速く楽に走りたければ、伝えた根っこのことを思い出してください。

目的のための手段ばかりに目がいってしまい、本質を見失いかけている塾生への警鐘を鳴らすために、その方法論が本当に正しいのか、なぜどうしてという根本的な疑問に立ち帰って欲しいと、今回の深める会では厳しくそれを要求しました。

施術と走りの二つが、西本塾の主な内容になっていると思われがちですが、他のすべてのことに通じる考え方を伝えてきたつもりでした。

そこには当然技術でありテクニックという概念が加わってくることは当然ですが、西本塾の二日間、それも初日の午前中にお話ししている、人間の体の仕組みとは、正しい体の使い方とはという部分に、全てが集約されているのです。

初対面のみなさんにとって、いきなり今まで聞いたこともないような話をされて、ある意味目から鱗だと思ってくれたり、言われてみれば当たり前だと思ってくれる人もいたりと、感想はそれぞれだと思いますが、それでも理屈の部分はもういいから速く実利を得られる実技に移ってくれないかなというのも本音だと思います。

そして二日間が終わったとき、改めて初日の理論がいかに大事だっかということに気づいてもらい、そこをしっかり理解して深めていく以外に、技術を応用できる本当の力は身につきませんよ、ということで締めくくってきたつもりでした。

しかし、ほとんどの人が枝葉の技術を追い求め、どこかの講習会を受けた時と同じ感覚で、その後を過ごしてしまっているようです。

私自身の感覚が毎回少しずつ変わっていることが、混乱の原因の一つである事は自分でも分かっていますが、本気で学び続けようとしてくれる人たちのためにも、深める会はこうあらねばという気持ちになりました。

とにかく迷ったら、レジュメを読み返し、関連するブログを読み返し、方法論ではなくなぜ私がそうしているかという深い部分を探って欲しいということです。

掘り起こすという作業とは、そういうことを言っています。

特に走るという行為は、今まで感じたこともない、走っているのに苦しくならない、何度も走って汗をかいているのに疲れを感じない、そういう感覚的な部分では一人の例外もなく感じとってくれています。

それをどう自分のものにして行くかという過程で、スピードがあげられないのはどうしてか、スピードを上げると動きを維持できない、あるていどの距離なら習った走りができるが、その先で崩れてしまう、などなど、どうしたらいいんですかどうやったら改善できるんですかという枝葉の質問ばかりを持ってきてくれます。

最終的にはそこから先を自分で考えられるようにならなければ、他の誰かを指導するなどという行為ができるようになるはずはありません。

たとえ自分が私以上に私の要求している動きを実際に行うことができるようになったとしてもです。

私の指導のアシスタントとして実技を見せる役をお願いするなら、私にとっても少し体が楽になってありがたいことではありますが、それと指導できるということは全く次元の違う話です。

何度か例に使った、小学生くらいの子供に、どうやったら足が速くなりますかという質問をされたのなら、相手のレベルに合わせて答えることもできるかもしれません。

しかし、体の仕組みから始まって、なぜこういう体の使い方が、体にとって無理なく効率的な走りを可能にするのかという理論を学んだ上で、実際に走ってみてその効果を実感した人たちから、どうやったらもっと速く楽に走れるようになるのでしょうかという質問をされても、私はどうやって答えたらいいのでしょう。

何を聞いていたのか、何を体験したのか、理論と実践をどう結びつけたらそういう走りになったのか、それが全てです。

各種のドリルはその手段にしか過ぎません。

それでも納得できないというか解らないという人は、理論からやり直してもらうほか方法がありません。

なぜ楽なのか、余計な力を必要としないからです。

せっかく二足歩行ができる人間という動物として生まれてきたのです。

骨盤の構造に、大腿骨の形状がまっすぐに刺さっているのではなく、クランク状に左右から差し込まれているという事実からしか、私の走りの理論は生まれませんでした。

そのクランクを無理なく回すためには、骨盤は前後にではなく縦に動かす必要がある、またそう動くようにできていることも事実です。

私が考えたことではなく、人間平等にそうやって作られている、元から仕組まれたからくりなのです。

そのクランクが回りやすい骨盤の角度を作ってくれているのが広背筋という筋肉です。

もちろん単独で行っているわけではありませんが、最も重要な役割を担ってくれていることは間違いありません。

その広背筋に対して、しっかり動いてねとお願いするために、道具もなくできるように考えたのがFBTというわけです。

それによって骨盤の角度を後上方に引き上げてくれることで、クランクが回りやすい状態を作る、これを股関節の自由度が高いと表現しています。

あとは股関節の自然な伸展動作が、大腿骨を無理なく前方に引き出してくれて、筋力という概念をほとんど意識せず前方への重心移動を可能とし、なおかつ振り出さた大腿骨から、次は膝間接そして足首の関節と、無理なく連動してくれることで、着地は体の重心位置である股関節の真下に、結果として着地することで、自分の体重よりも軽い負荷にしか感じない着地を可能にしてくれます。

上半身はその広背筋をリードするために、広背筋の停止部位である上腕骨の小結節部分、肩に近い三角筋と上腕三頭筋の切れ目あたりを使って、広背筋の収縮によって骨盤を引き上げるという運動を行ってもらうのです。

そのためには常に肘は体側よりも後方に置いておく意識が必要ですが、後ろに引くことの反作用で、結果とし体側よりも前方に振り出されるというのが自然な動きです。

前回審判の方が走りを学びにきてくれましたが、どなたかの指導を受けてきたという方の腕は、常に後方に引かれたままで、肩甲骨が背骨側に寄ったままになってしまい、後背筋を引き上げるという動作が行えず、なんともぎこちないものになっていました。

どこをどうするではないのです。

目的は一つ、楽にそして速く走ること、それ以外にないのですから。

そのために必要な要素は個別なものではダメなのです。

どこがおかしいですか、どこを意識したらよくなりますか、それは質問にはなっていません。

目的のために必要な体の連動、この連動という言葉が全てです。

だから体の仕組みを学んでくださいと、何度も繰り返しているのです。

仕組みを学び、屈筋に頼らず伸筋で体を動かすという、動きの意識をこれでもかというくらい継続することなく、分かったできた、できません教えてくださいはないのです。

そのことをたった1日、いや数時間の指導であっても、何度も何度も私の指導を受けにくる人であっても、それぞれのレベルに合わせて納得させなければ、指導していることにはならないのです。

難しいことを言っているように聞こえるかもしれませんが、私の言っていることは体の声を代弁しているに過ぎません。

人間が勝手に違う思い込みで動きを作ってしまっただけのことです。

それでも固定概念や既成概念に凝り固まった人たちを変えて行くことは大変な作業です。

だから仲間が必要なのです。

仲間たりうる人たちに対しては、少し厳しい指導だと受け止められれも、伝えなければならないと思っています。

いい加減な理解と実践で指導して欲しくありませんから。

塾生の皆さん、レジュメをそしてブログを真剣に読み返してください。答えは全て書いてあります。

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根っこを掘ることの意味

昨日一昨日の二日間、4名の参加者とともに「西本塾を深める会」を行いました。

一昨年の10月に初めて西本塾としての活動を開始し、西本塾として15回、深める会も11回を数えることになりました。

今年も残り1ヶ月と少し、西本塾も19・20日に行う16回で、今年の活動が終わります。

4名の参加者のうち、一人は深める会が3度目で、3人の方は初めての参加でした。

西本塾は回数を決めて、何回参加すれば全てが学べるとか、何回目にはどういう内容で行うと言った決め事が全くありません。

最初に西本塾を受講していただき、そこから先に進みたければ深める会に参加してくださいという、とても大雑把な言い方をしています。

当初の受講動機も様々で、目的意識も理解度も違う人たちが集う深める会では、参加者それぞれの目的意識を探りながら、その時々で私が二日間の内容を決めています。

深める会という呼称を使っていますが、参加者の目的は、実技のおさらい会という内容を期待していることはずっと感じています。

西本塾受講後、直後に深める会に参加してくる人は特にその傾向が強いと思います。

実技の時間に、私から直接指導を受ける時間が少なかったり、動きを体験できなかった部分を実際に体験したいとか、一定の期間練習してきた成果に対する私の評価を聞きたいといった、まさに技術テクニックという枝葉の部分が目的となっています。

それを否定するつもりはありません。

これまで経験してきた講習会や勉強会の類はそのためのものであって、時間とお金をかけて実利が得られなければ、参加した意味がないと思うのは当然のことです。

しかし私はそういうことを目的として、この会を行っているつもりはありません。

ある勉強会に参加して身につけたテクニックで、今まで改善できなかった患者さんの痛みを改善できた、素晴らしいことです。

しかし、そのテクニックを持ってしても対応できない症状に直面した時、また別のテクニックを学ぶための勉強会を探し、そのテクニックを習得して帰ってくる。

それを繰り返している人のなんと多いことか、そのことの何が悪いのか、患者さんのために多くのテクニックを学び、どんな症状にも対応できるように引き出しを増やす努力をしていることの何が悪いのか、ということなのでしょう。

