ボールを投げるという動作について、プロ野球の投手に望むこと。

今日は定休日、いつもならゴルフの練習に行くことが多いのですが、今日は昨日買ってきた本を集中して読みたいので、家で過ごそうと思っています。

と言ってもゴルフの本なのですが、これまで読んだものとは一味もふた味も違うもので、昨日少し読みましたが、まだまったくイメージが湧かないほど難解なものです。

ここはひとつ腰を据えてじっくり読んで、私の動きづくりの理論にもヒントを頂けるのではと期待しています。
内容に関しては、私自身が理解できたら改めて記事にしたいと思います。

さて、あまり真剣には見ていないのですがプロ野球はセパ両リーグとも意外な展開で終盤を迎えています。

まずはパリーグですが、前半戦あれ程の強さを見せたソフトバンクホークスが、ここへきて失速し、日本ハムファイターズとトップを争うという予想だにしなかった展開を見せています。

そしてセリーグですが、地元広島カープが、それこそシーズン前に誰も予想しなかった快進撃を見せ、マジックナンバーが点灯した後も順調に数を減らして、25年ぶりの優勝へのカウントダウンが始まっています。

そんなカープファンも、長嶋巨人の時代に、同じくらいのゲーム差をつけて独走かと思われたシーズン後半に大逆転を喫し、メークミラクルという言葉で語り継がれることになったという苦い経験があるようで、常識的に見てももう大丈夫だろうという時期になっても、なかなか大きな声で「優勝」の二文字を口にするのを控えていたようです。

さすがにここまで来ると間違いないでしょうから、今、広島の街はカープが優勝したら何をしたら良いのだろうと、各方面で準備に余念がありません。

何せ25年振りのことですから、当時のことを知らない人の方が多いくらいになっています。

私が広島に移り住んだのはその後ですし、とくにカープに興味もなかったので、優勝どころかAクラスに入ることも珍しいカープが当たり前だと思っていました。

現在2軍の投手コーチをしている佐々岡真司君のパーソナルトレーナーとして9シーズンを戦いましたが、あくまでも個人の仕事であって、チーム全体の心配までは関知する立場にはありませんでしたし、優勝などという言葉とは無縁の9年間でしたから。

それが昨年までのカープとは全く違うチームになったように、選手と首脳陣そしてスタッフが、毎試合活き活きと戦うチームに変貌してしまいました、テレビの画面からでもその雰囲気は十分に伝わってきます。

中でも逆転勝ちの多さは群を抜いており、テレビを見ていても多少の失点は相手に対するハンデキャップというか、先行された方が試合そのものが面白いと感じるほどの強さを見せています。

ここでそのカープの強さに迫るのが今日の目的ではありません。

相手のチームがなぜこうも簡単に逆転を許してしまうのかという問題です。

先日の中日戦でも、接戦を戦い延長戦に入った10回表2アウトランナーなしから、まさかの7点を奪いそのまま裏を押さえての勝ちゲームという試合でした。

カープの打撃陣が凄いと言えばそれまでなのですが、後アウトを一つとればチェンジという場面から7点も取られてしまう中日の投手陣は何をしているのかということです。

これまでもボールを投げるという動作に関して何度か記事にしてきましたが、改めて私の考えを書いておきたいと思います。

投手が打者に対してボールを投げるという行為は、打者が見逃しか空振りをして三振に取るか、打ったボールがフライとなってノーバウンドで野手が取るか、ゴロを打たせ状況次第ですが、野手から野手への送球でアウトを取ることが目的です。

スピードがあるに越したことはありませんが、けっしてスピードガンコンテストをしているわけではありません。

では打者をアウトにするための投球動作とは、どういう要素が考えられるのでしょうか。

ピッチャープレートとホームベースの間は、18.44mと決められています。

その距離で向かい合うことに関してはすべての投手平等な条件です、ただ160㎝の身長の投手と2mを超すような投手では、打者から見える距離感はまったく違うものになることは当然のことです。

まずはその距離間の問題です、何をもっての距離感か、それは投手の指を離れた位置の問題です。

解説者の言葉でよく聞かれる「リリースポイントが打者に近いとか、この投手は球持ちが良い」と表現される問題です。

打者は投手の指からボールが離れたところから、自分のヒッティングポイントまでを目で追う訳ですから、その距離が短ければ短いほど打ちにくいということになります。

さらには現代野球では何種類もの変化球が存在しますので、その判断にも影響してきます。

そして究極の変化球である直球、最も空気抵抗を受けずに初速と終速の違いの少ない、いわゆる伸びのある速球を投げるためには、ボールが指から離れるリリースに瞬間に、どれだけ多くの回転をボールに与えられるかが勝負となります。

そのために必要な要素がまさにボールを長く持ち続けるということになります。

スナップを聞かせるという表現がありますが、手首のスナップは手首関節の屈曲動作ではなく「内旋運動」がその仕事を行います。

肩から肘手首と、それぞれの関節が内旋動作という目的のために連動して、初めてボールに強いスピンをかけることができます。

投手が投球フォームを作って行くうえで、究極の目標となるのはこの動作です。

1センチでも1ミリでも、打者に近い所でボールを離す、それが結果として打者から見て、リリースポイントの直前までボールが投手の後ろ側に隠れ、見えた瞬間に自分に向かって飛んでくるという、最も打ちにくい投球動作でありボールになるということです。

その感覚が身に付いた投手ほど、当然ですがコントロールも良くなります、手首を小指から振出し手のひらが内旋する瞬間にボールが指を離れて行くのですから、肩肘手首と目的とするコースに向かって振り出していけば、そこに投げ込めない訳はないのです。

ではなぜその当たり前のことをプロの投手たちは出来ていないのでしょうか。

動作解析とかいうものも導入され、正しい体の使い方を指導しているという人も増えてきました、にもかかわらず日本のプロスポーツの最高峰と言われ、歴史もあるプロ野球の投手たちがいまだにそれが出来ないのです。

過去に指導した選手たちも、その事実は理解してくれたとしても、最終的に肩肘手首が内旋運動をしてくれることができるようになるための、一連の体の連動動作にまでは目を向けようとしません。

私が指導したらすべての投手が同じフォームになるという意味ではないのですが、自分がこれまで作り上げてきたと思っているフォームを見直すことなく、最後の最後の手先の部分だけを直そうとしてもできるわけはないのです。

そのために必要な各部分の意識、そしてそれを統合し連動させるためのドリルなど、地道に取り組むことなく、分かったような気持ちになってしまう選手が何と多かったことか。

こんなことを私が書いても、プロ野球の投手たちは私の指導を受けてはくれないでしょうが、サッカー選手の体の使い方も同じで、こうすればこうなるのにというはっきりとした方法論を既に持っていて、過去にそれを結果として示してきたにもかかわらず、私の理論や方法論が広まって行かないことにいら立ちすら覚えます。

野球の場合は、打者との駆け引きや配球といった問題もありますが、根本的な問題はいかに打者の近くでボールを離せるか、しっかりとしたスピンをかけられるか、その基本の上に他の変化球があるのです。

