痛みを感じるのは体そのものか、それとも「心」の問題か。

20代半ば、ある方との出会いから、私は人間の体そのものに興味が湧き、痛みとどう向き合うかを追及してきました。

専門学校に通い、鍼灸師という資格を取るための勉強をしましたが、痛みというものをどう捉え、どう向き合っていくかという問題は、まさに人それぞれの考え方の違いによるところが大きいことを痛感してきました。

32歳で開業した当初は、目の前にいる人間の体が発する痛みをどう軽減させるか、そのことで精いっぱいだったように思います。

あれから26年、仕事として人間の体と接し来た中で、私なりにいろいろなことに気づかされ、様々なことを学んできたと思います。

まず言えるのは、人間の体に接するときにいわゆるマニュアルは通用しないということです。

それをきちんと理解していれば、これまで記事にしてきたように、自分にまかせておけば悪いようにしないからと、自らが学び日々使っている施術方法を無理に当てはめ、痛みを軽減させるどころか、さらに悪化させてしまうという、最悪の事態は起こらないはずです。

しかし、現実にはそういう例は後を絶ちません。

現在の私は組織を離れ、個人を相手に仕事をしています。

今の仕事を始めて26年と言いましたが、本当の意味で個人だけを対象として仕事をするのは、広島に来る前、宇和島での2年間と、現在の施設を作ってからの3年間ということになります。

その間の20年間は、基本的にスポーツの世界に身を置いてきました。

今改めて一人一人の人間の体と向き合っていると、人はなぜ痛みを感じるのかという本質的な部分を考えざるを得ません。

同じ痛みと言う感覚でも、我慢強い人もいれば、ちょっとしたことでもすぐに口に出してしまう人もいます。
皮膚が感じるような外的な刺激は、一時的なものが多く、時間が過ぎれば多くの場合消失してしまいます。
熱い冷たいや、ちょっとした接触による痛覚の問題です。

しかし、度を超えたそういう感覚は、体の防衛反応を生むことになります。

私が言う、屈筋を収縮させ体を固めるという反応です。

それが一時的なものであれば、すぐに緊張は解け、元の状態に戻るのですが、自分にとって普段感じることのない大きな痛みであれば話は違ってきます。

痛みを感じた部分がさらに大きな痛みを感じることがないように、体の他の部分が、痛みを感じた部分を守ろうとしてくれます。

本来頑張らなくてもいい部分が、普段と違う筋肉の収縮を行い続けてくれることになります。
こうなると自分の体が自分の思ったようには動いてくれなくなり、いわゆるバランスの崩れた状態とか、体に歪みを生じた状態となります。

そうやって人間は痛みに対処しているのです。

我慢できているくらいの痛みなら、そのうち何とかなるだろうと放置する場合もあれば、その時点で大きな問題ととらえ、自分の体はどうにかなってしまったのではないかと、医療機関に駆け込む人もいます。

そういう人が求めているのは、痛みの解消であることはもちろんですが、自分の体のどこにどんな異変が起こっているのかを客観的に知りたいという気持ちもあるのだと思います。

腰痛で私の元を訪れる方の中にも、医療機関で腰椎のヘルニアと診断され、それが悪さをしてときどき痛みが出るのだとと言う言い方をする人があります。

ならばそれを指摘してくれた医療機関で治療を受ければよいのですが、ほとんどの場合治療とは名ばかりのリハビリを受け続けることになるので、長続きしないか、はなから診断だけを受けて通院を止めてしまう人もいます。

そういう人に限って自分の腰痛を自慢と言う言い方は可笑しいですが、だれかれ構わず腰痛持ちであることを公言したりするようです。

私に言わせればこういう方はたいした問題ではないと思います、なぜなら普通に仕事もバリバリこなし、趣味のゴルフは私の何倍ものラウンド数をこなせているのですから。

あまりに腰痛を自慢されるので、ならばこういう人がいるから行ってみたらと勧められて、私の元を訪れる人は、ほんの数回で来られなくなります。

自分が言葉にしているほどの状態ではないですから、私にたいしたことは無いですよと言われることが気に入らない人もいます。

それでもこういう方はどこに行っても自分の腰痛は治せないと、またまた周りの人に自慢して歩きます、そういう方は皆さんの周りにも必ず一人や二人はいると思います。

こういう方は別として、日常生活にまで支障をきたすような体の痛みに苦しんでいる方も、本当にたくさんいらっしゃいます。

同じように医療機関から始まり、代替医療と言うか、鍼灸やマッサージ、またその他の整体と言われるような施術を、本当に心配してくれる方たちが勧めるままに、一生懸命通ってこられたり、自分で本を読んだりネットで調べて、良いと思われることは何でもやったという話も聞きます。

医療機関では痛みの部位を特定し病名が付けられることもあれば、診断の結果としては特に異常は認められないと言われることもあります。

それでも本当に自分の体には強い痛みがあり、人には言わなくても日常生活にまで支障をきたし、中には一日の大半を横になって過ごしているという方がいることも事実です。

最近そういう方が何人も来られました。

現実として体がこわばり、施術を行うベッドの上で仰向けになって横になっていただくことも辛そうな方がいます。

痛みのせいで、眉間に深いしわが刻まれた方もいます。

何年も何十年も苦しんでこられた結果だと思います。

ところが施術を始めると意外にもそういう方の体が、私の誘導にかかると不思議なくらい自由に動きます、人間の基本の動きである、骨盤と背骨を基本とした6方向の動きを、ある意味苦も無く表現してくれるのです。

私が出来ることはその6方向への動きがスムーズに行えるように、体全体が無理なく連動してくれるように誘導していくことです。

それが今、現実に失礼ながらとてもまともだとは言えない状況となっている体が、ちゃんと動いてくれるということはどういうことなんだろうと思うくらい、痛みもなく動いてくれるのです。

もちろん可動域の問題はありますが、これくらい動かせれば日常動作にはまったく問題はないはずだがと、私の頭の中は少し混乱をきたすことになりす。

大袈裟に痛がっていたわけではありませんが、現実に立った姿勢や歩く姿はとても辛そうで、仰向けに横になってもまったくリラックスした感じはありませんでしたから。

そんな体が6方向に動く、それはなぜなのでしょう。

「自分の体はもう普通ではない、自由に動けない動かせない、動かすと痛い」、どこに行ってもそう言われてきたし、自分でもそう思ってきた、だから動かせないし、動いたら痛みが出るから動かしたくないという、負の連鎖が続いてきたのだと思います。

人間の体はどういう風に動くようにできているのか、どこが固い、どこの動きが悪い、どこが痛みを発している、だからだめなんだ、そういうどこかの誰かに言われたことを、すべて信じ込まされ、自分の体の声に耳を傾け対話するという、最も基本的な対処方法を行うことができなくなってしまったのです。

権威ある人間の言葉、専門家を自認する人間の言葉、みんながそう言っている、そう思っているという固定概念や既成概念に縛られ、誰の体でもない自分の体と向き合うことを忘れてしまったのです。

「どこかを揉めばどこかが治る、この痛みは別のどの部分から来た、とりあえず楽になったような気がするが、この感覚はどれくらい持つのか」、もう聞き飽きるほど聞かされてきた言葉です。

それらの一つ一つに答えながら、人間の体の仕組みの本質に少しでも気づいてもらえるように話をします。

体の痛みに対処するのが仕事で、少しでも痛みを軽減して欲しいと施術を受けに来ていただくのですが、私が本当に行わなければならないことは、そういう固定概念に縛られた「心」を解きほぐしてあげることなのではないかと思います。

以前から使っていた、少し乱暴な言い方ですが、「頭の悪い人は治らない」と言うのはそういう意味です。

固定概念から離れることができず、自分の体を道具のように扱っている人の体は、けっして報われることがありません。

現実にそういう方は数多くいます、心を開くという作業は単なる技術では出来るはずがありません。

そういう方の心を開かせることができない私は、まだまだ未熟だと言うしかありません。

「自分の体と対話する」そのきっかけを作るために、『1回5分体が喜ぶ健康術』を書きました。

毎朝見ているNHKの朝ドラ「ととねえちゃん」、いよいよ最終周を迎えていますが、唐沢寿明演じる花山伊三次が病床で、自分が死んだらこの言葉をあとがきに書いてほしいと口授筆記させた中に、「あなたの暮らしの読者の皆さんお一人お一人が、周りの方を一人でいいから読者になって頂き本を購読してください」という言葉がありました。

27年間広告に頼らず、自らが信じる雑誌を創り続けてきた人間にしか言えない言葉だと思います。

私も同じ言葉を今この記事を読んでくださっている皆さんに言いたいと思います。

「もうどこを揉めばどこが良くなるとか、何かをすればすべて事足りるという考えを離れてください。私が提唱することはある意味では枝葉の部分になっているところもありますが、それをきっかけとして体と対話する、自分と向き合うという姿勢に立ち返ってほしいのです。」

そういう人が一人でも増えてくれることが、これからの超高齢化社会で生きて行くために必要な、健康長寿という理想に近づける唯一の方法だと信じます。

どうか、私の本を周りの人に勧めてあげてください。

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私のトレーニング指導のノウハウを眠らせてはおけません、グループ指導あと3人募集します。

昨日は福岡から中学生長距離選手の「そら君」が、久し振りに走りの指導を受けに来てくれました。
私の提唱する走りをまさに形にしてくれている、有難い存在です。
高い意識を持って取り組んでくれているようで、見違えるように滑らかな動きとスピードを兼ね備える走りに変化していました。
1か月後には、駅伝の大会に出場するそうで、結果を楽しみにしています。

