理解力と吸収力

深める会に参加してくれたお二人からコメントが届いています。

当然のことですが、こうしてブログを読んでいただいても、西本塾に参加していただいても、さらには深める会に何度も参加していただいたとしても、私の言うことに対する理解の差は本当に人それぞれだと思います。

以前に参加していただいた方の感想で、私の指導内容が会うたびにレベルアップしているという趣旨のことを言っていただいたことがありました。

その時にも言いましたが、私が言っていることは基本的に何も変わっていません、もちろん改善を加えている部分はあるのですが、それよりも何度か私に接し、また伝えたことを実践してくれていることで、伝えてきたことがただの言葉ではなく、実際に役立つ理論であったたことを実感できたからだと思うということを話しました。

以前私は、私に見えている世界が他の人には見えていないという趣旨の話をしたことがありましたが、見えているいないではなく、見ようとしている観点が違うというか、必要としている情報そのものが違うということなのだと思うようになりました。

そういう意味で、その方が言われた感想は、私から学ぼうとする目的であったり深さが変わってきたということで、イコールその方が成長したと言うことなのではないでしょうか。

今回頂いたコメントからもそういう雰囲気が感じられました。

何度も何度も私の元を訪れることで、私の技術を正確に再現できるようにしたいとか、自分の練習してきたことを評価してもらおうとかいう目的でも全く問題はありません。

ただ私が見ているのは、参加者のものの見方が変わってきたか、私の話に対する反応のポイントが変わってきたかという部分の方です。

これこそが、枝葉の部分に気持ちが行ってしまいがちだったのを、本当の意味で根っこを掘るという作業の大切さに気づいてくれたということを、私が確認する判断材料となるのです。

走り方がうまくなった、操体法の実技がうまくなった、そんなことは時間をかければ誰でも上達していきます。

そこではなくて、私が伝えたいことに対する理解力、吸収力といったものが良い方向に変化してくれる人でないと、本当の意味で私の後ろを追いかけてくれる人にはなりえないと思うのです。

回数ではありませんが、やはりコミュニケーションは必要なので、やはり何度も顔を見せてくれる人には、何とかきちんと伝わって欲しいと思います。

そういう意味でも、今年も7月には札幌に行くことにしています。

札幌の小林さんという人は、私がブログを書き始める前から、私の存在に興味を持ち、それ以来ものすごい勢いで西本理論を吸収し形にしてくれています。

こういう人にこそ、こちらから押しかけて行っても伝えなければと思います。

既に頂いた深める会への参加動機に書かれた内容は、こういう内容に関してお互いの意見を交換したいと思わせてくれるものです。

まだ30代、こういう人がこれからどんどん増えてくれれば、私の存在も価値があったと胸を張って言える日が来るかもしれません。

私自身の視野を広げるためにも、直接見る機会を増やしたいと書きましたが、明日は少しですが関わらせてもらった讃岐を応援に香川に行こうと思います。

画面で見る平面の世界では感じられない選手の生の動きを、スタンドからしっかり見て感じてきたいと思います。

讃岐のサポーターのみなさんよろしくお願いします。
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潜在能力を眠らせておかないために

私の運営する「conditioning studio 操」は、海に面した宇品港のターミナルビルの2階にあります。

すぐ目の前に見える江田島や似島そして宮島、遠くは故郷愛媛の松山にも航路があって、普段港に縁のない人から見れば、ひっきりなしに港を出入りする船の多さに驚くばかりです。

まさに通勤通学の足、海上交通の要所となっています。

そんな場所に縁があってスペースをお借りできて仕事をさせていただいています。

エスカレーターで2階に上がると、西本塾の懇親会でお世話になっている中国人ご夫婦が経営する中華料理店があり、その隣には珈琲専門店、さらにはインドの方がやっているナンカレーのお店と、ここまではありそうなお店が並んでいます。

私の施設の奥には江田島市の出先機関や海運会社の事務所があり、これもあって当然の事務所が並んでいます。

そんな中に、ここは何をするところだろうという意味不明な看板(と言っても手作りの張り紙ですが)が貼り付けられた入り口があり、開設当初は知らない人が勝手に扉を開け入ってきて、中を覗こうとされることもありました。

さらには、私のやっていることをよく知らないで、どなたかの紹介で施術を受けに来られた人は、ベッドが置いてある施術スペースの何倍ものスペースをとってトレーニング器具が並んでいるのを不思議そうに見て、「あなたが趣味でやるんですか」 とまで聞かれることがあり、「さすがに趣味でこんなスペースを作ったらすごいですが、残念ながら仕事です」 と、これまた意味不明な会話になることがあります。

そのスペースと器具を使ったトレーニング、私にとってはおそらく生涯をかけて取り組んでいく大事な仕事です。

単なる体作りではなく、人間として持って生まれた、神様という表現は正しくないかもしれませんが、人間という生物の創造主から与えられた能力を、余すことなく使いこなせるようになることを最大の目標として、「動き作り」という言葉を使ってトレーニングの指導をしています。

まだまだ私の考え方は一般的なトレーニングとは異なっているため、理論的な部分を正しく理解し、実際に指導できるレベルになってくれている人はほとんどいません。

そんな中で実際に私の指導を受け、それまで発揮できなかった能力をうまく使いこなせるようになったことで、結果として成績が向上したという例は幾つかあります。

その選手たちには幾つかの共通点があります。

ひとつは、彼らが持っていた潜在能力は各々の競技レベルに必要な要素という意味で、かなり高いレベルにあったということです。

言い訳ではありませんが、同じことを同じように指導して、同じように能力を向上させられたとしても、悲しいかなそこには相対的な評価がされてしまいます。

各自の努力を絶対評価という物差しで計れば、文句のつけどころがない成長であったとしてもです。

ですから、私が月として光を与えられた太陽たちは、みんな大きなエネルギーを秘めていた素晴らしい選手たちだったということです。

自己満足の極致を表した言葉ですが、「私と出会ったからこういう結果になったとは言わない、しかし、もし私と出会わなければこういう結果は得られなかっただろう」という言い方をするのはそういう意味です。

申し訳有りませんが、すべての選手を光り輝く太陽にすることはできません。

これも何度も書いてきましたが、将棋に例えた言い方で、自軍の王将を守り、敵の王将を攻め落とすためには、全員が飛車や角ではダメで、金も銀も桂馬も香車も歩も必要だということです。

それぞれの駒に与えられた役割を全うできる能力を磨いていけばいいのです。

そういう意味ではどんな人間にもチャンスはあります。

ところが私が感じてきたのは、ほぼ全員が飛車や角を目標とし、そこに届かないことを悟るとすべてを諦めてしまうということです。

「いぶし銀」という言葉がありますが、日本一の歩も必要なのです。

私に光を与えてくれた選手たちは、間違いなく飛車角レベルの選手たちでした。

もうひとつの共通点、それは年齢的にも競技経験にしても、それぞれの競技でベテランと呼ばれる年齢に差し掛かった選手たちだったということです。

これは何を意味するかというと、もちろん人一倍の努力を積み重ねてはきたものの、いわゆる素質と言われる早熟型の選手で、すでに大きな成果を残しているにもかかわらず、あるところで自分の能力の停滞や限界を感じ、これまで続けてきた努力だけでは打開できない何かを感じているということでした。

親からもらった立派な体と人一倍の努力でここまで来た、みたいな言い方をよく聞きます。

この人一倍の努力という部分に、私は違和感を覚えました。

そして様々な経験をしてきた中で、この努力の方向性が根本的に間違っているのではと思うようになったのです。

それがずばり「体作りから動き作りへ」という発想の転換でした。

「動き作りって何ですか、体作りはどうでもいいのですか」素朴な疑問に答え続けてきました。

と言っても、それは一般の方に対してではなく、目の前の選手たちに結果を出させることでしか答えられませんでしたが。

言葉や文字で分かってもらえるとも思っていませんし、選手たちにとっては結果がすべてですから、その必要もありませんでした。

私を必要としてくれる選手たちのもうひとつの共通点は、その体作りという方向性のトレーニングはすでにやり尽くしているというか、その結果として、自分が思っているような動きができなくなったと感じていることです。

こんなに頑張ってきたのに、こうやって頑張り続ければ、もっと良い動きができるようになると信じて取り組んできたのに、そう思って長く頑張ってきた選手ほど、そのことに悩み方向性を失ってしまいます。

縁があって私と出会い、体の仕組みから始まって、体作りではなく動き作りという概念を知り、トレーニングに取り組み始めると、何故もっと早くこの考え方に出会わなかったのかと悔しがりますが、別の方向性をやり尽くしたからこそ、私の考え方を素直に受け入れることができるとも言えるのです。

「若い選手たちにも教えてあげたい」そう言ってくれることもありますが、まだまだ私の力不足で、体作りに気持ちが行ってしまう若い選手たちに、こちらを振り向かせるだけのものがありません。