そこが分かっていないから肩や肘を痛めて戦線を離脱したり、たった一つのアウトが取れないままに7点も取られてしまうことになるのです。

本気で自分を変えようという選手はいないのでしょうか、私から見れば本当にもったいないと思う選手がたくさんいます。

すべての関節の6方向への連動性を十二分に発揮して、それぞれの競技動作に必要な動作を作り上げていく、野球の投手は試合の勝ち負けを決める80パーセント以上の責任を負っているはずです。

もっと本気で覚悟を持って自分の仕事に向き合ってほしいと思います。

もう間もなくカープの優勝が近づいてきます、25年ぶりの優勝、広島の街はどんなことになるのでしょうか。

それにしても今日の夜放送の「NHKプロフェッショナル」に登場する、サンフレッチェ広島の監督である「森保一」という男、2部降格阻止を期待され監督を請け負った彼が、どうやって4年間で3度の優勝に導いたのか、個人的な友人でもある彼の秘密を今日は是非見せて欲しいと思います。

セリーグ6チームの中で25年間も優勝できなかったカープと、18チームがひしめくJ1リーグで、優勝を重ねるサンフレッチェ広島というチーム、広島ではどうしてもカープの扱いが大きくなりますが、全国の皆さん、野球が好きサッカーが好きとかいうことを超えて、森保一という人間をもっと評価して欲しいと思います。

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私の考えをより深く理解していただくために。

8月ももうすぐ終わりですが、個人でやっている私の仕事には特に夏休みというものがありませんでしたので、今日から智志は休みを取らせて、青春18切符とやらで、15時間かけて東京に旅行に行くそうです。

若いからとはいえ、各駅停車の旅がどれだけしんどいか、今回が初めてではありませんが、私には想像もつきません。

さて、毎度自分の考えを整理しておくために、ブログに文字を連ねています。
スポーツの現場を離れ、一般の方を相手にすることが多くなった今、改めて体に向き合うことの難しさを感じています。

スポーツ選手であれば、それなりに自己管理という意識もありますし、故障やケガと隣り合わせの生活をしているわけですから、比較すれば意識は高いかもしれません。

高いと言っても正しい知識という意味では、体に向き合うにはまったく足らないものにしか過ぎませんが。

それが一般の方になると、普段自分の体に対してどういう風に向き合っているかといえば、健康診断で示される検査結果の数値を気にするくらいで、私の言う「体との対話」などという発想など持ち合わせているはずもありません。

そんな方々が、いざ自分の体に異常を感じた時、これは数値の問題ではなく、感覚としての痛みそのものや、機能的に動かせないなど、自覚症状がはっきりと現れて、はじめて私のところに足を運んでくるわけです。

目的はひとつ、その痛みを改善して欲しいという事にしか意識はありません。
「他に何を目的としてあなたの所に行くのか」、と言われればそれまでなのですが、腰が痛いから腰を治せ、そのためには腰に対して何かを施すことが、施術者の仕事だという固定概念があります。

私が言い続けている「木を見て森を見ず」は、痛みを抱えて訪れる方々にも、そしてそれに対応する施術者の側にも、どちらに対しても言いたいことなのです。

痛みを抱えてきた人に対して、もっと優しい気持ちの方を前面に出さなければならないと思うこともありますが、その方の考え方に支配され、体に対して真剣に向き合うこともなく、日々酷使され続けている体に対して、私はかわいそうだという思いの方が強くなってしまうのです。

もっと体のことを知って欲しい、自分の体と向き合って欲しい、そんな思いを込めて「1回5分体が喜ぶ健康術」を書かせてもらいました。

まだまだ発行部数は少ないですが、少しでも多くの方に読んでいただくことで、その方だけではなく、ご家族や友人に対しても、体との対話という発想を広げて欲しいと思います。

読んでいただいた方は、アマゾンの書評欄に忌憚のないご意見や感想を書き込んで頂き、それを見た方にも読んでみようかという興味を持っていただくきっかけにして欲しいと思いますので、ここで改めてお願いしたいと思います。

いつまでも対症療法的な施術や、どこかを触ればどこかが治るというような、短絡的なものの考え方を離れ、自分の体をもっと大切に扱って欲しい、そのためにはまず自分の体をもっと知らなければならない、そう思ってくれる人を増やしていきたいのです。

智志に対して直接的また間接的な指導を行うために、これまでとは違った意味で言葉の工夫をするようになったり、これまで経験を重ね分かっているつもりだったことも、きちんと言葉で説明できるようにしています。

そんなことを考えながら半年近くになりますが、私の口癖の「動きづくりのトレーニング」が、なぜ運動能力を高めることができるのか、また、操体の各操法がなぜ体の不調を改善できるのかを、より具体的に説明できるようになってきました。

とは言っても、いつも指摘されるように数値で表せるような説明ではありません。

しかし、実際にその考え方に沿って行うトレーニングや施術行為は、間違いなく私の考えた仮説通りの結果をもたらせてくれるのです。

それを日々感じさせてくれるのが智志の存在です。
中学卒業後は何の運動もしていない彼が、驚くほどの変化を見せ続けてくれる現実は、指導している私の方が驚いてしまうほどです。

20回という回数を重ねた西本塾のいちばん最初にお話しする4つのキーワードこそが、やはり西本理論の根幹であることを智志が再認識させてくれました。

実際に参加してくれた人たちにもう一度言いたいのは、お渡ししたレジュメをもう一度しっかり読み返して欲しいということです。

私の考え方の全ては、その中に凝縮されています。

現在は6方向として指導していますが、以前から言っていた圧着と離開を含め、関節の8方向に対してどうアプローチしていくか、と言うよりも、どこから動き始めても全身の関節がすべて滑らかに連動してくれる体こそが、健康の証であり、人より秀でた運動能力を発揮してくれる最も重要な要素であるという事実です。

どの種目どの動きにはどこの筋肉が主に働くことが分かっているからと、その筋肉に狙いを絞ったトレーニングを重ね、筋肉を肥大させ筋力を向上させたことで、本来のしなやかな動きにブレーキをかけてしまう結果に結びつくなどとは誰も思っていないと思います。

私もついついこの筋肉をもっと強く、と思うこともありました。
地道な努力ではなく、目的地に対してショートカットしたくなる気持ちは十分わかります。

施術も同じです、痛みを訴える部分に、お互いどうしても気持ちが行ってしまいます。

限られた時間の中で、相手の満足する結果を出さなければ仕事として成り立ちません。

しかし、そう思って行った施術が良い結果をもたらすことはなく、自己嫌悪に陥ることもありました。

体の仕組みに沿って、体本来の動きを取り戻す、また、持って生まれた能力を発揮しきれていないことを自覚してもらい、新たな能力を授けるのではなく、眠っている能力に目覚めてもらう、そんな発想こそが良い結果をもたらせてくれました。

私が行う施術行為と動きづくりのトレーニングが、まったく同じ原理原則のもとに行われているというのはそういう意味です。

この思いは月日を重ねるごとに確信へと変わり、さらにその内容は深まり続けています。

それを発揮する対象は、これまでならば競技レベルのスポーツ選手であるべきで、私の能力を活かそうとしないスポーツ現場に、ある意味苛立ちも感じていました。

20年前よりも10年前よりも、そして3年前よりも、確実に私の指導できる内容のレベルは上がっていると思います。
それをどこの誰に対して発揮するかは、私に与えられた環境がすべてです。