このところ私のトレーニングに関する記事が続いています。
運動能力では負けていないと思っても、見た目の貧弱さで甘く見られてしまった過去の悔しい想いから、大きくなりたい強くなりたいと、人並み以上に強い希望を持っていました。

残念ながらそれが叶えられることがないまま年を重ね、気がつけば人を指導する立場になっていました。

自分がどんな言い訳をしても、正しい理論の元にトレーニングに取り組めば、ほとんど例外なくその目的を達することができることを、指導する立場として実感し、また今から18年前、仕事を奪われたことをきっかけに、自分のためにそれまで作り上げてきた「体づくりのトレーニング」を、たったの3か月間行っただけで、自分がこれまで求めてきた肉体を手に入れることができました。

その3か月間は、誰でも追従できるかといえば、少し難しいとは思いますが、すべてをそこに向けて打ち込む覚悟と環境さえ与えられれば、必ず結果はついてくるということです。

しかし、そこで改めて気づかされたことは、それまで自分が指導してきた選手たちに求めていた、それぞれの競技に求められる体の動きを、洗練させていくためのトレーニングと、3か月間自分が行ったトレーニングは、本質的に違うということでした。

私のトレーニング指導のキャリアのスタートは、女子高校生のバスケットボールチームの選手たち、そして同じく高校生の野球部員たちでした。

このレベルの指導であれば、まさに体作りを目的とした、数字で表せる効果を求めたトレーニングで、十分結果に結びつけることができたと思います。

それが、数年後にいきなりプロサッカーチームの指導をすることになった時から、体づくりのトレーニングだけでは届かない領域があると感じたのです。

もちろん体づくりから始めなければならないレベルの選手の方が多かったことは確かです。

しかし、数字上では十分な肉体を作り上げていると感じる選手が、それと比例した競技力を兼ね備えているかと言うと、そうではありませんでした。

そこから私の試行錯誤が始まったのです。

体づくりが先で、その後に技術的な能力を身に付けさせるのが普通だと思われていたり、技術的な能力は水準以上のものを持っているが、いかんせん肉体的な能力が低いからと、そこから体づくりのトレーニングを始める選手もいました。

問題は、そのトレーニングの方法というか考え方にあると考えました。

なぜ数字上の結果だけを求めるのか、それは指導する側される側、そして第三者の立場の費用を負担する側も含め、すべてが数字で納得できるからだと思います。

それでも私はその数字上表れた結果と、実際の競技能力が比例してこないことに、どうしても納得がいきませんでした。

失礼を承知で言わせてもらえば、それで結果が変わっていけるレベルであれば簡単な話で、それ以上にはなれないと感じたのです。

ではどうすればいいか、数字を評価の基準にするのではなく、人間として生まれ持ったそれぞれの能力を、余すことなく発揮できるように準備するためには、1キロでも思い重量を1回でも多く持ち上げて、筋力を向上させ、筋量を増やすというトレーニングから、背骨と骨盤をいかに連動させることができるか、人間の体を動かすという根本的な能力を向上させるためには、「動きづくり」という概念が必要なのではないかという結論を得ることになっていきました。

その試行錯誤は今でも続いています。

私が何を考えどんなトレーニングを指導していようと、世の中のほぼ100%の人たちは、体づくりのトレーニングこそが競技力を向上させる方法だと信じて疑うことがありません。

私が過去に指導したチームでは、なかなか私の思いをすべて形にすることは出来ませんでした。

唯一川崎では、その思いを形にし、理論的な部分も教育というか説明をしてから、トレーニングをスタートさせることができました。
継続して指導出来ていれば、私の考え方の正当性が証明できたと思うので、ここに関しては今でも残念に思います。

個人的に継続して指導したのは、中学2年生の秋から高校入学前までの、約1年半、同じ時期ではありませんでしたが3人の野球少年の指導をしたことがありました。

それぞれ目指すところは異なりましたが、その時点で私が教えられることはすべて教えられたと思うので、週に一度1年以上通ってくれたことで、一番大事な時期に大きな成長を感じてもらえたと思っています。

そして今、トレーニングを継続して指導させてもらえる環境は私にはありません。

30年前よりも20年前よりも、そして3年前よりも、私の頭の中は整理され効率的な指導ができるようになっていると、自信を持って言えます。

しかし、今の営業形態の中では、次のステージを目指している子供たちに対して、マンツーマンの個人指導を受けてもらうにはいろいろな意味で負担が大きいと思います。

時間のこと費用のこと、私の施設の場所もそうかもしれません。

それでも、私ならこんな指導ができるのにと、地団太を踏んでばかりいても何も始まりません。

この半年間、息子智志に対して、私のノウハウのすべてを与えてトレーニングを指導してきました。

大きく強くなるためのトレーニングではなく、智志が生まれもった能力を発揮しやすくするための、「動きづくりのためのトレーニング」です。

本人の動きを直接見た人は感じてくれたと思いますが、スポーツは中学までで、高校から専門学校と何もしてこなかった22歳の若者が、たったの半年間でこんなに変われるんだということを証明してくれています。

競技レベルのスポーツ選手のトレーニングを指導する際も、堂々と同じかそれ以上の重量でお手本の動きを見せることができるようになりました。

身長が182cmと高いので、全体にはまだまだ細く見えますが、各パーツパーツは見た目以上にしっかりしてきました。

智志のお蔭で、私自身が改めて自分の理論と指導に自信を持つことができるようになりました。

そうした気持ちの変遷の中で、このノウハウをもっと多くの子供たちに指導してあげたい、そう思うようになりました。

そして以前から施術を受けに来てくれていた、あるサッカーを真剣に行っている兄妹に声をかけ、指導を受けてもらうことにしました。

条件は、まずトレーニングを受けられる時間は、午後の7時から9時までで、スタートはできるだけ7時に始められるように来てほしいが、どうしてもの場合は8時までに来てくれれば対応する。トレーニング時間は約1時間とするということ。

基本的には、ほぼマンツーマンに近い形で指導する。

指導を受けられるのは、こちらの営業日で、基本的には日曜祭日と月曜日が休みです、また西本塾開催の土曜日やこちらの都合で休みとする日があることを承知しておいてください。

トレーニングの回数は週に2回とします、それで十分な効果が得られると思います。

細かい話になりますが、次回のトレーニング日を予約していただくことをお願いしたいと思います、誰も来ないと分かっていて夜遅くまで仕事場に待機はきついですから。

費用は入会金として1万円、月会費として2万5千円とし、途中入会や退会時の日割りや返還は行いません。

というものです。

現在のシステムでは、完全な個人指導しか受け付けておらず、費用も掛かりますので、中学生から大学生までのスポーツ選手で、次のステージを目標にしている選手にとっては、指導を受けていただく価値はあると思います。

普通のスポーツクラブのように、器具も潤沢に揃っていて、営業時間ならいつでも来ていいですから自由にトレーニングをして帰ってください、という形にはできません。

あくまでも私の考え方に沿ったトレーニングを指導するので、大人数を指導することは出来ません。

現在二人のトレーニングを同時進行で指導していますが、少しずつトレーニングを覚えてくれたとしても、ほとんどの種目に補助が必要なので、指導できる限度は今のところ5人かなと思います。

来月からは、あと3人募集して、合計5人の指導を予定しています。

いつか私が指導した選手の中から、世間をあっと言わせる動きを見せる選手が誕生してくれることを夢見て、地道な指導を続けて行きたいと思います。

トレーニング指導を希望していただく方がありましたら、「Conditioning Studio 操」のホームページを確認していただきご連絡ください。

正確には、「動きづくり(のため)のトレーニング」でしょうか。

半年間にわたって行ってきた智志へのトレーニング指導、そしてつい最近始めたサッカー兄妹に対する指導、これまで行ってきたことを、一つ一つ正確に指導することで、私が思った以上の変化を感じさせてくれています。

他の方がやっていることに特に興味はありませんが、好むと好まざるとに関わらず、なんとなく見聞きすることがあります。

色々なことを考え、色々なことをやっているんだなと、感心することが多いです。

ただ、そういうものに接した時に感じる違和感というか、私が目指しているものとはどこか違うなと、なんとなくではありますが感じてしまいます。

それがなぜなのか、とくに考えることもありませんでした。

改めて自分の考えていることや実際に指導していることを考えた時、現在使っている、「体づくりから動きづくりへ」というキーワードを、「動きづくりのための」と言い換えた方が、私が考えている方向性を正しく言い表してくれるような気がしています。

それぞれの競技に必要な動作は様々ですが、動きづくりを提唱されている方の方法論には、もう一つ物足りなさを感じます。

具体的なことは、それらを真剣に学んだことがない立場で、当然、否定も肯定も出来ませんから、私の漠然とした感覚であることをお断りしておきます。

そのきっかけとなったのは、現在体の不調を訴えて施術を受けに来ていただいている、太極拳の指導を行っている女性の方たちとのやり取りでした。

競技としての太極拳もあるようですが、ほとんどの方は健康の維持増進を目的として太極拳に取り組んでいると思います。

それを指導する立場になった方々が、体の不調を感じてしまうことに、疑問を感じました。

もう一度言っておきますが、私自身は太極拳を行ったことはありません、だから自分の感覚としてものを言う立場にはありません。

しかし、長く人間の体に真剣に向き合ってきた立場として、それぞれの方の体に接し聞かせていただく現実は、少しおかしいと言わざるを得ないのです。

どういう風に体を使うか、動きを教える際に、こうやってやるんですよと見本を見せることはもちろんですが、言葉でも説明しなければなりません。

その言葉が教える立場と、教わる立場、双方が共通の認識が持てる内容でなければ、当然ですが用を成しません。

スポーツの世界で日常的にみられる、指導者が経験則の中で生まれた言葉を使ってしまい、選手に対して正確なイメージを伝えることが出来ていないという状態です。

それは指導者としての教育を受ける際にも言えることで、さらに上級の方の使う言葉を、自分の体で正確に理解できないまま、同じような言葉で指導してしまえば、伝言ゲームのように、いつの間にかまったく違うものに変わって行く危険性があります。

