思いは届かず・・・。

今日は気持ちを整理するために書きます。

この1ヶ月間いろいろな事を考えて来ました。
3年後の東京オリンピック、サッカー日本代表の選手たちが森保一監督の元、活き活きとピッチの中を躍動する姿を夢に描いて来ました。

24年前、サッカーの経験など全くなかった私が、縁あってその年に開幕したプロサッカーリーグ、Jリーグのオリジナル10のひとつとして産声をあげた、サンフレッチェ広島にトレーナーとして招聘され、スポーツトレーナーとしての一歩を歩み始めました。

その時に出会ったのが、今回監督に就任した森保一君でした。
あれから24年、お互いに様々な経験を積み重ねながら現在に至るまで、縁は切れる事なく続いていました。

ちょうど1ヶ月前、台風の影響で広島は土砂降りの雨の中、私を訪ねて来てくれた彼との会話から、様々な思いが途切れることはありませんでした。

そのすぐ後、彼に日本サッカー協会の西野さんから就任の打診があり、その後正式に就任の発表、そして昨日の記者会見と、まさにトントン拍子で進んで行きました。

しかし、その間私の元には何の連絡もありませんでした。
オリンピック日本代表のフィジカルコーチ、監督を支えるスタッフとして、その立場の重さは私にも十分想像はできます。
その任を私に担わせて欲しい、私がこれまでの人生で初めて自分から希望しました。

何の連絡もないことで、その願いは叶わなかったものと区切りをつけなければならないという気持ちと、もしかしたらまだ協議をしている最中なのではという淡い期待の中で過ごして来た1ヶ月でした。

記者会見を終えた彼に、意を決してこちらから連絡を取りました。
私をフィジカルコーチとしてリクエストしてくれたが、スタッフに関しては協会のスタンスもあり、前向きな話ができていないとのことでした。

協会側の立場としては、それぞれのカテゴリーとのバランスや考え方など、考慮しなければならないことはたくさんあると思います。

何より、西本直という人間の考え方、いや存在そのものすら認識されていないと思います。
そういう組織に対して、監督として選ばれた彼が、西本直という人間をフィジカルコーチとして、リクエストしてくれたという事実が分かっただけでも、光栄なことだと思わなければならないのかもしれません。

この1ヶ月間、多くの方から私のフィジカルコーチ就任を期待していただく声をかけて頂きました。
そして実現した暁には、私がどんな風に選手を育てて行くのかを楽しみにしている、という言葉も頂きました。

ずっと言い続けている、これまでの常識や固定概念にとらわれず、人間の体の仕組みに沿った体の使い方という考え方をベースにした、体づくりではない動き作りという概念でトレーニングを組み立て、海外の選手たちに比べて、それほど恵まれているとは言えない体格でも、90分間頭と体を動かし続けて、森保監督が思い描く戦術を表現してくれる選手を一人でも多く育ててみたい、心からそう思いました。

その過程の中で、サッカーだけではなく様々なスポーツのトレーニングや体の使い方に対する固定概念を変えることができるかもしれない、私自身がワクワクする様な夢が広がって行きました。

彼がどれだけ望んでくれたとしても、協会側が受け入れてくれないのならどうしようもありません。
私にとってもこの1ヶ月間、良い夢を見させてもらったと諦めるしかないのかもしれません。

しかし、何がどうなったとしても、私という人間が変わることはありません。
これまでどおり、生涯一トレーナーとして、湧き起こってくる何故どうしての疑問に対して、自分の納得できる答えを探し求める作業を続けて行くことに変わりはありません、まだまだ歩みを止めるつもりはありませんから。

私のフィジカルコーチ就任を期待して、直接的間接的に応援してくださった皆さん、ご期待に添えなかったこと申し訳ありませんでした。

今の時点で気持ちは強く持っているつもりではありますが、心の中にある残念な気持ちは隠しようがありません。

思いは届きませんでした・・・。

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なぜ試合中にアイドリング動作が必要だと思うのか。

先ずは、11月18・19日に行う予定の『西本塾』ですが、予定通り開催することにしました。
募集要項には、「受講希望者が5名に達しない場合は開催を見送ることがあります」と記載しておりますが、4名の方から申し込みをいただき、喜んで開催させていただくことにしました。

