「操体」から学んだ人間の体の不思議。

私が20代の後半、そこから先の人生をどう生きて行くのか考え始めた時に出会ったのが「操体法」という考え方であり、「渡辺栄三先生」という素晴らしい人間でした。

そこからはや30年以上が過ぎ、私なりに自信というか、進んできた方向性に間違いがなかったと思えるようになってきました。

32歳、故郷宇和島に帰って「西本治療室」という看板を掲げて開業した時、治療を受けに来てくださる方々には申し訳ないですが、今のような自信はまったくありませんでした。

約5年間、渡辺先生の元で操体を学ばせていただき、鍼灸の専門学校の夜間部に通い、鍼灸師の資格も取得しました。

しかし現実として、一人で施術を行い、それぞれの痛みを抱えて来所してくださる方々に、満足してお帰りいただけるだけの施術が出来るのか、不安の方が大きかったことは間違いありません。

会社を辞めて開業を決意したことを渡辺先生にお伝えしたところ、「西本君なら絶対に大丈夫、自信をもって患者さんに向き合いなさい」と言っていただいたことだけが、心のよりどころでした。

どこかが痛いから、どこかを揉んだり叩いたり針を刺したりするのではなく、相手の方の体全体のみならず、心の部分にも向き合い、より良い方向に導くことが出来る、それが私が「操体」という考え方と実践を学んで得た結論です。

それでもなお、自分が学んだことで、それらのすべてに対応できるのか、何より私自身が人間として、相手に寄り添うという人間性を身に付けているのか、不安ばかりのスタートでした。

それでも教えていただいたことを駆使し、相手のために少しでも役に立ちたいという気持ちで向き合うことで、不思議なくらい症状が改善していくという事実に、私自身が驚いてしまいました。

その生活が2年続いた後、Jリーグ開幕に合わせて広島に移り住み、既に24年の月日が流れて行きました。

宇和島では、当然ですが一般の方の腰痛や肩・首の痛みといった、いわゆる不定愁訴の改善や、地元の中学生や高校生の運動部員たちのスポーツ障害の対応が主な仕事でした。

32歳、開業したばかりの私に大きな期待はされていなかったと思いますが、思った以上の効果が出ることで、それが口コミで広がり、早朝から深夜まで、いったいいつ仕事を終えられるのかと、自分の体を心配するほどの忙しさとなりました。

それが環境が変わり、いきなりプロサッカー選手を相手の仕事となりました。

目の前の選手たちは、まさに今すぐに痛みを改善して欲しい、曲がらない膝を曲がるようにして欲しい、魔法か手品のような効果を期待されているような毎日でした。

選手たちも個人としてチームとして生活をかけて戦っていましたが、私自身もとにかく結果を出さなければと、ある意味選手と同じかそれ以上の気持ちで、毎日が戦いの連続でした。

トレーナーという立場でしたが、他の人間が出来ることを同じようにやっていればいいなどという気持ちは一切なく、どんなに難しい状況でも、私の技術で少しでも可能性があるのなら、「そんなやり方は見たことも聞いたこともない、本当に大丈夫なのかと言われても、不安ならやめてくれ、私を信頼してくれないのならやらなくてもいい」と開き直って、思いついた方法をとにかく施していました。

それらがことごとく効果を表してくれて、私は自分の技術や考え方にどんどん自信を深めて行きました。

選手はサッカーという競技のプロかもしれないが、「私はこの世界で誰にも負けない一番の存在」、そこまで思うようになりました。

「私以上に結果を出せる人間が居るなら、いつでもその人を連れてきてくれ、もし本当に自分がその人よりも劣っていると思ったら、いつでも自分は身を引くから」、と常に懐に辞表を忍ばせているくらいの気持ちでした。

そのためにはどんな無理難題に対しても、知らない出来ないという言葉は絶対に口にせず、様々な方法を考え試行錯誤しながら答えを探し出していきました。

私の30年間は、その繰り返しでした。

そして、その30年間の早いうちに、私の考えていることが一般論や教科書的な答えとは違うものになって行ったことも感じていました。

それでも後戻りすることなく我が道を進んできました。

常にその時その瞬間に、私が一番正しいと思うことをやってきました。

そうやって一般論から離れれば離れるほど、私の考え方や方法論が理解されないという現実に直面していくことになって行きました。

「なぜ私の言っていることが分からないのだろう、どうして私の言うことを聞いてくれないのだろう」、そんな思いばかりが大きくなって行きました。

3年と少し前になりますが、今の場所に施設を作り、一般の方からプロスポーツ選手まで、ここに腰を据えて、これまでの経験を世の中のために還元していこうと決意して出直すことにしました。

ここでも同じ気持ちになっていました、「私の言うことがなぜ理解されないのだろう、絶対に間違いないことを言い、間違いなく効果を感じてもらえる施術を行っているのに」と。

模型やアプリを使って体の仕組みを説明したり、過去の経験談をお話したり、少しでも分かりやすいように説明もしていましたが、私の思いは本当に届いているのだろうかと考えさせられることが多々ありました。

それがつい最近、私自身の心が軽くなったというか、私は何のために今の仕事をしているのか、誰の為に仕事をしているのか、そんなことを考える余裕が出てきたためか、他者に対して自分の考えを押し付けるというか、正しいことをただ正しいと言うだけでは伝わらない、これまでの私は良い意味でも悪い意味でも自己満足を追い求めていただけで、本当の意味で他者に対して優しい人間ではなかったと思うようになりました。

自分が低い所に降りてきて、相手のレベルに合わせてあげるなどという不遜な考えではありません。

相手の立場に立ち、同じ感覚を共有し、心を寄せる以外に、私の思いを相手に伝える方法はないことがやっと分かってきました。

正しいことを正しいと言うだけでは何も伝わらない、そんな当然のことを今頃になってやっと気づいたのですから、お恥ずかしい限りです。

今日の地元紙のページに、僧侶の方が「傾聴」という行為のことを書かれていましたが、説法でも説教でもなく、ただ相手のお話に真剣に耳を傾ける行為の中にこそ、相手が救われる何かがあるというお話でした。

他にも同じようなことが書かれたものに接する機会があり、あらためて唯我独尊、我が道を歩んできたことに後悔ではなく、だからこそ今気づかせてもらえたのだと、これからの生き方に変化が生まれてきそうな気がしています。

さてそうは言いながらも、施術行為やトレーニングの効果には絶対の自信を持ってきました。

そこに私の人間性が加われば、もっと良い結果が期待できると思います。

そのうちの施術行為ですが、もちろん橋本敬三先生が創始された「操体法」という理論体系が私の基礎となっています。

西本塾等でたくさんの方にその入り口を指導させていただきましたが、操体には本来「型」というものは存在しないはずです。

それでは伝えることが出来ないので、名前が付いたいくつかの操法が存在しますが、それとて便宜上のもので、この操法をやればこういう痛みが治るとか、この部分の痛みに対してはこの操法が効くなどという、一般的な施術者の講習会で語られるような方法論は、操体には本来存在しません。

ではなぜ人間の体が発する痛みや違和感が、操体の施術を行うことで改善したり軽減できたりするのでしょうか。

さらには、施術を繰り返していくことで体をうまく動かすことが出来るようになり、運動能力の改善や向上という効果まで期待できるのか、少しまとめておきたいと思います。

操体の施術を行う目的はひとつ、「骨盤と背骨を中心とした、関節の6方向の動きを、それぞれが生まれもった能力の範囲内で、自由に動かすことが出来るようにしておくこと」ではないでしょうか。

すべての操法は、どこから動き始めても全身に広がって行きます。

一定の法則は存在しますが、それは原則的なものであり、個々の人間の体がその時その瞬間に心地良いと感じた動きを、体全体に連動させていきます。

操体を学んでいくとき、単純な運動方向の比較で、痛い方向から痛くない方向へという原理原則から入って行きますが、少しずつその原則から離れて行くことを実感していきます。

操体を治療技術の一つとして学び、パターン化していくつかの操法を身に付けてしまうと、そこから外れてしまっときの対応が出来なくなってしまいます。

手の持ち方支え方、言葉のかけ方、動かす際のスピード力加減、脱力のさせ方など等、やりようによってはパターン化して教えることも可能だとは思います。

しかし、それらは何のために行っているのかという根源に戻ると、前述の「骨盤と背骨を中心とした、関節の6方向の動きを、それぞれが生まれもった能力の範囲内で、自由に動かすことが出来るようにしておくこと」に戻らざるを得ないのです。

ではどうしてそのことが体の痛みや動きを改善してくれるのでしょうか。

元々人間の体はその能力を持って生まれてきます、「人間の体に仕組まれたからくり」とはそういうことで、だれでも平等に仕組まれているものです。

ところが我々の日常生活では、その6つの方向性と可動域をすべて必要とはしていません。

せっかく与えられた可動範囲も、必要最小限の中でしか使われておらず、それは我々一般人だけではなく、スポーツ選手の競技動作でも同じことが言えます。

さらに人間は二本足で立って、重力に抗しバランスを取りながら生活しなければなりませんので、常にどこかしらの筋肉を収縮させておかなければなりません。

「心休まる暇はないという」言葉がありますが、体こそゆったり休んでいられる時はないのです。

「横になって寝ている時は全部休んでいるではないか」、そう思うでしょう、しかし、体に問題を抱えて私の元を訪れてくる人たちは、ベッドに体を横たえても、体の緊張が解かれることはありません。

仰向けに横たわった時、膝が曲がって浮いてしまい、踵とお尻、腰の部分も反って浮いてしまい、肩甲骨と後頭部、極端に言えばこの4点しかベッドに接しておらず、立っている時の緊張がそのまま横になっても続いてしまうという人がほとんどです。

この状態では何時間ベッドで睡眠をとろうと、本来の意味での体を休ませることにはなりません。

ほとんどの方が枕はどういうのが良いですか、布団は固い方が良いですか柔らかい方が良いですかと聞いてきます。

答えは、道具ではなく「まずは、ご自分の体がゆったりと休める状態を作っておくことです」、と言うことになります。

そうでなければ何をどう変えても同じことです。

そのために何をするか、もう一度言いますが、「骨盤と背骨を中心とした、関節の6方向の動きを、それぞれが生まれもった能力の範囲内で、自由に動かすことが出来るようにしておくこと」なのです。

昨年3月に、漫画家「えだお」さんとの共著で発売した「1回5分体が喜ぶ健康術」(ガリバープロダクツ)や、宝島社のムック本「身体の痛みを治す寝たまま体操」(売り切れのため入手困難です)、取材協力の形で記事にしていただいた、健康雑誌「壮快」等、私の思いや方法論が世に出て行きました。

