。

その中で私がお役にたてることは、今まで生きてきた経験と、こういう仕事を通して感じたことを、ほんの少しではありますが「想」の部分としてお話し、まずは自己責任の部分に気付いていただくことから始まります

そのうえで「動」の部分に、操体法の施術行為等を使って、体そのものに働きかけます。

またややこしい言い方になりますが、ここでもやはり「動」を操作して体のバランスを整えるとか、骨盤を調整すれば体がよくなるというような言い方は違うと思うのです。

せっかくきちんと考えられた食事をとって、新鮮な空気を胸いっぱい吸って、これ以上ないという状態の血液であったとしても、心臓の拍動とともに全身に運ばれて、一つ一つの細胞を満たしていくためには、それを運ぶ血管の通り道を整備してあげなければ、宝の持ち腐れということになります。

血管は神経とともに、全身に張り巡らされたネットワークです。

たった一つの卵細胞が分裂して、こんなにも複雑な人体が構成されていくことは、私の頭脳ではどれだけ説明されても理解不能ですし、本来は踏み込んではいけない、侵さざるべき分野なのではとも思ってしまいます。

その血管の通り道を想像していただくと、太い筋肉の部分であれば神経と血管が束になって通っていけるスペースはありそうです。

しかし関節の部分を見てください、いくら肉付きのいい人でも関節の部分には筋肉が腱という組織に変わって細くなっていますから、だれが見ても腕や太ももに比べれば、通り道は狭くなっています。

ここをうまく通り抜けなければ、良い血液も隅々まで行きわたりづらくなるとは思いませんか。

ですから調整という意味では、全身の関節部分が緩んでくれることが一番の目安であり、目的という感覚で施術を行っています

長々書きましたが、実はここからが今日の本題です。

体に対する施術は、一言で言ってしまえば筋肉や神経に対する「刺激」です。

そういう意味では、鍼も灸もマッサージもすべて刺激です。
施術行為というのは、与えた刺激に対して生体がどういう反応をしてくれるかを計算できて、初めて施術なのです、ただ何かができるというだけでは、言葉は悪いですが素人のかたと同じなのです。

子供がお父さんお母さんの肩をたたいてくれるという行為はとても気持ちがよく、純粋に心のこもった尊い行為ですが、その叩くという刺激が、そのあと肩の筋肉にどういう変化をもたらすかなどということは、お互いに考えるはずがありません。

しかし、私が体に触れ何かを行う行為をしたならば、そこにはきちんとした計算がなされているのです。

それが時として、受け手には過剰な刺激ととられたり、または物足りないと思われたり、まだ痛みがあるにも関わらず、さらに痛みが増すように感じる行為だったり、その時その時の真剣勝負です。

20年以上も前の話ですが、私のいとこが当時お世話になっていた会社の社長さんが、ひどい腰痛で困っているので何とか診てくれないかという電話がありました。

仕事の都合で、私の営業時間前に診てくれというわがままな言い分でしたが、いとこの顔を立てて施術を行い、翌日の予約を取って帰ってもらいました。

私の感覚では、もうその一回で、ほとんどその方の仕事に影響が出ないレベルまで改善できたので、明日来てもらえば、もう来なくてもいいだろうと考えていました。

ところが翌日来られたその方の腰の状態は、前日よりも悪くなっていました。

すぐにピンときて、どこか別のところに行かれませんでしたかと尋ねると、案の定いつも行きつけのあんまを専門にしているところがあって、今回はそこでよくならなかったのでここに来たが、楽になったので帰りにその足で、またそこに行ってもんでもらったというのです。

たぶん、何でも言うことを聞いてくれてお金さえ払えば1時間でも2時間でも揉んでくれる、わがままが言えるところなのでしょう。

私の与えた刺激はものの見事に消され、全く想定外の体となって翌日私の前に現れたというわけでした。

本人に悪気はなかったと思います。
なかなか良くならなかった腰痛が、私の施術でたまたま楽になった、ならばいつものところでもっと時間をかけてもらえばさらに良くなるだろう。

足し算の考え方ですね。

しかし現実には足し算では違う答えが出てしまいました。

同じような例はたくさんあります。
プロの組織であれば、例えば私が1時間かけて何かを行ったとしても、それだけでは満足してくれません。

次は何百万円もする治療機械で1時間電気治療をするとか、また別の機械でも時間をかけるとか、さらにトレーナーからマッサージを受けるとか、これまた足し算の考え方で、良かれと思うことは何でもやることが早く良くなることだと思い込んでいるのです。

すべてを任せてもらうには立場も中途半端で、時間も足りませんでした。

それでも私は自分の加えた刺激の反応を計算しながら、自分の腕を信じて、体がどう変わってくれるのかを考えることの楽しさを棄てることはできません。

加える刺激の量と、その反応まで計算できて、それを本人に納得させることができて、一流とか本物の施術者と呼ばれるのでしょうね。
まだまだ先は長いようです。

体を癒すもの

私は鍼灸師の資格は持っていますが、もちろん医師ではありませんので、人の体に対して行う行為に対して「治療」ということばを使えません。

日本では昔から「施術」という言い方が使われてきましたが、読んで字のごとく「術を施す」という言い方が現代的でないので、若い人たちはこの言い方を使わない場合も多いようです。