また、すでに西本塾を受講してくれた方から、「現在自分が指導している方法を精査したい、参加の意思はあったが、指導対象者の試合の状況で、申し込み締め切り時点では確定できませんでした」という連絡を頂きました。

この方は、私から学んでくれたことを真剣に伝えようと、日々奮闘してくれている方です。

その活動を真剣に行えば行うほど、世の中の固定概念の壁を感じ、「自分の伝え方はこれで良いのだろうか、西本さんだったらどんな伝え方をするのだろう」と考えながら、日々試行錯誤を続けてくれていることが伝わってきました。

もし同じ様にそういう気持ちがある西本塾生がいるのなら、締め切りは過ぎましたが是非参加してください、私にとっては何より嬉しい受講動機ですから。

また、12月10日土曜日に行う予定の『深める会』も、1日開催の予定でしたが、土日の2日開催とし、それぞれの内容を事前に公表し、両日参加でなくどちらかだけでも参加をしたいという方も可とする、というやり方も考えています。
詳しく決まればまた報告します。

さて先日の土曜日、台風の影響で降りしきる雨の中、サンフレッチェ広島対川崎フロンターレの試合を見るために、エディオンスタジアムに出掛けてきました。

その時点で残り5節、J2降格も覚悟しなければならない非常に厳しい状況の広島と、カップ戦は決勝に駒を進め、天皇杯も勝ち上がり、リーグ戦も首位の鹿島を脅かす位置にいる川崎の、対照的なチーム状況の対戦となりました。

広島市民として、また何人かの選手との関係を考えれば、当然広島の応援に行ってしかるべきなのですが、私が買ったチケットはゴール裏のビジター席でした。

私がスポーツトレーナーとして仕事を続けてきた時、その対象は誰でもない選手たちであって、クラブの為とかチームの為とか、そういう組織を相手に仕事をしている感覚はありませんでした。

営業面はその担当の方がいるし、運営面も同じです、それぞれがそれぞれの役割を果たしていくことで組織が動きていくと考えてきました。
そう言ってしまえばい聞こえは良いのですが、何のことはない私の能力は選手のために使われるべきであってそれ以外は関係ないと本気で思っていました。

まあそれしかできないと言ったほうが正しいのかもしれませんが。

そんな私にプロサッカークラブのサポーターという人たちの、クラブや選手たちに対する熱い思いを知るきっかけとなったのが、今回のフロサポそれもコールリーダーをはじめとする応援団の皆さんでした。

短い期間でしたが、私個人にも温かい言葉をかけて頂いたこと、忘れることはありません。
彼らの応援する姿に元気をもらおうと出掛けて行きました。

もちろん目的はそれだけではありません。
滅多にスタジアムに行くこともなくなりましたが、メインスタンドやバックスタンドからの角度ではなく、横長のピッチを縦に見通せるゴール裏からの観戦で、いつもとは違うものが見えるのではと思いました。

当然ですがサッカーは相手のゴールに向かって攻めて行く競技です。
そしてゴールは最後方の中央にあります。

ゴール裏から見ると真っ直ぐに攻め上がっていく様子や、逆に攻め込まれている様子が、縦の距離感を感じながら直線的に見ることができました。

専門家ではない私の分析で、的外れな部分があるかもしれませんが、両チームの攻防は私の目にはこう映りました。

先ずは川崎、まさにゴールを奪うためにボールと人が動いて行きます。
全員が理想的にとまでは言えませんが、いわゆる3人目の動き出しが意図を持って行われていました。
1タッチもしくは2タッチという少ない手数でボールが動き、自分のところにボールが来ることを予想というか前もっての約束事でしょうか、次々とパスが繋がって行きます。

