孤高の覚悟

まずは3人の方にお礼を言わなければなりません。

午前中に書き上げた記事をアップしようとしたところ、管理画面へのログイン画面に変わってしまい、アップどころかその記事自体が消えてしまうという悲惨な状況になりました。

そのことをツイートしたところ、フォロワーのYuichi Nishiharaさんと、yoshiparaさん、そして私の長女から、相次いで対応策を教えていただくツイートが届き感激しました。

元々パソコン操作は苦手で、出来ることは限られていたのですが、このブログの記事を書くことに関しては、毎回色々なことを考えながら時間をかけて書いていますので、消えた時には本当に力が抜けてしまいました。

それも一度や二度のことではなかったので、ipadで記事を書くことはもうやめようとさえ思いましたが、原因はそうではないこと、他のもので書いてからコピーした方が良いことなど、丁寧に教えていただきました。

今日はもう書く気力はないと思いましたが、皆さんの応援に応えるためにもと、大袈裟ですが気力を振り絞って今パソコンに向かっています。

さて今日のタイトル、マンガの「美味しんぼ」のようですね。

世間は大型連休の方もあるようですが、私は相変わらずの生活を送っています。

週末に行われた西本塾に参加してくれた人たちからの、コメントがブログに届いています。

まだ実践しての感想までには至っていないので、個別にコメントさせていただくのではなく、全体の感想としてここに書かせて頂きたいと思います。

西本塾は今年に入ってから、ただ伝えるというところを超えて、私に代わって伝え手に相応しい人材になってもらいたいと、入口を少し狭めて参加資格も厳しくしたつもりです。

今回送っていただいたコメントを読んで、あらためて人間というものを理解するのは本当に難しいことだということを実感しています。

申し込みの際に書いていただく受講動機から感じた第一印象、膝を交え体をぶつけ合い、厳しい言葉をかけたりもしながら二日間同じ空間を共有する中で感じた印象、そして塾後に送っていただくコメントに書かれた言葉、それらが微妙に重なり合わないというか、あの場ではこんな顔をしていたが、実際にはこんな風に受け止めていたのかとか、良い意味でも悪い意味でも私が受けた印象とは違う部分がたくさんありました。

この人とはもう二度と会うことがないだろうと思った人が、すでに何度も足を運んでくれていたり、この人にはもっと教えたいと思わせてくれる人だったのに、その後お会いすることがなかったり。

環境も地理的な条件も違うことはわかっていますが、私の想像した通りにはなかなかいかないようです。

今回頂いているコメントでも、二日間の中で感じたことを、それぞれの表現で書いていただいていますが、過去に参加してくれた人たちの中にも同じような感覚はきっとあったと思います。

自分が感じたことを、ほかの人がどう感じたのか気にはなるところですが、まずはじっくりと自分の体で検証し言葉にしていく作業が必要だと思います。

体が感じた驚きを素直に言葉にできる感性は大切にしつつも、自分が何を学び何をやってこうなったのかしっかり噛みしめる時間も必要です。

西本塾が入口を狭めたといいましたが、ここに来てくれる方々は、ブログや著書を読み、私という人間の考え方と私自身に興味を持って参加してくれるのだと思います。

誰かに行けと言われて参加した方もなかったわけではありませんが、そういう例外は別として、みなさん真剣に私の前に立ってくれています。

そんな中、「深める会」もやっと本来の目的に近づいてきました。

西本塾という今までの既成概念を覆すものの考え方に出会った、それを自分の目で見て自分の体で体験しようと参加した方々は、私が自ら開いた扉をくぐって内側に入ってきてくれました。

問題はそこからです、こんなものかと引き返すもよし、もう少し奥まで入ってみようと思うのもよし、どっぷり浸かって西本理論を極めてやろうと思ってくれればもっと嬉しいです。

中には覗いただけでわかったような気になってしまう人もいるようで、中途半端な理解でそれらを伝えようとする人もいます。

私がこの人ならと見込んだ人にだけ、指導することを許したいというのが本音かもしれません。

しかし、それでは私の考えが世の中に広がって行くはずがありません。

今の私はなんとしてでもこの考え方を世の中に知らしめる責任があると思っています。

だから私が教えているのは、目の前にいる参加者一人一人ではなく、その後ろにいるたくさんの誰かのために行っているつもりです。

だからこそ厳しくもなりますし、求めるものは当然高いレベルとなります。

そして、何をおいても大切なことはその人の人間性です。

こればかりは言葉にできないものです、通じ合うものがなければ表面的な指導に終わってしまうことは目に見えています。

逆に言えば、どうやって私をその気にさせられるのか、ということに尽きると思いますが、その方法は説明のしようがありません。

ただ、すでに何人かの人に通じ合える何かを感じ、この人ならという思いを持っています。

人間同士のことですから一方通行ではなく相性の良い人、そんな言い方にしかならないかもしれません。

5月の23日と24日に行う深める会には、昨日募集を開始したばかりですが、すでに2人の方から申し込みがありました。

一人は先日の西本塾の参加者、もう一人はすでに二度深める会に参加してくれている方です。

回数の問題ではなく、彼は私の前に立つたびに、明らかに西本理論の理解が深まってきていると思います。

回数を重ねれば重ねるほど、自分が本当の意味で私の言っていることが理解できていないことに気づかされていると思います。

わかったと思った時点で思考は停止してしまいますから。

わかったできたと思ったことが、伝える立場になると通用しない、そんな経験を繰り返して少しずつ何かが見えてくると思います。

まずは自分の体と頭でわかったような気になることがスタートかもしれません、そう思っても口に出してしまった瞬間に慢心します。

目的は何か、それが本当に誰かのためにと思うなら、絶対にわかったような顔をしないで欲しいのです。

ケアもトレーニングも目的は様々です、目的のために方法論があるのですから、これが正しいこれは間違っていると言い切れるものもありません。

私の提唱していることはあくまでも人間にとって自然な動きを追求するためのものです。

一般的に言われていることに対して、なぜどうしてを繰り返しているうちに、こんなことを考える人間になってしまいました。

ですから、独自の理論とか変わった考えの持ち主だという言われ方に対しても、私にとっては全く関係ないことで、体を動かすということに関して、真理を追求し本質を探る営みを続けているのですから、誰になんと言われようと孤高を貫く覚悟ができています。

今回届いた受講動機の中に、こんなことが書かれていました。

指導しているサッカー少年の保護者から、試合を見ている他の保護者から、「A君はもっと腕を振って足をあげて走ったら、もっといいプレーができるのに」、と言われたというのです。

そんなことを言う人たちに、このブログを熟読してくれとお願いするわけにもいかないでしょうし、この走り方は世界の超一流選手の動きにつながるものだとか、現実自分が指導を受けた人、私のことですが、W杯に出場した一流選手やそのチームメートにも、現在進行形で指導している体の使い方であり走り方なんだよと説明したとしても、本質的なところはまったく伝わらないと思います。

よほど指導した選手の動きが他の選手に比べて良いと感じさせるものでない限り、こういうことを言われるのは覚悟しておかなければならないのです。

逆に指導した選手の動きが良くなったことで、他のチームからも指導を依頼されたという受講生もいますから、自信を持って指導してくれれば必ず良い結果が出てくると思います。

世の中を変えるには大きなエネルギーが必要です、私一人の力ではいかんともしがたいことは明らかです。

だからみなさんの力が必要なのです。

西本塾を受講したことは卒業ではありません、何回深める会を受講したからといってわかったとも思わないでください。

わかって行くのは根っこを掘ることの大切さと、その方法やものの見方にすぎません。

私こそ、その作業を延々と繰り返している真っ最中なのですから。

今年の後半も私を拘束してしまうような仕事の依頼はありませんでした。

それ以上に今やっていることを続けることの方が大事なことだと思うようになりました。

奇しくも今日、体を整えに来てくれたサッカー少年の口からこんな言葉を聞きました。

先日捻挫をした足首を守るためにテーピングをしに松江について行った少年です。

足首のためにも、最低限体の負担の少ない走り方ということで少し指導をしてありますし、同じくサッカーをやっている高校を卒業したばかりのお兄ちゃんからも、私の指導を聞いているので、他の子供たちとは明らかに違う走り方が出来るようになっています。

それが体育の時間に50m走を行う時、指導する教員からもっと腕を振れ膝を上げろと指導されるというのです。

さすがに6年生の少年が、教員に言い返すことは出来ないでしょうが、現状はまさにこんな状況で、なぜ腕を振らなければならないのか、なぜ膝を腿を高く上げなければならないのか、本質的な疑問を持っている人間などいるはずがないのです。

自分がやってきたこと、こういう内容で指導しなさいと言うマニュアル通りにやっていれば、何の問題も起こらないのですから。

先週行った西本塾の参加者の中に、大学の教員をされている方がいました。

最後に感想を発表していただいた際に、思わぬ言葉を聞くことが出来ました。

その方は高校の体育の指導要領の作成にも関与しているそうで、私から学んだ西本理論を、本来なら指導要領に反映させたいくらいだが、自分の力だけではそれはかなわないだろうが、10年に一度の教員免許の更新研修の際には、自分が講師として最低限の範囲でも西本理論を指導し普及させなければならない、それほど重要なものだと言ってくれました。