どこまでその思いが届いているのか正直分かりませんが、本当に体のことを考えるならば、お手軽な対症療法に目を向けるのではなく、「体は丸ごととつの存在」という橋本敬三先生の言葉を待つこともなく、自分の体にしっかり向き合い、体と対話するという、一見意味不明な言葉に思えるかもしれませんが、6方向に体を動かして語りかければ、必ず何かを返してくれます。

その言葉が聞こえるようになれば、少なくとも今以上に健康な体を取り戻すことは出来ると思います。

私が30年間続けてきた操体から学んだことは、私の技術が上がったとかいうことではなく、相手の体と心に寄り添って、無理なく6方向への誘導を行うことが出来れば、結果として体は元の状態を取り戻していくという事実です。

今現在の体に、新たな能力を加えるとか、壊れてしまった機能を私が治すとかいうことではなく、「その人その人が持って生まれた体の能力を、今現在のそれぞれの体で、出来るだけ自由に使いこなせる状態に戻してあげる」、と言うことではないでしょうか。

私の能力が上がった部分があるとしたら、相手の本来の能力を見極めて、深追いせず「良い塩梅」な状態を探れるようになったことかもしれません。

どちらにしても、私が治してあげた、などと思った時点で勘違いだと思います。

ただそれが出来ない施術者が多いことは事実だと思います。

自分の方法論にこだわったり、能力を持っていたとしても組織の論理に埋もれ、本来できることさえできない人も居るでしょう。

相手の立場に立って、その人の言葉に傾聴し、より良い方向性を共に探って行けるように、これから成長していきたいと思います。

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「伸kingトレーニング」は骨盤と背骨を動かすイメージトレーニング。

今日は1月26日、今月もあと1週間となりました。
今月が終わると当たり前ですが2月がやってきます。

日々日常が繰り返されていき、月日が流れていきますが、私と息子にとっては大きな節目を迎えようとしています。

具体的な事は言えませんが、努めて心の平成を装うようにしていますが、内心はまさに様々な思いが交錯しています。

何があっても、その全てを受け入れる覚悟は出来ているつもりですが、1ヶ月後のことが想像もできません。

さて、「伸kingトレーニング」の全容を言葉として残しておきたいと、思い付くままに書き綴っていますが、今日は上半身を強化する代表的なトレーニングである 「ベンチプレス」という種目について、私の行わせているイメージを文字にしていきます。

このブログを読んでくれている人で、ベンチプレスという種目を知らないという人は少ないとは思いますが、一応説明しておきます。

基本的なやり方は、フラットなベンチに仰向けに横たわり、ほぼ胸の真上にあるバーベルシャフトを肩幅より少し広めに握って、肘を伸ばした状態からスタートし、肘を曲げてシャフトが胸に着くギリギリまで下ろして、そこからまた肘を伸ばして元の姿勢に戻るということを繰り返します。

バーベルの重量は地面に対して垂直方向の負荷となるので、その真下に位置する大胸筋や肩の三角筋の前部、そして肘を伸ばす運動の主役である上腕三頭筋が主なターゲットと言われています。

それらの筋肉を発達させたければ、ベンチプレスを行うことが目的に合致した正しいトレーニングということになります。

それらの筋肉の中で私が重要視する伸筋は、上腕三頭筋なのですが、それよりも大胸筋や三角筋に対する刺激が重視されてしまっています。

こうして説明していても、何をすればどういうやり方で行えば、筋肉をより発達させることが出来るかということが中心となってしまいます。

私が繰り返し使っている「筋肉の仕事は骨を動かすことで、それ以上でも以下でもない」という論点から見れば、まったく的を得ていない議論になってしまいます。

ではベンチプレスを行う目的を、私はどう捉えどう伝えているかということです。

ベンチプレスという種目の外見的なイメージは、ベンチに横たわって肘を曲げ伸ばししているということになります。

私のいう筋肉の仕事は骨を動かすこと、という意味からすると、骨の動きは肘の曲げ伸ばしという動きで、上腕の骨と前腕の骨をどうコントロールするかという動きのトレーニングということになりますが、まったく違うイメージを持っています。


まずスタートポジションの姿勢ですが、ベンチに横になった時、両足は床ではなく、膝を曲げてベンチの上に置きます。

さらにヘソの真裏、骨盤上部から腰椎にかけての位置に、ホームセンターで扱っているような腰痛予防の腰当てのようなものを入れます。

この目的はベンチにプレスの動作中に、骨盤から背骨全体の前後の動きを、無理なく行いやすいようにするためです。

安全に動作を行うために、シャフトが軌道上を上下するスミスマシンという器具をします。

スタートポジションで、まだ持ち上げていない状態でシャフトを持った時、すでに腰当てをしていることと膝を曲げていることで、背骨は自然なS字カーブを描いています。

体に負荷がかかっていませんので、肩甲骨はフラットな状態です。

両手を肩幅よりも少し広く持っていることで、シャフトを含めて、その内径はシャフト部分が広く肩甲骨部分が狭い「台形」が形作られています。

このことがとても重要になります。

そのポジションからシャフトを押し上げラックから外すと、当然垂直方向に負荷がかかります、その負荷を筋肉ではなく、肩甲骨で感じて欲しいのです。

するとどういうことが起こるかというと、真上からの重さが左右の肩甲骨を中央の背骨側に引き寄せられてきます。

その際背骨のS字カーブはさらに大きくなります。

腰当てに触れていた腰椎の部分の湾曲も大きくなり、腰当てが横から引っ張れば抜き取ることが出来るかもしれない状態になります。

これは自分が意図して行ったというより、バーベルの重量が背骨に対して自然に行わせてくれた連動動作です。

シャフトが胸に着くまで下ろしてくると、背骨のS字カーブもマックスとなります。

筋肉の状態ではなく、あくまでも骨の動きを中心として考えているので、このイメージでシャフトをギリギリまで胸に近づけると、普通に行う以上に重く感じることになります。

筋肉をメインに考えて高重量で行うと、ここまで背骨を動かすことは出来ません。

この動きをダンベルを使って行えば、シャフトがないぶん、更に背骨を反らすことができますが、それだけが目的ではなく、次の肘を伸ばして背骨を丸めるという動作につなげていくためにも、スミスマシンの方が適していると思います。

目一杯背骨を反らし、肩甲骨が中央に寄り切った状態から、肘だけを伸ばしていきます。

普通に行うより重く感じると言っておきながら、そのままの姿勢で肘だけを伸ばすなんて出来るわけがないということになるのですが、それが行えるように初めからそれに適した重量を設定しておくのです。

下ろし切った時には、とんでもなく重く感じた、感じるように動かさせているのですから当然なのですが、そこから肘を伸ばすという動きに切り替える際には、いったん背骨の意識を少し外しますので、上腕三頭筋の働きのみで押し上げることが出来る重量にしてあるのです。

この時はまだ肩甲骨は閉じられたままですが、肘が伸びて行くとともに肩甲骨も元の位置に戻っていきます。

そして肘が伸び切って体全体がスタートポジションに戻ったところで動きを止めずに、今度は肩甲骨を開いて行くように、さらにシャフトを高く押し上げていきます。

すると腰の下に当てていたものを、背骨が丸まって押しつぶして行くような姿勢となります。

その動きを確認してから、スタートポジションに戻って一回の動作が終了ということになります。

慣れるまでは体の連動のイメージが掴みにくいのですが、それこそまさに筋肉が骨を動かすためではなく、バーベルの重量を押し上げるという目的にしか使われていなかった証拠ではないでしょうか。

現役時代100キロ近い体重があった佐々岡投手にして、この種目で60キロ以上の重量を扱わせることはありませんでした。

トレーニングキャンプの期間中に、他の選手とは別のメニューで、私のやり方を通してもらいましたが、ベテランの他の野手からは、そんな重量でなんの効果があるのかとからかわれたりしたそうです。

理屈を説明しても一度や二度体験してもらっても、その本質は伝わらないでしょうから、彼は黙々と自分の信じたやり方を9年間通してくれました。

動きの説明は以上ですが、このやり方は自分一人で行うと、一番重要な可動域の端っこの部分、反らせるところまで反らすというところと、丸められるところまで丸めるという、背骨の可動域をできるだけ広く使えるようにするという目的のためには、やり方を熟知した補助者がいて、その部分を強調したトレーニングを行うことが、その効果を高めてくれることは言うまでもありません。

たったの10回、それも1セット行っただけでも、終了後には今までにない感覚となります。

体の前側、大胸筋よりも、体の後ろ側に不思議な緊張感というか使った感があるのです。

そして見た目にも姿勢が良くなります。

それはトレーニングの目的が骨盤と背骨をうまく動かすことにあったからです。

けっして体幹部分を安定させる、強化するという発想ではありません。

自分の意図した通り自由に連動させることが目的です。

この目的論は、他のすべてのトレーニング種目にも共通します。

「伸kingトレーニング」は骨盤と背骨をイメージ通りに連動させるトレーニング、といっても過言ではないかもしれません。

実際に指導を受けてくれた人たちにも、今日の記事で整理し直して欲しいと思います。

前回の記事に、塾生で名古屋の内田さんからコメントをいただきました。
西本理論をベースにトレーニングの指導をし、目に見える成果を出してきたにもかかわらず、それを実感した選手が、その事実を秘密にしてしまい広がっていかないという、私が現在抱えている問題が内田さんの身にも降りかかっているというのです。

残念ながらこの現実は当分変わらないと思います。

ツイッターでもつぶやきましたが、なでしこジャパンが元オリンピックのメダリストを講師に招いて、走り方の指導を受けたそうです。

私や仲間たちがどんなに結果を出そうと、そういうメジャーな人たちのように、指導を依頼されることはないのかもしれません。

そういう意味では、もう一度私がメジャーな組織で結果を残さなければ、学んでくれた人たちに申し訳ないという気持ちもありますが、現実には少し難しいことなので、何か他の方法があれば考えなければなりません。

人間の動作を分析するには、私も含めてですが、外見上の動きだけを見たのではわからない部分の方が当然多いと思います。

体の動き使い方、それらの連動がどう行われているか、本当の意味での体の仕組みと、何より実際にその動きを画像ではなく生で見る、できればその体を触って動かしてみる、そこまで出来なければ、あくまでも一般論であるということを断らなければならないと思います。