そしてシュートが狙えるレンジに入ると、迷うことなく打って行きます。
選手が攻めることが楽しいと思ってサッカーをやっているのが分かります、だから見ている人も楽しいはずです。

もちろん中央からばかりでなく、サイドを使うこともありますが、隙あらばどこからでもシュートを狙うという意識は全員に見られていたと思います。

引き換え広島は、自分のところにボールがきてから次のプレーを考えているように見えてしまいます。
当然、周りの選手がそれに対応して動き出しているという風にも見えません。

言葉は悪いですが、行き当たりばったりで組織としても個人としても、残念ながら意図が見えませんでした。

そんな思いでピッチ上を見つめながら、「待てよ広島が強かった時には、今川崎に感じている以上に組織として個人としての意図がはっきりしていて、自信を持ってボールを運んでいたんじゃなかったっけ」と思いました。

相手の攻撃を焦らすように後方でボールを回し続け、中盤の選手の動き出しから前線にスペースを作り、トップの選手との阿吽の呼吸で糸を引くようなパスが繋がり、ゴールを奪っていく、また右から左からどんどんクロスが上がり、中央の選手の波状攻撃でゴールを奪う、そんなシーンを何度も見せてくれていました。

それが今、自分のところに来たボールが足元に収まらず、パスを出そうにも味方が良いポジションに動いてくれていないため出しどころがなく、それぞれが固まってしまってその場に居ついてしまっているのです。

その選手の間を、縦横無尽に川崎の選手が動き回るのですから、見ていてチャンスが来そうな気がしません。

しかし3失点はいずれも完全に崩されての得点ではなかったと思います。
そういう意味では川崎の詰めの甘さというか、個々の動きにはまだまだ改善の余地があると感じました。

広島はシーズン開幕から勝ち星に恵まれず、苦境に陥って行きましたが、やるべきことは基本に返って正確なボールコントロールと、チーム全員の意思統一ではなかったのかなと思います。

今の状況は、個々がバラバラで次のプレーに繋がっていきません、残り4節何としてもJ1残留に向けて知恵と力を振り絞ってほしいと思います。

と、こんなところが私が感じたことですが、やはり私が考えることは、「ではどうするか」という問題です。

苦し紛れに人を変えシステムを変えと、なりふり構わず勝ちに向かって努力していることは分かります。
それが形になるためには選手が要求されていることを理解し、行動に移そうとしているか、何よりそれができるかどうかということです。

これが私の言う「頭と体を動かし続けることができる能力」という視点です。

ツイッターにも書きましたが、頭を働かせるためには体も動かし続けなければならないのです。

それが「アイドリング」という動作です。

骨盤の縦の動きから股関節の自由度を確保し、全身を小さく揺らせておくことで、全ての方向への素早い動き出しが可能となり、柔らかいファーストタッチも可能となります。

それが突っ立ったままで体の動きが止まっていると、頭を働かせることはできず、動き出しも遅くなります。

ボールへの対応も遅れ、足元に収まらなくなりますので、次のプレーへの流れが断ち切られてしまします。

そのことをきちんと理解し、全員が意識し続けるだけでも、全体としての運動量やボールの支配率も変わって来ると思います。

サッカー未経験者の私の言葉は、結果を残して来た選手や指導者には届かないかもしれませんが、生で試合を観戦しながら、「本来できるはずのことができていないという状況の原因はこうですよ」と伝えてあげたくなりました。

川崎にも同じことが言えますが、これだけ調子が良いチームに余計なことは言わない方が良いでしょう。

今年はもうJの試合を見ることはないかもしれませんが、やはり生で見ることはたくさんの情報を与えてくれ、そして私の考えが役に立つ事を確信できる機会となりました。

最後に例の件は何の連絡もありません。
諦めが悪い私ですが、気持ちは既に2020です(笑)