今はこの場所で、私の元を訪ねてくれる人たちのために、さらに自分の考えを深める作業を続けています。

運動神経や運動能力と言った言葉は、生まれ持った遺伝的な要素が大きいと言われていますが、私はすべての関節の6方向の動きから始まったうねりが、全身に連動していく感覚を磨いていくことで、それぞれが持って生まれた能力を存分に発揮できるようにしておけば、それぞれのレベルで十分にスポーツ活動を楽しむことができると思うし、それが逆の意味で体に負担をかけない動き、「かわし動作」と呼んでいますが、故障しにくい体の動きを手に入れることにも繋がっていくと思います。

そういう意味では子供の頃からの取り組みがもっとも重要で、今月の深める会に参加してくれる、千葉県市川市で「からだ塾」を主宰して、子供達にスポーツ鬼ごっこの教室を開き、正しい体の使い方を指導している望月さんの活動は、素晴らしいことだと思います。

最後にもう一度、西本塾生の皆さん、もう一度レジュメを手に取ってください、そうして何度でも読み返してください。
そうすれば私が本当に伝えたかったことが、改めて見えてくるはずです。

突き詰めなければ気が済まない性格。

オリンピックが終わり、パラリンピックまでの間、少し寂しい気がするほどテレビで放送される競技に一喜一憂していました。

とくにオリンピックでは普段あまり目にすることの少ない競技をじっくり堪能することができるので、私にとってはとても幸せな期間となります。

文句を言っても仕方がないですが、日本のスポーツマスコミの報道は極端に野球に偏ってしまい、その他の競技の扱いはほとんどゼロに等しい状況だと思います。

20年の歴史を刻んできたJリーグにしても、地上波で見られる試合はほんのわずかで、スカパーに加入していなければほとんど見ることができません。

それ以外の競技となると、NHKでほんの少しだけ紹介されるだけです。

なぜかバレーボールだけは、スポーツ中継なのかタレント集団のコンサートか分からないような形で放送されてはいますが。

そんなことはさておき、今回のオリンピックでも数々のドラマが生まれました。

なかでも吉田沙保里選手の敗戦は、いつかこんな日が来ることは覚悟していたとはいえ、現実にライブでその瞬間を見てしまうと、勝負の世界の厳しさと、ご本人の苦悩を想像し、言葉になりませんでした。

ただただご苦労様でしたと、迎えてあげたいと思います。

逆に、バドミントンや卓球といった、普段あまり目にすることのない種目では大活躍が連日報道され、深夜早朝と必死で応援しました。

私は普段特定のチームや選手に対してこんな形で応援することがないので、自分にもまだこんな感覚が残っているのかと、改めてスポーツ大好きな自分を感じることになりました。

卓球は中国人選手の帰化問題が何かと言われましたが、やはりその競技が盛んで、世界をリードしている国にあっては、ルールの中で許されているのであれば、今ここでとやかく言っても仕方がないことだと思います。

日本の卓球も、以前には中国から帰化してくれた選手が、日本のレベルを引き上げてくれた歴史もありますし、今でも卓球やバドミントンのコーチや指導者には、強国から指導者として招いた方がたくさんいるのは事実ですから。

やはり活躍が目覚ましいラグビーでも、外国人選手の活躍がどうしても目立ってしまいますが、それを非難する声はあまり聞こえません。

日本はアジアの端の島国で、肌の色や顔つきもそれほど変わらない人たちの中で暮らしてきたので、そういう感覚になるのだと思いますが、他の国からしたら逆にそのことの方が珍しいくらいですから、ここは厳然としたルールの中で判断するとしましょう。

4年後は東京にオリンピックがやってきます、育成年代からの強化策が叫ばれ、それぞれの競技でたくさんの子供たちがオリンピックのメダルを目指して日々努力を続けていることでしょう。

今回活躍した卓球やバドミントン、他にもカヌーやシンクロナイズドスイミング、体操や新体操など、誰が考えてもその競技の練習を誰よりもたくさんこなした人がうまくなると思われるような競技がたくさんあります。

それは十分わかっているつもりでいるのですが、外国の選手たちを見ていると、確かにその競技でも超一流なのですが、もしかしたら他の競技をやらせても、それに近い、いや同じレベルに届いてしまうのではと感じさせる身体能力を持っている選手がたくさんいるような気がします。

それと比べると日本の選手が、もし他の競技と言われても、どうなんだろうと考えてしまいます。

そんな必要はないのかもしれませんが、いわゆるスポーツ万能で、たまたまこの競技で一流になったという感じの選手はあまりいないような気がするのです。

詳しくは承知していませんが、アメリカではメジャーリーグの選手とNBAの選手をトレードしようかなどという、日本なら漫画でしかありえないような話まで聞こえてきました。

スポーツに対する取り組み方や考え方の違いといえばそれまでですが、子供の頃から何かに一筋で、毎年有り得ないような厳しい暑さの中、各競技、各カテーゴリーのスポーツ大会が当然のように行われる日本では、そういう発想は出てこないのでしょうね。

オリンピックを見ていて一番残念だったのが、陸上競技です、最後のリレーで結果を出したので、あまり大きな声では言われませんが、正直まったく世界と戦うレベルにありません。

体一つで勝負するという意味ではまったく同じはずの水泳では、大きな成果を挙げ続けているのに、なぜ陸上競技はダメなのでしょうか。

私なりに色々なことを考えツイートしてみたりもしましたが、何年たってもというか何十年前から、この状況は変わっていません。

突然変異のように現れてくる逸材の登場を待っているだけのような気がします。

なぜ自分たちの取り組み方ではダメなのだろうか、なぜ水泳では結果が出せているのだろうか、もっともっとなぜどうしてと深く掘り下げて行けば、何らかの打開策は見つかるような気がするのですがいかがでしょう。

私は常にそんなことばかり考えているので、サッカーにおける効率的な走り方などということを考え出したり、それがなぜ有効なのかということを証明するために、体の仕組みから説明しています。

科学的なアプローチもいいですが、もっと素朴になぜなんだろうどうしてなんだろうと考えれば、意外に答えはそこらへんに落ちているかもしれないのです。

週末に行った西本塾でも、参加してくれた岸本さんは、なぜ膝たおしをしたら体が整うのか痛みが改善するのか、という根本的な部分が、本を読んでも指導を受けても分からなかったのが、私の元での二日間で見えたような気がすると言って帰ってくれました。

「体が喜ぶことをしていればいいんだ」という説明だけでは、本当に理解できる人はいないような気がします、それがどういう意味を持っているのか、私はなぜどうしてと考え続けてきました。

人がこう言っているから、みんながこうやっているから、そういう風に指導されたから、そんなレベルの取り組みでは本質に届くはずはありません。

そこまで突き詰めて考えてあなたは何が面白いのか、確かにそうかもしれません。

ただ私は自分が本当に納得したものでなければ、それを人に提供することは出来ませんし、しようとも思いません。

何の得にもならないことかもしれませんが、損得ではなく私の性分ですので仕方がありません。

そこまで必要がなく、方法論でいいのなら、私の元を訪ねてくれる必要もないでしょうし、頭を混乱させるだけだと思います。

類は友を呼んでくれるそうですから、私と同じような考え方で、何でも自分で考えなければ気が済まない人と一緒に、私自身の学びを深めて行きたいと思います。

西本塾を終えて、30年前操体を学び始めた頃の自分に立ち返って思うこと。

週末の二日間、数えて20回目となる西本塾を行いました。

初めてこういう勉強会を行おうと思った時、「ほんとに私の話を聞きたいという人がいるのだろうか、募集をかけて、たとえ申し込んでくれる人が一人でもいたなら、その人のために全力を尽くそう」、そう思って始めました。