私が一番苦手とする数字やデータで証明する以外に、世の中の人が全て認めてくれる理論にはなり得ないのだと思います。

しかし現実に目の前の選手たちは、私の理論であり実践を必要としてくれていることは間違いありません。

きちんと向き合ってくれた選手たちは、確実に変化し進化し、それぞれが持って生まれた能力を思う存分発揮してくれています。

彼らに私が新たな能力を授けたなどということは全くありません、彼らが持っていたけれど使えていなかったり、気付いていなかっただけのことを、「こうやって使えばいいんじゃないの、こういう動きもできるんじゃないの」と体と頭に語りかけることが、私のトレーニングの目的です。

あとは素晴らしい能力を持った選手たちが、勝手に結果を出してくれます。

この考え方や体の使い方を、子供の頃から自然に身につけておけば、というよりも普通のこととして生活の一部であり、スポーツ動作の基本であると思ってもらえれば、大人になってから体作りから動き作りへ、などと分かったような分からないような理論を聞かされることもなくなると思います。

今私ができることは、現在進行形で取り組んでくれている選手にも、過去に指導した選手たちと同じように、私が教えたとか教えられたとか、そんなことを忘れてしまうほど自然な動きでピッチを動き続けてもらえるようにすることです。

年齢のことを気にする選手が多いですが、すでに40歳を超えていると言われると少し無理がありますが、30歳を過ぎていたとしても、未開発の能力を残したままで、今のパフォーマンスを発揮し結果を残してきているのであれば、そこに本来使えるはずの能力を目覚めさせてあげられれば、今以上に楽に効率的に体を使えるようになることは明らかですから、もっともっと高いレベルを目指すことを選手には要求しています。

そうでなくてはお互いに面白くありませんから。

崖っぷちの選手を必死に支えることよりも、ここは崖っぷちではなく、レベルアップするための絶好のジャンプ台だと思わせるのです。

物は考えようです、崖っぷちだと思うから守りに入るのです、選手である限り攻め続けるのです、そのお手伝いなら喜んでさせてもらいます。

個人はもちろんですが、チームとして取り組めば、それぞれの年代の選手たちがお互いの変化を感じることで相乗効果が生まれると思います。

サッカーであればプロであるJリーグのチームが真剣に取り組むことで結果を出してくれれば、この考え方も広がりを見せてくれるかもしれません。

たった3日間の指導でしたが、カマタマーレ讃岐というチームに、私の考えが少しでも根付いてくれているとしたら、きっと良い変化が続いてくれるのではないかと思っています。

私は動き出してしまいました、自己満足の世界から離れてしまいました。

共感してくれる仲間たちのためにも、私自身が結果を出し続けなければなりません。

頑張っています。

思いを伝えるために

週末に行われた「深める会」毎回言っているようですが、今回もこれまで以上に深めるという目的に沿った内容で行うことができたように思います。

8人の参加をいただき、8通りの感性を持ち寄っていただくことができました。

まずは送っていただいた受講動機に沿って、西本理論の取り組みや問題点を話していただく時間を多くとりました。

深める会が、私からの指導内容を西本塾よりも詳しく、手取り足取りの部分を増やすということではなく、西本塾を受講して何を感じ何を伝えてきたか、それに対してどんな反応がありどう対処してきたか、そしてこれから先どうやってより深い理解を得、正しく伝えていくのかを、参加してくれた皆さんどおしが学び合い深め合うことこそが、本当の意味での深める会になると思いました。

そういう会にするためには、参加者のレベルがある程度揃っていないと難しいと思いました。

それは理解レベルや期間の問題ではなく、意識レベルの問題です。

もっと言えば、私から学んだことを誰かのために役立てたいという思いがどれだけあるかということです。

今回の参加者は、つい最近に行われた西本塾に参加したばかりの方から、既に1年以上経過した方、深める会にも複数参加し、お会いするのが4回目という方もいました。

当然複数回参加している方は、他の方に比べれば理論的な理解も実技の部分でも、他の参加者を一歩も二歩もリードしていることは間違いありません。

しかし、学べば学ぶほど難しさや奥深さを感じてくれて、分かったできたと思った時点で違う方向へ行ってしまうということを十分理解してくれていました。

本来こういう方でないと、私の伝えたいことは伝わっていかないのだろうと思います。

中には、西本塾を終えた時、この人はもう二度と再びここにはこないだろうと思っていた方も参加してくれました。

本人もそう思っていたと、正直に話してくれました。

ではなぜ来たのか、西本塾に参加しブログで読んで、書いてあったことはこういうことだったのかと自分なりに納得したところで満足し、理論や走りの実技も自分では分かったできたと思って持ち帰り、自分にもできると指導に活かし、1年間頑張ってきたが、とても満足できる結果を残せなかったことが、改めて参加しようと思った動機だそうです。

私に言わせれば、もちろん一生懸命伝えましたが、理論の部分も分かっているようには見えないし、実技に関してはその時の参加者の中で下から数えたほうがいいくらいの理解度でした。

それでも自分は分かったできたと思ったそうです、そんな状態の人に指導された子供たちは、申し訳ないですがかわいそうです。

そこにやっと自分で気づき、改めて勉強し直そうと参加してくれました。

こういう方が一番ありがたいのです。

中途半端な理解で分かったような気になって指導されては、私が出会うことのない誰かのためにという思いが、全く逆の意味に出てしまいます。

どんなに真剣に学んでいただいたとしても、私が満足できるレベルになってもらうのは難しいかもしれません。

わざわざ広島まで行ったのだから、ちゃんとできるように教えろよ、そう言われるかもしれませんが、そんな簡単なことならわざわざ広島に来なくてもどこかでで誰かが教えてくれるでしょう。

それでも学び続けようという気持ちさえあれば、少しづつでも必ず誰かのためにという目標は達成できると思います。

学びにもうこれでいいはないのです、学び続ける以外にないのです。

様々な思いを持って参加してくれた人たちでしたが、それぞれ確実にステージを上げて帰ってくれたと思います。

今回は参加者のお一人が、直前にふくらはぎの軽い肉離れを起こし、実技に参加できないため、受講自体を取りやめようか悩むほどの状態だと聞いていたので、ちょうどいい機会だと思い、そういう状況の人が私を頼って施術を受けに来てくれたという設定で、普段見せることがない私の施術をライブの解説付きで見てもらいました。

施術前後の状態は本人が驚くような変化があり、見ているみなさんも、私の説明を聞きながらも、なぜどうしてこれで痛みや可動域が改善させられるのだろうと、不思議な顔で見つめていました。

何も言ってくれないので「すごい」って言ってくださいよと、催促してしまいました(笑)

まさに自慢になりますが、これくらいのことができなくてプロの施術家を名乗ることはできません。

昨年の暮れにサッカー選手のトレーニング指導会の会場を貸していただいたオーナーさんが、目の前で真似事をしてぎっくり腰になった時も同じです。

まさに手品のように症状を改善できたことで、プロはすごいなと思ってもらえるのです。

1時間やることをやりました、また明日来てくださいでは明日はないのです。

午後からの走りも、なぜこの体の使い方が有効なのか、それがきちんと説明できなければダンスの振り付けを教えるに等しいと、改めてなぜどうしての部分をしっかり説明しました。

2日目の施術を中心とした実技でも同じです。

施術の仕方を知っているだけでは、人間の体を診ることができないのです。

施術に関しては自分なりに追求してきた操体法というものを、経験や感覚ではなく、理論的とまでは言えないかもしれませんが、きちんとした言葉で伝えることができなければ、これこそ伝えていけるはずはないと思いました。

私独自の解釈かもしれませんが、そう思われたとしても私が誰かに伝えるためには、誰かに教えられたものではなく、私自身が納得できる言葉に整理して伝えなければならないと感じています。

そういうことを考えるようになったという意味でも、深める会の存在は、私自身を色々な意味で深めてくれています。

「学び合い深め合う」、私を含めて参加者全員がそういう共通の意識で臨んでくれた会になったと思います。

なんの準備がなくても、自分がやってきたこと考えていることを伝えればいいのですから、いつでもどんな相手にでも伝えられることはできると思うのですが、自己満足ではなく本当の意味で相手を納得させ、次の誰かに伝えてもらえるレベルに引き上げるためには、私自身がもっと努力しなければならないと感じています。

西本理論などと大上段に構えてしまうのではなく、起承転結がはっきりした理解しやすい理論であり実践方法としての西本理論を、改めて再構築する必要が出てきたように思います。

私の元で学んでくれた人たちが、「これを知らなければ、何の疑いもなく自分のやってきたこと学んできたことで満足し継続していたと思うが、聞いてしまった、知ってしまった、納得してしまった今、もう知らなかったとは言えない、なんとか伝える努力をしなければ」と思ってくれているようです。