まさにそのレベルまで変わらなければ、日本のスポーツは永遠にこの状況を脱することは出来ないと思います。

私自身にはとっくに孤高の覚悟はできていますが、学んでくれた皆さんには、これからその覚悟が要求されてきます。

皆さんの力で、近い将来そんな必要がなくなることを期待しています。

西本塾そして深める会の、7月以降の予定を書いておきます。

肩書きや名誉ではなく、本気で誰かの役に立つための理論と技術を身につけたいと思う人に参加して欲しいと思います。

7月11日12日の深める会は札幌で行います。

深める会として行いますが、北海道在住者限定で、初めて参加する方を対象とした西本塾を同時開催します。

土曜日の前半で、深める会の参加者の方には復習の意味で、西本塾として参加していただく方には理論編を少し駆け足になりますがお話しして、少し追いついていただいた後、深める会の参加者の方にも納得していただける内容の二日間にしたいと考えています。

今回もいろいろお世話になる諏訪さんと小林さんには、前日の10日にゴルフも企画していただいています。

こちらもご希望があればはできるだけ早く参加の表明をお願いします。

募集の告知はまだ少し先になりますので、北海道にお住いの方はご検討ください。

以降、8月15・16日に西本塾9月20・21日に深める会10月24・25日に西本塾11月22日・23日に深める会12月19・20日に西本塾という予定を立てました。

この中から、この人ならと私が思える人が一人でも二人でも育ってくれることを願っています。

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夢の途中で

11回目を数えた西本塾が無事終わりました。

参加資格というか、本気で私から何かを学びたいという気持ちが伝わってこない人には、参加をご遠慮いただくという私の気持ちが、受講者の方々にプレッシャーになったのか、今までになく硬い雰囲気の中で1日目がスタートしました。

その雰囲気を作ったのは私自身であることは、十分わかっていましたが、その張本人である私まで緊張してしまい、話の途中で何を話していたのかわからなくなって、パニックに陥ってしまいました。

有難いことに、毎回手伝ってくれている家内が機転を利かし、「ギックリ腰の話でしょ」と、受付から声をかけてくれ、事なきを得ました。

何気にいつも私の話をちゃんと聞いてくれていたのですね、本当に助かりました。

そんな緊張感の中進んだ1日目の講義ですが、参加者には私のブログをコメントを含め全て熟読してくる事を義務付けていますので、私も自分の書いた文章ではありますが、今回は特に真剣に読み返していました。

そんな事もあって、あれも話さなくてはこれも忘れないようにしなければと、私自身が焦ってしまったようでした。

改めて読み返してみると、この内容が世の中の一般的な常識になれば、スポーツのトレーニングに対する考え方は、全く違ったものになるだろうし、ケガや痛みに対する対応も、いわゆるスポーツ医学とは一線を画した現実的な対応が取れるようになるのにと、あらためて矛盾というか既成概念との差を感じてしまいました。

どんな世界でも、それぞれに通じる常識というものがあって、その範疇に入れば可もなく不可もなく、大きな問題を抱える事もないのでしょう。

目的が、その世界の中での評価を得る事であったり、地位や名声を築いていく事であれば、大きな組織に属したり、名前のある人の元で経験を積む事が、その近道になるのは間違いのない事です。

今私の元を訪れる人たちは、そういう意味では異端なのかもしれません。

私自身がそう言われている人間なわけですから、まさに「類は友を呼ぶ」という言葉通りの状況になっているわけです。

その中でも、私が書いたものを目にして、既に分かったような気持ちになって実践し、確認のために一度見ておこうかという気持ちの人もいれば、文字を読んだだけでは全く理解できないが、とにかく大事な事が書かれている事は間違いないから、自分の目で見て体感したいという人まで、様々な理解を持ってやってきてくれます。

今回直前にツイッターに書きましたが、とにかくこれまでの既成概念や、私の書いたものを見てわかったような気になっている事も含めて、すべてを空っぽにして真っ白な気持ちで私の前に来て欲しいとお願いしました。

限られた容量のコップの中身が満タンでは、もう新しいものを注ぐ余裕はないからです。

半分ではなく、すべてを捨てて空っぽな状態で臨んでもらう事こそ、私の理論と実技を吸収するために必要な準備だからです。

中には本当に読めばわかるという感覚で参加したのではと思われる人もいました。

それは無理な話で、そう思った時点で西本理論を吸収できなくなっています。

どんな事でもそうですが、分かったと思ったところで成長は止まります。

今こうして書いたり話したりする事は、今この瞬間の私のすべてであり、明日の私が違う事を言い出したら、それはもっと良いものが見つかったというだけの事です。

二日間という限られた時間の中で、理論も実技も、頭がすべて分かったと納得し、体ができたと喜んでくれるほど、 簡単で薄っぺらなものを教えているつもりはありません。

今回も実技の最中、厳しい言葉をかけてしまいましたが、それはその方本人だけではなく、その方から指導を受けるたくさんの方のために発した言葉であると理解していただき、お許し願いたいと思います。

周りの人はみんなこう言うから、みんなこうやって動いているから、そこに疑問を持ったからこそ西本塾に来てくれたと思います。

年齢も立場も関係なく、少年のような気持ちで受け入れてくれてこその理論であり実技だと思います。

最終的に判断してくれるのは、世間の目でも同じような仕事をしている人たちでもありません。

他の誰でもない自分の体であり、相手の体そのものです。

素直な気持ちで体との対話ができれば、必ず私の提唱するものを選んでくれると思います。

次回には参加者の数が、合計で100人を超えるかもしれません。

その一人一人と向き合い、私自身が成長させてもらっています。

まだ余韻が身体中に残っています、少しずつ整理して次につなげていきたいと思います。

第1回に参加していただいた方から今回まで、すべての参加者の方に日々新たな気持ちで西本理論に向き合い、実践し深めていただきたいと思います。

迷ったら、またこのブログに帰ってきて読み返してください。

きっと何かが見つかるはずです。

私の考えが、独自ではなく普通のことになる日がくると信じて、夢の途中を楽しんでいこうと思います。

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力むことはなぜダメなのか

「力む」これは単に精神的な側面のことを言っている言葉ではありません。

「屈筋を前面に押し出した体の使い方をしている」そう言い換えてもいいと思います。

今日はいつもと違って短くシンプルに、そのことを書いてみます。

「筋肉の仕事は骨を動かすこと」、骨を動かすというのは関節の角度を変えるということです。

曲げるか伸ばすか、屈筋を使うか伸筋を使うか、人間の運動動作は外向きの力が必要ですから、それを担っているのは伸筋ということになります。

ところがマシンを使ってトレーニングを行う場合、ほぼ100%のマシンが指先を曲げるという動作で、マシンのどこかを握る必要が出てきます。

すると人間の脳は、体の末端である手先に対し曲がれ屈筋を使えという指令を出しておいて、トレーニングの目的である他の部位の関節に対して、伸ばせ伸筋を使えという指令は相反するものになります。

曲げろと言っておいて伸ばせ、もちろん別の関節別の筋肉に対してですが、それはブレーキを踏んでおいてアクセルを踏むことに等しい、体にとってとても危険な状態となります。

先週見てきた陸上競技の選手たち、屈筋である胸やお腹、そして肘を曲げる筋肉を使って、大きく太腿を振り上げる動作を行っています。

太腿を振り上げる動作、これは股関節を屈曲させる動作です、この時太腿の前側の筋肉は屈筋として働きます。

そして今度は膝から下を少しでも前に振り出すために、屈筋として使われていた太腿の前側の筋肉を、膝関節を伸展させるために、瞬間的に伸筋として機能を変化させなければなりません。

太腿の前側の筋肉が、股関節と膝関節ん二つに関与する2関節筋だからです。

伸ばすためではなく曲げるために使われていた筋肉を、一瞬の間に伸ばす仕事に切り替えるのは、体にとって大きな負担になります。

曲げるということは力が内向きになりますから、瞬間的に自分の体重以上の負荷が着地にかかることになり、筋肉に大きな負荷をかけることになり故障に結びついてしまいます。

どんなスポーツでも平常心が大切で、顔色ひとつ変えることなく淡々と動き続けたほうが、屈筋が出しゃばらずに伸筋を効率的に使った連動動作が可能となります。

私自身は感情を露わにしてしまうタイプですが、以前指導していた佐々岡投手は味方のつまらないエラーに対しても、私なら文句のひとつも言いたくなるところですが、顔色ひとつ変えることなく、まさに淡々と投げ続けていました。

顔に出して感情を露わにすることイコール屈筋を使うことになり、私のいう伸筋主体の動作ができなくなるのです。

プレッシャーに弱いとか言う言い方もありますが、なんとかしなければという気持ちが、精神的な緊張を生み、それがそのまま屈筋に対して指令を出して、伸筋の動作を邪魔することになります。

佐々岡投手の力感を感じさせないなめらかなフォーム、イチロー選手のバッティング、中田英寿選手のピッチ上の表情、体操の内村航平選手の落ち着き払った表情、そのどこからも力みや屈筋主体の動作は感じられません。

