絵か文字か、言葉の力

昨日、このブログを開設以来、初めて写真を挿入しました。

直接私から指導を受けた方から、フライングバックトレーニングと名付けた、器具を使わない広背筋のトレーニングの形がよく分からないからというコメントをいただき、ならば写真をということになりました。

今でこそ、自分の知識や経験を伝えるための活動を積極的に行っていますが、つい昨年まではまったくその気がありませんでした。

私のやってきたことが、あまりにも感覚的すぎて、自分の中ではわかっていても、それは自分だけがわかる感覚で、それを人に伝えることなどできないと思っていたからです。

後継者だとか弟子とかいう言い方で、なぜ養成しなかったのかと言われることも多かったのですが、もし何年かかけて教えたとしても、私と同じ技術は身についても、同じ感性を身につけることはできないと思います。

私が磨いてきたものは、技術ではなく感性だと思っています。

もちろん私も驚くような素晴らしい感性の持ち主は、他にもたくさんいるかもしれませんが、私と同じと言われるとなんとも言いようがありません。

私の師、渡辺栄三先生は10年ほど前に40半ばで亡くなられました。

もう私は先生の生きた年数を10年も超えてしまいました。

東京でお世話になった約6年の日々を思い出すと、先生の口から操体法の具体的な方法論のようなものを伺ったことがないような気がします。

もちろんなかったわけではないと思うのですが、そういうことではなく、相手の体と自分の体を一つに融合させるという、まさに感覚の世界を感じさせていただいたように思います。

そういう意味では、私が指導していただいたのは、たんに操体法という言葉で言い表されるものではなく、渡辺栄三という人間を通して語られた、先生の人間性そのものだったのではないかと思っています。

今私が行なっている施術は、そういう意味ではもう操体法ではないのかもしれません。

もちろん先生も操体法を学ばれたのですが、先生の感性の中で変化し、それを受け継いだ私の感性が、相手の体とどう向き合うかという方法論を模索してきた結果が、今の形になっているのだと思います。

純粋に操体法を継承している方々から見れば、私のやっていることは操体法ではない、違うものだと言われてしまうかもしれません。

どんなことでもそうですが、人の話を聞いたりそこから何かを学ぼうとすれば、メモを取ったり、今の時代ならばボイスレコーダーやビデオ録画という方法もあるでしょう。

それが長く指導をいただいたにもかかわらず、私は先生の言われたことをメモしたという記憶が全くないのです。

もちろん資料はいただきましたし、今でも大事にとってありますが、これがまた意味不明で、普通の人が見ても何のことだかわからないことが書かれているだけなのです。

もちろんメモをしっかり取りながらという人もいましたが、私はそんなことより先生の表情を見たり語られる口調を聞いて、少しでも先生の言わんとすることの意味を感じようとしていました。

後でメモをみるより、録画した先生の姿を見るより、今この瞬間先生は自分に何を伝えてくれようとしているのか、それが感じられなければ、そんなものは全く意味をなさないと思いました。

だから誰よりも真剣に話を聞いていたつもりです。

今こうして伝える側になって思うことは、私と同じような感性で話を聞いてくれている人はいるのだろうかということです。

もちろんメモを取るなとは言いません、ただペンを走らせている瞬間にもたくさんの言葉が私に口から発せられています。

方法論や形の問題ではなく、何を伝えたいと思って話をしているのかという、本質的なところが伝わっていれば、形がどうこう言うレベルの問題は二の次ではないかと思うのですが。

スポーツライターの木崎さんとご縁ができ、言葉の力、言葉の大切さを改めて感じています。

今までの私は、感覚だ感性だと聞こえのいい言葉で自分をごまかしていたのではないか、本当に自分がわかっていれば、それを言葉に落とし込み、誰かに伝えることができるのではないか、今までその努力を怠っていただけなのではないか。

そんなことを考えるようになりました。

言葉の力、文字の力には限界がある、やはり挿絵や写真、できればDVDでもつければ万人に理解してもらいやすい、そういう安易な考えを持っていました。

しかし今、今日現在ではありますが、考え方が少し変わっています。

たしかに絵や写真は目で見てその形をマネすることができるという意味では、不特定多数の人に説明するのにとても便利なツールかもしれません。

ただ静止画では、その瞬間がどういう局面なのかが伝わりません。

例えば昨日の2枚の写真でも、それが上半身を沈めて行く瞬間なのか、それとも逆に上がって行く瞬間なのか、そのどちらにも取れるわけで、二つの動きには大きな違いが出てきます。

どちらの瞬間かで目線が下なのか上なのか、まったく意味が違って行きます。

もし動画であったとしても、その動きはどういう目的で行われていて、どういう意識が体に働いてその動きになっているのか、それがきちんとわかっていなければ、ただマネをしているだけ、形だけの運動になってしまいます。

私が指導した方から指導を受けた学生が、私の目の前で全く違う動きをした時にはちょっと驚きましたが、正しく伝えるということは姿形を教えることではないのです。

何のためにどういう意図を持って、その部分こそが正確に伝わっていかなければ、⚪️⚪️トレーニングと同じ道をたどっていくような気がします。

学んでいただく方にも、人に伝えるという目的があるのなら、もっと覚悟を持って真剣に取り組んで欲しいと思います。

写真や動画ではなく言葉でうまく表現できて、こちらが言いたいことの本質をつかんでもらえたとしたら、もしかしたらフライングバックトレーニングは全く別の形で行われて行くのかもしれません。

目的が同じなら形などどうでもいいわけで、私が驚くようなフライングバックトレーニングが開発され、もっと良い効果を発揮してくれるのかもしれません。

それが文字の力、人間の想像力の成せる技だと思います、もちろんそのためには基礎的な体の仕組みや、私が西本塾でお話ししているような発想も、多少は知っていないとアイデアも浮かばないとは思いますが。

趣味のゴルフでも全く同じことが言えます。

レッスン書と言われるものは、すべてとは言いませんがほとんど目を通してきました。

主流になるのはやはり写真やイラストを多用したものです、DVDもたくさん出ていますし、YouTubeでも無料でたくさんの動画を見ることができる便利な世の中です。

そのなかで、アマチュアの永田玄さんの書かれた2冊の本は、これまでのレッスン書と一線を画し、文字だけで語られた珠玉の内容となっています。(題名はあえて表記しませんが著者のお名前で検索してください)

書かれた内容から何を読み取り、どう実行に移すか、読んでいる私が、著者である永田さんに試されているような感覚になります。

多くの本は一度目を通せば二度開くことは少ないのですが、この2冊は常に手元に置いて、何度も読み返しています。

できることなら私にも、こんな力を持った文章が書けるようになりたいと思っています。

ただ、読み手にも覚悟が必要だということは、改めて肝に銘じておかなければならないことだと思います。

分からなければ聞けばいい、そんな安易な気持ちで文字を追っても、けっして心に響いてくるものはありません。

作者が言わんとしているものは何か、大袈裟かもそれませんが、書き手と読み手の真剣勝負です。

たかがブログで何を偉そうに、そうかもしれません。

こんなブログでも文字を綴っている瞬間は真剣勝負です。

気楽に読んでいただいて何ら問題はありませんが、質問やご意見を頂く時には、少し深く読んでいただいてからお願いできればと思います。

※鍵付きでのコメントは受け付けないことにさせていただきましたのでご了承ください。
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指導する側される側

なんだかんだと私も長くこの仕事を続けてきました。

プロと呼ばれる立場の選手から、一般の方までたくさんの方々と接する機会をいただいてきました。

そうして経験の中で、自分なりに目の前にいる人間の将来が、ある程度予測出来るというか見えてしまうような気がして、ついつい本人からしたら言われたくないことを、たくさん言ってきたかもしれません。

先日、現役時代、努力努力で一流の選手に上り詰め、現在は指導者となっている、ある人物とゆっくり話をする機会がありました。

彼とは現役の最晩年に縁があり、トレーニングの指導や腰痛のケアをさせてもらいました。

その時は現役選手ですから、自分のことで精一杯ですし、プロ選手としての長い経験が邪魔をして、私の指導を素直に受け入れることは難しかったと思います。

それが引退しコーチとなってから、改めて体そのものに対する意識が変わり、自分の経験だけでは指導者として足りない部分があると気付き、改めて私の元を訪れてくれました。

驚いたことに、言葉ではなく自分の体で体験したいと、現役時代以上に真剣にトレーニングに通ってくれました。

最初は、私がどうしてこんなことを考えたのか、また競技者として何の実績もない私に、なぜそんなことがわかるのだろう、きっと何処かの誰かに指導を受けたに違いないと思っていたようでした。

それが、本当の意味で体というものを深く知ろうと試行錯誤して行く中で、野球のためでもサッカーのためでもゴルフのためでもない、人間としてこういう風に体を使うことが、大切な体を労わりつつも、自分のやりたいことを実現してくれる唯一の方法であるという結論になったことを、少しずつ理解してくれたようでした。

私がトレーニングを指導する時も、操体法を応用して体のケアをする際にも、ある程度人間関係ができた人には使ってしまう言葉なのですが、こんな言い方をしてしまうことがあります、「頭の悪いやつはダメ」という言葉です。

きれいな言葉でないことはもちろん分かっていますが、人の言うことを理解しようとせず、言われたことだけやっているような選手が伸びるわけはありませんし、ケアを受けている時も、自分の体と向き合おうとせず、まったく人任せな態度では、良くなるものも良くなりません。

相手の言葉にしっかり耳を傾け、意図していることを理解しようと努力する、分からなければ質問をし、納得して継続しなければ結果など出るはずはありません。

体のことは、まず自分の体の言い分に耳を傾け、今どういう状態で、どこがどう不都合だと訴えかけているのか、それを改善するための道筋に対して、体はどう対応してくれているのか、本当に分かるのは自分だけなのに、その努力をしようとせず、人任せな態度では救いがありません。

改善できたと思っても、そういう考え方で使われる体は、すぐにまた同じ状況に逆戻りしてしまうのは目に見えていますから。

だからこそあえて「頭の悪いやつはダメ」と、自分で考えることを要求しているのです。

何度か通ってきてくれている間に、彼はしっかりと私の考え方を理解し吸収してくれました。

その結果、トレーニングの質が全く違うものになっていきました。

私のトレーニングの効果判定は、重量が増えたことでも回数が増えたことでもありません、「動きの質」です。

これは残念ながら言葉で説明することはできません、私とトレーニングを継続してくれた人間だけが共有できる 、なるほどそういうことだったのかという動きに対する感覚の変化です。

いつも思うことですが、こうして回数を重ねれば、よほどの人間でなければ必ず理解できる感覚だと思います。

ただこれまで関わってきた選手たちの多くは、それぞれのスポーツで良くも悪くも経験を重ね、聞く耳を持てるような年齢になった選手ばかりでした。

若手のバリバリで、勢いだけでやっている選手にとっては、口うるさい理屈ばかりを並べる煙たい存在に思われたのかもしれません。

そういう選手たちにこそ、早い時期にこういう事実を知ってくれていれば、いつか必ず役に立つことがあるのにと、厳しく言い過ぎたところもあったかもしれません。

彼は選手時代、努力でその地位を掴み取った選手でしたが、技術的なことを事細かく言われるのが苦手なタイプだったそうです。

ワンポイント指摘されれば、自分で考え時間をいくらかけてでも納得するまで練習したそうです。

そうして今指導者になり選手と接する時、手取り足取りの細かい指導をすれば煙たがられ、自分で聞いてくるのを待てば何も教えてくれないと影で文句を言われる、そんなことがしばしばあるそうです。