昨年末にはそういう経験もさせてもらいました。

なぜトレーニングを行うのか、このトレーニングを行うことでどんな効果があるのか、しっかり考えて行わなければ、せっかくの努力も徒労に終わる可能性があることを知って欲しいと思います。

こんな苦しい4年間はもう過ごしたくないというコメントをオリンピックの後に残した選手がいましたが、その努力の方向性がどうだったのかを検証することなく、ただ何かを変えるでは同じことの繰り返しになるのではと思います。

私はまだまだ、なぜどうしてを繰り返しながらも、相手に真剣に向き合い、ただ正しいものを正しいと言うだけではなく、しっかり寄り添って同じ感覚を共有して、より良い方向に導いてあげたいと思います。

「伸kingトレーニング」では、なぜ1種目1セットしか行わせないのか。

昨日は地元広島で行われた、都道府県対抗男子駅伝を応援に行ってきました。

広島に住んで既に20年が過ぎ、22回目となったこの大会も第1回、地元広島が優勝したところからから記憶しています。

仕事の関係で沿道で直接応援したのは、平和公園前のゴール地点で家内と一緒に一度だけしかありませんでした。

今回はフェイスブックを通じて、宇和島東高校の同級生から、現在勤務している神奈川県の領家中学の生徒が、6区3キロの中学生区間を走るので応援してあげて欲しいという依頼があり、ならば直接声をかけに現場に行こうということにしました。

第5中継所となる広島工大高までは、車で行けばそれほど遠くないのですが、行きは市内電車で広島駅まで行って、JR山陽線に乗り換え五日市駅まで行って、そこから少し歩いてということになり1時間ほどかかりました。

国道脇は住宅地ではないので、沿道の応援はまばらでしたが、同じ場所に立っていた母娘がその区間を走る宮崎県チームの選手の家族と分かり、一緒に声をかけて応援しました。

もちろんトップで駆け抜けて行った選手から、最後の1チームまで、全チームの選手に大きな声をかけ手を叩いて声援を送りました。

各県を代表して選ばれるということだけでも凄いことですから、ご家族や関係者は全国津々浦々から応援に駆けつけてくるのでしょう。

私も選手たちを自分の家族だと思って、出来る限りの声援を送りました。

今日は、彼らの走りに関していつものようにああだこうだという気持ちにはなりません。

一生懸命に走る中学生たちを、素直な気持ちで応援しました。

さて、「伸kingトレーニング」の実態を少しずつ明かしていますが、今日はそのトレーニングの量というか種目と回数やセット数について書いておきます。

通常筋力トレーニングを行う場合、筋力アップや筋肥大が主な目的となるので、その目的に即したトレーニングの方法論が様々研究されてきました。

私が18年前、まさにそのことを目的として3か月間限定でハードなトレーニングを自らに課した時にも、鍛える体の部位を4分割して、1週間に6回、日曜日だけを休みにしてローテーションで追い込んで行きました。

一つの種目を行う際、少し軽めのアップセットを行い、3セット目にメインの重さを行えるようにして、その重さで3セット、合計5セットくらい行ったと思います。

一緒にトレーニングをしているマッチョな方々が補助をしてくれるので、自分ではもう限界だと思ったところから3回5回とプラスされました。

有難いような有難くないような、とにかくきついトレーニングでした。

1回のトレーニングに2時間くらいかかったと思います。

まさに疲労困憊で、しばらくは放心状態で、休憩しないと帰りの自転車に乗ることもできない状態まで追い込みました。

さらには、セット間のインタバルの秒数まで計算し、一つのセットを終えたら45秒後に次のセットを始めるという、一切の妥協を許さない、まさに体をいじめるトレーニングでした。

結果はたったの3か月で8キロ強の体重増加があり、そのほとんどは筋肉であったと思っています。

目的が肉体改造であったので、十分に効果を感じましたが、それまで普通に行うことが出来ていたスポーツ動作が、事前の想像以上にできにくくなったことも間違いなく実感しました。

私がスポーツ選手に求めてきた、動きの質を上げる、それぞれの競技動作が上手になるという、トレーニングを行う本来の目的からは外れてしまうのではとないかと、自らの体で改めて感じることになってしまいました。

その後指導させてもらう機会をいただいた社会人野球チームや、個人として指導したプロ野球の投手のトレーニングでは、ある意味矛盾することも出てきました。

佐々岡真司というトップレベルの選手の指導に際しては、まったく私の理想通り、大きく強くなるためではなく、彼の持っている能力をどうやって引き出すか、まさに「動きづくりのトレーニング」を実践することが出来ました。

自分のトレーニングを行った翌年に彼とのマンツーマンが始まり、9年間継続して指導をしましたので、この経験が私に大きな自信をつけさせてくれたと思っています。

社会人野球、三菱広島というチームの指導ですが、選手個々の能力にばらつきが大きく、佐々岡投手と同じ考え方で全員を指導することには無理がありました。

かと言って30人近い選手一人一人に個別の指導をするという訳にも行きませんので、時期によって変わりますが、週に2度か3度のトレーニングのメニューは統一するしかありませんでした。

さらには明らかに筋力不足の選手も多く、チームとして一定のレベルに引き上げる必要がありますので、その目的にためには1種目1セットの基本に少し変化をつける必要がありました。

それでも自分が行ったような1種目を5セットもというメニューは行わせませんでした。

一度だけ監督の依頼で、全選手がベンチプレスで100キロ以上を挙げられる筋力にして欲しいと言われた冬があり、ベテランの投手で細身の選手を除き全員にその目標をクリアさせるため、セット数を増やしたことがありました。

チーム全体でトレーニングに対するモチベーションを上げるという意味では、一つの方法ではあったと思います。

最終日に重さと回数を競わせ、優勝者には天ぷら屋さんの食事券がプレゼントされるというオマケまでついていました。

もちろん私もクリアしました。

大きく分類すると、この二つの指導内容となりますが、三菱の指導においても、ただ重いものを何回も挙げられるようになることが目的ではなく、その運動に参加するすべての関節の可動域を十分に使うことを最重要なポイントとして指導しました。

とくに投手に対しては、佐々岡投手と同じように動きづくりをメインとした「投手メニュー」と称した内容を投球練習前後に行わせていました。

そして現在、どんなレベルの選手を指導する場合も、1種目1セットは私の中で変えられない大原則となっています。

スポーツ選手がトレーニングを行う際、シーズンオフでその競技動作の練習から全く離れている場合なら、百歩譲って、やりたければ重さも回数も好きなようにやればいいと思いますが、シーズンを通して行うことが前提となれば、筋力トレーニングと技術練習のバランスということも考えなければなりません。

完全にオールアウトまで追い込んで、筋繊維に大きなダメージを与え、超回復現象を待って筋肥大を起こさせるなどという考えが正しい訳がありませんから。

日々行うそれぞれの種目の練習に、筋力トレーニングの効果が実感できなければ、真剣に取り組むことなど期待する方がおかしいと思います。

現在指導している中高生のサッカー選手たちとは、グランドレベルの練習にどんな変化があったか、どんな効果を感じ、どんな課題が見つかったか、その都度会話し、私が指導しているトレーニングとの相関関係や、応用の仕方を説明しています。

だからこそトレーニングが楽しいと、毎回笑顔でやってきてくれるのです。

先日も、中学3年生のアイコちゃんが、体が小さくいわゆるフィジカルが弱い選手の見本という扱いで監督に指名され、体当たりの仕方を指導されたそうですが、何と彼女は、大の大人の男性監督を、反対に跳ね返してしまったというのです。

その体の使い方や、そのために必要なトレーニングは、たとえ4か月間とはいえ、十分に身に付いていますので、本人にしてみたら当たり前のことなのですが、何も知らない監督はさぞ驚いたことでしょう。

これだけのことが当たり前に出来れば、同じ女子選手相手に負けるわけがありません、大きな自信をもったことでしょう。

また、金曜夜9時に放送されたNHKのニュ-ス番組のスポーツコーナーで紹介された、ドイツで活躍している大迫選手のインタビューの中で、屈強なドイツ選手を相手に自分がどんな工夫をしているかという話があった時、すでにその体の使い方は私から指導されて知っているどころか、大迫選手が話したこと以上に具体的な体の使い方を知っていてできるようになっていることも、お互いに納得できました。

高校3年生のお兄ちゃんは、その動きを既に実際の試合で使いこなせるようになっていて、私が見に行った試合の中でも、私が見ている近い場所で、発表会のようにその動きを披露してくれました。

私が教えている選手は、すでにそういうレベルに達しています。

そういう具体的な変化や成果を感じられるようにするためにも、できるだけ体に過度な負担をかけず、なおかつ正しい刺激が伝わるトレーニングでなければなりません。

実際に彼らが全体のメニューをマンツーマンで行うと50分弱かかります。

その間のインタバルは、長からず短からず、というよりも私ではとてもそんな短いインタバルで、「ハイ次行くよ」と声をかけられても、「ちょっと待ってもう少し休ませて」と言いたくなる短さです。

そんなインタバルにもかかわらず50分近くの時間を要するということは、内容が盛りだくさんだということです。

マシンを使ったトレーニングは、関節に対して一定の運動しか起こしてはくれません。

それを何セットも繰り返すということは、関節に対してこの動きをしっかり行ってくださいというメッセージを送り続けることになります。

私が求めているのは、骨盤から背骨に対して6方向すべての動きが連動しやすい筋肉の収縮活動を体に学習してもらうことです。

そのためには手を変え品を変え、という言い方がありますが、「ハイ次も、もう1回これね」と、体が慣れてしまわないように種目や運動方向を変えて行きたいのです。

もうお気づきかと思いますが、そんなやり方で50分かかるとしたら、それぞれの種目を3セットずつ行ったとしたら、その3倍の150分、2時間半もかかる内容だということです。

それだけの内容をコンパクトに凝縮し、それこそ毎日でも取り組むことで、それぞれが持って生まれた能力を余すことなく行う準備を行っているのです。

50分のトレーニングに加えて、サッカー選手ですから、その体をどう使ってボールを扱うかという、ボールを使ったドリルも行いますし、アイドリングから引っ張り出しの動作、3歩目でトップスピードに乗せるための落下捻転重心移動の動きだしのドリル、またトップスピードからのアイドリングステイ、そこからの左右の横への動き、さらには後方への左右の捻転による対応動作など、サッカー選手にとって必要な基本動作もすべて行っています。

