大いなる自己満足をモチベーションに (雑感)

「自己満足」、まさに私のためにある言葉かもしれません。

先日ある若い女優さんが、テレビ番組の収録中に、いわゆる裏方のスタッフさんたち、長いマイクを見えないように差し出している音声さんや、照明さんたちのことですが、自分の親のような年齢の方たちがやっていることが、彼女から見れば何が楽しくてやっているのだろうと、素朴な疑問を持ち、それを言葉にしてしまい、放送で流れてしまったことで、その発言に対して賛否両論があったようです。

彼女の発言に対してどう思うかは別として、生きて行くためには仕事をして対価を得なければなりません。
その仕事の内容に対して、心底満足して行っていると言える人はどれくらいいるのでしょう。

生きて行くため家族を養っていくため、好きなことやりたいことがあっても、自分の技術や能力があったとしても、それをそのまま活かせる職業につくことは容易なことではないと思います。

まだ10代の若い女優さんから見ればつまらない仕事だったかもしれませんが、どんな仕事にも知識や経験は必要で、プライドを持って仕事をしている人はたくさんいると思います。

月曜日にパート勤めの家内と休みが合ったので「アントマン」という映画を観に行きました。

ストーリーは私の大好きなヒーローもので2時間の間息もつかせぬ展開に大満足でした。

人がたくさん亡くなったり、建物や車を壊しまくる映画は基本的に好きではありません。

観ていて楽しく心和ませてくれる、少しコメディータッチのものが好きです。

そして映画の終わりに流れるエンドロールを見ていつも思うことがあります。

スクリーンに映る俳優さんたちは数えるほどの数しかいません。

セリフがある人も少なく、もし知り合いの人が出てるからと見に行ったとしても、確認できる人は少ないと思います。

それ以上に、表舞台には出てこないけれど、様々な立場でこの映画を作るために関わった人たちの数は、それこそ数百人はいると思います。

エンドロールに流れるたくさんの人の名前を見ながら、こんな映画に関わるくらいだから、それぞれの分野で一流の人たちなのだろうなと、見も知らぬ外国の人たちの名前をずっと見続けていました。

翻って自分の仕事を考えた時、私は何を求めてこの仕事をやっているのだろうと時々考えることがあります。

32歳で会社勤めを辞めてから、人間の体を相手にという部分では一貫して同じことをやっているつもりですが、その対象や環境は何度となく変わり、その都度全力で自分の能力を発揮してきました。

その間自分がいわゆる職業としてというか、下世話な言い方ですが商売として対価を得るための手段として仕事をしている感覚は不思議とありませんでした。

人間の体そのものが相手ということは、その人間そのものとの関係性、コミュニケーションを図ることが重要となります。

個人として組織の一員として、うまくやっていくという能力はどんな世界でも必要になってくるはずです。

なぜか私にはそんな発想がありませんでした。

常に頭にあることは、今目の前にいる選手や一般の方も含めてですが、どうすれば体がうまく動かせるようになるのだろう、痛みから解放してあげられるのだろう、それしかありませんでした。

その目的のために排除できるものは極力排除して来ました。

いわゆる付き合いとか、うまくやるということはできないというか、そのためにどうすればいいかなどということを考えたこともなかったように思います。

私の評価は関わった相手がしてくれるもので、それ以外の人間にわかるはずがないと思っているからです。

それは今も変わりません、相変わらず評価の基準はコミュニケーション能力に置かれているような気がします。

若い頃からそうですが、もう開き直っていて、ならば誰にも負けない技術で勝負してやろうという気持ちで仕事をしてきました。

ここまでのめり込むと、相手の方が引いてしまって空回りすることもありましたが、そんな相手に私の力を向けても仕方がないと、まさに開き直ることで環境も変えてきました。

今、「コンディショニングスタジオ操」という施設を作り仕事をしていますが、まさに待っている仕事で人がきてくれなければ成り立たないことはわかっていますが、ではそのための努力をしているかと言われると、返す言葉がありません。

それでもこれまで通り、私が自己満足できる仕事が時々ではありますが飛び込んできます。

どこに行っても良くならないとか、長年苦しんでいるという体の悩みを抱えて、過去に関わった方の紹介でこられる人がいたり、夢を叶えるために動きづくりのためのトレーニングの指導を受けるために来てくれたり、まさに私でなければと身を乗り出して話をしたくなる相手は、これからもまだまだたくさんいると思います。

昨日きてくれた選手もその一人です。

自分の現状を自分なりにきちんと分析していて、そのための方策を探っていく中で私の考え方に出会い指導を受けたいと思ってくれたというのですから、これ以上の相手はありません。

昨日が2回目の指導ですが、最初に指導したことをきちんと理解し、さらに足らないところ改善できそうなところを整理して臨んでくれました。

私は生来ガサツで短気な男ですので、相手に対して年齢の上下は関係なくなるべく敬語を使うようにしています。

本性を現すと言葉よりも手よりも足が先に出てしまうような人間ですので、それは避けなければなりません。

ただ私は本気で相手を変えたいと思った時には、どうしても本性が出てきて言葉が荒くなったりしてくることがあります。

前もって断っておけばいいのですが、本気の指導が始まるとスイッチが入るというのでしょうか、ほかのことがどうでも良くなってしまうのです。

私から厳しい言葉を浴びせられた方々、申し訳なかったとは思っていますが、私を本気にさせてくれた、私に本気が伝わってきた証拠だと思ってお許しください。

昨日も指導中そんなことがありました。

1回目の指導で、体の仕組みや伸筋の重要性については理解してくれています、基本的な身体の使い方も実技でしっかり伝えました。

彼がさらに求めているのは、現役のサッカー選手としてもう一段上のレベルの選手になるための身体の使い方です。

大きいとか強いとかいう、いわゆるフィジカルの能力とは違う、人間が本来持っている身体の能力がどういうものなのか、それを私から学び使いこなせるようになることこそ、自分を高める唯一の方法だと思ってくれました。

まさに私の腕の見せ所です、近くではありませんのでしょっちゅう来てもらうというわけにはいきません。

それでも本人の高い意識があれば、習得は可能だと思います。

もちろん1度や2度でというわけにはいきませんが、1度目より昨日は確実に変化していますし、まだまだ向上する余地はたくさんあると思います。

西本塾参加者からの質問にも出てくる、「まっすぐ走ることはできるようになったがターンやストップは」などという一番受けたくない質問も、もうされることはないと思います。

自分が行きたい方向にどうやって素早く移動するか、ストップは止まるではなく、相手の動きに対応できるように、その場にとどまってはいるが静止しているのではなく、股関節でアイドリングしている状態、これもわかってくれました。

大きくて強いから当たり負けしないのではなく、当たる瞬間に身体の意識を変えることで十分対応できること。

既成概念の扉を一つづつこじ開けていくことで、彼の動きは確実に変わっていきます。

以前の私の口癖は、誰に対しての言葉でもありませんが、「見とけよ、俺が指導した選手はこうなるんだ」くらいの勢いがありましたが、今はそういう気持ちも超えてしまいました。

誰かが見ていようと、その変化に気づこうと気づくまいと、それはもう関係ないことで、縁あって私を頼ってわざわざきてくれた人間の能力を、私の考え方とやり方で、極限まで引き上げるのが私の仕事だと、シンプルに考えています。

信頼に応える、結果を出す、それに向かう過程では鬼にもなるし仏にもなる、すべては相手のため、その過程も結果も全て納得できるものにしていく、これが私にできることであり、やらなければならないことだと思います。

他にもいろいろな考え方や方法で、同じようなことをしている人はたくさんいると思いますが、そんな人たちと自分を比べても仕方がないので、自分なりに自分が考えるそのときその瞬間のベストなやり方を、相手のためにという気持ちを込めて発揮していきます。

「大いなる自己満足」これ以外に私の能力を本気で発揮していくモチベーションはないと思います。

原因不明の痛みに心が折れそうになっている選手も、絶対に復活させたいと知恵を絞っています。

どんな目的に対しても、方法論や技術ではないと思います。

相手のために自分は何ができるか、相手がどうこうではなく自分の持っている能力の全てを発揮し、それでも足りなければ何か新しい発想を練り上げ、最後に相手の喜ぶ顔を見て、そして最後に一人になった時に、小さくガッツポーズをして「よっしゃ」と自己満足に浸る、なんのためにこの仕事を選んだのか、これがその答えだったように思います。

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人を育てるということ

深める会の感想、3人目は、地元広島から参加してくれた橋本君です。

彼には、最初に参加してくれた西本塾の時から、かなり厳しい言葉を浴びせ続けました。

せっかく参加してくれた人に対して、そこまでする必要はないのかもしれません、一人の参加者として同じように伝えるだけで良かったのかもしれません。

しかし私はそうしませんでした。

私の4人の子供たちの中の、一番下の三男と同い年で、これからの努力次第でどんなことでもできる可能性を秘めた人間です。

そんな彼の考え方に、親の世代としてまた同じ道を志した人間として、考えてもらわなければならないことがたくさんあったのです。

今回も正直参加を断ろうかと思いました、黙っていられないからです。

それでも彼は少しずつではありますが、私の思いを感じ取ってくれるようになりました。

こういう人間こそしっかり育てて上げられれば、これからきっと役に立つ人間になってくれると思います。

その期待を込めて、今回他の3人の参加者の皆さんにもそのことをお話ししてから、講義を始めました。

彼の感想に対して、私からの細かいコメントはここでは書かないことにします。

彼に学び続ける気持ちがあれば、きっとまた私の前に立ってくれると思います。

彼には直接私の言葉で語りかけないと伝わるものも伝わりません。

彼なりに真剣に書いてくれた文章です、読んで見てください。

西本先生、奥様、二日間ありがとうございました。
一緒に受講された内田さん、望月さん、長尾さんもありがとうございました。

自分を参加させていただきありがとうございました。
1度目の受講申込みを送った際に指摘して頂いたことは、自分の恥としてこれから忘れずにいます。
こんな自分を受講生として認めていただいた西本先生、内田さん、望月さん、長尾さんありがとうございました。

今回自分はギアを上げるということに衝撃を受けました。
自転車での例えがすごくわかりやすく、足関節、膝、股関節、腸骨とギアをあげていくという意識付けをすることができました。

フライングバックトレーニングでは100%ということでしたが、自分の中では最初に受講した西本塾でのフライングバックトレーニングが100%とずっと思っていましたが違いました。

かなりの負荷がかかり、10回終わったあとの「どうだ!」と、体が威張った感覚がやってきた中で一番強かったです。

器具を使ったトレーニングでも衝撃を受けました。
西本先生は楽そうにやられていましたが、僕の伸筋では到底同じ重さではこなすことができませんでした。

外での実技は気持ちよく走ることができました。
あの走り方をされている方と一緒に走るということが、普段ありませんので西本塾で確認できるのでよかったです。

内田さんは僕と違ってすらっとしたスタイルでしたので、走り方のスマートさがわかりやすかったです。
踏ん張らないターンなど、居つくという行為がどれだけ身体に負担をかけるのか、さらに実感できました。

夜の懇親会でも、西本先生がこの道に入られた経緯なども聞かせていただき、自分がどれだけ恵まれているか再確認しました。

この二日間何度も言われていた、「まだ22歳だぞ!」と、西本先生がこの道に入られたのが32歳、10年後に32歳になった時、西本先生を越えていないと何をしてるんだと言われたことがずっと残っています。

