片麻痺の患者さんから教えて頂いたこと

32歳、生まれ故郷の宇和島で個人開業した頃の話です。

宇和島で開業していたのはたったの2年間で、その後せっかく軌道に乗りかけた治療室をたたんで広島に来てしまい、紆余曲折があって今があるのですが、まだまだ未熟だった私にとって大きな経験となった出来事です。

一般的にそういう施設を訪れていただく方は、痛みに対する改善が一番の目的になっていると思います。

当然、その目的が達せられ痛みが軽減されると、継続してという方はほとんどいません。

一人の体を継続して診させてもらうことは、こちらの立場からすればものすごい勉強になります。

その方の生活様式や、身体的な特徴もある程度把握でき、施術の刺激がどういう形で作用し、体がどういう変化をしてくれるのか、それを知ることはどんなことにも勝る経験として、自分の中に蓄積されて行くのです。

ただそういう機会は滅多にありません。

まだまだ駆け出しだった私のところに来ていただける方も少ない中、実家が歩いて5分くらいしか離れていない、小中高と野球部の二つ上の先輩としてお世話になっていた方の、お兄さんから連絡がありました。

弟の同級生(この方も野球部の先輩です)から、私がこういう仕事を始めたと聞き、奥さんのお母さんを診て欲しいという依頼でした。

お話を聞くと、脳梗塞の後遺症で右半身に麻痺が残り、家に閉じこもって外に出たがらないとのことでした。

そんな方に私の技術がお役に立てるのか、正直まったく想像がつかず、どう返事をしていいものか迷いましたが、とにかく一度連れて行くからということで電話が切られました。

その方のお嫁さんが連れた来ていただき、型通り問診票の記入をお願いした時、お渡ししたペンが右手からスルリと抜けて床に落ちました。

右手の不自由な方にペンを渡し文字を書いてもらおうなどという、配慮のないことをしてしまったのです。

しかし、初対面であったにもかかわらず、気さくに対応していただき、事なきを得ました。

まずは足指もみから始め、体の様子を探りましたが、なにせ始めての経験で、どうすればいいのか全く分からないまま1回目が終了しました。

ただご本人は、気持ちが良くて体が楽になったと言っていただき、続けてみたいと言ってくださるのです。

気持ち良さまでは感じていただけたとしても、後遺症の機能回復という目標にはどうやったら近づけるのか、全く想像もできない私のようなもののところに、お金を払って来ていただいて良いものか、迷ってしまいました。

するとお嫁さんが、「義理の弟からあなたのことは聞いています、お金のことは心配しないでいいから、最低3ヶ月は通わせてあげてくださいと言われています」と、言っていただいたのです。

先輩は、私は信頼に値する人間だが、継続しなければ効果も期待できないと、最初からそう言われたというのです。

本当にありがたいことでした。

それから1年近くのおつきあいになりましたが、結果としてその方の体の変化は、私にとって掛け替えのない大きな自信になりました。

私はもちろん医師ではないし、理学療法士でもありません。

ですから、こうやれば絶対こうなりますなどということは立場として言うことはできません。

ただたくさんの方が、脳梗塞等の後遺症で不自由な生活を余儀無くされていることに、少しでも私の経験がお役に立てればと、この記事を書いてみることにしました。

最初は自分の意思で動かすことはほとんどできず、手足の末端には触られいるという感覚もありませんでした。

最初にやったことは、動かない右手右足ではなく、しっかり動かせる左手左足からアプローチしていきました。

そこで気づいたのは、左半身を動かしている時、本人の右半身が、自分の意思とは関係なくわずかではありますが微妙に反応しているということでした。

例えば左手を強く握る時、右手のひらにもわずかに動きが出るという反応です。

それを本人に伝え、今度は自分の視覚で自分の動きを確認するという作業を始めました。

専門学校時代に勉強した神経生理学ですが、興味を持って読んだ関連の書籍の中に、神経は中枢から末端に伝えることだけではなく、末端から中枢に伝えるのも仕事で、その途中が寸断された場合、両方からの刺激でつながり合おうとする能力があるという内容のことを読んだことがありました。

