出来る事と出来ない事

Newspicksの連載記事に対してのコメント、少しずつ私の意図していることが伝わってきたかなと感じることができる内容が増えてきた反面、相変わらず図や動画がないと全くわからないと開き直ってしまう人も見られます。

「自分の体と対話する」まさにこれこそが、究極の自己管理であり健康法であるというのが、私の主張であり真理だと思っているのですが、いつでもどこでも必要な情報が手に入り、あれがダメなら次はコレと、情報の送り手にも問題はあるとはいえ、あまりにも考えが浅いというか、本質に近づく努力が足らない人が多いと思います。

それはさておき、人間の体が、と言うよりも自分自身の体がどういう風に動いているのか、普段考えている人は少ないと思います。

体の不調を訴え、単純にいえば痛みをなんとかしてくれという人を相手にするのも、動き作りのトレーニングによる能力の向上とともに、私の仕事の大きな柱となっています。

30年近くこの仕事を続けてきた中で、ある意味人間の弱さというかわがままさというか、体を治すとか整えるということ以上に、その人の考え方を変えてもらう以外に、訴えている体の状況を改善する方法はないような気がしています。

今現在の自分の体は本来どれくらい動けるのかということを、ほとんどの方が分かっていないということです。

持って生まれた遺伝的な要素もありますが、何年何十年とともに過ごしてきた体が、どういう風に動いているのか、具体的に言えば、可動域の問題とか、骨格と筋肉の連携連動という問題です。

「そんな難しいことを考えて動いちゃいないよ」、と言われるでしょう、それなのに一度不調を訴え痛みを感じてしまうと、それら全てが解消しなければ、ほとんどの方は納得しようとしないのです。

いつも冗談交じりに例に出しますが、首を寝違えて回すことができないという訴えなら、5分もあれば可動域を改善し、それなりに生活に困らないようにすることは可能です。

それで痛みまで全てなくなってしまうわけではありませんが、右にも左にも回らなかった首が、それなりに回るようになればとりあえずは問題はありません。

しかし、短時間で症状を改善させられる腕があるのなら、このなんとも言えない違和感もなんとかできるだろうという風に思われます。

それくらいならいいのですが、肩のラインを動かさずに真後ろを見るというような、もともとできるはずもない動きをやろうとして、これ以上回すとここが痛い、などと、それこそ頭を叩いてやりたくなるような意味不明のことを言い出す人までいます。

もともとの自分の体がどういう風に動いているのか、今自分が言っていることの意味がわかっているのか、人間というのは本当によく深いものです。

四十肩だ五十肩だと言って、腕が上がらないという人も、腰を丸めて猫背になり背骨を丸くした姿勢で腕を上げようとして、痛いだ上がらないだと自分の体に文句をつけます。

やってみると分かりますが、今の私でもそういう姿勢から腕を高く上げることはできません。

それは背骨のS字カーブがきちんとできていないため、肩甲骨が背骨側に回り込むスペースがないからです。

腕は肩甲骨の動きとセットで上がっていきます、痛いからとうつむいて暗い顔をしたままでは上がるものも上がらないように体はできているのです。

痛みは個人の感覚ですから、私がどうこう言っても仕方はありませんし、本人にとってはなくして欲しい感覚なのは分かります。

正直私ならこの程度で痛いなどと言わないし、痛くても日常生活には問題はないし仕事だって歯を食いしばってできている、年齢や今自分がやっている仕事の内容を考慮したら、よくこれくらいで済んでいるな、体は頑張ってくれているなと、感謝こそすれ文句など言えるはずもありません。

では何をもって自分の現状を判断するか、それに最も適しているのが、手前味噌ながら拙著「朝3分の寝たまま操体法」で紹介した幾つかのパターンの動きだと思います。

人間の体にはたくさんの関節があります。

その一つ一つに8方向の展開力が備わっています、ただ圧着と離開という概念があっての残りの6方向ですので、その6方向への展開力、大きな関節から体全体に連動していく繋がりが、滑らかであれば、どこにも痛みなど感じるはずはありません。

それが連動を遮る何かが見つかった時、体は不調を訴え痛みを発してくれます、それは体からのメッセージであり、痛いからと単純に忌み嫌うべきものではないのです。

私が操体法の考え方を理想としているのはそこにあります。

普段から、各パターンの連動の様子をよく観察しておけば、自分の体がどういう風に動いてくれているのかちゃんと分かるはずです。

もし痛みが出てしまったとしても、どの状態に戻ることが自分にとっての回復であり治癒なのかを知ることができます。

そういう努力もなしに、ただただ痛いから治してくれでは何の解決にもなりません。

この努力は自分の普段の状態を知るということはもちろんのこと、その行為自体が体の6方向への連動を促し、毎朝の始業点検のつもりが、実はメンテナンスとしてもこれ以上ない効果を生んでいるのです。

こういう動きのことを書いても、図がない動画を載せろという人はいるのでしょうが、おそらくそういう人は一度か二度やって、やっぱり分からないとやめてしまうのが落ちです。

本当の意味で体と対話する心構えがないのですから。

この幾つかの動きのパターンを長い年月続けていると、自分の年齢に伴う老いという問題も素直に受け入れることができると思います。

80歳にならんとしている人が、30代の頃の自分をイメージしたような体の動きを要求する人がいます。

無理を承知で言っているのか、それとも思い出話が始まったのかと思いきや、真顔で自分の体はこういう風に動けるはずだと言われてしまうと、体に対して申し訳なくなってしまいます。

さすがにこういう考え方の人と生涯付き合わなくてはならない体は、本当に大変だと思います。

アンチエイジングもいいですが、地球上に住む生物としての人間という存在とはどういうものなのか、もう一度よく考えたほうがいいと思います。

私自身20年前とは明らかに違っていますし、10年前とも違います、膝倒しをしても太ももを引き上げる動きをやっても、間違いなく衰えていることは実感できます。

それを少しでも良い状態にしておこうと操法を繰り返すのです。

普段何もしないで、若い頃のようにしてくれ、そんなことはできないのです。

スポーツ選手も同じです。

スポーツというのは本来楽しむということが目的でしたが、人と競うことが主たる目的となってからは、日常生活ではあり得ないような筋力の発揮の仕方をさせたり、可動域を超えるような状況になったり、何よりそれを何回何十回いえ何百回と繰り返させることも当然のように行っています。

ですから、体のどこかに違和感があるなどという状態は当然のことなのです。

器質的な問題、平たく言えば骨が折れたとか皮膚が破れているとか、筋肉が損傷している、これは明らかに問題がありますから、運動を制限しなければならないのは当然のことです。

しかし、私が言うところの関節の6方向の連動も問題がない、器質的な異常もないという状況で、本人の口から痛いだとか違和感がと言われても治すところはないのです。

おそらく日常生活には支障はないのですから、「この感覚が嫌なら諦めてスポーツを止めるんだね、そうしたら痛みはなくなると思うよ」と突き放してしまうこともあります。
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体が答えてくれたこと

Jリーグは開幕してまだ3試合を消化しただけですが、すでに各チーム故障者が出ています。

今私がチームに一員だったとしても、防げるものと防げないものがあります。

そして早期復が可能な選手と、そうでない選手がいます。

私が広島で初めてプロの選手を相手に仕事を始めた時、自分がやっている仕事、大きなくくりでいうトレーナーという立場の人間の中で、選ばれてここに来たという自負がありました。

選手は、もちろん子供の頃からサッカーを続け、前年まではアマチュアだったとはいえ、日本の中では最高のカテゴリーの中でサッカー選手という立場を獲得し、Jリーグ発足とともに名実ともにプロサッカー選手となった選ばれし存在です。

私も会社員生活を辞め、一念発起して開業して2年でしたが、腕に自信があって誘いを受けて広島にやってきたプロです。

立場は違いますが、お互いに最善を尽くすことが要求されるのは当然のことです。

今でもそういう所がありますが、選手によっては、自分に対して時間をかけてマッサージをしてくれるトレーナーが良いトレーナーだと思っている選手が多いように思います。

初めて広島に来て腕試しのようなことをさせられた後、オファーを受けた言葉は、「あなたが今開業してやっている仕事を、選手のためにやってほしい」、たぶんそんな言葉だったと思います。

私がやっていたことは、ただ選手にマッサージをすることではありませんでした。

選手の能力が少しでも向上できるよう、体のコンディションを整えるのはもちろんのこと、選手個々に不足している能力を向上させるためにはどうしたらいいか、それを見つけ出し指導することの方が大きな比重を占めていました。