そのプレッシャーを力に変え、1日1日がむしゃらに感謝しながら西本理論を考えて考えて、次お会い出来るときに気づいたことなどお話できるようがんばります。

今回は本当にありがとうございました。

橋本知也

少しずつまともな文章を書けるようになってきました、彼には西本理論を学ぶより前に、もっとやることがあると言いました。

具体的には書けませんが、そのことができるようになれば、きっと変わると思います。

これから先が長いのです、ゆっくり確実に成長していってほしいと思います。

さて私自身のことですが、もう一度勝負の世界でと言う気持ちはもちろんありますが、私を信じて頼ってくれる個人からの連絡があると、もし自分がフリーの立場でなくなったら、彼らはどうなってしまうのだろうという気持ちにもなってしまいます。

体は一つ、これからまた自分がどうなっていくのか、思うことが多い一日となりました。

気付きから学びへ

今日も深める会参加者からの感想の紹介です。

まずは全文を掲載します。

西本先生、奥様、今回もまた二日間にありがとうございました。
授業内容はもちろんのこと、真剣な指導の中にも笑顔になれる時間もあり、本当に楽しい時間でした。

そして、望月さん、長尾さん、橋本さん、一緒に参加させて頂きありがとうございました。
参加者では私が最年長でしたが、皆さんの学ぶ姿勢の素晴らしさを勉強させてもらうこともでき、本当に楽しく二日間を過ごせました。

西本理論を学んでまだ3カ月の一番新しい受講生ですが、同じ塾生として今後もよろしくお願いします。

初日のしょっぱなから身が引き締まる言葉から始まり、深める会初参加としての心構えが決まりました。

操法の時間では、言葉に詰まり声掛けが不十分で、誘導することが中途半端となりました。
一人操法を繰り返し練習し、その方向からどう連動させ動いてほしいのかイメージできるようにしていきます。

マシーンを使ったトレーニングでは、右肩関節内旋の可動域が狭く、バーを持つと痛みが走りましたので、3・5・7を意識し柔軟性のある筋肉を作らなければならないと感じました。
6月の西本塾から広背筋を中心にトレーニングをしてきましたが、まだまだフォームの意識が低いことと筋力の弱さも痛感させられました。


メディシンボールを使ったトレーニングもですが、しっかり目的を考え、正確に効かせれること、もう少し自分自身が表現できる身体も必要だと感じました。

そして今回何よりも考えさせられたことが、私の走るフォームを褒めていただけたことでした。

確かに練習はしました。室内でのアイドリングは小さな鏡を使ってほぼ毎日、しかし、寝ても覚めてもには程遠い練習量です。

何故できたのかを昨日一昨日も少しですが走りながら考えました。
いくつか思いつくことがありましたので書かせて頂きます。

1.過去2回の西本塾より頭がリラックスして、深める会に参加できてたこと。
2.6月よりF.B.Tをはじめ、背中のトレーニング効果が表れ始めたこと。
3.6月より手足の感覚が消えてきたこと。
4.顔が上がり視野が広がり、力む感覚も消えてきたことを実感できていること。
5.人の動きが客観的に以前より分析できるようになったこと。
6.井桁の法則がまっすぐ走ることに関してはイメージできていること。


書き出して読み返してみると、なんだ西本先生がいつも言っていることだということに気が付きました(笑)

もちろん6月に情けない走りをして、見返したい気持ちもありましたが・・・。

褒めていただいたフォームの実感が湧きませんので、体に染み込ませたいと思います。

合わせて、ギアの上げ方も練習していきます。

しかし、落ちる動作からの拾い上げや、三分割の使い方はほぼ出来ておらず、これこそ練習していないことがてき面に現れました。

この出来ていない動作 も、背番号の下を使うべきなのに、捻じりや屈曲が入ると今までの身体の癖が出てしまってたと思います。

過去2回の西本塾もそうでしたが、今回初参加の深める会を振り返ってみますと、1つ1つどれも奥深いことだらけで、最終日の総括で望月さんが言われてたように、私もまた、まだまだ全然習得できていないことに気づかされます。

その望月さんとは広島駅までご一緒させてもらい、過去の西本塾や深める会の話も聞くことが出来ました。

望月さんは、西本理論は進化してると話されていましたし、私自身もまだ3カ月ですが小さくそう感じています。

長尾さんや橋本さんとも話しましたが、先輩受講生の話も大変勉強になりました。

今回の深める会は親睦会も含め、本当に楽しかったです。

3回学んで、ようやく西本理論を伝えても良いのかなと言う気持ちになりました。

来月に、西本塾で学んだ走り方、体の当て方、ヘディング、綱引きを用いて、力みとはという事などを、学生と複数の指導者に初めて伝えることになりました。

限られた時間ですが、私が西本理論を伝える初めての公の場です、正確に伝えられるよう準備します。
こちらに関しては改めてご報告させて頂きます。

今回も実りある時間をありがとうございました。
今後ともよろしくお願いします。

12期生、14期生 内田雅倫

内田さんは6月に初めて西本塾に参加した後、8月の西本塾にも参加してくれ、さらに今回と、短期間に3度も広島を訪れてくれました。

1度目に参加で感じるものがあったのでしょうか、ここは一気呵成に学びを深めようという意識は、こちらが戸惑うほどでした。

ご自分なりに大きな野望を持っていて、それを形にするためには西本理論は外せないと考えてくれたようでした。

何回来たから、続けて来たから、それで分かるとかできるということでないことは分かってくれていますが、1度や2度ではとても自分が人に伝えることはできないという気持ちにはなってくれたようでした。

まずは真っ白な状態で私の話しに耳を傾け、目で見て、一緒に体を動かし、体験していくことから始まります。

話の中身に対しても、これまで自分が学び正しいと思ってきたことと、少し見方の違うところもあって、戸惑うことも多いと思います。

さらに実技の部分では、なぜ伸筋を使うことが有効なのか、屈筋を使うことでどんなマイナスがあるのかなど、実際に体験してもらわなければわからないことだらけです。

そして走るという行為の実技になった時、理論から始まった講義の内容が、なるほどそういうことかと思ってもらえるように流れを作っています。

しかしそうは言っても、1日2日で分かったできたというところまでは、残念ながら到達してもらうことはできません。

それでも見た目だけでも私と同じ動きができるようになってもらわなければ、人に教えるどころか、せっかく来てもらった意味がありません。

そのためには、それこそ人が見たら笑うようなドリルを、恥も外聞もなくひたすら続けて欲しいのです。

いろいろなドリルを考え、その人その人に合わせた言葉掛けをして、何とかしてできるようになってもらいたいと工夫しています。

自分では言われた通りにやっているつもりだけれど、私から、また他の参加者から見るとそうなっていないということがほとんどです。

今回の内田さんの走りは、私とすれ違うシーンの動画を見ると、まさに鏡のように同じ動きに見えます。

努力の賜物だと思います。

ただ本人に、うまくできている自覚はまだないようです。

それでいいと思います、まずはモノマネから始まり、その感覚を自分の体になじませていき、私の技術の定義通り、「自らの意図した筋肉の収縮活動を、反復継続して行うことのできる能力」に近づけていくのです。

正しい動きを繰り返しているうちに、自分がどう動いているのかを感じ、それをどういう意識で行っているのかというところに戻り、さらには私が伝えた言葉を思い出してもらって、そのどの部分が自分の動きを変えたのかという部分とすり合わせて欲しいのです。

そういう過程がすべてできて初めて、今度は自分の動きを見せ、自分の言葉で伝えて行くということが可能となってくると思います。

今回内田さんが気づいたことで一番キーになるのは、3番目に書かれた、「手足の感覚が消えてきた」という部分だと思います。

人間は足を使って走る、足を大きく速く動かすために腕を使う、この誰もが当たり前だと思っている概念と正反対のことがこの感覚です。

移動していく骨盤と背骨を受け止めるために、足はただ地面を捉えているだけ、腕はその部分が無駄な動きをしないようにバランスを取っているだけ、そうなると、走るという行為に手足は要らないということになるのです。

これは極論ですが、意識レベルではそういう指導もありだと思います。

その結果として、走りながら考える、走りながら視野を広くとれる、自分の動きを客観的に分析でき無駄な力が入らない、それが自分にとって必要なパフォーマンスを向上させてくれる、こんな論法が成り立つと思います。

内田さんは、これまでの既成概念を離れ、大きな気付きを得たと思います。

これからが本当の学びです、自分の体と対話しながら、足元をしっかり見直し、どんどん根っこを掘ることを続けてください。

今回の走りの実技で、自転車の変速装置に例えて、ギアを変えてスピードを調整していくという概念が加わりました。

私にとっても新しい表現方法ですが、さらにこの考え方を具体化して、指導に加えていきたいと思います。

スピードが出ない、そのためには連動のスピードを上げる、そのためにはの部分が見えてきました。

毎回本当に新しい発見や気づきがあって、私自身立ち止まることができません。

もっともっと人間の体を追求していきたいと思います。

根っこを掘る作業とは、自らを見つめ直すこと。

深める会を終えて2日、参加者からの感想が届きました。

今回届いた内容は、ここに私が書いている内容にも増して、多くの方に読んでもらいたい内容です。

前回のブログにも少し書かせてもらいましたが、自分が分かったような気持ちになっていたことが成長を妨げ、本当の意味での西本理論に近づけない一番の理由だったことに気付いてくれたことで、私自身が深める会をこれからどう展開して行けば良いのかを示唆してくれたように思います。

まずはその内容をじっくり読んでください。

「楽な動きから厳しさを教わる」

2日間の西本塾深める会は、誠にありがとうございました。
また、前日にはエネルギー源と栄養についての貴重なお話をして頂きありがとうございました。

今回のブログでは、私の事について取り上げて頂き大変恐縮です。
すぐに、コメントしたかったのですが、頭の整理が付かないうちにコメントしたくなかったので今になってしまいました。少し長くなりますが、今回の深める会の感想を書かせて頂きます。

今回の深める会の目的は、3つありました。
・走りのスピードを出す事
・体のキレを出す事
・頭と体を動かし続けるエネルギー源の獲得です。

私は、1年間西本理論で自分自身の走りや、施術を求めて来る人や子供たちに実践してきて、それなりの結果を得ていました。

もちろんその結果に満足していた訳ではないですが、結果が出た事で、ある程度西本理論はこういう物だろうという自分なりの解釈が出来上がっていました。

その為、深める会に参加する際の目的も、8割くらいは頭で分かっていて、あとの2割は先生からの指導で実感出来れば良い方向に向かうだろうと思っていました。

しかしながら、その考えは1日目の午前中で全て崩れていくのを実感しました。

例えるなら、シャツのボタンを10かけて完成の所を自分では8までかけてきて、あと2の所に来ていると思っていたのが、深める会にきて3の所からボタンを掛け違えている事に気付きました。

8までかけ終えたと思っていたボタンが、3の所から掛け違えている。

まさに分かっているようで分かっていない典型的な例だと思います。

これは、西本理論である程度結果を出して自信過剰になっていた事で、天狗になって自分自身の体と謙虚な気持ちで向き合う事が出来ていなかったからだと思います。

3つの目的を達成する以前の問題を、私に突き付けてくれた大変貴重な経験でした。

具体的に何が分かっていなかったのかというと、走る際のスピードアップは、肩甲骨から動き出して、その回転数を上げていく事で、広背筋の働きにより骨盤が引き上がり股関節の自由度と足の回転数が増す事でスピードが上がるのだと思っていました。