本気でそう思ってくれた人たちに対して、もっと分かりやすくもっと実践的に伝えることが私に課せられた使命です。

私こそ、こんな活動をしなければ、こんな面倒なことを考える必要もなく、自己満足の世界に浸り続けることができたのにと思わないこともありません。

始めてしまいました、動き出してしまいました。

既に100人の方を西本理論に引きづり込んでしまいました。

私には責任があります、100人の受講者はもちろん、彼らから指導を受ける、私と直接出会うことのない、その数十倍いや数百倍になるかもしれない人たちに対して、中途半端な知識や実践方法が伝わらないよう、さらにはもっともっと良い方法を提案していけるように、私自身が立ち止まることを許されなくなってしまいました。

もう少し時間はかかるでしょうが、この人ならという人材も育成できそうな気もしてきました。

数字やデータは示せませんが、これまでの経験を自分なりに言葉にしていく作業、始めなければなりません。

いつになるかわかりませんが、永遠に完成しないことこそが、本当に真理を追求していく姿勢を貫くということなのではないでしょうか。

先にうまい言い訳を言ってしまいましたが、努力はもちろん続けます。

みなさんと一緒に学び合う中にこそヒントがたくさんありそうです。

西本塾では、まず私の思いを直接私の言葉でお伝えし、目で見て体を動かしてその事実を確認していただくことが、最低限の目標になると思います。

そして深める会では、まさに学び合い深め合って、誰かのためにという高い意識を共有できる仲間になっていただく、そんな会にしていきたいと思います。


みなさんご協力をお願いします。

まずは見ることから。

私がこれまで関わってきた選手たちは、基本的にプロかそれに準ずるレベルの選手でした。

とくに広島に来てからは、そういう選手たちの能力を向上させることが、個人としてチームとしての最終目標である「勝利」に貢献できる一番重要な要素だと思って仕事をしてきました。

彼らは一般の方から見れば、自分たちにはできないことができる、特別な能力を持った人間たちだと思われているでしょう。

もちろんそういう部分はありますが、私から見ればもっと出来るはずなのに、と思ってしまうところがたくさんありました。

しかし、小さい頃からその競技一筋という選手がほとんどで、ある意味出来上がってしまった選手が多く、技術的にも体力的の大きな進化は望めないではなく、望んでいないように見える選手もいました。

私がもっと出来ると思う根拠は、それぞれの競技に必要な技術レベルの話ではなく、一般的には基礎体力という言葉でくくられてしまいますが、それを使いこなす体の使い方の部分でした。

良く言えば無意識に、悪く言えば何も考えないでやっているように見えました。

私がこの仕事を通して、スポーツの世界で少し知られるようになったのは、これまで関わってきた選手たちのおかげです。

彼らに対して私が何かを教えたということはあるかもしれませんが、それは新しい能力を授けたとか言うことではありません、彼らが持っていた潜在能力、人間として持って生まれた能力の中で、現実として使いこなせていない部分を目覚めさせる方法を提案し、彼らの体に対する意識が少し変わっただけのことだと思います。

それぞれ個人差がありますから、全く同じことを指導しても意味はありませんが、個別に問題点を見つけ出し細かく指導して行ったとしても、行き着く高みは同じというわけにはいきません。

そういう意味でも私は運が良かったのでしょう、何人かの選手が世間が驚くような変化を示してくれたことで、その陰にはということで私の存在も知られることになったのですから。

そんな中、あまり話題にしてきませんでしたが、先週行われたJリーグの川崎対大阪戦で、久し振りに大久保選手の動きを追ってみました。

後半終了間際アディショナルタイムに入った時のことです。

1トップに大久保選手を残して、ほぼ10人で大阪の猛攻をしのいでいた時、右からのクロスボールに対して、ボレーでパスというよりクリアという感じで、左タッチライン沿いセンターライン手前に蹴られたボールは、タッチラインを割るかと思いましたが、そこにくることを予測していたかのように、猛スピードで走ってきたのが大久保選手でした。

時間帯を考えても他の選手は、ボールがラインを割ることで一瞬ですが一息つけると思った瞬間だったと思いますが、大久保選手は全力でボールに追いついたにもかかわらず、冷静にコントロールしてドリブルで相手ゴールに迫って行こうとしました。

2人のディフェンダーを振り切ろうとした瞬間、2人目の選手に、なんと後ろからユニフォームの襟元を持って引き倒されプレーを止められてしまいました。

時間帯やプレー位置、また大久保選手の技術を考えれば、もしあのまま抜けていれば勝ち越しのゴールが生まれていたかもしれません。

相手の反則行為が問題になっていますが、私が注目したのはそこではありません。

まずあの時間帯にタッチを割りそうなボールに追いつくスピードはもちろん、この方向に来ることを予測していたかのような動き出しができる冷静な判断力があったことです。

その瞬間の彼の表情をよく見ていると、全く力みがありません。

もし動き出しの瞬間に、ヨシとばかりに歯を食いしばってしまったら、紙一重でタッチを割っていたかもしれません、それぐらい微妙なタイミングでした。

そしてドリブルで相手をかわしに行くのですが、これまた表情を変えることなく涼しい顔に見えます。

力んで無理矢理にスペースをこじ開けるのではなく、行きたい方向に体をスッと倒し重心を移動しています。

それに対し相手のディフェンダーの表情は、まさに緊急事態発生とばかりに歯を食いしばり、屈筋を使って地面を蹴り、大久保選手を追いかけて止めようとしていますが、全く動きのスムーズさが違います。

この時間帯にこの動きができることこそが、彼が持っている潜在能力を自在に操れるようになった証拠ではないかと思います。

もう完全に自分のものとして体を使いこなせているので、彼自身の動きに好不調は考えにくいと思います。

あとは周りとの連携でしょうね、彼にとっての一番の敵はストレスでしょうから。

さてそんなことを考えながら画面を見終わって、ふと思い付いたのが深める会に参加予定の方が指導している「ラクロス」という競技でした。

正直見たことがありませんのでルールももちろん分かりません、なんとなくイメージはできますが、ついでにと検索して幾つかの映像を見てみました。

その中でラクロス界のCロナウドと呼ばれている「マイクパウエル選手」の動きに目を奪われました。

名前は別の競技で聞いたことがある選手と同じでしたが、もちろん全くの別人です。

これは凄いです、私がサッカーの超一流選手の動きを分析するためにYouTubeの画面を見続け、凄い凄いと一人うなづいていた時と同じです。

他の選手とは異質な動きです、ロナウドといえばロナウドですが、ロッベンの三分割の動きもやっていますし、ネイマールのようなトリッキーな動きあり、スピードも強さもあります。

私が知らない競技や凄い選手が、まだまだたくさんいるんだろうなと、改めて思い知らされました。

引き込まれるようにいくつかの動画を見ましたが、激しいコンタクトシーンに、アイスホッケーやアメフトやラグビーと変わらない迫力を感じ、独特な手具を使ったプレーには細かいテクニックや戦術の複雑さを感じたり、日本ではマイナーな種目だとは思いますが、本当に面白いと思いました。

ついでに出てきた「アメフト選手の身体能力」のタイトルが気になって見てみましたが、CGではないかというような凄いシーンが次々と現れ、これまたびっくりでした。

これまで私が残してきた実績というか、自己満足してきたことは、もう一息の選手の背中を押してきたにすぎないのかもしれません。

今私から何かを学ぼうとしてくれている人たちは、もっともっと手前のこれからという選手を指導している人がほとんどです。

一般の方の体をケアするということも同じことかもしれません。

ラクロスは大学生になってから始める選手が多いそうです。

そういう意味では、これからスポーツを始めるという子供たちと共通するものがあると思います。

子供たちや、そういう選手たちに対して、どういうアプローチをしてあげることが、ケガなく楽しくスポーツを続けてもらえるのか、私が考えなければならないことは、どうやらそちらの方向性が求められるようになってきたようです。

もちろん今までやってきたことがベースになりますし、そういう仕事もしたいと思いますが、私の後ろを追いかけてくれる人たちのためにも、私自身がもっともっと勉強して自分ならこうやって指導するというレベルまで準備する必要まで感じ始めました。

生来働き者ではないのに、またまた自分に余計なプレッシャーをかけることになりそうです、考えなければなんということもなかったのに、またまた余計なことを考え始めてしまいました。

このテーマを私自身がしっかり追いかけて、自分なりに満足できるものを見つけなければ、それぞれの競技の世界の超一流選手と方を並べるような日本人選手は、そう簡単には生まれてこないと思います。

まずは色々な競技を見ることから始めようと思います、できれば生で。

サッカーをやっている子供たちは、日本だけではなく海外の選手のことも良く知っていますが、野球をやっている子供たちはテレビを見る時間もないのでしょうか、日本のプロ野球の選手のこともほとんど知らない子供がいます、目標が違うといえばそれまでですが、野球界が発展していくためには、そういう部分の意識改革も必要ではないでしょうか。

まずは見ることです、良いところ悪いところを見分ける目を持つことです。

大人にできることは、子供たちに色々な世界を見せてあげることです。


遅まきながら、私自身これから視野を広げていこうと思います。

原理原則から個への回帰

今週末には深める会を行います。

西本塾の参加者も多様化し、さらに受講条件を少し厳しくしたため、参加者の姿勢も回を重ねるごとに真剣さが増しています。

そんな中で深める会に参加しようという方々は、当初の想定をはるかに超え、私自身相当な覚悟で臨まなければ、せっかく集まっていただく皆さんに申し訳ないことになってしまいそうです。