それが回を重ねて行くうちに、たくさんの参加者が来てくれる回もあれば、今回のようにたった一人という回もありました。

そのすべての回で、私はその瞬間瞬間、自分が伝えられるすべてのことを真剣に伝えてきました。

毎回、日曜日に二日間のすべてが終了した時、すべてを出し切ったという安堵感と、身体的肉体的な疲労から、普段感じることのない感覚に、毎回陥ることになりました。

自分では、こんなに疲れることは他にはないと思います。

今回の参加者が一人だったことで、私の考え方に興味を持って実際に学びたいという人の多くは、すでに参加してくれて、西本塾としての活動も、そろそろ終わりにした方が良いのかなと思うようになりました。

年内は予定通りに行いますが、来年は回数を大幅に少なくするか、休止することも考えています。

そんな中、今回受講してくれた岸本さんは、操体法に出会い、操体法を深く学んでこれからの人生に活かしていきたいという、明確な目的を持っての参加でした。

岸本さんは現在36歳ですが、30数年前、私が20代半ばで操体法というものを知り、渡辺栄三先生という存在に出会うことがなければ、今の私は間違いなく存在していません。

それほど、私にとって渡辺先生という方との出会いは大きなものでした。

もし操体法を学びたいと思った時に出会ったのが、他の方だったら、人生にタラレバはないと言いますが、ここまでのめり込むことは無かったと思います。

西本塾に参加してくれる人の受講動機の中にも、操体法を学びたいという希望は多くの方から寄せられていました。

しかし、さまざまなフィールドで活躍されている参加者に対して、操体法のみに焦点を絞ったお話をすることは難しく、本当に初歩的な内容にしかできないことは、私の中でも残念に思っていました。

それが今回、まさに30年前の私がそうであったように、操体法はとても素晴らしいものであろう、という漠然としたイメージは持ちつつも、どこの誰から学べばいいのか、高齢であった橋本敬三先生に直接指導していただけるはずもなく、何を頼りに師と定める人を探すのか、ある意味人生を決めるかもしれない大きな決断でした。

その対象に自分がなるかもしれない、大きな責任を感じることとなりました。

岸本さんからの受講動機を智志に読ませた時の感想が、「操体法を学びたいと思った人が、父さんのところに来るのは間違いだよ」、という言葉でした。

私にとっても意外な言葉でしたので、真意を訪ねると、「いきなり父さんに操体法とは何かという深い話を聞かされると、これは難しすぎて自分には無理かもしれないと思われるかもよ」、だそうです。

一緒に仕事をし始めて半年にも満たない智志ですが、人の体に向き合う方法論や考え方としての操体法は、ただの施術の技術をはるかに超えたものであるということを理解し始めたからこその言葉でした。

言葉は悪いですが、カリキュラムがあって回数やある一定の期間学べば、身に付くような簡単なものではないということです。

だからこそ私は、息子である智志にも伝えることは出来ないと、弟子というか後継者としても考えたこともありませんでした。

それが3年前の出来事から考え方が変わり、自分の作り上げてきた理論と実践を、このまま眠らせておきたくないと思うようになり、人に教えるということを始めたのでした。

ですから、二日間に亘って必死で伝え続けてはいますが、そこで学んでもらえることは、入り口の扉を開けて中を覗いてもらう所までで、そこから先に踏み込むも、ざっと眺めて扉の外に出て行くのも自由だと言っているのです。

過去個人指導も含めて、150人近くの方に私の考えを伝えてきました。

その中のほんの数人の方が、学び続け深め続けてくれています。

そんな方が、数人でもいてくれることで、私は人に教えるという活動をしてきて良かったと思っています。

今回参加してくれた岸本さんが、この二日間学んでくれたことを、これからどう活かしてくれるのかは分かりません。

しかし、今回はこれまでとは違った感覚になり、30年前の自分に対して指導するような気持ちで指導しました。

私の理論の源流はすべて渡辺先生から学んだ操体法にあると思います、それをベースにして目の前の人間一人一人に対して真剣に向き合うことで、自分なりの操体法、自分なりの「からだ観」を作り上げてきました。

一日目の午前中から、最初の部分から、話の途中でその内容と操体法の考え方の関連性を、何度も何度も繰り返しお話ししました。

その度に自分の中に渡辺先生がよみがえり、30年前の自分を思い出しました。

岸本さんから届いた感想から、私の思いは十分に届いたと感じました。

そして智志の抱いた不安も杞憂なものとなると思います。

初めて私の前に立ち、私と智志、そして家内を含め3人に対してたった一人で向き合わなければならない岸本さんは、本当に大変だったと思います。

本当にお疲れ様でした、そしてありがとうございました。

以下、岸本さんから送られてきた感想です、二日間の奮闘ぶりを想像しながら、読んでいただければと思います。

20期生の岸本です。

西本先生、智志先生、奥様改めて2日間ありがとうございました。

西本塾に来るまでは、西本先生は怖い人なんだと勝手に想像していました。
実際に会ってみると気さくな方で安心したのもつかの間、塾が始まるとまるであのガンジイのようでした。

そう本気なんです、なぜ受講動機をしっかりと書かせるのかわかりました、中途半端な覚悟で参加するのは失礼にあたると思いました。

最初に言われた智志さんの「操体法を教わるのにここに来るのは間違いだ。」という言葉は一瞬ドキッとしましたが、2日間を終えてやっぱり間違っていなかったと心底思いました。

操体法に興味を持ち、勉強しているなんて恥ずかしいくらい何もわかっていなかったのですね。

人は自分の思惑通りに動いてくれない、そうしてもらう為には言葉が非常に重要なのだと。

肘を曲げる動作をして、他にどういった言い方ができる?と言われた時に何も出てこなかったし、自分の思ったように動いてもらえなかった時、言葉に詰まってしまう、実践ならそこで終わってしまいますよね。

トレーニングにしても、操体にしても人を相手にするので、人に伝える言葉は本当に重要なんだと思いました。

そして、いくら操体法の本を読んでも解らなかった、なぜこの動きをするのか、この動きをしたらなぜ改善するのかという部分が納得できました。

・筋肉は骨を動かすものそれ以上でもそれ以下でもない
・関節の6方向(8方向)への展開力と連動性
・上半身と下半身を繋ぐ唯一の筋肉広背筋の重要性
・局所からの意識をはずす、動いていること自体を気持ちいいと感じること
・最初から気持ちいいと感じてくれる人は稀だということ

などなど僕にとって、全てが重要な濃い内容でした。

からだほわっとの感想を求められた時に「終わった後に足が軽くなりました」、と言いましたが、実はあの時、意識が飛んでしまい正直に言うと何も覚えていない、今考えるとスゥーっと水の中に沈んでいくような感覚だったのかもと思います。