それは、チームが勝ってほしいからです。

マッサージをしていればチームが勝つのなら、それこそ選手の人数分マッサーを雇って、いつでも好きな時に受けさせられる態勢を取らなければなりません。

しかし現実にそんな環境はありませんし、それで選手の能力が向上するわけがありません。

時には突き放したり、言われたくないことも言わなければなりません。

少なくとも私は自分の仕事はそういうものだと思っていました。

毎日毎日無い知恵を絞って、選手のために何をすればいいのか、何を言えばいいのか考えていました。

その中でも、故障した選手に対するケアは、当たり前のことをやることで、お互いに納得できるのかということがすぐに大きな問題となりました。

トレーナーを目指す人ならだれでも知っているRICE処置から始まって、ドクターの指示を受けカレンダーとにらめっこしながら、何日たったからこれをやる、検査結果でゴーサインが出たから次の段階に進む、そんな当たり前のことをやるのなら、私でなくても誰でもできるわけで、自分ならどうするか何が出来るかを考えなければこの場に自分がいる必要はないと考えました。

選手とて同じ、一日でも早く歩けるように走れるように、そしてボールを蹴って練習に復帰したい、そう思わない選手はいないでしょう。

出来ないことを無理にさせるわけではなく、出来ると思ったことをどんどんやる、それが相手の体が教えてくれたやり方でした。

その結果というか、自然な流れの中で、肉離れという状況を起こした選手の体を、出来るだけ早く動かすというやり方が生まれました。

生まれたというのは、説明しにくいですが、相手の体が要求してくれたということです。

私は人間の体、というより、体を構成する30兆個とも言われる細胞に、酸素と栄養を供給し、守り育て、傷んでしまたら回復させてくれる、唯一の存在は「血液」だと思っています。

その血液が体の隅々まで行きわたるように、筋肉の緊張を取り、筋肉の張力のバランスを調整して関節の角度を整え、体全体の歪みを整えるための手段として最良のものが「操体法」であると思っています。

いつもそういう発想のもとに体に向き合い、自分の体ではない他人の体と対話するようにしています。

ですから、体にとって最も大切な酸素を取り込むための臓器である肺を自ら汚して、フィルターを目詰まりさせることが分かっているにも関わらず、喫煙という行為を止めようとしないどころか、開き直って肯定してしまう人間や、食事によって細胞に必要な十分な栄養を摂取しなければならないにも関わらず、偏った食事をする人間を認めないのはそういうことです。

あれを止めることは出来ないが、これはこういう風にしてくれ、そんな身勝手が通るはずがありません。

自分のやっていることを顧みることもなく、都合のいい要求だけを聞いてくれるほど、体は優しい存在ではありませんから。

自己管理怠りなくトレーニングにも真剣に取り組んでくれたとしても、スポーツという非現実的な体の使い方を要求されているスポーツ選手の体に、肉離れなどの故障はある意味防ぎようがないものかもしれません。

ただ30年近い経験の中で、肉離れの大きな原因の一つに体の使い方と、トレーニングの方法や体そのものに対する知識の欠如があると思うようになりました。

現在行われているトレーニングは、ほとんどが屈筋に対して働き掛けるものです、それを忠実に行うと、体を動かすことイコール屈筋を使うという図式となります。

屈筋と伸筋の違い、伸筋の重要性はしつこいくらい書いてきましたが、この発想を変えない限り肉離れという故障を減らすことは出来ないと思います。

そのために必要なのが、筋肉の最終単位であるアクチン繊維とミオシン繊維が、私の唱える3・5・7理論の可動域の中を、いかにスムーズに収縮させられるかを最終的な目標としたトレーニングをすることなのです、それ以外に予防も治療もないということです。

今のトレーニングは、どんな状況にも耐えうる強い筋肉を作ろう、という発想のもとに行われています。

どんなに鍛えたところで、地球を強く蹴飛ばして勝てるはずがありません、自分の内部で吸収する以外ないのです。

それが私のトレーニングです。

練習の前に、風呂に入ったりホットパックで温めようが、マッサージを受けて揉みほぐそうが、これから行う運動は、アクチンとミオシンを滑り込ませて重ね合うことで、その準備のための動作以外に、予防というレベルの準備は有り得ないのです。

それでも不幸にして肉離れを起こしてしまった、私が考えることは「傷んでしまった組織に対して、いかに早く酸素と栄養を供給するか」、これだけだったのです。

安静固定の時間が長ければ長いほど、患部に届く酸素と栄養は滞ってしまいます。

なぜ動かさないか、それは、その状態以上に悪くしない、悪化させないためです。

そして時間をかけて体の自然治癒力に期待するために、ひたすら待つのです。

高価な治療機械は血行を促進するという目的で使われますが、私は機械には頼らず本人の体にその仕事をしえもらおうと考えました。

例えば太ももの裏側の肉離れを起こしたとしましょう、太腿の裏の筋肉は膝を曲げる筋肉です、もし自分でそれをやれといったら痛くてできるはずはありません。

体はすべてつながった一つのものです、太ももの裏側に血液を送り込むための方法は、本人の意志での自動運動によって筋肉を収縮させることで血流を促進させなくても、私の手でまったくの他動運動で膝関節の伸展動作を繰り返したり、股関節の屈曲動作を繰り返すことは可能なのです。

それも、相手にはまったく痛みを感じさせないように行わなければなりません、痛いと思わせることをやってしまったら、血流を改善させるどころか、患部の緊張を高めより悪化させてしまうことになります。

言葉で説明してもイメージが湧く人はいないと思います、今までそんなやり方を見たことも聞いたこともないでしょうから。

しかし現実に私はこのやり方で、足を着くことが出来ないほどの痛みがある選手を、試合のあと深夜まで、3時間以上かけて動かし続け、翌朝自力で歩ける状態にまで持って行くことが出来ました。

これは自慢話などというレベルの話ではなく、現実に何人もの選手が体験した事実です。

お互いに怖さもあるでしょう、もの凄い集中力と研ぎ澄まされた感覚が必要です、見よう見まねでできることではないかもしれません。

相手に何の不安も与えない技術と、気持ちを患部から反らすためのバカ話を、延々と続ける話術も必要でしたが。

ただ、黙って教科書通りのことをやったのと比べると、効果は歴然です。

なぜこうするのか、なぜこうなったか、時間をかけて向き合うことで選手に知識を与え、トレーニングやケアに対する意識も変わっていきます。

アクチンとミオシンがきちんと機能できるようになることを目的にリハビリやトレーニングを行いますから、今やろうとすることに対して、ただたんに痛みがあるとかないとかいうことが基準ではなくなります。

私が何度こんなことを言っても、スポーツの現場は変わってくれません。

私のような立場の人間がもし自分もやってみようと思ってくれたとしても、選手が拒否すればそれまでです、クラブの商品である選手の体を、教科書以外の方法で扱ってもし結果が悪ければ、自分だけではなく組織としての責任にも問題が波及する可能性も出てしまいますので、現実にはなかなか思ったようにはやらせてくれないでしょう。

こちらが与えた刺激に対して、何時間後また翌日、どんな変化が起こっているか、もし痛みが増したと言われた時に、それは正常な反応で動き自体は改善している、避けて通れない痛みで心配する必要はないと、自信を持って言えなければ絶対に実行することはできないし、それに対して第3者からクレームをつけられてしまえば、それ以上のことは絶対に出来なくなります。

すべては信頼関係のなせる業、信頼を得る努力の方が優先されてしまうのでしょうか。

まずは予防、屈筋ではなく伸筋がきちんと機能して体を動かすという行為を行ってくれるように、動きづくりのトレーニングを理屈を理解させながら行うこと。

温めたりマッサージを受けることが予防ではなく、筋繊維の可動域にまで思いを巡らせながら行うトレーニング以外に予防の方法はないこと。

気持ちも体も前掛かりになって、腰をかがめ膝を引き上げるような走り方をすることで、屈筋というブレーキを効かせながらアクセルを踏むような走り方をするならば、肉離れは避けて通れないこと。

選手はもっと勉強しなければ、それを教えることも我々の仕事なのですが。

言いたいことはたくさんありますが、私の言うことに真剣に耳を傾け実行に移さない限り、何も変わっていかないと思います。

野球はまだ開幕していませんが、温かい場所で自主トレと称しどんなトレーニングをしていたのか分かりませんが、キャンプ初日に肉離れで離脱した選手の話や、たったの3試合で何人もの選手が肉離れで離脱していくJリーグの話を聞いていると、無駄を承知で一言言いたくなりました。