キレを出すには、肩甲骨と背骨と骨盤の動き、井桁の8方向の動きを速くすれば出せるのだと思っていました。

この2点を自分自身の体でそれを実感できれば、更なるスピードアップに繋がると思っていましたが、そんなに簡単にはいきませんでした。

なぜなら、私の体の中の動いていると思っていた骨盤が、まったく動いていなかったからです。

足の回転数を増やし、ストライドを伸ばしてくれる骨盤がまったく動いていない。

「動かせているつもりで動かせていなかった」
「気付くはずの感覚に気付けていなかった」


こんな事にも気付けないで、スピードアップ云々、キレを出す云々と言っていた自分が本当にどうしようもないと心から思いました、そしてすごく凹みました。

過去に私が西本塾、深める会に参加したのは3回ですが、こんな気持ちになったのは初めてです。

今までは、西本理論で体を動かす事でとても楽になり、軽くなり、今までやっていた走り方がアホみたいに思えていました。

しかし、今回の深める会に参加して、西本理論の厳しさを実感しました。

腸骨という最大のギアで走り続ける事は、とても重くてきついものなんだと、如何に今まで使っていたギアが軽かったのか、西本理論を学び続けて、実践し続けた人にしか分からない感覚を手にいれる事が出来ました。

また、このギアを使いこなす事が出来れば、更なる成長に繋がると思いました。

「楽に疲れず走れる」、「体を軽く動かせる」、「屈筋より伸筋を使った方が楽に相手に競り勝てる」といった事が西本理論を学んだ方の感想ではあると思いますが、はっきり言います。

それで終わりではないです。

伸筋を使える体になった先が、西本理論のスタートラインであり、更なる成長に繋がる起爆剤になるのだと思います。


先生がおっしゃる1回や2回来ただけでわかったつもりになってはいけないという意味が、私の体で実感出来ました。

2日間の深める会が終わり、自宅へ帰った翌日の全身に起きた現象は、過去にない感覚でした。
これは、筋肉痛と一言で片づけられない感覚です。

伸筋という伸筋を全て使った筋肉痛であり、自分自身の欠点を教えてくれる筋肉痛であり、筋肉痛が収まると更なる進化に繋がるであろうと大きく期待させてくれる筋肉痛です。

今までの筋肉痛とは次元が違います。

これが、本当の意味での自分自身を追い込むといったことなのかと思います。

従来のトレーニングは、きついメニューで頭の機能も働かない中で修行僧のように追い込み、苦しい先に何かがあるのだと信じこませるものだと思います。

西本理論のトレーニングは、トレーニングの中で真に自分自身の欠点を実感できて、きついメニューだけれど頭と体はしっかり動くので、冷静に自分自身を見ることが出来ます。

その為、体への「無駄な負担」がかからないので、翌日筋肉痛を全身に感じても冷静にいられます。

そして、自分の行く先に光を見せてくれます。

これが、深める会を終えて2日後に思った感想です。

今回の深める会は、自分の自信をぶち壊してくれて、更なる成長の起爆剤を与えてくれた大変貴重な時間になりました。

深める会は、参加すればするほど自分自身の根っこが深く太くなっていく気がします。

これは、一緒に参加された3名の方のお蔭でもあると思っています。

内田さん、長尾さん、橋本さん、本当にありがとうございました。

あの時の時間は、他の講習会や勉強会にはない緊張感と安堵感と高揚感がありました。

それを皆さんと感じられた事を心より感謝します。

また、深める会でお互いを高め合える関係を築いていきたいので、今後も宜しくお願い致します。

最後になりますが、先生、奥様2日間本当にありがとうございました。
先生の近くでそっと隠れてサポートされている奥様を見ていると、私は妻に感謝しなくてはいけないなと改めて思います。
お二人のようにいつまでもお互いを信頼し合い、何があろうと進むべき道をしっかり歩んでいける夫婦に私も近づける様に歩んでいきます。


また、更に成長できるように謙虚な姿勢で西本理論を深めていき、周りの人たちに伝えていけるように頑張りますので、今後とも宜しくお願い致します。

千葉県市川市
望月竜弥

真剣な文章をありがとうございます。

通り一遍の取り組み方では、ここまでの言葉は出てこないと思います。

望月さんは、私と出会ったことで私から何かを学び感じ取っていると思ってくれていますが、西本理論などというおこがましい呼び方を、私自身使ってしまっていますが、このブログのタイトルにも書いている「木を見て森を見ず」という言葉や、咲き誇る綺麗な花に目を奪われることなく、さらには枝葉の美しさでもなく、地中に根をはる根っこの部分に想いを馳せることこそ、自分自身を成長させる唯一の方法だと思っています。

自分自身が足元を見つめ、さらには地中を思い、一つひとつの問題に真剣に対処してきたことを、少しでも多くの方々に伝えて、お役に立ちたいと活動しています。

根っこの掘り起こし方を伝えていると言っていますが、花も実もある結果が欲しいのは当たり前だと思います。

私から何度か指導を受け、実際に効果を感じ結果を出せるようになった人に、分かったような気になるなという方がおかしいと思います。

これまでたくさんの人に出会いたくさんの経験をさせてもらってきました。

今私がしなければならないのは、誰でもない私自身が足元を見つめ、根っこを想うことです。

そして多すぎず少なすぎず、程よい水を与え続けなければなりません。

間違っても自分は花を咲かせたと浮かれている暇はありません。

私に水を与えてくれるのは、望月さんのような気持ちで私に接してくれる人をどう導いていくかという、大きな責任を感じながらの指導を真剣に行うことです。

今回の4人の参加者それぞれに対して、真剣に対応しました。

何が分かったできたではなく、今現在自分が立っている場所をしっかり踏みしめ、その足元深い部分に想いを巡らせた人だけが何かに気づけるということを伝えるのが、深める会の目的だと思います。

私が会社勤めを辞めてこういう仕事に変わったのが、今の望月さんの年齢でした。

その頃の私に、望月さんのような知識も高い目的意識もあったかと言われたら、とても頷くことはできません。

望月さんが私の年齢と同じになるまで25年もあります。

その頃私がこの世に存在しているのかわかりませんが、こういう人が一人でも増えて行けば、体のことで悩む人がきっと減っていくと思います。

それぞれが目先のことにとらわれず、それぞれの場所でしっかり足元を見つめるきっかけに、そして根っこは誰のことでもなく、自分自身のことだと気付いてもらえるように、まずは私自身の足元をしっかり見直していきたいと思います。

深める会を終えて、改めて気づいたこと。

「西本塾を深める会」、日・月の二日間4名の方に参加していただき無事終了しました。

秋の大型連休中にもかかわらず参加してくれた、高い志と熱い気持ちを持った方々と一緒に過ごせて時間は、私自身にとってもとても貴重なものとなりました。

西本塾という形の勉強会を始めて、すでに2年近い歳月が過ぎました。

様々な立場で様々な目的を持った方々に参加していただき、その数は100人を超えました。

毎回私の持っているすべての力を振り絞って、わざわざ来てくれた皆さんに対して期待を裏切らない内容を届けたいと頑張っています。

その思いは参加してくれた一人一人に届いていると信じています。

そして、それぞれが自分の目的に応じて何かを学び、それぞれの環境で活かしてくれていると思います。

西本塾自体に複数回参加してくれた方もありますが、基本的には西本塾の二日間で、西本理論の基本となる私の体に対する考え方と、それをベースにした実技を一通り見て感じていただけるような内容にしています。

ブログを読み、各種の媒体で発表した私の考え方に触れ、その上で二日間私から直接指導を受けることが出来たのですから、その方なりに西本理論とはこういうものだという理解は出来たと思うのは当然のことかもしれません。

そんな中、私自身回を重ねるごとに自分の考えていることが変化し、参加してくれる人たちに求めるものも変わっていることを感じています。

言葉は悪いですが、1回2回で分かったような気になっている人たちに対して、当初はそれぞれの理解の中で、私の理論を自由に使ってくれればそれだけでも、今までに比べれば大きな変化をもたらすことができ、私の出会うことのない誰かのために十分役に立つことができる、ならばそれで十分ではないかと思っていました。

初めて参加してくれる人を対象にした西本塾ではなく、二日間の西本塾を終えた方が対象の深める会も、西本塾と隔月で、2か月に一度の開催で回を重ねてきました。

私が本当に西本理論と呼べるものを伝えられるのは、この深める会に参加してくれる人たちではないかと思うようになりました。

確かに西本塾では二日間という短い時間ではありますが、その中で少しでも多くのことを知ってほしいと、精一杯話し続けています。

しかしそこで伝えられることは、私がこれまでの20数年で培ってきたことのほんの一部にしかすぎません。

そこから先は、学校の勉強のように、西本塾で学んだことを基本的として、順序立てて学べば、誰でも同じレベルに到達することができるという世界ではありません。

ここまで学べばいいとか、正しい答えはこれですとかいう、到達すべき目標というか設定できるゴールがないからです。

深める会も当初は、西本塾では人数の問題もあり、「からだほわっと」や「オクタントトレーニング」そして、「操体法の実技」においても、私から直接手を触れて体験できる人が限られるため、自分も直接体験したい、またその後見よう見まねで練習してきた実技を、直接私に行うことで評価を受けたいという気持ちで参加してくる人が多かったように思います。

当然のことだと思います、施術を業としている人であれば、日々接する患者さんに施す施術の、一つの技術として自分の引き出しを増やしたいと思って受講してきたはずですから。

そういう目的で参加してきた人は、そこで一つの目的を達したのですから、それ以上何度も深める会に参加する必要はないと思います。

そんな中でも、今回の参加者も含め深める会に何度も参加してくれる人がいます。

その方たちも実は参加する目的は同じで、自分の技術の向上を確認したい、自分のやっていることに自信を深めたい、そんな気持ちで参加してくれる人が多いと思います。

私もその目的に沿って、参加者のメンバー構成を考慮して、二日間の内容を決めるようにしてきました。

今回は特に、それぞれの目的が明確で、私自身それぞれの方に対する思い入れが強かったため、今までにも増して気合が入っていました。

もう二日間があっという間でした。

そして最後の全体総括の時間の中で、とくに千葉から参加してくれた望月さんの言葉に、私自身考えさせられることがありました。

彼はある意味、西本塾の中でも優等生だと思います、学ぶ姿勢、それを継続して実践する行動力、もしかしたら100名を超えた受講者の中で、走るという自分で行っている運動、そして施術者、また子供たちを相手の体操教室の講師として、西本理論を最も有効に活かしてくれている人ではないかと思います。

他にも、自分だって頑張っているという方がいるかもしれませんが、彼のように自分の活動内容をブログのコメント欄やツイッターを通じて、私に届けてくれていなければ、皆さんの活動を私が知るすべはありませんから。

そのやり取りの中で、申し訳ないですが、それは違うよと言う部分があったとしたら、それを指摘することがあるかもしれませんし、良い方向に進んでくれていると感じさせてくれれば、私も安心して遠くから応援していればいいと思えます。