今現在の地元広島カープの選手たち、一生懸命が顔に出過ぎています。

自分がなんとかしなければの思いが屈筋を収縮させ、本来の伸筋の働きを邪魔しています。

技術的な問題もあるかもしれませんが、何よりバットを振るという外向きのベクトルの力が素直に発揮できない状態では結果に結びつくはずがありません。

この屈筋と伸筋の働きの違いだけでも理解させることができれば、今の最悪の状態から脱出できるのではと思います。

打てないからと早出特打ちを繰り返せば繰り返すほど、気持ちも筋力発揮のベクトルも内向きになり、外向きの力が発揮できなくなってしまいます。

投手も同じ、リリースの瞬間にだけ力を集中しようとして全体の連動を止めてしまっているように見える投手がいます。

肩甲骨から肩関節、さらに肘関節から手先まで、しなやかに連動させるためには、屈筋の関与をできるだけ少なくする必要があります。

日本人は特に頑張って見える選手が好きだと思います。

一点を見つめ歯を食いしばって、いかにも一生懸命頑張っていますという雰囲気を好むと思います。

私もそういう選手が好きです。

ただ実際に体を動かす時にはそれではダメなんです。

一生懸命の気持ちが体の前側の筋肉を固め、本来動かさなければならない背骨を中心とした後ろ側の筋肉を使えなくしてしまいます。

人間の体は本当に不思議です、ただ、なるほどとわかってしまえば、それに従えばいいだけのことです。

言葉で説明するのは本当に難しいことです。

西本塾に参加していただく予定の8人の皆さんには、これまで参加していただいた方々以上に深い理解をしていただけるよう、しっかり伝えたいと思います。

既成概念の高いハードル

広島も昨日からの雨で、昨年土砂災害で大きな被害が出た地区には、避難準備情報が出ていました。

昨日、織田記念陸上競技大会を観戦するために、アストラムラインに乗ってエディオンスタジアムに行きましたが、車窓から見える景色は、本当にどこでそんな被害が出てもおかしくないと思えるほど、山肌を削り、奥へ奥へと宅地化されて、たくさんの住宅が建てられています。

関東平野に住んでいる方がこの景色を見たら、きっと驚くはずです、それくらい山の奥まで削りとられ、宅地化されています。

それが、一部ではなく、ずっと同じような景色が続いているのです。

沿岸部に住んでいる私には、同じ広島でも普段は想像できない景色であり、生活だと思います。

今回の雨での被害が出ないことを祈るのみです。

学生時代の友人というのは有難いもので、昨年の土砂災害の時には、私が住む南区と、被害のあった安佐南区が南という言葉が同じだったため、普段ほとんど連絡を取り合うこともない高校時代の友人が、心配して電話をかけてきてくれました。

宇和島に帰る用事がなくなってしまい、故郷の友人たちとも疎遠になりがちですか、本当に有難いと思いました。

今回の大雨でも、友人の中には高知県境に近い山間部に住む友人もいますので、何事もないことを祈っています。

さて昨日は陸上競技の大会を観戦に行きました。

サッカー以外であの競技場に行くと、少し不思議な感覚になってしまいます。

サッカーにはサッカーの、野球には野球の、そして陸上には陸上の雰囲気があります。

長女が音楽をやっていたので、コンサートにも行きましたが、こちらは体育会系とは全く違った雰囲気があり、色々な経験をさせてもらいました。

今回の目的は、西本塾に親子で参加してくれた中学生の陸上選手が、4×100mリレーの2走として出場が決まり、応援と指導した走り方のチェックを含めて、お父さんから是非来てほしいと依頼がありました。

私が指導している走り方は、現在サッカー選手に対して、90分間動き続けるために必要な必須の条件ということで、指導を依頼されることが多いのですが、その必要性は、もちろん他のスポーツでも全く同じものです。

走ることそのものが目的である陸上競技に至っては、私の提唱する走り方こそが、それぞれの個人の持っている能力を最大限に発揮できる絶対条件であるとすら思っています。

あのマイケルジョンソン選手の走り方も、私のイメージの中でしっかり生かされています。

事実、短距離の選手から、箱根を目指す長距離選手、また一般の方ですが、フルマラソンでの記録更新を目指すランナーまで、陸上競技を専門とする選手の指導も行ってきました。

どんなスポーツでもそうですが、技術論はトップレベルまで上り詰めた元選手か、その指導者の考え方が中心となっていることは同じだと思います。

競技はもちろん、補助グランドで行われているウォーミングアップも見ましたが、走るという行為に対して、私とは全く反対の考え方が、その場を完全に支配していました。

スピードは、ストライドとピッチの積、この公式に対して疑問を持つ人はいないでしょう。

1センチでも広い歩幅で、なおかつ回転数を上げられれば速く走れる、そのためにはしっかり太腿を引き上げ、少しでも体の前に着地することが求められ、そのためには後ろ脚で強く地面を蹴り、なおかつ腕を前後に強く大きく振ることで、足の動きを助ける必要が出てきます。

小学生からトップレベルの選手まで、アップからその動きを繰り返し、本番に備えています。

おそらくアップの時間やタイミング、メニューも含め、いつものルーティーンを行っているのだと思います。

入念な準備を終え、本番のレースに臨む選手たちですが、他の競技では見られないあることが頻繁に起こります。

それはレース中に起こる肉離れなどのアクシデントです、なかにはアップの最中に肉離れを起こしたなどという信じられない選手までいます。

もちろんサッカーや野球でも肉離れは起こります。

しかし私が思うに、陸上競技でのアクシデントは意味が違うように思います。

スタートの時間は事前に決まっていて、準備に十分時間をかけられる、さらに実際の競技時間は圧倒的に短い、こんな競技は他にないと思います。

ではなぜ当たり前のように同じ光景が繰り返されるのでしょうか。

それは、陸上競技の選手たちが当たり前だと思って行っている走るという行為の体の使い方が、人間本来の体の使い方とは違ったものだからではないでしょうか。

このことは過去何度か記事に書いてきました。

経験者でもないのに何が分かる、おそらくそう言われるでしょう。

しかしよく考えてみてください、例えば野球の試合で、9回まで出番がなくベンチにいた選手が、最後のチャンスとばかりに代走に起用された選手は、何時来るか分からない出番に備えて、十分な準備などできているわけがありません。

サッカーのようにピッチサイドで走ったりすることは出来ず、ベンチから出てきて、少し屈伸くらいはしますが、間髪入れずに盗塁したり、本塁めがけて全力疾走が要求されます。

そういう選手が肉離れをしたということを聞いたことがありません。

逆に、スターティングメンバーが、打席から一塁に全力で走る際、肉離れを起こすことがありますが、どちらかというと足の遅い選手が、間一髪のタイミングで必死に走る時に起こることが多いと思います。

野球は競技時間は長いですが、こういう瞬発力を発揮する局面は、1試合にトータルしても数分間あるかないかですから、トレーナーとしてベンチから見ている時も気が気ではありませんでした。

陸上競技とは状況がまったく違うのです。

いやスピードがまったく違うから、そういう反論が来そうですが、そうでしょうか。

それぞれの能力を最大限に発揮するという意味では、どのスポーツの選手も同じはずですし、陸上競技の選手でも、トップレベルのスピードを持っている人だけに起こるアクシデントではありません。

体の使い方そのものに問題があると考えることの方が自然だとは思いませんか。

日本の選手がお手本にするのは、当然異次元のスピードを持つ海外のトップレベルの選手たちでしょう。

しかし彼らにしても、まったくアクシデントがないかといえばそうではありません。

持って生まれた筋力の差が歴然としている海外の選手たちの動きが、本当に我々日本人がお手本とする体の使い方なのでしょうか。

投擲種目や棒高跳びなど一部を除けば、道具を使わず自分の体一つで勝負するのが陸上競技、体格差や筋力の差が歴然としすぎて、世界とは勝負にならないという感覚になっていますが、ではなぜ、同じように体一つで勝負する水泳競技が、世界の舞台で堂々と戦って結果を残せているのでしょうか。

それは練習方法や、泳法そのもの、つまり体の使い方を、工夫し研究しているからではないのでしょうか。

水泳の短距離でレース中に肉離れなど聞いたことがありません。

それは地面とのコンタクトがなく筋肉のダメージが少ないから、そうでしょうか。

あれだけのスピードで泳ぐためには、体にかかる水圧は想像を超えるものだと思いますし、水を押して進んで行くためには筋肉に対して終動負荷という大きな負荷がかかります。

私の提唱する走り方を学ぶと、故障を抱え走れないはずの選手まで普通に走ってしまうことがあります。

実技はできないかもしれないが、理論を学び、施術を受けるだけでも行ってみようと、高知からやってきてくれた選手は、ご両親の前で軽やかに走ってくれました。

体の使い方、今まで当たり前だと思っていた走るという行為が、実は体にとってもの凄く不自然で、無理をさせている動作で、そんなことをしなくても無理なく走ることが出来る体の使い方があると分かれば、どちらを選ぶかは自由ですが、答えは決まっていると思います。

100分の1秒を争う競技で、そんなことが可能なのか、もし今私が、もうすぐ57歳にならんとする年齢で、100mを11秒台で駆け抜けることが出来たとしたら、陸上選手や指導者も私の理論に目を向けてくれるかもしれません。