今後はこの考え方をしっかり自分の物にして、精進を続けていきます。
まだまだ入り口に立っただけ、たった2日でわかったつもりにならないよに。

奥様、夕食の買い出しありがとうございました。
智志先生、デモンストレーション、練習台ありがとうございました。
そして、西本先生2日間本当にありがとうございました。

痛みとどう向き合うか、意識の違いを超えて。


私が日々行う施術行為、気持ち良さだけを求める慰安的な行為を期待している方は基本的に受け付けていません。

そうは言いながら、実際に施術を受けると、途中あまりの心地良さに眠ってしまう人もいます。

健康管理を目的に定期的に通ってきてくれる人の中には、その心地良さを求めてという部分があることは否定しません。

そういう方々も、最初は体に問題を抱え、なんとかその痛みから解放されたいというのが来所の目的でした。

それが何回かの施術で改善していくうちに、本当の意味での自分の体と対話するという感覚に目覚め、当初抱えていた痛みをもう二度と繰り返したくないという思いから、定期的な施術を希望してくれます。

本来私は、どんな痛みを抱えてこようと、3回で改善させることを目標としています。

誤解のないように言っておきますが、それですべてが解決する訳ではありません。

人間の体は機械ではありませんから、壊れている箇所を探して、部品を交換したらそれで事足りるという訳にはいきません。

逆に言えば、きちんと機能するように整えておけば、あとは時間が解決すると思っています。

一刻も早くそれぞれの痛みから解放されたいのは分かりますが、そういう訳にはいかないのです。

痛いという部分を私が蹴っ飛ばしたとか、どこかにぶつけたとかいうはっきりした原因があれば別ですが、ほとんどの場合はそれぞれの日常生活の中で自分の体をどう使っているかということに対する、体からの評価、通知表のようなものです。

それを省みることなくして、他人事のように体の痛みを訴え、改善させろと言われてもできるはずがありません。

人間は勝手なもので、普段とくに問題を抱えていない時には、ほとんど自分の体と向き合おうとしていません。

まさに自分の所有物、どう使おうと自分の勝手で、そのどこが悪いのかという態度です。

それがひとたび問題を抱えると、自分の責任などと考える人はなく、なぜ自分の体はこうなってしまったのかと、とにかく治せ痛みを何とかしろと、まさに人任せで、医療機関や私のような人間のところを渡り歩くのです。

私はそんな人たちの体が可哀想でなりません。

縁あって私のところに来てくれたのですから、なんとかしてあげたい、さりとて体は改善できても、最終的にはその人の頭の中、考え方が変わらなければ、せっかく折り合いがついて動いてくれるようになった体が、また同じ目に遭わされ酷使されることを繰り返すことは目に見えています。

だから私は、頭が悪い人は治らないと言っているのです。

3回を目標の1回目は、まずその人の体の状態を把握することです。

本人の訴える痛みの場所や、医療機関で付けられた病名ではなく、連なりあって動いているはずの丸ごと一つの体の、どこに連動を阻害している問題があるのかを探るのです。

そして、それが本当に器質的に問題があるのか、それともそう思い込んでしまっているために痛みを感じたり動きが悪かったりしているのかを、私だけではなく本人の意識も含めて問題点を洗い出し、改善が可能な状況なのかを確認しなければなりません。

それさえできれば、相手がそれを分かるか分からないかは別として、私の中では間隔を空けて後の2回の施術で、体の自然治癒力が機能してくれるのを待ち、その人が生まれ持っている、本来の体に戻していく作業をするだけです。

痛いか痛くないかだけが施術の効果を判断する唯一の方法だと思っている方にとっては物足りないものかもしれませんが、痛みが改善する、体が治っていくというのはそういうことなのです。

3回が4回5回となることは、もちろんありますが、それは本人の感受性と、こちらの技術の問題です。

「もう来なくて結構です」という私の言葉に、怪訝な顔をされることもありますが、毎日施術したから早く良くなるとかいうことでもありませんので、とにかく私の施術で加えた刺激と、体の変化をしっかりリンクさせて、これから自分が体とどう向き合うかを考えて欲しいのです。

そうやって当初の痛みから解放され、私のことを信頼してくれた人たちが異口同音にいうのは、自分の周りに自分が抱えていた痛みとは別の箇所に問題を抱えている人がいるが、私のところでそれは改善されるのかという質問です。

自分は腰の痛みが楽になったが、首から手先にかけての痛みや痺れに悩まされている人には効果があるのかという意味の質問です。

そんな時に私が言うのは、「本人を診てもいないのに治りますとも治せませんとも言えませんが、どこにどんな問題があっても、改善する可能性はあると思いますよ」、と言うようにしています。

その方自身も、他の部分の痛みを改善したという方から紹介をされてここにきたことを既に忘れているというか、たとえ同じように腰の痛みを訴えていたとしても、まったく同じ症状はあり得ませんし、何より人間が違うのですから同じわけがありません。

それでも自分はこういうやり方でよくなったが、違う部分の痛みに対してはどういう施術をするのかという質問もされます。

「初めに言ったと思いますが、腰が痛いからと言って腰を触りましたか、膝が痛い人に対して膝ばかり触りましたか、私が治してあげたいのは、人間の体そのものであって、部分ではないと言いましたよね」、そういうことです。

操体法を学び始めてからすでに30年、自分なりに工夫も加えながらも、基本となるのはやはり体は丸ごと一つという橋本先生の言葉です。

結果が出ないとどうしても部分に気持ちが行ってしまい、そこにばかり時間をかけるような施術になってしまうこともありました。

体全体を整えるということが、本当に部分の痛みや動きを改善してくれるということに対して、最善の方法なのかと迷いが出たことも一度や二度ではありませんでした。

しかし、経験を積めば積むほど、そういう焦りが相手の体を本当の意味で診ることができない、「木を見て森を見ず」になっていることを思い知らされてきました。

土曜日に遠路来てくれた高校生の女の子は、1年前に体育祭のピラミッドの練習中に、5段のピラミッドが崩れ内転筋を痛め、いまだに歩行時に痛みを感じ、日常生活の支障をきたす状態だというのです。

医学的な画像診断では完治している、そう言われても痛いものは痛い、動きにくいものは動きにくい、それが人間です。

そのことを確認していたからこそ、私がお役にたてると信じ、遠路来ていただくことにしたのです。

定期的に通ってくれているYさんにそのことをお話しすると、例によって例のごとく「どうやって治すの」という言葉が返ってきました。

「いつもYさんに受けていただいている施術ですよ、どこがどう痛かろうと、治してあげなければならないのは、その人の体全部であって、かける時間配分は多少変わりますし、操法のパターンも変わりますが、やることは同じなのですよ」、というのが私の答えです。

自分にとっては有効な施術でも、他人のしかも違う部分の痛みに対してどう対応するのか、気になるのは当然だと思います。

しかし、どんな方が来ても、私はその人の体に丁寧に語りかけ、本来の動きを探って行くだけです。

この感覚だけは伝えきれない部分ですが、智志には肌で感じ、空気を感じさせることで、時間をかけて伝えて行ければと思っています。

私のようなやり方では、仕事としての効率は悪いかもしれませんが、人間の体と心を相手にしている立場として、最も大切にしなければならない部分で、それをないがしろにしてしまっては、ただの商売になってしまいます。