私の考えは、施術という行為だけではなく、どんなことにも当てはまることだと思います。

スポーツのトレーニングにおいても、ある目的を達成するためにいろいろな手法がとられ、それでも足らなければ、また別の方法を探す、自分を向上させるためには努力を惜しまない。

そんな選手もたくさんいるでしょう。

私はそのどちらの要求にも答えなければならない立場で仕事をしています。

どんな目標を持っているか、そのためにはどんな方法をとればいいのか、もっとも効果のあるそして早く結果が出る方法を提示しなければなりません。

相手に対してこちらが行うべきことは、目的と方法を明確に示すことでいいのかもしれません。

それがうまくいっているうちは良いのですが、そうでない状況になった時に、どうしてだろうあの時はうまくいったのにと、慌てて別の方法を探さなければならなくなってしまいます。

私の西本塾で伝えていることも、受講者にとっては結果を出すための方法を教えてくれると思って参加してくることは当然のことでしょう。

そのための講習会であり勉強会であるはずなのですから。

私は全くそんな気持ちでこの会を行ってはいません。

ある意味受講者と私の思いに、ミスマッチが起きているとさえ思うことがあります。

今回の深める会を行うために4人の参加者のことを思い描きながら、いろいろなことを考えました、そしてこの4人なら私の思いをストレートに受け取ってくれるかもしれない、そう思ってあることを考えました。

毎回このやり方が通用したかどうかはわかりません。

そのヒントとなったというか、やっぱりこういう内容でやってみたいと思わせてくれたのが、直前に行ったサッカーの審判をしているという3人組の指導でした。

彼らは単純に、審判として効率良く走り続けることができる、走り方を教えて欲しいというのが目的でした。

3時間という限られた時間の中で、彼らの要求に応えるためには、ずっと外に出て走り方という実技を行うことのほうが、彼らは喜んでくれたかもしれません。

しかし1時間の実技を挟んで、前半は体の仕組みから始まって、なぜこういう体の使い方が有効なのかという理論と、実際に走るための準備としてのドリルやFBTを、本当に駆け足でしたが伝えて、後半には実際に走って体感した感覚を元に、改めて体の使い方の大切さを訴えました。

そのうちの一人は、走り方に対して、しかるべき人の指導を又聞きとは言いながら受けていたということですが、おそらくは大元の人の意図とは全く違う動きになっていると感じました。

過去にもそういう例はたくさんありました、彼らが指導を受けたことは、言葉にすると私が言っていることとそうは違わないはずなのですが、実際には私の指導を受けるまで、その言葉通りの感覚を実感したことはないというのです。

目指していることは同じで、指導内容にもそれほどの違いがないとしたら、なぜ過去の指導でわからなかったことや出来なかったことが、私の指導に頷き、実際にできるようになるのでしょうか。

目的も一緒方法論も一緒だとしたら何が違うのでしょうか。

私が深める会で伝えたいのは、まさにこの部分なのです。

木を見て森を見ずとか、咲き誇る花々に目を奪われることなく、普段目にすることはできないが、地中深く根を張り枝葉を支え栄養を運んでくれる、根っこの部分にこそ目を向けなければならないと、何度も繰り返してきた意味を、私自身もう一度整理しなければならない時期がきたのだと思いました。

明確な目的・目標を設定する、そのために最適な方法を選択し提供する、ここまでは当然のことです。

ではその方法がなぜ最善と言えるのか、それを選択することの意味、この方法に沿ってトレーニングを行えばこんなメリットがあって、他の方法ではこんなデメリットがあるということを自分の中で一点の曇りもなく納得できていて、相手を納得させられる言葉で明確に説明することができるかということです。

目標設定が1段階目だとしたら、方法論の提示は2段階、なぜこの方法が正しいのか、自信を持って自分が納得できているかというのはその下の3段階目だと思います。

3段階目を完全に納得できるものにするためには、その方法論が絶対であるための根拠が必要です。

それを構築するのが体の仕組みであり、人間として持って生まれた体の機能をどういう意識で使えばいいのか、そのことをしっかり準備しておくという作業が、その下の4段階目にあるということです。

体の仕組みというと、医学的な機能解剖学を連想する人がほとんどですが、そんな学問的なことは今時の小学生でもネットを通して学ぶことができる程度のことです。

そんなことではなく、私が言い続けている、当たり前のことばかりですが、伸筋と屈筋の違いだったり、3・5・7理論と名付けた、筋肉の最終単位であるアクチンとミオシン繊維の滑走のイメージを、どれだけリアルに動きとリンクさせるかという問題になってきます。

今は3の方向に収縮しているのか、5の状態でリラックスしているのか、7の方向に引っ張られているのか、人間の体に仕組まれた8方向への展開力と連動性を、いかに無理なく引き出してあげられているか。

それが2段階目で提示した方法論に合致しているかどうかが、3段階目の方法論に対して、自分が確実に納得できるということの裏付けとなっていくのです。

実際の痛みを訴える患者さんや、結果を求めるスポーツ選手に対して提示するの1段階目であり、それを達成するための2 段階目ということになります。

よほど意識の高い選手でなければ、3段階目の説明を求められることもないかもしれません。

だからと言って我々が、2段階目の方法論だけを学ぼうとする姿勢で良い訳がありません。

そんな薄っぺらな知識で対応できるはずがありませんから、どこかできっとボロが出ます。

それなりの施設であれば、他の施設との競争ですから、今はやりのトレーニングだから、うちでもやらないわけにはいかないという営業的な問題もあるかもしれません。

私にはなんのしがらみもありませんし、そんな方法論とは一線を画する、普遍の方法論を常に準備しています。

それは3・4の作業を、どこの誰よりも自信を持って行い続けていると思っているからです。

自分の体で1のための2、2を説明できる3、3の裏付けとなる4と、常に根っこを掘り続け、同じ作業を他者に対しても繰り返して行うことで、たくさんの根っこを掘ってきたからです。

その積み重ねが私の視点となって、選手の動きを分析しているのです。

私と同じ視点が欲しい、どうやって動きを見ているのか知りたい、もうお分かりだと思います、そういう人たちは1の目的を達成するための2の方法論を知りたいだけなのです。

改めて過去の私が、私の言っていることが他の人にわかるはずがないとか、私に見えているものと、他の人が見ているものが違うと思ってきたのは、3や4まで掘り下げる努力をどれだけ真剣に行ってきたか、ということに尽きるのです。

それなくして2の方法論をもし伝えたとしても、本当の意味ではなんの役にも立たないということです。

このことを今回の2日間で、5回くらいホワイトボードに書いて同じことを説明しましたが、最後の質疑応答では、やはり2の方法論を聞いているとしか思えない質問もありました。

物事を考える時、3から4へどうやって思いを巡らせるか、その方法ではなく意識を学ぶというか、それが最も大事なことだと気付いてもらうこと、またそういう人をどれだけ増やせるか、それを形にしていくのが西本塾であり、深める会を行うことの意義だと思います。

参加してくれる人たちは、まだそこまで求めていないことは明らかです。

私の思いは回を重ねるごとに深まっていきます。

もしかしたら参加者の意識とはどんどん乖離して行っているようにも思います。

それでも私は安易な2の方法論を追求したり、広めていくつもりはありません。

選手を相手に3も4も必要ないかもしれませんが、本当に選手や患者さんのことを思うなら、こちらの立場に立とうという人間は、3と4を追い続けなければなりません。

その努力を感じさせないさりげない指導が理想です。

まだまだ私は道半ば、さりげなさどころか熱さばかりが前面に出てしまいます。


どうすれば1の目標を達成させてあげられるのか、どんなアプローチが理想なのか、まだまだ試行錯誤が続きそうです。

今年最後の西本塾を12月19・20日に行います。

詳細はスタジオ操のホームページをご覧ください。

来年のことは未定です、12月に入ってから考えます。


深める会In千葉開催のお知らせです。

先ほどアップした記事に早速反応していただいた、千葉に望月さんから連絡があり、ぜひ今年も望月さんお施設を提供していただき、「深める会In千葉」 を開催してほしいという申し出をいただきました。

お互いに急なことですが、12月13日日曜日の9時から17時まで、会場は望月さんの施設で行いたいと思います。

ただ人数がある程度集まらないと開催できませんので、今月29日の日曜日までに5名以上の申し込みがあった場合に開催するということにします。

募集はいつも通り、「操」のホームページから行いますので、関東地方の塾生の皆さん、ご検討ください。


サッカーの審判としての走るという行為

昨日は午後から3時間コースで指導を受けにきてくれたグループがありました。

その方達はサッカーの審判仲間として知り合ったということで、その中の一人が以前newspicksで連載していた中で、マイケルジョンソン選手の走り方について書いた記事に興味を持ち、仲間を誘って指導を受けてみようということになったそうです。