そんなことが出来るはずがない、現場のことが分かっていない、どうぞご自由に批判してください。

ただそんな批判をしている暇があったら、もっと選手のためになる方法をそれぞれが工夫して、私以上の安全で確実な予防法や、トレーニングの方法を考え出してください、選手のために。

私自身の「深める会」

週末の二日間、気持ちを新たに構想を練った「西本塾を深める会」を行いました。

一日目は三名、二日目は五名の方に参加していただきました。

ちょうど一週間前に風邪をひいてしまい、週末に備えるために空いた時間はほとんど横になっていましたので、ブログも更新できませんでした。

そんな中でも、参加してくださる方を思い浮かべながら、何をどういう風に指導しようか頭の中はそればかりでした。

当初一人だけの参加予定が、ぎりぎりになって二人になり、さらに締切直前にまた一人と、考えている内容を少しずつ練り直す必要が出てきました。

今年に入ってからの西本塾は、私に興味を持ってくれた人が、野次馬根性で一度話を聞いてみたい、どんなことをやるのか見てみたい、そんな人は申し訳ありませんが参加をお断りすることにしました。

回を重ねるごとに参加者の意識が高まり、立場も目的も異なる方々ですが、学ぶ姿勢というか本気度が、私の想像を超えるような方々ばかりになっていったからです。

そんな中自分本位で、他の参加者の、言い方はきついですが邪魔になるというか、その場の張りつめた空気を読めない発言や態度が見られると、私と参加者の真剣勝負に水を差されてしまうようで、これはまずいと思うようになったのです。

さらに「深める会」も、西本塾では人数の関係もあり、私からの直接指導を受ける時間が少なかったため、もう一度自分の体で直接体験してという、実利を求める参加者の空気を感じていました。

しかし私としては、回数の問題ではなく、私の考えていること実際にやっていること、つまりは枝葉の問題ではなく、物事の本質を探る根っこを掘り起こすための考え方を学んでほしいという所にまで、参加者の意識を引っ張り上げることが出来なければ、やはりただの技術指導の会になってしまうと思いました。

私と参加者の意識の差をどう埋めていくか、それが今年行う深める会のテーマとなりました。

まずは一日で行っていた深める会を二日間とし、一日目は「体を診る・整える」ということをテーマに、どちらかといえば施術者側の視点に立った内容にして、こちらに特化して深めたいという人には、一日だけの参加も可とするということにしました。

二日目は、そういう視点でとらえた体を、どうやって動かしていくのか、まさに動き作りのためのトレーニングを深めていこうという内容を考えました。
もちろん二日目だけの参加も可としました。

今回は二日間通しの参加が三名で、二日目のみの参加が二名でした。

参加条件は、もちろん西本塾をすでに受講していることなので、初めてお会いする人はいません、ですからどんな方がどんなことを求めて参加してくれるのか、改めての申し込みフォームに書かれた参加動機も含め、私の中では様々な準備をして当日を迎えることが出来ます。

今回そうした気持ちで臨んだ一回目でしたが、色々な意味でイレギュラーが起こりました。

まずは一日目の参加者、一人は西本塾に参加した後、すでに千葉で行った深める会にも参加してくれていた人です。

私の考え方に対する理解度というか学びの姿勢は、これまでの参加者の中でもトップレベルだと思います、今回以降も出来る限り継続して参加し、少しでも私の理論を理解し、広めたいと言ってくれるありがたい存在です。

もう一人は西本塾に参加してから、初めて深める会に参加する人です、二日間の西本塾を受講しているとはいえ、深める会を経験している人との理解度と習熟度は、やはり大きな差がありました。

毎回真剣に指導しているつもりですが、一度目よりも二度目さらに三度目四度目と、先日訪れてくれた井田さんの成長度を見ても、やはり私のところに来た回数の問題は大きいことは明らかでした。

さらにもうお一人は、本来なら参加資格のない方でした、私より年長の方で、走ることを趣味としていて、私の提唱する走り方を指導してほしいという目的で、個人指導を二度受けに来てくれました。

その時に私が体を治す整えることも仕事にしていることを知り、高齢でパーキンソン病を患うお母さんを連れて、施術を受けにきてくれました。

その時、普段ほとんど歩けないお母さんが、施術中にトイレに行きたいということになり、車いすでベッドサイドまで運んできた体が、ご自分の足で歩いてトイレに行かれ、施術後は施設の外の車止めまで歩いていただけたことに驚き、さらには真似事でもいいからやってあげてくださいと教えたかんたんなやり方を、素人なりに継続することで、お母さんに喜ばれているという事実にさらに驚き、もっと詳しく教えてほしいという目的で、一日目の参加を、そして走るという動きをさらに学びたいという目的で二日目の参加も希望していただきました。

車で3時間以上もかかるところから来ていただくのですから、お母さんを連れて定期的に来てくださいとも言えませんし、パーキンソン病という病気が、私の施術で治るわけではありませんので、出来ればもう少し色々覚えて帰っていただくことが一番現実的な方法だと思っていました。

他の方には申し訳ないですが、そういう理由で申し込みを受け付けました。

結果的には、ご本人には喜んでいただけたと思いますが、西本塾を受講している人としていない人では、こんなにも違うのかということを、私自身が改めて思い知らされました。

とくに西本塾初日の室内での座学については、参加したほとんどの方が、自分が学んできたこととまったく異なる、実体験に基づいた私の考え方に、驚いたり首を傾げたりの一日を過ごすことになるのですが、その一日を経験したからこそ、二日目の実技を行う時に、なるほどそうだったのかと納得できる部分が増えていくのです。

西本塾には参加できないが、個人指導で要点を教えてほしいという安易な考えで、予約を申し込んでくる人をお断りしているのはそういうことです。

今回改めてそのことを痛感しました、中途半端に私の理論を伝えるようなやり方をしてはダメだと。

私が投げかける言葉に対する反応が、西本理論を学んだ人とそうでない人ではまったくといっていいほど違ってしまい、そのことについて説明しようとすれば、それこそ座学を一からやり直すことが必要となってくるのです。

それを承知で参加していただいていますから、今回はあえてそこで会話を打ち切り、すでに一度話を聞き学んでいただいた方との会話を優先し話を進めていきました。

私が休むことなくしゃべり続ける西本理論は、やはり本当に重要な内容なのです。

独自理論とか言われますが、たしかに私の講義を受けていない人との会話が、これほどかみ合わないということは、そう言われても仕方がないことなのかもしれません。

二日目にも同じことが言えました。

二日目のみ参加の、小学生とそのお母さん、母子で個人指導を受けに来ていただいた後、お母さんは西本塾にも参加してくれました。

目的は、サッカーをやっている息子さんを少しでも応援したいという親心だと思います。

二日目の実技は、確かにサッカー選手にとって有益な部分もたくさんあります、しかし一日を費やして指導する内容は、それだけではありません。

申し訳ないですが、四月から五年生になる小学生が理解できる内容ではありませんし、息子さんのためにというお母さんにとってもレベルを超えた部分の方が多かったと思います。

たまたま育成年代を指導する立場の方が二人いましたので、同じ指導者として彼に接してくれたので問題はありませんでしたが、やはり参加者の意識をそろえるという意味では、他の方には少し申し訳ないことになったところもあると思います。

一日のみの参加も認めるということでスタートしましたが、二日目の内容には当然一日目に話をした内容が大きく関連していますので、本当に私が参加者の理解を深める会にしたいのであれば、やはり二日とも参加すると言ってくれる人を相手にするべきで、今回の母子のような目的の方には、個別指導という形で来ていただくことを勧めるべきだったのかなと思いました。

毎回毎回色々なことを考えます。

一日目の最後、自由に質問をという私の言葉に返ってきたのは、まさに枝葉のテクニックの質問でした。

質問を遮り、やはり私に聞きたいのは私から学びたいのはそういうことなのかなという残念な気持ちと、まだまだこういう質問をされてしまうということは、私が伝えたい西本理論の本質が正しく伝わっていないのだという、伝え手である私自身の問題として突き付けられた気がしました。

その後お二人の参加者と一緒に楽しい時間を過ごし、明日に備えて早く寝なければと布団に入ってから、いつからか言葉にするようになった「西本理論」の本質はどこにあるのだろうと考えました。

断片的に様々な経験を積み重ね、私ならこうできる、実際にこうやってきた、ということを伝えてはいますが、根っこを掘るとか本質とか、真理という言葉まで使っている私の考え方は、一言でいうと何なのだろう、それが明確にされてこそ、そこから広がる様々な問題に、学んでくれた人が答えを見つけやすくなるのではないか、そんな風に考えました。