過去にも同じようなことは、これまで身を置いてきた環境の中で何度も経験してきました。

トレーニングもまったく同じです。

それぞれの競技に必要な動作は必ずあります、それを実際に行うことができたり、行うことができる人から指導されたことで、指導する側になる場合もあります。

ところがそうやっていわゆるライセンス制度を整えても、本当の意味で自分の中で消化しきれていなかったり、実はその本質的な部分を教育されていないから分からなかったという意見を、この3年間、たくさんの人から聞かされてきました。

実はその本質的な部分というのが、私が提唱している「西本理論」そのものの実態なのかもしれません。

それを伝えるために「西本塾」を行ってきました。

しかし、それは気付きを促すきっかけに過ぎず、現実には私と同じ考えに行き着いたと思える人は残念ながらいません。

それはなぜかと言うと、「屈筋から伸筋への主役の交代」という、私が一番伝えたいことが伝わっていないからだと思います。

理論はもちろん大事です、それなくしてただやみくもに「動きづくりのトレーニング」のまねごとのようなことしても、他のトレーニングと少し体を動かす感覚が違うなと思うくらいでしょう。

理論を本当に理解してもらう唯一の方法は、トレーニングを継続し、体の理解とともに理論が追い付いてくるいう状態しかないと思うのです。

様々な考え方のもとに行われている動きづくりのトレーニング、私が目指しているのはそのもう一つ手前にあるというか、土台となる部分だと思います。

巧さと力強さの両方を兼ね備え、どんな動きにも対応できる基本的な人間本来の能力を向上させるためのトレーニングという言い方になるでしょうか。

その土台に上でこそ、様々な工夫も生きてくると思うのです。

いつもまどろっこしい言い方で申し訳ありませんが、この「屈筋から伸筋への主役の委譲」というテーマを外しては、どんなやり方を行ったとしても、私には足りない部分が見えてくるような気がするのです。

私のトレーニングを継続して指導させてもらえる環境に身を置くことは、現実とても難しいことです。

だからこそ数か月と期限が決められていても、その中で何を身に付けさせることができるのか、私のこれまでの取り組みを自分自身で評価しなおすためにも、しっかり取り組んで行きたいと思います。

「動きを作る」という目的のためには、その基礎になる部分が絶対に必要です。

「こういう時には体のどこをどう動かしなさい、この動きではこの部分に意識を置きなさい」、それぞれの競技で、関節の角度や体の使い方を言葉に変えて、正確に指導ができる指導者は少なく、そういう指導者は当然評価の対象となります。

しかし私は、それ動きを実際に行うための「体の動きづくり」、「関節と筋肉を意識が連動させる能力」、「それを効率的にしかも力強く持続的に行うことができるようになるためのトレーニング」、という発想のトレーニングを探し続けたいと思います。

屈筋から伸筋への主役の交代を促すために。

広島地方、台風の影響で雨が降り続いています。
これから近づいてくるので、ここ数日は気が抜けません。

まずは、西本塾生から興味深い報告がありましたので紹介させていただきます。

『現在、慢性呼吸不全症候群で、常時酸素吸入をしておられる80歳前の男性ご利用者にからだほわっとをさせていただいています。

上半身、特に肩甲骨周囲の筋緊張が高く、左の肩甲骨の動きがかなり低下しておられます。

血中の酸素飽和度が安静時でも85%前後(95%以上だと楽なご様子です)で、呼吸苦がある方です。

からだほわっとを行った後は、血中の酸素飽和度が98~99%まで上昇し、楽になられるようです。


全身の不必要な筋緊張が低下し、血液循環が向上し、酸素の取り込み率がUPし、血中の酸素飽和度が上昇したのでしょうか。

最近は「これが楽しみになりました」と言ってくださるようになりました。

からだほわっとの効果を更に実感させていただきました、ありがとうございます。』


というものです。

私が普段行っていることで、もう30年に渡って行っている施術行為の一つですが、こういうデータを提示していただくのは初めてです。

私のやっていることや考え方には客観性がないと言われ続けていますが、それにあえて反論する気もないのですが、こういう数字を見せていただくと、体と心の両方が喜んでくれているという証拠だと思え、本当に嬉しく思います。

是非これからも継続して行ってほしいと思います。

さて、サッカー兄妹のトレーニング、3日連続して行いましたが、たったの3日でも大きな変化を感じさせてくれ、これからの指導が楽しみになってきました。

高校3年生の兄には、もし私が現在Jクラブのフィジコかトレーナーの立場で、高校を卒業して入ってきた君を見たとしたら、「もう少し基礎的な体の能力を身に付けてから来て欲しかったね、今のままでは練習にもついて行けないし、ケガをするリスクも高いよ」という言葉を投げかけなければならないと伝えました。


どのスポーツにも言えることですが、子供の頃から一つの競技を専門に行ってきたため、人間として持って生まれた基礎的な能力が育っていないと感じています。

ある一定のカテゴリーで秀でることは出来るかもしれませんが、次々とカテゴリーが上がっていくにつれ、技術やテクニックだけでは通用しないことは明らかです。

かと言って、数字に表せるような筋力や体の大きさを求めたトレーニングを行っていると、これもまた人間として備わった動きを効率的に発揮するということができにくくしている場合もあります。

彼にはそのことを十分に理解させ、卒業までの短い期間ではありますが、次のステップに進んだ時に困ることのないよう、しっかりとした動きづくりのトレーニングを指導してあげたいと思っています。

中学3年生の妹も同じです、私の元を訪れたきっかっけは、体の痛みを何とかして欲しいということでした。

痛みに対して私は、原因は3つしかないと言っています。

1番目は、その運動に対応する体本来の力が備わっていないこと、2番目は、その運動を行うための正しい体の使い方が出来ていないこと、3番目は、1と2をクリアしていても、現状の能力を超える頻度や回数を行ってしまえば体は対応できないこと、この3つだと言っています。

私が知る限り、育成年代の故障の原因は、この3つの複合原因というよりも、すべてが当てはまっていると思います。

その原因は、指導者にそういう意識も知識もないことです。

年齢はもちろん、個々の身体能力に合わせた指導ができる指導者などいるはずがありません。

それぞれの運動に適した体の使い方という観点もまったく欠けていますし、体というものの基本的な仕組みを知っている指導者がどれだけいるでしょうか。

そして練習量の問題、育成年代で既にオーバーユースという状況に陥っている選手が何と多いことか。

そういう意味も含めて私は体の基礎的な構造から、西本塾で教えてきたつもりです。

広くこの考えが世間に認められる日は遠いのかもしれませんが、現実として、その弊害によりスポーツを離れてしまう子供や、成長を阻害されてしまっている子供がたくさんいることは事実です。

そこになぜ疑問を持って改善していこうという指導者が増えて行かないのか、かわいそうなのは子供たちです。

妹の方も、中学3年生としてはとても小柄で、体の力は現在の技術レベルとはリンクしていないと思います。

今後のことを考えると、今その部分に気づかなければ大きな成長は望めないと思います。

二人とも、そしてお母さんもその現実を素直に受け入れ、私の提案に一も二もなく賛同して、トレーニングを受けてくれています。

二人の真剣な取り組みは、屈筋から伸筋への主役の交代を、私の想像をはるかに超えて感じさせてくれています。

ある目的に対して屈筋を総動員して、自分の意識としてはこれ以上力を発揮できないという感覚、いわゆる力んでいると自他ともに感じられる状態よりも、伸筋を正しく連動させ、力むという感覚を排除した時に、結果として目的の動作を楽に行うことができるという感覚が、動きづくりのトレーニングの狙いです。

しばらくはこの兄妹とのトレーニングから、これまで築きあげてきた私の理論と実践の効果を、改めて再確認させてもらうことができそうです。

動きづくりのトレーニングで変化を感じてもらうために。

今日もトレーニングの指導を受けに来てくれる、サッカー兄妹を待っています。

体づくりではなく「動きづくりのためのトレーニング」という表現で、自分の考え方を表現していますが、実際にそのトレーニングを継続して指導できる環境は、現在の私にはありません。

なぜそういう考え方にたどり着いたのか、2つの間にどういう違いがあってどういう利点があるのか、言葉としてもきちんと説明していますし、実際のトレーニングを体験してもらうことで、言葉だけではなく体でも体感していただけるように準備ができています。

ですから、この考え方でトレーニングをやりたいと思ってくれる選手はたくさんいます。

しかし、このトレーニングには、いわゆるメニューという発想がありません。

遠隔地の方が指導を希望してくれたとしても、形すら正確に伝えることは難しいと思います。

料理に例えると、レシピを公開して同じ材料で同じ時間をかけて作ったとしても、同じ味の料理にはならないことと同じだと思います。

季節や天気、気温や湿度まで勘案して、材料や水加減火加減など、それこそ職人の技としか言いようのない世界があります。

トレーニングで言えば、過去にはダイエットの為のトレーニングメニューを考えて欲しいと、私に依頼してきた人がいましたが、種目と重量や回数を記したものがメニューだと思っている時点で、私とは相容れないわけで、当然お断りすることになりました。