脳からの命令が筋肉に届かず、動かすことができないならば、まずは動いているという感覚を視覚で感じてもらおうと考えたのです。

脳の命令は脊髄から左右に分かれ左手を使おうとする時にも、同じように右手にも命令が行くというのは自分の感覚の中にありましたので、左手の動きの強弱が、右手の動きにも反映され、動かないと思っていた右手が、わずかでも動いているという事実を視覚的に認識することで、「あれ動いている」という喜びにも似た感覚が、最終的に中枢からの命令を受け取れるまでに回復して行くという過程を、何ヶ月もかかってとは言いながら、諦めていたものを改善させられたというご本人の喜びはとても大きなものでした。

半年を過ぎた頃、ご自分で下ろしたというお刺身を持ってきて頂き、「最初はボールペンも持てなかったのにねと」二人で喜び合いました。

もちろん元どおりというわけには行きませんが、外を歩くのも恥ずかしいと、ご自分のお家の庭や暗くなってからしか外に出なかったという方が、普通に生活し積極的に外出をするまでになれば、これはもう十分なのではないでしょうか。

保健所の主催で、定期的にそういう方の集まりがあって体操などを指導されていたようですが、その方のあまりの回復ぶりに、他の方から質問攻めにあったそうです。

このケースは私を信頼し一定の期間を与えていただいた、野球部の先輩の存在があったからこその、きわめて稀なケースだと思います。

自分の同居している親なら別ですが、結果がどうなるかわからない、後遺症のリハビリを、保険も効かない私のような施設で継続していただくのは、現実的ではないと思います。

ただ、この私の経験は、その後広島に来てからNHKの番組で、北欧の何処かの国で、体育館くらいある広いスペースに、ベッドが数え切れないくらい並び、スタッフが2人づつついた考えられないような恵まれた施設で行われたいた、リハビリの考え方や方法が、私のやっていたことにすごく近いもので、驚きとともに、間違っていなかったと安心しました。

動かないものを無理に動かし、すごく大変そうなリハビリの様子を見ることがあります、それも一つのやり方なのでしょう。

テレビで見たやり方、私がとった手法、それは患者さんにとって苦痛もなく自然に自分の回復状況を確認し、意欲を持って取り組める理想的なものだったのではないかと思っています。

今私が行なっている施術やOCT、また器具を使ったトレーニングにも、その発想は繋がっています。

私がそういうリハビリを依頼されることはもうないかもしれませんが、現在携わっている方々に、こういうこともあったのだという事実として知っていただければと思います。

人間の回復力、体の仕組みは、我々の想像力をはるかに超えたものがあると思います。

いろいろなことを経験しました、もっともっといろいろな人の役に立ちたいと思います。
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プロフィール

Author:西本 直
1993年、Jリーグサンフレッチェ広島を皮切りに、社会人野球三菱重工広島・協和発酵・ヴィッセル神戸・川崎フロンターレ、そして広島カープ佐々岡真司投手など、プロアマ問わず競技レベルのスポーツ選手から一般の方まで、トレーニングやメンテナンスの指導を行ってきました。
その経験と知識の蓄積を「西本理論」としてまとめ、一人でも多くの方に実践していただくことが、これからの私の使命であると信じ、このブログから発信していきます。
私の理論はスポーツ選手のみを対象としたものではなく、ビジネスマンや家庭の主婦まで老若男女すべてに当てはまる不変のものです。
指導や講演のご依頼も受け付けています。
実名でツイッターも書いていますので、チェックしてみてください。
また、2013年9月9日にConditioning Studio 操をオープンしました。
また、遠隔地にお住まいの方を対象とした動き分析とアドバイスを行っています。
詳細は「スタジオ操」のホームページ内の「遠隔サポート」をご覧ください。
「第25回西本塾」を11月18・19日の土日に開催を予定しています。
詳細はStudio操ホームページ内の「講習会情報」をご覧ください
尚、深める会も12月10日に予定しています。

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