今こそ私が話しておきたいこと。

12日に正式発表があって一週間が過ぎましたが、私の元には何の連絡もありません。

私の気持ちはすでに伝えてあるのですから、何もないということはそういうことなのだと、そろそろ気持ちを切り替えなければならないとは思いながら、万に一つがゼロにならない限り、今回のことが頭を離れることはありません。

昨日ツイッターにもつぶやいた通り、不覚にもスマホを落とし、画面を破損させてしまうということになってしまったことも、今の私が平常心ではないということの表れだと自戒する出来事となりました。

Jクラブを短期間で辞めてしまい、現在の施設を作って早4年が過ぎました。

もう二度とそういう仕事に関わることはないと思いながら、色々な思いが交錯し自分がやってきたことを整理して行く中で、自分でも気づいていなかった様々なことを、身に付けてきたこを気づかせてもらった貴重な日々でした。

そしてそれらをもっと分かりやすく伝える方法があったのではないかと考えるようにもなりました。

それらが整理されていく中で、やはり伝えるという行為がやりたいと思うようになり、西本塾や個人指導の形で、試行錯誤を続けて行く中で、私の能力を現場で発揮したいという気持ちが少しずつ大きくなっていくことも自然なことだったと思います。

「正しいことは正しい、こうすれば必ずこうなるのに」、そういう自信めいたものが膨らんで行くことと、それを発揮する環境がないということにジレンマを感じていました。

しかし、私の築き上げてきたものがどんなに正しいものだったとしても、それを受け入れ、それぞれの能力向上に役立ててもらうということが最も重要なことであることにも、遅まきながら気づいていくこととなりました。

すべては『誰かのために』が大前提であるということです。

それは体の不調を訴え、私の施術を受けに来てくれる人たちへの思いも同じです。

「私の言っていることは絶対に間違っていないのに、なぜ分かってくれない」、では、何のお役にも立てないということです。

8月の後半、依頼を受けて『大阪府立大学サッカー部』の指導をさせてもらいました。

これまで温めてきた指導方法を試す絶好のチャンスでした。

けっして考えを押し付けるのではなく、チームとして選手個人として成長したいという気持ちのアシストをするというスタンスです。

そのためには、今彼らが行っている体の使い方と、私の指導する体の使い方を行うことによって、何が違うのか、どういう利点があるのか、それを身に付けるためにはどんな考え方で何を行えばよいのかをきちんと伝えて、その気になってもらうことが一番大事なことだと思いました。

彼らは全員ではなかったかもしれませんが、私から学ぶことを自ら希望してくれた選手たちです。

私のことなどまったく知らないチームに押し掛けて行ったわけではありません。

実技の指導は1日だけでしたが、私が準備した内容は伝えられたと思っています。

この4年間は決して無駄ではなかったと思わせてくれました。

そして今、選手としての環境やレベルは違いますが、彼らと同じ年代の選手を相手にするかもしれないという気持ちで色々なことを考え続けています。

万に一つ、それが実現したとしたら、こうして具体的に発信することはおそらく難しくなってくると思うので、今私が考えていることを言葉にしておきます。

まさに、「生涯一トレーナ西本直が話しておきたいこと」です。

私はサッカーの経験がまったくありません、24年前Jリーグが開幕するときに合わせ、サンフレッチェ広島からの誘いを受け、トレーナーとして仕事をするために広島に移り住んできました。

U23と言うカテゴリーの選手たちは、まだこの世に生を受けていない頃の話です。

そこから様々な競技の様々なレベルの選手を相手に仕事をしてきましたが、サッカーに関してはWカップにアジアの代表として、連続して出場できるレベルにはなりましたが、本選で世界の強豪を相手に互角以上に戦うというレベルには、残念ながら到達してはいないと思います。