どんなに有効な方法論にたどり着いたと自分で思っていても、それを実行し結果として現してくれる選手がいなければ、私の理論も机上の空論と言われることになってしまいます。

重量や回数を基準としたメニューを行い、結果としてそれらが向上すれば、誰の目にも客観的な評価となります。

しかしそこで得られた結果と、実際に求められているそれぞれの競技の能力の向上が比例しているとは限りませんし、逆になってしまった例もたくさん聞いています。

私が求めているのは、それぞれの選手が持って生まれた能力を余すことなく発揮できるようにすることです。

そこには客観的な評価は当てはまりにくいと思います。

何をもってそう言えるのか、動きが良くなるとはなんなのか、30年間様々なレベルの選手たちを見続けてきた中で、どういう動きをすることが良い動きと言えるのか、また動きが良かったと言えるのか、第三者に説明したり納得してもらうことは正直難しいことです。

指導している私と、指導を受けている選手だけにわかる感覚、それではダメだと言われるでしょうが、本当に感覚的な部分で、そうとしか言いようがないのです。

選手にそういう変化を感じさせるためには、継続しかありません。

トレーニングルームで、それぞれのフィールドで、日々行うトレーニングの中で、もっとこういう動きができるようになりたいという欲というか目標が見つからなければ、近づきようがありません。

それを本人以上に探し出すことも私の仕事です、可能性を見出すとでもいうのでしょうか。

目標を見つける、本人にそのことを確認させる、方法論を提示する、選手に納得して取り組めるようにきちんと説明する、こんな作業が必要になります。

現状毎日私の指導を必要としてくれる選手がいたとしても、それに応えることができません。
目の前で息遣いを感じながらの直接指導でなければ、私の思ったような指導を行うことができない、とはいえそれが現実としてできない中で、なんとか結果を出させてあげられる指導ができないのか、方法論を模索しています。

現在遠隔地の人に対する指導をするためのシステムは作りましたが、現実として、まずは直接指導を受けてくれなければ、ネット環境を使ったとしても、思うような指導はできないと思います。

自分の創り上げてきたものを発揮できないことに、今、大きなもどかしさを感じています。

数日前から試験的に始めた、サッカー兄妹へのトレーニングの直接指導、今日も来てくれるそうです。

彼らにどう伝えるか、どう伝わるか、直接指導でできないことが遠隔指導でできるはずがありません。

高校生や中学生にきちんと伝えられたとしてら、その上の年代の選手にも伝えられる自信になると思います。

私の持っている能力を眠らせておきたくない、そんな気持ちが大きくなっています。

環境が与えられるのを待っているのではなく、自分で工夫して一人でも多くの選手の力になりたいと思います。

また現場で必要とされるのではないか、心の何処かにそんな気持ちがないわけではありません。

それが私の歩みを遅くしているのかもしれません・・・。



夢先案内人として、継続したトレーニング指導を受けてもらえる方法を模索しています。

昨日から新しい形の指導を始めました。

きっかけは今年に入って縁のできた、サッカーをやっている兄妹のことでした。
中学生の妹さんがある部分を痛め、なかなか症状が改善しないため、お母さんが私を探し当ててくれました。

聞けば、もともとは県外の方で、高校生の兄がどうしても広島の高校でサッカーがしたいということで、お母さんと子供たちが広島に引っ越してきたということでした。

私から見ればとても凄いことですが、そういう例はたくさんあるのだそうです。

妹から話を聞いた兄も、私の指導を受けたいと何度か来てくれましたが、大学に進んで更に腕を磨き、サッカーだから足を磨きでしょうか、将来はJリーガーにと目標を立てているようでした。

妹の方も高校はまたまた出身地ではない県の強豪校に進学して、なでしこリーグ入りを目指しているという、まさにサッカー家族でした。

二人とも私の考え方や実技の指導に目を輝かせ、それこそ毎日でも来たいと言ってくれましたが、今のシステムでは時間的にも経済的にも大きな負担となってしまうことは明らかで、申し訳ありませんが継続した指導というわけにはいきませんでした。

私の中でも、そんな子供達の夢を実現させる手伝いをすることが一つの大きな使命だと言っていながら、現実何もできないことを申し訳なく思っていました。

そこで、ここの営業時間の7時を過ぎた後、9時までの間を、そういう子供たちのための指導時間とし、本来なら完全な個人指導の形でしか指導しなかったものを、私の中でも少し緩めて、複数の人間を相手に指導することで、少しでも多く通ってもらい、私の動き作りのトレーニングを身につけてもらえないかと考えました。

まだはっきりとしたプランとして公表していませんが、最初の1ヶ月は細かい指導が必要となるので、入会金と月会費という形のお金をいただき、翌月からは月会費の形にして、火曜日から土曜日の7時から9時まで、入室は8時までとし、毎回1時間程度のトレーニングを指導させてもらうという形を考えました。

人数が多すぎると、スペースと指導内容のこともあり難しくなるので、とりあえず10名限定で考えています。

そういう話をこちらからお母さんに連絡して伝えたところ、早速昨日兄の方が指導を受けに来てくれました。
今日も来てくれるそうです。

理屈はさておき、1回でも多くトレーニングを行ってもらうこで、必ずや私の想いが届いて、動きが変わってくれるはずです。

大きく強くなるためではなく、自分の体を自分の思ったように動かすことができるようになるためのトレーニングを、一人でも多くの子供達に指導していこうと思います。

大きな組織は振り向いてくれませんが、私が指導した選手が、いつかそういう場所で輝いてくれる日がくると信じています。


深める会を終えて、寄せられた感想と今想うこと。

深める会の感想が届いたので紹介させていただきます。

西本塾を受講し1年4カ月を経て初めて深める会に参加してくれた川本さん、もう何度お会いして直接指導を受けてくれたかわからないほど真剣に学び続けてくれている望月さん、そんな二人が同じ空間を共有して何を感じてくれたか、まずは読んでみてください。

西本直先生
先日の深める会では、厳しい言葉をかけて頂きありがとうございました。
過去4回深める会に参加しましたが、今回ほど厳しい言葉をかけて頂いた会は過去にありません。
その影響は、講義終了後の感想を発言する場で見事に出ていました。
過去の深める会では、それなりに感想を言えたのですが、今回は言葉が出てこなくて、聞いてくれた方々にとっては聞き苦しい感想だったと思います。

それでも日にちが経つにつれて、頭の中を整理出来て言葉に出来そうなので、改めて書かせて頂きます。
まず初めに西本理論とは何かと問われれば私はこのように思います。
「脳と脊髄への改革」たったこれだけです。
とはいえ、これだけ言われて理解出来る人はいません。その為に先生は約30年かけて「言葉」を探し続けてきたのだと思います。

時には自分に問いかける様に言葉をかけて、その言葉の刺激で自らの体を動かす。
言葉は脳への刺激となる重要な道具です。

その道具を常に磨き続けて、多くの人々の脳と脊髄の改革をしてきたのが先生だと思います。
しかし、言葉は受け手によって捉え方が変わります。どれだけ言葉を尽くしても分からない人もいます。
そんな時に3・5・7理論、屈筋と伸筋、FBT、からだほわっと、操体、マシーントレーニング、歩く走る行為などの「ドリル」が完成していったのだと思います。

西本理論の言葉とドリルを駆使して脳と脊髄への改革を行えば、ある一部の人を除き変えられるのだと思います。
ある一部の人間とは、固定観念を捨てられない人です。
私は、まさしくそれに該当しました。

ちなみに私が今回の深める会に参加した理由は以下の通りです。
・自分自身の成長が止まっていると感じたから
・今年に入り先生のブログに書かれてあることが理解出来ずにいたから
・分かっているようで分かっていない自分がいたから
これらの原因は、まさに固定観念を捨てられなかったからだと痛感しました。

私の固定観念は、アイドリングについてです。
アイドリングは、滑らかにスマートにするものだと勝手に思い込んでいて、近くにいる他の受講生のぎごちないゴリラのようなアイドリングを真似できなかった。実際は、ゴリラのような動きが先生の求めていたアイドリングだったのだと今回の深める会でやっと気付けました。5回深める会に参加してやっと気付けました。
たかがアイドリング、されどアイドリングです。出来ていると思った時点で成長が止まる。
アイドリングの奥深さを思い知りました。

また、「部分にとらわれず全体をみること」は私にとって永遠のテーマだと思います。
これは、言葉にしてしまえば当たり前のように思えますが、実際はそう簡単には出来ない事です
例えば、ひらがなの「あ」を書くためには、どのような形、大きさ、バランスなのか全体を見る必要があります。
しかし、全体だけを見ても部分をしっかりと見ない事には、「あ」という字は書けません。
また、部分でもどこから書けば書きやすいのか、書き順も考えなくてはいけません。
つまり全体を見ることだけに集中しても、部分は見えませんし、部分だけをみることに集中しすぎると全体を見失います。
ということは部分をみるなとは言えませんし、全体だけ見ていればいいんだとも言えません。
ただ一つ、書き順や部分にとらわれて「あ」と書くのを「お」と間違って書いてはいけません。