残念ながらそういう受講者がほとんどいません。

皆さんにとっては数ある勉強会や講習会の一つで、私もその指導者の一人にすぎないかもしれません。

私の「西本理論」が、そういう評価しか受けられなかったとしたら、それはそれで仕方がないことなのかもしれません。

望月さんは、その中でも西本理論を深く学び追求したいと思ってくれている一人でした。

だからこそその実践は、私から見れば他の追随を許さないくらい素晴らしいものだと感じていました。

本人もその自覚とプライドを持って、仕事とプライベートのマラソンに活かしてくれていますから、今回の参加の目的も、今まで高めてきたレベルを、さらに高めるためのきっかけにしたいと意気込んで来たようです。

その表れが、マラソンを走るための体のエネルギー源と栄養をテーマに、前日の夜も時間を取って話をしてほしいという行動を起こさせたのだと思います。

素晴らしい行動力です。

ところが彼のその自信とプライドは、初日の施術をメインとした実技の中で大きく音を立てて崩れてしまったというのです。

自分が分かったような気持ちになって日々の仕事に活かしてきた技術や、もう「西本走り」という名前まで付きかけた走り方も、自分なりにマスターして、さらにスピードアップのための体の使い方はと言うテーマを持ってきたはずだったのに、まったくそれ以前のところで、自分で自分の体がどうなっているのかという現実に気づいていなかったという事実を私に突き付けられ、自分は何を学び何をやってきたのだと、まさに叩き落されたような気持ちになったというのです。

私が深める会の参加者に求めているのは、まさにこういうことなのではないかと思いました。

私が伝えたことを分かったとかできたというのは簡単ですが、「何が分からなかったのか何を理解できていなかったのか、何が出来ていなかったのかが分かったような気がする」、まさにここに気づいてくれなければ、「深める会」は、ただのおさらい会になってしまうのです。

西本理論はそんな簡単なものでも薄っぺらなものでもありません。

私自身その全容は未だ見えてきませんし、昨日考えていたことと今思っていることは少しずつ変わっていくし、当然ですが1年前2年前に自分がこれだと思って西本塾で伝えたことと、昨日一昨日話したことは全然違うことかもしれないのです。

確かに西本塾でお話しする初日の座学の部分は変わりません、人間の体を相手にしている限り、あの中でお話する部分はもう変わることがあってはならない不変なものを見つけていると思っていますから。

それさえ、もしかしたら変えなければならない日が来るかもしれません。

毎日様々な人間を相手に積み重ねれらていく経験の中で、私自身が新たな気づきを与えてもらっているからです。

地上にある枝葉や、綺麗に咲いている花の部分は、誰の目にも見えていますが、地中に埋まる根っこの部分こそ、日々その根を広げ土台を安定させ、栄養を枝葉に送ってくれています。

その根っこの部分がどうなっているか、そこを知りたいという気持ちになった人が、深める会に参加する本来の意義を見つけ出した人たちでしょう。

そんな人たちと過ごす時間こそが、「私自身を深める会」にしてくれています。

今回も本当に充実した時間を共有させてもらいました、参加者それぞれの皆さんに心から感謝します。

二日目の午前中、好天にも恵まれ、いつものようにみなと公園の広場で、走るという動きの実技を行っている時、もう当たり前のことになってしまっていて、改めて言葉に出したことがありませんでしたが、皆さんの走りを見ながらふっと思うことがありました。

私が提唱し実践している走り方は、人間という二足歩行の動物に与えられた機能を無理なく無駄なく利用して、速く移動するためにはこういう体の使い方がベストであろうと考えたものです。

その効果として、体の負担が少ないため肉離れ等のケガを誘発しにくいとか、サッカーであれば90分間、頭と体を動かし続けることができるとかいう効果がありますと言ってきました。

実際に室内のドリル等段取りを経て公園に出てくると、一人の例外もなく、普段ほとんど走るという行為を行っていない人であっても、私の要求通りに何度も何度も50メートルほどの距離を走り続けているにもかかわらず、膝に手を置いて大きな息をしたり、合図をしても息が整っていないからちょっと待ってくださいと言う人が一人もいないのです。

1時間近く外で各種の実技を行いますが、疲れたという言葉が出るどころか、こんなに走っているのにどうして疲れないのだろうとお互いが顔を見合わせることさえあるのです。

そんなことは私にとっては当たり前で、それを実感してもらうために行っているのですから、私自身何の不思議も感じたことはありませんでした。

それが今回、22歳28歳31歳44歳と幅広い年齢層の参加者に加え、57歳の私が加わり、普通に考えればこの年齢差の5人が、同じドリルを同じようにこなし、全員が走るスピードも遜色なく、体の使い方、いわゆるフォームに関しては44歳の内田さんが最も私の求める動きを忠実に再現してくれているという事実は、よく考えるとこれを驚かずして何を驚くのかというくらい、衝撃的な事実が目の前で繰り広げられていると思いました。

その内田さん、初参加の時は私から何度もダメ出しをされ、正直染み付いた動きをこの人は変えられないと思いました。

二度目の参加の時にはそれでも大きな変化が見られ、相当悔しかったのだろうな、これは必死で練習してきたぞと言うのが分かりました。

そして今回、見事に動きをマスターしてくれました。

私を含め5人が並んで走ったら、誰が一番早く走れるか分からないほど、それぞれが良い動きを身に付けてくれました。

普通に考えれば、20代や30代そこそこの男性が、44歳や57歳という年齢の人と一緒に走っていること自体が日常ではなく、ましてやスピードで負けるかもしれなという現実は受け入れがたいものではないでしょうか。

それが現実として目の前で展開され、それを悔しいともおかしいとも思わないことが当たり前になっていくのです。

若いから速い、筋力があるから速いではないことが自然と受け入れられるのです。

楽には走れるようになったけれどスピードが出ないという感想もありましたが、この走るという行為そんな簡単にマスターできるものではありません。

まさに根っこの深い、追い求めるにふさわしいテーマです。

今回奥の空き地では、小学生のサッカー大会が行われていましたが、応援に来ているお父さんや、私の年齢に近いお爺ちゃん、そして指導しているコーチの中から、我々5人と同じ年齢構成の集団を作ったとして、我々より速いスピードで走れるグループあるでしょうか。

44歳や57歳という年齢で、これだけのスピードで走れる人が何人いるでしょうか。

それも体に無理なく息も上がらない走り方で。

周りを見渡しながら、参加者の皆さんにもこんな話をしました、「僕たちってすごいことやってるんだね」と。

これが当たり前のことなのです、44歳だから57歳だから走れるわけないじゃん、そんなの常識じゃないのです。

サッカーでも野球でも30歳を過ぎればベテランと呼ばれたりするようになってきます。

一昔前のギャグですが、まさに「そんなの関係ねえ」です。

私の理論と実践はまだまだ知られていませんし、固定概念に縛られている人たちから見れば常識外のことかもしれません。

今回4人の参加者と一緒に走って改めて思いました、「こっちが普通だぞ、こっちが常識だぞって」。

ボールを追って走り回っている子供たちが、みんな私の走り方が当たり前だと思って育って行ってくれて、技術が向上し高度な戦術を身に付けて行ってくれたとしたら、日本のサッカーはどんなレベルにまで到達できるのでしょう。

そのためには、そういうことを知らないで育ってきた大人たちが変わらなければ、絶対に何も変わらないのです。

指導者でも父兄の中から、一人でもいいから私たちのところに足を運んで、「何やってるんですか」と興味を持って声をかけられる日は来るのでしょうか。

今回の参加者のお蔭で、改めて自分のやっていることに自信が持てました。

いつまで続けられるか分かりませんが、咲いた花の綺麗さに目を奪われることなく、枝葉のバランスの美しさでもなく、目に見えない地中に根を張る根っこの大切さに気付いてくれる仲間を一人でも増やす活動を行っていきたいと思います。

学び合うということ 深める会

世の中はシルバーウィークと呼ばれる連休期間に入るようですが、私はここで、明日明後日と「深める会」を行います。

回を重ねるごとに参加してくれる人の意識や求めるものの深さが増し、私はそれに応えるために自分の頭と体を整理し、さらに積み上げられている日々の経験をどう上乗せしていくのか、何よりも誰よりも自分にとっての深める会になっています。

もともと他の人に教えるという発想が全くなかったため、逆にいえば誰かの事が気になるということもありませんでした。

誰かが私のやっていることを評価してくれようが、悪口を言われようが、私のことを本当の意味でわかる人間などいるはずがないのだから、何を言われても気にしようがないと思っていたのです。

世の中には自分の考えや知識を、第三者に教える活動をしている人がたくさんいます。

今の私はそういう中の一人かもしれませんが、それを目的として仕事をしてこなかったので、教えて欲しいと言われる事が、逆に不思議な気もしています。

教えたい人がいるから教わる人がいるのか、教わりたいと思う人がいるから教える人がいるのか、私は前者の方が多いように思います。

どこかの誰かに聞けば答えが与えられる、そう思うこと自体は悪いことではないのかもしれませんが、そうやって与えられた答えをどうやって昇華して自分のものとし、自分が伝える側になって行けるのか、難しいような気がします。

何度も書いてきましたが、私は質問という言葉が好きではありません、まさに分からないから教えてくださいとしか聞こえないからです。

「なぜ自分で考えないのだろう」、まずそう思ってしまいます。

その前になぜ答えが必要なのだろう、それを知ってどうするのだろう、過去そういう質問に対して真剣に答えたこともありましたが、こちらが真剣に答えれば答えるほど、相手は顔を背けてしまう事がほとんどでした。

「そんなことまで聞いてないよ」、顔にそう書いてありました。

どんな答えを用意したとしても、質問する側の意識がその程度ならば、なんの役に立つというのでしょうか。

自分が行っていることに対して、疑問や解決しなければならない問題点が見つかった時こそ、自分が成長できる最大のチャンスだと思うのです。

そこで安易に誰かに答えを求めてしまったら、せっかくのチャンスを自ら手放してしまうことにはならないでしょうか。

極端な例えになりますが、もし山の中で遭難したら、方向の見分け方も水や口にできるものの種類も分からないからと、座して死を待つのでしょうか。

自分の持っている知識と経験を総動員して、生きる術を探すでしょう。

そんなことより死にたくないという本能が、なんらかの行動を起こさせてくれるはずです。

どの分野にも専門家がいて、何を聞いても答えてくれる、そんなことが当たり前の世の中になってしまいました。

そんな類のやりとりをネットで目にするたびに、「こんなことぐらい自分で考えろよ」という気持ちと、答えている側の人間にも、私と同じことがなぜ言えないのだろうと思ってしまうのです。

私にとっての質問とは、「こういう問題があり、またこういう疑問が湧き、自分なりにこう考え、こういう方策を練ってみました。それを実行に移し試行錯誤を繰り返しましたが、いま一つ自分の思ったような結果を得ることができません。私の考え方や方法論に対して、意見を聞かせてもらえないでしょうか」と言うスタンスです。

私がそれに対して意見を述べたことに追従するのではなく、そこから議論が始まり、お互いが納得できる方向性を見つけ出していくことが目的なはずです。

こういう建設的なやり取りができるのなら、何時間でもお付き合いできると思いますが、「あなたなら知っているでしょうから聞いてみたのです」とか、「考えるより聞いたほうが早いと思って」という雰囲気が少しでも感じられると、全く話をする気になれませんでした。