私も全く同じ経験を、何度もしてきましたので、言われている意味がよくわかりました。

自分の経験と重ね合わせ。言いたいことは山ほどあると思うのですが、指導する側とされる側、思惑がピタッと一致することはなかなか難しいようです。

私はといえば、立場として長いスパンで選手を見ることができないので、とにかく悔いを残さないように、知っていることは全て伝えたいと、まさに教え魔という言葉がぴったりだったと思います。

それがある期間続くと、選手は何かあればいつでも私が話しかけてくれると、自主性を失ってしまう結果になることもありました。

この部分は指導する立場の人間の、永遠のテーマかもしれません。

選手にもいろいろな人間がいるように、指導者にもいろいろな個性を持った人間がいて、それがうまく組み合わされれば組織としてうまく機能するのかもしれませんが、お互い個性の強い人間の集団ですから、それをうまくまとめる立場に信頼できる人間がいなければ、個々の力を十分に生かすことはできないのでしょうね。

そこまでの人間力というか、器の大きな人はなかなかいないとは思いますが。

詳しくはわかりませんが、大リーグのGMというポジションは、そういう能力も持っているのでしょうか。

私が知る限り日本ではそういう人間は少ないような気がします。

もう私が組織の一員として、そういう仕事をすることはないと思いますが、彼は私のような人間がこのままでいられるはずはない、きっと必要とされる環境があるはずだと言ってくれましたが、もしそんな日が来た時、私の体力はまだ残っているのでしょうか、そっちの方が心配です。

彼のような指導者となら、もう一度グランドに立ってみたいという気持ちは消えたわけではありませんが。

さて、西本塾で指導している、「フライングバック・トレーニング」と名付けた、器具を使わないトレーニングがあります。

日本人の弱点として私の中で浮き彫りになっている背中の筋肉、とくに広背筋に対するアプローチとして有効なトレーニングです。

操体法の基本的なやり方やオクタントトレーニングでもそうなのですが、一度や二度とはいえ、せっかく指導を受けたのですから、とりあえずまねごとでもやらないよりはずっと効果があるのは間違いありません。

しかし、「教えてもらったようにやっても、そう簡単に私のようにはできません」と言われても、なんと答えればいいのでしょうか。

何年どころか20年30年と続けてきた技術を、そう簡単に、「はいできました」と言われては、逆に私の立場はありません。

とにかく続けてくださいとしか言いようがありません。

ただこのフライングバックトレーニングに関しては、もう少し時間をかけて教えた方が良かったかなと思っています。

まさに日本人に必要なキーワードと言っても大げさでないような重要な筋肉なのですから。

歩くこと走ること、またデスクワークで、この筋肉が有効に働いていれば、もっと違う体の使い方、また動きの感覚になるはずなのです。

ちょっと了見の狭い話ですが、トレーニングに関する本を書かせていただく機会があれば、そこでこの広背筋の重要性とフライングバックトレーニングに関して詳しく書こうと思っていたので、このブログの中ではあまり詳しく説明することは控えていました。

しかし、実際指導を受けた人たちから、よく分からなかったとか正しい姿勢が思い出せないなどというご意見をいただくと、これは私の教え方が悪かったと反省しなければばらないところもあるので、このブログ開設以来始めてのことですが、2枚の写真を掲載して、私の指導を思い出していただきたいと思います。

ただそれ以上の質問にはお答えできませんのでご了承ください。

3月以降になりますが、西本塾に参加していただいた方を対象に、実技を中心とした「深めるコース」を企画しますので、そういう機会に理解を深めていただければと思います。

フライングバックトレーニング2
フライングバックトレーニング1

あみだくじの行く末は

一昨年の後半、それまで契約していたチームも離れ、「もう現場はいい、自分の城の中で静かに暮らしていこう」、そんな歳じゃないだろうと言われても、それまでに色々なことがありすぎて、そんな心境になっていました。

それが昨年、今までに経験したことがない大きな出来事があり、静かに暮らすどころか、新しい城を構え領地を広げてやるぞ、というくらいの気持ちになっていきました。

私に指導を受けてくれた人が、それぞれの場所、それぞれの立場で、私の考えを形にして広めてくれているのですから、まさに間接的ではありますが、今までには思いもよらなかった、他の城に攻め入っている、そんな気持ちにもなっています。

こうなればところ構わず、どんどん攻め込んで行ってもいいのかなと思っています。

「西本塾」などと、恐れ多い名前を付けて始めた勉強会ですが、来月には第3回を行うことにしました。

当初は一人でも参加してくれる人があれば、人数に関係なく、それこそ私の経験してきたことのすべてを伝えてみたいと思いましたが、二回目には16名の参加があり、次回もすでに12名の申し込みをいただいています。

このブログでもそうですが、キーワードさえ入力すればそれなりの答えが得られる便利な世の中になってきました。

しかし、私も経験しましたが、権威のある機関が実施する勉強会で、本当に自分が求める何かに出会ったことがありません。

説明されていることは正しいことなのでしょう、しかしそれが本当に受講者の求めているものなのか、嫌なら来なければいい、そうかもしれませんが、嫌でも行かなければならない場合もあります。

逆にオリジナリティーを売りにしている講習会も、私に言わせれば、すべては人間の体に仕組まれていたからくりであって、自分が考えたとか、自分しかできないなどと言うのはおこがましいことだと思います。

人間として生まれたからには、そのからくりの真理は一つ、どんな理屈をつけようとそこからはみ出ることはできないのです。

枝葉の技術を習得してその気になるのではなく、その奥にある心理に目を向けるための、一つのきっかけというか、そういうアプローチの仕方もあるのかな、そんな受け止め方で十分です。

私が言っていることなどまさにそうです、教科書的に絶対に正しいものかどうかわかりません。

それは最初から宣言していて、そういうものを求めるのなら別のどこかに行ってもらえばいいだけのことで、このブログの中で語られていることに興味を持ち、この目で確かめたいという強い動機を持った人だけが来てくれればいいのです。

そして、その中から自分で感じたものを、自分の言葉で別の誰かに伝えてくれることを期待しています。

何が正しい、何が間違っている、このやり方が一番で他のものはだめとか、そんな考えはやめた方がいいと思います。

間の前に次々と現れる様々な考え方から、人間としての本質と知り、真理に近づいていく、そう思った方が楽しいともいます。

「先生と呼ばれるほどのバカはなし」という川柳があります。

先を歩いている人などいません、そう思った瞬間に歩みは止まってしまいます。

今という瞬間を共に生き、ともに歩いている、誰に対してでもそういう気持ちで接することができれば、卑屈になることも偉そうにすることも必要なくなります。

西本塾を行ってその思いが強くなりました、一番学ばなければならないのは自分自身でした。

西本塾の塾生は私に何の遠慮もいりません、私が伝えたことと多少違うことであっていても、その人がそう感じそういう指導をしたいと思ったのなら、私がとやかく言う筋合いではありませんから。

そのかわり、すべてのことを私から伝授されたとは、できれば大きな声では言わないでほしいかなとは思いますが。

何にしても、西本塾を通じての発信活動は当分続けていこうと思っています。

第三回については、初参加の人を優先しますと告知したら、15名の定員が間もなく埋まってしまいそうな状況になってきました。

やはり2日間でないと、私のベースとなっている考え方を伝え、さらに実技という時間が取れないので、初めての方にはどうしても二日間の参加をお願いしています。

もちろんそれだけでは、お互いに納得できる結果になってはいないと思うので、二日間のコースを受講していただいた方を対象に、一日だけになりますが実技を深めるためのコースを行わなければならないと思っています。

こちらの思いを伝えっぱなしで、本当にちゃんとできるようになっていなければ、逆に申し訳ないことになってしまいますから。

こちらは3回目が終わってから実行に移したいと思います。

こうして色々なことを考えるようになって、自分の考え方もだいぶ変わってきました。

自分だけが分かっていたのではだめで、きちんと誰かに理解してもらい、もっともっと広げなければならないと思うようになりました。

その対象が今までは目の前の選手だったのが、指導者になり、選手には間接的な立場になってしまいました。

それでもやはり自分の手でという思いは強く、現在数は少ないですが、私を信じて指導を受けてくれる選手がいるので、誰にいう訳ではないのですが「見とけよ、おれが指導した選手はこうなるんだぞ」と、ひそかに闘志を燃やしています。

サッカー野球と、トレーニングキャンプの時期になりました。

当たり前ですが、私にその時期の指導を依頼されることはありませんでした。

たとえば、30人の選手と関係者を前に2時間3時間説明したところで、理解されるわけはありません。

二日間しゃべり続けてやっとアウトラインが分かってもらえたかなというくらい、ある意味理解不能な西本理論なのですから。

ならば一人でも、自分の意志で私の話を聞きたい、指導を受けたいという選手を相手にした方が、お互いに目的を共有し結果も出せると思います。

その一人が二人になり三人になって、もしかしたら組織としてもう一度私を必要としてくれるところが出てくるかもしれません。

けっしてそれを目標にするのではなく、今この一瞬を一生懸命で生きていくことが、自分を高めまた活かせる道だと思います。

私が理想とする体の使い方を、私なりの言葉に落とし込んで、文字として読んだ人にもイメージが伝えられるようにできないものかと、毎日頭を捻り回しています。

理想の動きは一つではありません。

私がよく例えに使う将棋の駒に例えると、「歩」と「金」に同じ能力を期待するのは筋違いです、ただ歩には歩の分をわきまえろでは、モチベーションが下がります。

攻め上がっていけば「ト金」になってもう一仕事してもらうからと、その気にさせることも大切ですし、他の駒の仕事を体験させておけば、より自分の駒の仕事も分かろうというものです。

例えは例えとして、現実はとても難しい問題山積です。

過去の経験の中で自己満足し、のんびりしていればよかったのに、これまでのどの瞬間より頭を使わなければならず、大変な世界へ足を踏み込んでしまったようです。

第三回の開催まであと一か月、少しは頭の整理ができているでしょうか。

回を重ねるたびに私の中の何かが変わっていくのが分かります。

それを自分でも楽しみつつ、「過去のこと、話しておきたかったことから」、新しい世界へ踏み出していこうと思います。

まだまだ修行、死ぬまで現役ですね。

未知の世界が

このブログは、私のこれまでの経験から導き出されたものを、事実として伝え残しておきたいという思いで書いてきました。

言いたいことはたくさんあるが、現実としてそれを受け止め、生かしてくれる環境はどこにあるのだという、一職人の行き場のない怒りを込めた叫びだったかもしれません。

こうすればこうなるのに、どうして私の言っていることがわからないのだろう、なぜ私の言うことが理解されないのだろう、そんな思いから始まりました。

それらは所詮私のひとり言で、特定の誰かに対してどうしろと言っているわけではありません。

このまま言わずには終われないという、ただの自己満足だったかもしれません。

それがいつの間にかたくさんの人が読んでいただくようになり、直接話を聞きたい体験したいと、わざわざ広島まで来ていただく方もあり、また「西本塾」という形で指導させていただく機会も作りました。