西本理論も同じだと思います。西本理論は「脳と脊髄神経への改革」が目的ですが、その為に「言葉」や「ドリル」という手段を駆使して目的を達成します。
先生から言わせれば私の手段は、部分に見えるかもしれませんが、まだ目的までの道半ばです。
先生は目的を達成していますが、私は目的を達成できていません。
私の目的は、「子供たちの脳と脊髄神経への改革」です。
子供たちは私たち大人と違い外部から脳と脊髄へ邪魔が入りやすいです。
いくら良い物でも監督やコーチや親が一言いえば子供は話を聞かなくてはなりません。
子供だけを変えても、周りが変わらなければ苦しむのは子供です。
私は、子供という一部分を変えるのではなく、子供を取り巻く環境全体をも変えていきたいと思っています。
そんな事出来る訳がないと人は言うかもしれません。
私はそんな誰からも理解されないであろう目的に向かって進んでいます。
子供のころから当たり前に教えられていたことが、大人になってまったく違ったということはたくさんありますが、
西本理論という固定観念が子供のうちから自然と入っていれば、大人になっても困ることはありません。
また体の事だけではなく、それ以外の事の本質を見抜き勉強していく必要があります。

事実、体のことだけでは、子供の環境は変えられない感じがしています。
先生にいわせれば、そんな事分かっているよ、それは違うよと思われる事かもしれませんが、まだ私には分からない事だらけです。
だからこそ、もがきくるしみ自分の道を作っていきたいのです。
もちろん、西本理論の本質を見失うことのないように・・・
以上が、感想になります。

今回の深める会では、川本さん、馬場さん、智志さんと共に学べた事を心より感謝致します。
過去の深める会の中で一番周りを見られた気がします。皆さんの言葉や行動が私への強い刺激になりました。
今後も共に頑張っていきましょう。

最後に、先生2日間ありがとうございました。
厳しい言葉を消化するまで時間はかかりましたが、私の脳と脊髄はしっかりと改革されました。
また新たな刺激が加わり、今後も成長の道を進んでいけそうです。
やはり、私には先生の刺激が一番効きます(笑)
盆栽する方には、私の様な変な枝の伸び方をしてるのを整えるのは大変でしょうが、間違っているかもしれませんが枝を伸ばし続けます。
間違いを恐れて枝を伸ばさないようにするのは、私には出来ません。
間違って伸びた枝を整える先生にはご面倒おかけしますが、今後も何卒宜しくお願い致します。

第7期西本塾生 望月竜弥

西本先生・智志さん・望月さん・馬場さん、2日間本当にありがとうございました。
今、振り返ってみても、この2日間があって本当によかったと感じています。

私は、ブログを通じ、西本先生の存在を知り、じかに会ってみたいと思い1年4ヶ月前に西本塾に参加しました。
参加した西本塾では、ただ参加したというだけで、周りの方々の熱に圧倒され帰ってきました。
そのため、動きも心構えも中途半端以前の状態で、その後の取り組みもそういったものでした。

しかし、ブログや著書を読み、西本塾・深める会に参加した方々のコメントを読んでいるうちに、もう一度西本先生や智志さん、参加者の方に会って、学んでいきたいという気持ちが強くなりました。
このような状態の私が参加してもよいのかと悩んだ時期もありましたが、自分が少しでも動けるようになりたい。そして、サッカーのコーチングをしている選手たちに伝えたいという気持ちが勝るようになり、深める会に参加する決心がつきました。

深める会に参加してみると、比べるのも失礼なのですが、望月さん・馬場さんの動き、物事に取り組む姿勢に全然及ばず、参加して申し訳ない足をひっぱているのではないかという気持ちが大きくなっていきました。

ただ、だんだん講義が進んでいくうちに、目の前のことで精一杯になり、そういったことを考える余裕が少なくなっていきました。
そのうちに、自分ができないことは今は仕方がない。では、どうすればいいのかを少しずつ考えるようになり、智志さん・馬場さんの動きを少しでも近くでみたいと考え、二人の少し後ろに立って見よう見まねで動いてみたり、アイドリング時の望月さんと先生のやりとりを見聞きし、動きが変わっていく過程を少しでも覚えようとしました。
それで、前回の西本塾とは違うと感じ少し満足感を得るようになり、できないなりにやったような気分になっていました。

それを感じられていたのかどうかはわからないのですが、2日目の最初に先生が、私の現状をばっさりと切り捨ててくださり、何がしたいのか、どうしたいのか、本気でやり続ける覚悟があるのかを真剣に問うてくださいました。
その時には、どう答えればよいのかわからなかったのですが、今の中途半端以前の状態を変えたいと思うようになりました。
また、本気で刺激を与えてくださることは、なかなかないことでしたので、ありがたいことだとも思いました。

物事に取り組む姿勢をを変えていく、そのためには、まず、深める会で指摘いただいたこと、見たこと、感じたことを整理し、1日1日、意図を持ってできることをやりつづけていきたいと思います。

智志さん、本当にありがとうございました。
動きはもちろんのこと、操体法で、お互いの体と心が気持ちよくなるために、相手の立場に立って考える姿に、目の前のことで一杯一杯だった私は、感心させられ、少し周りが見られるようになったのではないかと思います。
その取り組む姿勢に、なぜ、6ヶ月でここまでの動きができるようになったのかということが、感じることができました、ありがとうございます。

西本先生、たくさんの刺激をいただきありがとうございました。
また、最後の感想で言っていただいた、「今日がはじめての西本塾だと思って取り組んでいってください」という言葉を、言わせてしまい申し訳なかったです、真剣にやり続けていこうと思いました。
次回にお会いするときには、オーディション?を突破できるように日々取り組んでいきます。

最後になりますが、皆さん本当にありがとうございました。
西本先生・智志さん・望月さん・馬場さん。5人の深める会の空気感は、得難いものでした。
そう感じさせていただき本当にありがとうございました。

西本塾11期生 川本悠矢 

西本先生、智志さん、二日間本当にありがとうございました。
また一緒に参加させていただいた望月さんと川本さんもありがとうございました。
皆様のおかげでとても素晴らしい実りのある二日間を過ごすことができました。

西本塾初日に今回の受講動機を伝えさせていただいた際に、その考え方が全体を見れていないという言葉を言っていただきました。
その言葉を聞いたときに、確かに痛みの原因が痛めている場所以外のどこかにあるのかということを考えてしまっていた事が、局所にとらわれてしまっていて全体を見れていなかったのだなと感じました。
そのためこの二日間で全体とは何かということを少しでも理解しようと考え、深める会を受けさせていただきました。

二日間受けさせていただいた感想としては、身体に対しての刺激や痛みとは何なのかということを今まで全く理解できていなかったし、考えていなかったのだなと思いました。
このことを理解することが出来なかったため、今まで治療を行う中でどの程度の強さで患部に鍼や手技などの刺激を入れようかと考えてしまっていたのだと思いました。
しかし西本先生の刺激とは触っている部分ではなく、脳へ刺激を入れているという言葉を聞いたときに、今までの考え方が間違っていたのだなと思いました。
そしてこの刺激に対する考え方も、今までは全体ではなく局所しか見ることができていなかったのだなと痛感しました。
そのためこちらに帰ってきてからは鍼治療を行うときでも、脳へ刺激を入れているということを意識して治療を行っているつもりです。

ただまだまだ自分自身意識できていない部分や理解できていない部分も多くあるため、
今後も引き続きこの意識を持って治療を行っていき、刺激とは何かということを常に考えていきたいと思います。
そして自分の刺激で相手がどのように変化するのかを把握できる治療家やトレーナーになりたいと思いました。

またこの二日間で先生が何度もおっしゃっていたように、脊椎の大切さということを改めて感じました。
これは治療だけでなく、トレーニングでも同様のことだと思いますが、この脊椎というのをまだ自分の中でイメージできていない部分が多くありました。
そのため動く際の意識としては背中という広い部分だけでなく、脊椎一つ一つの動きをもっと意識していく必要があるなと思いました。

ただこのような意識と正しいトレーニングを継続して行っていけば、智志さんが半年で大きな変化をしたように、私自身ももっと動きを改善させることが出来るのかなと思います。
そのためFBTやアイドリング、様々なドリルを継続して行っていき、少しでも西本先生や智志さんの動きに近づけるようにしていきたいと思いました。

今回動きを褒めていただいたときはとても嬉しかったですが、最後の感想で述べさせていただいたように、自分は先生が言っていることを行っているだけで、自分で理解してトレーニングや動きを行うことが出来ていないと思います。
もし選手であればそれで良いとは思いますが、自分は選手ではなくトレーナーという立場であるため、今後指導をしていかなくてはいけません。
そのため正しい動き方をもっと深く理解し、そして実際に正しい動きと正しくない動きを見分けられるようにならなくてはいけないと思いました。
そして正しくない動きに対しては、どこが悪いのか見つけ、正しい動きに導くことが出来るようなアドバイスやトレーニングを教えることが出来るようにならなくてはいけないのかなと思います。

ただ西本先生が言われていたように、完璧になってから行うということでは、いつまで経っても指導することが出来ないと思うので、もし指導するチャンスがあれば積極的に行っていけるように準備を怠らないようにしなくてはいけないと思いました。

今回の初日は広島カープの優勝や西本先生の治療を見学することが出来るなど、とても貴重な経験をすることが出来ました。
そのため自分の中で二日目の朝はフワフワした感じがあったとは思いますが、二日目の最初に西本先生の厳しい言葉を聞くことが出来、自分の気持ちを真剣モードに切り替えることが出来たと思っています。