それでも今は少し大人になって、そういう質問をしてくる相手には、それなりの答えを返せば良いと思うこともあります、滅多にないですが(笑)

他人の考えはあまり気になりませんが、自分の考えを伝えた人に対しては、それなりにきちんとした理解を求めています。

私から学んだことをどう使おうと勝手ではありますが、私に直接出会うことのない誰かのために、真剣に伝えたことが正しく伝わっていかないとしたら、今やっていることの意味がなくなってしまいますから。

そうはいって、もそんな簡単な話ではないことは十分わかっています。

西本塾に参加した人たちは、私が何を伝えたいのかというところまでは多分わかってくれていると思います。

しかしそれは入り口であって、そこから自分で扉を開いて、本当の意味で私からその中身を学ぼうと思うかどうかは、それぞれ皆さんが決めることです。

それぞれ環境が違いますから、目的も違います。

それぞれの人に対して、その人の向こうに見える誰かのために、私は自分の持てる力の全てを発揮しています。

深める会に複数回参加してくれる人たちの中に、やっとというか、伝えるから教える、そして私自身を高めてくれる関係を築ける人が現れてきました。

なぜこうするのか、なぜこうしなければならないのか、本当に伝えることができなければ、私自身が本当の意味で分かっておらず、それこそ経験の中でこうやっておけば良いくらいの理解でしかなかったということになりますから。

トレーニングで屈筋ではなく伸筋を使っている感覚になることが大事だ、それはなんとなく分かった、このマシンを使う時にはこういう意識で行わなければ、屈筋がでしゃばってしまう、伸筋優位で体を使うためにはこういうやり方でと、こと細かく説明していきます。

しかし、それはあくまでも方法論であって、一番伝えなければならないことは、その意識がなぜ必要なのか、どうして重要なのかという、根本的な部分が伝えられるかどうかのほうがずっと重要なのです。

それが私の言う「根っこを掘り起こす作業」です。

今回参加してくれる4人の方は、それぞれ目的が異なります。

今の私にとって、一番能力を発揮できる舞台は西本塾と深める会です。

先日、第2回の西本塾のビデオを見て、私自身が楽しそうにやっているのを見て少し驚きました。

たくさんの人が私の話を聞くために全国からわざわざ足を運んでくれているという事実だけで、満足していた部分もあるかもしれません。

今はもうそんな気持ちだけでは、皆さんに向き合うことができません。

プロのチームや選手を相手に、勝負の世界で一喜一憂していたのも自分です。

今は私が伝える側として、結果に対して全責任を負っているわけですから、その時以上に緊張感もあり責任も感じています。

明日からの二日間、できるだけ穏やかな表情で接したいとは思っていますが、もしかしたらそうできない場面が出てくるかもしれません。

大げさな言い方ではなく、私にとっては真剣勝負の二日間です。

今できることのすべてを伝えます。

アイドリング・揺らぎの動き

先日行われたW杯予選の感想でも書きましたが、「力む」という感覚が人間の動作にとってどれだけマイナスな要素となっているかを改めて考えなければならないと思います。

我々日本人は、いわゆる頑張っている人が大好きで応援したくなります。

頑張っているという意味はいろいろあると思いますが、スポーツという戦いの中で笑顔を見せたりするのは、あまり好まれないことだと思います。

しかし、その精神的肉体的余裕のなさが、体を硬くして動きを阻害していることは明らかです。

もう3年前のことですが、新たな仕事の準備のため、これまでやってきたことを整理している時に、一番伝えなければならないと感じたことが、「走り続けるではなく動き続けることができる体の使い方」でした。

この言葉自体は、現場を離れてから思いついた言い方で、「頭と体を」ということばも付け加えましたが。

闇雲に苦しいトレーニングを続けたとしても、走り続ける能力が獲得できないことは誰の目にも明らかなのに、なぜ誰もそのことに疑問を持たず、延々と同じことを繰り返しているのだろうという、素朴な疑問から私の発想は始まりました。

この発想から生まれた走るという動作における体の使い方は、現場でも一定の効果を発揮してくれました。

期間が短かったですから、それ以上のことは言えませんが、今のように私の中でも発想が広がり、いろいろなアイデアが湧いてきたことを継続して指導できていれば、自信を持ってもっと大きな目に見える効果を出せたのではないかと思っています。

西本理論などと大上段に振りかぶったような言い方をさせてもらっていますが、その根幹になるものは基本的なことばかりで、取り立てて新しいことなどないはずです。

この走るという動作に関しても、体の仕組みの話から始まって、それをどう使うと効率的に目的を達してくれるかという単純な話でしかありません。

それでも功を焦って、最後の走り方だけを学び、練習すればそれが身につくと思ってしまう人がほとんどです。

一通り説明しドリルを行い、屋外での実技に移るわけですが、やはり目的は速く走りたいということになり、それまでの話が消えてしまうことになってしまう人いました。

練習時間を10とすると、室内でのドリルに7を費やしてくださいというお願いをしますが、はたしてそれを守れている人がどれだけいるでしょう。

なぜそれを強調するかというと、私の提唱する走るという動作は、関節のなめらかな連携動作で成り立っているからです。

その最も基本となる部分が骨盤です。

骨盤を形成する左右の腸骨を、上下に動かして使うという感覚を実感できなければ、結局は元の脚の筋肉を使う走り方になってしまうのです。

骨盤の動きを作るためには、背骨を介した肩関節と肩甲骨の連動が必要となります。

それなくして骨盤を上下に動かしてくれる「広背筋」の停止部である「上腕骨の小結節」という部分を使うことはできません。

肘関節をリラックスさせ、上腕骨を後上方に引き上げるためには、肩甲骨が背骨側に引き寄せられている必要があります、それが可能になるためには、背骨がしっかりとS字を作ってくれていないとそれはできません。

さらには背骨がS字を作るためには、骨盤の後ろ側がしっかりと持ち上げられた状態でなければなりません。

すべてが関連しあい、その中のどれ一つ欠けても、目的とする動作にはならないのです。

そのためには速く走れたという結果に一喜一憂することなく、この連携動作を繰り返し、もうそれ以外の動き方ができないというくらいの完成度が欲しいのです。

そのドリルの中でも重視しているのが、アイドリングという感覚です。

つま先は床から離れず、かかとの上げ下げだけで行っている「足踏み状態」のドリルですが、この動作の中に、前述した連携連動の動作がすべて含まれています。

加えてこの動作で自分の体を自分の思ったように動かせているという感覚がつかめると、このアイドリング状態からなら、どの方向へも地面に居ついてしまうことなく、素早く自由に動き出すことができるのです。

「人間の体は皮膚という皮袋に包まれた流体である」というのが、操体法を学び実践してきた私の結論です。

コップの中の水は静止していますが、一度コップを揺らせば大きなエネルギーを生みます。

人間の体の外側はコップのような硬い無機質なものではありません。

入れ物である皮膚という皮袋自体が柔らかく流動的で、だからこそ中身はもっと自由に動かすことができるのです。

そうは言っても、静止した状態から動き出すためには新たなエネルギーが必要です。

コップを常に揺らしておくためにはそれなりのエネルギーがいりますが、皮袋に浮かぶ流体組織である人間の体は、ほんの小さなエネルギーで揺らぎを生むことができます。

その揺らぎを瞬間的に大きくしたり、ある方向へ向けることで、力むなどというイメージとはかけ離れたスムーズな動き出しが可能となります。

この感覚は伝えたすべての人が実感できるものではないかもしれません。

分かったとかできたというよりも、「今の動きがそうなのかな」という気づきに似たものかもしれません。

アイドリングを足踏みだと理解してしまう人が多いですが、それこそ既成概念の中でしか体を使えなくなっている証拠のようなものです。

言葉で言えば、右左と骨盤を上下させているとなるのですが、どうでしょう「回している」という言葉の方が正しいのかもしれません。

ただここで「回す」という言葉を使うと骨盤が前後に回転するという動きになってしまいます。

骨盤と大腿骨が形成する「股関節」の構造をきちんと理解できないと、この部分の整理が難しくなります。

「骨盤を上下させると結果として円運動が起きる」、このことを「アイドリング」と呼んでいます。

アイドリングということばの本来の意味は、「主目的(推進など)に貢献せず、しかし稼働に即応できる様態で待機していること。あるいはそのための動作」という記載がありましたので、私の言わんとしていることとピッタリの言葉だと思います。

ここには待機ということばが使われていますが、人間の筋肉は脳からの指令が電気信号として伝わることで収縮し機能を果たすわけですから、常に小さな刺激を送り続けておくことは、大きな刺激を伝える準備としても正しいことだと思います。

筋肉の収縮がないままその場に立ち続けることによる、血流の阻害によって筋肉そのものが硬結してしまうことも防げるわけですから、疲れたからとか今直接プレーに関与していないからと、その場にただ立っているよりずっと意味のあることだと思います。

アイドリングは慣れてくると、傍目には何もしていないように見えると思います、皮袋の中の出来事で、コップを揺らしているわけではありませんから。

数年前に見て衝撃を受けた、ブラジル代表チームが一斉に攻勢に転じる時の体の動きから感じたものは、実はこれだったのではないかと思います。

個人としてはもちろんですが、チームとしてこんな動きをされたら、相手はどう対応したらよいのでしょう。

こんなことを考えながら昨日の休日を過ごしました。

私は正しいものは正しいと言い続けてきましたが、「正しいことをするのは楽しい」、そう思ってもらう努力が足りなかったかもしれません。

「こういう風に考えると、こういう風に体を使うと楽しいことがあるよ」そうでなければやってみようとか、自分も誰かに伝えようなどと思ってもらえないですよね。

私こそ難しい顔をして厳しいことを言い続けてきた人間です。

何か楽しみはないのかと聞かれても、趣味のゴルフでさえ動き作りのテーマの一つになっています。

「楽しくやろうよ‼︎」自分にも言い聞かせて、さらにいろいろな方向へ発想を広げていきたいと思います。

個の力、集団の力 私にできること

(今日の記事は雑感です、役に立つ情報を期待していただく方には期待外れになることを、先にお断りしておきます。)

今朝は朝食をとった後、1時間ほどすぐ近くの土手沿いを軽くジョギングしてきました。

広島は穏やかな秋晴れに恵まれ、土手沿いの遊歩道ではジョギングや散歩する人たちとたくさんすれ違いました。

それほど大きな川ではありませんが、広島は川の町で、いくつのも川が山から海へと流れ込んでいます。

関東から東北にかけてのエリアで、想像もつかない大雨に見舞われ、多くの土地が水に浸かり、川が氾濫し、住む家も田んぼや畑も、すべてを失ってしまった方がたくさんおられます。

穏やかな川面を眺めながら、同じ日本に同じ時を生きている者として、ただ他人事のように心配することしかできず、日常の生活を送っていられることを、自分なりにどう捉えたらいいのかと、色々なことを考えながら走り続けていました。

阪神淡路の大震災、東北の大震災、広島でも大規模な土砂災害に見舞われました、そして今回の大雨による災害、日本だけではなく世界中で、自然災害による被害は後を絶ちません。

加えて中東に住む人たちが、生きるための場所を求めて着の身着のままで国外に出ていく、今こうしている間にも何人何百人という人が命を落としているかもしれない。

私がそんなことを考えても、世の中がどう変わるわけではないし、災害に合われた方々に対して何の力になることもできません。

こうして自分の考えをブログに書き連ねていく中で、ただただ自分の言いたいことだけを言うことが、はたして正しいのか、今回のような大災害を目の前にして、いつも通りの平静を装っていていいのか、そんな気持ちから、こんな文章を書いてしまいました。