日本では法律で医療行為ができるのは、医師の国家資格を持った人に限られます。

治療ということばも、診断ということばも、医師の資格がなければ使うことができません。

専門学校に通っている時に医事法規の授業もありましたが、医師が行う医療行為とは別に、これも正式な法律用語ではないと思うのですが「医業類似行為」という言われ方をしている資格があります。

鍼師・灸師・あんまマッサージ指圧師と柔道整復師の4つです。

これ以外のいわゆる整体やカイロプラクティックなどは、非常にあいまいな状態で存在し、加えてエステティックサロンなどでもマッサージということばが使われており、一般の方から見れば、人の体を触ることを業としているそれらの仕事の、何がどう違うのかまったく分からないと思います。

ここでこれ以上の説明はしませんが、国家資格としての医師免許と、前述の4種類の国家資格保有者がいて、その他はあくまでも任意団体の認定する資格であるということは知っておいた方がいいと思います。

今日の本論に入ります、医師はけがや病気を治すために医療行為をします。

4種類の国家資格保有者も、それぞれの方法を使って症状の改善を図ります。

その他の業態の方々もそれぞれの考え方と方法論を持って、体にアプローチしていきます。

読んでい頂いてお分かりのように、医療行為ということばが、それぞれの立ち位置でだんだんぼかされていきます。

私は単に医師のすることが唯一最高のもので、他のものはだめだと言っているわけではありません、それはまさに自己否定そのものになってしまいますから。

皆さんがケガをしたり病気になったとき、当然医師の資格を持った医療機関を受診されるでしょう、当然のことです。

そして症状が改善され体が回復していくと、それはその医師が治してくれたという言い方をします。
それはある意味正しいことではあるのですが、私は症状を改善させ体を回復させてくれたのは、医師でも薬剤でもなく、本人の体が元に戻ろうとする自然治癒力そのものだと思うのです。

病院に行かなかったら、あの医師に出会わなかったら、あの新薬が間に合ったから、もちろんそれはそうですが、私が言いたいのは、他人任せで体が改善したと思ってしまうと、何かあればまたそれに頼ればよいという考え方になってしまうことが、少し違うような気がするのです。

体はどうやって数えたらそうなるのか分かりませんが、30兆という細胞でできています。
その細胞の一つ一つに栄養を運んでくれているのが血液です

血液の中には空気中から取り込んだ新鮮な酸素と、食事から摂取した各種の栄養素が含まれています。

言い換えれば血液以外に体を治してくれるものはないと言っても言い過ぎではないと思うのです。

私は非喫煙者ですが、喫煙者の肺がどういう状態になっているのか、専門学生の時の解剖見学の際、真っ黒になった肺をこの目で見ました。
その後も書籍等で数多く目にしています。

体にとって最も大切な酸素の取り込み口である肺を、そういう状態になると分かって喫煙している人に対しては、私の力を必要とされるときにも、今一つ本気になれません。

他人に迷惑をかけていないとか、嗜好品だからと、理由はそれぞれですし、現実喫煙者でも長命な方もたくさんおられます。

それでも筋肉の仕事は骨を動かすことだ、筋肉の動きの連動が理想の体の使い方だ、などと言っている私から見れば、筋肉そのものの収縮に悪影響を及ぼすと分かっている行為を止められない人に、それ以上の何かを求められることが納得いかないのです。

今回自分のことで、心の持ちようが体に対してこれほどまでに大きな影響を与えることに、我がことながら本当に驚きました。

ですが、喫煙をやめることのストレスを言われても、それ以上に体内で起こっているたくさんの問題に比べれば小さいのではないでしょうか。

健康な体を維持し、何かあった時にも体を癒し改善してくれる血液、そのもっとも重要な酸素と栄養、基本的な問題ですが、本気で考える必要があるのではないでしょうか。

私の出番はまだまだあとです。

その人その人が真剣に取り組んでいることに、私の経験や知識が少しでもお役にたてるのであれば、喜んでお手伝いします。

それは本当に小さなお手伝いで、やはり最後はご自分の思いがすべてだと思います。

次回は私がどうやって体にアプローチしていくのか、基本的な考え方をまとめてみます。

投手の動作

投手の動作の連動性について、私がプロ社会人の選手たちに伝えてきたことを書きます。
実際にいかの理論に基づいて指導して結果を残していますので、行っているレベルは別として、習得することは絶対的な目標として間違いありません。

もちろん同じことを同じように伝えても、受け取る選手のレベルによって、どこまでそれを表現してくれるのかは分かりませんが、打者を打ち取るという投手の役割はきちんと認識できると思います。
けっしてスピードガンコンテストをしているわけではありませんから。