私の考えを理解していただき、それぞれの立場で生かしていただければ、きっと今まで感じることのできなかった世界を体験し、新しい何かをつかんでいただけると信じ、私ごときがという思いもありましたが、そういう活動を続けて行くことにしました。

現実としてその成果は現れ、西本塾の参加者からの指導を受けた子供たちは、大きな成長を見せてくれているようですし、指導者の皆さん自身の意識も大きく変わり、十分お役に立てているという自負を持ってもいいのかなという気持ちになっています。

西本塾も第3回を計画しています。

そんな中、少し自分の中で変化が起こっています。

それはこれまで私が言い続けてきたことを、少し変えなければならないかもしれないと思うことが出てきたためです。

「私ができることは私しかできない特別な能力ではありません、きちんと理解してトレーニングを継続すれば誰でもできるようになります。それから、人間には持って生まれた能力がそれぞれあって、空を飛べるようにしてくれとか、車にひかれても壊れないからだを作ってくれと言われてもできない相談ですが、少なくとも今発揮できている能力以上に、持って生まれた能力はまだまだあるはずで、それを開発してきちんと使えるようにすることがトレーニングの目的です」

と言ってきました。

個人差があって向き不向きがあって、みんなが同じようにはなれないけれど、少なくとも今以上にはなれるはずですから、一緒に頑張って見ませんかということを言い続けてきました。

そのお手伝いなら、私がこれまでやってきたことで十分お役に立てると思います。

ところがこの数日、世界で活躍する日本人選手や、超のつく一流選手の体の動きをYouTubeで見続けて、私自身が自分の能力をここまでと枠にはめて、そこまでは作れますがそれ以上は無理ですよと、勝手に決めてかかっていたのではないかと思うようになったのです。

「体作りではない動きづくりのためのトレーニング」、このコンセプトはもちろん変わりませんが、私の想像を超える能力を目指したトレーニングを考えることも必要ではないか、またそういう可能性を人間は秘めているのではないかと思うようになったのです。

「世界と戦う」というような言い方が、早く死語になる日が来ればいいとは思いますが、現実その言葉はまだ生きています。

本当にそうなるためには、どんな能力を身につけなければならないのか、どんな意識で体を操ればいいのか、まだ何も見えてはいませんが、これまでの自己満足を超えた、禁断の世界に足を踏み入れたしまったような感覚になっています。

それが小さな小学生であろうが、30歳に手が届きそうなベテランと呼ばれる選手であろうが、嬉々として取り組める、夢のあるトレーニングというのでしょうか、こんなことができたらいいな、こんな動きができたら若い奴らに負けない、いや自分の若い頃以上の動きができるかもしれない、そんな夢を見させてあげられるトレーニングを考えられないものかと思うようになったのです。

もちろんそんな簡単なものではありませんが、自分が持って生まれた能力プラスαーの能力を開発することができて、初めて日本人でも普通に世界の舞台で活躍できる、そんな日が来ると思うのです。

ほんの一握りの素質に恵まれたエリート選手だけでなく、誰でもその気になれば目標を高くし視野を広げることができる、そうなればいいと思っています。

今までやってきたことも、結果としては必ずそこに行き着くと思っていましたが、あくまでも眠っている能力の再開発という意識だったのを、枠を取り払って行けるところまで行ってやろうという、チャレンジ精神を持ち続けた方が、選手も指導する側も面白いはずですから、まずは自分の意識を変えて、トレーニングを見直し、伝える言葉を選び直して行きたいと思います。

つまらない性分としか言いようがないですね、これまで通りで全くなんの問題もなかったのですが、それにそんな発想を持ち込んで私の能力を発揮する対象もいないのに、まあ、こればかりは自分ではどうにもなりませんが、乗りかかった船です、どこまで行けるかやってみようと思います。

少なくとも現在関わっている選手には、私自身の意識を変え、もっと大きな目標に向かってさらに努力して行きたいと思います。

「第3回西本塾」を、2月22日土曜日と23日日曜日の二日間で行おうと思います。

前回の人数とここのスペースを考え、募集は15名を考えています。

内容は基本的に第2回と同じ内容で行いますので、初参加の方の応募をお待ちしています。

定員に達しなかった際には、連続して参加していただく方の追加募集を考えていますので、よろしくお願いします。

申し込みの受付は、前回同様 「Conditioning Stdio 操」のホームページ内の申し込みフォームからお願いします。

西本塾参加者からの質問に答えて

先月行った、第二回の西本塾に参加してくれた、シアトルでサッカースクールを運営している木下さんから質問をいただきました。

折角ですので表のページでお答えさせていただきます。

西本さん、西本塾では大変お世話になりました。
シアトルではアメリカ人の子供達に理解・イメージし易いように「スネークムーブ」(こんにゃくの様にと言って理解されませんので・・・)といいながら走りや動き作り行っていますが、特に年齢が低い8・9歳の選手達の動きは大きな進化が見られています。
今回のブログにあまり関係がありませんが、操体法とオクタントトレーニングについて質問をさせて下さい。
指導しているU15のサッカー選手が先週の土曜日の練習試合で左足のtibia/脛骨にヒビが入り、現在は簡易のプレート(そえ木)で固定してあります。私としても西本さん同様身体を動かしながら直し、復帰する方がベターだと思っていますが、ヒビが入っている選手に対しての操体法やオクタントトレーニングを行なう上での注意点等がありましたら、教えて頂けませんでしょうか?よろしくお願いします。


木下さんはアメリカ・シアトルと鳥取県を行き来しながら子供達にサッカーを指導している方です。

彼が現役選手として最後に所属したヴィッセル神戸に、彼がチームを離れた翌年に、私がフィジカルコーチとして一年間を過ごしたという、もし一年違っていれば同じチームで一緒に戦った仲間だったかもしれないという浅からぬ縁がありました。

昨年末の一時帰国に合わせて広島までやってきてくれました。

こんにゃくのような動きは、アメリカの子供達には通じませんでしたか、「スネークムーブ」なるほどそんなイメージなのかもしれませんね。

さて、ケガをして復帰を目指している時のケアとトレーニングについてです。

一応匿名で(当時の状況を知っている人には誰のことかすぐにわかるかもしれませんが)紹介します。

ご質問の選手と重ね合わせて読んでください。

ちょうど梅雨の時期で雨が続き、グランドでの練習が二日間できなかった後、試合が迫りもうこれ以上体育館でのトレーニングでは我慢できないと、当時の監督が雨の中、芝生が根腐れしてぐじゃぐじゃの状況の中練習を強行しました。

私は強硬に反対しましたが、最後は監督の判断で練習が行われました。

練習序盤、ミニゲームが始まった途端にM選手が芝に足を取られ転倒しました。

すぐに駆け寄ると足首は大きく外転し、あり得ない角度になっていました。

次の瞬間、なんと彼は自分の力で足首を元の位置にねじり戻したのです。

ものすごい激痛だったと思いますが、彼のとっさの判断でどうすることもできませんでした。

足関節の脱臼骨折、選手生命にも関わる大ケガでした。

すぐに私の車でチームドクターの元へ走り、手術可能な別のドクターの病院にさらに移動し、その日のうちに手術を受けることができました。

チームの練習はその後当然中止になったそうです。

結果論ではなく、起こるべくして起こった事故だと、20年近く経った今でも、あの時練習を強行した監督の判断は間違っていたと思っています、それくらいあの時のグランド状況は最悪でしたから。

プロの選手ですから、一日も早く復帰を目指さなければなりません。

退院後はほぼ毎日私が付いてケアとトレーニングを行いました。

足首以外は全て動かせるわけですから、工夫すれば様々なトレーニングを行うことができます。

立って踏ん張ることはできませんが、例えばレッグエクステンションであれば、患側の太腿を私がしっかり押さえてあげれば、健側は普段の動きに近い状態で筋力を発揮することができます。

そうでないと体のバランスが取れず力が入りません。

そういう工夫をすれば、直接足首を動かすことはできなくても、他の部位は十分鍛えておくことができます。

足首が動かせるようになって回復が進んだ時、他の部分は準備万端整っているという状態で待っていられるというわけです。

脛骨であれば膝上までは使えると思います。

実技で見せたように、ベッドに座って膝の伸展屈曲をそう反して行う動作でも、膝蓋骨の上部を安定させてあげれば、腱則は動かせると思います。

同様に膝を引き上げる動作、左右に動かす動作など、ほとんど可能だと思います。

それから仰向けに寝た姿勢からでも、うつ伏せに寝た姿勢からでも、抵抗をかける位置が脛骨に負荷がかからないと判断できる動作はたくさんありますので、一つ一つの動作を確認しながら行えば危険はありません。

操体法の整えるという意味の動作なら、つながりがもっとわかりやすいので、足にこだわらず遠隔操作を勉強する良い機会と捉えて、実験台になってもらうつもりで色々やって見てください。

私の話に出てきたと思うのですが、「寝違えた人の首を触ってなおすのは素人でもできる、足首から下だけを触って治せるようになれば一人前」 という、渡辺栄三先生の言葉をかみしめていただいて、脛骨に負担をかけない全身の連動動作を探してみてください。

遠くアメリカ・シアトルで、私が指導したことが広まって行くなんて、こんな嬉しいことはありません、頑張ってください。

スポーツの醍醐味

先ほどまでNHKのクローズアップ現代を見ていました。

ドーピングの問題です。

トレーナーとして最低限の知識はありましたが、実際ドーピングを行っていた選手の生々しい話を聞くと、それほどまでに効果があるのかと驚くと同時に、スポーツがビジネスになってしまっているという、コメンテーターの方の言葉がすべてを表しているような気がしました。

地球上には今この瞬間にも、食べることさえままならず命を失わなければならない状況の人がたくさんいます。

それが、言葉は悪いですがスポーツに秀でているというだけで、年間に何千万、いや何億、何十億円というお金を手にする人たちがいます。

そしてほとんどの場合、選手を取り囲む様々な立場の人が、そのお金の一部を収入源にしています。

ビジネスだって同じだ、勝つか負けるか、勝ったものが富を得て何が悪い、そうかもしれません。

一流になるためにはそれ相応の犠牲を払い、大きな努力を積み重ねてきたことは間違いありませんから。

それがあと一歩、あと半歩に近づいたとき、禁止されていると分かっていても、そういうものに頼ってしまうのが人間の弱さなのかもしれません。

過去にも有名な選手たちが、ドーピングを認めたことで記録も名誉も失うことになりました。

それ以上に自らの体に異常をきたしてしまっていることが多く、不幸な結果を招いてきたことも事実です。

スポーツには様々な種目があります。

人間それぞれ持って生まれた能力があり、それを最も生かせる競技に出会い、選手としての成功を収めるための最善の努力をする、基本的にはこれしかないと思います。

そのためには本当の意味で選手を育てる環境が必要となります。

先日、あるクラブで昨年までトレーナーを務めていた人と話をしたとき、彼の口から出た言葉が印象的でした。

「クラブがそして選手が求めるトレーナーという存在は、選手のコンディションの下支えをする人、選手とのコミュニケーションをとれると言うと聞こえがいいですが、しっかりマッサージして選手に気に入られることが、組織に長く居られる秘訣でした」という言葉でした。