国民の生命財産を守るための仕事である、国会議員たちにはもっと真剣にこういう状況に対処してほしいと思います。

国の行く末を決める大所高所に立つのが自分たちの仕事だと思っているようですが、本来の仕事はアメリカと一緒に世界情勢の安定を図ることではなく、今現在苦しんでいる日本国民を助けることではないでしょうか。

もし、皇居や国会議事堂を含め、山手線の内側で今回のような事態が起こっていたとしても、国家安全保障の問題や労働者派遣法の相談を続けていたのでしょうか。

様々な考え方はあると思いますが、本当に国民のために政治家が存在しているのかという根源的な疑問を感じてしまいます。

柄にもないことを書いたかもしれませんが、私は心の中でいつもこんなことを考えています。

さてそんな大変な状況の中でも、各種スポーツの試合は行われ、日常生活もいつもと変わらず何事もなかったように続いています。

昨日はあるチームに試合を見ましたが、故障からの復帰に関わった選手が元気な姿を見せてくれ安心しました。

私がこれまで自分に出来ることは、「個」の能力を高めることで、サッカーであれ他のスポーツであれ、個を束ねて戦う将は別にいて、その役割に踏み込むことは出来ないし、してはいけないことだと思っていました。

そういう意味で私の仕事は、将棋の駒を磨くことであって、あとは信頼できる指し手に任せるというスタンスでした。

集団の中の個という存在であれば、それで済みますが、集団とは直接関係ない中で個との関係を作らなければならない時は、これまで以上に難しい仕事になることを痛感しています。

私が行うことと集団の中で行うことの方向性が違うことがあるからです。

今まで以上に本人との信頼関係が重要となり、それが出来なければ何もできないし、本人のためにならないのです。

これまでやってきた仕事は、有難いことに将棋の指し手である指導者との信頼関係がすでに構築されている場合がほとんどでした。

だからこそ個の指導に集中できるし、選手も安心して私の指導を受けることができるのです。

そういう意味ではストレスのない楽な仕事だったかもしれません。

9月も半ばを過ぎてくると、シーズンも終わりが近づいてきます。

過去チームや選手個人と契約して仕事をしている時には、この時期になると何となく不安な気持ちになったものでした、来年の仕事はどうなるのだろうと。

今の私はそういう立場ではありません、しかし逆の意味で何となくそわそわしています。

どんな環境であれ、もしかしたら私の能力を必要としてくれるところがあるかもしれない、どこからか声がかかるかもしれない、もう万に一つの確率かもしれませんが、そんなことを頭の隅で考えてしまうのです。

この2年間色々なことを考え、指導もしてきました、一つ一つの駒を磨くという、私が最も得意としてきた仕事に加え、指導者を指導するということもやりました。

個の能力をどう融合させていくか、というよりも集団の中でそれぞれの個をどう磨いたらいいのかという部分が少し見えてきたように思うのです。

上手く表現できませんが、ピンポイントで見ていたものが、少し広い視野で見えるようになったということでしょうか。

個の動きを理想に近づけるだけではなく、集団としての能力を高めるためにはどうすればいいか、そんなやり方というか方向性を示すことができるとしたら、間違いなく集団として出せる結果は違ったものになると思うのです。

個の能力を高めることには、すでに絶対の自信を持ってきました、そこに集団としてという発想を持ったことで、出来ることの幅が違ってきたと思います。

自分の能力を一番活かせる環境、それは与えられるものではないかもしれません、常に向上心を持って高め続けてきたものを、今目の前の誰かに伝えることこそ、私に与えられた仕事かもしれません。

こうして生かされていることに感謝しながら、少しだけ心の中に欲を持って、残された可能性に賭けてみたいと思います。

今日から3年目に入ります。

今日は9月9日、ここ「conditioning studio 操」をオープンしてちょうど2年となりました。

仕事をしている場所こそ違え、やっている仕事は基本的に同じなので、2年という月日が短いような長いような、どちらにも感じられます。

これまで特定の個人や団体を相手にすることが多かったので、様々な立場でそれぞれ違う目的を持ってここに来てくれる人たちとの出会いは、ある意味とても刺激的でワクワクさせてくれるものでした。

今までと違う意味で、自分の存在がだれかのために役に立っていると実感できる瞬間は、頑張ってきてよかったと素直に思えるものでした。

私は単純な男で、その時その瞬間に考えていることが優先され、長期的な展望とかこうなりたいという目標のようなものを掲げることがありませんでした。

2年前も、約4ヶ月の空白期間を経て、立ち止まってばかりはいられない、もう一度歩き出さなければと考えた時、自分にできることはこれしかないわけで、そのためには施設を作らなければと奔走しました。

たくさんの方に励ましていただき、なんとかオープンにこぎつけたことに対する感謝の気持ちは、これからも忘れることなく持ち続けていきたいと思います。

本来であればやっと形が整ったのですから、自分の年齢を考えても、この施設を守り続け体の続く限り頑張り続けようと思わなければならない立場だと思います。

もう現場に立つことはない、この施設こそが終の住処となる、そういう覚悟が必要なことも自分なりには分かっていました。

広島という街に根ざし、地域の皆さんのために自分の技術を発揮することで、これからの人生を作っていかなければならない、そして生活の糧としていかなければならないことも分かっています。

しかし、2年経った今でもそういう状況にはなり得ていません。

分かってはいるのだけれど、自分自身がそうなって行くことを心の底から望んでいるかというと、少し違うからです。

今ここを訪れてくれている方々は、こうやって書き綴っているブログや幾つかの媒体に書いた私の文章を読んで、それぞれが抱えている問題の解決策が、もしかしたらここにあるのではないかと思ってくれた事がきっかけで、わざわざ遠くから来ていただく方がほとんどです。

広島市内から来ていただく方の方が少ないくらいです。

そんな真剣な思いを持って問合せを頂く方に対して、ご希望の日時に予約が取れないでお断りしなければならない状況よりも、普段は暇でも、この時とばかりに真剣に向き合える時間を共有できる今の方が、自己満足でしかありませんが、自分の気持ちとしては充実感があります。

2年間様々な出会いがあり、自分の気持ちにも変化がありました。

自分で言うのはおこがましいですが、2年前の自分より色々な意味で遥かに成長しているという実感があります。

それを発揮する環境が欲しいと思うようにもなりました。

私から学んでくれた方の中に、ある組織に私を売り込んでくれた方がいます。

私の経験から生まれた技術や知識を学びたい、立場こそ違え、自分の引き出しに加えたいというのが、西本塾や個人指導を受けに来てくれる方々の一番の動機だと思います。

その方もそうだったはずです、その目的はもちろんの事、その方自身の問題ではなく、一から整理し直し、さらに進化を続けている西本理論を、もう一度私に現場で発揮して欲しいと、真剣に思ってくれたのです。

事前に相談がありましたが、それを断る理由は私にはありませんでした。

現実には、それがすぐに形となって実現するほど簡単な問題ではありません。

彼が送ったメールは、だれかの目に触れる事はあっても、責任ある立場の人間にまで届く事はないかもしれませんし、もし届いたとしても、そこから何かが動き出す事など万に一つの確率だと思います。

それを承知で行動を起こしてくれた、その方に対しては感謝の言葉しかありません。

西本塾がきっかけで、札幌には2年続けて伺い、昨年末には千葉にも伺いました。

融通の利かない私ですが、やはり一人でも多くの人に自分の考えを伝えなければならないと思うようになり、その方法ももっと考えなければならないのかもしれません。

できる事ならここを拠点として、こちらから出かけていく事で、その機会を増やさなければならないとも思っています。

私の話を聞きたいと、呼んでいただけるのなら、どこにでも出掛ける心の準備は出来ています。

もちろん勝負の世界でもう一度という気持ちもあります。

さらにはこれからを担う育成年代を育てるお手伝いをしてみたいとか、その指導者を対象に自分の考えを伝えたいとか、体の不調を抱えどうしていいのかわからないという人のために、私の力を発揮したいという気持ちももちろんあります。

あれもしたいこれもしたい、それらをすべて満たすやり方があるのか、それとも何かに絞ってそこに向かって進むのか、迷い続ける日々が続いています。

そんな中、昨日訪れてくれた選手との時間は、まさにそんな事を忘れさせてくれる濃密な時間でした。

自分の抱える問題点をきちんと整理して来てくれているので、私も指導がしやすかったのですが、だからこそ上辺だけの指導では伝えきれるはずもなく、お互いが納得できるまで繰り返しました。

我ながらボールを蹴ることがこんなに上手だったかと思えるほど、練習相手として十分な精度で蹴ることが出来ました。

これこそボールを蹴る動作は、伸展伸展の体の使い方だと言い続けていることで、自分の体もそういう風に動けるようになったのだと思います。

前に後ろに右に左に360度プラス上下も含め、あらゆる方向へ瞬時に移動し、頭を働かせ続ける能力、ピッチの中のどこに自分がいて、周りの状況がきちんと把握でき、そのうえでボールを扱う、こんな難しい事をサッカー選手は行わなければならないのです。

そのために最低限必要な体を自分の思った通りに動かすための意識と、それを可能にするトレーニング、5時間もかけましたが、まだ半分くらいしか伝えきれなかったと思います。

こんな選手のためなら何時間でも付き合えると思いましたが、次の予約の方があったため区切りをつけなければなりませんでした。

会話の中で、同僚の選手がやはり動きづくりに、どなたかの指導を受けて取り組んでいるという話を聞きましたが、明らかに私とは違うアプローチであることがわかり、いい悪いは別として、色々工夫している選手や指導者もいるんだと安心しました。

昨夜の代表戦は良い結果に終わり、それぞれの立場で安心している方も多いと思いますが、チームとしての目標はもちろんはっきりしていますが、個人としてできる事、もっと能力を向上させることは可能だと思うので、私はそういう選手の動きを見続けることで、昨日のような選手に対して、さらに良い指導やアドバイスができる準備をさせてもらいたいと思います。

もう糸の切れたタコのように、風任せというわけにはいきませんが、自分の可能性を信じて、向上心を持って歩みを進めていきたいと思います。

2年間ここで出会った皆さん有難うございます、これからもよろしくお願いします。

数値と感性

私は学者でも研究者でもありません、今やっている仕事には合わない言葉かもしれませんが、自分は職人だと思っています。

頼まれた仕事に対して自分の持っている技術や経験を最大限に発揮し、そこに新しいアイデアというか遊び心を加えて、お互いが満足できる結果を求めてくのが私のやり方です。

私が相手にしているのは、物言わぬ道具や機械の類ではなく生身の人間ですから、同じように仕上げようとしても二人と同じ結果を出すこともできません。

そこが面白いと言っては不謹慎かもしれませんが、思ったような変化を見せてくれない、ある意味出来の悪い相手の方がやりがいを感じるところもあったり、またこちらの想像を超えるような成長を見せてくれる相手に出会って、人間の無限の可能性を感じさせてもらえたり、飽きることなくいまだに職人家業を続けています。

職人として辛い所は、組織に属してしまうと、すべての対象者に対して平等にとか、可もなく不可もない対応を求められ、コツコツ何かを作り上げることより、大量生産のラインの作業になってしまうことです。