西本塾ではこのブログを熟読していることを参加の条件にしていますが、個人指導を希望してきていただく方も、入り口は「朝3分の寝たまま操体法」であったり、このブログであったり、ホームページやツイッターを読んでと、それぞれですが、最終的にはブログの内容に興味を持っていただいて、実際に話を聞きたい指導を受けたいという人がほとんどでした。

今回の3人は、住んでいる地域も別々で、たまたまそのうちの一人から誘いがあって参加したという動機だったので、いい意味でも悪い意味でも私という人間に対する先入観がなく、仲間どうしで来ているという気安さもあってか、普段指導している方に比べると少し緊張感にかけるところもありました。

ブログを読んでいないという人を相手にすることはほぼ初めてでしたし、3時間という限られた時間の中で、希望している内容をどうやって盛り込んでいくか、私にとっても良い経験となりました。

26・27・33歳と皆さん若い方でしたが、サッカーの審判という同じ立場で切磋琢磨し、こうして走るという行為を学ぼうという高い意識を持っていることに驚きました。

これまで選手や指導者を相手に指導をしてきましたが、言われてみればサッカーの審判こそ、私が提唱している走るという行為の体の使い方が必要なのではと思いました。

走るという行為は目的ではなく、正しいポジションに移動し的確なジャッジをするための、最も基本的な行為なのですから。

色々話を聞いてみると、選手と同じように時間内でどれくらいの距離を走れるとか、何十分走り続けられるかなど、数字で表すことができる能力が評価の対象とされ、そのためのトレーニングも当然行わなければならないそうです。

ある地域では専門の方の指導を受け、審判として楽に走れる走り方を学んでいるそうです。

一人の方は、直接ではないそうですが、先輩審判からその走り方の指導を受けたそうで、それなりに走れると思って参加してきたようでしたが、残念ながら3人の中で一番ぎこちない動きしかできませんでした。

大元の指導者の方がどんな方で、どんな指導をしているのかはわかりませんが、直接指導を受けたとしても受け取り方は様々なのに、その又聞きということになれば、まさに伝言ゲームのように話が変わっていくことは容易に想像できます。

私の指導でもそうですが、二日間の指導、そして屋外での1時間の指導で、全員が確実に変化はしますが、そこで到達できるレベルに差が出ることは当然のことです。

私の場合は実技に入る前に、体の仕組みから始まって様々な体に対する知識を提供しておいて、さらには室内で背中を使えるようにするための準備と、動きのドリルを行った上で屋外に出ていくという周到な準備を行っていますが、単にこうやって走るんですよという程度では、伝えることは不可能だと思います。

その方は、肩甲骨を使って走るという言葉がキーワードになり過ぎてしまい、背中を反らし両肩を後ろに引き寄せて、いわゆる胸を張った姿勢になっているため、肩甲骨が背骨に寄り過ぎてしまい、肩甲骨を使うどころか逆に動かしにくくなってしまい、とても窮屈そうな走り方になっていました。

大元の指導者の方は、サッカーのメジャーな組織でも審判に対して指導をする立場にあるそうで、家内にその話をすると、「そう言われたら胸を張って肘を後ろに引いたまま走っている審判多いよね」という言葉が返ってきました。

私は審判にまで目が行っていませんでしたが、そう言われるとそんな気もします。

腕を振らないとか、股関節の真下に着地するというキーワードは同じことを言われたと言っていましたが、以前指導した高校生の短距離選手や、一般の方でマラソンに取り組んでいるという方からも、同じ言葉を聞きました。

しかし、どちらもそういうイメージの走りにはなっていませんでした。

指導される言葉のイメージ通りの動きを、指導者が見せてくれないというか、指導されていることと実際に見せられる動きが一致していないという言葉も聞きました。

指導するというのは、まさに自分がやって見せなければ、なんの説得力もないのです。

もちろん実技だけではダメで、なぜどうしての根っこの部分がきちんと理解できていなければ、本当の意味での指導などできるわけがないのです。

どんなことでも正しく伝えるということは難しいことです。

自分の動きを変えることだけでも大変なことなのに、その技術を他者に対して指導するというレベルに達することは容易なことではありません。

今回はそれぞれが自分の審判としてのレベルアップということが目的できてくれたので、昨日学び経験したことを生かして、練習してくれれば十分役に立ててもらえると思います。

ブログを読んでいなかったため、これまで指導を受けた人たちの感想ももちろん目にしておらず、「こんなに走っているのにどうして息が上がらないのだろう、疲れを感じないのだろう」という素直な感想を聞くことができました。

体験した人にしか分からない感覚ですが、そんな馬鹿な、そんなことがあるはずがないという固定概念を打ち破るには良いきっかけになるかもしれません。

普段審判として走っているため、その違いはハッキリと感じられたはずですし、「こうやって走ればもっと冷静なジャッジができる」、心からそう思ってくれたと思います。

さて22・23日は今年最後の深める会を行います。

今回も4名の方が参加してくれることになり、それぞれが自分のレベルアップのために学びを深めに来てくれます。

受講動機にも書かれていますが、単に私から少しでも多くのことを学びたいという目的以外に、自分と同じように高い意識を持って集まってくる塾生の皆さんの熱を感じたいというか、同じ志を持った仲間どうしでしか作り出せない、なんとも表現しにくい緊張感というか雰囲気を感じたいと言ってくれる人が増えてきました。

まさに私も同じ気持ちです。

教える側教えられる側、そんな垣根が取り払われた一体感は、なんとも表現できない心地よさを感じます。

比較することはできませんが、他にこの感覚を味わえる空間は少ないと思います、それくらい充実した時間を過ごさせてもらっています。

昨年の末には、千葉でも深める会を行いましたが、今年は予定がありません。

関東地区からの参加者が一番多いのですが、塾生の横のつながりが薄いため、どなたかが中心になって私を呼んで深める会をやろうという機運には至らないようです。

どんなことでも継続する以外に学びを深める道はありません、できた分かったと思った時点で進歩は止まります。

志を同じくする仲間と接する機会を作ることで刺激を受け、成長の糧にすることができます。

そういう声が届くことを待っているのですが、今年はどうでしょうか。

昨日の3人を含め、たくさんの方との縁をいただきました、その一つ一つが私を成長させてくれていることは間違いありません。

私を信頼して集まってきてくれる方々のために、深める会を充実させたいと思います。

お知らせです。

先日予告しました、年末に企画している、中学生から一般の方まで、現在スポーツ活動を行っている人たちを対象にした、1日のみの指導会に参加を検討してくださっている方は、希望日を今月中にお知らせください。

お問い合わせがない場合は、開催しません。

よろしくお願いします。

たった今、広島の西本塾生から問い合わせがあり、中高生を参加させたいが、参加条件は西本塾同様に、このブログを熟読していることですか、と聞かれましたが、今回はそれを条件にするのはハードルが高すぎるので、見たこともないと言われると私も困りますから、私のことを知ってもらう意味である程度は読んでから参加して欲しいと思います。

12月の26日から29日の4日間の間のどこか1日です。

ご検討ください。

対応力

昨日は、サッカーのW杯予選シンガポール戦を挟んで、野球のプレミア12のドミニカ戦を観ました。

二つの競技を比較して、改めて全く違うスポーツなのだと思いました。

野球は基本的に投手と打者の一対一の戦いが中心となります。

投手が投球動作を始めなければ、何も始まって行きません。

投手には試合をコントロールする権利が与えられています。

その動作を極めていくことが、結果として自分の思ったところにボールを投げることができるという結果に結びついてきます。

打者はそれに対してバットを振っていくという受け身な立場になります。

「自分のスイングをすることに集中したい」、打者は口を揃えてそう言いますが、投手と捕手の仕事は、打者に気持ちよく自分のスイングをさせないことが何より重要です。

確かに、ジャストミートした素晴らしいあたりを打った時のスローを見ると、まさにそのコースにそういうボールがくることがわかっていたかのように、始動のタイミングもインパクトの瞬間も、そして前腕部分がローリングしてヘッドが返っていく様子も、全てが完璧に見えます。

しかし、そういうスイングでヒットやホームランが出る確率は4割に届くことはありません。

3割5分の打率を残した打者であっても、その中には自分では納得のいかないスイングではあったけれど、結果として野手のいないところへ飛んで行ったというヒットもあります。

逆にどんなに完璧にとらえた打球であって、野手に捕球されれば結果としてはアウトということにはなりますが。

昨夜の中田翔選手のタイムリーヒットも、彼らしい豪快なあたりではなく、タイミングを外されインパクトからフォーローに至っては右手を離して左手一本でなんとかボールを押し込んだという、技ありの一打でした。

こういう打ち方は、屈筋頼みの力んで体を使っていたのではできるはずのない打ち方です。

彼は広島の出身で、体格にも恵まれ高校入学前からその長打力は話題となっていました。

残念ながらというか、地元の高校へは進まず大阪桐蔭高校へ進み、その後の活躍は野球フアンなら知らない人はいないと思います。

日本ハムファイターズ人入団してからも、長距離打者のイメージは変わらず、バットに当たれば遠くに飛ばせるけれど、力任せなスイングでその確率は低く、打率を残せないというイメージを持っていました。