現実にはそうはいきませんが、短い時間とはいえ私が指導した選手の走りが変わり、結果を残してくれれば、少しずつ考え方も変わってくると思います。

水泳の日本記録は毎年のように更新され続けているのに、陸上は何十年も破られない記録がいくつもあるようです。

それが世界に肩を並べるような高いレベルのものであれば、うなずけるところもありますが、残念ながらそうではない記録ばかりです。

十年一日の如く、という言葉がありますが、私が目にした練習風景やレースでの選手の動きを見る限り、この先大きな記録の伸びは期待できそうもありません。

長距離ではすでに、西本塾生の方々がフルマラソンで自己記録を次々と更新してくれています。

アマチュアだからレベルが違うから、そうでしょうか、意識を変え動きが変わらなければ、どんなに努力をしてもすぐに限界は見えてしまいます。

今回応援に行った選手のお父さんは、何と最近のフルマラソンで3時間5分くらいの記録を出したそうで、聞いて驚いてしまいました。

近いうちにサブ3を達成し、私の提唱する走りの有効性を世の中に知らしめていただけることと思います。

とにかく、どんなことでも一度立ち止まって考えてみませんか。

子供の頃からそうやっているから、みんなも同じことをやっているから、自分のやっている競技のトップ選手がやっているから、そんな既成概念はすべて取り払って、人間の体ってどうやって動かしたら楽に効率的な動作が出来るのだろうと考えていみてはいかがでしょうか。

その答えを誰かが探しだして、それをまた誰かが教えてくれるのを待っているだけでは、今までと同じです、何も変わりません。

私はそのお手伝いくらいのことしかできないのです。

このブログを読んで、このことに関しては野次馬根性大歓迎ですので、いろいろやってみてはどうでしょう。

仕事ではあるけれど

ツイッターでフォローしている、美輪明宏さんのBOTに、「お給料は我慢料」という言葉がありました。

生きていくためにはお金を稼がなければならない、そのためには働かなくてはなりません。

世の中にはそんなことをしなくても、なんの不自由もなく生活できる人もいるようですが、人生いろいろな経験をして、我慢することを覚えることも必要だと思います。

私が言うのはおこがましいですが、会社員を辞めこういう仕事に変わってからも、自分の思ったことを思ったようにやってきたわけではありません。

嫌な思いもしましたし、我慢しなければならないことも当然ですがたくさんありました。

現実的には、私など比べものにならないような我慢を強いられて仕事をしている方の方がずっと多いと思います。

この仕事についた時、自分のやることがそのまま結果として、だれかのために役に立っているという実感が得られる、本当に有難い仕事だと思いました。

だからこそ組織やしがらみに対して妥協することなく、自分を必要としてくれる相手のために最善を尽くしてきました。

そのやり方が組織に合わないと感じてしまうと、自分からその環境を離れることを選んできました。

いまの私は、そういう意味で何のしがらみもなく、自分の思ったように能力を発揮できる環境を作っています。

いわゆる医療機関やそれに類する施設であれば、まずは人に来ていただくことが第一ですから、間違っても予約の電話の段階でお断りするようなことはないはずです。

ところが私の場合、例えば保護者の方から子供さんの動きをなんとかして欲しいという趣旨の依頼があった時、当事者である子供さんが私の存在や考え方を少しでも理解していて、自分から興味を持って広島に行きたいと言ってくれているのかを確認し、保護者の気持ちだけが先行しているような場合はお断りすることもあります。

また、すでに施術を受けにきてくれている方にも、誰にでも勧めて紹介していただくのではなく、きちんと自分の体と向き合い、人任せではなく自らが努力する姿勢を持てないような人には紹介しないで欲しいとも言っています。

どんな相手に対しても最善を尽くすことが、私に求められている仕事かもしれません。

初期にはそういう時期もありましたし、チームに所属している時には、権利意識ばかり強くて、意識の低い選手であっても対応しなければならない場合もありました。

現実的には、一人でも多くの方に来ていただき、仕事をさせていただかないと生活が立ちいかなくなっていくことは分かっています。

しかし、自分なりにこの仕事を天職と定め、誰よりも深く体との対話ができるようにと、咲き誇る花でも大きな枝振りの木でもない、土の中でそれを支える根っこの部分に思いを馳せながら、もっと良い方法はないか、もっと分かりやすい説明はできないかと、我ながらなぜここまでやってしまうのだろうと思うほど真剣に体と向き合ってきました。

そしてやっと、どんな人間に対しても、他の誰よりも役に立つことができるものを身に付けてきたと思えるようになりました。

まだまだ進化の余地はあるとは思えますが、それぞれの体に対し、今の時点で充分に対応できると思っています。

ただそこに、相手に迎合したり、この辺でいいやという妥協が入ってしまうと、自分自身に対して納得することができません。

相手が私の話を真剣に聞く耳を持ってくれなかったり、体の明らかな変化を認める心の余裕のない人にまで、私の能力をすべて発揮して対応することが、少し苦しく感じるようになってきました。

我慢料をいただくために仕事をしているのではない、本当の意味で相手の体をなんとかしたい、生意気な言い方ですが、そのことを理解してくれない人にまで私の能力が必要なのだろうかと。

仕事としてお金をいただかなくてはならない関係です。

だからこそ、ただ仕事としてやることをやってではなく、私を頼ってきてくれた人間に対して、精一杯のことをして返してあげたいと思うのです。

先日訪れてくれた大学生、メールでのファーストコンタクトから始まって、ここを訪れ私の前に立った時の姿勢から会話に至る態度が、これから数時間同じ時間を共有し、指導しなければならない相手として、どうしても素直に認められないものを感じました。

彼にとっては言われたくもないことを延々と話し、嫌なら帰れと言わんばかりの言い方になってしまいました。

それでも4時間後、握手をして笑顔で見送ることができる関係になりました。

後日電話があり、自分が求めていた部分以外の、人としての姿勢を学ばせてもらいましたと言ってくれました。

私は、関わった人たちは、すべて家族だと思っています。

その後連絡がなく、どうなっているのかも分からない人であっても、心のどこかで常に気に掛けていますし、何度も来ていただいたり、その後の近況を届けてくれるような関係になってくれば、まさに他人ではない関係だと勝手に思っています。

先週行った松江で高校のサッカー部の指導をされている教員の方とは、失礼ながら友人の一人だと思っていますし、指導を受けている選手たちは、自分の教え子のような気持ちになります。

テーピングをしてあげた小学生のご家族も同じように、もう勝手に大切な友人だと思っています。

私は関わった人たちを、仕事上の付き合いでは見られなくなってしまうのです。

決められた時間決められたことをやってお金をいただく、そんな気持ちで仕事はできないのです。

ここをオープンして1年半が過ぎました。

当初は訪れていただく方も少なく、不安の方が大きかったですが、自分の信念を貫き通して、一人一人に対応したいという環境は、着実に作り上げることができています。

いつも家内と話をしますが、私ではなく買っているのは家内ですが、宝くじが当たったら、ここを訪れ私の指導を受けてくれた人たちのところを周って、指導のお手伝いをしたり、故障で困っている選手のアドバイスをして全国を歩きたいねと、夢のようなことを考えています。

昨日も高校2年生としか書いてありませんでしたが、故障の痛みに関する相談がコメントに寄せられました。

申し訳ないですが、目の前にない体をどうしたらいいのか、私にはなんのアドバイスもできません、という返事しかできませんでした。

幾つかの医療機関を回っても、納得のいく治療を受けられないという言葉に、いったいいつになったら、こんな子供たちが安心してスポーツを続けられる環境を与えてあげられるのかと悲しくなりました。

日本代表やプロスポーツのトレーナーになりたいという夢もいいでしょう、でも身近にいる故障を抱えた子供達や一般の方のお役に立てなくて、なにがプロスポーツのトレーナーでしょう。

現実そういう環境にいる人間たちのレベルがどんなものか、肩書きだけの人間もたくさんいます。

知識と経験を積んで、誰かの役に立ちたいとこの仕事を目指すなら、どんな立場の人間であれ、目の前の一人ひとりに自信を持って対応できるようになることが先ではないでしょうか。

私がこの世界を志した30年前と、今の現状はなにも変わっていません。

つくばに講演に呼んでいただいた際にも同じことを言いました。

スポーツ医学がいくら進歩したと言っても、トレーナーという言葉が認知されるようになっても、困っている人間の数は全く減ってはいないのではないかと。

私のできることなどたかがしれています、だからこそ一人一人に真剣に向き合い、私自信が納得できる形で仕事をしていきたいと思います。

少しづつ私の存在を知っていただき、ここを訪ねていただく方も増えてきました。

年月を重ねれば、もう少し増えていくかもしれません、同時に毎年私も歳をとっていきます、肉体的な衰えは隠しようがありません、口だけでできる仕事ではありませんから。

もう少し早く人に伝えるということを始めていればと思うこともあります。

しかしそれも流れの中でもことで仕方のないことです。

これから先も、できるだけ我慢料としてお金をいただくことがないよう、真剣に取り組んでいきたいと思います。

子供たちの動きから

昨日一昨日と、島根県の松江市に行ってきました。

目的は、私のところに通って来てくれている6年生のサッカー少年に、テーピングをしてあげることでした。

彼のお兄ちゃんが高校を卒業し、大学に進んでサッカーを続けるために、個人指導を受けに来てくれて、その取り組む姿勢や態度が、私好みというか、こういう青年にはなんとかなってもらいたいと思わせてくれる、とてもいいやつでした。

その弟である少年が、ちょうど2週間前に練習試合で捻挫をし、2週間後に控えた、全国大会につながる中国地区大会に、広島県から出場できる2チームの一つとして出場権を得、なんとかその試合に出たい、ご両親や関係者も、出来ることなら彼に出場してもらいたい、出場させてあげたい、そんな状況の中私の元を訪れてくれたのでした。