そこに求められるのは結果を客観的に判断するための数値であり、今現在常識とされている方法論を踏襲することです。

プロスポーツ選手というのはまさにその逆で、人と同じことをしていては選手として生き残っていくことのできない世界に生きているわけで、そういう選手たちを相手にする立場の人間たちの意識が、それと真逆なものを良しとしていることに、私は納得どころか意味が分かりません。

人間の体は、私自身まだまだ見ることのできない、無限の可能性を秘めているということだけは実感しています。

それをどういうやり方で掘り起し開花させられるか、一言でいうとそれを追い求めての職人家業だと思っています。


古今東西数えきれないほどのトレーニング理論やメソッドが公開され、そして消えて行きます。

方法論より先に、まずは「自分がどうなりたいのか」という目標設定の甘さが、正しい方向性を見いだせない一番の理由だと思います。

見いだせないと言いましたが、現実として単純にこうなりたいと思った時、それを実現してくれる何かがなければ、考えても仕方がないということだったかもしれません。

方法論に頼れば、そこには過程と結果があり、それらは数値として厳然と突きつけられることになります。

しかし、それらが目標とした一定のレベルに達したとしても、本来の目的であったことが達成されたかと言えば、そうでないことがほとんどだと思います。

例えばサッカーの選手が、一歩目のスタートが若いころよりも遅くなったと感じたとします。

筋力の衰えか、はたまた練習が足りないのか、今流行の体脂肪率の増加が原因かもしれない、色々なことを考えたとします。

少なくともその問題点に対しては、出来うる限りの対応をして、数値の上では十分当初の問題点であるスタートの遅さは改善できるはずだということになります。

ところがそうはなりません。

なぜ遅くなったのか、その原因がどこにあったのか、その部分の分析が間違っていれば、当然ですが改善されるはずはありません。

あれもやったこれもやった、ここも改善したあそこも改善できた、これ以上何をやったらいいのか、もう自分の能力はここまでなのか、そう思ってしまうのも当然でしょう。

なぜかそういう状況に追い込まれた選手が、私の元を訪れる場合が多いのです。

私の言う「体づくりから動きづくりへ」という言葉に共感してくれたというか、数値に現れる結果で評価できる体づくりでは、自分にとって本当に必要な動きの改善はできなかったとうことに気づいたからです。

「動きづくりってなんだろう、もしかしたら自分にもまだ可能性が残っているのではないか」、そう思うことがスタートです。

何度も言いますが私は研究者ではありません、高価な測定装置を備えた研究室に白衣を着て座っている立場の人間ではありません。

私がみるのは、目の前にいる人間そのものです。

その立ち居振る舞いから表情や、ものの言い方、ちょっとした仕草にさえ人間としての本性が見え隠れしています。

そして問題点と改善できるところを検証してきます。

さらに何より大切なことは、「本人の本気の度合」です。

口ではああだこうだ言っていても、本気でそうなりたいという意思を感じる人間は、私の経験ではそうはいないと思います。

本気度を見分ける目は、私なりに身に付いてきたと思っています。

私の本気度を超えるものがない人間とは、当然ですがかみ合わず、私の一人相撲になってしまうことも何度かありました。

だから今は、相手の意識レベルに合わせてしか指導をしないようにしています、もちろんそれが高まるように持って行くのも私の仕事だとは思っていますが。

数値で表せない分、お互いの気持ちというか信頼関係が一番重要になってきます。

一番苦手なところですが、うまくやろうとか気に入られようなどという感覚は私にはありません、目的はそんな問題とは違う所にあるので、相手のために言わなければならないことは厳しい言葉になっても言わなければならないと思っています。

明日もそんな一人が、私の元を訪れることになっています。

彼の意識と動きを3時間で変えるのが私の仕事です、どんなことになるか私自身とても楽しみです。

また一般の方ですが、30年来の腰痛に悩まされ、何度もぎっくり腰に襲われ、勧められるままに様々な施設を訪れ、様々な施術を受けてきたが効果を感じたことがないという50代の男性が先日訪れてきました。

初めてお会いするその方に、私の考える体の仕組みや腰痛のメカニズムを話し続けました。

1時間後、今まで感じたことのない体の変化に、すぐには言葉がありませんでした、どう表現したらよいのか分からないと。

治ったとか治らない、痛いとか痛くなくなったではない、まさに数値どころか、これまで感じたこともない感覚の変化、これこそその方の体を変えてくれる唯一の手がかりであり、目標設定のスタートなのです。

私の、科学的でも何でもない感覚的な説明に、最初は納得できないというか納得のしようがないという顔をしていました。

当然でしょう、その方の職業は担当分野こそ違いますが、循環器系を専門とするドクターなのですから。

しかし、そうであるからこそ医療の限界も知っているし、人間の体の不思議さや可能性も感じているはずなのです。

数値に頼り、数値を使いこなせなければ時代遅れのように言われますが、私は人間の体の可能性を信じ、そして相手を何とかしてあげたい、自分ならなんとかできるかもしれない、その小さな可能性も信じて、これからも職人としての腕を磨き続けて行きたいと思います。

予想通りの展開と結果

昨日のカンボジア戦、このブログにも私の動き分析を期待してくださる方からのコメントもあり、いつも以上に気合を入れてテレビ観戦に臨みました。

とは言いながら今回の試合には正直あまり期待していませんでした。

というのは、これまでいくつかの試合を見てきましたが、いわゆる格下のチームと対戦するときの選手の動きは、彼らが持っているポテンシャルの何パーセントが発揮されているのかと言わざるを得ないような、物足りない動きに終始してしまうことが多かったからです。

試合の内容としては、前回のシンガポール戦のように一方的に攻めまくり、何度も決定機を作りながらも得点できないこともありますが、基本的には勝てる相手には負けないという試合運びになると思います。

ところが相手の方が格上で、勝てば金星という扱いを受けるような対戦相手に対しては、自分の持てる限りの、いえそれ上の能力を発揮しても対等に戦えないという状況の中でこそ、私が見ていても「これは頑張った、今のような動きがもっとコンスタントにできるようになれば」、そう思わせてくれるようなシーンを見つけることが出来ます。

逆に、こういう動きをしている限り、絶対にこういう選手、こういうチームには勝てないんだろうなと思わざるを得ない体の使い方や動きが、たくさん見えてしまいます。

私の動き分析は、重箱の隅を突っつくようなあらさがしをしているわけではありません。

「こういう時にはこういう意識でこういう風に体を使えば、もっと簡単にもっと効率的に自分に必要な動きを行うことが出来ますよ」と言いたいだけなのです。

数年前まで、サッカーに対してこんなにも思い入れを持って選手の動きを見たことはありませんでした。

私のような素人が見て分かること、気がつくことを、プレーしている当事者である選手や、資格を持った指導者たちが、知らないとか気がついていないなどということがあるはずがないと思っていました。

ところがそうではありませんでした。

動きに対する、体そのものに対する見方というか感じ方がまったく違っていたのです。

「サッカーというものはこういう風に体を使うのだ、そのプレーに対しての意識はこうあるべきだ」、長くかかわっている人たちに刷り込まれた固定概念は、そうそう簡単に変わることはありませんし、何よりそれらが間違っているとまでは言いませんが、もっと違うもっと良い動き方があるなどということを考えようとする人はほとんど皆無に近いと思います。

事実私のことを知っている人たちこそ、私がこんなことを言っても「お前にサッカーの何が分かる」と、思っている人がほとんどだと思います。

そんな現状の中、私のような人間のものの見方や考え方に興味を持ってくれる人が増えたことは、色々な意味で喜ばしいことだと思います。

現在選手としてプレーしている、子供さんがサッカーをやっている、育成年代の指導者をやっている、サポーターとして真剣に応援している、様々な立場で私の見ているフィルター越しに、改めて日常にあるサッカーというものを見ていただくと、今まで見えていなかった部分に気づけるかもしれないと思うのです。

そんな私が昨日の試合を見ながら一番感じたことは、選手たちが伸び伸びとプレーできていないということです。

監督が代わり、自分のプレーをアピールして代表チームに不可欠な選手であることをアピールしたい、そう思うのは当然です。

それぞれのポジションで安定した中にも攻撃的な姿勢も見せなくてはならないし、何よりあそこまで引いて守ってくる相手に対して、なんとか自分の力で得点を取るというプレーを見せたい、そんな思いがひしひしと伝わってきました。

そんな中で最初の得点を挙げた本田選手は、自分の力通りのプレーを見せていました。

本田選手のフアンには申し訳ないですが、けっしてもろ手を挙げて褒めているわけではありません。

あそこまで引いたうえに、背中を丸め前傾した姿勢でボールを奪いに来るわけでもなく、ひたすらスペースを守るというかブロックを敷いて陣地に入れさせないことが目的のような相手選手に対してなら、その外側で自由にプレーできて当然の能力を持っているのですから。

そんな中でのシュートですから、同じようなレンジから何度かシュートを打っていれば1発くらいは入って当然でしょう。

居残り練習で、壁人形を使ってミドルシュートの練習をしている状況とそれほど変わりませんから。

取りに来ないのですからボールキープも出来て当たり前です、格下のチームや選手が相手だったらこのくらいのプレーが出来ることはもう分かっています。

彼の場合は、W杯の時からずっと言われている、自分と同等かそれ以上のレベルの選手と対戦するときの、一歩目の出足の悪さとか、攻撃で前掛かりになる時の姿勢の悪さからくる力みによる、ボールタッチの悪さをどう改善していくかの方が問題で、上から目線でプレーしている彼を見ても、どう評価していいのか分からないのです。

ただ今回は良く頑張って、勝つための試合を作ってくれたと思います。

問題は他の選手たちです、海外のチームでプレーしている選手がほとんどで、本田選手と同じように上から目線でプレーできる選手たちばかりのはずなのに、もう自分のことで精いっぱいと言わんばかりのプレーが目立ちました。

ツイートでも言いましたが、ゴール前に何人も突っ立ったままで、自分のところへ放り込んでくれ、そしたら自分が決めるからと、本当にただ待っているだけにしか見えませんでした。

私が使っているipadのアプリの位置を替えたり、消去しようとして操作するとき、アプリの右上に×印がついて、アプリのマークが小刻みに揺れます、そして一つを動かすと後のマークが一斉に横ずれして整列しなおします。

イメージは分かっていただけると思いますが、サッカーの場合なら一人の人間ではなく、全員がいつでも動きだせる状態を作り、なおかつ実際に相手に近づいたり離れたりという皆が動きを行うことで密集地帯にスペースを作り出さなければなりません。

それが出来ていないから、実際に自分のところにボールが来ても相手に競り負けたり、こぼれ球に対しての反応も遅くなるのです。

気持ちばかり焦って前かがみになり、本来の動きが出来ないというシーンが何度あったことか、私が定義する技術というのは「自らの意図した筋肉の動きを、反復継続して行うことのできる能力」のことですから、こういう試合でできないということは、私がここの選手に対して持っている彼らの技術というイメージは、たまたまユーチューブで見たゴール集の、年に何回かしかできないプレーを、何時でもできる技術と勘違いしていることになります。