私こそ、肝心な根っこの部分を見せられていないから、枝葉の先にある果実や花を咲かせる方法にばかり、目を向けられてしまうのではないか、まだまだ頭の中は整理できませんが、私の後を追いかけてほしい、進むべき道を見せてあげたいと、本気で思うようになったのですから、自分だけが分かっていればいい、自分にしかできないということではまったくダメなわけで、もっともっと私自身の根っこを掘り進んで、本気で学ぶ気持ちを持ってくれた人たちの思いに応えたいと思います。

さて休む間もなく、一か月後の「西本塾」の準備を始めなければなりません。

寸暇を惜しんで通っていたゴルフ練習場よりも、「西本理論とは何か、それをどうやって伝えるか」、そんなことを考える時間の方が楽しいと感じるようになりました。

面白くなってきました。

私が自分の考えていることを表に出すようになって2年近くになります。

このブログがそのスタートでした。

それがスポーツライターの木崎さんとの縁で、様々な媒体に私の考えを書かせていただいています。

最初の頃はこのブログも読者は少なく、numberの雑誌やウエブ版に掲載された時にはたくさんの方が目にしていただいたようですが、けそれとてあくまでも一般の方で、今まで私がやってきたスポーツの現場で、直接同じような仕事をしている人間たちの目に触れることは少なかったと思います。

それらに対する反応というか感想も、私にとっては一般の方はこういう風に受け取るのだなという感覚で、お褒めの言葉をいただいても、その反対のことを言われても、畑違いの方々で、本質的な部分が分からない人たちの意見に、失礼ですが私がいちいち反応していては精神衛生上よくありません。

どんな事柄にも、一言言いたい人はいるようで、そんなコメントを見るたびに、だれでも自由にものが言える平和な国なんだなあと、妙なところに感心してしまいます。

何度か書きましたが、「好意的なコメントがほとんどで、アンチが少ないうちは、まだまだ本物ではないよ」という、某名監督の言葉通り、私の考え方も世の中に広まっているとはとても言えるところまでは来ていないことは分かっています。

ところが最近になって、Newspicksに連載させてもらっている記事の内容に、スポーツ関係者と思われる人間の書き込みで、「トレーナーや選手は、私の記事を読んでも誰も納得しない、現場が分かっていない」、という趣旨のコメントがありました。

やっと来たかという感じです。

自分が学んできたことをベースにして、選手を相手に頑張っているのでしょう、さらに学び続け様々な経験をしていく中で、自分は最大限の努力をしている、おそらく誰に聞いてもそう言うと思います。

トレーナーとして仕事をしている人たちには、様々な背景があって資格も様々です。

しかし、多くの人が早くから目標を定め、その道を真っ直ぐに歩んでいる人が多いと思います。

一番多いパターンは、自分も競技者として活躍したかったが、ケガに悩まされたり、選手としての能力に限界を感じ、支える側になりたいという動機です。

それぞれの資格を取るために一生懸命勉強し、有名な先達の指導を受け、そして運良く現場に立つことが出来るのはわずかな確率ですが、日々選手と一緒に戦っているのだと思います。

残念ながら、彼らの歩んでいる道の途中に、私のような人間はいなかったと思います。

彼らに異端視されるのはある意味当然のことでしょう。

しかし、私に言わせると、誰かから学んだ知識や経験は、すでに教科書的な事実として誰でも知りうる情報だったり、現場で要求されている知識や技術も、当然ある一定の枠の中に納まっているものです。

「医療スタッフも個人としての技量より、チーム医療の一員としての役割が大きな比重を占めるようになる」、広島に初めて来たときに、サンフレッチェ広島の先輩トレーナーだった、現在了徳寺大学の教授を務める野田さんからのアドバイスでした。

彼はけっして私のやり方を否定して言ったのではなく、私の技術を評価してくれたからこそ、その技術が現場で活かし続けられるようにするために、平たく言えば孤立しないように、あえてその言葉を贈ってくれたのだと思います。

一昨年、オープンしたばかりの私の施設を、彼が訪れてくれた時、思い出話でそのことも話題になりましたが、改めて彼が私に言ってくれたのは、今トレーナー志望の学生を育てる立場にある彼としても、あまりにも平準化してしまったトレーナーという立場に、「本当に必要な能力が育たない、西本さんはいつまでも変わらずにそのスタイルを貫いてください」という言葉でした。

私が過去現在、そして未来も含めて何をやってきて、何をやろうとしている人間かも知らないで、現場ではそんな理屈は通用しないと言い切ってしまうような人間たちに、私は何のアドバイスも指導もすることは出来ません。

かわいそうなのは、そういう環境しか与えられない、そこにいる選手たちです。

私が言っているのは理屈ではありません、経験してきた事実です。

そんなうまい話があるはずはない、聞くに値しない、そう思う人はずっとそう思っていればいいのです、ただ本当に選手はかわいそうですが。

土曜日、現在タイのトップリーグでフィジカルコーチを務めている〇田君(あえて匿名で)が、勉強に来てくれました。

彼こそ、その経歴を見れば、私のことを一番胡散臭い人間だと思ってもおかしくない人間だと思います。

それでも彼は西本塾にやってきました。

自分が学んできたこと経験してきたことだけでは実際の現場で対応できないことがたくさんある、あまりにもかけ離れた私の考え方ではあるが、少しでも自分の役に立つことがあるのならという一心だったと思います。

実際に彼は二日間、ほとんど笑ってくれませんでした。

何を言っても何をやっても、首をかしげ眉間にしわを寄せ、そんなバカなそんなはずがないという表情は変わることはありませんでした。

約100人の方に指導してきましたが、二日間を終えて帰る際にも納得のいかない顔で帰っていった、数少ない人間の一人でした。

当然でしょう、大学でまじめに勉強し、名のある人の指導を受け、自分なりに精いっぱい努力して学び続けてきたはずです。

そしてすでに現場に立って指導している立場の人間です。

もう彼が私の前に現れることはないと思っていました。

ところが今回を含め、もう4回目になるでしょうか、現在指導しているチームの選手たちと接する中で、私から学んだことが形になり、さらに疑問が湧いたり欲が出てきて、また私の元を訪れる、その繰り返しが続いています。

来るたびに成長を感じますし、言葉の通じない選手たちへの指導の苦労も感じます。

だからこそ彼は、自分の体で身を持って見せられるようにすることが、何よりも大切だと思っているのです。

そして私が、その動きを今もってできることに驚き、目標としてくれるのです。

今回も、事務手続きのための、わずかな帰国期間の中の一日を、私のところに来る時間にあててくれました。

「そんな甘いものじゃない、現場ではそんな理屈は通用しない」、そんなことを言ってくるやつが出てきたよと、話をすると、彼もそのことはすでに知っていて、「もしここに来なければ自分もずっとそう思っていたはずです」と、正直に話してくれました。

私はそういう人間たちに対して、喧嘩を売るつもりはありません。

自分たちが出来ることを精いっぱいやってくれればいいと思います。

私は、もしかしたら本当にそういうことが過去にあって、今でもその理論や技術を発展させている人間がいると信じて、わざわざ広島まで来てくれる若い人たちに対して、出来る限りの指導を続けていきたいと思います。

まだまだその数は少なく、技術や知識の伝承も道半ばです。

申し訳ありませんが、私の指導を直接受けられる環境は広島にしかありません、それでも少しずつ学びを深めてくれている人たちがいることは間違いありません。

「もっと早く出会っていれば」、毎回同じ言葉をいただきますが、これも縁です。

どこか琴線に触れて、私の波長を感じてくれた人に、私に出会うことがおそらくないであろう人も、そこで縁がつながるかもしれません。

アンテナを立てていれば、どこかから必要な情報が受信されます、という言葉を書いたときに、私のアンテナに西本さんが引っ掛かりましたと、笑って話をしてくれた西本塾の受講者がいました、世の中そういうものだと思います。

自分が目にした、私の書いた記事からしか判断できないような人間を相手にしても仕方がありません。

これまで表に出てきた記事や、すでに膨大な量となっているこのブログの内容を読んでもなお、そんな話があるはずはないと思うような人間の既成概念まで何とかしてあげるつもりはありません。

私は、こういう仕事がしたかったとか、こういう立場でこういう選手を相手にしたかったとか、そんな目標じみたことが全くなかったことが幸いしたのでしょう。

よく、どこで勉強したのですかとか、どなたに師事したのですか、などという質問をされますが、それこそ誰かに何かを教わらないと何もできないということを自分が認めているからなのでしょう。