まず投手がボールを投げる時に使えるエネルギーの種類を分析します。

野球は投手が投球モーションを起こして、ボールを投げない限りはゲームが流れていきません。

それだけ責任がある仕事を任されているわけです。

マウンドは、内野のダイヤモンドのほぼ中心に位置し、土が盛り固められてお椀を伏せたような形状をしています。

その上に長方形の投手版が埋め込んでありますが、我々が目にする長方形の白い板状のもののすぐ捕手側にも同じ大きさのプレートが埋め込まれています。

この二枚のプレートによって、スパイクが土の中に深く潜らないように、そして蹴る力が得られやすいように作られています。

投手が使えるエネルギーの種類は、大きく3つあります。

一つ目は、マウンドという高いところからホームベースに向かって踏み出すという、上から下へ落ちてくることによる位置エネルギーです。

二つ目は、プレート後方から捕手方向へ踏み出す時に得られる、後ろから前に向かうエネルギーです。

そして3つめが、右投手であれば、一度右方向へ体を捩じっておいて左へ捩じりかえすことによる、回転のエネルギーの3つということになります。

その3つの要素をすべて使い、一番打者に近いポイントでリリースできた時が、最も効率的に体の運動を集約できた、最高の動作と言えます。

そのためには、まず右の股関節でプレートの上にしっかり立つということが絶対条件になります。

股関節は右と左の二つがありますが、軸足となる右の股関節の上に、左の股関節を乗せるようなイメージで立ちます。

ただ左の膝を上げただけでは、次の体重移動に移るときに、体全体が捕手方向に倒れてしまい、そのまま右から左への回転動作が始まり、左膝と左肩がいわゆる開いた状態になります。

しっかり右股関節の上に左股関節を乗せた意識で立てると、直立した頭がそのままの位置に残り、右のお尻が投手方向へ動き出す、右のヒップファーストという体重移動が始まります。

すると右手は打者に対して体の後方に隠れ、ボールが見えなくなります。

打者は当然ですが白いボールの位置を確認しようとして、投手を目視していますから、視界からボールが消えることはタイミングを取ることを難しくします。

さらにヒップファーストで体重移動してくると、18.44mのプレートとホームベースの距離を短く感じさせます。
打者から見れば、自分に近いところまで近づいてからボールを投げる動作が始まる感覚になります。

そして踏み出された左足に体重が移っていきながら、上半身の右から左への回転動作が始まり、隠れていた腕の肘が右の耳をすり抜けるように高い位置から振りだされます。

この時点ではまだボールを持っている前腕が見えず、そのあと遅れて肘から先が振りだされることで、打者にぎりぎりまでボールを確認させないというメリットが得られます。

キーワードは「乗って・運んで・うねりだす」という感じとなります。

高いところから低いところへ降りてくるエネルギー、後ろから前に出てくるエネルギー、右から左へ回転するエネルギー、これらを一点に集約し、なおかつ少しでも打者の近くでボールをリリースし、リリースの直前までボールを認識させない、さらに常に一定の動作・リリースポイントで投げることでボールの変化を予測させない、これが理想の投球フォームということになります。

これは単純な理想論ではなく、一流の投手はほぼこの条件を備えています。

指導する側としては、そのどの部分を改善できるかを見極める目を持つ、ということになるのですが、簡単に言ってしまえば、スタートを間違えれば途中での修正は難しくなります。

逆に言えば、きちんと立てるように指導できれば、あとは自然に流れてくれる場合が多いと思います。

3つのうちの一つを強く意識して投げたとしても、トータルとしては体に無理がかかりますし、本人の能力を生かし切れないことになるのでもったいないと思います。

投手の動作を改善することは、そのまま投手としての成績に直結しますし、それはそのままチームの成績も左右しますので、自己流でいいと開き直らず、3つの要素を融合させる努力をするべきだと思います。

テレビの野球中継を見ながら、この投手には、このポイントをアドバイスできればもっと良くなるのになと残念に思うことがよくあります。

人間の動作は突き詰めていけば、かならずきちんとした言葉に置き換えられる理論が存在します。

数の論理や経験論だけでは指導はできません。

野球に関わる人たちには、ぜひ読んで参考にしていただきたいと思います。

自己表現

昨日のゴルフは、我ながら納得のラウンドとなりました。
87というスコアは、もっと上手なシングルプレーヤーの方から見れば、まったく問題外のレベルかもしれません。

でも42歳から始めて、年間に20ラウンドくらいのアマチュアゴルファーとしては、まずは90切りができればそれほど恥ずかしくないのではと、自分なりには思っています。

数年前まだ高校生だった三男が、コースを回ったことがあるゴルファーのうち、100を切ったことがあるのは1割しかいないというデータがあると教えてくれました。

「飛距離も人並み以上だし、父さん十分なんじゃないの」と褒めてくれて、ほうなるほどと納得しました。

普段ご一緒させていただくのが、いわゆる競技アマと呼ばれる方々で、70台は当然というゴルフをされるので、レベルの違いに淋しい思いをしていましたが、ゴルフは「明るく楽しく」をもっとうに楽しんでします。

私の仕事は、体の動きを作ることですが、それを表現してくれるのは私の指導を受けたトレーニーの方々です。

私のモットーは「自分のできないことは人には伝えられない」ということですから、自分の体もそれなりにトレーニングして手入れもしていました。

ただそれを発揮する機会がないことが、何とももったいないと言いますか残念なことでした。

その中でもゴルフに関しては、始めた当初からドライバーの飛距離が、一般の平均よりもかなり飛んでいると言われ、18ホール一日のラウンドの中で、一発でも二発でも大当たりが出れば、それで満足のゴルフが続いていました。