一人一人に真剣に向き合うことで、体に対する考え方を変えてくれる人が、一人でも多くなって欲しいと思います。

すべてを決めるのは、「体と対話する」という姿勢です。

そんな日々を過ごしていると、最近やたらと疲れを感じるようになった気がします。

智志と一緒に仕事をするようになってから、自分の頭の中だけで分かっていれば良かったことを、きちんと言葉にするというひと手間が加わりました。

それまでは、必要以上に説明してもどうせ分かってもらえないからと、基本的なところだけは説明しますが、あとは結果で勝負というスタンスになっていたように思います。

言葉にするという行為には、大きなエネルギーが必要です。

当然ですが一度発した言葉は取り消せません、政治家のように都合の悪いことは無かったことにしてくれという訳にはいかないのです。

真剣に体と心に向き合い、きちんと説明するということは本当に大変なことだと思います。

そのことで私の頭と体は総動員され、気がつけば自分の体にそれらが溜め込まれている、そんな状況になってしまっているようです。

あまり好きな言葉ではないのですが、私も少し切り替えるという感覚を持たなければならないのかもしれません。

熱戦の続くオリンピック放送を見ながら、一喜一憂することも良い意味でストレス解消になっています。

日本選手だけではなく、世界のトップアスリートから大きな刺激をもらおうと思っています。

トレーナーという立場に求められるものと、私が目指しているものの違い。

毎日様々な出会いの中で、日常の日々が過ぎて行きます。

様々な形で私の存在を知り私の元を訪れてくれる人たちに対して、私の持ってる技術や経験の中から、その人それぞれに対応しています。

そんな中、週の終わり、昨日の土曜日の最後の時間帯を予約してくれたのは、ブログを見て興味を持ってくれたと言って電話をしてくれた人でした。

朝から忙しく、息子とともに「さあもう一人ラスト頑張ろう」と気合を入れて迎えたその方は、広島に住んでいて私のようにスポーツに深くかかわっている立場としては知っていて当然のはずの方でした。

しかし申し訳ないことに、私はそのスポーツにはまったく縁がなかったので、名前を聞いても顔を見ても、まったく気づくことはありませんでした。

受付票を記入していただき、来所の目的の欄に競技名が書かれていましたが、それでも私は「どんなレベルでやっているのですか」と、まるで趣味で行っている人を相手にするような聞き方をしてしまいました。

先に息子が気づき、「父さんこの人見たことある」と言われ、チーム名を言われて初めて気付く有様でした。

それでも失礼なことに、私はさっぱりその方のことが分かりませんでした。

本人の了解を得ていませんので、個人が特定できる表現は控えさせてもらいます。

そこから色々な話が始まりましたが、話を進めて行くうちに私のテンションはどんどん高まっていきました。

私はこれまでスポーツトレーナーという立場で、チームや個人に関わってきました。

その時々肩書きは変わり、神戸と川崎ではトレーナーという立場ではなく、フィジカルコーチという立場で仕事をさせてもらったこともありました。

しかし、私の経歴を知っている人たちが私に求めることは、やはりトレーナーとしての技術や経験の方に重きを置かれていたように思います。

スポーツの世界でトレーナーと呼ばれている立場の人間に対し、組織や選手たちが何を求めているか、おそらく数十年に渡って何も変わっていないような気がします。

コンディショニングの一環と言う聞こえの良い言い方で、選手に対する疲労回復を目的としたマッサージと言う行為が、求められていることの最上位であることは否定できないと思います。

今行われているリオデジャネイロオリンピックに帯同しているトレーナーという立場の人たちも、おそらくは選手に対するマッサージが主な仕事だと思います。

この関係はいつから始まったのでしょうか、そしてトレーナーと呼ばれる職業を目指している人たちは、その事実をどれだけ認識しているのでしょうか。

「もちろん知っています、そういう立場を目指しています」、と言うのであれば、私がとやかく言うことはありません。

組織や選手からの要望がある以上、そういう行為をメインにする仕事があることは否定しません。

しかし、そのマッサージと言う行為が本当に選手のコンディショニングや疲労回復という目的に対して、最も効果的な方法なのでしょうか。

施術する側も受ける選手も、そしてそれを雇用する組織も、みんながそう思っているのでしたら問題はありません。

そうだとしたら、その立場の人間を指してトレーナーという呼称は正しくはないような気がします。

辞書でトレーナーという言葉を調べると、一番先に出てくるのは「練習の指導者」とか「訓練する人」という意味です。

日本ではこういう立場の人は、基本的に「コーチ」と呼ばれていますから、言葉の意味としては、正しくないことになります。

ボクシングの指導者が「トレーナー」と呼ばれていることはよく知られています。

Jリーグ発足時にもトレーナーという呼称は、指導者としての意味合いが強いから「マッサー」という名称にされかけていました。

当然、「我々はマッサージだけをする人間ではない」、と異論が出て、詳しい経緯は知りませんが、トレーナーで落ち着いたようです。

それでも雇用する組織の側は、選手に対して言われるままにマッサージを施し、ある意味慰安的な行為を施すことを当然のように求めています。

私はそういう形の仕事がスポーツトレーナーだということを知りませんでしたし、そういうものを目指していたわけでもありませんでした。

それが縁あってJリーグ開幕時に広島から声をかけていただき、この世界に足を踏み入れましたが、その時にクラブのトップであった今西さんから言われた言葉は、「あなたが宇和島で行っていたことを選手のためにやってください」という言葉でした。

私が故郷宇和島で開業し、一般の方や学生相手に行っていたことは、当然ですがたんなるマッサージや慰安的な行為ではありませんでした。

痛みの原因を追究し、痛みを改善する方策を施し、またなぜその痛みが出たのかという根本的な体の使い方やトレーニングの方法までアドバイスしていました。

その活動が評価されてプロの世界から声がかかったのだと思っていました。

あれからすでに20年以上の月日が流れました。

しかし選手とトレーナーと言う関係はまったく変わっていないどころか、あの頃以上に鮮明にマッサーとしての色が濃くなっているように思います。

加えて何百万円もする医療機器を用いての電気治療の操作方法がうまいとか、テーピングが速くきれいに巻けることが良いトレーナーで、選手との良好な関係を維持できることも大きな評価の一つになっています。

私が故郷にUターンして、せっかく軌道に乗りかけた施術所をたたんでまで勝負の世界に飛び込んだのは、自分の力がチームの勝利に貢献できると考えたからです。

選手一人一人の体調を整え、技術や体力の向上を図り、監督の思い描く戦術をピッチの上で表現できる選手を作ることに、私の力が発揮できると思ったからです。


これまでいくつかの環境で仕事をしましたが、選手や組織の意識は変わっていません、自分のために多くの時間を割いてくれるトレーナーが選手に一番好かれるということです。

私はその選手の能力を向上させるために、最も効果的な方法を探し提案してきました、ただ体を触ってもらえば満足などという選手は相手にしませんでした。

当然反発もありましたが、チームが勝つためにはどちらが必要だったか、現役時代に文句を言っていた選手でも、立場が変わり監督コーチになると分かってくれるようでした。

それほど勝負にこだわっていました、だから私は世間が思っているトレーナーではなかったかもしれません。

そういう意味では、このブログのタイトルも変えなければならないかもしれません。

しかし、私が「生涯一トレーナー」と名乗っているのは、私が本来の意味での人を導き育てる「トレーナー」であり続けたいと思っているからです。

そんな私の元を昨日訪れてくれた選手の口からは、これまで私が求め続けてきた選手としての心構えと言うか考え方というか、まさに私が乗り移ったような話を次々としてくれるのでした。