それらの動きが上達していくためには「伸kingトレーニング」が必要なことは言うまでもありません。

彼らはそのことが実感できるからこそ、嬉々としてトレーニングに通って来てくれるのです。

ただの筋力トレーニングを行うのでもなく、ただグランドでボールを蹴るのでもなく、どうやったら上手くなるのか、本当に必要な能力を高めるために必要な要素を探しだし、それを獲得するための方法論を考えてきました。

先ほどツイッターでもつぶやきましたが、なでしこジャパンが元有名選手を講師として、メンタルトレーニングと走り方の指導を受けたそうです。

確かに、それぞれのスペシャリストであることは間違い無いのですが、その走り方や体の使い方が、実際にサッカーという競技にマッチしたものであるのかどうか、よく考えた方が良いと思います。

私などそんなところに呼ばれることはないと思いますが、中学3年生のアイコちゃんは、将来なでしこジャパンに入って、私を専属トレーナーとして雇ってくれるという夢を持っているそうです。

チームのではなく、あくまでも彼女個人の専属にしたいそうです。

この4か月間、私から学んだことはこれまで全く知らなかったことばかりで、体の痛みや不調に対応してくれるばかりではなく、体の仕組みやその使い方という根本的なところから指導してくれて、どんな質問や疑問にも的確に答えてくれる、そんな人間が一緒にいてくれたらスポーツ選手としてこんな心強いことはないでしょう。

1種目を1セットしか行わない、私が求める目的に近づいていくために行き着いた考え方です。

目的が違えば別の方法があって当然です。

私は私の考えてきた方向性で、私を信頼してくれる選手のためにより良い指導を追及していきます。

番外編、走るという行為に関する重心移動の概念を利用するために。

先日ツイッターを介して、私の指導を受けたいのでDMで相談を受けて欲しいという依頼がありました。

それに応えて返信すると、そ相談内容とともに動画が送られてきました。

ブログを読んで頂いていれば分かると思いますが、こういう申し出に応えるために設定したのが、動画を介した「遠隔指導」というシステムです。

実際に利用してくれたのは、西本塾生の方で、既に面識がある方お一人だけです。

私は常に自分のやることに結果責任を感じてしまうので、遠隔指導という形での関わり方には正直不安がありました。

それも一度もお会いしたことがなく、私の考え方に対する理解もほとんどない状態の方に、何が伝えられるのか、対価をいただくほどの指導が出来るのかと、実行に移すまでには時間を要しました。

しかし、実際に広島まで足を運ぶことが難しい人も多い訳で、さすがに結果責任までは追いかねますが、出来る限りの指導が出来る準備は整えていました。

とくに私の提唱する「走り方」に関しては、息子智志をモデルにして、基本のドリルを動画に撮ってあるので、相談者のレベルに合わせて、それなりに分かりやすい指導を提供できるのではないかと思っています。

加えてこれまで指導を受けてくれたたくさんの人たちの中から、お手本として提供できるレベルの動画もいくつかあって、これらを組み合わせながら、相談者の動画との比較で、遠隔指導として満足していただけるものが提供できると思います。

現実にはそれらを使って指導をさせてもらったことはまだありません。

このブログやツイッターを通して、私の考え方の興味を持ち、指導を受けてみたいと思ってくれている人は少なくないかもしれません。

ただ私は趣味でこういうことを行っているわけではありませんので、そのことは理解していただき、遠隔指導なり直接の指導を受けに来ていただくなり、しっかりと行動に移してほしいと思います。

インターネットを通じた交流は匿名ということもあり、何でも聞いたもの勝ちという所があったり、こういう無形なものに対して対価を払うという概念がないのかもしれませんが、さすがに無料でという訳には行きませんのでご了承ください。

現実として遠隔指導のシステムを公表してから、塾生の方を含め質問や相談がほとんどなくなってしまいました。

さてその相談者ですが、高校2年生でサッカーをやっているそうです。

まずは先ほどから書いている通り、こういう形の指導は有料であることを伝えました。

その上で質問内容を読み、同じようなことで悩んでいるかもしれないブログの読者がたくさんいるかもしれないから、名前は匿名としても、動画を含め相談内容をすべてブログの記事にして良いのなら、今回に限り出来る限りの回答をしても良いと返信しましたが、公開は拒否しますという返事が返ってきましたので、こういう形で一般論として取り上げることにしました。

質問は大きく二つ、一つは「重心移動はどうしたらできるようになるのか」、もう一つは「肩甲骨と骨盤を連動させるために、重心移動以外に改善すべきことがあるか」、と書かれていました。

それを読んだうえで送られてきた動画を見ました。

全体の質問内容から判断して、彼は「重心移動」の概念に対して、私とは違う理解をしているようでした。

それは「重心移動とは下半身の改善をしている時に、地面からの反力を十分に受けて前に出ている感覚がありました」という文章から感じられました。

この文章から私との違いを感じることが出来る人は、かなり私の考えを理解できている人だと思います。

もう一つ、「肩甲骨を連動させる前に重心移動ができていない」という表現からもうかがえます。

実際に走っている動画を見ると、腕を後方に振ろうという意識は感じられますが、骨盤は後傾し腰が落ちています。

そのため股関節のクランク機能を使うことができず、後方で地面を蹴って太腿を振り上げ、ストライドを広げて大股でという走り方になっています。

当然着地は重心位置の前方でになりますから、前進する体に対してブレーキをかけるという、私が提唱する走りとは、まったく真逆な体の使い方になっています。

もし彼が有料でもいいからと遠隔指導を希望してくれたとしたら、かなりの意識改革が必要となるでしょう。

というよりも過去指導した人たちは例外なくこういう走り方が正しいと信じて、これまで生きてきたと思います、彼だけが特別なわけではありません。

という訳で、これまで何度も説明してきた、私なりの解説ではありますが、「体重移動と重心移動の違い」の概念をもう一度書いておくことにします。

直接目の前で指導する場合は、こういう形で行います。

まずは直立した状態の時、体重が60キロの人間であれば、片足に30キロずつの重量がかかっていることになります。

人間は二足歩行の動物ですから、その状態でバランスを取っている訳で、体を移動させることは出来ません。

その場から移動するためには、片足にかかる重量をゼロにする必要があります。

両足をそれぞれ体重計に乗せているとすると、片足を浮かせば全体重の60キロを、片足のみで支えることとなります。

それでも片足で体のバランスを取ろうとしますから、その場から動くことは出来ません。

ではどうするか、片足で立って60キロを指している体重計のメモリが、それ以上になるようにぐっと踏み込んだ反動を使って、60キロの物体を移動させるということになります。

屁理屈のように感じるかもしれませんが、現実としてこういうことが行われています、これが体重をという重さを運ぶという意味で、「体重移動」と定義している移動方法です。

元々60キロの体重を、それ以上の力を使って移動させるということになります。

対して重心移動の概念ですが、同じく直立した状態の体を、後ろから肩のあたりを押してあげます。

その際、相手には足元から頭の先まで、できるだけ真っ直ぐな状態を保ったままで居て欲しいと伝えておきます。

後ろから押された真っ直ぐな体は、もしそのままの姿勢を保ち続けたとしたら、顔面から床に激突してしまうことになりますので、そういう不安を感じた瞬間、人間は前方に倒れないようにどちらかの足を前方に踏み出し、体を支えるということを自然に行います。

この時、地面を強く蹴ったり、足を前に踏み出そうという感覚はほとんどないはずです。

ただ単に危険回避というか、前方に倒れてはいけないと、体が自然に行った行為です。

私は体の重心位置は股関節だと思っていますので、その重心位置である股関節が前方に移動したことに体が自然に対応して、体全体が移動したということを指して、「重心移動」という言葉を使っています。

さらに重心移動によって体が移動した時、体を支えるために振り出された足が着地する位置は、地面に対して股関節の真下であることも重要なことです。

分かったような分からないような説明かもしれませんが、階段を駆け下る時の状態を思い出して頂ければ分かりやすいかもしれません。

階段を駆け下る時に、段を強く蹴ったり着地でしっかり受け止めたりということを行っているでしょうか。

「それは下りで勝手に体が移動していくから、足を踏み外さないように気を付けているだけだよ」、と言われるかもしれません。

確かにそうなのです。

さらに言えば、その時腕を振って太腿を引き上げるなどということも、まったく行っていません。

行っていないどころか、階段の駆け下りにそんな動きを意識的に入れようとすると、速く駆け下ることは出来ないでしょう。

ではこういう感覚は平地を走る時に応用できないのでしょうか。

それを実践可能としたのが、私の提唱する走り方ということになります。

「階段を駆け下るように平地を走れ、そんなことができるはずがない」、そう思う人は規制外何のしがらみから抜け出ることとが出来ない人たちです。

それを可能とする、というよりも、その方が人間の体に仕組まれたからくりを上手に使うことが出来て、筋肉に負担が少なく、無駄に力んで判断力を鈍らせることもなく、スムーズな動き出しと加速を可能にし、持久力の向上にもつながるという、一石何丁にもなる究極の走り方と言っても良いものなのです。

「平地は下りのように、上りは平地のように」これが私の走り方を表すキャッチフレーズとなっています。

「それじゃあ全部同じじゃないか」、そういうことです。

それを可能にするのが、重心移動の概念と、人間の股関節の構造がクランク状になっているという有難い事実です。

「伸kingトレーニング」という言葉を最近多用していますが、「股関節の伸展」が一番のキーワードになります。

着地の際、股関節が出来るだけ伸展した状態であれば、着地の位置は股関節のやや後方となります。

とういうことは、片足で支える重量は60キロでも30キロでもなく、それ以下に感じることになります。

そんなバカな話はない、理屈に合わない、そう思われるでしょう。

実際にこの感覚を実感した人たちにしか分からない感覚だと思います。

現実にそういう感覚になるのです。

だから足の負担が全然ないとか、まったく疲れないなどという感想を体験した人全員が言葉に出すのです。

西本塾や個人指導を受けた人の感想にも同じことが繰り返し書かれていますが、自分の目で体で体験しないことには信じないと、これまた同じことを言って私の元を訪れます。

着地する足の股関節がしっかり伸展し、クランクの形状の恩恵を最大限に生かすことが出来れば、後方の足は地面を蹴る暇もなく、既に前方に引っ張り出される準備が出来ています。

