指導対象が変わっても

高校生、それも女子チームが私のトレーニング指導のスタートとなりました。

そのあとを追いかけるように男子の野球部員、そしてそのことを噂に聞いた全国屈指の野球名門校である、松山商業の監督さんからも声をかけていただき、一施術者として故郷宇和島で開業した私の運命は大きく舵を切られていきました。

私が愛媛の野球小僧だった時代には、松山商業というのは特別な存在で、同じ町から松山へ進学する人もいましたが、その人たちは特別中の特別で、私も憧れこそしましたが実際に進路として選択するには敷居が高すぎる存在でした。

その松山商業の監督さんから、どこでどう調べていただいたのか、治療院を開いていた場所の目の前にあった実家に電話がありました。
ちょうどお昼時で、たまたま私もその場にいたのですが、電話を取った野球好きの父が、「松山商業の澤田監督と名乗っているが、お前知り合いか」と、怪訝そうな顔で取り次いでくれたことを今でもはっきり覚えています。

初めてお会いした澤田監督は、想像をはるかに超える、どう表現すればいいのでしょう、この人のためにお役にたてるのならと思わずにはいられない、熱い方でした。

その1年後に、広島に来てしまったため、指導は約1年間だけになってしまいましたが、そこでまいた種が思いのほか早く花を咲かせてくれ、4年後の平成8年には夏の甲子園大会で、あの有名な奇跡のバックホームという劇的なプレーで、全国制覇の偉業を達成されました。

私が指導させていただいた頃は、グランドには一種の殺気が漂い、たぶん今からは想像もつかない雰囲気の中で練習が行われていました。
正直、自分が選手としてこのグランドに立たなくてよかったと思いました。
私にはとてもついていける練習ではありませんでしたから。

そして日も暮れて、いつになったら私の指導が始められて、というよりも帰りの最終のJRに間に合うのだろうかと心配するほどでした。

当然選手たちもグランドの練習で疲れ果てているはずなのですが、彼らは一人として手を抜くことなくトレーニングに取り組んでくれました。

ベンチプレスとスクワットに関しては、自分の扱える最高重量と回数を記入してもらって、その数字を基準に他のメニューを決める参考にしていたのですが、自分がライバル視している選手どおしが数字を競い合って、いつまでたってもトレーニングをやめようとしないのです。

それが下級生であろうと上級生であろうと、私の手元にある記録票を見て、負けていれば報告せずにまた戻って重さを増やすということを延々繰り返すのです。

ただの負けず嫌いではありません、彼らは常に本気で戦っていました。

後にも先にもそんな気構えで迫ってくる選手たちを指導したのは、間違いなくあの頃の松山商業野球部だけだったと思います。

その後、縁あって広島に渡り、サンフレッチェ広島のトレーナーとして仕事をすることになりました。

サッカーは冬場の体育の時間に、ちょっとだけボールを蹴ったことがあるというレベルの人間だったので、環境というか雰囲気に違和感はありましたが、自分の力を生かせるのならと思い切ってオファーを受けました。

この後出てくる、私の施術者としての操体法をベースにした、いわゆる治療やコンディショニングが主な仕事だったのですが、すぐに気になったのはサッカーはこういうトレーニングをして、こういうケアを受けていますという既成概念というか、まあそれが当たり前だったのでしょうが、サッカー未経験でこういう仕事についた私の目から見ると、これは違うだろうという部分が色々と目についてきたのです。

痛いところができたから治してくれ、今日はとても練習がきつかったから体をほぐしてくれ、それはそれで間違いではないし、それが仕事だろと言われればそれまでなのですが、一歩進んで、ではこんなトレーニングを行っておけば、こういうところは痛くならなくて済むんじゃないのとか、この部分が使えていないから、こういう練習の時他の人よりしんどいんじゃないの、という私に言わせれば単純で素朴な疑問が湧いてきました。

どこも痛くありません、練習が終わってももっともっと練習したいです、なんていう選手はそういるものではありません。

それぞれ故障を抱え、痛みと付き合いながらサッカー選手を職業として、毎日グランドで戦っているのです。

それは単に試合で戦うという意味ではありません、チーム内での熾烈なポジション争いはそのまま自分の収入に直結します、生活が懸かっているのです。

私はそういう選手たちをピッチに立たせるために、精一杯の努力をしてきたつもりです。

時には厳しい言葉も使いましたが、すべては選手のためだと思って発した言葉です、それは今でも変わりません。

トレーニングの指導をしていて残念だったことは、「筋トレをしてシュートが入るんだったらいくらでもやるんだけどな」という、ある選手の一言でした。

野球のように、力が付けばボールが遠くに飛んでというような、目に見える効果はサッカーでは見せずらいのは確かです。
しかし、何度も言ってきた体作りではない動き作りのためのトレーニングは、サッカーのような競技にこそ必要なのです。

今年、短い期間でしたが指導させていただいたチームの選手で、そのことをしっかり意識してトレーニングを継続してくれて、私から見ても明らかに動きの質が良くなった選手がいます。
当然のように試合でも結果を残してくれるようになりました。

あるマスコミの方からインタビューを受けた時、「あなたは自分の仕事に対して褒められても嬉しくないだろうし、けなされても気にならないでしょう」と言われたことがありました。

その方自身は長い記者生活で、見る目はお持ちのはずなのですが、あえて私の仕事の専門性を理解して、こういう言い方をされたのだと思います。
初めての経験でしたが、私のほうがこの方から色々なお話を聞かせていただく機会を作れないものかとお願いしてしまいました。

残念ながら実現しないままにこうなってしまいましたが、いつかどこかでお会いできないものでしょうか。

ただの思い出話のようになってしまいましたが、今日言いたかったことは、女子であろうと男子であろうと、中学生であろうとプロ選手であろうと、本気で取り組めば必ず結果はついてくるということです。

中途半端な気持ちで、与えられたメニューをこなすだけのトレーニングは、グランドレベルでも室内のトレーニングでも自分を成長させることは絶対にできません、そんなに甘い世界ではありませんから。

こちらばかりが必死になっても、うまくいかないことだらけです、お互いが理解して作り上げていかなければなりません。

まだまだ力不足を痛感させられました。
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プロフィール

Author:西本 直
1993年、Jリーグサンフレッチェ広島を皮切りに、社会人野球三菱重工広島・協和発酵・ヴィッセル神戸・川崎フロンターレ、そして広島カープ佐々岡真司投手など、プロアマ問わず競技レベルのスポーツ選手から一般の方まで、トレーニングやメンテナンスの指導を行ってきました。
その経験と知識の蓄積を「西本理論」としてまとめ、一人でも多くの方に実践していただくことが、これからの私の使命であると信じ、このブログから発信していきます。
私の理論はスポーツ選手のみを対象としたものではなく、ビジネスマンや家庭の主婦まで老若男女すべてに当てはまる不変のものです。
指導や講演のご依頼も受け付けています。
実名でツイッターも書いていますので、チェックしてみてください。
また、2013年9月9日にConditioning Studio 操をオープンしました。
また、遠隔地にお住まいの方を対象とした動き分析とアドバイスを行っています。
詳細は「スタジオ操」のホームページ内の「遠隔サポート」をご覧ください。
「第25回西本塾」を11月18・19日の土日に開催を予定しています。
詳細はStudio操ホームページ内の「講習会情報」をご覧ください
尚、深める会も12月10日に予定しています。

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