それこそJリーグが開幕して24年、育成年代の競技人口は野球を上回るところまで来ています。

戦術的にも個人の技術レベルも、まさに隔世の感があると思います。

多くの指導者が海外に渡って指導方法を学び、小学生の選手たちでも海外遠征がある時代です。

もう井の中の蛙ではないはずです。

ではなぜもう一歩踏み出せないのか、殻を破れないのか、多くの指導者が研鑽を重ねているところだと思います。

そこに私の考え方がなぜ役に立てると考えたのか、その切り口というかものの見方が、残念ながら疎かにされているのではと思うからです。

5年ほど前、Jクラブからトレーニングコーチとしてチームの強化を手伝ってほしいという誘いを受けた時に、すでにその骨格は出上がっていました。

私が理想とするサッカー選手の理想像は、「90分間頭と体を動かし続けることが出来る」と言う能力を持った選手です。

世界の超一流選手はもちろんのこと、日本のJリーグに所属するクラブから声をかけられるレベルにある選手は、サッカーの底辺の広がった現在、特別な能力を持った選ばれた選手であることは間違いないことだと思います。

その個人の能力を、監督が思い描く戦術の中でどう活かし、自分の持っている個人の技術とミックスして90分間動き続けることが出来るかということが、選手に求められる最も重要な能力であると思います。

それが「足が止まる」という一言で片づけられてしまうサッカーの世界の固定概念に、どうしても納得がいかなかったのです。

スタミナ持久力という能力を得るために、過酷な走り込みが常態化し、故障者が絶えない中、それを乗り越えた選手だけが指導者の評価を得ることが出来ます。

しかし、どれだけそういうトレーニングをしたとしても、最後まで走り切ることが出来ないこともみんな分かっているはずです。

一対一のぶつかり合いに関しても、本来そういう状況にならないようにプレーできればそれが一番良いのでしょうが、そうはいかない状況の中で、日本の選手は体格に恵まれず、いわゆるフィジカルが弱いという烙印を押され、肉体改造の名のもとに筋力トレーニングに励み、人も羨む立派な肉体を手に入れたにもかかわらず、やはり海外の選手と渡り合って、日本の選手が強いという評価を受けるレベルにはありません。

この発想を続けて行く限り、永遠に目的に達することは出来ないと考えることは間違っているのでしょうか。

けっして諦めているわけではなく、発想を変えてそれらをクリアする方法を考える人がなぜいなかったのかと言いたいのです。

その一つの答えが、私の提唱する人間本来の体の仕組みを活かした、体づくりではなく動きづくりを前面に押し出したトレーニングの方法であり、それを基本とした体の使い方を身に付けようというものです。

それらを、クラブチームではなく、年に数回しかまとまってトレーニングや試合を行わない代表チームの選手たちにどうやって伝えるか、徒労に終わるかもしれませんが、そのことをまさに真剣に考えています。

最初から大上段に振りかぶって自説を説くのではなく、まずは選手の動きを分析し、改善点を見つけ出し、それを受け入れてもらうための人間関係を構築するところから始めなければなりません。

それぞれの年代を代表する選手たち、なかにはすぐにでもA代表から声がかかる選手もいるかもしれませんし、そういう選手を育てなければなりません。

目的ははっきりしています、3年後の2020年、自国開催される東京オリンピックでメダルを獲得できるチーム作りの一端を担うことです。

私がどうのこうのではなく、監督が思い描く戦術を90分間表現し続ける能力を身に付けてもらうことです。

現時点でも選ばれた才能の持ち主の彼らが、さらに成長していくきっかけを作ってあげることが出来れば、私の役割は十分果たせたことになると思います。

普段それぞれのチームで戦っている選手たちの元に足を運び、動きを確認し話をして新たな提案をして歩く、そしてみんなが集まって一緒にトレーニングを行う時に、3年後に向かって一歩ずつ着実に成長してくれる選手を、一人でも多く作って行きたい、そんなことを今考えています。