彼にとっての理想のトレーナー像はもっと違う所にあったと思います。

私もまったく同じです、それが良いトレーナーの条件として一番大きな要素なら、私はトレーナーと呼ばれることを拒否します。

自分が関わったからには、その選手を、そしてチームを強くしたい、下支えではなく、能力を向上させる手助けをしたいと思ってやってきました。

それは監督やコーチの仕事だと言われるでしょうが、そういう立場での人間とは違うアプローチの仕方があるのです。

だから、最初にきちんと話し合いをして、自分が行う仕事を明確にしておかなければなりませんが、今、私がやろうとしているようなことは、少なくとも過去にはそういう人間がいなかったのですから、共通の理解ができるのは難しい話となります。

彼も、もっともっと色々なことでクラブのために力を発揮したかったのでしょう。

「今の日本の現状では、プロのクラブでの仕事にはもう魅力を感じません」、と淋しそうに話していました。

これからトレーナーを目指す人たちは、自分が何をしたいのか、また与えられた環境で自分でやりたい仕事ができるのか、現実は甘くはありません。

もちろん前述したような立場で満足できるのなら、そういう選択肢もありでしょう。

大きなことを言いますが、日本人でも世界で戦える能力を持っていると思います。

それを形にするためのトレーニングや体の使い方を研究し、正しく伝えることができるようになったら、それを生かした仕事をさせてくれる環境で、思う存分力を発揮したい、そう思ってトレーナーを目指してほしいと思います。

ただそういう能力を正当に評価できる個人や組織は、今のところどれだけあるのか、私には分かりません。

選手の立場からしても、自分でできる範囲の努力はし尽している、だからその能力を発揮できるように、コンディションを整えてほしい、それもある意味正しいでしょう、それがたんにマッサージをしてもらうことではちょっと淋しすぎますが。

自分はもっと違う能力があるのではないか、その能力を開発するためにはどんなトレーニングをし、どんな体の使い方をしたらいいのだろう、そういう発想をもっともっと大きくふくらませてほしいのです。

その時こそが私の出番であり、私と同じ感覚を共有してくれる仲間の存在なのです。

勝つために選手は駒の一つにしか過ぎない、ダメならほかの駒と取り換える、個人を守ってくれているようで、結局は守っているのは組織の方だと思います。

スポーツには結果がはっきり出るという残酷な部分もあります。

だからこそ最善の努力をしなければなりません、結果が出なければ、努力の過程などだれも評価してくれませんが、努力の方法論はまだまだ改善の余地があると思うのです。

私個人の小さな積み重ねにすぎないかもしれませんが、本気になった選手にはちゃんと伝わってきました。

逆に中途半端な気持ちで取り組んだ選手は、まったく伝わらず結果に結びつくはずもありませんでした。

自分ではない誰かの肉体を借りて、未知の能力を開発し、それぞれの競技で一流の動きを作っていく。

これから先、どれくらいそのチャンスが与えられるか分かりませんが、私の野次馬根性が消えるまで、人の動きを追っていきたいと思います。

もうすぐ冬季オリンピックソチ大会が行われます。

高い所が全くダメな私にとって、スキーのジャンプ競技というのは想像もできない競技ですが、女子の高梨沙羅選手のフォームに関してとても興味を持って見ています。

元選手の解説を聞いていると、男女を通して現在最も理想的な飛行姿勢だそうです。

ジャンプ台から離れた瞬間、誰よりも早く飛行姿勢に入れることが、同じジャンプ台で同じ位置からスタートしても、男子選手よりも遠くへ飛べる原因だそうです。

小学生のころからテレビで、お父さんの指導を受けるところを見てきましたが、まさに動き作りのトレーニングでした。

表彰台の真ん中に立っても、両サイドの選手の方が背が高く見えるような小柄な彼女が、誰よりも遠くまで飛んで行ける、これこそスポーツの醍醐味ではないでしょうか。

さらに素晴らしいのは、インタビューの時の受け答えがしっかりしていて、人間として女性として、良い育ち方をしているなというのが伝わってくることです。

様々な世界で、子供の頃から英才教育が行われています。

親御さんは、なんとか我が子を一流にと、できる限りの愛情とお金をかけていることでしょう。

それをとやかく言う筋合いではありませんが、一言これだけは忘れないでほしいと思います。

一流になろうと超一流になろうと、普通の選手で終わろうと、途中で挫折してしまおうと、スポーツ選手であるということは、人間として生きていく中でほんの一面でしかありません。

昔、巨人・大鵬・卵焼きと言われた時代に、畑仕事をしていたお婆ちゃんが、何かのインタビューでテレビに映ったとき、大鵬という大横綱の存在を知らないと答えていたのを子供の頃見て、とても驚いた記憶があります。

日本中が熱狂したとか、日本人のすべてが応援しているなどと言う表現がありますが、知らない人もたくさんいるのです。

何十億円稼いでいる超一流選手であったとしても、自分の畑で草むしりをしているお婆ちゃんの前では、ただの若造でしかないのです。

だからこそ、きちんと挨拶ができて相手の目を見て話ができる、人として最低限のことはしっかり身につけさせてあげて欲しいと思います。

代表キャプテンの長谷部選手がこんなことを言っていたのを何かで見ました、「普通のおじさんが道路で汗びっしょりかきながら交通整理をしている姿に感動する」そんな感性を持ち続けているからこそ、人がついてくる立場を任されているのではないでしょうか。

動きを見るということ

またまた人間の動きを見るという作業を始めました。

こう言うと必ず聞かれるのが、私が選手のどこを見ているのですかという質問です。

自分が一番どこを見ているんだろうと考えた時、やっぱりそうだなと思ったのが部分を見ていないということでした。

体全体から伝わってくる雰囲気、周りの選手たちとの違い、まずはそれが一番気になります。

注目した選手ではなく、その周囲にいた選手の方が気になって、対象が途中から変わってしまうこともあります。

なぜこの選手が気になったのだろう、野次馬根性はそこから始まります。

そういう意味では、選手に対する先入観のない、例えばサッカー選手を見る時の私のような立場がちょうど良いのかもしれません。

次に考えることは、自分はなぜこの選手が気になったのだろうということです。

リクエストがあった場合は、できるだけ周りとの比較で、その選手の特徴を見定めるようにしていますが、それでも一流選手とはいえ、あまり興味のわかない場合も良くあります。

そういう時は逆に、どうして自分の目には平凡な動きとしか見えないのに、結果として一流と評価されているのかという原因を探さなくてはなりません。

どちらにしても、一流とそうでない選手、また超の付く一流選手には、何かほかの選手と違う体の使い方があるはずなのです。

経験とか持って生まれたものとか、そういう言葉で片付けてしまうのではなく、本質的な何かを探すのが私の楽しみとなっています。

そうした中で一般的に多く用いられるのが、筋肉のバランスがいいとか、どこそこの筋肉が鍛えられれていると言った、抽象的な言い方です。

以前に話題にした、「前の前を探る」という観点から考えると、その言い方ではまったく第三者どころか、自分自身を納得させることもできません。

こういう動きができているということは、どういう風に体が動きているのだろう、そのためには体全体がどうやって連動し、目的とする動きを表現しているのだろう。

前の前を、奥の奥を探っていけばそれらしい何かが見えるようになってきます。

ところが当の本人は、そんなことを意識して動いているわけではないと思います。

だから素晴らしい動きをしていたスーパースターが、指導者になったからと言って、自分と同じレベルの動きができるように指導することができないのです。

なぜ私のような人間がそんなことを考え、現実として一流のアスリートにアドバイスができるようになったのかというと、一言で言うと自分ではできなかったからです。

あと一歩のところまで来ている選手たちをみるにつけ、ここをこういう風に使えたら、そのためにこんなトレーニングをしてくれたら、きっとこんなことができる選手になれるのにと、一人勝手に思ってしまうのです。

ところが相手は、そう簡単にそうは思ってくれません。

あなたにそんなことがわかるわけはないと思うのも当然のことでしょう。

しかし現実として、私の考えを理解し共に試行錯誤を繰り返してくれた選手たちは、必ず目標に近づいて行きます。

選手自身にそこまで深く掘り起こして行く知識はないのですから。

受け入れてくれなければ話になりません、そういう意味では組織に所属し、こちらを向こうとしない選手を含めた集団を指導をするより、自分の意思で私の指導を受けたいとやって来てくれる選手や、自分の指導に活かしたいと学びに来てくれる指導者を相手に仕事をしている方が、よほど建設的でストレスを感じないですんでいます。

知識が先走り、この動きの局面では、どの筋肉が屈筋として収縮し、などという議論をしたくなる人が多いですが、動きの中で一つの筋肉だけが主役であとは補助的になどということはあり得ません。

全ての筋肉が主役であり脇役となって、体に無理のない効率的な筋力発揮を実現してくれています。

動きの良さが目に付く選手というのは、そういう意味でどこにも力みが感じられず、滑らかに動いて見えるため、特徴を探すのが逆に難しいのです。

それが、どうしてこの選手はこういう動きしかできないのだろうと言いたくなる選手というのは、明らかに今ここに力が入ったな、ここを使おうとしているなというのがわかるのです。

そういう動きはわかりやすいので、選手の欠点としてだったり、一般の人から見ても、何か違うなと感じさせてしまう要因となるのです。

悪いところを指摘するのはある意味簡単なことです。

しかし、それを改善するためにはどうすればいいのかを指導するのは本当に難しいことです。

そのヒントを得ようと、元名選手だった指導者も私のところに学びに来てくれています。

最近、広背筋の重要性を強調しています、固有の筋肉を意識してはいけないと言っている張本人がなぜそう言っているのか。

もちろんそれには理由があります。

広背筋は下半身と上半身をつなぐという、他の筋肉にはない重要な役割を持っています。

そして骨盤を後ろから引き起こし、股関節の自由度を確保し、背骨を真っ直ぐに起こし、肩甲骨を引き寄せ、それによって上腕骨を後方に伸展させるという、人間の移動動作に直接そして最も重要な筋肉なのです。

しかし我々日本人は、歴史的に骨盤を後傾させ、背中を丸くして作業をするといことが当たり前であったためか、広背筋が本来の働きを忘れ休眠状態に陥ってしまっています。

その弊害は大きく、特にスポーツ動作では、欧米人との比較で明らかに背中を使った動きができていません。

それに気付き、なんとか重要性を意識していただき、使える体になってもらうために、あえて固有の筋肉の名前を前面に出すことで、トレーニングの効果を上げ、動きの改善を図ろうとしています。

ところが、これも日本人の悪いくせというのでしょうか、広背筋という名前が一人歩きをしてしまい、そこだけを鍛えればいいのだという、なんとかトレーニングのような感覚で捉える人が出てきてしまいました。