お兄ちゃんに連れられて初めて私のところに来たとき、私は聞いていた捻挫のことよりも、体のバランスの崩れ、歪みの大きさに驚きました。

あまりいい言い方ではありませんが、足の長さが違っていると、さも大きな問題があるように指摘しておいて、自分の施術でそれが解消したなどという言い方をする、施術者もあると聞きます。

詳しくは書きませんが、そこにはからくりがあり、本当はたいした問題ではないことがほとんどです。

ところがこの少年は、私が長いことこの仕事をしてきた中でも、ちょっと見ることがないほどの歪みを感じたのです。

小学校の6年生、幼稚園から数えてサッカー歴は6年を超えているそうですが、それにしてもどうやったらこんな体になってしまうのかという状態でした。

一緒に来たお兄ちゃんにそのことを確認してもらい、ご両親に話をして、次回一緒に来てもらうようにお願いしました。

数日後、ご両親と一緒に来てくれ、私の力だけでは改善できないことを伝え、家庭でご両親の手で出来る方法を指導し、継続をお願いしました。

捻挫のことより、こちらの問題の方が、これからサッカーを続けていくうえで、というよりも人間として成長していくうえで大事なことだと思ったからです。

こちらの問題もご両親の協力で、私の思った以上に短い期間で良い変化が見られ安心しました。

まだまだ成長過程の体ですから、きちんと向き合えば良い方向に向かうものだと、私自身良い経験になりましたが、油断せず継続して診ていきたいと思います。

もちろん、試合に向けて捻挫の回復にも努め、これなら本人がやる気になれば、出場できるかもしれないという状態まで回復させることが出来ましたが、最終的にはテーピングによって、足首の安定を確保することが絶対条件だと思いました。

テーピングの技術に関しては、まさに教科書的な技術や、しわもなくきれいに手早く巻けることが評価の対象ではなく、足の状態や筋力など、様々な要素を考慮して、巻き方を工夫しなければなりません。

事前にご両親に巻き方を指導して、これを使ってくださいとテープをお渡ししても、何の意味もありません。

固めて動かなくしてしまっても、巻きが甘く止めなくてはいけない方向を安定させられなくても、どちらにしても巻かない方がいいということにもなりかねませんから。

私がその少年にテーピングをするためだけに、一泊二日の時間とお金をかけて行ってあげるというのでは、ご両親にも気を遣わせてしまうでしょうから、どうしようかと思案していた時、松江・・・そうだ、西本塾に参加してくれた高校の先生が勤務する学校が、たぶん今回の会場のすぐそばにあったはずだと思い出しました。

その高校が、遠征等でいなければだめだけど、学校で練習しているのなら、どちらにも、他の用事があってついでに来ました言うことなら、両方に余計な心配をさせなくてもいいかなと、なぜか私がそんな心配をして、前日に松江行きを決めました。

その目的自体は、両方のお役に立つことが出来、少年もしっかり試合で活躍してくれ、残念ながらチームは準決勝で敗れ、全国への切符は逃しましたが、私が松江まで行った目的は達せられたと思います。

高校のサッカー部でも、選手たちを相手に、サッカーにおける西本理論と走りの実技を指導させてもらったので、こちらも行った甲斐があったと思います。

普段現場で選手を見る環境にありませんので、今回の小学生と高校生の実際のプレーや動きを生で見るということには、私の中で大きな意味があると思っていました。

過去には、もう嫌というほど現場に立ち、他の誰よりも真剣に選手の動きを見てきたつもりです。

それが今は、PCやipadの画面の中に映る、日本や世界の一流選手たちの動きを見ることが主になってしまいました。

たしかに冷静な目で見ることが出来ますし、何回も繰り返し見ることで、動きの本質を探るという作業にはもってこいだと思います。

しかし、人間の動きが平面の中で行われているはずはありません、平面から読み取れる情報には限りがあるのは当然だと思います。

出来ることなら世界の超一流選手の動きを生で見てみたい、今でもそう思っています。

現実的にそれは難しいことなのですが、まずは子供たちがどんな動きでサッカーをやっているのか、これを見ることが大事なのではともずっと思っていました。

それが全国大会を賭けた真剣勝負の場であるなら、子供たちの今できる最高のプレーが見られると思ったのです。

何試合か見ましたが、とくに最後に山口県代表に敗れた試合を見ていると、指導者の指導方針というか指導目標のようなものが、私にはまったく違っているのではと感じられました。

前日の予選リーグの2試合で通用した足元のテクニックが、その試合ではまったくといっていいほど通用しないのです。

ボールを扱う技術という面ではおそらく負けていなかったと思います。

それが、自分がボールを持っている時の姿勢であったり、ボールを奪いに行く時、また浮き球に対して体をぶつけ合う時、要するに、対ボールではなく、対相手の体という時の、体の使い方がまったく違っていました。

ボールを持っていても体を入れられる、相手が持っている時には入れてもらえない、ルーズボールを追っかけても、スピードでは勝っても球際で体をコントロールできない、苦し紛れに出したパスはことごとく相手に奪われる、そんなシーンが続きました。

私はドリブルの仕方もボールの蹴り方も、いわゆるサッカーの技術的なことは教えられませんが、対人スポーツという側面を考えれば、大きい小さい強い弱いだけで表現できない体の使い方という技術を、この小学生年代から身に付けておかなければ、カテゴリーが上がっていく中で、技術だけでは結局通用しなくなることを感じる時が来るのではと思いました。

土曜日に高校生を相手に指導したのも、まさにそういう体の使い方です。

高校生くらいになってくると、自分の体のことが分かってきて、それをどう克服するかという時に、いわゆる肉体改造的な発想のトレーニングに取り組もうとしますが、ここで方向性を間違えてしまうと、最終的に届くレベルが決まってしまうことになります。

過去それを現場で痛感し、今それを理論的に伝える活動をしていますが、改めてというか、初めて小学生のプレーを実際に見て、やはり自分の方向性は間違っていないなと確信しました。

今回与えられた宿題は、ある程度の年齢になった選手たちに対してなら、理論も実技もちゃんと指導できる準備は出来ていますし、実際に指導していますが、そういう選手たちでさえ、そう簡単に理解できるはずのない理論が、小学生に分かるはずはありません。

そういう子供たちに対して、難しい話は別として、体はこういう風に使うんだよという明確な指針というかドリルのようなものを準備して、そのためにこういう走り方が重要で、それが出来るようになるためにフライングバックトレーニングというものを考えたんだよと、「へーそうなんだやってみよう」と思ってもらえる説明とトレーニングを作っていかないといけないなと実感しました。

今回松江でいただいた、大きな成果です。

大きく言うと、この部分がきちんと指導できなければ、育成年代の指導者は本当の意味で子供の将来性にふたをしてしまうと思いました。

足元のボール扱いが上手になることは楽しいでしょう、リフティングが何千回も出来たり、変化するボールを蹴ることが出来るようになることも楽しいでしょう。

でもサッカーの本質は、もちろん格闘技ではありませんが、相手の体とのコンタクトスポーツであることは間違いありません。

そのためにはまず自分の体を自分の思ったように動かすことが出来る能力を作り上げる、私が言い続けている「動き作りのためのトレーニング」の意味をしっかり理解し、実践することが絶対に必要なのです。

その先に、これから答えを探し続けて行こうと思っていますが、「キレのある動き」と、自他ともに感じることが出来る、超一流の選手たちの仲間入りが出来るのだと思います。

サッカー選手の話ばかりしていますが、現状、私の元を訪れてくる選手の比率が、絶対的にサッカーが多いと言うだけのことで、私はすべてのスポーツに共通するものだと思っています。

もっともっと色々なスポーツの選手に訪れていただき、私の頭を悩ませてくれる無理難題を突き付けてくれることを期待しています。

塾生の望月さんの奥さんから頂いた、「出会いは自ら行動し、出て行って会うこと」という言葉に勇気づけられました。

今回は割と近場の話でしたが、まだまだ知らないこととばかりです、出て行って色々な人との出会いをいただき、自分の幅を広げていきたいと思います。

今回、塾生である松江南高校の本間先生には、宿の世話をいただき本当にありがとうございました。

松江市内からほど近い、玉造温泉の「千代の湯」さんに宿泊させていただきました。

教え子の方が嫁がれ、若女将として仕事をされている旅館でしたが、美味しい食事を部屋で頂き、新任の若い先生と3人で深夜まで話が盛り上がってしまい、早く食器を片づけたい仲居さんにはご迷惑をおかけしてしまいました。

作り話でもこれだけ色々な経験談はないだろうという、私の漫談のような話を延々と聞いていただきありがとうございました。

久しぶりに温泉にも入らせていただき、ゆっくりさせていただきました、改めてお礼申し上げます。

今日は月曜日、本来休日ですが、塾生の川端君からトレーニングの指導を受けている大学生が、直接私の指導を受けたいと、たぶん神奈川からやってきてくれますので、午後からしっかり指導して返そうと思っています。

私を本気にさせてくれる相手は大歓迎です、ただ筋道を間違えるとすぐにへそを曲げてしまう古い人間ですので、ご注意ください(笑)


我ながら大事なことを書いてきました。

桜も散り始めた広島ですが、全国的に花冷えを通り越して、真冬に逆戻りしたような寒さになっています。

一般の我々でもそうなのですから、スポーツ選手たちの試合に臨む体調管理は大変なことでしょうね。

そういう部分も含めて、いわゆるトレーナーという仕事があるわけですが、本当の意味での知識と経験、そしてそれを発揮できる自信と発言力を、それぞれの環境の中で与えられていなければ、選手のそしてチームのために、本当の意味で役に立つ仕事はできないと思います。