2020年東京オリンピック日本代表チームに私は必要とされるでしょうか。

久し振りの更新となりました。

ブログを書き始めてこれほどの期間、と言っても2週間くらいですが、更新しなかったことはなかったと思います。

さて昨日、日本サッカー協会から、2020年東京オリンピック日本代表の監督が、元サンフレッチェ広島監督の『森保一』君に決まったことが発表されました。

彼との出会いはJリーグ開幕の年、私が初めてサッカーのJクラブの一員として、トレーナーと選手の立場で出会うことになりました。

あれから24年、未だに個人的な縁が続いている唯一の人間です。

そんな彼がサンフレッチェから監督としてオファーを受けた時、スタッフとして私を是非呼んで欲しいと、フロントに掛け合ってくれたそうです。

当時は前監督の元、成績が低迷し、J1残留を至上命令として、経営状況も含めクラブの実情を最も理解している彼に白羽の矢が立ったようでした。

経営上の問題で有力な選手の補強もままならない状況の中、選手のコンディショニングやトレーニングで、現有戦力の底上げを図りたいと、私の力を必要としてくれたようでしたが、フロントからは「西本さんはね・・・」という言葉で、受け入れてはもらえなかったそうです。

そのことを聞いて、私も「そんなことを言われてまでチームのために働こうとは思わない」と、彼に言ったことも覚えています。

サンフレッチェに在籍したのは、Jリーグが開幕してからの3年間だけで、20年以上も前のことですが、昨日のことのように覚えていることがいくつかあります。

ひとつは、現在名古屋グランパスを率いる風間八宏君のことです。

そしてもうひとつの思い出は、森保一君とのリハビリの日々でした。

3年目のシーズン、6月の梅雨の時期、毎日降り続く雨に練習場の芝生が根腐れをしてしまい、異臭が漂うような状況になってしまいました。

ピッチコンディションは日に日に悪化し、ホームゲームの3日前と2日前には、ピッチでの練習を回避せざるを得ない状況にまでなってしまいました。

しかし試合前日、当時の監督はスタッフミーティングでその日の練習はピッチを使って行うと宣言しました。

私も事前に状況はチェックしていて、とてもじゃないけどこんな状況で練習を強行すれば、ケガ人が出ることは避けられないと抗議しましたが、「西本、サッカーの試合はどこで行うか知っているよね、明日は公式戦が行われるんだ、ピッチの上で練習しないでどこで練習するんだ」と、当然のように言われたことをはっきり覚えています。

それは監督として当然の判断だったかもしれません、しかし、その日のピッチの状況は想像を絶する酷さで雨も降り続いていました。

そんな状況の中で強行された練習の最中、私の危惧していたことが実際に起こってしまいました。

それが、当時の言い方に変えますが、ポイチの足首を襲った『脱臼骨折』という選手生命をも脅かすほどの大ケガでした。

駆け寄った私の目の前で、あらぬ方向に曲がってしまった足首を、自分の手でぐきっと捩じり、元の状態に戻した彼の姿は、生涯忘れることが出来ません。

色々なケガの現場に立ち会いましたが、私自身がくらっとなる体験はそれが最初で最後です。

どれほどの痛みだったか想像もつきません。

そのまま私が背負ってクラブハウスに運び、病院の手配をし、二人だけでロッカーで過ごした時間から、私の車に乗せ病院に運び検査を受け、その足で手術を受けるために別の病院に移動している間の彼の姿を絶対に忘れることは出来ません。

入院の準備のために駆けつけた奥さんの前では気丈にふるまっていましたが、私の前では悔しさと痛みと怒りが交錯した、人間『森保一』をぶつけてくれました。

彼を復活させるために、自分のできることを、いやできないことでも何でもやってあげたい、心からそう思わせてくれました。

当時はスポーツヘルニアという呼び方がされていた鼠蹊部の痛みに関しても、足首の手術後、同じ安静期間が必要なら、しっかり診てもらって本人と私が納得できる説明が得られたなら手術を受けようと、当時浦和レッズのチームドクターをされていた仁賀先生の元を二人で訪ね、診察を受けた結果、それならこの際手術を受けようと、彼をそのまま埼玉の病院に残して、などということもありました。