それが今回の大会での彼の打席を見ていると、まるで人が変わったというか、「俺に任せろ俺が打ってやる」というようなギラギラしたところが見られず、打席で自分に求められた役割をしっかり理解して、「自分のスイングを」ではなく、結果に結びつけるためのスイングに徹しているように見えました。

もちろん昨日のタイムリーだけではなく、韓国戦のホームランのように、結果として持ち前の長打力が遺憾なく発揮されたシーンもありましたが、それさえ一発狙いの大振りではなく、投げられたボールに対応するという基本通りのスイングだったと思います。

長いペナントレースの中の一打席ではなく、短期決戦のトーナメントのような戦いの中では、こういう対応力に優れた選手が絶対に必要になってきます。

失礼ながらそれが一番形になっているのが、誰あろう中田翔選手であったことは意外というほかはありません。

タイトルを総なめにしたヤクルトの山田選手など、本来そういう対応力が一番ありそうな選手たちが、まだまだ対応できていないことに比べると、中田選手の対応力がどれだけ凄いのかがわかると思います。

昨日の解説をしていた中畑清さんが「大人になったね〜」と驚いていたのが印象的でした。

過去野球のチームでも仕事をしましたが、「自分のスイングを貫け、自分のスイングができてない」という言葉を嫌というほど指導者から聞きましたが、私は投手目線で見ることが多いので、まさに、「投手はそれをさせない工夫をしているんだよ」ということなのです。

「自分のスイングをさせてもらえなかったから打てませんでした、しっかり振り込んで来年こそは」という言い訳のような言葉を何度聞いてきたことか、投手がいくら0点に抑えても、1点も取ってくれなければ勝てるはずはないのですから。

崩された時にどう対応するか、そこに体の使い方という意識が生まれ、イチロー選手を例に説明した、二つの股関節を別々に使えるように意識したスイングという発想が生まれたのです。

自分が気持ち良いと感じるスイングを、何回何千回と繰り返したところで、それをさせないための工夫を投手は繰り返して行くのですから。

ただ同じことが投手にも言えて、自分のフォームを固めて自分が思った通りのボールを投げることができるようになることが、究極の目的であると信じて練習しています。

どこが間違っているんだと思われるでしょうが、たとえ160キロを超えるスピードボールを投げられたとしても、機械のように同じフォームで、ストライクゾーンの中で予測したコースに来たボールなら、一流の打者は打つことができるのです。

スピードこそそれほどは出ませんでしたが、直球と何種類もの変化球を、私が見てもわからないほど同じに見えるフォームから、ほぼ狙ったところにコントロールできる技術を習得した佐々岡投手にして、投球前の彼の目線からコースを読まれていると感じた私は、サインを確認し投球動作に入ったら、できるだけ最後まで目線を打者に向けないということまで彼に要求しました。

それどころではないという投手たちにとっては次元の違う話ですが、機械のような動作を身につけることができることが究極の目標ではないということです。

野球の話が長くなりましたが、サッカーでは基本的に攻める方が投手で守る方が打者ということになります。

ボールコントロールをしながら相手を抜いていくテクニックを見せる動画を見ることがありますが、ボールを奪う側の体の使い方があまりにも稚拙で、どうぞあなたのテクニックで抜いて見せてくださいと言わんばかりに見えてしまいます。

そういうテクニックを披露するための講習会だったりするのでしょうが、子供たちに「わぁ凄い」と言わせるだけで良いのでしょうか。

それはそれで良しとしても、ではこういう動きに対してどうやってディフェンスは対応したら良いのかという動きを見せることができなければ、ただの見世物になってしまうと思います。

そういう技術を見せている人にケチをつけるつもりはありませんが、サッカーは攻める技術と守る技術の両方が必要なのです。

もし、見ている人があっと驚くようなテクニックでドリブルしてくる相手を、いとも簡単に止めたりボールを奪ったりすることができる人を見たら、子供たちはもっと驚くのではないでしょうか。

私が動きを見続け、その特徴を文章にしてきた選手たちは、ほとんどが攻撃の選手であり攻撃しているシーンでした。

youtubeにあがっている動画も、そういうシーンがほとんどです。

しかし、そういうシーンを見るたびに、相手も一流超一流の選手たちなはずなのに、どうしてこうも簡単に抜かれてしまったり、バランスを崩されてしまうのかという素朴な疑問が生まれました。

まさに対応力です。

それもただ相手の動きに合わせてではなく、相手の動きの先を読んでいち早く自分の体をそこに運んでいくという、受動的であるはずの動きが能動的というか、守っているように見えて攻めているというか、正に私の言わんとしている事を体現してくれているのが、アルゼンチン代表でFCバルセロナに所属するマスチェラーノ選手です。

西本塾の参加者から聞いた名前だっと思いますが、現役のプレーヤーの中で最高のディフェンダーは誰かという問いに、彼の名前が挙がり、いつかその動きの特徴を記事にしますと約束していました。

一言で言えば彼は守っていません、ボールを持った選手に対して完全に攻めの姿勢で対応しています。

まずこれまで他の選手の分析でも言い続けてきた姿勢の問題、文句ありません。

前傾して腰が引けることが全く見られず、常に骨盤が起きています。

これは人種的な問題も大きいかもしれませんが、他の選手は受け身になると腰が引ける選手がほとんどなので、彼の大きな特徴と言って良いと思います。

ですからとにかく動き出しが速いです。

そこにボールがくることがわかっていたように、誰よりも速く動き出しますし、トップスピードに乗せることができます。

背中の動きは少し硬めのロッベンに共通する、グラスファイバーのイメージです。

ちなみに私の動きは柔らかさを使った板こんにゃくのイメージですが、もう少し力強さが欲しいと思っています。

私のことはどうでも良いのですが、マスチェラーノはこの力強い背中の動き、づっと言い続けている広背筋のことですが、背中の動きで骨盤を素早く上下させ、あっという間に動き出します。

動画を見続けて驚いたのは、スローで見なければ分からないほど微妙なタイミングですが、ボールに先に触っているのか、相手の足を蹴っているのか全く分からないシーンが何度もありました。

例によってサッカー選手は大袈裟に倒れ込みファールをアピールしますが、優秀な審判はしっかり見ていてファールにはなりません。

確かにファールではないけれど紙一重のシーンで、相手が倒れるのも仕方がないというシーンの方が多いことはもっと驚きです。

何故そんなことが起きるのか、何度も動画を見ているとある共通点を見つけました。

例えばトップスピードでドリブルしている時に、どんなに上手でスピードがある選手だったとしても、常にボールが足にくっついているはずはありません。

メッシ選手であっても、ちょんとボールを前に蹴り出す瞬間には50センチいや30センチかもしれませんが、体から離れる瞬間があります。

その瞬間にマスチェラーノはボールに飛び込んでいけるのです。

ある時はボールを蹴り出し、ある時はボールと相手の選手の間に体を入れてボールを奪い、ある時は体を入れて相手の動きを止める、とにかくファールギリギリに見える本当に微妙なタイミングで飛び込んでいくのです。

シュートブロックのシーンでは、ボールと相手の間に体を入れられない状況の中で、ボールとゴールの間に体を投げ出し、シュートを防いでいます。

あるシーンでは、ゴールキーパーの目の前で、まるで本物のキーパーのように体の正面でボールを受け止めたというシーンまで見つけました。

そして相手を恐れるということがありません。

球際が強いというのはこういうことなのだと、私のような素人にも教えてくれているようです。

とにかくマスチェラーノという選手は、次にボールがどこに動くのかということがわかっているかのような動きをしています。


よほどのスピードとタイミング、そして自信がなければできないプレーだと思います。

一瞬でも躊躇して、動き出しが遅れたりスピードが鈍ってしまったとしたら、ボールを奪うとか相手を止めるとかいう以前の問題として、お互いが大きなけがを負ってしまうというリスクを伴います。

それがないとわかって動画を見ていても、思わず危ないと思ってしまうプレーばかりです。

ただ単にフィジカルが強いとかいう言葉ではとても言い表せません。

彼の体格は174センチ73キロと発表されていますから、日本代表の中に入ったとしても小柄な選手ということになります。

先日の日本ラグビーの大活躍の影響で、またまたフィジカルという言葉がクローズアップされていますが、マスチェラーノのように、「自分の体を自分の思ったように動かせる能力」こそが本当の意味でのフィジカルの能力が高い選手なのです。

相手からボールを奪う、相手の攻めからゴールを守る、言葉で言えばディフェンスという言い方になるのでしょうが、彼の動きはまさに攻めています。

こういう選手がいるから、攻められているように見える状況から、一瞬にして攻めに転じるということが普通に行えるチームができるのでしょうね。

本当に目の前でそのプレーを見て見たいと思わせてくれる選手です。

ディフェンスのもう一つの対応力である、相手の動きを遅らせるということができている選手は誰なのでしょう。

私には今、そういう選手が存在するのか全くわかりませんが、きっとどこかにそんなことができる選手もいるのでしょうね。

イメージとしてはネイマール選手のようなトリッキーな動きをする相手に対して、私の言うアイドリング状態をうまく使って、腰を引かず飛び込んで交わされることもなく、バランスを崩して尻餅をつかされることもなく、まさに余裕で対応して相手の動きを封じてしまえる、そんな守りができるディフェンダーはいないのでしょうか?