私の答えはいつも同じです、「基本的な知識は鍼灸の専門学校で学び、体に対する向き合い方は、操体法の師である渡辺栄三先生から学びました。今の私を育ててくれたのは、これまで関わってきた選手たちや一般の方々の体そのものです」と答えるしかありません。

自分が出来ないことは誰にもできるはずはない、思い上がりも甚だしいとしか言いようがありません。

私がやってきたことは誰にでもできるはずです、既に20年前、私が出来ていたことが、今になっても誰も出来ないというのであれば、それはできないではなく、やろうとしてこなかっただけでしょう。

そういう道を歩く、先達に出会えなかっただけでしょう。

私でもできたことを出来る人、独自な理論ではなく当たり前だと思ってくれる人を、少しずつではありますが増やしていきます。

知らない出来ないという人の方が少数派になる、そんな日が来ることを信じています。

今月開催の深める会、参加者は少ないですが、私の本気の指導がどこまで伝わるか、とても楽しみにしています。

思うこと・・・。

(今日の更新は、具体的に役立つ内容はないと思いますので、読み飛ばしていただいて結構です。)

自分がどこに向かって歩いて行こうとしているのか、未だに分かっていません。
今の自分がどうしてここにいてこんなことを考えているのか、それもよく分かりません。
それでも私はここにいます。
こんな仕事をしてみたい、こんな人間になりたい、そんなことも考えたことがなかったような気がします。
今日今何ができるのか、後先もなく、それしか考えられない人間です。
目の前の広島湾、島々に囲まれ湖のような広さしかありません。
もし、真ん中辺りで船が沈んでも、どこかに泳ぎつけそうな近さに島があります。
今の自分は、どこの島に泳ぎつこうとか、その島で何をしようとかいう目的もなく、沈んでしまうことだけはないようにただただ波間に漂い、空を見上げてぼんやりしている、そんな人間のような気がします。
行き先を決めることもせず、かといって沈んでしまうことは怖い、なぜここにいるのか、どこに行きたいのか、誰に聞いてもわからないこと、自分で考えなければならないこと、それだけは分かっているつもりなのに、先に進めない。
今、手足の動きを止めたら、このまま海の底深く沈んでしまいそうで、動きを止めることもできない。
何かにもたれかかりたいけれど、それをやってしまうと、もう二度と自分の力で浮かんでいることすらできなくなりそうで、それもできない。
人間というものは、常に孤独で常に何かに追われている。
自分の中にあるそういう部分も、書き残しておこうと思いました。

柄にもないことを書きましたが、そういう自分が精一杯生きている証として、これまでの経験が少しでも誰かの役に立つことがあればと言葉を綴っています。

人間それぞれ考え方が違いますから、同じ言葉を投げかけても、受け取り方は様々です。

限られた人生の時間の中で、何を考えどう行動するのかは自由です。

大きな災害に見舞われたり、不慮の事故にあったり、病気に侵されたり犯罪に巻き込まれたり、人生の幕はどんな形で降ろされるのか、誰にも想像がつきません。

こうやって私のような人間の言葉を、見も知らぬ多くの人に読んでいただけることなど、まったく想像もしませんでした。

文字や言葉は、発してしまった瞬間から、自分の元を離れ一人歩きが始まります。

11年も前に書いた文章がいまだに読み継がれています。

巣立っていった子供のように、一つの人格を持って新しい読者に何かを訴えかけています。

私のように、物事に対して必要以上に深く考えすぎることは無駄なことかもしれません。

多くの人が情報として共有するためには、客観的な判断ができる数字が必要なことも分かります。

すぐに答えを要求し、目先の利益を優先させる姿勢も悪いとは言い切れません。

今私がやっていることは、そういう意味ではまったく無駄なことが多く、遠回りなことばかりなのかもしれません。

生きて行くためには働かなくてはなりません、お金が必要です。

そのための手段としての仕事であれば、できるだけ無駄を省き効率が優先されることは当然のことかもしれません。

中には人として許されない行為によって、それを得ようという人間まで存在します。

私もまだまだ生きていかなければならないのでしょう。

子供たちや孫の成長が、何よりも楽しみな平凡な日常を守っていかなければなりません。

だからこそ今の自分にできることを精一杯やっていきたいと思っています。

今日は、更新を期待して読んでいただいた方には申し訳ありませんが、具体的になんの参考になる記述もありません。

こんな平凡な人間でも、一生懸命頑張ってきたことで、微力ではありますが、誰かの役に立てる何かを身に付けることができました。

それをどういう形で発揮していきたいのか、どの島に泳ぎ着いて何をやりたいのか、もう少し浮かんだままでいたいのか、本当に自分が進んで行きたい方向はどっちなのか、自問自答が続いています。

動きを診る

昨日Jリーグが開幕しました。

個人的に気になる選手がいたことと、監督個人を応援したいという気持ちもあって、14時から行われたサンフレッチェ広島対ヴァンフォーレ甲府戦を観戦しに行っていきました。

私自身はサッカーの経験者でもありませんし、試合を見る観点はチームとしての戦術という部分ではなく、個人として、チームとしてどれくらい動き続けていられるのかという所を一番のチェックポイントとして観戦しています。

ですから、観戦というより「診る」という言い方が適当かもしれません。

こういう診方をするきっかけになったのは、2012年10月に行われた日本代表対ブラジル代表の試合を、テレビで観戦した時からだったと思います。

ちょうどその時期、翌年から川崎に行くことを決断し、私がどういう形でチームに貢献できるかを考えていた頃でした。

今サッカー選手に対して指導している根本的な考え方となっている、「90分間走り続ける能力」から、「90分間動き続けることが出来る能力」という発想の転換です。

Jリーグでも今年の開幕に合わせて、どこかの試合を指定して、選手の総走行距離や、瞬間最大スピードをデータ化する試みを始めたようです。

そういうことが好きな人たちには、待ってましたとばかりに数値をもとにした分析をして、話が盛り上がることになるのでしょうね。

実際に私も、川崎というチームをテレビで見て感じたことは、前半後半ともに終盤になると足が止まる選手が多いということでした。

と言うことは、90分間走りきれる体力を養成すれば、このチームはもっと強くなるはず、そう考えるのが自然でしょう。

この発想は今に始まったわけではありません、と言うよりどの時代のどのチームも、もっと言えばどんな年代のどんなレベルのチームも同じことを考えてきたはずです。

長い時間走らされたり、短い距離のダッシュを延々と繰り返させられたり、階段や坂道をいやというほど駆け上がったり、誰でも同じことをやってきたはずです。

そのことで本当にその目的は達せられたのでしょうか。

そうであれば、今頃になって「後半足が止まってしまいました」などという指摘を受けたり、自分でそれを自覚して、リードしている展開であれば交替させてもらったりという必要もないわけです。

その目的が達せられないからこそ、同じことを指摘され、同じトレーニングを繰り返してしまうことになっているのではないでしょうか。

体力があるフィジカルが強い、この漠然とした表現を延々と追い求めてきたことが、サッカーという競技を根本的に進化させられない原因ではないでしょうか。

川崎の試合を見ながらそんなことを考えていた時に目に飛び込んできたのが、ブラジルチームの選手たちの動きでした。

私が「90分間動き続ける」という表現を使うと、試合中一時も休むことなく動き続けるのかという言われ方をすることがありますが、もちろんそんなことを言っているわけではありません。

ブラジルの選手たちも、後ろでボールを回し、素人が見ていると、何をのんびり休んでいるんだという風に見えることがよくあります。

ところが一つのパスを起点にして、まさに全員が流れるようにゴールに攻め上がるシーンは、目を離していると別のチームがそこにいるかのような錯覚に陥るほどのインパクトがありました。

その一瞬を待っていたかのように、全員が同じ意図を持って動きだして行く様は、もちろんテレビでしか見たことしかありませんが、何千何万という子魚の群れが、誰かが号令をかけたわけでもないのに、一瞬にして方向を変える、あの瞬間に似ていると思いました。

もし本当にボスのような魚がいて、急に方向転換をして他の魚について来いと言っても、はいそうですかとあのスピードでまったく同じ動きが出来るはずがありません。

実際のところは分かりませんが、あの魚の群れのような感覚が、ブラジルの選手たちにはあるのではと思ってしまいました。

後ろで何度もボールを回しながら、味方と相手の陣形を確認し、ただ単に大きな穴やほころびを探すのではなく、相手の体の向きや重心の移動を確認しながら、味方が一番ボールを受けやすく、そして次の展開がチームとして共有できる、最も有効な場所へ正確なパスを出せるタイミングを狙っているのでしょう。