気づかないままよりずっと良いことだとは思いますが、前の前、奥の奥まで思いを巡らせていただき、指導に活かしていただきたいと思います。

人間の動きを見るということは、単純に動作がうまいとか下手だとかいう問題とは意味が違います。

競技の経験があるなしに関係なく、体そのものを見る目ができれば、それは違う世界が見えるようになるということです。

日本から世界へ

昨日のNumberWebに掲載された、大迫勇也と本田圭佑の「共通点」欧州のあたりに耐える姿勢とは?と題した、スポーツライターの木崎伸也さんの記事が反響を呼んでいます。

その記事の中で、昨年の11月に行われた、日本代表対オランダ代表のテストマッチのワンシーンを切り取った一枚の写真から読み取れる、大迫選手の卓越した体の使い方を、私が解説して褒めたことが、改めて記事の中で紹介されていました。

NumberWebにアクセスした人は、大迫選手と本田選手という名前とタイトルに魅かれたのは間違いありません。

今年はワールドカップイヤーでもあり、二人の動向は私のようなものでも気になる存在となっています。

木崎さんは現在も本田選手の取材でイタリアに滞在中とのこと、仕事とはいえ日本にいるのは一年のうちどれくらいなのだろうと、余計な心配をしてしまうほどの忙しさです。

私自身は、仕事で3つのJクラブに所属しましたが、特にサッカー自体が好きとかいうレベルではありませんでした。

しかし昨年後半から個人としての活動に戻り、それがきっかけとなってユースやジュニア世代のサッカーの指導者の方々とのご縁ができました。

その中で感じたことは、自分が育てている子供たちを、世界に通用する選手に育てたいと、皆さんが本気で考えていることでした。

ある意味とても驚きました。

私が育った野球の世界で、小学生中学生、いや高校野球や大学野球の指導者であったとしても、自分が育てている選手がいつか世界の舞台で活躍できるための指導をしているなどという言葉を使う人はまずいないと思います。

この違いは何なんだろう、理由はどうあれ、そういう意識を持って指導者としての自分がもっと学ばなくてはと、私のところに来てくれる彼らの姿はとても純粋で、私でお役にたてるのなら何でも教えてあげたいと思わせてくれました。

ブログの読者やツイッターの読者の方からも、そういう純粋な熱いものを感じさせてくれるコメントをたくさんいただいています。

おそらくサッカーを愛するサポーターのみなさんも、同じ気持ちで選手を見ていることでしょう。

贔屓の選手やチームに、そして日本代表のユニフォームを着る選手たちに、なんとか頑張ってほしいとエールを送っていることでしょう。

そんな皆さんにとっても、日本人はフィジカルが弱い、1対1の局面では体格に勝る外国人選手に当たり負けをしてしまう、これは仕方がないことなのだろうかという思いが大勢を占めていたように思います。

もしかしたら選手も指導者も、そしてサポーターのみなさんも、ある意味仕方がないことだと諦めていたことかもしれません。

古い話になりますが1964年の東京オリンピックで、日本のお家芸である柔道で、重量級の選手がくしくもオランダの選手に抑え込まれ1本負けを喫してしまったとき、やっぱり体が違うからと、その一言であきらめざるを得ない空気が日本中を支配しました。

人種の違い、生まれ持った遺伝子の違い、食べているものの違い、筋骨隆々とした外国人選手に対抗するためには、それに負けない大きな体を作らなければならない、あれから50年、7年後には再び東京でオリンピックが開催されます。

生活様式が欧米化されたとはいえ、我々はやはり日本人です。

骨格や筋肉の発達の仕方は、欧米人と比べて明らかに劣っています。

それを筋力トレーニングが導入され、肉体改造という旗印のもとに、見た目だけなら外国人選手に勝るとも劣らない肉体を作り上げた選手もたくさん出てきました。

ではそれがそのまま競技成績に結び付いてきたのでしょうか。

トレーニングすることはもちろん必要なのですが、その体をどう使うかという視点が、残念ながら欠けていたように思います。

同じ外見の肉体なら、無理をして作り上げた体より、持って生まれた肉体の方が自然な使い方ができると思うのは当然なことではないでしょうか。

我々が真似をしてきたのは、あくまでも外見的な肉体と、数値で表せるく筋力の向上だったと思います。

それだけでは追いつかない何かがある、ずっとそう思い続けてきました。

小柄な日本人には俊敏さとスピードとテクニックがある、そんな言われ方もしましたが、外国の選手にはそれらもすべて持ち合わせたうえでの肉体的な強さを持っている選手がいくらでもいるのです。

だったらまったく付け入る隙もないのか、そうではないことにずっと前から気づいていました。

それが人間本来の体の仕組みや筋肉の働きをコントロールすることでした。

新しい発見でも私が考えた理論でもなく、現実にそういう動きができている多くの選手たちの動きから導き出された、まさに事実こうやって使うとこうなりますよという、目の前に繰り広げられる普通の光景の中からでした。

それが特別な能力であるかのように言われることで、本人でさえその動きを説明できないものとなっていました。

それがたまたま公のメディアに紹介されたことによって、今まであきらめかけ、日本人の弱点とされていた部分に光明が差したような、一種の感動をみなさんが感じとっていただけたのではないでしょうか。

一朝一夕に身に着けられるものではありません。

技術というより、感覚的なものなのですが、代表選手たちがみんなそれを身に付ければ、予選突破どころかもっと上位に、とあの記事を読んで胸躍らせた人もいるかもしれません。

私が考えている程度のことが、なぜ今まで誰からも発信されず、普通のこととして広まっていかなかったのでしょうか。

私には分かりません。

逆に私は、そんなこと誰でも知っていて、改めて言うようなことではないと思っていたくらいです。

それが木崎さんとの会話の中で、そうではなかったことにようやく気がつき、ならば遅まきながら私がとなったわけです。

木崎さんの記事に勇気づけられたサポーターの方、また指導者や現役の選手もたくさんいたと思います、

隠すことも出し惜しみもしません、人間として生まれ備わった共通の能力です。

それに気づき、意識し、練習すればだれでも身に付けることができます。

同じ動きを身に付けた者同士が対決したらどうなるか、矛盾という言葉がありますが、動きを洗練させいかに頑張らないでその動きを体現できるかが勝負の分かれ目となります。

日本人は特に歯を食いしばって、額に汗したものを賞賛する風潮があります。

しかし、ことはそんな単純なものではありません。

この記事がきっかけとなって、みなさんの常識が変わることを願っています。

記事の文中に、このブログの直リンクを張っていただいたおかげで、昨日今日ですでに3000というとんでもない数字のアクセスをいただきました。

普段は50人くらいの方が、ほぼ毎日のようにアクセスして私の考えを共有しようとしていただいています。

今回のことはイレギュラーなことで、こんな数字が続くはずはないことは分かっています。

ただこうしてご縁があって、みていただいた内容です、頭の隅っこにでもおいていただき、スタジアムでテレビで観戦する際には、選手の動きそのものにも注目してみていただくと、サッカーがより面白く感じられると思います。

暇な時にでも過去記事を読んで見てください、私の言っている意味が少しは分かっていただけるかもしれません。

何のために走るのか

毎日寒い日が続いています。

私が住む広島市内、なかでも瀬戸内海のそのまた内海の、港にに近いこの辺りは、市内で雪が降っているというニュースが流れても、え、この辺は降ってませんけどというくらい温暖なところです。

それでも風は冷たく外を歩くのにはそれなりの格好をしなければなりませんが、テレビで見る雪国の様子を見るたびに、申し訳ないですが、こういう所では生活できないだろうなと思ってしまいます。

現在、長男家族が秋田で生活していますが、初めて迎える北国での本格的な冬に戸惑っているようです。

寒い時期に限ったことではありませんが、窓から見える川沿いの遊歩道をジョギングする人の姿が絶えません。

それぞれ目標があってのことだとは思いますが、さすがにニコニコ笑顔で走っている人は見たことがありません。

スポーツの世界でも、これからシーズンに向けての体力づくりという時期には、必ずこの走るということがトレーニングの中心に据えられます。

その光景はまさに「根性」の世界です。

決められた時間か距離を、ただひたすら走るのです。

そこに理屈はありません、与えられたメニューをこなすことで、スタミナとか持久力と言われる能力が、強化されると信じて疑わないのが、選手と指導者の暗黙の約束事になっています。

はたして本当にそうでしょうか。

たとえば5000mの記録が一番早い人が、サッカーの試合で90分間をフルに走りきる能力が一番優れているのでしょうか。

最大酸素摂取量という科学的な指標が一番の選手が、同じように優れた結果を残せるのでしょうか。

サッカーという、いかにも長時間走り続けていると思われているような競技でも、そんな単純な話ではありません。

私が初めてチーム全体のトレーニングを指導したのは、1994年の広島が前期優勝した年の、休み明けのトレーニングでした。

当時のバクスター監督の来日までの期間の指導を任され、私なりにいろいろな工夫をして初日を迎えました。

まず考えたのは、全員に同じスピードで走ることを要求しても意味がないということでした。

前もって3つのグループに分け、そのグループから脱落しないように走ることを要求しました。

それぞれのグループに400メートルトラック1週の設定タイムを決めて、まとまって走るのです。

全員一緒だと、遅いと分かっている選手は初めから諦めてしまいます、そうならないようにこのタイムならクリアしてもらわなければ話にならないとはっぱをかけ、手を抜かさないようにしたのです。

もちろんAグループの能力は高く、設定タイム以上で走れる選手もいましたが、ならばいかに正確に走れるかを求めたのです。

それぞれのレベルアップを図らなければチームとしての向上は望めませんから。

Bに分けられた選手は、翌日のメニューでAで走りたいと言ってくるし、Cの選手も同じようにBで走れると言ってきました。

これが本当の意味での競争だと思います、できないことを要求するのではなく、目の前のハードルを少しずつ上げていけばいいのです。

まったく初めての経験でしたが、プロという組織の選手たちのプライドをうまく利用したやり方だったのかなと思います。

その頃にはまだ、走り方に対する指導はしていませんでした。

それが昨年久しぶりにサッカーのチームで指導をすることになり、真っ先に考えたことが、サッカー選手にとって走るということはどういうことなのかということでした。

このブログで何度か触れてきましたが、スタートからゴールまでが決まっていて、そのタイムを競うのは陸上競技だけです。

他の種目はすべて、今いる場所からある地点まで走ろうとスタートしたけれど、途中で方向が変わったり、スピードを変化させたり、なにより走ることが目的ではなく、体や道具を使ってそれぞれの目的に合わせた、アクションを起こさなければならないのです。

そいうい意味でも、走ることそのものが目的になるトレーニングは、本当に意味があるのだろうかと考えました。

まずは動くという行為そのものに対する体の使い方を身に付けてもらわなければなりません。

色々な道具を使ってコースを設定したりしますが、そのスピードを競わせるのではなく、その動きを正確に身に付けてもらうのです。

それでも種目間のインターバルや、回数を工夫することで、知らず知らずのうちに心拍数は上がり、筋肉は疲労します。

気付かないうちに、素走りのトレーニング以上に心肺機能や筋持久力も高めることができるのです。

加えて、動きそのものを良くするトレーニングを行っているのですから、私の提唱する「体作りから動き作りへ」と同じ意味で、たんなる持久力から、「質の高い動きを続けることができる持久力」の獲得を目指したのです。