この状態を感覚するためのドリルが、「引きづりのドリル、改め、引っ張り出しのドリル」というものです。

股関節が8の字を描くようにローリングを続けることで、地面を蹴る着地するという感覚なしに、体がどんどん前に進んで行きます。

階段を駆け下りる重心移動のイメージそのままに。

ただそれらを言葉として理解し、二度三度くらいの回数私から直接指導を受けたからといって、完璧にその動きを再現できるわけではありません。

息子智志が短期間でその感覚を再現できるようになったのは、日々行う「伸kingトレーニング」によって、全身の連動を伸筋群を使って行うことが当たり前の体を作り上げてきたからです。

一朝一夕にできるものではありません。

たとえ外見は同じように見える動きであったとしても、本質的な体の動きが出来ていなければ似て非なるものでしかないのです。

どこを使ってどこを意識してと、頭で考え指令を出して体を動かしている間は、今以上にスピードも持久力も向上させることはできません。

今指導している中高生を見ていると、まさにその思いが強くなります。

智志のやってきたことを1カ月4カ月と、それぞれ継続していくと、私の求める動きを見事に表現できるようになっていくのです。

本人のやる気さえあれば、そこに例外なく到達できると思います。

マシン等を使った「伸kingトレーニング」と様々なドリルを組み合わせ、週に2回3回と直接指導を継続することで、私の思いは必ず伝えられると実感させてもらっています。

この経験というかノウハウを、遠距離の方にも出来るだけ正しく伝えて行きたいと思います。

せめて一度は直接指導を受けていただきたいとは思いますが、そうでなくても伝えられるようにしなければ、救われないままの選手がどれほど多いことか。

先ほども電話で相談がありましたが、「一生懸命頑張っているが思ったような成果が出ない」という言葉に、努力は正しい方向性に対して向けるものであって、ただ頑張っていますはただの自己満足にすぎないことを分かって欲しいと思います。

その方向性を指し示し、進んで行く先に明かりを灯すのが、夢先案内人たる私の仕事だと思います。

どれだけ言葉を並べても伝えることは難しいとは思いますが、人間が持って生まれた体のからくりをうまく使うことで、もっと楽にもっと効果的に体を動かすことができるという事実を、多くの人と共有できるように伝えて行きたいと思います。

遠隔指導もっともっと利用して欲しいと思います。

相談してくれた高校生には、そのままズバリの回答という訳には行きませんでしたが、今日の記事が少しでも参考になればと思います。

サッカーが上手くならないという言葉も書いてありましたが、私の言う体の使い方という分野に興味を持つ指導者が現れないことには、どんな指導を受けても大きな変化は期待できないと思います。

そのことも今実感しています。

「伸kingトレーニング」が目指す、伸筋優位の体の使い方。クリスティアーノ・ロナウドのゴールパフォーマンスから見えてくるもの。

広島市内、今日も雪が降っています、ここ沿岸部では昨日のようなことはなく、ほぼ影響はありませんが、少し北側の市内中心部や山沿いの地域では影響が出ているようです。

運が良いというか、私の仕事を日・月と休日としているため、こうしてゆっくり過ごすことができています。

せっかくなので、昨日の続きを勢いに任せて書いておこうと思います。

昨日は私のトレーニングを行ってもらうためには、「体づくりから動きづくりへ」、トレーニングを行う根本的な考え方を変えてもらわなければならないことを述べました。

抽象的な表現ではありますが、少しは言いたいことが伝わったと思います。

では動きづくりのトレーニングとは何なのか、そのキーワードが、「屈筋主導ではなく、伸筋重視の体の使い方」という言葉です。

あくまでも私の私見ですが、これまで30年近く筋力トレーニングというものに接してきて、そのトレーニングを行った結果得られる筋力の多くは、関節を曲げる時に使われている「屈筋群」のものであって、本来肉体が外部に向かって筋力を発揮し伝えて行く「伸筋群」ではないと感じてきたのです。

もちろん、解剖学的にいうと〇〇筋は、〇〇関節を伸展させる筋肉であると定義されているものはたくさんあります。

一つの関節に対して、最低でも一つずつはその関節を曲げるための屈曲を主な仕事とした筋肉と、関節を伸ばすための伸展を主な仕事とした筋肉の二種類が存在します。

ですから、その伸展を主な仕事とした筋肉に対して負荷をかけるトレーニングを行えば、伸筋と呼ばれている筋肉のトレーニングはきちんと行われていることになります。

ところが、そういうトレーニングを行っているにもかかわらず、拮抗する屈筋群の方が主に働いてしまい、本来の目的を果たせていないということに気づきました。

それはたんに筋肥大という結果のことではありません、ボディービルダーの方々はすべての筋肉を極限まで発達させることを目的としてトレーニングを行い、その結果をコンテストで競い合っているのですから、伸筋もきちんと鍛えているということになります。

私が言っているのは、器質的な変化、筋肥大の問題ではなく、体全体をどのように連携連動させていくかという、機能的な問題なのです。

きちんと伸筋のトレーニングを行っているのに、なぜ連動がスムーズにいかないのか、いわゆる力みを感じる動きや、一歩目が出にくく居着いてしまうような動き出ししかできない、キレを感じない動きになってしまうことです。

たとえがオフシーズンには、重量や回数を増やしたトレーニングを行い体づくりを行ってから、シーズンに向けて競技動作に近い動きのトレーニングに移行させていく、期分けという考え方もあると思います。

ところがその発想でトレーニングを行った場合、大きな弊害があることに気づきました。

トレーニングをマシンを使って行う場合、筋力の発揮方向、関節の運動方向が一定に制限されてしまうことです。

同じ種目を何セットも行ったり、1セットの中での回数を限界近くまで行うようなやり方をしてしまうと、関節の動きはその一方向に限定され、関節を動かす筋肉はまさに一定の方向の収縮を繰り返すことしかできなくなってしまいます。

そうやって一つ一つの筋肉を鍛え上げ、素晴らしい見た目の肉体を作り上げることが出来ることは間違いないのですが。

私はそう思ってからのここ数年、一つの種目を1セットしか行わせないようになりました。

計算しつくした順番で、一つの種目を1セットずつ、なるべく長いインターバルを与えずに行うことを求めています。

このことはまた後で出てくると思いますが、今日は私が大事だと思っている伸筋のトレーニングが、これまでの方法では目に見える成果を挙げられていないのではないかということです。

それに関しては早い時期から気づいていました。

トレーニングを行う際、ほとんどの場合器具を指でしっかり握らなければならないからです。

「折れない腕」という名前で紹介した、屈筋と伸筋の大きな筋力発揮の違いを覚えていてくれていると思いますが、脳が企図し、神経を介して末端の筋肉まで指令を届ける時、その途中に位置する筋肉にも、同じ方向性の指令が届いているということです。

手のひらをしっかり握ってグーにしなさいと言う屈曲の方向の脳からの指令は、途中の肩関節や肘関節に対しても同じく屈曲と言う方向性を指示しているのです。

ですから、しっかりグーに握れと手のひらに指令を出しておいて、肘には曲げられないように頑張れと言われても、それは出来ない相談で、怪しい気の力でも何でもなく、人間の体の単純な仕組みだということです。

と言うことは、このマシンは私が重視している広背筋を鍛える種目ですと書かれている、ハイプーリーやシーテッドローイングという種目を行う際にも、それを行うためにはしっかりと持ち手を握らなければトレーニングが行えないということです。

そのため広背筋に対する刺激が、下手をすると肘を曲げることが仕事の、上腕二頭筋が主役になってしまう恐れがあるのです。

とくに我々日本人は、農耕民族としての長い歴史から、体の後ろ側とくに広背筋の機能が欧米人に劣るところがあり、どうしても屈筋に頼る傾向があります。

ここで今日の副題とした、レアルマドリードのクリスティアーノ・ロナウド選手のゴールパフォーマンスがイメージされました。

ゴールを決め走り出した彼は、ジャンプして着地した瞬間に天を仰ぎ、両足を大きく開き、体を真っ直ぐに立てます。

その時の手はどうなっているでしょうか、両手は指先まで伸ばし、足と同じくらいの幅で腰の横に開き、地面に突き刺すように全身を伸ばしています。

まさに全身の伸筋をすべて強調することで、自らの能力を誇示しているとは言えないでしょうか。

日本人でも彼のまねをする選手があるようですが、同じポーズを行った次の瞬間、体を丸めて前側の筋肉を誇示するようなポーズに変わります。

これこそまさに、日本人と欧米人の力を感じる感覚の違いではないでしょうか。

ガッツポーズという言葉を生み出した、ボクシングのガッツ石松選手の動きと比べれば一目瞭然です。

体格に劣る日本人選手が、体づくり肉体改造と称して筋力トレーニングを行った結果、求めるサイズには届いたかもしれませんが、本来求めなければならない選手としての能力向上、動きの良さという面はどうなのでしょうか。

日本で活躍した選手が海外に渡ると、思ったような活躍が出来ていないという現実は、ここにも一つの原因があるような気がします。

体力・筋力で負けてなるかとトレーニングに励み、気付いたときには屈筋ばかりが使われる体になっていた、そんな気がしていました。

現実に海外の選手は同じ種目を行っても、当然のように背中がうまく使われており、前側の筋肉に頼ってはいません、それは動きを見るだけではなく、表情からも読み取ることが出来ました。

我々日本人がしなければならないのは、「骨盤と背骨をいかにうまく連動させられるか、そのために最も必要なことは、背骨を動かすという意識のもとに行われるべきである」、と言うのが私の結論です。

では握らないでどうやってトレーニングを行うかということになります。

確かに持たないでトレーニングを行うことは出来ません。

そこで考えたのが、本来高重量を扱うときに使用するパワーグリップと呼ばれるものを使って、できるだけ握力に頼らないでトレーニングを行うと言う方法です。

イメージが湧きにくいと思いますが、実際に行ってみると屈筋に頼って素手でしっかり握って行うよりも高重量が扱えたり、同じ重量が軽く感じられ、伸筋群を有効に使った方が効率が良いことが実感できます。

「握らない」は「力まない」にも通じます。

1種目1セットしか行わない、握力を使ってしっかり握らず、パワーグリップを使っていかに屈筋を使っているという意識を消して伸筋に刺激を伝えるか、これが「伸kingトレーニング」の具体的な方法論です。