広島に帰ってからは、まさに彼の為だけに働いたというか、辞めるまでの半年間、他に何をしていたのか、何もしていない訳ではなかったと思うのですが、まったく記憶に残っていません。

彼を少しでも万全の状態にするまではチームを離れることは出来ないと頑張りましたが、シーズン終了間際にぎりぎり間に合い、そのシーズンをもってサンフレッチェを辞めることにしました。

詳しいことは書けませんが、自分の考えを曲げられなかったことが一番の原因で、その後の紆余曲折の人生も、その繰り返しだったと思います。

翌年から、地元広島の社会人野球チーム、三菱広島のコンディショニングコーチとして1年間仕事をしましたが、1月に練習を開始した直後に、彼は私の新天地に差し入れを持って陣中見舞いに来てくれました。

日本代表の花形選手がグランドに足を運んでくれたことで、選手たちの士気も上がり、私にとっても本当に有難い出来事でした。

その後は直接的なつながりは少なくなりましたが、オフには食事に誘ってくれたり、私の近況を心配して電話をくれたりという関係が続いていました。

サンフレッチェの監督になった後、風間八宏君からオファーがあったことを告げると、広島に残って欲しいと言ってくれました。

最初に断られたけれど、その後も折に触れて私をチームに呼び戻してほしいと言い続けてくれたようでした。

その後川崎に行ってしまいましたが、数か月で広島に帰ってしまうことになり、彼にはすべてを話しました。

それからはチームへの復帰は諦め、けが人や故障者が出て、チームのスタッフには任せきれないと彼が判断した時、私の電話が鳴り、時には彼自身が選手を連れてくることもありました。

選手からは、「監督がこんなに信頼している方なのに、どうしてチームに戻ってくれないのですか」と、必ず聞かれましたが、「昔のことがあってね、いろいろ難しいんだよ」と答えるしかありませんでした。

そしてもう一言、「僕はねサンフレッチェのために君たちを診ているんじゃないんだよ、ポイチのために頑張っているんだから、とにかくしっかり治してポイチのために頑張ってくれ」と付け加えました。

営業時間の幅を超え、彼らのために頑張ったのはどんな形でもポイチを応援したいという気持ちからでした。

そんな彼がいよいよ苦境に立たされ、J1残留さえ危ぶまれる状況になった時、サンフレを応援してくださっている方には申し訳ないですが、これは運命の流れが動き出したのだと感じました。

チームがそれなりの成績であれば、彼が解任されるなどということは絶対になかったはずです。

そうなると毎年主力選手を抜かれ、一からチームを立て直す作業を延々と続けなければなりません。

彼が理想とするサッカーを、自分の選んだ選手を使って、思いっきり表現して欲しい、私はずっとそう思っていました。

前任者から引き継いだ戦術は、J2に降格させないための、現状できる最低限のシステムにすぎなかったのですから。

幸か不幸か、解任という形であったとしても、彼はやっとフリーな立場を手にすることが出来ました。

そしてちょうどそのタイミングが、2020年のオリンピックを率いる監督を決めなければならないという時期だったのです。

これはもう運命だと私は勝手に思ってしまいました、彼以外には考えられないと。

解任のニュースが流れた後、「お疲れ様でした、少し休んで新たなステージでの活躍を期待しています」とメールしました。

彼からは、「苦しい時に助けていただいてありがとうございました」と、感謝の言葉が返ってきましたが、悔しくて仕方がない状況の中でも人を思いやることが出来ることに、やはり違うなと素晴らしい彼の人間性を感じました。

その後オーストラリアに勉強に行っているということを報道で知りましたが、9月の中旬、台風の影響が一番強く、不要不急の外出は控えてくださいと、広島に警報が出ているさなかの日曜日の午後、突然彼から電話がかかってきました、私の都合がよければこれから伺いたいのですが、というものでした。