その時ボールに絡んでいない選手たちの姿勢が、とても良いと感じたのです、ボールから遠いポジションにいるからとか、自分のところには来ないだろうとか、少し休んでいようなどという雰囲気はまったくありません。

全員が呼吸を整え、一瞬の動きだしのタイミングを待っているようでした。

見ていて「鳥肌が立つ」というのはこういうことなのでしょう、他の人がどう感じたかは分かりませんが、私は後方でのボール回しが始まるたびに、その瞬間を待っていました。

そこに必要になってくるのが、走り続けるではなく、ここ一番で正確に動くことが出来る能力だと思ったのです。

日本人はとにかく一生懸命という言葉を好みます、ハードワークできる選手が評価されます。

メッシ選手は特別中の特別でしょうが、さすがにあの運動量では日本では使われないような気がします、他の選手の負担が大きすぎますから。

ただやみくもに頑張っても、ここ一番に正しい動きが出来なければ何の役にも立ちません、3人の交代枠しか認められていないのですから、基本的には最後の最後まで責任を持ってピッチに立ち続けなければならないのです。

昨日の試合、そういう意味でまだまだ日本的な走り方の選手が目につきました、と言うよりある選手を除けば全員そういう走り方です。

日本のサッカーにスピード感がないのは、そういうことが原因ではないかと思います。

つねに一生懸命、疲れてきたときには周りの選手も疲れているから、それほど目立つことはないでしょうが、交代選手が入ってくるとやたら元気よく見えるということは、そういうことなのでしょう。

ウォーミングゾーンでアップを行っている選手にも注目しましたが、やはりもろに屈筋を使って、腕を激しく振り腿を引き上げ、ただたんに速いステップを踏みと、心拍数を上げ筋肉に刺激を入れることが目的であることは一目瞭然です。

当然ピッチの中で行う動きは、その延長線上にあるわけで、私の提唱する走り方とは程遠いものとなってしまいます。

広島を応援に行ったのですから、まずは開幕戦の勝利に安堵しつつも、他のカードが気になっていました。

その中でも、昨年3冠を達成したガンバ大阪とFC東京の試合は、2対0でガンバリードの速報を知っていたため、悪くても逃げ切りは間違いないだろうと思っていたら、何と2対2のドローで終わっていました。

パトリックと宇佐美の強力2トップが1点ずつ取り、最高のスタートだったはずなのに何が起こったのかと確認すると、武藤が2点取って追いついたというのです。

それも最後は90分を過ぎてからのスーパーゴール、先ほど試合を見直しましたが、同じ22歳で注目を浴びる二人のストライカー対決の結果は、今日ずっと書き続けてきた、姿勢と体の使い方が二人の明暗を分けたと言っても過言ではないと思います。

追いつかれた時、すでに逃げ切りを図るガンバは宇佐美を交替させていましたが、リードされているFC東京はエースストライカーの武藤を替えるわけにはいきません。

宇佐美も疲れていたでしょうが、武藤も同じだったと思います。

武藤の1点目、ゴール前の密集で、ディフェンスを背負いながら反転し、ボールを押し込んでのシュートでしたが、ディフェンスを背負っているにもかかわらず、力任せに踏ん張ることなく相手をいなして、自分の態勢を維持できたからこそのゴールです。

相手と力で押し合っていたら、自分の態勢も崩れてしまうからです。

同点に追いついたシュートはさらに秀逸で、ボールをコントロールした瞬間に迷わず放ったミドルシュートでしたが、この時にも彼の姿勢は素晴らしく安定していました。

あの時間帯に、よくあれだけ姿勢のコントロールができたなという感じです。

それはとりもなおさず、彼が「90分間動き続けることが出来る」体の使い方をしていたからです。

今の時点で宇佐美選手にはそれは難しいと思います、それが二人の差というか違いです。

宇佐美選手にももちろんよい所はたくさんありますが、良い意味でも悪い意味でも体の使い方に、日本的な感じが見受けられます。

「動き続ける能力」をどうやったら獲得できるのか、もっと本気で取り組んだ方がいいのではないでしょうか。

サッカーを診る時、私は個人個人のそういう体の使い方を診ています。

個人個人がもっと成長しなければ、チームとしてまた日本代表チームとしての成長はないと思います。

Jリーグのレベルがもっと上がって、スタンドで観戦することが楽しくなるようなゲームをたくさん見せてほしいと思います。

もう「足が止まってきましたね」というアナウンスは聞きたくありません。

伝えることの難しさ

昨日も午前中、大学に進学してサッカーを続けるという、卒業式を終えたばかりの高校生と一緒に、室内のトレーニングを行い、公園に出て走ったりボールを蹴ったりと、体を使う仕事が続き、少々疲れ気味ですが、夢を追う若者と一緒に流す汗は本当に心地良いものです。

予定より早く、トレーニングの途中から雨が降り出しましたが、そんなことは構わず二人でボールを蹴り合いました。

この歳になって、こんなに体が動かせて、自分の息子よりも若い年齢の選手と一緒に走り回れることは本当に有難いことです。

私が主宰する勉強会「西本塾」と、西本塾に参加した方を対象とした「深める会」、今年この会を継続して行うことを決めた時に考えたのは、ただ伝えるということでは終われない、参加者と一緒に学びつつも、私が直接出会うことのない誰かのために役立つためには、私から学ぼうとする人たちに、それなりの力を付けてもらわなければならないということでした。

その目的に近づくために最も重要なことは、西本塾に参加してくれた人が、私が伝えた理論と実技を、本気で自分のものとし、活用できる力を身に付けてもらう機会を作ることでした。

そのために、昨年は1日開催で行っていた深める会を、施術やコンディショニングといった分野と、動き作りのトレーニングを中心とした内容を、1日づつ二日間に分けて行うということにしました。

今月の21日と22日に、その試みの1回目となる「深める会」を行います。

残念ながら参加を希望してくれているのはお一人だけです。

もう一人申し込んで頂いていましたが、先ほど仕事の都合でキャンセルとなりました。

一人でも多くの人に私の考えを知ってほしい、自分が出会えない誰かの役に立つ人材になって欲しい、そのためには西本塾で、まる2日間伝えたくらいでは、とても足りないのです。

受け取る側の求めるものと、私の伝えたいことに違いがあるのは分かっています。

昨年までは、それでもいいと思ってやってきましたが、今年はさらに高いレベルを目標にして始めました。

時間はかかるとは思いますが、本気で学び続けてくれる人を、一人でも多く育てていきたいと思います。

今月の深める会、このまま申込者が一人であったとしても開催します。

準備しているすべてのことを、これでもかというくらい指導させてもらいます。

ブログの内容や著作物などに書いてあったことを、私から直接聞きたい学びたいという人たちを相手に、受け身な立場で始まりましたが、もう受け身では気が済まなくなりました。

攻めの気持ちで指導し、絶対に身に付けさせるというくらいの気持ちで向き合います。

さて、今週の月曜日からNewspicksで、新たな連載をさせていただくことになりました。

今までは、一流選手の動きを分析し、体の使い方のカラクリを探ることで、一般の方にも何かヒントになればという内容でした。

今回は、いわゆる一般の方向けの「健康指南書」的な内容です。

私は常日頃から、万人に叶う◯◯健康法や、◯◯トレーニングのように、世の中に湧いてきては消えていく、一時の流行のような、気をてらったというか、なんと言えばよいのでしょう、そういうものを自分では絶対に書きたくないし、実際にこれだというものには出会ったことがありませんでした。

私がもう11年も前に書いた本が、消えることなく少しずつではありますが増刷されて読み続けられているのも、書かれている内容は不変のもので、まったく売らんかなの気持ちがなかったからではないかと思います。

それでも、あの本に書かれた内容のすべてが、私の書きたかったことかといえばそうではありません。

最初に初稿として書き終えて送った内容の、半分以上はどこかに消えてなくなり、編集者とのやり取りの間にどんどん加筆修正が繰り返され、途中で自分は本当にこんな内容の本を書きたかったのかと、書くのをやめようと思ったことも一度や二度ではありませんでした。

