痛みをどうとらえるか

高校生の指導から、一足飛びにプロサッカー選手を相手にすることになりました。
ちょうど20年前、Jリーグが誕生するまさにその時でした。

サッカーもプロという組織も、まったく知らない初心者でしたが、私に求められていることは明確でしたので特に戸惑うことはありませんでしたが、一から十まで新鮮な出来事ばかりでした。

ビブスだコーンだマーカー持ってこいと、当たり前のように言われても、さっぱり何のことか分からず、怪訝な顔をされる相手に、知らない人間もいるんだからちゃんと説明しろと逆切れしたこともあったぐらいです。

そんな私でしたが、チームにフィジカルコーチというトレーニングの専門職がいなかったため、体のケアをしていく中で、この選手にはこういうトレーニングが必要だと感じた時には、直接指導をするようになっていきました。

今でこそ室内の筋力トレーニングも当たり前になってきましたが、当時はまだまだ普及しておらず、ケガをした後のリハビリとしてのトレーニングや、雨が降り続いたときの補強運動程度の認識だったように思います。

そんな中で、チームの主将で名実ともに中心選手だった(あえてここでは名前を出しませんが)ある選手が、膝に大きな故障を抱え、プレーを続けながら完治させるのは不可能な状態で、それでも何とかチームのためにプレーを続けたいという彼の強い気持ちと、なんとかしてプレーをさせてあげたいという私の思いが重なって、奇跡的ともいえる状況で彼がピッチに立ち続けたことで、若手の選手たちも二人がどんなことをやっているんだろうと、興味を示してくれるようになりました。

膝に限らず、関節には適度なゆるみというか隙間があって、そのおかげで曲げたり伸ばしたりすることができたり、着地した時の衝撃を和らげてくれたりもしてくれます。

膝の関節は上下の骨が靭帯という組織で結合されていて、筋肉の収縮でその隙間が広げられたり狭められても、一定の間隔を維持して骨と骨とがぶつからないように調整してくれています。

膝のケガというのは、生理的な可動域を超えてしまうほどのストレスがかかってしまい、靭帯が耐え切れなくなって損傷してしまったり、付着している部分が剥がれてしまったり、骨と骨とが直接接触しないようにクッションの役目を果たしている半月板という組織が損傷したり、さらには半月板を通り越して骨自体の表面が傷ついてしまったりと、様々な病態があります。

その一つ一つの病態を完全な形で元に戻すのは不可能に近いことです。

ましてや原因を作ったサッカーというスポーツ動作を、プロのそれも一流選手としてのレベルを保ちながら回復させようというのですから、生半可な意識ではできることではありません。

しかし、彼はそれを見事に克服してピッチに立ち続けました。
私のことを評価していただくこともありましたが、やるのは私ではありません、彼の取り組む姿勢と痛みに立ち向かう覚悟は見事なものでした。

痛みというのは、自分を守るために絶対に必要な感覚で、たとえば間違って画びょうを踏んでしまい痛い思いをした人は、二度と踏まないように気を付けて歩きます。

同じ場所を歩くとき、足元が暗かったりすると、画びょうなどないと分かっていても歩き方がおかしくなって、ちょっとした突起物に対しても大きなリアクションを取ったりします。

あの痛みを二度と味わいたくないという心理が働くからです。
そうやって体を守ってくれます。

人間の痛みに対する感覚というのは、個人差がとても大きなものだと思います。

いつまでも痛みを忘れず、歩くことさえ恐れていては、自分本来の歩き方すら忘れてしまい、そのことが原因でバランスを崩し腰痛を発症するなどという例もあります。

痛みに対しては、その原因をできるだけ明確にして、この痛みは完全になくすることができるもので、なくなるまで動かない方が良いのか、それともある程度の痛みは許容範囲と認めて、一定のレベルまで落ち着いたら痛くても動くという選択をするのか、特にスポーツ選手には大きな決断が必要になってきます。

彼は後者を選びました。
そのための方法論として私が提案したことの一つが、膝の関節を支える筋肉を強化して、関節面ができるだけ接触しない状態を作ろう、極端に言えば膝に鎧を着せてしまおうということでした。