今日は日本人と欧米人の基本的な背中の使われ方の違いに着目し、屈筋に頼らないトレーニング方法を模索した結果、こういうやり方を思いつきましたという所を書きました。

ロナウド選手の動きは当然すべての動きにおいて力みのないしなやかさを感じます。

加えて力強さも持ち合わせ、それを状況に合わせて自分でコントロールできるのですから、世界一のプレーヤーであることに異論はありません。

鹿島との試合でも、延長戦に入ってからここぞという時の動きの鋭さは、たんに持久力があるとか筋力があるとかいうことではないと思います。

天は二物を与えずと言いますが、彼は努力によってそれを得てきたのだと思います。

「伸kingトレーニング」大事だと思います。

また思いついたら書きます。

「伸kingトレーニング」を行うにあたって。

天気予報通り、朝目が覚めたらここ広島市内、それも私の住む沿岸部でも外は一面の雪景色でした。

午前11時現在も大雪警報が発令されています。

広島市内で5センチ以上の積雪を観測するのは、2005年以来15年振りだそうです。

雪国の方から見れば何ということはないことなのでしょうが、普段雪に縁がないので色々なところに大きな影響が出ています。

そういう訳で今日は、どこにも出かけることは出来ないと諦め、またパソコンに向かうことにしました。

とくに今日はセンター試験が実施されていて、私が指導させてもらっているサッカー選手もその試験を受けているため、とても人ごととは思えません。

昨日の夜も2人がトレーニングに来てくれましたが、それぞれ保護者の方は冬タイヤを既に装着済みで、普段と変わらない様子で来てくれました。

私は愛媛の宇和島出身で、その後も雪国での生活経験がありませんので、雪が降ると車はまったく運転する自信がなく、冬タイヤも買ったことがありません。

それでも一度だけチェーンをつけて走ったことがあります。

もう18年も前になりますが、ヴィッセル神戸でフィジカルコーチとして仕事をしたことがありました。

1月に家族を置いて、とりあえず私が先に神戸に引っ越し、練習が始まって数日だったと思いますが、今日のような大雪が降ったことがありました。

当時住んでいたのは須磨区の高倉台という地区で、高台にあり一度坂を下りて幹線通りに出てから、改めて坂道を登って行くというのが練習場に向かうコースでした。

とりあえず自宅を出たものの、坂を下って行くのが怖くなり、さてどうしたものかと車を止めて思案していたところ、大学生くらいの男性が後ろに車を止めて、窓をノックしてきました。

何だろうと思って窓を開けると、困っているのだったらチェーンを付けてあげましょうかと言うのです。

聞けば、車が好きでチェーンをつけるのも得意だそうで、困っている車を見ると声をかけているという、変わった趣味と言うか奇特な若者でした。

お言葉に甘えて装着してもらいましたが、さすがに自信があると言う通り、あっと言う間に取り付けてくれました。

お礼を言ってゆっくり走りだし、坂道を降りきって幹線道路の交差点に差し掛かると、長い坂道を下りてくる車が次々とスピンしてくるくる回っている光景が目に飛び込んできました。

警備をしている警察官の方が近づいてきて、「見ての通りだよ、今日は諦めて引き返した方が良いよ」と言われてしまいました。

もちろんその忠告に従い、来た道をゆっくり上って自宅に帰ったことは言うまでもありません。

それ以来、雪が降ったら車は運転しないと決めています(笑)

雪が多い地方の方からみれば、それでは済まないと言われるでしょうが、私の生活では安全第一でこういう選択をしています。

さて、「伸kingトレーニング」についてのあれこれですが、今日は私の指導を受けたいと言って来てくれた人たちに最初にお話しすることを書いておこうと思います。

これまで様々な競技の様々なレベルの選手に指導させてもらう機会がありました。

それはもちろんチームとの契約で全員の指導をすることもあれば、誰かからの紹介であったり、このブログを読んで興味を持ってくれたという場合もありました。

どんなきっかけであれ、私の考え方をすべて理解してくれているということは期待する方がおかしいくらいで、まずは私のトレーニング、いや体に対する考え方をお話しして、「こういう考え方の元に、そこに近づいていくためのトレーニングを指導します」ということを、はっきりと伝えています。

マシンを使った筋力トレーニングと言うものに対する固定概念は、一般の方からプロスポーツ選手までほとんど変わらないものだと思います。

その目的は肉体改造という言葉に代表される、大きく強くなることが唯一無二の目的で、その効果の判断基準は扱う重量やセット数、また回数の増加、それに伴う体のサイズの変化という、まさに客観的な評価を受けられるものに終始していると思います。

先に言ってしまうと、そういう方向性でみんながトレーニングをしていて、本来の目的である競技力向上は果たせているのですかと言うことです。

もちろん胸を張って、当然のことだと言い切れる選手もいるとは思いますが、結果を残せていない選手は声を挙げられていないというのも事実だとは思いませんか。

何度も言ってきましたが、私はそれをすべて否定しているわけではありません。

当初からそれらを目的としてトレーニングを行う必要があると思われる立場、その究極がボディービルダーであり、肉体自身を武器にする格闘家や、見た目が重要な俳優さんたちにも、そういう側面があることは当然のことです。

私自身も痩せた体型に悩み、前述したヴィッセル神戸の仕事を終えた後、40歳の時でしたが、まさに大きく強くなるためのトレーニングを自らに課し、これでもかというトレーニングを3か月間行って、求める肉体改造に成功したこともありました。

その時は求めた方向性とトレーニングの方法論が一致していたので、自分でも思った以上の効果を上げることが出来ました。

現在私が指導している方向性は、それとは全く異なるものです、選手個人の能力向上です。

ですから、たんに肉体改造とか大きく強くなることがトレーニングの目的で、その結果として自分の競技レベルが向上すると思っている選手には、私の指導では満足できないだろうから、希望している方向性を明確にしている指導者のところに行った方が良いと、はっきりと伝えています。

そうは言っても私の考えをすぐに理解することは出来ないと思います。

既に大きく強くのトレーニングを継続してきたが、自分の思ったような結果に結びついていないことに疑問を持って、私の考え方に興味を持ってくれた選手なら、とりあえず違いは分かってくれると思います。

それが中途半端な取り組みしかやってこなかった選手は、私の考えも一つの方法論としか受け止められず、「こんなことか」と自己判断をして継続できない選手もたくさんいました。

現在指導している高校生の中にも、すでにそういうトレーニングの洗礼を受け、自分の求める方向性との違いに気づき、私の指導を受けるようになった選手もいます。

またまったくゼロの状態から、どこで誰にどんなことを学べばいいのかも分からないままだったのが、縁あって私の元を訪れ、考え方に共鳴し私を信頼してトレーニングを継続してくれる場合もあります。

目的は一つ、「サッカーが上手になりたい」、ただそれだけです。

私のやり方が良いとか悪いと、他の方のやり方が良いとか悪いとかいうことではなく、私が30年近く人間の体を相手にしてきて、それぞれの人間、それぞれの肉体、それぞれの目標に対して最も効率的で、指導する側される側、さらには付き添って来てくれてトレーニングを見守ってくれる保護者の方にとっても、すべてが納得できるものでなければならないと思っています。

数値の向上は確かに客観的で分かりやすいでしょう。

しかし、長期的なスパンで見ると、それらが右肩上がりに向上していくことなど有り得ません。

数年単位であれば、大きな向上が目に見えて確認できますから、それをもって効果を判断するのであれば、ある意味指導も簡単なことになります。

私が目指しているのは、本質的な個人としての能力アップです。

色々な意味があるとは思いますが、「人間として生まれもったそれぞれの能力を、余すことなく発揮できるような準備を整えるためのトレーニング」という、なんとも抽象的な表現ではありますが、そこに帰結して行っていると私自身が感じています。

運動神経が良いとか悪いとか、親からの遺伝である程度決まっているという言い方もされますが、私はそれ以前に、人間という動物に与えられた能力を、我々は十分に発揮できていないどころか、気付いてもいないところがあると感じているのです。

もうこれは私の感覚としか言いようがありません。

4か月くらい前から、中高生を対象にグループトレーニングを行っていますが、グループトレーニングとは言っても、実際はほぼマンツーマンの指導で、一つ一つの動作を私が求めるイメージに近付けて行くための指導を行っています。

体作りではなく、動き作りのためのトレーニングだと言っていますが、もちろん人間には心がありますから、複数で行うことで他の選手の動きが気になるのは当然です。

私の口から発する言葉は、直接手を触れている選手はもちろんですが、それを聞いている他の選手や見学してくれている保護者に対してのものでもあります。

そういう意識がある選手や保護者と、そうでない場合とでは、当然進歩の度合いが違ってくることは当然のことです。

歯を食いしばり目いっぱいの動作で、自分の世界に浸っていてはグループトレーニングの意味はないのです。

一番最初に説明をした、「大きく強くなるためのトレーニングではないよ」という言葉が信じられないくらい、大きく強くなっていきます。

中学3年生の小柄な女の子が、お尻が大きくなったジーパンがきつくて入らなくなったと、複雑な顔をして報告してくれますが、サッカー選手らしくなってきたねと笑顔で返しています。

もちろん目的としている動き作りのための基礎固めが進んで行くわけですから、姿勢が変わり、走り方が変わり、ボールを扱う際の姿勢や感覚も変わって行きます。

結果としてそれぞれの積み重ねた時間に応じて、ピッチの中での動きも変わって行きます。

これらの効果は、私の想像をはるかに超えています。

私の考え方がスタンダードになる日は、私が生きている間にはやってこないかもしれません。

ただこういう考え方と方法論を信じて実行してくれた選手たちが、他の考え方に沿ったトレーニングを行った選手以上の結果を残してくれることだけは間違いないと思っています。

今日は、「伸kingトレーニング」の導入部分、私と波長が合う合わないが、運命の分かれ道という所までお話ししました。

連載で順序立ててという訳には行きませんが、読み進めていただくうちに、全体像くらいは見せられるかなと思います。

相変わらず雪が降り続いています。

大きな災害がなければ良いのですが。

皆さんも気をつけください。

「伸kingトレーニング」を少しずつ言葉にしていきます。

昨夜から始まったドラマ「嫌われる勇気」を見ました。

基本的に続きもののドラマは苦手で、それも夜の10時から始まるとなると終わる時間が遅くなるので、よほどのことがないと見ないようにしています。

今回のドラマは、その原作となったフロイト、ユングと並び「心理学の三大巨頭」と称される、「アルフレッド・アドラー」の思想を1冊に凝縮したと、表紙の裏に書かれた、哲学者の岸見一郎さんとフリーライターの古賀史健さんの共著による『嫌われる勇気-自己啓発の源流「アドラー」の教え』という原作を、少し前になりますが家族が面白そうに読んでいたことを知っていたからでした。

ただ私自身はまだ目を通していませんでした。

家族の話からなんとなく想像はしていましたが、なぜ読まなかったかというと、私自身人が嫌われることが悪いことではなく、逆に世の中をうまく渡り歩いていくことを良しとしてこない生き方をしていると自分で思い込んでいたためでした。