この選手がそうですよという選手がいたら教えてください、また動画を探して見て見たいと思います。

野球からサッカーと話が広がりましたが、他のスポーツでも全く同じだと思います。

自分はちゃんとやっています、だけでは済まない競技のほうが多いと思います。

まずは自分の体を自分の思ったように動かせるように、動きづくりのトレーニングを行い、それを実際にどうやって使うかという対応力を磨く、スポーツ選手が目指す高みに限りはありませんね。

誰に伝えるでもなく

このブログ、我ながらよく続いていると思います。

始めた当初は、あくまでも私が話しておきたいことを誰に向かってというわけではなく、一方的に発信していました。

それが、その真意を知りたい直接見てみたいという声に押されて、西本塾という形をとって、直接私の考えを伝えることを始めたことで、一方的な発信というよりも、その時々で多少の違いはあるにせよ、読んでいただいている方に向かって語りかけるような書き方になっています。

決して私の考えを押し付けているつもりはありません。

これまでの経験の中で培われてきたことを、自分なりの表現で文章にしています。

当然ですが、読んでいただいている方が、同じように受け取っているはずはないと思います。

共感していただけることもあれば、それは違うということがあって当然だと思います。

私が専門としている分野はある意味とても中途半端で、医療の分野の中では医師という存在の元に、現在セオリーと言われていることを元に活動しなければなりませんし、フリーな立場で自分を前面に出そうとすると、その根拠はとデータや数値がないと評価の対象にならないこともあります。

結果が全てだと頑張ってきましたが、それさえまったく同じ条件の複数の治験を比較することなどできるはずがありません。

人間の体を相手にする仕事をする限りは、孤高の覚悟も必要かもしれません。

一般の方を相手に腰痛等の施術をさせていただく際に思うことは、あまりにも自分の体のことを知らないというか、考えていないということです。

生まれてから大人になって生活してく過程に、体の使い方を誰かから指導されるという機会はありません。

スポーツを行うときに指導されることは、根本的な体の使い方ではなく、単にその競技を行うための技術を獲得していくための動きに過ぎません。

一般の方であってもスポーツ選手であっても、体を使うということの基本的な部分を、一度整理しておくことは必要なことではないでしょうか。

痛いところがあるから治してほしい、動きが悪いと言われるから、それを改善できるようにトレーニングを指導してほしい、大きく言えば求められるのはそのどちらかです。

そのどちらが目的であっても、その前に知っておいてもらわなければならないことがあって、逆に言えばそれさえ知ってさえいてくれれば、後のアイデアは自分で考えることもできるはずなのです。

この仕事を何年続けていても、毎回同じことを言わなければなりません。

同じ人間に対してでも、一度や二度では伝わっていないことがほとんどです。

言いたいことは、すでにこのブログの中に書き尽くしたかもしれません。

しかし、今発信することをやめてしまえば、本当に自分の思いを吐き出しただけの自己満足で終わってしまうでしょう。

私には届いてきませんが、もしかしたら読んでいただいている方々が、それぞれ感じたことをああだこうだと話のタネに使っていただいているかもしれません。

これまで教科書的な知識や理論が全てに優先されてきた分野の中に、一石を投じることができているとしたら、それだけで意味があることかもしれません。

私のこれだけは知っておいてほしいという部分、何年何十年と同じ話を繰り返しても、誰もがそんなことは知らなかった初めて聞いたということを、このブログの中ではこれでもかというくらい書いてきました。

それらをもっとわかりやすく整理してまとめた物を、書籍化したいという思いは、拙著を出させて頂いた出版社からは良い返事がもらえませんでした。

今改めてお話を聞いてくださるところがあって、先日伺ってきました。

まだ話が始まったばかりで、実現するかどうかはわかりませんが、私の思いはわかっていただけたと思います。

偉そうな言い方になりますが、何処かをどうすればどこかが良くなる式のお手軽な健康法では、本質を変えられないことは皆さんわかっているはずなのです。

ではどうするかという時に、やはり同じ理屈で手を替え品を替え、湧いて出てきては泡のように消えていく健康指南書の類を、読む方も作る方もそろそろ考え直してほしいのです。

私はどこでどんな形で仕事を続けていこうと、この仕事はやり遂げなければならないことだと思っています。

例え多くの方の目に触れる事が出来なかったとしても、まとめ上げることはするつもりです。

さて、サッカーシーズンも佳境に入り、J1は最終節を残すのみ、各チームほぼ順位も確定し、すでに来季に向かってのチーム編成が始まっていると思います。

雲をつかむような話ですが、私のブログを読んでくれたクラブの関係者が興味を持ってくれて話を聞きたいという事が、万に一つもあるかもしれないと、心の準備だけはできています。

もちろん具体的な話はありませんが、私が考えているようなことを現場が本気で考えて形にしていかないと、勝ち負けはもちろんですが、実際にプレーをする選手も応援してくださるサポーターの皆さんにとっても、なんら変化はないでしょうし、とにかく楽しくないと思います。

個人として組織としてもっと向上できる可能性があるにもかかわらず、旧態然とした考え方に固執していては、変化も進歩もできるはずがないのです。

私はその先達になりたいと思います。

現場に立てる可能性は限りなく低いですが、日本代表の試合をじっくり観戦しての感想や、個々の選手の動きの特徴のレポートは続けてみようかと思っています。

決して欠点を指摘して、この選手はダメだと言っているつもりはありません。

こういう意識でこういう体の使い方ができれば、もっと良いプレーができるかもしれないという思いで書いているのです。

ただそれらは本人の目に触れることはないでしょうし、もし見る事があってもそのことに真剣に取り組んでみようとは思はないでしょう。

誰に対して誰のために書いているのか、少し虚しく思うこともあります。

以前にも、ある選手に対する私の思いを本人に伝えてほしいというコメントをいただき、そのことを記事にしました。

先日その記事を見た方から、改めてもっと私からのアプローチをかけてほしいというコメントさえいただきました。

叶わぬこととは思いながら、私のような立場の人間にまで、1人の選手のために行動を起こしてくださる方がいるのです。

私の言葉が届かなくても、万に一つの確率だとしても、やはり続けなければならないと思います。

私の視点は私しか持っていないのですから。

そのことで、直接関わりはない人たちに対しても、もちろんサッカーをやっている人、その家族の方々、また指導している人、さらには応援しているサポーターの皆さんに、こういう見方があるよ、こういう動きができればきっと良いことがあるよということを、日の丸を背負って戦うレベルの選手たちを教材にして見ていただくことができれば、これはこれで大きな意味があるのではと思っています。

サッカーに限らず、今行われているプロ野球のプレミア12という大会に出場している選手たちからも学べることはたくさんあります。

私の視点を通した、人間の動きを分析するという作業、それが何になるのか誰の役に立つのか、そんなことを考えても仕方がありません。

誰のためにも何のためにもならなくても良いです、なるほどそういう見方もあるのかという気付きになってもらえれば十分です。

発信を続けていこうと思います。

書いている途中に、ある選手から電話がありました。

今年カープを戦力外になった篠田投手でした。

昨年一年間、彼を何とか再生しようと指導をさせてもらいましたが、思ったような結果を残すことができませんでした。

私が向かわせようとする方向性に対する取り組み方が中途半端で、こんな形では指導は続けられないと、昨シーズンの終了時に指導を打ち切りました。

今年は2軍のコーチとして佐々岡くんが就任したので、毎日直接指導を受けられることで、きっと活躍をしてくれると密かに期待していましたが、残念な結果となりました。

シーズン中はもちろん連絡など来るはずもないのですが、今かかってきた電話では、すでに元プロ野球選手としてではなく、12月1日から、正式に球団職員として社会人としてのスタートを切る、立派な青年としての態度というか話し方が出来ていて、正直驚いてしまいました。

スポーツ選手にとって引退という現実は遅かれ早かれやってきます。

どんなに活躍した選手でも、人知れず消えていく選手でも同じです。

当然ですがこれからの人生のほうが圧倒的に長いはずです。

そのスタートでつまずかないように、プロ選手としてスタートを切った瞬間から、一社会人としての教育を始めなければならないことは当然のことです。

その結果として、読売巨人軍の選手が行っていた、野球賭博などという、まるで常識からは考えられないような行動をする選手が出てきてしまうのです。

挨拶もきちんとできない、目上の人に敬語も使えない、人として最低限の行動はどんな立場であっても必要なことです。

周りがちやほやしてくれるのは選手の間だけです。

私は厳しすぎるところがあったかもしれませんが、自分の行動に後悔はありません。

もう二度と話すことがないと思っていた篠田くんからの電話に、思いは伝わっていたんだと安心しました。

これからの人生、しっかり歩んでいってほしいと思います。

操体とトレーニングの目的はまったく同じで、人間本来の能力を発揮するための動きづくりだった。

私のところへ体の不調を訴えて来所する方は、狭い中でも多くのスペースをとって並んでいる、トレーンングの器具を見て、なぜここにこんなものがあるのかと怪訝な顔をされます。