そのために必要なのは、やはり正しい知識と経験です。

知識に関しては、資格取得の面からも一律なものが要求され、そこからはみ出ることは基本的に許されないことになります。

そしてそういう教育を受けた人間たちが、それぞれの立場で経験を積んでいくわけですから、それほど大きな違いが出てくることもありません。

そうやって得られた知識や経験ですが、それはあくまでも自分たちの世界でのみ通用するもので、受け取る側の選手たちにはほとんど理解されないものです。

「自分はものすごく勉強をして、知識も経験も積んできたが、肝心な選手が自分のいう通りにやってくれないから結果が出ない」、西本塾に参加した方から届いた志望動機の中に書かれていた言葉です。

自戒を込めて書きますが、これではなんのために勉強してきたのか、まったく意味をなしません。

この方はまだ若い方で、私から見てもまだまだ経験豊富というところまでは達していないと思います。

それでもそう言い切ってしまうところに、教科書的な知識や各種のセミナーを通して学んだことが、本来の意味ではない経験という言葉に変わってしまう怖さがあるのです。

誰かが経験したことを、自分のことに置き換えるのは大事なことですが、それを実際に体験し続けてこそ、本当の意味での経験と言えるのです。

私自身、その経験をたくさん積み重ねて、これが正しいやり方だと信じて疑わないものを築き上げてきたつもりでしたが、それさえ相手に伝えられなければ、ただの独りよがりにすぎないことを思い知らされました。

世の中のすべての人に、体に対する正しい知識を持ってもらうなどということは、誰がどうやっても無理なことだと思います。

それでもせめてトレーナーという仕事を志した人たちには、知っておいてもらわなければならないことがたくさんあると思うのです。

それは資格を取るための教科書的なものではなく、実体験に基づいた理論というか、「セオリーとしてはこうなんだけど、実際にはこう考えこう対処したらこうなったよ」という現実を知って欲しいのです。

ある意味教科書的なことをやっていれば事足りることの方が多いと思います。

チームスタッフとして情報を共有し、選手のケアにあたるのであれば、他の人には分からない自分の感覚的なものを文章にすることすらできないでしょうし、必要とされないかもしれません。

私は長くこういう仕事をしていますが、自分のやったことを記録するということをしたことがありません。

記憶力が良いとかそういうことではなくて、顔や名前を忘れても、一度体に向き合うと、数年前に一度触っただけの体であっても、その特徴が鮮明に思い出されるのです。

そんなことよりも、この体が今この瞬間どういう状態であるかの方が、過去のデータよりもずっと大事なものだと思っているからです。

このブログも、最近は思いついたことを思いのままに、まさに独り言のように書き綴っています。

ですから、記事の前後の脈略もありませんし、1日の記事の中でも、これといって深い内容がないこともしばしばです。

そんな中、前回紹介した西本塾に対する申し込みのメールの中に、紙媒体という言葉があり、印刷して活字として読んでいただいているということだと思うのですが、いつでもどこでも手軽に読めるこの時代に、私の書いた文章を印刷してじっくり読んでいただいていることに、驚きと感謝の念が湧いてきました。

ブログを書き始めてもう2年になろうとしています。

あまりにも分量が多くなってしまい、私自身いつどんなことを書いたのか思い出せない状態になっています。

当然同じことを何度も書いてしまうこともあり、くどいと思われてしまうこともあります。

当初は、自分が実際に経験し結果を残してきたにもかかわらず、組織に受け入れられなかったという現実を、私自身が受け入れられなかったことを、なぜだどうしてだという気持ちから書き始めたものです。

言いたいことが山ほどあって、13年の7月などはほぼ毎日記事を書いていました。

11年前に書き著した本もそうですが、自分が書いたものを時間をおいて読み返すと、私自身が一番その内容に興味を持ち引き込まれてしまいます。

何を自画自賛しているのかと言われそうですが、本当に真剣に読んでしまい、あらためてそうだった、そういうことなんだと、自分の中で確認したり、そんなことを考えていたっけと、考えを新たにしたりと、誰よりも一番自分自身が、自分の書いたものから学ばせてもらっているのです。

とくに初期の数ヶ月は、今行っている西本塾の基本となっている西本理論の内容が、基礎の基礎からしっかり順序立てて書かれており、このブログを最近読み始めた方には、ぜひ最初から読んでいただくことをお勧めしたいと思います。

「朝3分の寝たまま操体法」が、13刷を数えるロングセラーとなっているのも、内容がシンプルで、私の考え方の根本の部分が伝わる内容だったからではないかと思っています。

いくつか紹介した操体法の実技の部分だけが強調された、いわゆる健康指南書としての評価だけだったら、もうとっくに廃刊になっていたかもしれません。

この本の内容からも、私自身読み返して新しい気づきが常にあります。

西本塾参加者から、ブログの内容を整理し直して、西本理論を一冊の本にまとめたらどうかという提案もいただきましたが、常に新しい何かを探し求めている私にとって、立ち止まって考えることができるのかと、素直に受け入れられませんでしたが、改めて自分の書いてきたものを読み進めて行くと、これは確かに今の時点でも、十分期待に応えられる西本理論としての内容にまとめられるのではと、少し思っています。

私は古い人間かもしれませんが、やはりネット環境で読むよりも、一冊の本として手元においてじっくり読める形のものの方がいいと思います。

どちらか出版関係の方、この企画に乗っていただける方はないでしょうか、ただ売れるものになるかどうかは保証できません。

私の伝えたい西本理論の本ですから、過去の出版の時のような修正要求には、たぶん首を縦に振らないと思いますから。

それにしてもこのブログ、読み応えがあります。

トレーナーを目指す人たちはもちろん、スポーツ選手やスポーツに関わる全ての人に読んで欲しいと思える内容になってきたかなと思います。

私が経験してきた中で作り上げてきたことを、知っておいて損はないでは済まされません、これくらいのこと当たり前に知っておいて欲しいと思います。

初期にブログの閲覧者が、毎日1000人を超えるような日がきたら、大きな会場を借りて西本理論の一大講演会を開く、などと大きなことを書いている文章を見つけましたが、残念ながら、まだまだその10分の1くらいの数にしかなっていません。

それはさておき、言いたいこと、話しておかなければならないことがあると思っている限りは、不定期ではありますがブログを更新していきたいと思っています。

Newspicksの連載企画も週に2回、月曜日と今日木曜日の2回掲載で続けさせていただいています。

こちらは、私にとって百歩譲ってというか、「一般の方の生活シーンの中で、こんなことをすると体が喜びますよ」という、いわゆる健康指南書そのものの内容を書きました。

ただ、これまでのそういう本と一線を画すべく、すべての動作は自分の体と対話することにつながっている、ということをしつこく言い続けています。

形だけを真似して良いだ悪いだと言われることは覚悟していますが、心ある人にはこの動きがどういう意味があるのか、体がどう反応してくれているのか、そういう意識がないとなんの役にも立たないことを知って欲しいと思っています。

それに気づいていただくことが、一番大きな目的だと思って書きました。

やはり図がない動画がないと、毎回コメントがありますが、確かにあればわかりやすいのは当然ですが、最初の時点で体に問いかけるという作業を放棄されてしまうようで、少し残念です。

それでもイラストを描いていただく担当者の方のご苦労もあって、動きをうまく表現していただき、確かにこれならやってみようかと思っていただけるものになっています。

あまり肩肘張らずに、第三者的な目で自分の書いたものを評価することも必要かもしれませんね。

諸々お付き合いください。

涙が出るほど嬉しい受講動機

今月の25・26の土日に、西本塾を行います。

これまで何度もしつこいくらいに書いてきたとおり、もう興味本位の野次馬根性での参加はお断りしています。

その理由も何度も書いてきました。

受講の申し込みは、「studio操」のホームページの中にある、申し込みフォームをコピペして、それぞれの項目を記入していただくことを求めています。

これまでお会いしたこともない方が、どんな思いをもって私のところに来ていただくのか、失礼ながらその本気度を見極めさせていただいて、参加の可否を決めています。

私は極端に言えば、一か月をこの二日間のために過ごしていると言ってもいいくらい、真剣に取り組んでいます。

ですから文章を書くのが苦手だとか、自分の思いを表現するのが苦手だと言って、簡単な言葉しか書かれていなかったり、私に対する思いが伝わってこない場合は、改めてその意志を問うために返信させていただくこともあります。

送っていただいた内容をもとに、二日間の内容を少しでも個別の要求に応えられるものにアレンジしていくのです。

これまでも、その文章を読んで、是非この方とお話をしたい、私自身勉強できるチャンスだと思わせていただく内容がありました。

本当に有難いことだと思っています。

そんな中、今日届いた申し込みのメールを読んで、涙が出るほど嬉しくなりました。

こんなにも真剣に私のブログを読み、私の伝えたいことを理解しようと努力してくれている人がいたのかと、何とも言葉に表せない、「感動した」とでも言えばいいのでしょうか。