今回のドラマで描かれるのは、香里奈さん演じる、警察という組織の中でも犯罪を捜査する刑事という立場の女性が、他の刑事たちとは違った考えに至った時に、組織の中でうまく立ち回ろうとか輪を乱さないようにしなければという、一般的には一番必要とされる協調性という概念とは全く違う立場をとり続けながらも、犯人逮捕という客観的な目的に対してきちんと結果を残していくという描き方がされていくようです。

まだ一話だけですから今後の展開は分かりませんが、その劇中にアドラー心理学の要素がちりばめられていくようです。

私自身、嫌われる勇気は持っているつもりでしたが、このドラマのように客観的な結果を他者に対して示すことが難しいことを仕事としていますので、ついつい言葉で自分の正当性を主張してしまうことになり、なかなか理解してもらうことが出来ないことをもどかしく思っていました。

そういう訳で嫁からは、「あなたの言う嫌われる勇気は少し違うと思う、本をきちんと読んでみたら」と言われてしまいました。

この機会に、本をじっくりと読んでみようと思います。

さて、昨年4月に上梓した、漫画家「えだお」との共著「1回5分 体が喜ぶ健康術」の番外編として「あるスポーツ選手のエピソード」と題して、私のトレーニング論のさわりの部分を書きました。

当初の目論見では、この本が順調に販売数を伸ばし、何度か重版出来が行われた頃を見計らって、続編というか第二弾として、私のトレーニングに関する考え方や実践の一部をまとめたものを出版させていただきたいと考えていましたが、残念ながらいまだに重版には至っていません。

もちろん私の力不足であることは承知していますが、それにしても私の考え方が広く受け入れられていかないに現実はとても残念に思います。

ここでは嫌われる勇気ではシャレになりませんから。

私の企画を取り上げていただいた、地元広島の出版社「ガリバープロダクツ」さんに対しても、また私の思いを漫画で表現してくれた、漫画家の「えだお」さんに対しても、本当に申し訳なく思っています。

ただまだあきらめたわけではありませんから、日々試行錯誤しながらより良い指導を模索しているトレーニングに関しては、いつか必ず世に問う時が来ると思っています。

そのためにも、現在進行形の部分も少しずつ言葉に残しておかなければならないと、今日も少し書いておきます。

まずは、「伸kingトレーニング」と名付けた、体作りのためではなく、「動き作りのためのトレーニング」ですが、その効果は今指導している中高生から、私が思った以上の効果を実感させてもらっています。

私のトレーニングの基本は、筋肉の仕事を大きく二つに分けると、関節を曲げる筋肉と伸ばす筋肉という分類になるのですが、そのうちの伸ばす方伸筋を重視したトレーニングを行います。

それは屈筋の働きは、体の運動にブレーキをかける役割をになっているからです。

この部分の詳しい説明はこれまで行ってきた西本塾で時間をかけて説明してなお、完全な理解を得ることが難しい部分なのですが、簡単に言ってしまうと、ブレーキをかけながらアクセルを踏むという、まったく理に適っていない体の使い方をしているのが、今の人間というかスポーツ選手であるというのが私の感じてきたことです。

それが故障の原因であったり、能力向上の妨げになっているということも感じてきました。

トレーニングという行為をどういう考え方で、またどういうやり方で行えば、本来目指している方向に近づいて行けるのか、それをずっと考えてきました。

その中で生まれてきた言葉が、「体作りから動きづくりへ」という発想の転換が必要で、そのためのトレーニングの方法を考え続けてきたという訳です。

一般的に行われているような、一つの種目を何セットも行うとか、重量や回数を増やしていくことを目的としていません。

人間の体にとってトレーニングの目的は、全身を連動させるための刺激であり、単一の筋肉や運動方向に強い負荷をかけることではないと考えています。

言葉にすると、とても楽そうで、そんなことで何の効果が出るのかと言われることは分かっていますが、一つの種目を行う際に、その一回一回の動作を、目的とした筋肉の収縮が正しく行われ、なおかつ体の仕組み通りに連動しているかをチェックしながら行う必要があります。

そうでなければ、体作りを目的としたトレーニングと何ら変わるところはありませんから。

そのためには、場所とマシンを提供して自由にトレーニングをしてくださいという訳にはいかず、ほぼマンツーマンの指導が不可欠となっています。

数年前から盛んにコマーシャルが流れているトレーニング指導のように、高額な対価を要求すれば商売としても成り立つのでしょうが、絶対的な自信を持って指導しているからこそ、夢を追いかける子供たちや、真剣に体に向き合う一般の方に指導を届けるためには、私にとっても理想と現実の狭間で難しい状況であることは間違いありません。

4人の子供たちを指導していく中で、当然それぞれに個性があります。

同じ内容のトレーニングを行っているからこそ、お互いの良い所足らないところをはっきりと確認できることになります。

最近気づかせてくれたのは、そういう部分に気づいたとき、「伸kingトレーニング」を行っていれば、他者の体の使い方を感覚として理解しやすく、もちろん私はサッカーの経験者ではないので実技を見せることは出来ませんが、「こうやって使っているでしょ、あのトレーニングの動きがここに使われているよね」という言葉で、すぐに同じことが出来るうになって行くのです。

これは私にとっても驚きでした。

ボールを使わない体の使い方、走り方やアイドリングしながらのステイ動作は当然ですが、ボールを止める蹴る、そしてヘディングの動作までどんどん上手くなっていくのです。

まさに動きづくりの手前の、「動き作りのためのトレーニング」であることを再認識しました。

今指導しているのはサッカーをやっている子供たちですが、当然どのスポーツにも当てはまることで、遅まきながらもっとたくさんの人たちにこの効果を実感してもらいたいと願っています。

「伸kingトレーニング」の実態を、分かりやすく解説する書籍を出版出来るのはいつになるのでしょうか。
諦めることなく歩みを進め、今関わっている人たちをしっかり導いていこうと思います。

不思議だとは思わないのかな。

今年も一週間が過ぎました、日常の生活が始まっています。

年末年始、これまで関わった方々から様々な報告をいただきました。
私の伝えたことが、それぞれの環境の中で活かされていることを聞かせていただき嬉しい限りです。

仕事始めの4日から、夜のグループトレーニングに通ってくれている高校生と中学生たちも、元気な顔を見せてくれました。

その中に、このブログでも紹介した、中学生と高校生のサッカー兄妹が居ます。

お兄ちゃんの成長というかプレーの変化については、実際に試合を見に行って他の選手とと違いを確認しています。
一言で違いと言っても色々な意味がありますが、ピッチの中にいる22人の中で、私が指導している選手はだれかと質問したら、おそらくは全員が彼だと答えてくれると思います。

もちろん、私がどんな指導をしているとか、特別な指導を受けている選手がいるから当ててみてくださいという質問の仕方ではなく、「この中で特に目立つ選手はいますか」、という質問の仕方をしたとしても、きっと彼だという答えが返ってくると思います。

それくらい他の選手とは異質な動きをしています。

広島県内でも有数の強豪校ですが、残念ながら現在行われている全国大会には出場できませんでした。

聞けば高校生活の3年間、指導者からは特別なアドバイスというか指導は受けたことがなく、自由にやってきたそうです。

そういう雰囲気というか、チームカラーに憧れて、わざわざ他県から引っ越しまでして選んだ学校だそうです。

確かにガチガチに管理された、昔ながらの雰囲気を漂わせる運動部が嫌われるのは理解できますが、個人に対するアドバイスというか指導がほぼゼロと聞くと、では指導者とは何をする人なのか、私にはよく分かりません。

100人近い部員の中から、指導者の好みというか感覚で選ばれた、ある一定の数の選手の中から、さらに選ばれた選手が試合に出場するだけなら、私でも監督になれそうな気がします。

彼が私のところに通って来てからの3か月間の、動きの変化は素人目にもというか、誰が見ても分かるものだと思います、最初に目につくのはその走り方です。

それから、曲面局面に応じた体の使い方をアドバイスしているので、練習や実戦の中での変化は、毎日見ている指導者なら気付かないはずはないと思います。

しかし、指導者からは何の反応もなかったそうです。

良い方向に変化しているのだから、気付いていたとしても特別言葉をかける必要もないのかもしれませんが、彼に何があったのか、どうして動きが変わったのか、興味は湧かないのでしょうか。

まったく同じことが、その妹さんにも起きました。

彼女はクラブチームで活躍していましたが、自分の代の試合が終わった後、クラブで練習させてもらいながら、高校受験に備えて勉強の時間を増やすという予定にしていたところ、私のところでトレーニングを始めたことで、サッカーの練習はいったんお休みにして、トレーニングと勉強の両立を図るという方針に変えました。

お兄ちゃん同様、高い意識を持ってトレーニングを継続してくれたことで、「プレーの質を上げる」という究極の目標にどんどん近づいていることが、本人はもちろん、連れて来てくれてトレーニングを見学してくれているお母さんにも、もちろん指導している私や智志にも、はっきりと分かるレベルになっていきました。

勉強が一段落したのか、年末からクラブチームでの練習を再開し、サッカーとトレーニングを並行して行うことにしたそうです。

3か月間サッカーを離れ、ほとんどボールを蹴っていなかった彼女が、復帰した途端に、これまでとは全く違うレベルの動きが出来たことに、まずは自分が驚いたそうです。

練習試合に出場すると、これまで苦手だったスタートの一歩目が、目に見えてスムーズになり、パスカットができたり、フリーボールへの対応が速くなったり、何より走るスピードが今までより明らかに速くなっているそうです。

加えて一番の効果は、運動量が落ちないことです。

これは、私が一番強調している、90分間頭と体を動かし続ける能力が高まったということです。

サッカーが楽しくて仕方がないと言います、今までできなかった動きが出来、それを継続して出来ることで、今までとは違うサッカーが出来るというのです。

大好きなサッカーでしょうが、分からないことがあったり疑問に思ったことがあっても、それに応えてくれる人はおらず、与えられてきたのはサッカーが出来る環境と仲間だけだったのですから、それ以上の高いレベルを目指そうにも、その方法論が提示されないのです。

3か月もクラブを離れていた中学三年生の女の子が、見た目の体つきも変わり、動きも運動量も明らかに変わったというのに、指導者はまったく興味を示さないそうです。

それどころか、素早い動きだしや走るスピードも速くなって運動量も増えたというのに、太ったんじゃないかとか、なぜ腕を振らないのか、しっかり振ればもっと速く走れるぞと、まったく本質から離れた、素人のような感想しか言われないというのです。