一般的な治療院であれば、こんな設備を備えているはずはありませんし、もしそうであったとしたら、もっと広いスペースでスタッフも複数抱えているはずですが、ここには私1人しかいません。

腰痛等の軽減が目的ですから、私が何をしてきたかなどどうでも良いことで、トレーニングなど自分とは関係ないと思うのが当たり前でしょう。

逆に、紹介でトレーニングの指導を受けにきていただいた方にとっては、施術用のベッドが置いてあるスペースがきちんと確保されていることを不思議に思われるかもしれません。

まさに施術という行為と、トレーニングという行為は全く別のもので、対極にあると思われているかもしれません。

しかし私にとっては、別のものどころか、その目的は全く同じであると思うようになりました。

そのことを説明するのに、最も分かりやすいお二人の例を紹介します、すでに10年近いお付き合いをいただいています。

お一人は67歳のHさん、もうお一人は60歳を超えたばかりのYさんです、月に4回、ほぼ週一回のペースで来ていただいています。

お二人とも同じ方からの紹介で、体の不調を訴えての来訪でした。

ある程度当初訴えていた症状を改善できた後も、継続して来られることを希望してくれました。

ゴルフという共通の趣味を持ち、趣味どころか競技ゴルファーとして活躍していると聞いて、さてそれぞれの方に私が何をできるか、何を求めていくことが競技レベルの技術と体力を維持向上させていけるのかを考えました。

当然、年齢や体力に応じて、私自身が考えうる最高のトレーニング指導を受けていただくことがベストだと、その当時は迷いなく考えていたと思います。

特にHさんに関しては、年齢を考慮して体力の低下を最小限にとどめるためには、絶対にトレーニングが必要だと考え、普段は私から勧めることはしないのですが、一度私の指導を体験して欲しいとお願いして、トレーニングを受けていただきました。

今では、今日は操体を受けて頂いた方が良いのではという、タイトなスケジュールの中でも、その時々の状態に合わせて負荷や内容を微調整する私の指導を信頼して、本当の意味での「積極的休養」という言葉がぴったりする意識でトレーニングを行っていただき、「これをやった方が疲れが早く取れるよ」と笑顔で帰って頂いています。

私も含め、Hさんを知る方々からは、「失礼ながらあの年齢になっても、Hさんのように仕事も遊びも活動的で、バイタリティーに溢れた人間になっていたいよね」と、驚きと尊敬の念を込めて目標にされています。

Hさんのトレーニングに向かう姿勢は、決して受け身ではありません。

ただ私の指示通りメニューをこなしていくのではなく、テレビ等で得た知識やこれまでの経験、またゴルフの技術に置き換え、このトレーニングにはどういう意味があるのか、前回と違うのはなぜかなど、私の方が勉強になる会話が毎回あって、Hさんに来ていただくことを毎回楽しみにしています。

当然同年代の方とは比べ物にならない動きができます、もしかしたら20代の男性が、今すぐ全く同じ内容で1時間のトレーニングを行ったとしたら、できることはできたとしても、間違いなく筋肉痛でしばらくは大変なことになってしまうと思います。

そんなトレーニングを10年近くも続けていただいています、「継続は力なり」いう言葉がこれほど当てはまることも珍しいと思います。

もちろんトレーニングの内容は、「動きづくりのためのトレーニング」です、けっして大きくなるためでも強くなるためでもありませんが、継続したことのおまけとして、筋肉にはしっかりとした収縮が見られ、当然筋力もあります。

それが競技の成績に直接結びつくかは別の問題ですが、競技に出ようというレベルを維持していることは間違いありませんし、たまにご一緒させていただくラウンドでは、全く年齢を感じさせないスイングと飛距離を保っています。

まさに私の動きづくりのトレーニングの成果を体現していただいている方です。

もう一人のYさんも、オフィシャルハンデが3という強者です。

今年、所属するクラブで60歳以上が出場できるシニアの部に初出場し、連覇している方を撃破してチャンピオンになられました。

そのクラブでは、私のところに来ていただいてすぐに、60歳以下のレギュラークラスのチャンピオンにもなっていて、両方をとったのはYさんが2人目という快挙だったそうです。

余勢をかってレギュラーでも予選を突破されましたが、同年にシニアとレギュラーの同時優勝という快記録は、惜しくも逃してしまいました。

シニアとレギュラーでを、同時にとった方は未だかつていないそうで、絶好のチャンスを逃し残念がっておられましたが、それほどの腕前を持っている方です。

ここにYさんの例を出したのは、Yさんにはトレーニングを行っていただいていないからです。

一時期本人からの希望で数回トレーニングを受けていただきましたが、私の直感でYさんには器具を使ったトレーニングは合っていないと思ったのです。

当時50代前半、一般にはこの辺りから飛距離が落ちてきて、道具でカバーしたりジムに通って筋トレでパワーをと、いろいろなことを考え始める年齢だと思います。

Yさんも他の方の話を聞き、自分もトレーニングをと思っていただいたことは間違いではないと思います。

しかし、Yさんの動きはお世辞にも柔らかいとは言えず、この硬さをトレーニングで柔らかくすることを目標にすると、かなりの時間を要してしまうことは明らかで、もしかしたらそうはならない可能性の方が高いと思いました。

その過程の中で、体の動きが今までと変わってしまうことで、スイングを崩してしまったら、せっかくの技術を発揮することが難しくなるのではという危険性を感じました。

そこで私が提案したのは、とにかく定期的に操体の施術を受けていただき、今持っている技術を発揮しやすい体を維持しましょうということでした。

関節の可動域というよりも、使いこなせていない関節の8方向への連動性を高めることによって、Yさんが持って生まれた能力の中で発揮されていない部分を目覚めさせることができれば、現状維持どころかさらなる向上が期待できるのではと考えました。

「操体」、一般的なイメージでは整体ということになるのかもしれませんが、そんなことで年齢とともに落ちていくであろう飛距離やスイングスピードを維持するどころか向上できるわけがない、そう思うのは当たり前だと思います。

当初は私自身ここまで思った通りに、ことが運ぶとは思っていませんでした。

それどころか、私の想像をはるかに超えた効果をあげてきていると思います。

Yさん自身も、仲間の皆さんや競技で初めて顔を合わせるゴルファーから、「飛距離の秘密はなんですか、どんなトレーニングをやっているんですか」と、必ずと言っていいほど聞かれるそうです。

それほどYさんのゴルフは10年間維持どころか進化しています。

10年近く真剣にトレーニングを続けてくれているHさんと、全くトレーニングをすることなく操体の施術を受け続けてくれているYさん、まったく別の方法を選んだお二人が、結果としてそれぞれが望むような今を迎えられているという事実を、改めて整理しておく必要があると思いました。

これはトレーニングが好きとか嫌いとか、しんどいことは嫌などという単純なことではありません。

同じように感じる目標であっても、元となる人間の体が違うのですから、その方法論が違うのは当たり前で、それも10代20代の若者ならいざ知らず、スタート時点でともに50歳を超えていたお二人に対して、どういうアプローチをするかは本当に難しいことだっと思います。

今のお二人を見て、同年代の方やもっと若い方が自分もやってみたいと言ってくれたとして、どちらの方法をとったとしても、すぐに効果が現れるとは思えません。

10年という長い年月をかけて築き上げてきた信頼関係があってこその結果ですし、その瞬間瞬間に納得できる効果を感じていただいたからこそ、続けていただいたのだと思います。

今思えばよく10年も続けていただいたと私の方が感心するくらいです。

動きづくりのトレーニングの方は、それでも効果を感じていただきやすいと思います。

その対極にあるような操体法がなぜ同じ効果を発揮できるのか、私にとってもこの現実は大きな自信となりました。

操体は体を整えることが目的で、その方法論は一言では言えませんが、体に無理なく本来の動きを取り戻せる素晴らしい理論であり技術であると思います。

それを10年近くほぼ週に一度のペースで繰り返すことで、まさに人間が持って生まれた能力、すべての関節を8方向に連動させ無理なく効率的に体を動かすという、当たり前すぎることですが、実は実際には誰もそんなことができている人はいないという現実の中で、それに近づくための方法として、最も安全で最も効果的な最高のものが「操体」なのだと気付きました。

しかし、言うは易しで、これほどの長い期間私の施術を受け続けることは難しいと思います。

「朝3分の寝たまま操体法」でも紹介しましたが、朝は始業点検のつもりで、夜はご苦労さんの気持ちを込めて、体の連動を確認しておくことで、実はその能力を向上させる効果も十分期待できるのです。