こうして西本理論という言い方で、私の経験をまとめているのですが、その経験という部分を自分なりに考えてみると、故郷で開業し、中高校生また一般のスポーツ愛好家の方々から始まって、サッカー、野球、陸上、競輪、ゴルフ、バスケ、バレーなどなど、様々な競技の選手に関わってきました。

その選手たちを相手に、痛みを取るための施術行為から、動きの改善を目指すトレーニングまで、自分のできる範囲を超えて対応してきたと思います。

そして得た一つの結論が、「体作りから動き作りへ」という意識改革につながり、さらには種目や老若男女に関係なく、人として与えられたというか、持って生まれた能力を存分に発揮できる状態にしておくことこそが、トレーニングの目的であると確信するに至りました。

この表現も具体性を欠くというか、抽象的な表現ではありますが、様々なスポーツ選手に関わり、またそれぞれの種目の超一流選手の動きを私なりに分析して行く中で感じた最大公約数的な体の使い方は、すべて共通しているという結論を得ました。

その共通点というか重なる部分があまりにも多いため、私はどんな種目の選手であっても、良い方向へ導いて行ける自信というか確信ができてきました。

ただそれぞれの種目を専門的に行っている選手や指導者にとっては、原理原則は理解できた、動き作りのトレーニングの重要性も理解できた、それでも自分の行っていることに対してもっと具体的なアドバイスというか、指導をしてもらえないのかという要求が出るのも当然のことだと思います。

それはスポーツを行っている人に限らず、人の体を相手に仕事をしているセラピストにも言えることでしょう。

それこそ個別の要求には限りがありませんから。

人間の体はみんな同じなのだから、サッカーはこうで野球はこう、陸上競技ではこう使うなどという違いがあってはおかしいと、これが真理だ根っこを掘り起こせ、では逆に惑わすことになっているのでは、とも思うようになりました。

私こそ、この最大公約数にたどり着くまでは、個別の問題にそれこそ必死に取り組んで結果を求めてきました。

その過程をとばして、いくらこれが真理です、原理原則に従えば自ずと答えはわかるはずですと言われても、そこで大きくうなづける人が何人いるのでしょう。

深める会に二回三回と足を運んでくれる人たちに、根っこの掘り起こし方を指導し、その過程での苦労話を聞いているだけでは、さすがに申し訳ないと思うようになりました。

私が歩んできた道を、後ろから猛ダッシュで追いかけようという人たちですから、その場その場で必要な経験談や工夫してきたことを、今の状況に重ね合わせて話をしてあげることができなければ、深める会に参加していただく甲斐がないというものです。

個々から集めた最大公約数から、もう一度個に戻る作業が私自身に必要になってきました。

因果なものです、個を集めどんなことにも対応できる準備が整ってきたと思ったこの時期に、またみなさんの個に対応するために、意識を戻していかなければならないと。

これはけっして後退ではありません、一職人として作り上げてきたものを、学びたいと言ってくれる人が出てきたのですから、自分にとっては復習のつもりで学び直しをすればいいのですから。

これまで全く縁のなかった車椅子陸上やラクロスという競技の関係者ともご縁ができました。

人間の体は全て同じと言えない人たちを相手にしたり、全く未経験の競技を指導するための方策だったり、未経験のことほどワクワクするものはありません。

個を積み上げ、その中から得られた最大公約数である西本理論を、改めて個に還元して行く作業、受講してくださる皆さんと一緒に、さらに私自身を深める会にして行きたいと思います。

話題変わって、Newspicksの連載が「からだほわっと」の説明に移り、当然のように言葉では分からないから動画を要求するコメントがあり、編集担当からも、その要求に応えて欲しいと打診がありました。

このブログは何度も書いてきましたが、私が話しておきたいことを書く場であって、特定の誰かに向かって何かを指導する場ではありません。

時々そういう口調になってしまうことがあって、イラストや写真また動画といった、もっと分かりやすくする工夫を求められたりしますが、まったくそれにはお応えしていません。

Newspicksは原稿料をいただいて仕事として記事を書いていますので、本来ならばそういう要求にお応えしなければならないのかもしれませんが、こちらでここまで頑なに拒否しておいて、さらには西本塾でも撮影そのものをお断りしている中で、やはりそれを認めることはできないと、今朝お断りをしました。

何人かの塾生に相談しましたが、「私の理論や実技は直接私の体を通して学ぶものであって、動画を見て真似をして分かったような顔をして自分の引き出しに加えようとか言うことは違うと思う」という趣旨の意見に、改めて自分のやっていることの意味を問い直しました。

確かに一般の方々の健康指南書として、役に立ててもらうためには必要なツールかもしれませんが、なぜどうしてという一番大切な部分に目を向けさせることなく 、形だけを真似ても意味がないと言っている張本人が、「それをやっちゃあお終いよ」 と言うことですね。

直接私の手の届かない人たちのために、私と同じ思いを共有する仲間を作る活動はまだ始まったばかり、組織を作り徒党を組んでという気持ちではなく、私から本気で学ぼうという気持ちを持ってくれた人に、私の本気が届いた時、世の中に少しづつ広まって、誰かのためにという私の思いがたくさんの人に届けられると信じて、今の活動を続けて行きたいと思います。

操体法のこと

私は今年の8月で57歳になります。

昨日NHKの番組で瀬戸内寂聴さんの元気な姿を拝見しましたが、1年近く寝たきり状態が続いて、こんな形で生きているくらいなら死んだほうがいいとまで思われたそうです。

今日で93歳になられるそうですが、こういう方の生き様に接すると、たかだかその半分くらいの年月しか生きていない私の、これまでの経験や今の時点で考えていることなど、ほんの通過点にしか過ぎないことを痛感させられました。

今となっては恥ずかしい話ですが、つい最近まで私は誰に対してもこう言い放っていました、「50数年の人生ではあるけれど、他の誰にも経験できない様々なことを、良いことも悪いことも含めてたくさん経験させてもらってきた、もういつ何が起こっても人生にやり残したことはない」と。

その時々の環境の中で、自分にできる精一杯のことをやってきたつもりです、それに対してどんな評価をされようと何も恥じるところもないし、慢心することもありません、自己満足と言われればそれまでですが、やることはやったという気持ちだけは常に感じることができていました。

最近少しづつではありますが、自分の中に小さな変化を感じています。

自己満足で終わってもいいと思っていたことを評価してくださる方が、意外にも多くいたことに気づかせてもらったからです。

ここ数年の環境の変化は、これまでの人生の中でも大きなものであることは間違いないのですが、これまではこういう事態に陥った時に、いくらプラス思考に捉えようとしても、現実に押し潰されてそれどころではなかったように思います。

しかし、振り返るとその時々に、なぜか私を支えてくれる人が現れてくれるのです。

もちろん家族の支えは一番ですが、思い出してみるだけでもたくさんの方々から、どうしてここまで親身になって私ごときのために力を与えてくれるのだろうと思うほど、古い言い方ですが、足を向けて寝られない方が私にはたくさんいます。

今もそうです、私の考え方を理解して真剣に学ぼうとしてくれる方や、私の知識や技術を信頼して体を預けてくれる人がたくさんいます。

今この瞬間にも、どこかでだれかが私を必要としてくれていることを、何の疑いもなく素直に思い描くことができるのです。

毎日ここを訪れる人がたくさんいるわけではありませんし、経済的に潤っているわけでもありません。

だからこそいざという時、いつでも対応できるというか断らなくても済むことで、信頼に応えることができています。

人間が生まれてきて良かったと感じられる一番の瞬間、自分の存在価値を確認できるのは、自分のことを信頼し必要としてくれている人がいると思える時ではないでしょうか。

自己満足ではなく、そういう気持ちがもてるようになってきました。

だからこの気持ちのままで、一人でも多くの方との信頼関係を築けるように、努力したいと思うようにもなりました。

目には見えませんが、たくさんの糸でたくさんの人と繋がっている、そう思っています。

Newspicksの連載もその一つです。

「アスリート解体新書」というタイトルで、様々な競技の一流選手の動きを私なりの視点で分析したことを言葉にすることから始まりましたが、今連載されているのは一般の方向けに、健康指南書としての内容を書いて欲しいという要求に対して書いた二冊の本が、木崎さんの構成編集を経て記事になっています。

一般の方向けに私がやってきたことといえば、まさに「操体法」を学び、その理論と実践を通して、体の不調に対応してきたことでした。

会社員を辞め本業にして3年目にプロスポーツの世界に身を投じたため、いわゆる施術だけを業としてきたわけではありません。

そのために、もしかしたら施術を業としている方々や、そう言う方々から施術を受けるみなさんの持っている既成概念や常識と、私の考えていることは少し違っているかもしれません。