それではまったくスコアが作れませんので、有名なプロの方や競技アマの方々にも指導していただく機会があり、最近やっとゴルフらしくなりましたが、やはり飛距離の誘惑には勝てず、ここぞというホールでは力んでOBということをやってしまうことがあります。

昨年の7月22日には、地元のリージャスクレストゴルフクラブで行われた、ドラコン大会に出場して305ヤードを記録し、飛距離を求める練習は一段落としました。

自慢話をしているようですが、私は何をやっても何を見ても、どうしても体の使い方や意識といった、自分独自の見方をしてしまう癖があって、ことゴルフに関しても自分のトレーニングの理論を、スイングにどうやって生かすかということを考えてしまいます。

いざアドレスに入ると、いつも我々に教えている理屈はどうしたと、同伴の方に言われるほど力が入ってしまうので、偉そうなことは言えないのですが、ゴルフスイングの中での連動動作を分析してみたいと思います。

ゴルフスイングは、基本的にはまったく静止した状態から動きが始まります。
ですから、みぞおちからとか、背中からとか、股関節からとか、体のどこから動き出すということが論じられるわけです。

指導のイメージは人それぞれで、指導する方によっても言い方が違います。

しかし、どこから動くにしても、静止した体が動き始めるためには、地面と接している両足の裏が地面を押して、その反力を体に伝えていくということが基本となります。

ですからアドレスでの左右の重量配分によっても、地面を押す力の配分が変わってきます。

右利きの人であれば、右足を踏みすぎて頭まで大きく動くことは得策ではありません。

技術的な指導はもちろん私にはできないのですが、足の裏から伝わってきた力を、最終的にクラブのフェースまで伝えて、ボールに対してインパクトするという過程の中で、いかにして自然にそれを伝えていくことができるかというのが、ショットの成否を決めるカギとなります。

アメリカで活躍する「宮里藍」選手は、まさにその連動を体現するスイングだと思います。

下から伝わってくる動きの流れを途絶えさせることなく、伝わってくる動きを待てずに、その上の部分が先に動き出すこともなく、まさに地面からもらった力が、体の中を流れるようにクラブに伝わり、ボールに対しても叩くというより運ぶという感覚で、スイングしています。

体はとても小さいですが、体のすべてが使えているので、見た目以上の飛距離を飛ばすことができるのでしょう。

私も含めて、男性のアマチュアゴルファーは、下から伝わってくる力を待ちきれずというか信じ切れず、ついつい上半身とくに腕の力を使ってクラブを振ってしまうため、見た目ほどの飛距離が得られていないのではないでしょうか。

よく言われる、ゆっくり振ったら飛んだというのは、その力の伝わりが途切れず、体全体の力が程よく使われた結果ということなのだと思います。

「手打ち」という言葉も、せっかくの地面の力を使えずに、末端の腕の力を先行させてしまったということです。

そういう意味の指導をしなければ、素人には手打ちの意味は分かりません、時々練習場でレッスンしているところを見ますが、レッスンプロには失礼ですが、体の使い方やそれを伝える言葉の使い方は、私が説明した方が分かりやすいのになと思うことがあります。
じゃあやってみろと言われると困るのですが・・・。

タイガーウッズのように、体格にも恵まれ筋力も人並み以上にある選手が、何千何万回というレベルの回数を重ねて獲得したスイングでは、下からの連動がスムーズなうえにパワフルですから、あれだけの飛距離と方向性が両立できるので、我々は、まずスムーズな連動でスイングできることを目標にすべきです。

次回は、静止した状態からの連動という意味では共通点の多い、野球の投手の投球動作を分析し、さらに細かい連動のメカニズムを解き明かしていきたいと思います。

この分野は、プロ野球の超一流選手であった、佐々岡真司投手と9年間一緒に考え続け、結果を残した理論ですから、趣味のゴルフの話とは一味違う、濃い内容にできると思います。

骨の動きから気づいたこと

今日は日曜日ですが、毎日が日曜日の、まるで定年退職したサラリーマンのような生活になっていますが、周辺の生活圏の雰囲気には、平日と違う何かがあり、なんだかほっとする一日となっています。

もちろん新しい施設づくりのために準備は進んでいるのですが、貸主が市役所ということで手続きや諸々が遅々として進まず、本当にその場所で始められるかどうかも含めて、予断を許さないという状況は変わっていません。
まあここで焦っても仕方がないと開き直って、気持ちだけはどっしり構えてと思っています。

それにしてもこういう経験は、ヴィッセル神戸を辞めて広島に帰ってきたときにも同じことがありましたが、今回は途中で辞めてしまいましたので、気持ちの整理に時間がかかり、さらには体調のこともあって、気がつけば3か月が過ぎてしまいました。

男にとって、収入が無いということはもちろんですが、働くための居場所がないということほど淋しいことはないものだと、改めて感じています。

神戸の後はどんな気持ちで過ごしていたのか、まったく思い出せません。

人間、つまづいたり転んだり悲しい出来事があっても、忘れることができるからこそ、新たな道に進んでいけるのだということだけは学んできました。
もうひと辛抱だと信じて何とか頑張ります。