香川選手の動きなど、「え、こんな動きしかできなかったっけ」と、逆に驚いてしまいました。

悪い所を指摘することは簡単だと言いますが、ではなぜそうなってしまうのか、その原因を少しは探らなければなりません。

もちろん外から見ているだけの人間ですから、それらをすべて言い当てるなどということは出来るはずがありません。

ただ動きがなぜできないかという部分に関しては、私なりの意見があります。

それはやはり意識の問題です。

メンタルのコントロールが出来ていないのなら、専門のメンタルトレーニングを受ければいい、などという単純な問題ではありません。

国を代表してW杯の予選を戦うピッチに立っている、前回ふがいない試合で引き分け、この試合は何とか圧倒的な力の差を見せて勝利したい、個人的にもアピールして代表のスタメンを確保したい、そんなさまざまなプレッシャーの中で普段通りのプレーを望むことは無理なのでしょうか。

つい先日閉幕した世界陸上を見ていると、まさに本番に力を出す選手がたくさんいました。

この一投で予選を通る、最後の試技で逆転金メダル、そんなシーンを何度見せられたか。

敗れ去っていった日本選手たちのコメントを聞くと情けなくなりました、「世界との力を痛感させれらました、ここ一番で力が出し切れませんでした」、陸上に限りません、あらゆる競技でもう何十年も前から聞かされてきたコメントが繰り返されていくのです。

ではどうすればいいのか、私に答えはありません。

しかし、私がアドバイスを求められるとしたら、どんな競技であっても根本的な体の使い方が分かっているか、一生懸命になることは良いけれど、それのよって能力が発揮できなくなっている事実を知っているか、そこから始めなければいけないのです。

体のしくみ、屈筋と伸筋の役割など、それがどうしたと思われるでしょうが、そこをきちんと理解することなく技術の獲得も発揮も出来ません。

さらには、それらを十二分に発揮するための体の使い方を、どういう意識で練習しておくか、それを知らなければ結局頑張ったのに、で終わってしまうのです。

W杯予選の戦いはまだまだ続きます、もう監督が代わることはないと思いますが、あの人の言うことや表情を見ていると、選手はやらされているという感じが強いと思います。

それはそれで仕方がないことかもしれませんが、もっと冷静に周りを見て動きを作れる選手が必要だと思います。

そのための一つの方法論として、私が提唱する90分間走り続ける能力ではなく、90分間頭と体を動かし続ける能力を持った選手が一人でも多く必要なのです。

それに今の選手の中で、一番近いと思った武藤選手でさえ、昨日はまったく私が知っている武藤選手の動きではありませんでした。

ということは、彼の動きも理屈を理解したうえではなく、天性のというかまだ若い選手ですが、これまでの経験で作り上げられてきた動きでしかなかったということです。

やはり、こういう動き、体の使い方には意味があるんだということを、しっかり頭が理解し整理したうえで、普段の練習から意識と動きの統合を図り、どんな状況でもそれが発揮できる準備が必要なのだと思います。

ただ跳んだり走ったりのトレーニングにはまったく意味がありません。

次の試合も注目はしますが、私が考えていることを本当に理解して指導することが出来なければ、何も変わらないと思います。

逆に言えば、本気で理解しようとすれば一晩で変わる選手もいるかもしれません。

その意識を持って動きづくりに取り組んでいる選手もいますが、今回その選手はピッチに立っていません。

歯がゆい思いもありますが、現状はそう簡単には変えられません、多くのサッカーフアンのためにも、選手たちの奮起を期待します。

流れの中の動き

全米オープンテニス2015、昨年の準優勝を受け、最近の好調ぶりもあって第4シードの錦織圭選手には大きな期待がかけられていました。

ところが残念なことに1回戦で、世界ランキング41位のベノワ・ペール選手に逆転負けを喫してしまいました。

世界ランキングというのは各種の大会で獲得できるポイントを総合して、現時点でのランキングを決める制度ですから、たとえ格下であってもこれからどんどん上がってくる選手もいるわけで、そう単純に負けるはずがない選手だったと決めつけるわけにはいかにと思います。

ここで思い出したことがあります、現在世界ランキング1位のジョコビッチ選手が書いた「ジョコビッチの生まれ変わる食事」の中にこんな言葉がありました。

「世界最高といえる存在が2人いた。フェデラーとナダルだ。そしてこの2人からすれば、私など、たまに出てきて、少し苦しくなるとすぐ棄権してしまう〝雑魚〟にすぎなかった。この2人こそ本物のエリートだ。私はまだ第二集団の中でもがくだけの存在だった」というくだりがあります。

今から8年くらい前のことだと思いますが、「世界のトップを目指しフィジカルではなくメンタルだったのではないか、様々な薬も試し、その後ヨガをして、少しでも思考に平静をもたらそうとしたり、1日14時間、1日も休むことなくメンタルとフィジカルの向上のために何かをしていた。そして世界ランクングトップ10に加わるようになった」と書かれています。

私もこれまで幾つかのスポーツのプロと呼ばれるカテゴリーの選手と仕事をしてきましたが、ここまでストイックに自分の時間のすべてをかけて向上していこうとしている選手には、残念ながらお目にかかったことはありません。

テニスにはあまり関心がありませんでしたが、この本を読んでテニス選手に対する見方がまったく変わってしまいました。

もちろん全員がそこまでストイックな生活をしているとも思えませんが、ここまでやらなければ世界のトップに立てないというテニスというスポーツってなんだろうと、改めて考えさせられました。

そんな中、日本人である錦織圭選手が、トップ10どころかトップ4にまで登りつめました。

登りつめたと書きましたが、ジョコビッチ選手の言葉を借りると、まだまだ世界最高のとか本物のとかいうレベルには達してはいないのでしょう。

ここまでたどり着いた選手は、そこからが本当の意味で大変で、こうしていわゆる格下の選手に負けることはもう許されないのです。

相撲でいう、横綱は負けたら即引退、そのくらいの覚悟が必要なのだと思います。

錦織選手は残念ながら負けてしまいました。

ふと思い出して、昨年の10月27日にNewspicksの連載企画の中で書いたテニスに関しての記事を読み返して見ました。

4人の選手を主に伸筋を使っているか屈筋を使っているかという視点で分類したものです。

錦織選手は屈筋型、私の目にはナダル選手とともに攻撃型の選手であると映りました。

対してジョコビッチ選手とフェデラー選手は伸筋を主に使ってストロークする、攻撃型に対して守備重視型とまではいきませんが、オールラウンドプレーヤーとでも言うのでしょうか、負けない試合をする選手というイメージでした。

その記事を書いたときに編集担当の方が4人の練習が見られる動画サイトを貼り付けてくれていたので、改めてそれを見比べると、そのことがよく分かります。

特にジョコビッチ選手は、ストロークした後、他の誰よりも構えの位置、ニュートラルポジションというのでしょうか、そこに戻るのが早いのです。

きちんとストロークしているにも関わらず、元の姿勢に戻るのが早い、これが現在世界一の守備ができる選手と言われている所以なのではないでしょうか。

世界ランキングトップ10が見え始めている頃の錦織選手は、どちらかというと攻撃重視型から、マイケルチャンコーチの指導で、攻撃力をさらに高めながらもオールラウンダーを目指していたと思います。

そうでなければ今のランキングまでは上がってこられなかったでしょう。

ジョコビッチ選手のいう第2集団につけた錦織選手は、自分のプレースタイルにかなり自信を持ってきたと思います。

オールラウンダーを目指しながらも、かなり攻撃力を上げてきました。

テニスは全くの素人である私ですが、ここから錦織選手が第一集団に割って入るためにどうしても必要だと思ったことが、ジョコビッチ選手に見られるストローク後のニュートラルポジションに戻る早さです。

強いストロークや、絶妙なドロップショットを打って、これで決まったと思った瞬間それを返されて慌てたり、普通にストロークしているときでも、打った後が何となくに見えたりではなく、どんなボールをどんな形で打った後でも、誰よりも早く姿勢を立て直す、これができるかどうかが、第一集団入りへの鍵だと思います。

サーブのスピードも精度も上がり、自分が試合の主導権を握る展開が多くなったと思います。

勝つためにはという発想から、負けないためにはという部分も、トップ選手には必要だと思います。

「タイブレークで1本決められていたら」、というコメントもありましたが、そんな場面はたくさんあったと思います。

攻撃と守備という単純な分け方ではなく、常に一対一で打ち合っているスポーツですから、格闘技にも通じるところがあると思いますし、他の多くのスポーツにも言えることだと思います。

サッカーでも守りを重視するとか、攻めを重視するとかいう言い方がされますが、ボールを持った時点で攻撃であり、奪われた時点で守備ではありますが、攻めていながらも守っているし、守っていながらも攻めを考えている、単純な発想ではとても追いつきません。

私が走るという動作を指導すると、まっすぐ走ることは言われているイメージはなんとなく分かったが、ストップやターンといった動作にはどう応用できるのかという質問をされることがあります。

こういう発想になるのは、動作を一つ一つ分けて考えてしまうからです。

テニスに攻撃も守備もないように、一連の動作は流れの中で行われます。

走るという行為は前に進むためだけのものではありません。

自分が進みたいという方向へ、必要な早さで移動するための体の使い方を学ぶための、一つの方向一つの練習ドリルとして、前に向かって走るということを行っているのです。

抽象的な表現で申し訳ないですが、皮膚という皮袋の中に浮かんでいる数え切れない細胞たちが、常に揺れている状態をイメージし、前後左右そして上下に、どこへでも揺れ動いてくれることが体の動きであり連動だと思います。

便宜上、関節から関節への連動という言葉も使いますが、本当の超一流選手たちの動きからは、そんな言葉では言い表せないまさに細胞が揺れているという表現がぴったりな動きがたくさん見られます。

だから美しいのです。

錦織選手が今回の敗戦から何を学びどう進化してくれるのか、とても楽しみです。

ストロークの後の体勢の作り方とその早さ、そこが改善されたとき、きっと第一集団を脅かし、その中に割って入ることができると思います。

この部分は意識の問題の方が大きいと思うので、ぜひそういうアプローチもして欲しいと思います。

もうすぐ行われるサッカー日本代表の試合でも、動きのつなぎの部分に注目して見ることで、いわゆる決定力不足の原因も、もしかしたら見つけられるかもしれません、楽しみにしています。


プロフィール

Author:西本 直
1993年、Jリーグサンフレッチェ広島を皮切りに、社会人野球三菱重工広島・協和発酵・ヴィッセル神戸・川崎フロンターレ、そして広島カープ佐々岡真司投手など、プロアマ問わず競技レベルのスポーツ選手から一般の方まで、トレーニングやメンテナンスの指導を行ってきました。
その経験と知識の蓄積を「西本理論」としてまとめ、一人でも多くの方に実践していただくことが、これからの私の使命であると信じ、このブログから発信していきます。
私の理論はスポーツ選手のみを対象としたものではなく、ビジネスマンや家庭の主婦まで老若男女すべてに当てはまる不変のものです。
指導や講演のご依頼も受け付けています。
実名でツイッターも書いていますので、チェックしてみてください。
また、2013年9月9日にConditioning Studio 操をオープンしました。こちらもご覧ください。
また、遠隔地にお住まいの方を対象とした動き分析とアドバイスを行っています。
詳細は「スタジオ操」のホームページ内の「遠隔サポート」をご覧ください。
西本塾を深める会を9月10日(日)に開催を予定しています。
詳細はstudio操のホームページ内の「講習会情報」をご覧ください。

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