そのことをYさんは実証してくれたのだと思います。

Yさん以上に私の操体を受け続けたのが、9年間一緒に戦った現カープの2軍投手コーチである佐々岡君です。

単純計算ですが、9年間365日の半分はトレーニングと操体を受けていたと思います、365÷2×9ですから、ざっと1600回も受けてもらったことになります。

その9年間に体の故障がほとんどなかったことは、彼自身気づいていないようですが、常に先々と体を整え、彼の持って生まれたの能力を発揮しやすい状態を作り、さらに動きづくりのトレーニングを行っていたわけですから、当然と言えば当然の結果だと思います。

今でも肉離れの選手を診ているとか、ぎっくり腰で動けない人が来たよという話をすると、今さら寂しい話ですが、「どうやって治すんですか」と、不思議な顔をされますが、「あなたにはそうならないように毎日やっていたでしょ、急性期のケガでも同じ理屈で対応できるんですよ」ということなのです。

操体は痛みや体の不調を改善するためだけのものではなかったのです。

「人間本来の動き、滑らかな連動」もちろん年月はかかりますが、操体とトレーニングは表裏一体で、180度対極にあるものではなく、一周回って同じ場所というか、人間そのものの体と目的に合わせ、どちらを選んでもいいし、両方組み合わすことができればさらに効果的なものとなります。

これからもいろいろな人間の体と向き合っていくことになると思いますが、お二人からたくさんのことを学ばせていただいています。

私にとって数少ない、信頼関係を築けていると確信できるお二人です。

これからもお役に立てるよう精進していこうと思います。

声を挙げ続けなければならないようです。

昨日は祝日で仕事は休みのはずでしたが、前もってどうしてもこの日にという予約を頂いていたので、午後からここにやって来ました。

小学校5年生のたっちゃんと、昨日は初めてお父さんが、遠く米子から車を走らせ、一緒に来てくれました。

すでに3回目の指導となりました。

最初は1年ほど前、お母さんと一緒にやって来ましたが、話しかけてもこちらを見ることができず、お母さんの方を向いてしまうほどおとなしい子でした。

それでも私の話はちゃんと聞いてくれて、一通り指導が終わってからも自分から分からないことを質問してくれたりもしました。

2度目は、お母さんと一緒に西本塾の二日間を受講してくれましたが、さすがに大人に混じっての受講には無理があって、彼には少し物足りない内容だったかもしれません。

今回連絡を頂いて、彼がこの1年いや半年間でどう変わっているのか、とても楽しみにしていました。

私の指導は決められたカリキュラムがある訳ではなく、特に個人指導においては、相手を見てから何ができるか、何を教えるかを決めています。

小学校の5年生くらいだと、半年一年の成長は想像を超えるものがあり、とても予測ができません。

特に今回は、私が指導したことをどれだけ理解して継続してくれているかによって、指導内容を進められるか、それとも逆戻りしてしまうのか、大きな違いが出てきます。

まだまだ人見知りというか、顔を見て話を聞いてくれることは苦手のようでしたが、FBTに関しては継続した取り組みがきちんと伝わってきて嬉しくなりました。

特に股関節に乗るという3と4の動作では、一緒に体験してもらったお父さんが悪戦苦闘するのを横目に、涼しい顔で正しい動きをしてくれ、お父さんが本当に驚いていました。

そのことがすぐにサッカーのプレーに直結して、良い動きができるかと言われれば、それほど短絡的な問題ではありませんが、私のいう背中を使うという感覚が当たり前にならなければ、プレーの質を高めることはできないと思います。

直線的な走りに関しても、アイドリングの延長でハーフスピードまでは正しい体の使い方ができるのですが、いざスピードを上げようとすると、ついついこれまでの腕を前後に振って太腿を引き上げ、地面を蹴るという動作が顔を出してしまいます。

当然表情は険しくなり、頑張っているというか一生懸命さが伝わってきます。

ここが最大の課題です。

今回もお父さんから話がありましたが、そういう走り方でガムシャラに頑張っているというアピールをしないと、指導者からの評価が得られず、試合に使ってくれないというのです。

「力を出し切っていない」という評価をされるのでしょうね。

サッカーという競技において、この問題はこれまで何度も意識改革の必要性を説いてきましたが、まだまだ本来の意味は伝わっておらず、途中で倒れ込んでしまうくらい一生懸命走れという指導が続いていることはとても残念です。

ここでもう一度整理しておきます。

サッカーだけではないと思いますが、時間の制限のある競技では、試合の開始から終了まで、自分の持っている能力をどれだけ安定して発揮し続けられるかということは、最も重要なことではないでしょうか。

交代できる人数には制限があります、試合開始からフルパワーで走り続け、疲れたら交代というわけにはいきません。

だからこそ1分1秒でも長く走り続ける能力を養成するのがトレーニングということになって、時間内でどれだけ走れるかとか、決められた距離を走り続けるとか、ダッシュを何十回繰り返すとかいう、体に大きな負荷をかける、言い換えれば体をいじめるトレーニングが必要だと考えるのです。

しかし、古今東西過去未来を通して、フルパワーで45分を2セット走り続けることできる人間を作ることは不可能だと思います。

もちろん走っているとき止まっているときがあり、すべての時間内走り続けている訳ではありません。

それでも100メートル近い距離を、ほぼ全力に近いスピードで何度も行ったり来たりという状況は想定されますが、それさえ本当にできる選手もいないでしょう。

さらにはサッカー選手が走るという行為を行うことは、速く移動するための手段でしかありません。

走っていく方向も瞬間的に変わりますし、スピードの上げ下げもあります、もちろん移動している目的はボールを受けることであり蹴ることです。

100メートルを11秒で駆け抜けるスピードを持っていたとしても、肝心なボール扱いができなければ、そのスピードは逆に邪魔になるだけです。

ではどうすればいいか、自分が今何をしなければならないか、どこにどんなスピードで走っていけばいいか、味方がどこにいて敵がどこにいて、ゴールの位置はここでという、周りを広く見ることのできる視野を確保したうえで、どんなボールが来てもきちんとコントロールできて、次にどういうプレーをするかという予測もできる、このブログでずっと言い続けている「90分間走り続ける能力ではなく、頭と体をフルに動かし続ける能力」が優れたプレーヤーこそが、一流と呼ばれているのではないでしょうか。

そのことと歯を食いしばり筋肉を隆起させ、いかにも頑張っていますという雰囲気を醸し出す表情や体の使い方は違うのです、マイナスな面はあってもプラスなことは一つもないのです。

しかし、指導者の口から出てくるのは、戦う気持ちが見えないとか、真剣にやっていないとか、もっと出し切れという否定的な言葉ばかりです。

「走り負けるな、当たり負けるな、もっと頑張れ」、結果はどうあれこういう言葉を言われないようにしておけば、指導者は満足してくれるようです。

本当にそれで選手の能力は向上するのでしょうか、チームとして成長していくのでしょうか。

自分のやってきたことの中でしか、評価の基準が決められないだけなのではないでしょうか。

これではいわゆる頭のいいスポーツ選手は育って行きません。

激しい言葉で罵倒されようと、意味もない厳しい練習を課されようと、今は許されることではありませんが、踏まれても蹴られても歯を食いしばって耐えた、一握りの人間だけが残っていくという、過去のスポーツ界で見られた悪習の中で育った選手が、指導する立場になった時、どうして過去を振り返り新しい発想を求めていかないのでしょうか。

中国地方で強豪と言われているチームでも、私のいう良い姿勢でディフェンスの姿勢ができているチームはないと聞きました。

私も今年松江市で行われた小学生の大会を観戦し、確かにそう思いました。

そういう指導がされていないからです、ただそれだけです。

どうしてそれが良くないことなのか、どうして私が提唱する動きが良いのか、話を聞いてやってみれば誰にでもわかることです。

目の前の公園で小学生のサッカーチームが練習している風景をたまに見ることがありますが、まさにそういうことです。

指導者の意識が変わらなければ、1人の選手が取り組んで良い方に動きが変わったとしても、自分の指導した通りにやっていないと否定されてしまうのです。

他の選手より楽そうにプレーしていると真剣さが足りないと言われ、腕を振らず腿を引き上げないでも今までよりも楽に 速く走れているのに、腕を振れば腿を引き上げれば、もっと速く走れる、といちいち指導者から否定された子供は、何を信じればいいのでしょうか。

現実として、今までよりも速く良い動きができているという事実は見てくれないのでしょうか。

私に指導を受けてくれる子供たちがかわいそうでなりません。

指導の目的はなんなのか、それを突き詰めて考えなければ正しい方法論にたどり着くことはできません。

私に言わせれば、それ以前の問題として「人間本来の体の仕組みと使い方をちゃんと勉強しろ」と言うことに尽きます。

元選手だったとか、ライセンスを持っているから指導しているというレベルでは、指導されている子供たちや、その保護者の方々は本当にかわいそうです。

今回改めてこの年代の子供の成長する力と、それを評価できない指導者との意識の差を痛感しました。

付け足しですが、たっちゃんからの最後の質問は、「どうやって止まるんですか」と言うものでした。

西本塾でも同じ質問をよく受けます。

「走り方は分かった、楽に走れるしスピードの変化もできた、横にも後ろにも動けるように、いろいろなドリルもやらせてもらった、あれ、止まるってどうやるんだっけ」、こんな感じです。