まず施術を受けに行く方の目的は、体が感じる痛みを軽減したい、機能的に不具合が起きている部分を動くようにして欲しい、またたんに施術を受けることで肉体的心理的な安らぎを求めたいと、大きくこの三つに分けられるのではないでしょうか。

残念ながら痛みと動きの改善に関しては、それほど大きな期待を持って施設を訪れてはいないと思います。

どちらかというと三つ目の要素が強いのではないでしょうか。

私がやってきたことは前者を目的とした手技であり施術です、それもまったく道具を使わないやり方です、それが操体法でした。

どんな目的で来ていただいても、それにお応えするために全力を尽くすことが求められるのは当然ですが、ただ施術を受けると気持ちがいいからという理由で来ていただく方には、申し訳有りませんが、「よし私の力で」とは思えないのです。

どこに行っても良くならない、私ならなんとかしてくれるかもしれない、そんな藁をも掴むような気持ちでやって来る相手に対しては、自分でも驚くような結果を出すことができるのですが、自分でなくてもと、こちらが勝手に思ってしまうような場合は、それなりの対応になってしまいます。

それなりというといい加減に聞こえてしまいそうですが、目的に合わせてきちんと対応していることはもちろんのことです。

9年間も一緒に戦ったプロ野球選手の場合、戦列を離れるような大きな故障は、バント処理をあやまって左肩を脱臼した時と、疲労性の腰痛で本人が本来の力を発揮できないと申し出た時の二回だけだったと思います。

そこには日常の操体法による施術が大きく貢献していたことは間違いないのですが、細かい話などしていませんので、彼はいまだに操体法の本当の意味での効果や凄さに気づいていないと思います。

毎日のように触る私から見れば、体の状態はほとんど把握できていますので、いちいち確認しなくても、こちらで勝手に整えておくことはできました。

そう言う意味で、今とくに痛みがあるわけではないけれど、とにかく良い状態を維持して欲しいという目的で定期的に訪れている方がありますが、そう言う方々は、私がいない期間やここを訪れる間隔が空いたときに、なんらかの不調を感じたことで、あまり好きな言葉でではありませんが、「体に関しては私に任せておけば安心だ」と思ってくださっているようです。

何度かひどい腰痛に悩まされ、その時々にジタバタした経験を持っているその方は、「ああいう風になって仕事に支障をきたすことにならないように、保険のつもりで通っているんだよ」と、笑って話をしてくれました。

そういう要求に対してもきちんと応えられるのも操体法の良いところですし、動けないくらいの状態で来れれた方にも対応できるのも操体法です。

操体法の創始者である橋本敬三先生は、この人間に仕組まれたカラクリを解明し、対処の仕方を体系的にまとめられた時、当時の日本医師会会長の武見太郎氏に、手紙を送り続けたそうです。

現在の国の予算に対する医療費の割合の増加をすでに予想しておられ、病気にならないための方策として、操体法は優れた効果があるということを力説しておられたようです。

場所もとらず道具もいらない、体に仕組まれたカラクリを知り、その使い方を工夫することで、予防効果はもちろん健康増進や、多少の不定愁訴なら自分で治すこともできる、そんな素晴らしいやり方を日本全国に広めることが医師としてやるべきことであるという主張をされたのだと思います。

医師会からまったく反応がないことで、自分だけでもやれることをやろうと、地元仙台では保健師さんを中心に草の根的に操体法が広がったと伺っていますが、病気の方が少なくなれば医師の仕事が減るのだからという意味で、もし医師会が反応しなかったとしたら、とても寂しいことですね。

今私は西本塾や深める会で、操体法に関する内容も指導しています。

しかしその内容はあくまでも施術者目線になってしまいがちで、本来橋本先生が普及させたかった、一般の方がいつでもどこでも取り組める、自己管理であり健康法としての操体法ではないように思います。

渡辺先生がカルチャーセンターで行っていた操体法教室は、まさにそういうものだったのではと想像しています。

私はいろいろなことをやりすぎてしまって、逆にいえばどんなことにも対応できるつもりではありますが、今、一般の方の健康教室的な内容で人を集めてという気持ちはありません。

一般の方に操体法を応用した健康法をお伝えするという意味では、Newspicksの連載がその役割を果たしてくれればと思っています。

自分の体と対話するという、意味不明な言葉を多用していますが、操体法ほど自分の体の状態を把握するのに適したものはないと思います。

体中の関節が連動する様子を自分で確認することができるということは、いい状態も少しおかしいなという状態も自分で気付くことができるのです。

そしてそれらを自分で改善することにもつながりますし、どの程度になればもう大丈夫とか、回復の度合いも自分でわかります。

色々なことをやってきて、これからも色々なことをやり続けるのでしょうが、操体法というものと出会わなければ、そして渡辺先生と出会わなければ、今の私は絶対に存在していません。

そのご恩に報いるためには、一番の基本である、自分の体は自分で整えるという操体法の基本理念をもっと世の中に広める活動も、やらなければならないことだと思います。

私にしかできない、私を信頼し頼ってくれる人を相手にしていることは、やり甲斐もあり充実感もあり、達成感もあり、何よりストレスがありません。

それでも、どなたかの紹介で、私の事などよく知らないでここを訪れた方にもきちんと対応し喜んでいただけるよう、心穏やかに笑顔で接する事ができるように、私自身の心と体を整えておかなければなりません。

からだと向き合うために

Newspicksの連載記事、読んでいただいているでしょうか。

私が一般の方向けに健康法的なものを書かせていただいたのは、もう12年も前のことです。

万人に叶う健康法など存在するはずも無く、すぐに得られる効果を求めて世に現れては消えていく、各種の健康法やトレーニング方法に一喜一憂している現状に、そんなことを発信している側の一員にはなりたくないという思いの私でしたが、その時点での自分の考えを文章にしてみてはという誘いに、ならばと重い腰を上げたのでした。

その当時は今とはまったく考え方が違っていて、自分のやっていることが第三者に理解できるはずがない、だから教えるという発想はありませんでした。

それが今、色々なことを経験している中で、今のような活動を行うようになってきました。

このブログやツイッターをはじめ、Newspicksやnumberwebなど、ネットを介して私の考えていることを発信させていただいたりもしています。

それでも、それらを読んでいただいた方に、私の思いや実際の方法論が正しく伝わるとは思っていません。

西本塾に参加してくださる方や、直接指導を受けに来ていただく方には、それなりの指導はできますが、そうでない方には現実的には不可能だと思います。

それでもこの考え方や実践方法を、少しでも多くの方に知っていただきたい、広めなければならないと言ってくれる人が現れてくれたことで、私の考え方も少しずつ変化してきました。

言葉や文字で伝えることが難しいことは百も承知で、その無理難題に挑戦せよと、スポーツライターであり、現在Newspicksのスポーツ担当でもある「木崎伸也」さんが、私という人間を知ってもらうために、皆さんお忙しい中、出版社の方に直接お会いする機会を作って頂きました。

その中から二つの方向性が生まれ、ひとつは操体法の施術の中に取り入れている足指もみと呼ばれている操法にテーマを絞った内容のものを書いてみてはと言っていただいた出版社がありました。

この足指もみという言い方は、操体法を学んだ方々には一般的なのですが、私が指導する立場になった時、文字や言葉の響きが、実際に行うにしても受けていただくにしても少し違うなという感覚があり、あえて「からだほわっと」という呼び方を使っています。

残念ながら直接お会いする事ができなかった橋本敬三先生も、直接指導していただいた渡辺栄三先生も、「好きなようにやっていいよ」と、笑ってお許しいただけると思っています。

実際に何人かの方に体験していただいたのですが、これを体験した方々の感想というか驚きは、30年近く日常的に行っている私には想像以上のインパクトがあるようでした。

もちろん他の話もしましたが、この感覚をなんとか文字で伝えることはできないかと編集者としての感性が働き出すようでした。

もう一つの出版社では、この足指もみを体験して、体が揺れるということに何か大きな意味があると感じていただいたようで、この揺れるという感覚と健康法を結び付けられないかという話になりました。

どちらも詰まるところ同じことを私は言っているわけで、からだほわっとだけで一冊の本を書けと言われても、揺れるということだけにテーマを絞ってと言われても、どちらも結局同じことを書かなければなら無くなることはわかっていましたが、せっかく時間をとっていただいて話を聞いていただいたのですから、要求に沿った内容の文章を書かなければと頑張ってみました。

私の中では一つのことを、なるべく重ならないように二冊の本を書き上げたのです。

どちらも少し不完全燃焼ではありましたし、これがそのまま本になったとしても中途半端で、一般の方が満足できる内容になるとは私自身思えませんでした。

どちらの原稿も陽の目を見ることなく、木崎さんの手元で眠ってしまう運命だと思っていました。

書いたものが出版という形で世に出ることはもちろん嬉しいことですが、私はいつも文章を書きながら、自分自身の頭の中の整理をしたり、今まであまり言葉にしてこなかったことが文字になっていく事も含めて、自分のためになっている気がして、とても楽しい時間だと感じることができています。