年齢的にもチームの中心選手としてベテランの域に達している彼は、当然体の故障とも戦い続けてきたわけで、その対処方法としてチームのトレーナーが施してくれる行為が、本当に自分の体にとって効果的なものだとはとても思えない、施術後「どうですか」と問われても、一生懸命やってくれた相手に対して感謝こそすれ、体に変化があったかと言われても答えようがないというのです。

申し訳ないですが、おおきな変化をや効果を感じなかったということです。

トレーニングに関しても同じで、専門のコーチが指導する内容を必死にこなしているが、若いうちは何とかこなせていても、年齢とともにそれがきつくなり、何よりなぜこのトレーニングを行うのか、どういう目的でどういう効果があるのかなど、まったく説明もされていないし考えたこともないというのです。

指導する側される側、双方ともこれだけ頑張ったのだからという自己満足にすぎないのです。

改めて言いますが日本のトップリーグの選手です、ただ漠然と日々を過ごしてきたはずはありません。

その疑問や不満から、私のブログにたどり着き、そして直接訪ねて来てくれたというのです。

私から受ける施術で、初めて体のバランスや連動と言う感覚を知り、体が整っていく動きやすくなっていくという感覚を実感してもらうことができました。

その後、こちらからお願いして、伸筋重視で行う「動きづくりのトレーニング」のさわりを体験してもらいました。

現役アスリートから見れば、ただ背の高いだけで細身の息子が、自分と同じ重量で正しい動きを淡々と行う様子に驚くとともに、自分たちが行っているトレーニングの間違いにも気づいてくれました。

すぐに変えられるものではありませんが、長年疑問に思ってきたことの答えを見つけられたと笑顔で帰って行ってくれました。

このブログ、書き始めて3年以上が過ぎました。

その時々、頭の中に浮かんだことを、思いつくままに言葉にしてきましたが、一般の方だけだはなく、こうしてトップアスリートの方のなかにも、真剣に読んでくれている人がいることを知り、嬉しさとともに大きな責任も感じることとなりました。

いつかそういう選手が指導者になった時、必ずやスポーツの世界が変わる日が来ると信じています。

それがいつになるかは分かりません、その日まで私が今のように発信し続けられるかも分かりませんが、今まで通り、誰に語りかけているわけではありませんが、読んでくださっている方がいる限り、自分の言いたいことがある限り、言葉を綴って行こうと思います。

速く走るために、短距離走と長距離走の選手を指導して。

昨夜は元横綱千代の富士の九重親方の死去の報に触れ、思う所をツイートしましたが、多くの方が反応してくれたようでした。

食事や栄養のことに関しては、まだ完全に解明されていないとはいえ、現実を直視なければならない部分からは目をそむけてはいけないと思います。

今朝こうやってブログを書くために、色々思いを巡らせているうちに寝てしまいましたが、私と言う人間は24時間こんなことばかり考えているのだといつも思います、良いのか悪いのか分かりませんが、このままで行くしかないようです。

誰に頼まれているわけではなく、誰の役に立つわけではないかもしれないことばかりですが、私の中で納得できることを見つけたいという気持ちが、常に消えることがありません。

インターハイが中国地方で開催されていて、広島そして神戸時代にも一緒に仕事をさせてもらった松田浩君にも再会できて、色々な話を聞くことができました。

あの頃の選手は、私の個人的な感想ですが、今の選手たちよりも色々な意味で必死さが伝わってきて、私もサポートのし甲斐のある選手が多かったと思います。

懐かしい話や、現在彼が行っている日本サッカー協会の仕事のことなど、今の私には遠い世界の話も聞くことができ、短い時間でしたが楽しい時間を過ごさせてもらいました。

さて、私が走るという行為に特別な意味を感じ、追求してきたきっかけとなったのは、何度も記事の中で書いてきましたがサッカー選手が90分間、頭と体を動かし続けて、それぞれが持っている最高の能力を発揮し続けることができることを目的としたものでした。

まだまだ理解してくれる人は少ないですが、この3年近くの間に私から学んでくれた人たちが、自分の能力アップや指導に活かしてくれて、その有効性を証明してくれていることは嬉しい限りです。

しかし、その走り方というか体の使い方は当然サッカー選手だけに有効ということではなく、どんな競技にも当てはまるものであることは言うまでもありません。

過去には軟式テニス、バドミントン、弓道、ラクロス、競輪、トライアスロンなどの選手や指導者が学びに来てくれて、実際に競技に応用してくれています。

そんな中でも、走るという行為自体が目的となっている陸上競技の選手や指導者には、なかなか広がって行かないように思います。

つい最近ですが、福岡の中学3年生で3000mの選手が指導を受けに来てくれたことがきっかけとなって、速く走るために今指導している体の使い方を、どう発展させていくかということが大きなテーマとなっています。

サッカーであれば、長い時間とはいえ決められた時間の中で走り続ける競技で、その間にパフォーマンスを落とさないことが最も重要となります。

残り1分となっても変わらない動きができることが理想で、終了の笛とともに倒れ込んでしまうというのは違うと思います。

それが陸上競技となるとまったく話が違ってしまい、1分1秒でも速くゴールを駆け抜けることが要求される競技です。

そうは言っても、それぞれの距離の中での駆け引きがあり、やはり頭と体を動かし続けるという意味では同じだと思います。

ただし、最後の数十メートルは力の限りを振り絞って、ゴールラインを超えた瞬間に倒れ込んでしまっても何の問題はありません。

ここが他の競技と違う所だと思います。

人間が速く走るためには、足の運びをいかに速くするかというピッチの部分と、一歩一歩の長さをできるだけ広くするというストライドの問題があります。

単純に言うと、ピッチ×ストライドがスピードということになります。

同じピッチで走るのであれば、歩幅が広い選手の方が速く、同じ歩幅であればピッチが速い方が速いということです。

そうなると身長が高く足が長い選手が、筋力トレーニングで足の回転を速め、素早い足の運びと広い歩幅を両立することができれば、当然速く走ることができるわけで、身体的な能力が劣っているのなら、その両方をバランスよく両立させ対抗するしかありません。

遺伝的な要素もあり、日本人はいまだに100mで10秒の壁を破ることが出来ていないのは残念なことです。

西本塾を始めた初期の頃に、当時中学校一年生だった短距離100mを専門としている選手と、そのお父さんが参加してくれました。

彼は前年、小学校6年生時に広島県のランキングが1位だったそうで、そのプライドと自信を持って中学に進んだと思いますが、体が小さく、身体的には恵まれていなかったため、少し頑張りすぎてしまったようで、自分の走りを見失い体を痛め、まともに走れない日々が続いていたようでした。