どこの誰に評価されるより、というか、私という人間を、これまでの人生で最高に評価していただいたと、勝手に思っています。

あまりの嬉しさに、ご本人の承諾をいただいて、ブログに転載させていただきました。

皆さんがどのように感じられるかはそれぞれだと思います。

ただ、「私という人間にとって、この文章が最高の褒め言葉と感じる人間である」ということを知っていただきたい、それだけです。

青く色づけした部分は、私の修飾です。

こんな思いを持って参加していただく方々と過ごす二日間、きっと素晴らしい時間になると思います。

お名前はまだ匿名とさせていただきます。

・受講の動機
①受講の条件であるブログ(コメント欄でのやりとりも含む)を全て熟読していますか?
  はい。厳密には熟読中です。
 すべての文章をできるだけ記事がアップされるのと同時に携帯電話で読んでいます。
 ただ、携帯の画面で読んでいるだけでは、だんだん物足りなくなり、紙ベースで読み返しています。
 紙ベースの方は、現時点で2014年4月21日分まで、読了しており、できれば、西本塾の日までに読み切れればと思います。
 読み返すたびに、新しい発見や前回と異なる感じ方をすることがあり、ブログの懐の深さを味わっています。
 実はわかっていないのにわかったように感じることも多々ありますので、繰り返し読むことによりその部分を少しでも減らしていければと考えています。
 コメント欄につきましては、ブログを読み始めた当初は、本文に興味がいっており、コメント欄はあまり読み込めていませんでした。
 しかし、西本塾後のみなさんのコメントを読むことによりこのブログは、本文とコメント欄でひとつなのだと感じ、コメント欄にも興味をもつようになりました。
 今では、コメント欄を通じて、みなさんの近況、西本理論に必死に取り組んでおられる姿やそれに対する西本先生の心遣いなどを感じることができ、楽しみにもなっていますし、自分を奮い立たせるよいモチベーションにもなり、西本塾への申し込みをするきっかけともなりました。

②私の存在をどうやって知りましたか?
 numberの記事と倉本和昌さんのツイッターで知りました。
 川崎フロンターレの新しい取り組みで、西本先生がトレーナーとなりサッカーのプレーに肩甲骨が大きな役割を果たしているという内容のnumberの記事を読んだのが、今思えば西本先生を知ったきっかけになります。
 ただ、その時はここまで西本理論にのめりこむとは露知らず、失礼ながら、風間監督は面白いことをするなぁというのが、その時の印象でした。
 その後月日がたち、数年来の体の不調と子供のサッカー指導のため体の動きに興味を持ち、ネットサーフィンをしている過程で、倉本和昌さんのツイッターを通じ先生のブログを知り、読んでいるうちにあの時のnumberの記事の方だと知るようになりました。

 ③ブログに書かれた内容に関しての感想は?
 世界が変わり、大切なことを気づかせてくれました。
 当初は、サッカーに関する記事を拾い読みする形をしていました。
 そういった読み方でしたので、このブログは少し難しいなというのが第一印象でした。
 例えば、アクチンとミオシンの滑走説のくだりは、大事なことはわかるのですが、まだ体にすっとはいってきていません。(そのため直接お話をきければと考えています)
 ただ、少しずつ読んでいるうちに、このブログはただ難しいだけではなく何か大切なことが書かれているのではと感じるようになりました。
 そんな中でも、読み続けることができた一つの理由が、先生のエピソードの面白さです。
 先生の専門学校に通われていた頃の話・故渡辺栄三先生とのエピソードなどが一服の清涼剤となり読み続けることができるようになりました。
 また、今まで知ることのできなかった何かが書かれてあるということも感じましたので、拾い読みでなく、時系列に沿って読むようになりました。
 そうすると「人間という動物に与えられた本能というか本質的に平等に備わっているはずの能力をきちんと使いこなすこと」・「体と対話すること」・「物事の枝葉にとらわれずにねっこの部分を追究すること」・「物事に本気で取り組むこと」等々を、いろいろな角度、語り口で伝えてくださっていることがわかりました。
 そして、今では点だったものが線になりつつあります。(わかったつもりになっているだけかもしれませんが。)
 中でも、心に残り私の世界を変えてくれたことは、「自分の体と対話することの重要性」でした。
 このことをブログを通じ知ることができ、少しずつ実践することで私に大きな変化がありました。 
 ブログを読み始める8箇月ほど前までは、長年、頭痛と腰痛に悩まされ、痛んでいる箇所ばかり気になり、部品のように体のことを考えていました。
 そのため、なぜ自分だけがという思いが恒にあり、体を敵視していました。
 このブログに出逢い西本先生の考えに触れることにより、体は治ろうとしていること、痛みはなんらかのシグナルであり、大切なことを伝えてくれているのだということを知り、あまりにも体について無頓着である自分が恥ずかしくなるのと同時に、今まで体の発するシグナルを無視し続けてきたことを申し訳なく思いました。
 今では、体と対話することを実践し、心構えも変わったことにより、痛みも緩和し、一緒に付き合って行けるようになりました。
 これもこのブログに出逢えたおかげです。
 この場をお借りしてお礼を言わせていただきます。
 西本先生、本当にありがとうございます。

 ④現在あなたが行っている活動について、抱えている問題点は?
 動きが悪いということはわかるのだが、どう悪いのかとどうすれば改善できるのかがわからないこと
 私は、週末に大阪府吹田市のサッカークラブでボランティアコーチをしています。
 最初はすぐにやめるつもりだったのですが、やりがいがあったため7年ほど続けています。
 今は、小学校1年生から3年生までを指導しています。
 その中で、課題となっていますのは、選手の動きが悪いのはわかるのですが、それが印象の域を出ず、対処法も教本に沿ったものしか提示できないということです。
 それで、対応できる選手もいるのですが、それだけではダメな選手もいますし、より高いところを目指すためには、指導法を根本から見つめ直すことが必要ではと、このブログに出逢う前から考えていました。
 例えば、インステップキックの指導でも、軸足をボールに横において蹴る等教本通りに伝え、それに合わせ練習方法をアレンジしているのですが、自分の思い描いている成果が得られていませんでした。
 この現状を打破したいと色々とサッカーに関する本を読んだりしてきましたが、私が探し切れていないこともあるのかもしれませんが、枝葉の技術論に終始し、ねっこ(本質)を伝えてくれるものはありませんでしたし、このブログに出会うまでは、課題はもっているもののそれで仕方ないとどこかで思っている自分がいました。
 しかし、このブログを読み体の可能性を引き出してこられなかったことを痛感し、本気で課題の克服に臨みたいと考えるようになりました。

 ⑤私に期待することはなんですか?
 本当の意味での指導を学ぶこと。
 先日ツイッターで読ませていただいた「技術を教えるだけでは本当の意味の指導はできない勉強しよう」という言葉は、胸に響きました。
 こういった言葉を発することのできる西本先生のもとで、本当の意味の指導とは何かということを考えてみたいと思いました。
 現場にいますと、ついつい目先の勝ち負けや、その場しのぎのために即効性のあるものに飛びついてしまいがちになります。
 それでは、ダメなことを西本先生は改めて気づかせてくださいました。
 技術だけではなく、本質的なことを伝えていただけるだけではなく、私に考える余白を与えてくださる方であることをブログやツイッターを通して感じ、どうしても直接お会いしたくなりました。
 また、同時に西本先生の物事に真剣に取り組む姿勢を直に感じたいと思います。
 このブログを読み、西本先生の言葉の端々に真剣に取り組む姿勢と熱い思いを感じることができました。
 自分自身もそうですが、指導している子供たちも年齢を重ねることにどこかあきらめが入り一生懸命に取り組むことが恥ずかしくなり、本当はもっとしたいのに周りに合わせてそこそこできることで満足してしまっていました。
 このブログに出逢い、恥ずかしがらずに選手たちにも一生懸命取り組む姿勢を見せることができるようになりましたし、そういう姿勢を見せることで何かしら伝えることができればと考えています。
 ただ、まだまだだと思っていますので、西本塾を受講された方のコメントにもありました先生の真剣な姿勢とその場の空気を体感し、今後に繋げていきたいと考えています。

 ⑥その他受講の動機について、ご自由にお書きください
 人間が本来持つ動きとその過程を実際に見て体験し全身で感じ取りたいです。
 ブログに掲載されている歩き方や走り方を自分なりに実践しているのですが、まだまだ滑らかな動きを感じとるところまで至っていません。当然の話かもしれませんが。
 西本先生がおっしゃっているとおり、やはりブログを読むだけでは限界がありました。
 人間が本来持つ動きを自分もできるようになり、それを伝えていきたいという思いが日々強くなり西本塾へ参加したいと考えるようになりました。
 
 受講生の方との交流を楽しみにしています。

 西本塾は、背景も年齢も異なる方々が、先生の人となりに魅かれその理論を真剣に学ぼうとする集まりです。
 また、それぞれの思いや考えを思いきりぶつけ合える場であるとも思います。
 そういった場は、貴重であるともいますので、是非参加したいです。
 心身ともくたくたになると思いますが、自分を出し切れる挑戦の場ともなると思いますので、みなさまの刺激を受け帰りたいと思いますのでよろしくお願いいたします。