最後にこの質問を大人にされると、ちょっとがっかりというのが本音なのですが、私の指導の最初に行った「アイドリング」状態こそが止まっている状態なのです。

どの方向にでもいつでも動き出せる状態がアイドリング状態です。

アイドリングをストップしてしまった状態が、居着いているという状態なのです。

状況はどうあれ、相手の目の前で、いつでも相手の動きに対応できる状態で、その場に居続けている状態を止まっているというのであって、ストップではないのです。

いかに速く的確なポジションでアイドリング状態に入れるか、これこそがサッカー選手に求められている「止まる」という動きなのです。

このことは何度も質問されるので、「止まる」という言葉はもう使わない方が良いのかも知れませんね。

一人一人に対して、正しいことを正確に伝えていく作業は本当に難しいですが、それを理解し身につけて行ってくれる過程を見られることは、とても楽しいことです。

ただ大きく言えば世の中が私の発想についてきてくれません。

小さなことかもしれませんが、こうして声を上げ続けることをしていれば、気付いてくれる人が増えていくかもしれません。

昨日のツイッターでもKEANE(きーん)さんから同意のコメントを頂き、意を強くしました。

いくら言葉を投げかけてもどこにも響いていかないトップレベルの選手の動きを分析し、改善点を提起しても何も変わって行きません。

まさに「小さなことからコツコツと」日々の思いを書き綴って行くことをもう少し続けてみたいと思います。

縁という言葉に身を任せ

今日はとても寒い一日でした。

気がつけば11月、もうこのくらいの気温も普通なのでしょうか、私はとても寒がりで、できればもう少しこのくらいの気候が続いてくれれば助かりますが、そんなわけにはいかないですね。

午前中、久し振りに健康診断を受けに行ってきました。

前回クラブの検診では、胃がんや肺がんの検診はなかったと思うので、前回バリウムを飲んだのはいつだったか正確には思い出せないくらいです。

自営業ですので、自分がその気にならないと受診する機会はありません。

7年前に糖尿病と診断されてからは、定期的に詳しい血液検査を受けていますし、趣味のようになってしまった献血の際も血液検査の結果が送られてくるので、それで十分だと思っていました。

元々喫煙はしませんし、お酒もほどほどしか飲みません、食事も以前からバランスよく摂っていたつもりですし、この7年間は特に気を付けていますから、普通に考えれば癌のリスクは少ないと思います。

糖尿病こそ、私から見ればもっとも自分とは遠い存在だと思って油断していましたが、両親からの遺伝という、こればかりは避けようがないリスクがあったようで、それも亡くなった両親からの最後の宿題だと肝に銘じて、一病息災、出来る限り人生を全うしようと思っています。

これまでの人生は、まさにあみだくじのごとく、流れるままに生きてきました。

とくにこの仕事に変わってからは、岐路に立った時先の見えない方に進むという、普通の人とはちょっと違う選択の仕方を行ってきました。

そのすべてに後悔はなく、今はそれらすべてが私という人間を形作ってくれていることに感謝しています。

「ALWAYS DO MY BEST」、どんな環境でも、それを貫いてきたつもりですし、それが出来ないと分かると、その環境を離れてきました。

辛抱が足りない、協調性がない、そう思われることもあったと思います。

一度きりの人生、自分に何が出来るか、何をしたか、そしてそれらは本当に自分のやりたいことだったのか、振り返った時、後悔だけはしないように、自分の中では常に納得した行動をとってきたつもりです。

今の場所に落ち着いて2年が過ぎました。

自分の中ではまだ落ち着いたとは言いたくないところがあります。

もう来年のことが目の前に迫っています。

このままこの生活が続くのか、それとも・・・。

人生あみだくじと、誰かが線を引いてくれるのを待っているわけではありませんが、これまでたくさんの人が私のあみだくじに線を引き、その都度大きな波に飲み込まれていきました。

そんな波がまた襲ってくるのか、それとも穏やかな瀬戸内海の景色を眺め続けるのか、すべてはこれまで生きてきた私の「縁」が、どう繋がって行くのかなのだと思います。

この2年間の間に、あの時の決断がなければ出会うはずのないたくさんの方々に出会うことができました。

おそらく今までの人生の中で一番エキサイティングな出会いであり、まさに縁があったとしか言いようのない出来事が続いています。

先週も、スポーツの選手や指導者ではなく、審判という立場の方から問い合わせがあり、指導を受けに来ていただくことになりました。

これまでスポーツ選手の動きを分析して、その特徴や改善策を文章にしたり、実際に指導することはありましたが、言われてみればサッカーの審判の方々こそ、いかに効率的に走ることができるかという技術が、審判としてのパフォーマンスを左右し、何より正確で安定したジャッジを下せる、一番の基本になると、改めて気づかされました。

サッカー以外の競技の方からも問い合わせがあったり、私にとっては色々なことがありすぎて、この2年間がものすごく長い時間のように感じますが、私の存在や考え方を広く知っていただくための期間としては、まだまだたったの2年ということなのかもしれません。

もしどこかの組織に所属していれば、個人的に考えを発信することはもちろん、直接指導するという機会はなかったでしょうから、出会えた方々にとっても、もちろん私自身にとっても貴重な体験をさせていただいていることは間違いありません。

相手が有名なプロの選手であっても、一般の方であっても私のスタンスは変わりませんが、相手にはそれぞれ立場もプライドもあるでしょうから、私の分析や提言に素直に耳を貸そうということにはならないかもしれません。

それどころか、私の書いた文章は、それぞれの媒体の読者を対象としたものですから、本人がもし読んでくれたとしても響くものはないかもしれません。

ただ私は誰を対象とした文章を書く時でも、常に本人に伝えたくて気付いて欲しくて、もっと良い選手に成って欲しいと思って一生懸命文章を書いてきました。

それが本人に届くことはないかもしれませんが、どこかで巡り巡ってでもいいですから、こんな見方があるよと言うことに気づいてほしいと思っています。

そんな私の書いた文章の端々から読み取っていただいた内容に興味を持ち、もしかしたら自分も変われるかもしれないと思っていただいた方が、私の元を訪れてくれるのです。

どんなレベルであれ、向上の余地は必ずあります、これは断言できます。

それを何とか探し出し、本人と一緒に新たな目標設定をし、その過程を一緒に考える、こんな楽しい仕事が他にあるでしょうか。

データや数字ではなく、目の前にいる人間そのものの体と心をどう変えていくか、それが出来るのはやはり人間しかありません。

自分がそういう誰かの役に立つことができるという自信のようなものを感じ始めてから、本当にそれを伝えなければと思うようになりました。

まずは自分の体で表現し、証明しなければ誰も信じてはくれません。

そしてそれを形にするために指導をして、結果として目に見えるものにしていく、それを繰り返すことで、新たな出会いに繋がって行きました。

来年のことに関しては、今月のうちに方向性を決めなければならないと思います。

どんな形になっても、自分のやってきたことを深め続けるだけのことです。

これがしたい、こうなっていたいということはありますが、それが実現すればもう一方の現実から離れてしまうことになります。

今の生活が続き、2年が3年になれば、出会う人の数も増え、その方々との縁を優先しなければならないと思います。

この1か月の間、少しだけ勝手にドキドキした日々を過ごさせてもらいたいと思います。


プロフィール

Author:西本 直
1993年、Jリーグサンフレッチェ広島を皮切りに、社会人野球三菱重工広島・協和発酵・ヴィッセル神戸・川崎フロンターレ、そして広島カープ佐々岡真司投手など、プロアマ問わず競技レベルのスポーツ選手から一般の方まで、トレーニングやメンテナンスの指導を行ってきました。
その経験と知識の蓄積を「西本理論」としてまとめ、一人でも多くの方に実践していただくことが、これからの私の使命であると信じ、このブログから発信していきます。
私の理論はスポーツ選手のみを対象としたものではなく、ビジネスマンや家庭の主婦まで老若男女すべてに当てはまる不変のものです。
指導や講演のご依頼も受け付けています。
実名でツイッターも書いていますので、チェックしてみてください。
また、2013年9月9日にConditioning Studio 操をオープンしました。こちらもご覧ください。
また、遠隔地にお住まいの方を対象とした動き分析とアドバイスを行っています。
詳細は「スタジオ操」のホームページ内の「遠隔サポート」をご覧ください。
今年2回目の西本塾を8月26・27の土日に開催を予定しています。
詳細はstudio操のホームページ内の「講習会情報」をご覧ください。
なお、今回も参加者が5名に満たない場合は開催しません。
9月10日には深める会も予定しています。

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