もちろん断る理由などなく、自宅近くの喫茶店で彼の到着を待ちました。

そこで約1時間くらいだったでしょうか、お互いの現状、とくに彼の現状を詳しく話してくれました。

政治家の常套句ではありませんが、決まっていない仮定の話にコメントは出来ないと言いながら、もしこうなったらこんなことをやってみたい、こっちになったらこうしたいと、熱く語ってくれました。

私もそれに応えて、こうだったらこんな形で、こっちになったら引っ越ししてでも手伝わせて欲しいと、仮定のこととはいえ自分の思いを伝えました。

土砂降りの雨の中、帰って行く彼の車を見送りながら、今の会話は私に対する意思確認だったのか、それとも友人としての会話の延長だったのかと、真意を測ることが出来ませんでした。

家内が仕事から帰った後そのことを話すと、「もし森保さんがあなたを必要としてくれるのなら、どんな状況になってもそれを優先してください」と言ってくれました。

ただの世間話のために、こんな雨の中わざわざ来てくれるわけないでしょとも言ってくれました。

その言葉に勇気づけられ、改めて自分の気持ちをメールしました。

返事は「約束はできませんが、気持ちは受け止めました」というものでした。

その数日後、協会の西野さんと初めての接触があり、その後は何の支障もなく、昨日の正式発表に至ったようです。

彼がこうなって行くことは運命だと言いましたが、私が今、本気で彼をサポートすることが出来ると思える人間になったことも運命だと感じています。

タラレバを言っても始まりませんが、そのすべてがこのタイミングのために準備された出来事だったのではなかったのかと本気で思っています。

もし私が必要とされたとしたら、これまで積み重ねてきたことのすべてを活かして、トレーニングの常識を変え、動きづくりの重要性を知らしめ、90分間頭と体を動かし続けて、森保一監督が思い描く理想のサッカーを表現できる選手を育成したいと思います。

これまでの常識や固定概念を変えなければ、だれが監督になろうと協会の役職者が変わろうと、何も変わることはないと思います。

この2週間余り、現実には私がチームのスタッフになることは難しいことを十分わかっているつもりですが、万に一つ、もしそんな仕事をさせてもらえるのならと、頭の中がそのことでいっぱいになっていました。

知らない人が聞いたら、何を寝言を言っているんだと思われるかもしれません。

でも私は本気でそう思っていますし、それが出来ると思っています。

会社員を辞めてこの道に進んでから約30年、日本を代表する指導者と一緒に仕事ができるかもしれないという可能性が1%でもある人間になれたことを誇りに思います。

私はこれまでの人生で、自分からこうしたいと売り込んで仕事に就いたことがありませんでした、今回のことは人生で初めての自己アピールです。

コーチングスタッフはこれから決まるそうですが、私が必要とされることはあるのでしょうか・・・。



プロフィール

Author:西本 直
1993年、Jリーグサンフレッチェ広島を皮切りに、社会人野球三菱重工広島・協和発酵・ヴィッセル神戸・川崎フロンターレ、そして広島カープ佐々岡真司投手など、プロアマ問わず競技レベルのスポーツ選手から一般の方まで、トレーニングやメンテナンスの指導を行ってきました。
その経験と知識の蓄積を「西本理論」としてまとめ、一人でも多くの方に実践していただくことが、これからの私の使命であると信じ、このブログから発信していきます。
私の理論はスポーツ選手のみを対象としたものではなく、ビジネスマンや家庭の主婦まで老若男女すべてに当てはまる不変のものです。
指導や講演のご依頼も受け付けています。
実名でツイッターも書いていますので、チェックしてみてください。
また、2013年9月9日にConditioning Studio 操をオープンしました。
また、遠隔地にお住まいの方を対象とした動き分析とアドバイスを行っています。
詳細は「スタジオ操」のホームページ内の「遠隔サポート」をご覧ください。
「第25回西本塾」を11月18・19日の土日に開催を予定しています。
詳細はStudio操ホームページ内の「講習会情報」をご覧ください
尚、深める会も12月9・10日に予定しています。

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