このブログもそうです、誰が読んでいるとかいないとかよりも、自分自身のために書いていると言ったほうが正しいのかもしれません。

そうやって書き上げた二冊分の原稿が、今Newspicksに連載という形で世に出ることになりました。

週に二回のペースでアップされていますが、もちろん原稿がそのまま記事になっているわけではありません。

一度に載せられる文字数や読み切りで役に立ててもらうという配慮もあるでしょうから、編集されることに異論はありませんし、すべては木崎さんにお任せしています。

それがこの月曜日にアップされた記事を見て驚きました。

一冊の本が連載されて行くものだとばかり思っていたら、いきなり内容がもう一冊の話に変わってしまったのです。

最初は正直「なんで」と思いましたが、よくよく考えてみると、もともと一つだった話を無理やり二つに分けたのだから、それをうまく合体させることができれば、そのほうが自然で、むしろそうでなければおかしい事だったのです

急な方向転換で事前に聞いていなかったのですが、そう判断した木崎さんは、二冊の原稿をしっかり読み込んでくれたからこそ、こういう判断をされたのだと思いました、有難いことです。

私にはそういう発想がありませんでしたので、こういう判断をしてうまくつなげていける木崎さんの編集力は流石だと思いました。

改めて原稿を読み直し、これからどう展開されて行くのか、私自身がワクワクするような気持ちで、アップされる記事を待つことになりそうです。

読んでいただく方にいろいろな感想があることには慣れてきましたが、少しづつ私の言いたいこと「からだとの対話」という事に目を向けてくれる人が増えてきたように思います。

過去にも十分に役に立てる内容の健康指南書は存在してきたと思います。

とくに操体法に関する本や、創始者である橋本敬三先生が参考にされたであろう野口整体や、その他日本にも独自の「からだ感」を持っていた先人は沢山おられたようです。

日本は戦後目覚ましい発展を遂げました、この数十年の変化は歴史上でもそうは見られない劇的な変化かもしれません。

効率や目に見える効果が優先され、深く物事を考える事が少なくなってしまったように思います。

そういう意味では先人たちの残した健康法は、からだという存在に対する哲学にも似たもので、効率優先の時代からは置き去りにされてきたかもしれません。

しかし、何年何十年いえ何百年という年月がすぎたとしても、人間という生物のからだはもうそれ程大きな変化はないと思います。

だからこそ、「どこをどうしたらどうなる」的な健康法に頼らず、じっくり自分のからだと向き合う事を行わなければ、本当の意味での健康などというものを目指せるわけはないと思うのです。

人間ももちろん地球上に生息する動物の一つです。

不老不死などあるはずがありませんし、幾つになっても痛いところ一つなく生命を全うするなどという人もほとんどいないと思います。

受け入れるべきは受け入れる、普段の生活で備えができるところはしっかり備えながら、老いていく体と向き合っていかなければなりません。

私が書いた二冊の本が一つになる事で、少しでも健康指南書としての役割を果たせる事ができるならば、これはこれで嬉しい事です。

どんなに声を大にしても、人任せな人には届かないかもしれません。

それでも一人でも多くの人が自分の体と真剣に向き合うきっかけになってくれたらと思っています。

前作と同じで、もう私の手を離れてしまった感がありますが、これからどう育てていただけるのか楽しみにしています。

自信を持って復帰するためには

今日は慢性的な疾患や急性的な疾患、いわゆるケガをした後の回復期に行うトレーニングについて書きます。

私がスポーツ選手に対して行うのは、あくまでも競技復帰を目指したトレーニングということになりますが、リハビリテーションという言葉にも定義があり、それぞれの団体というか組織によって微妙に違う表現となっています。

それでも共通しているのは、リハビリテーションの対象者が障害者であるということです。

《国際障害者世界行動計画による定義》(Wikipediaより抜粋)

リハビリテーションとは、身体的、精神的、かつまた社会的に最も適した機能水準の達成を可能とすることによって、各個人がみずからの人生を変革していくための手段を提供していくことをめざし、かつ時間を限定したプロセスである。

と書かれていますし、WHOの定義にも同じようなことが書かれています。

こちらも抜粋ですが、

日本では、リハビリテーションは病気や外傷が原因で心・身の機能と構造の障害と生活上の支障が生じたときに、個人とその人が生活する環境を対象に、多数専門職種が連携して問題の解決を支援する総合的アプローチの総体をいう。医療とその関係分野の専門職が行うリハビリテーションを医学的リハビリテーションと呼ぶが、教育分野、職業分野、社会福祉分野で行われるアプローチも医学的リハビリテーション以上に重要である。

とも書かれています。

なぜこうした文章を引用したかというと、私たちがやらなければならないスポーツ選手に対するリハビリトレーニングが、本当にその目的に照らして正しいものであるかを、もう一度考えるきっかけにしたいからです。

『各個人がみずからの人生を変革していくための手段を提供していくことをめざし、かつ時間を限定したプロセスである』

この言葉には相当な重みがあると思います。

スポーツ選手にとって故障からの復帰が出来なければ、またそのトレーニングの結果が満足できるものでなければ、それはそのまま選手生命の終わりを意味します。


置かれた立場にもよりますが、限られた時間の中で復帰を目指さなければならないことの方が多いと思います。

これは一般の方が日常生活レベルへの回復を目指すリハビリとの大きな違いです。

『リハビリトレーニングによって人生を変革していく』、このこともある意味スポーツ選手にとって一番大きな目標ではないでしょうか。

ケガをする以前の状態に戻す、これが最終目的では、人生を変革するなどという大きなことにはなりません。

私が過去そして現在もその状況にいる選手にかける言葉は同じです、『ケガする前より逞しく』、これを合言葉にトレーニングに臨みます。

逞しくという言葉は、肉体的な大きさや強さをイメージされがちですが、これまで競技者として当たり前のように繰り返してきたトレーニングでは足りなかった部分に意識を向けさせ、新たな能力を獲得できる、またとないチャンスを得たと思えば、ケガをしたことをマイナスなことに捉える必要もないとまで思わせることだってできるはずです。

選手はそれぞれの競技を、かなり年少の時期から行っている場合が多く、競技そのものの技術の習得には熱心でも、総合的な体の仕組みに対する学習や意識そのものは、プロという立場になっていたとしても不足している場合がほとんどです。

トレーニングに至っては、正直これではと言わざるを得ないような内容のことを継続してきた選手も多いように思います。

そうした中で不幸にもケガをしてしまった今こそ、体に対する意識を変え、新たなことに取り組むチャンスだと思います。

ところが各種の定義にもあるように、総合的なアプローチが必要なはずなのに、ましてやトップレベルの競技者として、目標とするところが高いにも関わらず、スポーツ選手のリハビリが一番画一的な数値目標を達成するためのトレーニングに終始しているような気がします。

以前にアキレス腱断裂の重傷を負い長い期間をかけてリハビリを行った選手の例ですが、現実的にはリハビリというイメージから、はっきりと復帰を目指した実戦的なトレーニングを行っているにもかかわらず、なかなか全体練習に合流させてもらえないということがありました。

私としては、あらん限りの知恵を絞りこれでもかというくらい細かい段階を設定して、一歩づつ確実に消化させ、絶対という言葉はないにしても、これ以上はないというくらいの準備をしているつもりでした。

にもかかわらず当時の監督は、ケガをした患側と健側の筋出力の比率が、自分の求める数値にならないと復帰させないというのです。

それこそスポーツ医学の常識で言えば、それを目安にすることこそがセオリーで、そこに達していなければあくまでも不完全な状態だという判断になるのでしょう。

しかし、ほぼ毎日一緒にトレーニングをやっている立場としては、患側の足首の筋力は背屈も底屈の数値も、プレーしている他のチームメートの数値を大きく上回るレベルに達していたのです。

健側に至っては、群を抜くものすごい数値にまでなっていたのです。

彼は元々筋力の強い選手で、患側はもちろん健側のトレーニングも、誰よりも多くこなしていたのですから、いくら患側の数値が上がっても健側に追いつくことはできなかったのです。

業を煮やした私は、数値にこだわる監督に対して、「では健側を一月くらいギブスで固定して、左右差を無くしてみましょうか」と言い放ちました。

なぜそこまで自信を持てたのか、それはリハビリや復帰を目標としたトレーニングの過程を、これでもかというくらい細かく設定し、本人の肉体的精神的不安の両面にわたって、もう大丈夫だと確信させるまでやり尽くしていたからです。

とくにこの選手は神経質なところがあり、例えば一緒に走っていて「どうだい」と声をかけると、きまってネガティヴな言葉が返ってくるタイプでした。

逆に、無理をさせているつもりはありませんが、少し落としてくれと声をかけても「大丈夫です」としか言わない選手もいました。

そういう個人的な人間性まで含めてトレーニングは進めていかなければなりません。

分業制という綺麗事で、ここまではこの人が、ここから先は別の人が、今日はこの人が担当で明日はまた別の人、そんなことが当然のように行われていると、今関わっている選手の口から聞きました。