さらに、単純に走るという動作に対しても、無駄のない疲労しにくい走り方を指導することで、本来目指さなければならないサッカー選手としての能力アップと、チームとしてのレベルアップにつなげようという考え方でした。

神戸時代にバクスター監督から言われた言葉ですが、「サッカー選手はボールさえ与えておけばいつまででも走っていられる、そのかわり素走りは50メートルでも嫌がる」というものでした。

当たり前と言えば当たり前です、ボールを追っかけボールを蹴ることが好きなのですから、それを利用してボールを使いながらのトレーニングなら、彼らは喜んでやってくれました。

その効果で、体がフィットしてきたのと同時にボールも足になじんできたという感想が聞かれました。

他のチームがひたすら走ることを要求され、下半身の痛みを訴える選手が多い中、順調に調整を進めていけたのはそういう理由だったと思います。

短い期間でしたので、評価を受けるところまで浸透してはいないかもしれませんが、私の考え方はそういうことでした。

その割にはスタートダッシュでつまづいてしまいましたが、私としてはトレーニングの効果に対しての手ごたえは十分感じていましたので、これからもこの考え方に関しては変える必要はないと思っています。

その走り方そのものに関しては、「第二回の西本塾」で直接参加者の皆さんに、実技として指導させていただきましたが、想像以上に反応がよく、約1時間の指導で、ほとんどの人が「頑張らない頑張り方」、今までの感覚とは違う「頑張ってないのに走れてしまう、数十メートルとはいえ、ある程度のスピードで走ったはずなのになぜか疲れを感じない」という、不思議な体験をしていただけたようでした。

走ることは苦しいこと、自分の体重以上の力を用いて地面を蹴り、その反力をもらって前に進む、腿を高く引き上げ股関節を屈曲させることでストライドを伸ばす、ただこのことで振りだした足が実は重心の前に来るため、着地の瞬間にブレーキがかかる、そこからさらに地面を蹴ってという作業が続くため、筋肉は相当なダメージを受けることになります。

それに耐えるためには、しっかり走りこんでへこたれない筋肉を作るのだ、そうやってみんな頑張ってきたのです、もちろん私もその一人でした。

もっと早くこの考え方に自信を持って指導していれば、ただ苦しい思いをしなくて済んだ選手もたくさんいたことでしょう、そういう意味ではごめんなさいとしか言いようがありませんが。

「強く地面を蹴らない、太腿を振り上げない、肘を曲げ伸ばしするような腕振りはせず、重心が前に移動したことで、広背筋の収縮に任せて骨盤は引き上げられ、上腕部は後ろに引かれる感覚だけ、骨盤はできるだけ前後に捩じらず、股関節の上下動に任せて起こった骨盤のローリングで足が振りだされることが走るということ」

言葉で書くとこんな感じですが、間違いなく直接指導を受けた人以外で、この動きがイメージできる人はいないと思います。

西本塾の講義でも、この説明をしている時の皆さんの表情が一番難しい顔をしていました。

まるでどういうことになるのか分からないという表情でした。

それが外で実技を行い、1時間後には全員の表情が一変しました。

「こんな感覚は初めてだ、走るってこれでいいの」みなさん同じ感想です。

走ることは苦しいこと、だから罰として与えられるのは、試合に負けたから学校まで走って帰れだとか、グランド何周、そんな発想になるのでしょうね。

走ることが楽ちんで楽しいなんて言われたら、そういう指導者はどうすればいいのでしょう、苦しくなるまでとにかく走れということになるのでしょうか。

「人はなぜ走るのか、走らなければならないのか」、スポーツにおいての走るという行為の持つ意味、もう一度考えてみてはいかがでしょうか。

新しい出会いが続いています。

新しい年が始まり、新しい出会いが続いています。

昨日は、昨年までJクラブでトレーナーをしていたMさんが、奥さんと一緒に操体法を体験していただき、トレーナーとしての色々な話をさせていただきました。

この仕事は安定とは無縁の仕事だと思います。

安定を求めて自分を押し殺し、枠の中で頑張っている人がたくさんいるのも事実ですが、一人の人間としてトレーナーという仕事を選び、仕事に対して疑問を感じながら同じ場所に居続けるのもつらいものがあると思います。

彼が所属クラブを離れた理由を、詳しくは聞きませんでしたが、私が感じたのは、自分をもっと成長させたいという向上心だと思いました。

ただ、家族を養っていかなければならないという重い責任もあります、理想だけでは生きていけませんから。

そういう意味でも、自分と重なる部分が多く、何のお役にも立てませんが、長い話になってしまいました。

結局はトレーナーとして、自分の技術に自信を持てているか、また発揮した技術が本当に選手の役に立っているという意味での手ごたえというか、やはり自信があるのか。

そこに不安を持ってしまうと、このままでいいのだろうかという気持ちに、どうしてもなってしまうと思います。

そういう気持ちにならないで、日々の業務を一生懸命こなしていますというレベルで、自分が満足できるのなら、それはそれでいいのかもしれませんが、少なくとも私は、一度もそんな気持ちになったことがありません。

そして今朝は、何と北海道の北見で高校の教員をされているYさんが訪れてくれました。

大阪で行われている、ピリオダイゼーションの講習会に参加され、広島まで足を延ばしていただいたそうです。

ピリオダイゼーションに関しては、最初に一言お話をしましたが、今の日本で、いわゆる期分けという概念が必要な個人やチームがどれだけあるのでしょう。

どんな時期においても、常に向上心を持ち、実際に様々な角度からレベルの向上を図ることの方が大事なのではないかと、私は思うのですが。

参加していない人間が余計なことを言う権利はないですが、期分けという概念に関して、私はそういう考えを持っています。

冬の北海道ですから、サッカーの練習といっても色々と制約があるでしょう、少しでも私からアイデアを引き出そうと、熱心に話を聞いてくださいました。

やはり、現在行っているトレーニングの中心が、屈筋の強化になってしまい、私の言う伸筋優位でしなやかな動きとは正反対の動きになってしまっていることに、気付いていただいたようでした。

短い時間でしたが、私の考え方を持ち帰っていただいて、選手のために使っていただければと思います。

それにしても、第一回の西本塾から、北海道から来ていただく方が続いています。

やはり一番遠い所のイメージがありますので、私の話を聞くためにわざわざ来ていただいたことに、まずは感謝です。

そして何より、新しい何かを取り入れる、自分以外の人間の話を聞いてみるという、柔軟な発想ができる人が多いような気がします。

他の地方の人がそうではないとは思いますが、北海道という土地の持つ雄大さがそうさせているのではと想像しています。

過去にも名寄という町に招かれ、3度伺ったことがあります。

こうなれば、北海道の方々で横のつながりを作っていただき、私を呼んでいただいて西本塾の北海道開催を実現させていただけないでしょうか。

皆さんにお金と時間をかけて広島に来ていただくより、私から飛んで行った方が、よほど効率的な気がしますし、北海道に行けるという楽しみもできます。

どなたか実行委員会でも作ってくれないでしょうか。

さて、先日ゴルフのスイングのことで質問がありましたが、答えていません。

というのは、これまで全く交流の無い方から、カギ付のコメントで質問が来たからです。

このブログはタイトル通り、私が話しておきたいことを書くために作りました。

それがたくさんの人に読んでいただけるようになり、言葉足らずの内容に対して質問も頂くようになりました。

それに答えたからといって、有料でという訳でもありません。

皆さんがどう感じ、どういう疑問を持っていただいたのか、それに対し私がどう答えたのか、それがどなたにも読んでいただけることで、もしかしたら他の方も疑問に思っていたことが、なるほどそうだったのかと思っていただけるかもしれません。

また、私自身が新しい発見をさせていただくこともあります。

だから、そういう質問に対してはできるだけお答えするようにしてきました。

ただどんな形で、何を聞かれても、はいそうですかという訳にはいきません。

直接私への連絡事項という意味合いのものは別ですが、基本的にカギ付のコメントに関しては、お答えできませんのでご了承ください。

ただし質問の内容は、ゴルフをやっている人にとっては、実に興味深い内容で、このブログ1回分では足りないくらいの文章を書かなければ、答えにならない内容です。

というより、スイングこそパーツパーツの分解写真では説明できない、一瞬の動作ですので、私のゴルフスイング論をすべて文章にして、本を書きたいくらい熱い思いを持って取り組んでいるところです。

ヒントだけ差し上げましょう、「私は右足を蹴りません、トップの位置からは股関節の回転だけを考えてスイングしています。」

これ以上書くと、とんでもない分量になりますので、この一言から、何かを探ってみてください。

ゴルフのスイングは自分の体と頭で納得したもの、それも自分の気づきから始まったものでなければ、結局はあのプロにはこう教えてもらった、あのシングルさんはこういってた、またあのゴルフ雑誌ではこう解説してあったと、情報量はやたら多いのです。

言われた時には分かるしできるけれど、それが本当に自分の形にとどまってくれないということになってしまいます。

私がずっとそうでした、今やっと自分のやるべきことが見えてきました、今年はそれを自分のものにしてスコアアップを目指したいと思います。

そしてもう一つ大事なことは、コースに出たらフォームなんてどうでもいいと開き直ることです。

今できることをやるしかないのですから。

ドライバーであそこにボールを運ぶ、アイアンで絶対にグリーンに乗せる、乗らなかったらアプローチでオッケーの距離に意地でも寄せる、蹴っ飛ばしてでもボールをカップにねじ込むという、気迫です。

私に一番足りないのはそこでした。

同伴者に気を使い、飛距離にこだわり、理論や知識で得た打ち方にこだわり、その結果、プロと見間違うスーパーショットを放ったと思えば、有り得ないようなトップにダフリにシャンク、ハーフで40を切ったと思えば、残りで50を叩くといった、まったく頭の悪いゴルファーなのです。

だからこそ、他の人にもこの経験を伝えたいと思い、ユーチューブでのレッスンもどきを始めました。

こうしなさいなんて言えません、「こうなっていますから、こうしてみてください、後の判断はご自分でどうぞ」といういい加減なレッスンですが。

ゴルフをやらない人には申し訳ないですが、真剣にはまってしまった人間にとっては、麻薬のような存在です。

たぶん一生納得できるゴルフにはならないと思いますが、諦めずに取り組んでいきたいと思います。

トレーニングの目的再考

屈筋と伸筋、西本塾を開催するようになってから、私の思いを正確に伝えるための方法として、具体的な筋肉の名前を上げて、その解剖学的な起始と停止を明らかにして、収縮した時に起こる関節の運動を説明することで、感覚として伝わりにくい部分を、より視覚的に理解していただきやすく説明するように努めてきました。