そんな時お父さんが私の考え方を書いたブログに目を留め、指導を受けてみようかということになったようでした。

それから3年間の間に何度か指導を受けに来てくれましたが、体に染み込むという所まではいかなかったようでした。

当然ですが私の指導する走り方はある意味変わっていて、他の選手や指導者から見ると変な走り方に見えると思います。

そんな環境の中で周囲の目を気にせず、私の走りを追い求めることはさすがに厳しい所があると思います。

それでも今回高校生になって、改めて本人が希望して単身指導を受けに来てくれました。

昨年の今頃、全国中学校大会の4×100mの決勝に、広島県代表チームの第一走者として出場し、一走だけが公認される正式タイムで11秒2を記録して以来、現在に渡って記録が向上せず、以前の走りも再現できなくなったというのです。

3年前と同じ状況です、全中で決勝まで進出し、よし高校でもと勇んで入学したことでしょう、それが彼の動きを変えてしまったようでした。

陸上競技部員として行うことが義務付けられているサーキットトレーニングも、私の理論に触れているだけに、明らかに屈筋主導の体づくりのトレーニングであることが分かり、これを続けている限り伸筋主体の走りは再現できないとも考えたようでした。

今回の指導では、そのサーキットトレーニングの内容を見直し、それを否定し拒否するのではなく、それらを行う際の動きの意識を屈筋主動から伸筋主動へと変えることで、無駄になるどころか私の提唱する走りを助けてくれる、絶好のトレーニングに転換してしまいました。

何とかとハサミは使いようです、私の施設の器具でもそうですが、器具に使われるのではなく、自分の動きづくりのために器具をどう使うかという発想を持てばいいだけのことです。

サーキットトレーニングを役に立つものに変えた後は、実際に走る動作につなげていくドリルの指導です。

私の走るという動作の根本となっているのは、「骨盤を縦に動かす」「大腿骨頭の形状を活かしてクランク状に首を振らせる」、これがすべてと言ってもいいと思います。

骨盤を前後に動かすことでストライドが広がる、いや骨盤自体がどうやって動いているかなど考えている人はいないと思います。

ストライドを広げるためには、太腿を高く引き上げ(大腿前面の筋肉を使って股関節を屈曲させる)、さらには引き上げられた太腿を維持したまま、膝関節を伸展させ、できるだけ遠く振り出していく、と言う感覚が当然のごとく求められています。

そのための筋力トレーニングやドリルを陸上選手は当然のように行っています。

私はそれを根底から否定し、「骨盤を縦に動かし、大腿骨頭の首の部分を振れ」と言っています。

まったくの発想の転換です。

体のその他の部分は、それをスムーズに行うための補助的な役割であって、主役は骨盤と股関節だと言い切っています。

しかし骨は自分で動けませんので、それを動かしてもらうために最も活躍して欲しいのが背中にある「広背筋」と言う筋肉です。

これらのことをまずは理論的に説明し、広背筋が意識できるようなトレーニングを行い、骨盤が縦に動き股関節が首を振るという感覚が分かるようなドリルへと進んで行きます。

着地が股関節の真下になって身体を受け止めるという負荷がかかりませんし、股関節を屈曲させて太腿を振り上げるという感覚もありませんので、筋肉の負担は少なく心肺機能も無理をさせません。

ほとんどの方が、汗をかいているのに疲れていない、足が痛くないというのはそういうことです。

ここまでのドリルでは最高スピードは求めません。

骨盤が縦に動くという、これまでの常識外のことを当たり前だと思ってもらうことが何より大事だからです。

それでも私が驚くような速さで走ってくれる受講生がいたことは、私の理論の正当性を形にしてくれて本当に有難いことでした。

その方は事前に私のブログを熟読し、相当な練習を積んでから参加してくれたようでした。

そして今回の100mの選手の指導となったわけですが、予定通りに動きづくりが進み、走りのイメージを取り戻しつつあった中で、トップスピードに近い速さに上げてもらった時、やはりというか力みが生じ、腕を伸ばしたまま後ろに引き込む動作になって、骨盤の動きが上下から前後に変わる瞬間が出てきてしまいました。

1本ずつ動画を確認してもらい、私の気づいたことを伝えましたが、本人も「その通りです」と分かってくれました。

動作解析やバイオメカニクスなどという科学的だと思われている手法に頼らなくても、私の目は体の動きを瞬時に判断することができるようです、まあ自分が指導している動きが出来ているかどうかの問題ですから、見えなければ指導にはなりませんが。

そうやって何本か走ってもらっている間に、本人も納得できる体の動きができるようになってきました。

以前西本塾の指導でよく使った言葉ですが、手先を地面に向かって「刺せ」という言い方がぴったりの腕の動きが、それこそ目にもとまらぬ速さで繰り返され、それに呼応するように骨盤が素早く上下に動き、動画で見ると早回しをしているように見えるほどのスピードで体全体が連動していました。

本人の言葉ですが、「久し振りに背中で走る感覚があります」という表現をしていました。

これこそ私が求めている速く走る感覚です。

智志にはまだここまで回転数を上げる素早い連動は出来ませんが、身長が高い分ゆったりして見えますが、連動という意味では十分にイメージが伝わってくるレベルになってきました。

私も少しやってみましたが、目の前であの速さを見た後では見劣りしすぎて悲しくなってしまいました。

3000mを走るために指導している中学校3年生に指導することと、100mを走るために指導した高校1年生に指導することは、つまるところ同じことなのです。

どのスピードでどれだけの距離を走るかで、動きが違って見えるだけで、本質的な部分はまったく同じなのです。

今回そのことを改めて実感しました。

私の中でも迷いがあったり、力に頼りたくなる部分がありましたが、私の求めている方向性に間違いはないようです。

これからの指導に活かしていきたいと思います。

さて今月行う西本塾、現在申込者は1名です、操体法に興味があるということで、もしこのまま一人だったら私の中で作り上げてきた操体法をベースにした体へのアプローチの仕方を、しっかり伝えてあげたいと思っています。

人数の多い少ないではなく、私と言う人間に興味を持ってくれた人との縁は大切にしたいと思っています。


プロフィール

Author:西本 直
1993年、Jリーグサンフレッチェ広島を皮切りに、社会人野球三菱重工広島・協和発酵・ヴィッセル神戸・川崎フロンターレ、そして広島カープ佐々岡真司投手など、プロアマ問わず競技レベルのスポーツ選手から一般の方まで、トレーニングやメンテナンスの指導を行ってきました。
その経験と知識の蓄積を「西本理論」としてまとめ、一人でも多くの方に実践していただくことが、これからの私の使命であると信じ、このブログから発信していきます。
私の理論はスポーツ選手のみを対象としたものではなく、ビジネスマンや家庭の主婦まで老若男女すべてに当てはまる不変のものです。
指導や講演のご依頼も受け付けています。
実名でツイッターも書いていますので、チェックしてみてください。
また、2013年9月9日にConditioning Studio 操をオープンしました。
また、遠隔地にお住まいの方を対象とした動き分析とアドバイスを行っています。
詳細は「スタジオ操」のホームページ内の「遠隔サポート」をご覧ください。
「第25回西本塾」を11月18・19日の土日に開催を予定しています。
詳細はStudio操ホームページ内の「講習会情報」をご覧ください
尚、深める会も12月10日に予定しています。

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