・懇親会に参加します。

 以上となります。
 到らぬ点もあると思いますが、是非参加したいと思いますのでよろしくお願いいたします。


伝わってきます、響いてきます、熱い想い受け止めました。

感謝です。

動き作りの先にあるもの

先ほどNewspicksに記事がアップされました。

今日の内容は体の「キレ」という概念を言葉にするという試みです。

「キレ」という言葉ほど曖昧に使われているものも珍しいのではないでしょうか。

過去誰一人としてこの言葉を明確に定義付られた人間はいないと思います。

今はやりのデータや動画を駆使して、客観的な指標を得ようとしても、こればかりは無理な相談だと思います。

それでもそういうことに長けた人たちは、こういうデータから今日のこの選手の動きは評価できるという結論を導き出すのでしょうが、そこにも「キレ」という言葉は持ち込むことはできないと思います。

それは、見る人それぞれの感性が違うからだと思います。

同じ選手の動きに対しての期待値というか、もっと素晴らしいプレーができるはずだと思う人がいるかもしれませんし、今日の試合の中でも、あのシーンでの動きはやはりさすがと思わせるものだななどと、評価する人によってまったく逆の印象を持たれることさえあるほどです。

「体作りから動き作りへ」、我々が真に目指すべき方向性を世の中に広めるために、こうやって小さいながらも声をあげ続けている人間として、動きづくりとは何なのか、その本質をさらに明らかにしなければ、西本理論などと大風呂敷を広げても、これ以上の進化発展は望めないのではと考えるようになりました。

体作りという概念は誰にでも理解しやすいと思います、かれこれ50年前、東京オリンピックでの日本選手の活躍を期して、ヨーロッパ各地を視察した結果の一つとして、我々日本人と欧米人の体格差や筋力の差が歴然としていたことに端を発した、肉体改造という名のトレーニング革命、その後紆余曲折、理論やトレーニング方法の変遷はあったものの、今だに体作りのためのトレーニングが、その中核を担っていることは間違いのないことです。

私自身がそういうことが必要な体で、そのためのトレーニング理論を学び実践もしてきました。

しかし、指導する側となって競技レベルのアスリートたちを対象とするようになってから、時を置かずしてこの考え方では対応できないことに気づかされました。

いわゆる「フィジカルが弱い」という言われ方を克服するために、様々な数字で評価される能力の向上が図られてきました。

海外の選手に負けない基礎体力の評価を受ける選手も出てきたと思います。

それでも世界との差は縮まるどころか、大きく開いている競技もあります。

私がそこで考えた仮説は、もともと遺伝的に備わった基礎体力をベースに動きを作っている海外の選手と、基礎体力自体を後天的に養成し、その体を使って動きを作ろうとする日本人の間に、根本的な違いがあるような気がしたのです。

成人してから身長をなんとかしてくれと言われても無理な相談です、となるとアプローチできるのは身長以外の体のサイズと、筋力や筋持久力といった客観的に評価できるものの数値の向上に限られます。

私が初期に指導していた高校生であれば、成長期の後半、正しい指導を行えばその数値を向上させることはある意味簡単で、競技力の向上にも大きく貢献できたと思います。

ところが成人した後、競技レベルがトップレベルに達した選手の中には、すでにそういう部分の目標値をクリアしている選手もたくさんいたのです。

そういう選手たちに対して、同じ発想で体作りのトレーニングを継続しても、競技力の向上には結びつかないことはすぐに感じましたし、それ以上に後天的に作り上げれば上げるほど、先天的な能力を持った海外の選手との動きの差を感じるようになりました。

これまで色々な環境で様々な選手を相手にしてきましたが、私如きが世界を相手にこうすればこうなるなどというアイデアを求められるはずもありませんし、そんなことを考える必要もなかったのかもしれません。

ただ日々の仕事を行っていく中で、誰に頼まれたわけではありませんし、実際になんの役に立つかはわかりませんでしたが、もし自分がそう言う立場に立ったら、常にそういう思いを持ち続けてきました。

広島にはサッカーのチームに呼ばれてきましたが、その最中にも自分の好きな野球の選手を相手にするとしたらどんな指導をすればいいかなどと考えていたため、その後の社会人野球の仕事やプロ野球の投手の仕事に対しても、不安どころかよしやってやろうという気持ちしかありませんでした。

そうした中、体作りから動き作りへという、まさにパラダイム転換的なことを考え実行していく中で、それだけでは物足りない何かを感じ始めていました。

体の仕組みを私なりに整理し、骨格と筋肉の関係をより明確にすることで、関節の8方向の連動とか支点を作らない動き方など、いろいろな言葉で人間の動きを説明し、本来人間とはこういう風に体を使うことが、与えられた能力を存分に発揮するための絶対条件であるというところに、西本理論の本質を見出し、それを伝えてきました。

これでパラダイム転換の旗振り役としての私の役割は、十分果たせてきたと思っています。

まだまだほんの一部の人にしか伝えられていませんが、その人たちの創意工夫によってさらに世の中に広まり、いつかは当たり前の考え方になっていくと信じています。

ただここで止まってしまっては、私も面白くありません。

と言うか、本来の体の動かし方は、というところが見えてくると、遺伝的な能力の差はあるにせよ、世界の超一流と呼ばれている選手たちの動きの秘密を、私自身納得のいく言葉で整理し、同じような動きができるために必要な、本来の意味での「動き作りのトレーニング」を作り上げていくことを、これからの目標にする必要があるのではと考えるようになりました。

その答えの一つとして、どうしても避けて通れないのが「キレのある動き」という言葉で語られてきた動きの正体を見つけ出すことです。

絶対に数字では表せないものだからこそ、多くの人に言葉として納得できるものにしなくてはなりません。

今回のNewspicksの記事は、その試みのスタートだと思っています。

凄いとか速いとか、そんな言葉ではなく、まずは私の目に選手の動きがどう写っているのか、それを言葉にすることから始めました。

それが「ロッベンは体を3分割にして使っている」という表現になりました。

彼がそんなことを意識して動いているはずはありません、だからこそ今はできないその動きを、我々ができるように努力することで、同じかそれ以上の動きができる選手を作ることができるかもしれないと思っているのです。

「彼らは特別な人間だから」、確かにそういう部分はあります。

それでも子供の頃から、彼らの動きの秘密をわかりやすく説明し、そこに近づくためのトレーニングを行えば、できないはずはないと思うのです。

私自身、イメージをつかんでもらえる程度の動きですが、すでに幾つかの動きをできるようになっています。

これまでは体を鍛えることイコール、体を固めてしまうイメージがあったように思いますが、ロッベンの動きには「剛」のイメージの中に間違いなく「柔」のイメージが見えます。

あのスピードを生み出すために骨盤を引き上げる腕の使い方、細かいステップから強烈なシュートを放つ時の瞬間的な腕の使い方、さらには今回の記事で取り上げた、足を正面に踏み込んだ瞬間に、左右どちらかにお腹をグッと回すようにしてヘソを行きたい方向に向けることで、 正面にいる相手に対して方向を変えるという動作を感じさせない、あの体の使い方は、誰が見ても「キレのある動き」と言えるものだと思います。

いわゆる体感部分と呼ばれているのは股関節から上、脇の下までだと思いますが、その中には骨盤と肋骨という大きな骨の塊が存在します。

もちろん背骨で繋がってはいますが、正面から見れば肋骨と骨盤の間のお腹の部分には動きをジャマする骨の塊はありません。

ロッベンはその部分だけを瞬間的に強烈に回しているように見えるため、体幹部分全体が向いている方向とは違う方向へ瞬時に方向転換出来るのだと思います。

あの原稿を書くためにロッベンの近況を知ろうと検索したら、なんとそのお腹周り腹筋を痛め離脱したという記事を見つけてしまいました。

昨年のW杯では大きな故障もなく、素晴らしいプレーを見せてくれたことで、足の肉離れに関しては動き方で克服できたのかと想像していましたが、私が見つけた3分割の動きを司る腹筋を痛めてしまったことはとても残念なニュースでした。

彼らの筋肉は、陸上の棒高跳びに使うグラスファイバー製のポールのようなものだと思います。

自分の体重やその時の体調、またトライする高さに合わせて使うポールの硬さを変えるそうです。

あれだけのスピードとキレを感じさせれる動きをするためには、かなり剛性の高い筋肉が必要なのでしょうね。

メッシのポールはロッベンよりも少し柔らかめかもしれません、ネイマールはさらに柔らかいポールでしょう、そんな見方をすることも選手の動きを見る一つの指標として面白いと思います。

世界のトップのレベルを維持し、さらに向上させようと努力するスーパースターと呼ばれる選手たちの、身を削るような努力は想像を遥かに超えると思います。

その秘密を少しでも探って、少しでもわかりやすく表現し、興味を持ってくれる誰かのために書き残していこうと思います。

プロフィール

Author:西本 直
1993年、Jリーグサンフレッチェ広島を皮切りに、社会人野球三菱重工広島・協和発酵・ヴィッセル神戸・川崎フロンターレ、そして広島カープ佐々岡真司投手など、プロアマ問わず競技レベルのスポーツ選手から一般の方まで、トレーニングやメンテナンスの指導を行ってきました。
その経験と知識の蓄積を「西本理論」としてまとめ、一人でも多くの方に実践していただくことが、これからの私の使命であると信じ、このブログから発信していきます。
私の理論はスポーツ選手のみを対象としたものではなく、ビジネスマンや家庭の主婦まで老若男女すべてに当てはまる不変のものです。
指導や講演のご依頼も受け付けています。
実名でツイッターも書いていますので、チェックしてみてください。
また、2013年9月9日にConditioning Studio 操をオープンしました。こちらもご覧ください。
また、遠隔地にお住まいの方を対象とした動き分析とアドバイスを行っています。
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