さて今回は、私が「連動連動」とバカの一つ覚えのように言い続けているキーワードですが、どうしてそこまで言い切るようになったのか、思い出話をしたいと思います。

言うまでもなく「操体法」というものの考え方をベースに、私の発想は始まっているのですが、実際の日常動作やスポーツ動作において、具体的にそれをどうやって生かしていくのかというのは、まったく未知の世界でした。

可動域を広げる3・5・7理論に基づいて筋肉の動きを把握する、頭の中では分かっていても、自分の体で確実にそれを実感しなければ、人に伝えることはできません。
日々そんなことばかり考えながら生活していたある日のことです。

トイレの中でもついついそんなことを考えていました。
ある時ふと思いついたことがあって、家内に向かって「紙持ってきて」と大きな声で呼びました。

漫画のような話ですが、トイレの中から紙持ってきてですから、家内はトイレットペーパーが切れていたのだと思って、持ってきてくれましたが、私が要求したのはメモを取るための紙とボールペンのことでした。

何となく思いついたことがあったので、イメージが消えないうちに言葉として残しておきたかったのです。

その一つが、一般的に行われているシーテッドローイングの動作です。
背中を鍛えるトレーニングなのですが、たしかに背中に強い刺激があって、継続していく中で背中の厚みというか筋肥大は実感できるものの、背中が丸くなっていくというか、姿勢が悪くなっていく感覚があって、これは正しい動きなのかと考えていた時でした。

背中の筋肉というには、本来背骨をきちっと立てて起こしてくれる筋肉(姿勢筋ともよばれることがあります)ですから、このトレーニングで姿勢が悪くなっては本末転倒です。
その頃真剣にトレーニングに時間をかけて取り組んでいた私にとっては、この矛盾はどうにも納得いかない問題でした。

そしてふと思いついたのが、動き自体が筋肉ありきで、筋肉だけを主役にして動いていることが原因なのではと思ったのです。

力を発揮するのに筋肉が主役でなくて何が主役なんだと、普通は思います、どこもおかしくありません。

しかし、筋肉が収縮することで何が起こるかと考えた時、それは筋肉の両端が骨を引っ張ったことで、関節の角度が変わる、すなわち体が動いたという結果が引き出されるのです。

もっと言えば、この位置関係にあった骨と骨をこういう経路をたどり、こういうスピードで、こういう角度に移動させたいと、脳が企図したことを実行に移す役割を担って仕事をすることが、筋肉本来の仕事ではなかったのかと思ったのです。

自分が今やっているトレーニングは、重量という負荷に対して、手で持っているハンドルをこの位置まで引き付けることが目的になってしまい、骨の位置関係などほとんど頭の中から消えているのではないかと考えたのです。

重量に負けずに引っ張ればいい、押せばいい、持ち上げればいい、それがトレーニングだと思っていたのです。

早速次の機会に、思いついたイメージを意識して、シーテッドローイングをやってみました。

普段扱っているのと同じ重量が、不思議なことに軽く感じられ、体のポジション、骨の動きが手に取るように分かりました。

さらに背骨の動きを強調して、大げさに動いてみようと重量を軽くすると、骨盤がしっかり立てられ背骨のS字が大きくなり、その反らされたスペースに左右の肩甲骨が寄ってくることも、はっきりと自覚できたのです。

ついつい一枚でも重いプレートにピンを指し、一回でも多く回数を頑張ることがトレーニングだと思ってしまっていたのではないか、しかしそれは本来のトレーニングの目的ではなかったと、はっきり自覚できた瞬間でした。

これが私の「体作りのトレーニングから動き作りのトレーニング」への大きな分岐点となりました。

それ以降も骨の動きを意識してトレーニングを行うことで、自分にとって必要な筋力も筋肥大も十分目的を達してくれたと思います。

その感覚が他のすべてのトレーニングにも共有され、私にとってのトレーニングは、「連動」ということばがキーワードになって行ったのです。

答えがないことが答え

おはようございます。

昨日一昨日と、「かわし動作」について説明してみました。
先ほど、いつも読んでくださっている〇田さんから、「かわし動作」の動きについて、コメントをいただきました。

「手首から動き始めた体のつながりが下半身に届いたとき、膝は伸ばしたままでよいのか」、という趣旨だと思います。
動き自体が難しいという感想も記されていました。

私がこのブログを立ち上げ、これまでの経験や積み上げてきた知識を、このまま自分の中だけに眠らせておくのではなく、一人でも多くの方に知っていただきたいという気持ちからでした。

しかし、ご指摘の通り人間の感覚を言葉にして伝えるということは、難しいのを通り超えて不可能に近いことだと思います。

とくに私は、自分が正しいと納得したことは、他の人にも正しいと思っていただけるように伝えることができなければ意味がないと思っていて、今まで指導してきた相手に対しては、自他ともに認める「教え魔」でした。