このように西本さんを始め、受講者全員が真剣に学ぶ雰囲気があるのが西本塾の良さだと思いますし、私自身この熱を感じるために西本塾に来させていただいたという部分もあります。
そのためこの熱を忘れないように、今後も常に真剣に目の前のことを全力で行っていきたいと思います。
そして本質を常に求め、当たり前のことを当たり前だと思わずに、常に探究心を忘れないようにしていきたいと思います。

二日間本当にありがとうございました。

馬場浩平

改めて人に何かを伝えることの難しさを感じています。

当初は私の考え方に興味を持ってくれた人たちに少しでもわかりやすく伝えることが目的でした。

そしてさらに学び続けたいという人のために、深める会を行ってきました。

望月さんのように会を重ねてくれればくれるほど、それぞれの方が私の元を訪れてくれる目的と、私が伝えたいことが離れて行くような気がしています。

私が後継者を作らない、おこがましい言い方ですが弟子のような存在を作らないと言ってきたのは、私と同じ人間は作れない、私と同じ感性の人間を作れるはずがないという、ある意味当たり前のことがわかっていなかったからだと思います。

それぞれの目的を持って集まってくれた人たちが、私という人間の存在から何かを感じ、それぞれの環境で活かしてくれればいい、そう思っていたはずが、まさに私と同じ感性を身につけてほしい、同じことができるようになってほしいと、コピー作りになってきてしまったようでした。

逆に言えば、そこまで期待できると感じさせてくれる人が現れてくれたということなのかもしれません。

今回これまで以上に厳しい言葉を発することになってしまったのは、私の中でそういう感覚になっていたことが原因だと思います。

しかし、それはしてはいけないことだったのかもしれません。

私がそんな気持ちになればなるほど、参加者は私の言葉に敏感になり、まさに言葉のみを追いかけてしまうことになりました。

今回使った言葉も、これまで説明してきた言葉の延長線上にすぎないのであって、新たな発見ではありません。

しかし、新たな言葉を使うと、それだけがすべてのように受け止める人も出てきます。

私が日々、なぜどうしてと考え続けていることを言葉にする作業は、自分の中だけならなんの問題もありませんが、言葉や文字にしてしまうと、途端に一人歩きをしてしまいます。

考え方も実技もまったく同じです。

言葉は、普遍の原理原則を説明するための手段にすぎません。

そのことが分かるためには、長い年月をかけて自分のなかで感じ続けて行くしかないのです、言葉でわかったとか理解したという気持ちになった時点で、感じることができなくなってしまいます。

年内、深める会をもう一度行う予定です。

この3年間の総決算として私の思いを伝える会にしたいと思います。

西本塾においては、入口としての意義をもう一度自分のなかで再確認して、「ブログを読んだだけではわからなかったが、直接話を聞いて目からウロコだった」という、ありきたりな感想を素直に言ってもらえるように、私の中で煮詰まってしまった言葉で、惑わせることがないように気をつけたいと思います。

少し残念な出来事があって、言葉が弾みませんが、すべてを受け入れて前に進んでいこうと思います。

「conditioning studio 操 」明日3周年を迎えます。

今日は9月8日、明日9日は現在の拠点である「conditioning studio 操」をオープンしてからちょうど3年になります。

そしてこのブログを書き始めたのは、その少し前の5月の27日でした。

年齢も58歳となり、いろいろな意味でこれからのことを考えなければならない時期に来ていると思います。

過去を振り返っても何も変わることはなく、常に明日を、というよりも今日この瞬間が全てだと思って生きてきた人間ではありますが、この3年間は私の人生の中でも大きな転機となったことは間違いのないことで、少しだけ振り返ってみたいと思います。

その前に、これも大きな転機となった、久しぶりのJリーグのクラブでの仕事に備え、ここを作る前に仕事場としていたところから、大切に使っていたトレーニングの器具を、全て長年トレーニングに通っていただいた方が経営する会社に預かっていただていたと言えば聞こえがいいですが、実際には寄贈させていただき、本社の社屋の中に立派なトレーニングルームを作り、活用していただくように準備して広島を離れました。

それが数ヶ月しか経たないうちに帰ってきてしまい、これから先どうしようと途方にくれていた時、真っ先に声をかけて頂き、準備が出来たらいつでもトレーニング器具は返してあげるからと、温かい言葉をかけて頂いたのでした。

私がここで名前を出したからといっても、何の宣伝にもなりませんが、広島県呉市にある「堀口海運」さんの堀口勝哉社長は、どんなに言葉を尽くしても感謝しきれない恩人です。

そして、私の考え方を大きく変えてくれたのが、スポーツライターの「木崎伸也」さんでした。

彼とは川崎在籍時に風間八宏監督の紹介で知己を得て、以来私の考え方や発想に興味を持ってくれたことで、これまで自分でも考えもしなかった発想が次から次へと湧いてきて、私自身を大きく成長させてくれました。

これまでその場その場でしか物事を考えてこなかった私に、様々な視点で人間の体を観察するチャンスを与えてくれました。

彼の存在がなければ、私が今のように多くの方に知っていただくことはなかったと思います。

様々な媒体で私の考えを文章にして頂いたり、私自身にもその機会を与えてくれたことで、自分の中に眠っていたものを整理し伝えるということが出来るようになりました。

そのことがきっかけで「西本塾」を行うことになり、全国各地から様々な立場の方が参加して頂き、私の考え方を広めてくれる人も増えてきました。

「来るものは拒み、去る者は追わず」などと、全く意味不明な発想で他者と交わることを良しとしてこなかった私の目を開いてくれた木崎さんには本当に感謝しています。

自分の考えが文字になり、多くの人の目に触れる、そして様々な感想が寄せられるという、まさに得難い経験をたくさんさせていただきました。

それからここまで、西本塾や個人指導の形で私の考えを学んでくれる人たちとの出会いや、施術者として多くの方の体と心に向き合ってきました。

そして今年の3月からは、我が家の末っ子で三男の智志が私の背中を追いかけてくれています。

数年前までの私は、自分の技術や考え方、そして何より培ってきた感覚の世界を、他者に伝えることなどできるわけがないと思っていました、それが親子であっても同じです。

それがこの3年間の中で、私自身が少しづつ変わっていくのを智志も感じたようで、意を決して私にその思いを伝えてくれました。

四人の子供たちのこと、そしてこの間に生まれた孫たちのこと、一人の人間として得難い経験をたくさんさせてもらっています。

あのまま広島を離れた状態が続いていたらというたらればの話は想像もできませんが、私という人間を成長させてくれる大きな転機となったことは間違いありません。

先日広島での仕事の際に立ち寄ってくれた、形は違えどトレーニングの指導者として大きな成功を収めている故郷の友人と食事を共にしながら話をする機会がありました。

ここまでになった彼の努力は想像を超えるもので、私などとても出来ることではありません、こういう人間を成功者と呼ぶのだろうというすばらしい男です。

彼は私の現状を知り、「お前の経験や技術を活かせば、もう少し違う仕事のやり方があるだろう」と言ってくれました。

彼の今の状況を羨む気持ちがないと言ったら嘘になりますが、そこに辿り着くまでの苦労も知っているだけに、単純にそんな気持ちにはなりません。

今の私にとっての一番の喜びは、縁あって出会った方々が、一人でも多く笑顔になっていただくことです。

まるで綺麗事にしか聞こえないかもしれません、実際そうかもしれません。

後を追ってくれる智志のために、ただ私の持っている技術や経験を伝えてあげるだけでは、彼はこれからの人生を歩んで行く糧を得ることはできません。

私の一番苦手なことですが、生活するための生業としてのやり方を、もう少し工夫しなければならないと、この歳になってやっと考え始めた次第です。

自分のことしか考えてこなかったツケが回ってきたというのでしょうか。

これまでの人生、なんの後悔もありません、その時その瞬間を全力で駆け抜けてきました。

今やっと周囲を見渡しながらゆっくり歩くことを始めたばかりです。

先週、遠く岐阜県から来ていただいた方は、パーキンソン病を患われた66歳の女性の方でした。

ご主人の運転する車で7時間以上をかけて広島まできてくださいました。

50歳の頃から症状が出始め、58歳の時病名を確定診断されたそうです。

現在は筋肉の力が弱まり背骨も丸く湾曲してまっすぐ立つこともままならず、歩行器を使わなければ歩くことも難しい状況でした。

最初の電話を頂いた時に、私の長女も20歳の時に若年性パーキンソン病の診断を受け、一般の方に比べれば病気に対する知識もありますし、私の施術で病気自体が治るわけではないことは当然分かっていただいているのでしょうか、と確認させていただきました。

もちろんそんなことは百も承知で、少しずつ自由の効かなくなっていく自分の体を、少しでも自分の思い通りに動かし続けたいという一心で、私を頼ってきていただけるということでした。

たまたま10年くらい前に、私の初めて書いた本である「朝3分の寝たまま操体法」に出会い、人間の体に対してこんなにも真剣に向き合っている人がいるのかと心に留めていただいたそうです。

今年出させていただいた「1回5分体が喜ぶ健康術」と、「体の痛みを治す寝たまま体操」も全て読んでいただいていて、ご夫婦で工夫しながら体操に取り組んでいただいているそうです。

そんな中、遠隔地ではありますが、直接施術を受け自分で行うやり方を指導して欲しいと思っていただいたのです。

本を書いた人間として、人の体を相手にする施術者として、それ以上にひとりの人間として、これ以上嬉しいことがあるでしょうか。

そして金曜日、本当にここまでくるのは大変だったと思いますが、智志と一緒に精一杯のことをさせていただきました。

ほんのわずかの変化ではあったと思いますが、体の力が蘇り、歩行器につかまりながらではありますが、足取りがしっかりしたような気がすると嬉しそうに話していただけました。