練習を離れている間に何があったのだろう、短期間に自分たちが指導していた頃とは明らかに違う動きになった彼女に、その間何があったのか質問しようとしないのでしょうか。

もちろん私の存在は知らない訳ですが、この3か月間に興味が湧かないというのは、指導する側の人間として少し寂しくはないでしょうか。

固定概念や既成概念という言葉で片づけてしまうのは、あまりにも悲しい現実だと思いませんか。

もし私が、彼らに形だけの指導をしてきたとしたら、目の前の指導者の言葉に惑わされることになるかもしれませんが、たとえ中学生でも、指導の段階が進むにつれて理論的なこともしっかり伝えてあるので、まったく迷うことなく私から学んだ動きを行ってくれます。

他の選手からは、何があったのかと質問されることもあるようですが、私の指導を受けてくれている彼らは、絶対に私の存在を公にしたがりませんから、適当にごまかしているそうです(笑)

どんなレベルの指導者かは分かりませんが、目の前の選手の変化に気づいたら、相手が子供であっても興味を持って質問してみようという気はないのでしょうか。

育成年代の指導の重要性が、どんなスポーツでも声高に叫ばれていますが、こんな調子ではいつまでたっても何も変わらないと思います。

もう一人の高校生の話にも驚かされました。

彼のポジションはサイドバックだそうですが、何とヘディングが苦手だというのです。
苦手という意味は色々で、もちろん私のような素人とは言っている意味が違うとは思いますが、実際にやらせてみると確かに少しぎこちなく見えました。

どういう指導を過去現在受けてきたのかと聞いて見ると、私が期待しているような指導は受けたことがないというのです。

ヘディングの練習はただ単に、頭でボールを打ち返せで終わりだそうです。

これでは出来る人は出来るでしょうが、上手く出来ない人はずっと苦手なままなのではないでしょうか。

だから何回も練習するんだ、そうでしょうか、確かに頭でボールを扱うのですが、その際に体全体をどうやって動かすのか、今私が行っているような「伸kingトレーニング」を行い、体の使い方を説明してあげなければ、そういう基本的な技術の向上さえ難しいと思います。

指導者は数多い選手の中で、うまく出来る選手、速く走れる選手を選ぶだけで、選手を育てる指導するという、本来指導者に期待されている仕事はしないのでしょうか。

他の競技の強豪校に進んだ選手たちからも、同じような話を聞いたことがありました。

たくさんの選手に対して、きめ細かい指導など期待する方がおかしい、レベルにあったチームを選んでこなかった選手が悪いということなのでしょうか。

もし本来のきめ細かい指導が出来たとしたら、個人のそしてチーム全体の能力は飛躍的に向上すると思います。

要はやり方だと思います、選手も受け身で指導を待っているような態度ではダメなことは明らかです。

私が言いたいのは、今自分が持っている指導のノウハウが、指導している選手たちにとって最良なものなのか、もっと良いものがあるとしたら、それを学び取り入れようという向上心を持って欲しいということです。

サッカーの経験もないのに何が分かる、そう言われるでしょう、だからこそ分かることがあり言いたいことがあるのです。

無限の可能性を秘めた子供たちに、もっと夢を与えたいのです。

私の考えを学んでくれた指導者の方から、その効果を証明する報告も届いています、いつかそういう現場の声も紹介できればと思います。

私も含め、まだまだ知らないことがたくさんあります。
野次馬根性でいいから、良いと思うものにもっと目を向けませんか。

それは、指導する選手たちの為であり、もちろん自分の成長の為でもあります。

そういう人が増えて行かない限り、変化も発展もありません。

今日は高校サッカーの決勝戦が行われますが、準決勝の試合後の談話を新聞で読んでも、相も変わらず「足が止まった」という言葉が使われています。

何度でも言います、それは体力持久力という、カタカナの「フィジカル」の能力の問題ではないのです。

どんなに厳しいトレーニングを課したとしても、永遠に辿り着けないことになぜ気づかないのでしょうか、気付いてはいるが気付かないふりをして、体をいじめる行為を続けるのでしょうか。

それぞれの競技の基礎となる、「走るという行為」を冷静に分析し、神様が人間に与えてくれた体の仕組みと使い方に即した走り方という発想の、私の提唱する走り方に気づいて欲しいと思います。

地元広島の女子サッカーチームが、昨年の成績で3部リーグに降格してしまいました。

その復活を託され新監督に就任したのが、私がヴィッセル神戸に在籍していた時に選手だった「東博樹」君です。

新聞の報道で知りましたが、是非とも広島の女子サッカーのために頑張ってほしいと思います。

今年もよろしくお願いします。

ブログを読んでくださっているみなさん、明けましておめでとうございます。

数年前から年賀状を書くのをやめてしまいましたので、元日にはツイッターとフェイスブック上ではご挨拶さて頂きましたが、改めて新年最初のブログでも、新しい歳のご挨拶をさせていただきます。

昨年も色々なことがありました、そしてまだまだそれらのすべては現在進行形で、何一つ完結していません。

だからこそ私はいつどんな時でも、なぜどうしてと自問自答を繰り返し、納得のいく何かに近づこうと努力しているつもりです。

そんな私でも、それなりに色々なことに気づくことがあり、それらを誰かのために役立てられるようにもなってきました。

今年もそうやって積み上げてきた何かを駆使して、様々なことに取り組んで行きたいと思います。

昨年までの活動の中で生まれた言葉に、「体づくりから動きづくりへ」「からだほわっと」「動きづくりのためのトレーニング」「フライングバックトレーニング 略称FBT」「反った猫背」「骨盤を縦に使う」「股関節のクランク構造を使う」「アイドリング」「アイドリングステイ」「背骨の動きだしに3分割のイメージを」「伸kingトレーニング」などなど、思いつくだけでもこれだけの言葉が並んでしまいます。

それら一つ一つを見ると、一言ではとても言い表せない意味不明な言葉ではありますが、その時々出会った人たちに、どうやって伝えるか、文字として言葉として実際の動きに近いものを考えて行く中で生まれてきたものです。 

時系列で並べることも難しく、その都度頭の中にあったことをどうやって伝えるかという工夫の中で生まれてきました。

私の頭の中をすべて理解していただくことは難しいことかもしれませんが、それぞれの人が何を求めているのか、私の何を必要としてくれているのか、そういうことを私の中で判断して、一番適した内容で指導できるようになってきたと思います。

時には複雑すぎて、もっと簡単に教えて欲しいと思われることもあるかもしれませんが、私の方がこの人には何としてもこういう理解の仕方をして欲しいと、あえて簡単には教えないということもありました。

それが厳しさに結びついていくこともありましたが、最終的には分かっていただけたのではと思っています。

そうは言いながら、もう少し物分かりの良さというか、伝え方も相手サイドに立って、私としては表面的なものになってしまうことも承知の上で、これまで積み上げてきたことが少しでも多くの人の役に立てるような教え方というものも、工夫していかなければならないかなと思っています。

お正月三が日というのは、私にとっては1年365日の中で本当に貴重な3日間です。

いくつになっても考えなければならないことが多すぎて、何も考えずにゆっくりできていると、自分で思えることはまずありません。

他人から見れば、そこまで心配しなくてもと言われるようなことでも、ついつい深く考えてしまうのが私の悪い癖です。

そんな私でも、一切の雑念を払い、誰かのための時間を過ごせる唯一の3日間となります。

今年はまさに、長女とその子供たち2人のための3日間でした。

小学2年生ともうすぐ3歳になる孫たちに、日々の思い出をたくさん作ってあげるのが、お爺さんとしての私に出来るささやかなプレゼントです。

見返りなどもちろん求めない、自分に出来ることを素直に表現するだけ、まさしくこんな気持ちで仕事に対して、日々接する体の不調を訴えて訪れてくれる人たちにも、そして、それぞれの夢に向かって一生懸命トレーニングに通ってくれる選手たちに対しても、「私が」ではなく、「あなた」が主役であることを肝に銘じて、私に出来る精一杯のことをしていきたいと思います。

スポーツの現場に未練が完全になくなったわけではありませんが、私の培ってきた能力を一人でも多くの人に役立てて行くためには、そういう環境よりも今の方が良いのかもしれません。

そのためには、ここ広島に「西本直」という人間が居て、こんなことを考え、こんなことができる人間なのだということを発信して、多くの方に知っていただかなければ、能力の発揮のしようがありません。

トレーニングに通ってくれている選手たちが、ライバルやほかの選手に私の存在を知られたくないという、嬉しいような困ったような反応をされてしまいますが、気持ちは十分わかるので、発信はあくまで私自身が行わなければなりません。

一人でも多くの方に利用していただけるよう、少しずつ一歩ずつ、そういう環境に近づくように、今年も頑張って行こうと思います。

息子智志も、9カ月という期間ではありますが、西本塾や深める会を通して、様々な人との出会いを経験し、様々な人たちの思いに触れることで、人として少しずつ成長させていただくことができました。

今年はさらに大きく羽ばたいて行けるように、応援したいと思います。

親子ともども、今年もよろしくお願いします。


プロフィール

Author:西本 直
1993年、Jリーグサンフレッチェ広島を皮切りに、社会人野球三菱重工広島・協和発酵・ヴィッセル神戸・川崎フロンターレ、そして広島カープ佐々岡真司投手など、プロアマ問わず競技レベルのスポーツ選手から一般の方まで、トレーニングやメンテナンスの指導を行ってきました。
その経験と知識の蓄積を「西本理論」としてまとめ、一人でも多くの方に実践していただくことが、これからの私の使命であると信じ、このブログから発信していきます。
私の理論はスポーツ選手のみを対象としたものではなく、ビジネスマンや家庭の主婦まで老若男女すべてに当てはまる不変のものです。
指導や講演のご依頼も受け付けています。
実名でツイッターも書いていますので、チェックしてみてください。
また、2013年9月9日にConditioning Studio 操をオープンしました。こちらもご覧ください。
また、遠隔地にお住まいの方を対象とした動き分析とアドバイスを行っています。
詳細は「スタジオ操」のホームページ内の「遠隔サポート」をご覧ください。
今年2回目の西本塾を8月26・27の土日に開催を予定しています。
詳細はstudio操のホームページ内の「講習会情報」をご覧ください。
なお、今回も参加者が5名に満たない場合は開催しません。
9月10日には深める会も予定しています。

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