それにはマイナス面もあって、選手たちは自分で考えなくとも、気付いたことは私からいつでもチェックが入り、なるほどそうなんだということを指摘されることで、自らが考える力が養えなくなってしまうことです。

その時々には、すべては選手のため、なんとか選手を良くしてやりたいという気持ちだけだったつもりでしたが、今となってはそれもこれも、私自身が勝ち負けにこだわり、目先の結果を求めていたことが原因だったのだと思います。

操体法を学ばせていただいた、生涯唯一の師と仰ぐ、故渡辺栄三先生は私とは全く正反対の方でした。

初めてお会いしてからの3か月間は、私も無我夢中で、今でもどんなことを教えていただき、どんな話をしていただいたのかも残念ながら覚えていませんが、次の3か月の講習会の途中でこんなやり取りがあったことを良く覚えています。

参加している6人の方に対して、先生が右手を伸ばした状態から肘を曲げて見せたのです。
そしてその動きに対して、一人一人に今の動きを言葉にしてみてくださいと言われました。

一瞬何のことか分からないという雰囲気になりましたが、ある人は右の肘が曲がりましたとか、またある人は右の手首が肩に近づきましたとか、見た目の現象を言葉にしました。

そういう表現が底をついてくると、右の手のひらが空気を包み込んでいくように動きましたとか、体全体がやさしい気持ちになりましたとか、筋肉と関節の運動からは全くかけ離れた表現まで飛び出してきました。

先生はその言葉一つ一つに対してニコニコしながら頷いて、「ほぉうまい表現をされますね」とか、「そういう風に見えましたか」とか言われるだけなのです。

私を含めて6人の口からは、いったい何通りの表現があるのだろうと、自分たちでも不思議なくらいの言葉遊びが続きました。

それでも最後は先生から「この質問の答えはね」と、我々が期待する説明があると全員が思っていたはずです。

ところがまったくそんな気配も感じられないまま、次の何かに話は変わっていました。

今となれば、人間の感覚はみんな違っているのだし、それを正しいとか間違っているとか、正解はこれなんて決めつける必要もないんだよ、ということを教えていただいていたんだろうなと思えるのですが、当時はおそらく参加者全員が今の会話は何だったんだろうと思っていたはずです。

その後何人かで昼食を食べに行ったとき、やはりそのことが話題になり、本当は答えがあるんでしょということになった時にも、自分の見えているものと人が見えているものは同じようで同じではないし、感じ方もそれぞれ違うことを認めることからしか始まらないのかな、とここでも断定的な言葉は使われませんでした。

そんな先生との時間を過ごす中で、自分の体との対話という感覚や、相手の体と融合していく感覚を学んで行ったような気がします。

そんな先生の弟子であると自認する私が、スポーツの世界で生きていくために選んでしまったのが、今日の練習に参加させる、明日の試合に出場させるための、目先の効果を発揮するための、操体法もどきの施術でありトレーニングだったのです。

もちろん効果には自信がありましたし、選手のためになっているという自負もありました。

しかし、選手とトレーナーという立場を離れた時、私が先生に抱いていたような気持ちを持ち続けてくれる選手はいないと思います。

当たり前と言えば当たり前です、その時その時選手を支えることが私の仕事だったのですから。

〇田さんから頂いたコメント、もっともだと思います。
私が感覚をああだこうだと言葉で説明しようとすればするほど、人は言葉に従いさらに言葉を求めます。

自由にやってくださいでは何のことか分かりません。

矛盾しているようですが、私の精一杯の言葉の説明から、大いなる野次馬根性を発揮して、「これは何だろうどうやって動くのだろう」そう思っていただけたことだけでも、十分私の思いは伝わっていると思うのです。

あとは、私がこう言ったとか、自分はこう思うとか、すべての既成概念も知識も情報もすべて捨てて、体がどうやって動きたがっているか、その一点だけを頭の片隅に残して動きを楽しんでください。

これをやったからどうなるとか、「かわし動作」が分かったとか分からないとか、そんな実利も越えたところに動きの本質が見えてくるかもしれません。

いつかご一緒に「からだ談義」をさせていただきたいですね。



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かわし動作 補足

前回の記事、予想どおりと言ってはなんですが、「かわし動作」の説明が分かりにくかったようですので、改めてもう一度説明します。

その場に普通に立って、右手を肩の高さに挙げてください、ここから動き始めてみましょう。

伸ばした右手のひらを下に向けて、手招きをするように手首を曲げてみてください。
手首だけしか動かしてはいけないとすると、手のひらは90度までいかない角度で止まってしまいます。

それ以上動かそうと思えば、一つ手前の肘の関節を曲げるしかありませんね、肘も回り込むように体の前にたたまれてお臍の辺りでそれ以上は動けなくなります。

さらに肘を回して体の左側に動かそうと思えば、すでに肩関節はロックされていますから、重心を落として両膝が左方向へ動き、そのまま動き続ければ腰を床に落として倒れこんでいくしかありません。