駐車場までお手伝いをして車を見送りながら、これ以上有難いことはないと心から思いました。

4日後の火曜日、お二人から弾んだ声で電話をいただきました、「体が軽く感じます、本当に行ってよかったです。できればまた伺いたいと二人で相談しています」と。

人それぞれ目指す所があり、そこに向かって近づいていくことが成功という言葉になっていくのだと思います。

私はこれまでスポーツ選手や一般の方にかかわらず、こういう一瞬があることで、この仕事を続けてこられたのだと思いますし、もっと良い仕事がしたいと試行錯誤を続けてきたつもりです。

これから先私が考えなければならない方向性は、智志のためにも経営を安定させるという部分は必要になってくると思います。

もう一方で、私の能力を必要としてくれる人たちのために、どうやって応えていくかという問題です。

広島という町が近い人もいれば遠い人もいる、体の問題を抱えた人もいれば、将来に夢を持って「動きづくりのトレーニング」の指導を受けたいと思ってくれている選手もいる、そんな様々な要求に対して私がどういう形で応えていけるのか、一人ではなくなった今、そして自分の年齢を考えた時、そんなにのんびりともしていられないと思っています。

積み重ねてきた小さな有難い出来事を、もっともっと増やしていくことが、私自身にとって、そして誰かのためにという究極の目標を達成するために、やり続けなければならないことだと思います。

これからも頑張りますので、よろしくお願いします。

昨夜のサッカー日本代表選手の表情を見て考えた、運動におけるエネルギー源の獲得方法について。

昨夜行われた、サッカーワールドカップアジア最終予選の緒戦、日本対UAEの試合は、残念ながら1対2で日本は負けてしまいました。

技術戦術的な部分は専門外ですので、テレビでの観戦は解説者の応援団のような発言やホームゲーム特有の、特にチャンスでもないのにボルテージが上がるサポーターの声援に惑わされないように、あえて音声は消して映像だけに集中して観戦しました。

UAEの選手の名前やどういう選手なのかを知らないのは逆に好都合で、日本の選手もその方が私にとっては冷静な目で見られるのですが、さすがにそうもいきませんので多少の先入観は入ってしまいます。

この試合では各個々人に関しての感想はさておき、日本チーム全体とくに、いわゆる代表チームの常連というか、ここ数年に渡って選ばれ続けていたり、自分でその位置にいると思っている選手たちの表情というか顔つきに、何か違和感を覚えました。

よく言えば表情が引き締まって精悍な顔つき、悪く言えば頬がこけげっそりしていると言ってもいいような選手が何人も見られました。

私のような立場で、実際に現場のことなど分かるはずはありません、あくまでも外から見た感想でしかないことはお断りしておきます。

現在の監督が就任してから、体調管理が厳しく問われ、とくに体脂肪率の数字に関しては厳密な管理が行われていると聞きます。

この体脂肪率という言葉、一般の方の中にも浸透してきた言葉だと思います。
見た目の体重はそれほどでもないが、体脂肪率は標準を大きく超えた隠れ肥満、などという言い方で、生活習慣病の予防や管理には欠かせない数字となっています。

ではなぜスポーツ選手にとって、この体脂肪率が目の敵のような扱いを受けているのでしょうか。

人間が運動をするということは、骨格の位置関係を変えるということです。

筋肉が脳の命令によって収縮することで、別々の骨に付着している筋肉の両端が、お互いを引っ張り合うことで関節の角度が変わります。

関節の可動域にはそれぞれ限界があり、あらゆる関節が連携連動しあって滑らかに動くことが理想の動きとなります。

筋肉は骨を動かしてくれるエンジンという言い方がわかりやすいでしょうか。

では脂肪組織は体の中でどんな役割を果たしているのでしょうか。

人類は400万年とも言われるその歴史の中で、399年間はほぼ穀物を主な栄養源とはしていませんでした。
我々が現在主食として当たり前のように食べている米や小麦などの穀物は、歴史の中ではほんの最近、1万年前からということになります。

ということは我々が生きて行くためのエネルギー源は糖質、炭水化物ではなかったということです。

この詳しい説明に関しては、私が50歳の時に発症したことがきっかけで勉強し、それ以降ずっと継続している糖質制限食を始めるための知識を与えていただいた「京都高雄病院の江部康二医師」のブログに詳しく書かれていますし、書籍も江部医師以外の医師たちもこぞって出版していますので、説明はそちらに任せたいと思います。

ただ運動のエネルギー源に関しての記述に関しては、記事の最後に江部医師のブログをコピーしたものを載せましたので、参考にして頂ければと思います。

とても難しいことが書いてあると思われるでしょうが、我々人間の日常生活のエネルギー源として主に使われているのは脂肪由来のエネルギーであって、炭水化物からではないということです。
しかし、大きなエネルギーを使う必要がある激しい運動では、炭水化物由来のブドウ糖グリコーゲンシステムが使われているとちゃんと書いてあるではないかというかということです。
ここでよく読んで頂きたいのは、体内に備蓄されているグリコーゲンは250gでカロリーにして1000キロカロリー、運動の強度にもよりますが、1時間から2時間で枯渇してしまうことになります。

ならばたくさん備蓄しておけばいいじゃないかということで考えられたのが、カーボローディングという考え方でしたが、それでも備蓄できる量には限りがあり、主にマラソン競技で使われましたが、それだけでフルマラソンを走り切ることは不可能なのです。

サッカーのように高強度のインターバル走を何十回となく繰り返すような競技では、個人差はありますが、とてもまかない切れるはずはありません。

ではどうやってエネルギーを作り出すかというのが問題となります。

当然ですが脂肪由来のエネルギーを使うということになります。
エネルギーとしては炭水化物由来のものの方が早く燃焼してエネルギーを作り出してくれますので、脂肪をエネルギーとして使えるのは炭水化物を使い終えた後ということになります。

ところが常日頃、脂肪を燃焼させてエネルギーに変えるというサイクルを使うことなく、炭水化物がなくなれば補充するということが当然だと思ってスポーツを行っていますから、途中でエネルギー源となるものを食べて補給することになりますが、それでも間に合わないほどの運動強度を長時間強いられる競技もたくさんあります。

テニスの現役最強選手、ノバクジョコビッチ選手があることを境に驚異的なスタミナを手に入れ、技術的な部分だけではなく、長時間の試合それも連戦を戦い抜くスタミナを手に入れたことは有名な話です。

それは何か特別なものを食べるようになったのではなく、逆にあるものを食べなくなったというのです。

それは小麦に含まれるグルテンという成分です。

このこともジョコヴィッチ選手の本を読んでいただかなかれば詳しい経緯はわからないのですが、そうすることによって、彼の体内で脂肪をエネルギー源として活用するサイクルが本当の意味で活躍し始めたということに他ならないと思います。

グルテンさえ取らなければみんながそうなれるという話ではありません。

結果として彼の体重は数キロ落ちることになりました、筋肉強化肉体改造が当たり前の現在、彼はその体を見て何かの病気になったのではないかと言われたようです。

それがそれ以降の快進撃により、みんながその秘密に興味を持ったということです。

私はもともとかなり痩せていて、40歳の時に一念発起というか世に言われる肉体改造に励み3ヶ月で10キロ近い増量に成功したことがありましたが、現在は元に戻っています。

あの時の無理な増量のために食事の量を大幅に増やしたことも、今となっては膵臓に鞭打つ結果となり糖尿病の要因になったのではないかと思っています。

脂肪由来のエネルギーサイクルに変えていくためには、炭水化物由来のエネルギーが切れかけたときに感じる空腹感を我慢しなければなりません。

疲れたときに甘いものが欲しくなるというのは、炭水化物中毒の症状なのですから、ここで炭水化物を補給してしまっては永久に脂肪由来のサイクルには切り替わりません。

私もその誘惑から離れるのに半年以上はかかったと思います。

さて話を戻しますが、スポーツ選手が一定以上に脂肪を減らしてしまうと、長時間の運動に必要なエネルギーを確保できなくなります。

現代栄養学が全てだと思っている人たちからは反論が当然あるでしょうが、そのご意見は私ではなくきちんと研究している江部医師をはじめとするドクターにお願いします。

確かに脂肪は筋肉と違って脳からの命令で収縮できませんから、ある意味重りでしかありません。

だからスポーツの世界では嫌われ者になってしまうのです。

しかし、エネルギー源としての脂肪には大きな役割があるのです。

サッカーのプレー中、ゆったりとした低強度の動きの際には脂肪由来の、そしてここ一番の激しい高強度の動きが要求される際には炭水化物由来のグリコーゲンと、使い分けられる体を作るために、まずは脂肪由来のエネルギーを獲得できる体にしておかなければならないのです。

またまたきちんとした数字をあげろと言われそうですが、現在行われていることは客観的なデータで正しいと言われて行っているにもかかわらず良い結果に結びついていないこともたくさんあるのですから、興味がある人だけでいいですから、いろいろな本を読むなりネットで調べるなりして、まずは自分で考えるきっかけにしてほしいと思います。