それでも最終的には、こうして読み続けられる内容にまとめていただけたことは、プロである編集者の力だと思っています。

このブログのように、一方的に私の思いを書き綴っているだけなら何の問題もありません、有料ページでお金をもらっているわけではありませんから。

それが書籍として出版ということになるとそうは行きません。

著者として書きたいことと、読者が読みたいと思うものとの間には当然隔たりがあるでしょう。

出版社の編集者として、売れる本になってもらうためには、それなりの内容を要求するのも当然です。

書きたいもの、読みたいもの、売りたいもの、売れるもの、いろいろな思いが交錯して一つの形を作った行くのだということを経験させてもらいました。

素人が考えても、発行部数こそ大した数ではないのかもしれませんが、有名人でもない私のような人間が書いた本が、これだけロングセラーになっているのであれば、出版社として続編なり、同じような内容であっても少し切り口を変えれば、また少し売れるかもしれないと商売気を出してもおかしくありません。

世の中にそんな風な、二番煎じや、中身はほとんど同じで写真だけが違うような本がたくさん出ています。

出版不況と言われる中、売れるとなったらとことんその路線が続けられるようです。

事実私にも、そういうお話がなかったわけではありません。

それが実現しなかったのは、私があの本の中に書いたことは、人間の体に仕組まれたカラクリの真理であり、何年経とうと変わるものではなく、それ以上もそれ以下もない、精一杯書いた内容だと思っているからです。

操体法の実技を紹介するイラストのページが少ないから、それを中心とした、もっと実用的なハウツー本のような内容にという提案には、「それが私にとって一番書きたくない内容ですと」、突っぱねてしまうのです。

あれから11年にもなります。

いろんなことがありました。

私の目の前にいる人間に対しては最高の結果を出す自信はあります。

しかし、それは奇跡のような確率で私と出会った数少ない人たちだけが感じられる恩恵です。

残念ながら、そういう体の変化にも気づけない頭と体になってしまっている人もいますが。

このまま私の中だけに眠らせておいてはいけない、その思いがこのブログであり、西本塾へと繋がっていきました。

それでも、もし今私がこの世から消えてしまったとしたら、自信を持って本当に私の思いを引き継いでくれる人を、まだ養成できていません。

人生の折り返し点をとっくに過ぎて、少し焦りにも似た感覚が私の中に芽生えてきているようです。

スポーツライターの木崎さんとのご縁の中で、「西本さんの理論をもっと世の中に役立てるために、分かりやすい一般の方向けの健康指南書を書いてみませんか」という言葉に、「だからそんなものが書けるわけがないでしょう」と、いつもの調子で応じたことから始まりましたが、自分のそういう思いから、百歩も千歩も譲って、今なら書けるかもしれない、いや書かなければならない時期にきているのかもしれないと、パソコンに向かう日々が続きました。

実はその作業を行っていたのは、昨年行われていたW杯本大会の前でした。

当然のように、書かせたいものは分かっていますが、私にとっては、そんなことよりも書きたいものが最優先で、売れる本にするためにはという提案にはまったく耳を貸そうとしませんでした。

一般の方が読んで、文字として得た情報の中で理解して実行してみた時、本当にその効果が実感できなければ、書いた意味がないし、読んでもらう意味もない、どこかを触ればどこかが良くなる式の、お手軽な健康法などあるはずがないと分かっていて、それを私が世の中の人に提示するなど、他の誰が許しても私自身が絶対に許せないと思っています。

それでも、無い知恵を絞って、日常生活の様々なシーンで気楽に取り組め、効果を実感できると自信を持って提案できる内容の本にするために多くの時間を費やしました。

「いつも分かったような分からないような偉そうなことを言っている割りには、こんなお気楽な本を書くんだね」という声が聞こえてきそうになるのを、今回は我慢してでも、今まで世の中に出ては消えて行った健康指南書とは 一線を画したものにしたいと頑張ったのです。

しかし、木崎さんの手元に送った原稿が、どこかの出版社に興味を持っていただき、出版に至るというところまではいきませんでした。

たぶん、興味を持ってくれたとしても、11年前と同じことが繰り返されていたことは目に見えています。

売れる本にするために、修正修正が繰り返され、自分が書きたかったものはどこへ行ったのだろうということになって行くのでしょう。

自分の中ではもうこれ以上は譲れないというところまで落とし込んでいますから、その作業はできないのです。

木崎さん自身も私がそういう人間であることをわかってくれていますから、この辺で仕方がないかと諦めてくれたのでしょう、なんでもいいから出版したいということにはしなかったのだと思います。

自分の中では、すでに一冊の本として書き上げ、完結している過去のことだったのですが、今回Newspicksで、連載という形で世に出していただけることになりました。

当然私の当初の原稿通りというわけにはいかないでしょうから、毎週月曜日の5時にアップされることを前提に、内容の修正のやり取りをしながら、連載という形をとらせていただくことになると思います。

私自身最終的にどんな形で完結して行くのかとても楽しみです。

「西本もこんな内容のものが書けるのか、やってみたけど結構いいね」そう思っていただくことができるように、これから頑張っていきます。

人生の後半戦に入り、今まで以上に波乱万丈が続いています。

こうなれば行けるところまで行くしかありません。

私は全力で走り続けます、誰か真剣に追いかけてきてくれませんか。

私を、追いつき追い越せということを言う人がいますが、絶対にそんなことはさせません。

どんな状況になっても、絶対に前を走り続けます、追い着けるものなら追いついてみろ、という気持ちがなくなった時は、静かに消えていきます。

「深める会」、もしお一人だけの参加のままだったら、覚悟してきてくださいね、首に縄を付けてでも私の進む方向に引っ張っていきますから(笑)

あなたが、私が伝えるではなく、本気で指導するという気持ちになった第一号の相手になります。

正しい体の動かし方、改めて思うこと

週末から今日にかけて、トレーニングの個別指導に来てくれた選手が二人ありました。

茨城からトレーニングの指導を受けに行きたい、大学を卒業し地元のクラブチームでサッカーを続ける、ついては金曜の午後と土曜日の午前中、合わせて丸一日の時間を取って欲しいという電話があった時、何の疑いもなく男子の選手だと思いました。

どのカテゴリーかまでは聞きませんでしたが、わざわざ広島まで来て私の指導を受けることで、サッカー選手として少しでも成長したい、それが女性であることに気づいたのは、直接顔を合わし受付票に記入してもらった内容から具体的な話を始めた後でした。

トレーニングウェアに身を包み、大きなリュックを背負って現れた時にも、何の疑いもなく男性だと思っていたため、電話の時にも言ったけど、女の子みたいな名前だね、と口にしてしまい、どういうチームでプレーを続けるのかということを聞いていた時に、「なでしこリーグを目指して、今地域リーグで戦っているチームです」言葉を聞いた瞬間に、私の頭はまさにパニック状態となりました。

「なでしこリーグ、え、女子・・・」失礼ながら電話の声も直接会話する声も、女の人からこういう予約の電話があるはずがない、という先入観があったにせよ、普通に若い男性っぽい声だし、ショートカットで化粧気の少ない顔も、まさかまさかの展開でした。

私自身が気持ちを整えるのに少し時間はかかりましたが、相手が男性であれ女性であれ、目的があってここまで来てくれたのですから、なんとかして満足する形にして返すのが私の仕事です。

逆に、女性の中にもこんな気持ちを持って、勇気を持って行動できる人がいるんだ、女性アスリートに対しても私の指導は十分伝えられるものだということを証明する、大きなチャンスだという気持ちで、二日間真剣に向き合うことが出来ました。

男だから女だからそれがどうしたと、言われるかもしれませんが、そこには明らかに違いがあって求めるものが違ってくるのは仕方がないことです。

しかし今回感じたことは、そういうことではなく、一人の人間としての能力の限界を探るというか、可能性を最大限に発揮してもらうためのトレーニングは、まったく同じであるということでした。

極端に言えば、22歳の彼女に指導して身に付けてもらおうと思った動きは、中学生の男子には求めない動きのレベルだったかもしれません。

高校生の中にも、彼女が身に付けてくれたのと同じ動きが出来ない選手もいるでしょう。

要するに相手の性別も年齢も関係なく、今何が出来て何が出来ないのか、そして自分がどうなりたいかという目標を明確に持っているか、それだけだと思いました。

かなり厳しい言葉もぶつけましたが、しっかりと受け止め真剣に返してくれました。

現時点では無名な選手かもしれませんが、本来の意味で動きの本質に迫ろうとする姿勢は、名前のあるなしに関わらず、大きく評価できる素晴らしい選手だと思います。

そして私にとっての大きな収穫は、動き作りのトレーニングの中で、筋力において男性とは差がある女性にとって一番難しい、動きのキレを感じさせる、また感じることのできる動きとはどういうものなのかという問題に直面できたことでした。