我々でもそうですが、ゆっくり歩いているときには筋肉の収縮がそれほど強くありませんから、体重に比例して膝の関節にかかる負担は大きくなります。

しかし、全力で走るという局面になると膝に関係するすべての筋肉は最大限に収縮しますので、膝の関節には一定の隙間ができることになります、私の狙いはそこにありました。

正しい隙間を作るためには、膝の運動を正しい角度で行わなければなりません。
トレーニング自体の角度調整が間違っていれば、そのこと自体で関節面に負担をかけてしまうことになります。
正確な角度と可動域、そして全力プレーを支えるための今までに経験したことのない大きな負荷、それらに彼は立ち向かってくれました。

練習の直前や、練習中にも私の徒手抵抗で筋肉が緩まないように刺激を入れて準備をする、練習後はいったんアイシングで炎症を抑え、場所を移動し器具を使ってトレーニング、そのあと鎧を脱がせ筋肉を休ませるためのケアをするいう毎日です。

そして試合当日も、徒手抵抗の刺激から始まり、ハーフタイムには力を緩めると痛みが走る彼を抱えてロッカーに戻り、後半への準備、試合が終わればまたケアと、休む間もなく彼の膝と向き合っていました。

治癒という言葉があります。

癒し治めると書きます、けっして治るとは書いていません。

痛みがあるから治っていない、痛みがあるから動けない、それも一つの考え方でしょう。

今はMRIという画像診断が手軽にできるようになり、小さな肉離れでも部位や範囲が特定できます。

ですから画像上に判断できる材料があれば、それぞれ病名がつく診断がされてしまうのです。
当然、それが消えてなくなったときが治癒であり、運動に対するGOサインということが素人目にも納得できる判断材料になっています。

本当にそうなのでしょうか、骨が折れましたレントゲン写真にもくっきり骨折線が見えています、当然無理はさせられません。
ではその線もきれいに消えて、骨としては完全に元に戻りましたという選手がトレーニングを再開しても、一向に元のパフォーマンスが発揮できないという例がたくさんあります。

肉離れでも同じような例はたくさんあります。
これ以上は具体例を出さなければならず問題がありますので書けませんが、痛いから動かしてはいけないではなく、ここが微妙な言い方になるのですが、ここまで動かすと痛いけれども、ここまでだったら動かしておいた方が後々のために必要だと、私は判断してリハビリに取り組んできました。
納得できる結果も残してきたつもりです。

彼のような例は少ないかもしれません、そこにはお互いの信頼関係というものが大前提にあったことは間違いありません。

それはきれいごとではなく、日々の積み重ねであったことは間違いありません、ぶつかりあうことがありながらも、試合に出続けたいという彼の思いと、それを実現させたいという私の気持ちが一つになった結果だと思います。

今後ますます医療もトレーナースタッフの仕事もシステム化されて、私のように感覚でものをいう人間は使いにくくなっているのかもしれません。

一日一日生活をかけてスポーツを職業として行っている選手たちに対して、誰にでもわかる一般論的な対応で良しとするなら、もう私のような人間は必要とされないし、同じような考え方をする人間は二度と出てこないかもしれません。

それが良いことなのかどうかは、私が判断することではありませんが。

そういう進んだ医療の中にこそ、私のような感性感覚を大切にする人間がいてもいいともうのですが、いかがでしょうか。
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プロフィール

Author:西本 直
1993年、Jリーグサンフレッチェ広島を皮切りに、社会人野球三菱重工広島・協和発酵・ヴィッセル神戸・川崎フロンターレ、そして広島カープ佐々岡真司投手など、プロアマ問わず競技レベルのスポーツ選手から一般の方まで、トレーニングやメンテナンスの指導を行ってきました。
その経験と知識の蓄積を「西本理論」としてまとめ、一人でも多くの方に実践していただくことが、これからの私の使命であると信じ、このブログから発信していきます。
私の理論はスポーツ選手のみを対象としたものではなく、ビジネスマンや家庭の主婦まで老若男女すべてに当てはまる不変のものです。
指導や講演のご依頼も受け付けています。
実名でツイッターも書いていますので、チェックしてみてください。
また、2013年9月9日にConditioning Studio 操をオープンしました。こちらもご覧ください。
また、遠隔地にお住まいの方を対象とした動き分析とアドバイスを行っています。
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