エネルギー源のことに関してはこれまで触れないできましたが、昨日の日本選手の表情があまりにも違って見えたので思うところを書いてみました。

以下、江部浩二医師のブログからの引用です。

人体のエネルギー源として、
1)「脂肪酸-ケトン体のシステム」
2)「ブドウ糖-グリコーゲンのシステム」
があります。

<人体のエネルギー源Ⅰ:脂肪酸-ケトン体システム>
たっぷり備蓄があるが、ゆっくりのエネルギー源
①脳はケトン体をいつでも利用できる。
②心筋・骨格筋など多くの体細胞は日常生活では脂肪酸-ケトン体が主エネルギー源であり、人体を自動車に例えるならガソリンの代わりは脂質である。(*)
③赤血球を除く全ての細胞はミトコンドリアを持っているので、脂肪酸-ケトン体エネルギーシステムを利用できる。
④糖質制限食実践中や絶食中の血中ケトン体上昇は、インスリン作用が保たれており生理的なもので病的ではない。農耕開始前の人類は皆そうであった。
⑤備蓄の体脂肪は大量にあるエネルギー源で、体重50kg、体脂肪率20%の成人なら
 10kgで90000キロカロリーあり、水だけで2ヶ月生存できる。

*ケトン体
肝臓でβ酸化により、脂肪酸からアセチルCoAを作る。
肝臓細胞のミトコンドリア内でアセチルCoAからケトン体をつくる。
肝臓自身はケトン体を利用せずに他の臓器に提供する。
脳細胞や体細胞は、ミトコンドリア内で、ケトン体をアセチルCoAに変換してTCA回路を回しエネルギー源とする。

この流れは、人体で日常的に行われているが、絶食療法中や糖質制限食実践中は、活発となるので、血中ケトン体濃度は、現行の基準値より高値となるが、生理的なものである。

<人体のエネルギー源Ⅱ:ブドウ糖-グリコーゲンシステム>
手っ取り早いが備蓄が少ないエネルギー源。
①人体で赤血球だけはミトコンドリアがないのでブドウ糖しか利用できない。
②日常生活でブドウ糖を主エネルギー源として利用しているのは赤血球・脳・網膜など。
③ブドウ糖-グリコーゲンエネルギーシステムの本質は
 「常に赤血球の、唯一のエネルギー源」
 「筋肉が収縮したときのエネルギー源」→緊急時のターボエンジン
 「血糖値が上昇しインスリンが追加分泌された時、筋肉・脂肪細胞のエネルギー源」
 「日常生活では赤血球・脳・網膜・生殖腺胚上皮などの主エネルギー源」
④備蓄グリコーゲンは極めて少量で、成人で約250gていどである。
 約1000キロカロリーしかなく、強度の高い運動なら1~2時間で枯渇してしまう。

ここで大切なことは、日常生活では、骨格筋・心筋を始めほとんどの体細胞は、主エネルギー源として、備蓄がたっぷりある「脂肪酸-ケトン体システム」を利用しているということです。(*)
即ち、人体を自動車に例えれば、ガソリンの代わりは脂肪酸-ケトン体であり、決してブドウ糖-グリコーゲンではありません。
例えば、筋肉中のグリコーゲンが一定レベル以下になれば、筋肉は収縮できなくなります。心筋がブドウ糖-グリコーゲンを主たるエネルギー源として利用したりしたら、グリコーゲンの備蓄は少量なので、いつ枯渇して止まるかもしれませんね。
日常生活で、ブドウ糖をエネルギー源としているのは、「赤血球・脳・網膜・生殖腺胚上皮」といった特殊な細胞だけです。
糖質制限食実践中は脂肪酸-ケトン体を主たるエネルギー源として、しっかり利用しているので、エネルギー不足には決してなりません。人類400万年の歴史の内、399万年間は、糖質制限食だったことをお忘れなく。
肝臓の糖新生は、ブドウ糖しか利用できない「赤血球」などのために、最低限の血糖値を確保するために日常的に行われています。糖質を摂取したときは、血糖値が上昇し追加分泌のインスリンが出て、筋肉でブドウ糖を利用させます。
食物吸収が終了した直後には、肝臓のグリコーゲン分解が、循環血液中に入るブドウ糖の主要な供給源です。食後数時間が経過し、絶食状態が持続すると、ブドウ糖の供給源は、肝のグリコーゲン分解から糖新生に切り替わります。ですから、人類の400万年の歴史において、ごく普通に日常的に毎日、肝臓の糖新生は行われてきたわけで、珍しいことでも何でもありません。
糖質を摂取している人でも、食後数時間が経過すれば糖新生を行っています。肝臓の糖新生は、脂肪酸の代謝産物のグリセロール、筋肉から供給されるアミノ酸(アラニン、グルタニン)、ブドウ糖代謝の産物の乳酸などから行われます。
肝臓は筋肉由来のアミノ酸から日常的に糖新生を行っていますが、筋肉ではタンパク質の分解と合成が毎日行われています。

①脂肪組織→グリセロール(脂肪酸の分解物)や脂肪酸→肝臓→糖新生→脂肪組織・筋肉
②筋肉→アミノ酸→肝臓→糖新生→筋肉・脂肪組織
③ブドウ糖代謝→乳酸→肝臓→糖新生→筋肉・脂肪組織

①②③はごく日常的に誰でも行っており、肝臓、筋肉、脂肪組織の間で行ったり来たり、日々糖新生の調節が行われているわけです。
400万年間の人類の歴史の中で399万年間は、糖質制限食を摂取しているか、空腹や絶食や飢餓が日常的でしたので、肝臓は毎日、今以上に糖新生を行い、よく働いてきたしそれだけのキャパシティーを持っているということですね。
糖質制限食実践中は、脂肪酸-ケトン体エネルギー源がたっぷり利用できますので、決してエネルギー不足にはなりません。
糖質制限食の場合は、食事中でもある程度、肝臓の糖新生は行われています。
なお肝臓の糖新生は、人体全体のエネルギー源を確保しているのではありません。ブドウ糖しか利用できない「赤血球」という特殊な細胞と、日常的にブドウ糖を利用している脳や網膜などのために、最低限の血糖値を確保しているのです。
次に三大栄養素のうちタンパク質は、エネルギー源として使われることはありえますが、基本的に少ないです。
タンパク質は、主として人体の組織の材料として使われています。適切なエネルギー源が確保されていれば、食事から摂取したタンパク質(アミノ酸)は、人体に吸収されて組織のタンパク質合成に使われます。
タンパク質を主たるエネルギー源として使われざるを得ないときは、例えば「飢餓→絶食」が続いたときなどです。
体内の糖質、脂質をエネルギー源として使い果たした後は、やむを得ず筋肉細胞のタンパク質を主たるエネルギー源として使いますが、これは死の一歩手前です。

人体のエネルギーシステム その二 改定
ブドウ糖-グリコーゲンのエネルギーシステムの役割
1、自動車に例えるならターボエンジン。
  緊急事態(闘争、逃走、狩り・・・)などで筋肉が収縮した時のシステム。
2、糖質を摂取して血糖値が上昇しインスリンが追加分泌されたときのシステム。
3、赤血球のエネルギー源→赤血球はミトコンドリアがなくブドウ糖しかエネルギー源として利用でき  ないので、最低源の血糖値は絶対に必要。
胎児の血糖値は40mgで、それが赤血球の生命維持に必要な最低限の血糖値と考えられます。
4、脳や赤血球は安静時にもブドウ糖を利用。(脳はケトン体も利用できる)

脂肪酸-ケトン体のエネルギーシステムの役割
安静時や軽い運動時は、心筋・骨格筋など体細胞の多くは脂肪酸-ケトン体をエネルギー源としています。人体を自動車に例えれば、ガソリンの代わりは脂肪なのです。
人体に蓄積されているエネルギーとして脂肪とグリコーゲン(ブドウ糖の集合体)がありますが、例えば体重50kgで体脂肪率20%の普通の人で脂肪の蓄積としては10kgで9万Kcal、グリコーゲンは約250gで1000kcalであり、圧倒的に脂肪の蓄積が多いのです。
備蓄グリコーゲン(肝臓・筋肉内)は本気で運動したら1,2時間で枯渇してしまいます。このことを考えれば心臓の筋肉の主要エネルギー源が脂肪なのは納得がいきます。
もし、ブドウ糖中心にエネルギー源として心臓が動いていたら、夜中寝ている時にエネルギーが切れて止まりかねません。
このように、備蓄エネルギーを考慮すれば、人類は、日常的には脂肪を燃やして生活し、いざ激しい動きをする時などに、非常用としてブドウ糖を利用していたことがわかります。
人体は、ブドウ糖-グリコーゲンのシステムと脂肪酸-ケトン体のシステムを巧みに使い分けて、400万年生きてきました。
しかし、農耕開始以後、特に穀物精製技術が開発されて以降は、やたらにブドウ糖システムばかり稼働させて、膵臓に異常な負担を強いているのが文明国の食生活の現状なのです。


プロフィール

Author:西本 直
1993年、Jリーグサンフレッチェ広島を皮切りに、社会人野球三菱重工広島・協和発酵・ヴィッセル神戸・川崎フロンターレ、そして広島カープ佐々岡真司投手など、プロアマ問わず競技レベルのスポーツ選手から一般の方まで、トレーニングやメンテナンスの指導を行ってきました。
その経験と知識の蓄積を「西本理論」としてまとめ、一人でも多くの方に実践していただくことが、これからの私の使命であると信じ、このブログから発信していきます。
私の理論はスポーツ選手のみを対象としたものではなく、ビジネスマンや家庭の主婦まで老若男女すべてに当てはまる不変のものです。
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また、2013年9月9日にConditioning Studio 操をオープンしました。こちらもご覧ください。
また、遠隔地にお住まいの方を対象とした動き分析とアドバイスを始めました。
4月15・16日の二日間西本塾を、予定しています。
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