男性であれば、私にとってはキレのある動きではなく、ただ無駄に激しく動いているように見えるだけの動きでも、周囲に対して動きの良さという意味でアピール出来るかもしれないでしょう。

しかし、女子ではなかなかそこまでの動きにはならないと思います。

だからこそごまかしのキレではなく、「本来の意味のキレのある動き」を身に付けてもらおうと思ったのです。

そのカギとなったのが、「上半身と下半身を割って使うと」いう、これまで私が指導の際にキーワードとして使ってきた言葉に加え、「下半身を動かさず上半身から動き出す、上半身を動かさずに下半身から動き出すという、割って使うというイメージに加え、両方動かさずに、お腹だけを動きたい方向に向けていく」というものでした。

上半身には肋骨があって、一つのドームを形成していますから、これをバラバラに使うというイメージはありません。

下半身は骨盤によって形成されていますから、これも割って使うというイメージは持てません。

そこに登場するのが、骨盤と肋骨の間のお腹周りを、単独で動かすというイメージです。

このイメージで体が使えるようになると、体がどちらに動き出すのか、相手からの判断が難しくなるばかりか、自分自身も左に行こうと思ってお腹をそちらに向けたけれど、肋骨も骨盤も意識は正面に残っているから、逆方向にも全く自然に動かすことが出来るのです。

体全体が右向け右と、一体となって動いてしまうことで、簡単に相手に振り切られてしまう選手が目につきますが、二分割どころか三分割のイメージで体を操ることが出来れば、相手への対応はずっと楽になりますし、自分から仕掛ける時でも相手を惑わすに十分なフェイントになるはずです。

力強さを女子に求めるより、こうしたしなやかな身のこなしを身に付ける方が、ずっと重要だと思います。

しかしそのためにはかなりの訓練というか、結果的には筋力も必要となります。

いわゆる体幹部を安定さえるというか、固定するイメージとは真逆な発想になります。

動き作りの副産物として得られる、使える筋力も得ることが出来ます。

二日間のトレーニングで、この方向性に改めて自信を持ちました。

今はどんなレベルであっても、高い意識で貪欲に吸収する姿勢があれば、だれでも到達可能な領域だと思います。

この三分割の使い方を高い次元で形にしてくれているのが、最近また記事に取り上げた「ロッベン」の動きです。

私の動きにキレとしなやかさを感じていただけたとしたら、ロッベンの動きは大きなマサカリのような切れ味と、走り高跳びに使われるポールの一番固いグラスファイバーのしなり戻しというか、剛のイメージのキレの良さだと思います。

そのイメージを追及するためのトレーニング、実はもう何年も前から行っていました。

そこに三分割という明確な意識を加えることで、さらに動き作りは完成形に近づいていけるような気がしています。

男であれば、無意識に力任せで行えていたことが、女性を指導させてもらえたことで、もっときめ細やかな表現が必要なことが分かりました。

彼女には本当に感謝するとともに、直接目の前にしてもまだ男だと思い込んでトンチンカンナ会話をしてしまったことを、改めてお詫びします。

体のキレを自分でも感じられるというのは、こういう動き方が出来るようになることなんだと確信しました。

もちろん周りから見て、そう見えないはずがありません。

今後の指導に大いに役立たせてもらおうと思います。

女子サッカーにも西本理論が浸透していくことを願っています。

そして今日、本来は休みにしている月曜日ですが、昨日卒業式を終えて明後日には関東の大学に出発するため、今日しかないということで予約を受けた、高知県の陸上選手が、ご両親とともにやってきてくれました。

4時間半の運転をしてでも、息子のために、送り出す最後の一日でも何かしてやりたいという親心は、私も4人の子供の父親として痛いほどわかります。

故障続きで、今もまともに走ることが出来ず、車の中での会話も、実技の指導は受けられなくても、考え方は知っておいた方がいい、施術を受けることが出来れば、痛みも良くなるかもしれない、そんな会話が続いたそうです。

それが結果的には本人もご両親も驚くような走り方に変わり、さっきまで走ることが出来ないと言っていた息子に、痛くないのか無理しているんじゃないのかと、本気で気遣わなければと思うほどの走りを見せてくれたのです。

どこかが悪いんじゃないのです、申し訳ないですが、痛みを訴えて受信すると無理やりにでも病名をつけられ、治してくれるわけでもないのに、ついてしまった病名に振り回され、本来の動きを忘れてしまっていただけで、体に聞けばどうやって走りたいか教えてくれるのです。

体が発する言葉の通訳を私がしているようなものです、だから走れたのです。

私が偉いんじゃなくて、体の力は凄いんです。

私にとっては当たり前のこと、最近は独り言でしか言いませんが、「誰に指導を受けていると思ってるんだよ」と、心の中ではやっぱりそう思っていられることが、自己満足ではありますが、私のモチベーションとなっています。

現在の陸上長距離の選手に、大きな期待を持たせる選手は残念ながら見当たりません。

というよりも、私の提唱する体の使い方で走っている選手が見当たらないと言った方が正しいでしょうか。

彼は箱根駅伝のメンバー入りを目指して進学しますが、けっしてスカウトされてとか大きな期待をかけられての入部ではないそうです。

それこそ大チャンスでしょう、野球でいうドラフト外の無名選手が、「今までの常識とは違うけれど、とてもいい走りを見せてくれる、育ててみよう」と、指導者の目を向けさせることが出来たら、こんな痛快なことはありません。

たった一日の指導で何が変わるんだ、そうです、一日だからこそ、お互いが真剣に向き合い、何かをつかもうと取り組んでくれたのです。

ご両親が、「3年前、高校入学時に私と出会っていれば今頃どんな選手に育っていたのだろう」と、残念がってくれましたが、この言葉は私と出会った人間が必ず使う言葉で、言われることは有難いですが、「みなさんとは今日出会えたのです、出会えていない人から見れば、凄いことを知って身に付けようとしているのです。これからがスタートです」と、話をしました。

あっちもこっちも自信満々に指導しているが、本当に大丈夫なのかと、心配していただくかもしれませんが、大きなお世話です。

私が相手にしているのは、サッカー選手でも長距離選手でも男子でも女子でもないのです、真剣に成長したいと願う一人の人間なのです。

だからこそ「誰かのために」が通用するのです。

今までやってきたこと、もっと成長しなければならないこと、私自身まだまだ考えなければならないことはたくさんあります。

それでも、今の私でも十分にお役に立てることはたくさんあります。

楽しい数日間を過ごさせてもらいました。

まだまだ同じような夢追い人も応援する仕事は続きます。

夢先案内人を自認していますが、夢に向かって進んで行こうとする若者と過ごす時間は、まさに至福の時です。

ただ体力的には正直キツイです、今日も一緒に走りながら、最後はずるをしてコースをショートカットしました。

いくらハーフスピードとはいえ、箱根を目指す若者と、今年57歳にならんとする私が張り合って走るには無理があります。

そうは言いながら、まだまだ負けたくはない、その気持ちがあり続ける限り、この仕事を続けていけそうです。

さてあとどれくらい気力が持つのでしょうか、「西本さんは一生そうやって走っている」、そんな言葉をかけてくれる人もいますが、色々な意味で、本当に倒れるまで走り続ける人生になりそうです。

リョート君がんばれ!箱根を走る時には必ず応援に行くからね!

プロフィール

Author:西本 直
1993年、Jリーグサンフレッチェ広島を皮切りに、社会人野球三菱重工広島・協和発酵・ヴィッセル神戸・川崎フロンターレ、そして広島カープ佐々岡真司投手など、プロアマ問わず競技レベルのスポーツ選手から一般の方まで、トレーニングやメンテナンスの指導を行ってきました。
その経験と知識の蓄積を「西本理論」としてまとめ、一人でも多くの方に実践していただくことが、これからの私の使命であると信じ、このブログから発信していきます。
私の理論はスポーツ選手のみを対象としたものではなく、ビジネスマンや家庭の主婦まで老若男女すべてに当てはまる不変のものです。
指導や講演のご依頼も受け付けています。
実名でツイッターも書いていますので、チェックしてみてください。
また、2013年9月9日にConditioning Studio 操をオープンしました。こちらもご覧ください。
また、遠隔地にお住まいの方を対象とした動き分析とアドバイスを行っています。
詳細は「スタジオ操」のホームページ内の「遠隔サポート」をご覧ください。

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