私にはそんなやり方はできません、選手の表情や息遣いを感じながらでなければ安心してトレーニングを行わせることはできないからです。

話が変わりますが、例えばベンチプレスというトレーニングを行わせる時、各自が記録したノートを見て、こいつは100キロを7回と書いてある、こいつは100キロを5回と書いてある、その事実だけを見てトレーニングの強度や効果を判断することは不可能だと思います。

どんな体の動きで、どんな意識でそれを行ったのか、最も大事なのはそこですから。

ですからとくに故障明けの選手に対しては最新の注意が必要で、段階ごとにだれかに任すなどということは私には考えられません。

選手からは、こんなになんでも自分でやるトレーナーは見たことがないと言われますが、選手にどちらが良いかと聞けば、「もちろん全てを任せられる人に診てもらいたいです」という答えが返ってきます。

分業化され立場上担当ではないから、自分の専門外だから、言い訳をすればいくらでもあるでしょう。

現実やりたくてもできない環境の方が多いかもしれません。

その中で私は試行錯誤しながら、選手にとって一番良い方法を模索してきました。

やったことがないとか自分の担当ではない、などといっている場合ではありませんでしたから。

今大リーグで活躍する日本人選手たちの故障と、その後の回復状況が問題となっています。

以前から肩や肘の手術をアメリカで行う選手が多かったのですが、それはたんに手術の技術が日本の医師よりもアメリカの医師の方が優れているというよりも、術後のケアやリハビリの環境を含めた医療体制がアメリカの方が優れていることが一番の要因ではないでしょうか。

日本の場合は保険医療制度の中で、いくらプロのスポーツ選手だからといって、医療機関の中でリハビリを担当するPTを独占的につけるというわけにはいなないでしょうから。

日本には、スポーツ選手に特化した専門の施設はまだまだ少ないのが現実です。

そのアメリカで手術を受けたにもかかわらず、再発の不安に怯えながらプレーを行う選手も多くいます。

これはある意味仕方のないことで、手術はロボットの部品交換ではありませんから、完全に元に戻るということはあり得ないのです。

だからこそ私は元に戻るためのトレーニングではなく、今まで使えていなかった能力を呼び起こし、持って生まれた能力をフルに発揮できるようにすることこそが、トレーニングの目的だと考えています。

現実30歳を過ぎた選手でも、私の提唱する屈筋を使わない走り方や体の使い方を知って、自らの新しい可能性を感じてくれています。

画像や数値の改善が治癒や復帰への唯一の判断材料ではありません。

体というものは経験した痛みに対する不安が当然のように残ります。

これがあるから同じ失敗を繰り返さずに済むのです。

ただあまりにもそれが残りすぎると、できるはずの動きもできなくなってしまいます。

いくら正しい段階を踏んで、自信を持って復帰してきたとしても、私の言い方ですが、体のどこかが「根に持っている」限り、本当の意味での完全復帰ではないということです。

これこそ言葉にするのが難しいですが、動きの再学習というか、これまで当たり前だと思ってきたことを、一つ一つ整理しながら、「これも出来たね、これも大丈夫だよね」と、体に語りかける作業を続けるのです。

少しでも体が不安を感じたら、その段階の間に更に細かい段階を追加して、「これならどうだい」と、あくまでも体の感覚を優先させて進めていくと、急がば回れではありませんが、遠回りのようで最短距離を走れる可能性が膨らむことは何度も経験してきました。

それもこれも選手との人間関係、そして与えられる環境が許してくれなければ何もできないことも承知しています。

今の環境では、完全に管理下におくことはできず、グランドレベルのトレーニングを直接指導することができません、これまでの経験を生かし、できるだけ細かい指示を与えて、本人の不安を少なくしながら進めてもらうしかありません。

痛みは嫌われ者ですが、無くてはならないものです。

ですがいつまでも怖がっていては、元の環境に戻ることはできません。

根に持つことで守ってくれる体に、なんとか納得してもらって「もういいぞ頑張れ!」と、背中を押してもらえるようにするために、もっともっと真剣に取り組まなければならないと思います。

故障を繰り返す選手たち、本当にそのやり方で体は納得してくれたのか、だれかのせいにするのでは無く、自分自身で勉強し、本来の目的を求めていかなければ、そんなこと知らなかったでは寂しすぎると思います、また同じことを繰り返すだけです。

そのカギとなるのは、やはり体を一つとして捉え、すべてをどうやって連動させていくか、その過程で滞るところ、連動を嫌がるところこそが、根に持っている元凶です。

ただそこが悪いのではなく、そこが嫌がらない動きのつなぎ方を工夫することが必要になります。

そうやってまずは自分の体を自分の思ったように動かすことが出来てはじめて、歩く走るという行為に進み、そこから自分の行きたい方向に移動する動きがあって、さらにもっともっと細かい段階を踏んでリハビリのトレーニングを進めていきます。

これはもうマニュアルなどというレベルの問題ではありません。

必ずデータを見せろだ、記録を残せだと言われますが、目の前にある体から一瞬たりとも目を離すことなく、一瞬一瞬に集中しなければ見えるものも見えなくなってしまいます、そうすること以外に私が出来る方法はありません。

誰に何と言われようと、この方法以外に真剣に体に向き合う方法を知らないのですから。

信頼してくれる人がいる限り、全力を傾けて誰かのために働く、それが私の仕事です。

効率的な走りはスピードに劣るのか

連休真っ最中、いかがお過ごしでしょうか。

昨日は、長女家族が呉市にある、呉ポートピアランド跡地にある、呉ポートピアパークという公園に遊びに行くと言うので、家内と二男の3人でそこに合流して、一日を過ごしました。

以前は遊具もあるテーマパークのようでしたが、利用者の激減で今の形になったそうですが、小さな子供連れには自由に遊べる大きなスペースは貴重な場所となっているようです。

昨日は呉市の主催でイベントが行われていましたが、ほとんどが高校生がボランティアとして活動していて、今時の高校生はなどと年寄ぶった言い方をすることもありますが、男子も女子もきびきびした態度と笑顔で小さな子供たちや我々にも接してくれて、本当に感心しました、みんな良い子たちでした。

初孫である長女の娘は4月から小学生となり、すっかり女の子らしくなりました、下の男の子は1歳になったばかり、自分の足で立って歩けるようになったので目が離せませんが、まさに可愛い盛りです。

そんな孫たちを見ているだけで幸せな気分になるのは、年齢を重ねてきた証拠なんでしょうね。

そのあと近くの温泉施設に行って体を休め、1時間以上待たされましたが焼肉屋さんで食事と、予定外の出費となりましたが、滅多にないことなので大盤振る舞いというほどでもないですが、長女にとっても日頃のストレス解消にもなって、楽しい一日となってくれたと思います。

さて、最近このブログにコメントを送っていただく方が増えてきました。

西本塾生や個別指導を受けてくれた、すでに私と面識のある方や、このブログの読者としての感想や意見を書いてくれる方もあります。

面識があるなしに関わらず、私の考えていることをすべて理解してもらえるとは思っていません、だから多少ピントが外れたことを言われても、取り立てて腹を立てることもありません。

西本塾に参加していただく方には、このブログをコメントを含めて熟読していることを、参加の条件としていますが、たまたまこのブログを読んだという方には、私が言わんとしていることなど理解以前の問題だと思います。

そんな中、少し気になっていることがあります。

「西本理論」として多くの方に伝えようとしている体に対する根本的なアプローチの仕方として、「体作りから動きづくりへ」という、発想の転換や意識改革を柱として、私の理論は展開されていきます。

そのこと自体は、少しずつではありますが、頷いていただける方も増えてきているように思います。

さらにサッカーという競技において、「90分間走り続ける能力から、90分間動き続ける能力」の獲得が、トレーニングの目指すべき方向であるという考え方にも、ある意味誤解を受けそうな言い方なのですが、きちんと説明をして真意を分かっていただければ、ほとんどの方が「なるほどそういうことか」と、賛同していただけるようにもなりました。

それがまだまだ、フィジカルという言葉の固定概念の壁が高く、一生懸命頑張って速いスピードでどれだけ長い距離や時間、回数を走れることが、フィジカルの能力が優れているということの指標であり、その能力を高めることこそが選手として求められる能力として、選手や指導者そして見ている側にも、当然のことのように受け止められてしまっています。

私がなぜ「動き続ける」という言葉を使い、そのための方策を模索してきたか、それは単純に90分間走り続けることなど人間には不可能だということが分かっているからです。

このことはどんな立場の方も分かっているはずです。

マラソン選手のように、一定の距離を一定のスピードで走る能力を要求されているわけではありませんし、短距離選手のようなスプリント力があっても、それを90分間続けることが出来ないことは、誰がどう考えても不可能なのです。