具体的には、姿勢を真っ直ぐに保ち、スポーツ動作のすべてに重要な「広背筋」については、道具を使わなくても、いつでもどこでもトレーニングができるように「フライングバック・トレーニング」という名前を勝手に作って、受講者の方が各地で指導し、すでに成果が出ているという報告も頂いています。

今回も、ボールを蹴るという動作と走るという動作に関して、大腿四頭筋という固有名詞を使ったため、私の本意でない、〇〇筋の働きは、的な発想に陥りそうになってしまいましたので、もう一度ここで、私のトレーニングに関する考え方を整理しておきたいと思います。

我々がスポーツ動作や日常生活が円滑に行われるためには、筋肉の収縮が必要です。

人体を形成する骨格は、筋肉の収縮によって関節の角度を変え、動きとして表現してくれているからです。

「筋肉の仕事は骨を動かすこと、それ以上でも以下でもありません」と、私が言い続けているゆえんです。

ところが解剖学という学問が、一つ一つの筋肉の存在と働きを明確にしたため、それらに対して細かいアプローチがされるようになりました。

このマシンを使えば、この種目を行えば、確実にこの筋肉に刺激を与え鍛えることができるということが、定説となり、正しいアプローチのやり方だと信じられるようになってしまいました。

8方向へ展開する自由度を与えられた関節が、全身に数えられないくらい存在している人間の体、些細な動きに対しても、それこそ一つとして知らん顔をすることなく、大なり小なり全身が協調・連動して動いているのが人間です。

そこに〇〇筋を鍛えると、という発想が当てはまるのでしょうか。

広背筋をターゲットにしてフライングバック・トレーニングを行うとき、他の筋肉や関節は休んではいません、広背筋が働きやすいように懸命にサポートしてくれて、下半身のトレーニングをやっているのかと、途中から思ってしまうほどです。

質問していただいたスクワットなど、最も顕著に全身運動だと自覚できる種目だと思います。

今はやりの体幹トレーニングという言葉、その鍛え方が盛んに喧伝されていますが、スクワットでは体幹は鍛えられないのでしょうか。

そういう人たちが言っている体幹部分が弱くて、100キロのスクワットなどできるはずがありません。

ベンチプレスでも同じでしょう、前側の筋肉だけで持ち上がる重量は知れています、全身が協調してこそのベンチプレスで、前側ばかりに筋肉痛が来ることも、裏側だけに来ることも、実はそこに意識が行き過ぎている、もしくは今まで意識が届いていなかったからと言わざるを得ません。

上半身を鍛える、下半身を鍛える、体幹を鍛える、そういう問題なのでしょうか。

例えば正月番組でも目にした「腕相撲」、使っているのは片腕です、ところが、だれがどう見たってあれは全身運動で、腕が太いから強いという単純な競技ではありません。

腕相撲ですらそうです、他のすべてのスポーツや日常動作に必要な筋力の発現は、すべて全身で行っているはずです。

それを不意にどこかの筋肉だけに負荷がかかる動きをした時、ぎっくり腰などと言う悲惨な状態になったりします。

私も30歳までとても痩せていて177cmで58キロしかなかったことは何度か書きました、自分にとって大きなコンプレックスでした。

それをトレーニングで少しずつ克服していく過程で、いわゆるビルダー体型を目指す人たちのトレーニングを見て、どうも違うなと思わざるを得ませんでした。

その後さまざまな経験をしていく中で得られた結論が、「体作りから動き作りへ」というパラダイム転換となっていったのでした。

そんな甘っちょろいトレーニングで効果なんて出ないと言われたこともありました。

その効果とはズバリ筋肥大のことだと思います。

しかし、3・5・7理論に基づく、可動域のいったりきたりをしっかり意識し、筋繊維の奥深くまで刺激を届けることを意識したトレーニングを継続すれば、動きそのものを改善しつつ、その動きに必要な筋肥大はちゃんとついてくることを、指導した選手たちが証明してくれました。

これは一般の方でも同じで、週1回1時間のトレーニングでも半年もすると体つきが変わってきます。

その時意識していただくのは、今どこそこの筋肉で頑張っているという意識を消してもらうことです。

私のトレーニングを一言で言い表すと「固有の筋肉を頑張らせない筋力の発現方法を身に付ける」と言えるかもしれません。

普通は、いま〇〇筋を鍛えている、できるだけ意識を他に逃がさないように、その部分に集中することで、その筋肉に強い刺激が届き強化される、という発想でしょう。

現実のスポーツ動作や日常動作に、そんな局面があるでしょうか、いかに部分に負担をかけないように、うまく体全体に負荷を分散して使うかがキーポイントのはずです。

「いやどんなことがあっても耐えられる強い体にしておくんだ」そうでしょうか、鎧のような筋肉を身にまとった選手は、どんなことにも耐えられケガをしない体になったのでしょうか。

答えはNOだと思います、名前は出せませんが、皆さんでも思い当たる選手はたくさんいると思います。

人間は言葉を得て、文明が発達しました、だから指示をする側も受ける側も、まずは言葉で理解しさせようとします。

やって見せて動きを説明しても、「これはどこの筋肉でやるんですか、どこに力を入れるのですか」と、やる前から矢継ぎ早に質問が飛びます。

まずはやってみて、その感覚をお互いに共有しなければ、会話で言葉にしようがありません。

西本塾生で、札幌の諏訪さんのゴルフスイングを、ユーチューブを通してアドバイスさせていただいていますが、短い時間とはいえ目の前でスイングを見ていますし、私も現在進行形で同じ悩みを持つアマチュアゴルファーとして、思う所を言わせていただいています。

だからこその会話が成立していると思うのです。

これまでマンツーマン、目の前にいる人間にしか指導をしない出来ないと言い続けてきたのはそういう意味です。

直接とはいえ、大勢の方に同時に教えるのも大変ですし、会ったこともない人に伝えるのはさらに難しい作業です。

シンプルに考えてください、人間の体は丸ごと一つの存在です、〇〇筋や骨の名前は後から人間がつけたもの、体はみんなで協力して私たちの体を動かしてくれています。

自然の摂理に逆らわず、いかに体をいたわりつつ無理を聞いてもらえる体になれるか、トレーニングってそういうものではないでしょうか。

ボールを蹴る筋肉 屈筋と伸筋

私の考え方の基本になっている、屈筋よりも伸筋の方が力強く持久力もある、見せかけの屈筋ではなく、関節を伸ばすために使われる伸筋の重要性を理解してトレーニングをしよう、というものがあります。

ブログの中でもそのことは強調してきましたし、西本塾でも、実際に屈筋よりも伸筋を使った方が筋力として発揮できるものが大きいことは、実技を通して感じていただいています。

伸筋というのは、基本体の後ろ側に分布しており、そういう意味でも目立たない意識しにくい存在であることもお話しています。

ところが、その説明ではどうしても、すとんと落とせないというか理解しにくい筋肉があります。

「大腿直筋、外側広筋、内側広筋、中間広筋の4つで構成される大腿四頭筋」という筋肉です。

言わずと知れた、太腿の前の長くて大きな筋肉です。

この筋肉が実は曲者なのです。

大腿四頭筋は屈筋と伸筋のどちらでしょうかという問いに対して、皆さんはどう答えるでしょう。

おそらくほとんどの人は、膝を伸ばすために働く「伸筋」と答えるのではないでしょうか。

それは一つの意味では正解です、ところがこの筋肉は股関節と膝関節に2つの関節をまたぐ、2関節筋と呼ばれる側面を持っています。

ということは、股関節の運動という側面から見ると、大腿四頭筋は足を前方に振り上げる時に働きますから、その運動は股関節の屈曲ということになります。

体の前側に存在し、膝を伸ばすために働くことが主な仕事のように思われてしまっているため、どうしても伸筋のイメージが強くなってしまうのです。

私はサッカー自体はいつも言っている通り素人ですが、サッカーに携わっている人たちの間にも、大腿四頭筋は膝を伸ばす伸筋で、この筋肉を鍛えることが、強くボールを蹴ることにつながると思っていることに、この数か月サッカーの指導者の方々と接する中で気づいてました。

事実、日本のサッカー選手の体つきは、下半身とくに太腿の前側の発達は著しいのに、裏側の大腿二頭筋の発達がいまいちで、上半身に至ってはとてもスポーツ選手とは思えない貧弱な選手が多いと思います。

ボールを蹴る、イコール太腿の前側の筋肉、はたしてそうなのでしょうか。

極端に言えば、膝関節の伸展動作、膝から下だけを振りだしてボールを蹴ることなどできるはずがありません。

軸足で踏み込んだ時、蹴り足は太腿の裏側の筋肉が主体となって、体の後方に振り上げられます、これが股関節の伸展動作です、この時に広背筋が強く作用して、骨盤を引き上げ前傾させて、股関節の自由度を高めます。

この運動なくして、ボールを蹴るという運動はできないのです。

ゴールキーパーがボールを地面に置いて蹴る時の蹴り方がまさにそうですね、後方に振り上げられた足が、前方に振りだされ、ボールにインパクトした瞬間で動作が終わっているように見えます、そこから膝関節を振りだしてなどという動きには見えません。

それでもハーフラインを超えるロングボールを蹴ることができます。

逆に言えば、そうやって股関節を大きく伸展させられるからこその飛距離だと思うのです。

パスやシュートといった、割と短い距離のキック(この長さの概念は個人の技量でかなり違うとは思いますが)では、この伸展動作の後、前方に振りだされた足に、大腿四頭筋がブレーキをかけることで、ボールに強い衝撃を与え、正確なキックを可能にしているのではないでしょうか。

そういう意味で蹴る瞬間には、大腿四頭筋が膝を伸ばすという運動に対しても、抑制的に働き、屈筋的な仕事をしているように思えるのです。

これがゴールエリア近辺からの強く正確なシュートを放つ、メッシやルーニーの体の使い方、私の目に映った伸筋から屈筋への受け渡し、という概念に結び付いたように思います。

これまでうまく説明できなかった部分なのですが、私の中で大腿四頭筋の役割が股関節の伸展であるということが明確になり、これが西本塾で指導した、「疲れにくい走り方」でも生かされて、腿を引き上げる、股関節を屈曲させるという意識を消してもちゃんと走れるということとリンクさせられました。

従来の肘関節を屈曲させることが腕振りで、それを推進力として太腿を振り上げ(いわゆる腿上げ動作)、地面を強く蹴ることが速く走るための絶対条件と思い込まされていた我々に、まさに発想の転換で、こうやって走ったら速く走れて疲れにくくて、走りながらの視野も広く確保できて、まさに理想の走り方じゃないの、と思うに至ったのです。

この文章を書きながら、何かすごい新発見をしたような気分になっています。

実際は、新発見でも何でもなく、そうやって走っている人がいて、それぞれのスポーツで超一流と呼ばれる存在になっているという事実を、私なりの言葉で説明できたというレベルにすぎませんが。

ただこれで、これまで私が、なぜレッグエクステンションやレッグカールというマシンを使ったトレーニングが、動き作りに邪魔な存在だと言い続けてきたことや、変な走り方と言われながらも、こっちの方が絶対走りやすいのにと、思い続けてきたことに自分なりに一つの結論が得られたと思います。