こうやって、一つの関節に負担がくる前に隣の関節、周りの関節と、助け合って負担がこないように連動していく動きを「かわし動作」と名付けました。

一つ一つの動きを分解すれば、こういう説明の仕方になるのですが、実際にやってみると人それぞれの動きがあって、全く同じ動きにはなりません。

しかし、次々と動きを受け渡していかなければ、可動域いっぱいまで動かされた関節に無理がかかるのは分かると思います。

ですから人間は、いちいちそんなことを考えることもなく、自然に体を連動させて日常の動作を行っているのです。

ところがスポーツ動作においては、こういう時にはこうしなければならない的な約束事があって、それを当たり前のことしてやり続けていることが、故障の原因となっている場合もあるのです。

つながって連動しあっている身体の動きを、この局面ではこういう風に動くと限定的に決めつけることで、本来の体の動きを阻害してしまう場合があります。

そうならないためには、やはり部分を意識したトレーニングではなく、背骨を介して連携する骨盤・股関節と肩関節・肩甲骨のスムーズな連動を引き出すようなトレーニングが必要になってくるのです。

このマシンを使ってトレーニングすれば、◯◯筋が強化され、◯◯関節を曲げる力が強くなることで、◯◯運動に適した運動と言える、という説明はまったく的を得ない理屈としか私には思えないのです。

逆に、私が指導するトレーニングを見た人は、これをやるとどこが鍛えられて、どういう効果があるんですか、という質問をされますが、元々全くそういう発想がないのです。

体全体が無理なく連動して動いてくれるようにするためには、このマシンをどういう風に使ったら効果的なのだろう、それがすべての源となっているのです。

「バカと鋏は使いよう」と言いますが、トレーニングマシンの開発思想は、いかに効率良く、他の筋肉の影響を最小限にして、目的とする筋肉を強くできるかということですから、それをそのまま使ってしまったら、動きづくりとは正反対の体作りのためのトレーニングになってしまうのです。

もちろんそれが目的であるという人は、迷うことなく存分に筋肥大という成果に向かって頑張っていただければいいことなのです。

何度も言いますが、目的に対して方法論があるので、私の言っていることだけが正しくて他のやり方が間違っているということではありませんので悪しからず。

日常生活動作からスポーツ動作まで、私の提唱する連携・連動のしなやかな動きづくりを目指すことの方に分があると思うのですが、いかがでしょう。

関節や筋肉に過度な負担をかけない、故障を少しでも減らすための動き方を、動き作りのためのトレーニングとの裏返しとして「かわし動作」という言葉を使っているだけで、攻めるための動きと守るための動きが全く同じ動きなのですから、迷うことなくこの考え方で取り組んでいただいて間違いないと思います。

「かわし動作」ご理解いただけたでしょうか。

かわし動作

「かわし動作」私が提唱しているトレーニングの方法や、何々筋を使ってではない連動したしなやかな動作を、現実のスポーツ動作を指導する際に使うのが、この「かわし動作」ということばです。

この概念を理解し、また実践することができれるようになれば、「西本理論免許皆伝」、私の考え方を広めてくれる後継者どころか、私以上のことができる可能性も大きいのではないでしょうか。

それぐらいこの概念は重要で、私の指導するトレーニング理論の最も重要な部分となります。

これまで説明してきたように、体には数えきれない数の関節が存在し、それぞれに基本的に8方向の運動方向が備わっています。

8×8×8×8・・・・・まさに天文学的な動きの組み合わせが可能なことが、我々人間が他の動物よりも複雑な動きができる理由です。

しかし二足歩行になったために、力を発揮するために「てこの原理」が必要となり、「支点」を作るようになってしまいました。

無理な態勢で大きな力を得ようとすると、支点になる部分に大きな力が加わり、それが体を痛める原因となるのです。

基本的には筋力を発揮するためには、地面に立つ足の裏が、接地している地面を押すことの反力が力の源になります。

それを全身に伝えていく中で、走る・投げる・蹴るなどの目的となる動作を行おうとします。

体操競技で16歳の天才高校生、白井健三君がが話題になっていますが、床運動や跳馬で見せる、信じられないような高さと回転さらに捻り動作も、最終的にはしっかりと床を蹴るとか手をつくといった、地面と離れる瞬間のバランスと力強さがなければ、空中に放り出された猫のように、体勢を立て直して回転運動とはいかないと思います。

いや彼の能力を見ていると、それでもできるのではないかと思わされてしまいますが。

高飛び込みでも同じですし、走り幅跳びや高跳びでも踏切の瞬間が一番大切となります。

野球の投手の動作を見ていると、大リーグの選手などは、まるでそんな理屈を無視したかのように、肩や肘に大きな負荷がかかっているんだろうなという投げ方をします。
いわゆるアーム式と呼ばれる投げ方です。

あれほどの筋力を持つ体の大きな投手たちが、練習でも投球制限があったり、試合でも100球で交代とか、そのかわり中四日で先発などという、日本では考えられない起用方法をします。

私の推測ですが、それはアメリカ野球の長い歴史の中で、どれだけ筋力を鍛えてもああいう投げ方をしている限り、一定の制限を設けないと故障が起きてしまうことを知っているからだと思います。