ならばなぜこれまでできないと分かっていることを求め続けてきたのでしょうか。

他に求めるべき方向性を誰も考えようとしてこなかっただけではないでしょうか。

とくにサッカーは個人競技ではありませんから、自分一人だけがそういう能力に長けていたとしても、他の選手との連携が取れなければ能力を生かししきれませんし、相手チーム選手との相対的な能力差の問題もあるでしょう。

今流行のデータ分析で、総走行距離やスプリント回数も示されますが、それとて相手の動きによって大きく左右される数字ですし、それだけが判断の材料にならないことは当然のことです。

私が動き続ける能力の獲得方法として最も重視している、走るという行為における体の使い方、平たく言えば「走り方」ですが、実際に指導すると、「こんなに何度も走っているのに疲れない」という感想が多く聞かれます。

そういう感想を読んだ方は、いかにも楽そうで本気で走っていないのだろうという感想を持つと思います。

走るという行為は、100人いれば100人の方がしんどい疲れる、出来ればやりたくないというイメージを持つと思います。

それはなぜなのでしょうか。

これも西本理論の根幹である、屈筋ではなく伸筋重視の体の使い方ということを座学と実技で体験していなければ、理解しようのない話です。

とにかく歯を食いしばり眉間にしわを寄せ、一点を見つめて集中してなど、間違ってもへらへらしながらスポーツをするなどもってのほかで、頑張ることが単純に力が出せる能力が発揮できる、そういう教育というか指導というか、既成概念を子供の頃からずっと植え付けられてしまっているからです。

「力むことはなぜダメなのか」という記事も書きましたが、それでもここ一番はやはり屈筋に登場を願って、あらんかぎりの力を振り絞ることこそが、正しい筋力の発揮方法だと思っている人がほとんどなのです。

私が提唱する走り方など、直接プレーに関係ない場所での移動手段であって、いざという時にはと思われているのでしょうね。

それはやはりスピードの問題ではないでしょうか。

体にとって負担が少なく、ということは故障もしにくいし疲労も少ない、そんな走り方でスピードなど出るはずがない、現実の実技として指導する場合にも、最初はそんな雰囲気があるのは感じています。

しかし、股関節を縦に使い、大腿骨頭がクランク状に動くという感覚がつかめ、背骨を介して股関節を肩甲骨の連動が滑らかに早く動かせるようになってくると、その走るスピードは、これまで太腿の前側の筋肉を股関節を屈曲させるために、屈筋として使って膝や太腿を前に引き上げ、地面を蹴って膝から下を巻き上げるために、ふくらはぎや太ももの裏側の筋肉を屈筋として使う、従来の力に頼った走り方と比べて、スピードにおいてまったく劣ることはないのです。

カマタマーレ讃岐に指導に行った一日目の午後、同じ疑問を持った二人の選手を30メートルくらいの距離で、午前中に指導した走り方と従前の走り方で、行きかえり走り方を変えて競争してもらいましたが、ほぼ同着か私の指導した走り方の方が速いくらいでした。

さらに帰りに新しい走りを行った選手は、ゴールした後、普通に私と会話が出来るのに、従前の走りで帰った方はしばらく息が上がって回復するのに少し時間がかかってしまったのです。

二人はすぐにこの事実を理解し、練習すればもっと速く走れそうですと手ごたえを感じてくれました。

そういうことなのです、今までの常識に縛られて、歯を食いしばって負けてたまるかと頑張って走っても、スピードでも体に対する負担でも回復力でも、何一つ良いことはないのです、このことは間違いありません。

「そんなバカな、そんなうまい話があるわけがない、あなたはすべてわかったようなことを言うけれど現場に出て見ろ、そんな甘いもんじゃない」そんな感想がまた聞かれそうですが、毎回西本塾を手伝ってくれて、参加者の実技を撮影してくれている家内に言わせると、「勉強して挑戦してみることもなく、そんなことばかり言っている人に指導されている選手こそかわいそうだよね」、だそうです。

まさに仰る通りと、参加者の皆さんは思っていただけると思います。

もうだいぶ前ですが、協和発酵の野球部の指導に行っている時、ブルペンで投球練習をしていた投手が、まさに屈筋ではなく伸筋を連動させた滑らかなフォームから投じられたボールが、糸を引くようにキャッチャーミットに吸い込まれていきました。

キャッチャーはもちろん、一緒に見ていたピッチングコーチも、「それだ、今の感じ最高」と声を上げました。

投げていた本人からは、「今のボール、自分で投げたような気がしません。一連の動作の中で気付いたら指先からボールがスーッと離れ、まったく力を入れた気もしないし、経験したことがないような感触でした」、と言うのです。

それを続けて感覚を覚えるんだぞと声をかけましたが、次に投じられたボールはそれまでと同じ、たいしたことのないボールに戻っていました。

それは本人の気持ちの中に、「さっきくらい軽い感じで投げても、あんなに良いボールが投げられるんだったら、もう少し力を入れたらもっとすごいボールが投げられるかもしれない」という、悲しいかな既成概念の中でも発想が頭をもたげてしまったのです。

これは本人にその気がなくても、心のどこかに屈筋主体で体を動かしてきたという、体に染み込んだ習性がそうさせてしまうのです。

どんなにそのことを説明しても、指導に行くのは1週間に一度で、最初からの約束で、1年にも満たない期間の指導で、彼にばかりついているわけにはいきませんから、同じ感覚で投げられたボールを見ることは出来ませんでした。

ことほど我々人間は緊急避難の筋肉である、関節を曲げる屈筋を主体に動くことが「力」というものを発揮するための必要条件だと思い込んでいます。

だから速く走るためには、強い筋力を必要とする、そのためにトレーニングするのは屈筋、そして持久力がないのは分かっているから、体を苛め抜き、どんな過酷な条件でも、その筋力が発揮できるような準備をする、まさに体にとって拷問のようなことが平然と繰り返され、これがフィジカルトレーニングだと信じて疑わないのです。

私がJリーグのチームにこの考え方を持ち込み、チームとして根付かせようとしましたが、期間が短すぎて残念ながらその動きを感じることは出来ません。

その後世界の超一流の選手たちの動き分析を依頼されて、何人かの選手たちの動きを追ってみましたが、まさに私の目標としている動きを体現してくれている選手ばかりでした。

ロナウド、ロッベン、イニエスタ、エジル、ネイマール、ミュラー、メッシなどなど、彼らの動きを見て、改めて私が考えていることを伝えていかなければならないと強く思いました。

Newspicksでも取り上げましたが、日本人の選手の中でFC東京の武藤選手は、体の使い方という意味で、90分間もっとも動き続けることが出来ている素晴らしい選手だと思います。

私の思い付きで言っていることではないのです、私が長い年月スポーツ選手の動きを見続け、そこから導き出された体の動きを自分の体に当てはめ動かしてみて、これだと思ったものだけを伝えて行こうとしているのです。

独自理論でも何でもありません、普通のことです。

個人として、自分からこの理論を求めてきてくれる選手たちには、しっかりと体の仕組みから動きづくり、そして何よりなぜこの理論が有効なのかということをしっかり説明して理解してもらってから指導しますので、形になっていくのも早いように思います。

それでも一朝一夕とはいきませんので、継続した取り組みが絶対条件ではありますが。

「ああ、それ聞いた、もう分かった、出来た」、そう思った瞬間に成長が止まるという意味が分かっていただけたでしょうか。

走り方だけを教えるのが西本塾ではありません、なぜそれが有効なのか、その部分を本気で追及してくれなければ、ダンスの振り付けを習いに来るのと同じで、形だけの物まねになるだけです。

西本塾生の中には、この走りを長距離走に応用してくれている人が多く、フルマラソンやハーフマラソンでの記録更新の報告がたくさん届きました。

私自身はまだまだ長距離走に取り組む気持ちがありませんので、今日のテーマであるスプリント力を磨いて、みなと公園での指導の際に、若い参加者と肩を並べて走れるスピードを身に付けていきたいと思います。

深める会、現在3名の方から申し込みが来ています。

色々な意味でさらに深く深く深めていきたいと思います。


プロフィール

Author:西本 直
1993年、Jリーグサンフレッチェ広島を皮切りに、社会人野球三菱重工広島・協和発酵・ヴィッセル神戸・川崎フロンターレ、そして広島カープ佐々岡真司投手など、プロアマ問わず競技レベルのスポーツ選手から一般の方まで、トレーニングやメンテナンスの指導を行ってきました。
その経験と知識の蓄積を「西本理論」としてまとめ、一人でも多くの方に実践していただくことが、これからの私の使命であると信じ、このブログから発信していきます。
私の理論はスポーツ選手のみを対象としたものではなく、ビジネスマンや家庭の主婦まで老若男女すべてに当てはまる不変のものです。
指導や講演のご依頼も受け付けています。
実名でツイッターも書いていますので、チェックしてみてください。
また、2013年9月9日にConditioning Studio 操をオープンしました。こちらもご覧ください。
また、遠隔地にお住まいの方を対象とした動き分析とアドバイスを始めました。
4月15・16日の二日間西本塾を、予定しています。
詳細は「スタジオ操」のホームページ内の講習会情報をご覧ください。

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