ボールを蹴るという動作に関してはサッカー関係者の皆さん、走り方に関しては一般のジョガーの方から、オリンピックを目指すアスリートの皆さん、そしてありとあらゆるスポーツを行っている皆さんに、野次馬根性でいいですから、一度は試してほしいと思います。

そんなバカなという方々きっと損をしますよ、やってみるのはタダです、別に故障をしたりするリスクなどまったくありません。

やらないで否定していては世の中変わりませんよ。

私からのささやかなお年玉です。

啓蒙活動の必要性

今日から私の2014年が始まりました。

気持ち良くスタートしたかったのですが、久しぶりに私のお小言から一日が始まってしまいました。

西本塾に参加していただいたKさん(あえて匿名で)さんが、教え子で現在大学生のサッカー選手を、連れて来ていただくことになっていました。

新年最初の仕事です、9時のスタートに合わせて早めに家を出て、いつも以上に念入りに掃除をして到着を待ちました。

しかし約束の9時を過ぎても、姿は見えません。

少し遅れて入口が空き、Kさんが来られましたが、肝心の学生君は近くまで来てはいるが道に迷っているとのことで、結局30分近く遅れてやっと姿を現しました。

最近の口癖ですが、以前の私なら、その時点で一言「帰れ」で終わりです。

私の指導を初めて受けるために、初めての場所に行く、私なら紹介者の方に場所をきちんと聞き、今の時代ですからネットで場所を確認し、少なくとも10分20分前には到着して、約束の時間の5分前くらいに入り口のドアを開く、これくらいの準備は絶対にすると思います。

それが30分遅れです、さすがの穏やかになった私も、一言言わないと収まりがつかず、結構きつい言葉を本人と紹介者のKさんにぶつけました。

過去にそうやって何人の訪問者を追い返したことか。

ただ今回はそこまではしませんでした、言うべきことは言って、気持ちを切り替え、彼らのためにとっておいた残りの時間、精一杯お役にたてるよう指導させていただきました。

当たり前のことですが、初対面の印象はとても大事です。

時間を守るなどという基本中の基本が守れないのでは話になりません、携帯電話という手段があるのですから、遅れそうだと分かった時点で連絡することはできるはずです。

時間を過ぎてから、道に迷いましたではおかしいと思いませんか。

今回のことは、どんなに私が変わったといっても、限度がある出来事です。

ここで宣言しておきますが、最低限のルールとマナー、挨拶や言葉遣いがきちんとできない人間は、私が真剣に指導するにあたらないと言わざるを得ません。

特別なことを言っているつもりはありません、私との関係以前の人としての守るべき行為だと思います。

久しぶりに本性を現したような気がしますが、もともとこういうことには特別厳しい人間です。

とりあえず書いてすっきりしました。

さて、そのトレーニングを指導させてもらう中で、彼の所属する大学は、いわゆる筋トレを禁止しているという話を聞きました。

指導者の中に筋トレ、イコール筋肥大、動きの鈍化というイメージが離れないのでしょうね。
そんな暇があったらサッカーの練習をしなさいということかもしれません。

しかし、現実として春から3年生になる彼の体は、とてもスポーツ選手とは思えない華奢な体でした。

いろいろ話をしていく中で、肉体改造などという言葉に代表される、体作りのためのトレーニングと、私が提唱している動き作りのためのトレーニングの違いは、すぐに理解してくれました。

当然、自分には動き作りのためのトレーニングが必要で、その結果として得られる筋肥大はまったく問題ないこと、というより、結果付いてくる筋肥大を獲得することを目的としてでも、いますぐトレーニングを始めなければならないことが理解できたようでした。

自らの無知勉強不足、指導力不足を棚に上げ、単純に筋トレ禁止などと平気で言える指導者ってなに、というのが私の感想です。

本当に体ができていない選手をどうやって指導するのか、その方法論としての筋トレというものに対して、一方的なものの見方ではなく、私のような考え方もあるんだよと教えてあげたいところですが、悲しいかな私の知名度は低いので、知られているとも思えません。

もし知っていてくれたとしても、私がその要請にこたえて全国を指導して回るのも無理があるでしょう。

だからこそ、私の考えを理解していただき共鳴する同志を増やしていかなければなりません。

そうでなければ、今日来た学生のような選手はいつになっても救われる日は来ないのです。

どこの誰に文句を言っても始まりません、Jリーグや代表チームのトレーニングだってたいしたことをやっているわけではないのですから。

結局は自らの限界を超えろ、常に100%以上の努力が必要だ、式の発想しかないのですから。

関わった選手指導者に、何が本当に大切なのか、何をしなければならないのか、頭にも体にも確実に分かってもらえる指導をしていきます。

それ以外に現状を打破する方法は今のところ見当たりませんから。

もう一人、昨年末から指導を続けてきた投手のトレーニングと、屋外でのキャッチボールを行いました。

折鶴を折ってくださいと持ち込まれた折り紙が、もうぐじゃぐじゃで、これでいったい何を折ろうとしていたんだという状態だったのを、いったんリセットし、折り紙にアイロンをかけてまっさらな状態にすることから始めました。

そこに新たな折り目をしっかりつけることが次の段階です。

そして鶴はこうやっておるんだよと、一通り折って見せて折り目をつけ、最後にもう一度広げた折り紙を、自分で折らせてみるまでが私の仕事です。


最後は自分がどうするかです、私が投げるわけではありませんから、その上で打者との勝負が待っています。

明後日には何人かの選手と自主トレに行ってしまうそうです、私のところに来る前にその予定を決めていたそうですが、本来ならこのまま私の指導を受けた方が良いのは明らかです。

そういっても予定が変えられないそうですから、今日までに最低限の準備はしてきたつもりです。

このあたりが今の立場の限界でしょうね。

とにかく精一杯工夫し努力をする、つねに一生懸命に取り組む、私にできることはそれだけです。

明日からまた頑張ります。

皆さん、あけましておめでとうございます。

ここ広島は、三が日とも穏やかな天気に恵まれ、私ものんびりしたお正月を過ごしています。

昨夜は、秋田から長男家族が、呉から長女家族がそれぞれ帰ってきてくれて、久しぶりに家族全員が集まることになりました。

結婚して30年、4人の子宝に恵まれ孫が2人、総勢10人になり、3月にはもう一人孫が生まれる予定です。

人生あみだくじとか言って、試行錯誤の連続、いつまでたっても腰の落ち着かない私ではありますが、気がつけばこんな大所帯のお爺ちゃんと呼ばれてしまう立場になってしまいました。

しかし、個人的にはまだまだ自分の人生に納得できているわけではないので、折り返し地点はとうに過ぎた多と思いますが、まずは今年1年しっかりと地に足をつけた仕事をしていきたいと思いますので、よろしくお願いします。

さて、現実あるはずはないのですが、スポーツシーズンをスタートさせるキャンプでトレーニングの指導を、などと言うオファーなど来るはずもなく、個人的な自主トレの指導の依頼もなく、淋しいと言えば淋しいですが、まあこんなもんかなという感じではあります。

それよりも、明日が仕事始めとなる本拠地「Conditioning Studio 操」での仕事に、全力投球しなければなりません。

昨年後半色々なことに挑戦するチャンスをいただき、サッカー選手の動きの分析や、体作りではなく動き作りの重要性が・・・


と、ここまで書いたところで、帰省中の長男が吐き気と腹痛、さらに腰の痛みで身動き取れなくなってしまい、トイレの前でうずくまってしまいました、11時前頃の話です。

元々右側の腎臓に結石ができやすく、ときどき痛みが出ることがあるらしいのですが、まさかのお正月三日にそれが出てしまいました。

救急車を呼び、近くの県立病院に搬送され、先ほどやっと連れて帰ってきました。

入院の必要はないそうで、もしかしたら元日、嫁の実家でいただいたカキがあたったのが原因かもと、結局は断定されませんでした。

家内と連絡を取り合うと、何と嫁も吐き気がひどくなり、救急病院へ連れて行っているとのこと、なんだか慌ただしい一日となっています。

今年の私は、とにかく貪欲に目の前にある仕事をどんどんこなしていこうと思っています。

元来あまり働き者ではなく、ほどほどを良しとするタイプなのですが、今年ばかりは自分からどんどん前に出て、どんな分野にでも顔を出してやろうと思っています。

誰かが「足指もみ」を受けてみたいと言ってくれるのなら、喜んであの不思議な感覚を味わっていただきましょう。

今までの私ならどこも悪くないのに何しに来たんだ、私にしか治せない人がここには来てほしいんだ、他のところで用が足りるならそっちへ行ってくれと、言い放ってしまう人間でしたが、それこそ私にしか出せない感覚というのなら、是非一度体験しに来てください、と言えるようになっていますので、怒ったり嫌な顔をしたりしませんから、安心してきてください。

また指導者の方には、私の知識や経験をどんどん伝えていく活動もしていきます、これも、それが世の中のためだということが分かりましたから。

さらに現役の選手たちにも、出来れば直接指導をさせていただく機会が与えられれば、来てもらうにせよ、こちらから乗り込んでいくにせよ、彼らが知らない別の世界をきっと見せてあげることができると思います。

スポーツなど縁のない一般の方から、現役選手そして指導者と、相手を選ばずどんどん私の考えを広めていきたいと思います。

そう思わせていただいたのは、このブログを読んでいただいている皆さんであり、直接指導を受けに来てくださった「西本塾」の参加者の皆さんです。

お前に何ができるんだと思っている方々には申し訳ないですが、私から直接学んでいただいた方々の指導を受ける選手たちは、間違いなく進化します。

いつか必ず、話を聞いておけば良かった、指導してもらえばよかった、そう思う日がきっときます。

こんなにやる気になったのはたぶん初めてだと思います。

もっと早くその気になってくれていれば、ちょっと遅いんじゃないの、そう思ってくれる人もいるとは思いますが、何事もタイミングです。

幸いまだまだ体は動きます、自分でやって見せることができます。

倒れる時にも前のめりで、気付いたら倒れていたと言われるくらい全力で走ってみます。

さてどこまで頑張れるか見ていてください。

プロフィール

Author:西本 直
1993年、Jリーグサンフレッチェ広島を皮切りに、社会人野球三菱重工広島・協和発酵・ヴィッセル神戸・川崎フロンターレ、そして広島カープ佐々岡真司投手など、プロアマ問わず競技レベルのスポーツ選手から一般の方まで、トレーニングやメンテナンスの指導を行ってきました。
その経験と知識の蓄積を「西本理論」としてまとめ、一人でも多くの方に実践していただくことが、これからの私の使命であると信じ、このブログから発信していきます。
私の理論はスポーツ選手のみを対象としたものではなく、ビジネスマンや家庭の主婦まで老若男女すべてに当てはまる不変のものです。
指導や講演のご依頼も受け付けています。
実名でツイッターも書いていますので、チェックしてみてください。
また、2013年9月9日にConditioning Studio 操をオープンしました。こちらもご覧ください。
また、遠隔地にお住まいの方を対象とした動き分析とアドバイスを行っています。
詳細は「スタジオ操」のホームページ内の「遠隔サポート」をご覧ください。

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