体全体、特に腕がしなやかに振られて、という風に見える投手はほとんどいません。
大きな体と筋力で、ドスンという感じで投げ込んでいきます。

日本人にはそういう投げ方は見られません。
日本人の筋力で、あの投げ方をしても同じ球威のボールは投げられないでしょう。

ダルビッシュ投手にしても黒田投手にしても、素晴らしいしなりで腕が振られています、外国人のような迫力は感じませんが、実際のボールはまったく引けを取らないどころか、勝っている部分もたくさんあります

軸足でプレートに立ち、その足の裏からボールをリリースする指先まで、無駄なくエネルギーが伝わっていくのが分かります。

ここでイチロー選手をもう一度取り上げます。

彼の外野からの返球は、レーザービームと呼ばれ相手チームにとっては大きな脅威となっています。

あの瞬間の、彼の体の身のこなしを思い出してみてください。

ライトにゴロが飛んできたとして、一塁ランナーの三塁への進塁を阻止するあのレーザービームです。

守備位置からボールを捕球する位置と、送球する方向を計算し、三塁ベースに対してできるだけ正対して捕球動作に入ります。
左手にはめたグラブで捕球した瞬間、投げる方の右手に持ち替え、流れの中で左足を送球方向へしっかり踏み出し、高く上がった右肘が耳をかすめるように真っ直ぐ振りだされ、遅れて肘から先が大きくしなって、まさにレーザービームのように三塁ベースに向かって投じられます。

この後が問題なのです。

彼は踏み出した左足を軸にして、右手でボールを投げたのですが、ここで左足がつっかえ棒のように邪魔をしてしまったら、彼の体はどうなってしまうでしょうか。

関節という関節がぶつかり合って、とんでもない負荷がかかってしまうはずです。

そこで彼が行っていること、ボールを投げた右手と一緒に体全体が左回りに回転し、空中に飛び上がって一回転するように着地しています。

これが彼の体を守ってくれている「かわし動作」です。
どこの関節も可動域いっぱいまで無理をさせれれることがなく、全身が連なりあって協力しています。

意図的にやっているというより、体が自然にそういう風に動くのだと思います。

大リーグのショートの選手が見せる、三遊間を抜けるような打球を、逆シングルで捕球してそのままの態勢で、上体の力だけで一塁へ矢のような送球というシーンを見ますが、日本人のショートではそこまでの強いボールを投げることができません。

その分俊敏に回り込んだり、小さなステップで体勢を立て直したりして、送球しやすくしています。

筋力トレーニングで強くなったからといって、同じことをしようとしても体に無理な負担をかけるだけで得策ではありません。

日本でショートを専門とした選手がアメリカに行くとセカンドで使われるというのも、それくらい現実的に差があるということです。

一つの関節が動くために、隣の関節が動き、遠くの関節が動き、すべての関節が可動域いっぱいに近づかないように協力し合って、体の負担を分配させます。

それでも間に合わない時にはイチロー選手のように、飛び上がって地面との接触を離れることで、体中の関節をそして筋肉をフリーな状態にして体を守る「かわし動作」が完成するのです。

サッカーでも接触プレーで簡単に倒れてしまう選手が見られますが、究極の「かわし動作」が倒れるという行為ですので、ケガを防ぐという意味では転んでしまうことも悪いことではないのですが、相手のファールを誘うような、明らかに姑息な倒れ方は止めた方がいいと思います。

「かわし動作」を習得するためには、一つの関節に与えた負荷を全身に分散していくという、20年前に私が行っていた「オクタントトレーニング」と名づけた、マッサージベッドの上で行うトレーニングは有効だと思います。

トレーニングを行う選手以上に私の方が大変で、どちらがトレーニングをしているのか分からないくらいなので、最近はあまり行っていませんでしたが、今年は久しぶりにこのトレーニングをやらせたい選手に出会えましたので、何回かやってもらいました。
もう少し続けていればと残念でなりません。

この「かわし動作」、故障を防ぐだけではありません。

全身の連動性が意識され、動きが確実に良くなります。

日常生活の中でも、重いものを持ったり階段を上ったりする時に、腕の力でとか足の力でと思わずに、全身が協力して最低限の筋力で動くということを意識すれば、疲れが全く違います、お試しください。

プロフィール

Author:西本 直
1993年、Jリーグサンフレッチェ広島を皮切りに、社会人野球三菱重工広島・協和発酵・ヴィッセル神戸・川崎フロンターレ、そして広島カープ佐々岡真司投手など、プロアマ問わず競技レベルのスポーツ選手から一般の方まで、トレーニングやメンテナンスの指導を行ってきました。
その経験と知識の蓄積を「西本理論」としてまとめ、一人でも多くの方に実践していただくことが、これからの私の使命であると信じ、このブログから発信していきます。
私の理論はスポーツ選手のみを対象としたものではなく、ビジネスマンや家庭の主婦まで老若男女すべてに当てはまる不変のものです。
指導や講演のご依頼も受け付けています。
実名でツイッターも書いていますので、チェックしてみてください。
また、2013年9月9日にConditioning Studio 操をオープンしました。こちらもご覧ください。
また、遠隔地にお住まいの方を対象とした動き分析とアドバイスを始めました。
4月15・16日の二日間西本塾を、予定しています。
詳細は「スタジオ操」のホームページ内の講習会情報をご覧ください。

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