勝負へのこだわり

32歳で勤めていた会社を辞め、故郷に帰って治療院を開業した頃、その後の自分の人生をまったく想像すらできませんでした。

このままでは終わりたくない、その一心で働きながら夜間の専門学校に通い鍼灸師の資格を取りました。

しかし現実には、それがすぐに開業ということに結びつくとは自分でも思ってもいないことでした。

それがあることがきっかけとなり、半年後には会社を辞めて故郷宇和島で開業していました。

生まれ育った町で、人の役に立つ仕事ができると、素直に嬉しく思い、少しずつその目標が現実になるつつあると感じ始めて矢先に、広島に行くことを選んでしまいました。


いつもの口癖の人生あみだくじに、また大きな一本の線が引かれた瞬間でした。

スポーツトレーナーという言葉がまだ一般的ではありませんでしたが、私に与えられたというか、期待された役割は、肉体を酷使して戦うサッカー選手の体を、少しでも良い状態にして、練習に参加させ試合にでられるようにすることは、はっきりと分かりました。

選手の痛みやケガに対して、他の人ではこうはいかないだろうという結果を残していくことで、自分の存在意義を確認し、自己満足も得ることができました。

いわゆる腕のいいトレーナーと言われることに対して、もちろん悪い気はしませんでした。

少しずつ周りが見えるようになってきたとき、自分のやっていることは確かに選手に対して良い効果を生んでいるし、チーム全体の利益にもつながってはいるけれど、プロスポーツの現場にいる人間として、一番大事なものはなんだろうと考えるようになりました。

私の生まれながらの性格です、一つ事に満足してしまうとそれ以上のことをやりたいと考えてしまうのです。

チームにとって一番大事なこと、それは「試合に勝つこと」です。

そのために、監督以下コーチ、トレーナーをはじめ、クラブの運営に関わる全てのスタッフが一丸となってスクラムを組んで進んでいかなければなりません。

形の上では1年ごとの契約を交わす立場ではありましたが、クラブという組織の中では、会社員の時と同様、与えられた役割を全うする歯車の一員であるという自覚も必要でした。

勝ち負けの責任は、まず現場の全権を負う監督にあります、Jリーグではシーズン中であっても、成績不振による途中解任は、日本だけではなく世界中のクラブで日常茶飯事です。

プロ野球の世界では、日本的な発想からか、そういうことは稀ですが、現実にはやはり監督の責任というものは重いと思います。

そんな中で私は、自分のやっている仕事が現実として勝ち負けに直結しているという感覚を持つようになってしまいました。

歯車の一部としてではなく、監督という立場でもない私だけが感じる立ち位置を意識し始めたのです。

それは、私という人間がここにいなければ、この選手は今日この試合には出場できていない、そんなことを考えるようになったのです。

それはトレーナーという立場としてこそ評価されるものであって、それと勝ち負けは関係ないと言われるでしょが、選手層がそれほど厚くなかった当時のチーム事情の中で、この選手が出場してくれれば、この選手が出場できなければという問題は、まさにチーム力を左右する重大な問題でした。

悪く言えば、私はトレーナーという仕事の範囲を超えて、そういう意識を持ってしまったのです、思い上がりも甚だしい、立場をわきまえろ、そう思われるかもしれませんが、実際に私はそう思ったのです。

それはまさに自分が選手と一緒に戦っていることの証でもありました、「私は一生懸命やっています」、どんな立場の人でもそう言うかもしれません。

私は一生懸命やっているという言葉で自分のやっていることを評価することはできませんでした。

4週間はかかると診断されれば、3週間で復帰させてあげたい、動きに物足りなさを感じる選手には、それを改善するトレーニングを考えて行わせ、少しでも能力を向上させてあげたい、そんな気持ちが一瞬たりとも頭の中から消えることはありませんでした。

練習中も試合の時も、まるで自分が走っているような感覚に襲われ、怪しい言い方になりますが、選手が痛めた箇所が私も痛く感じたりということさえありました。

私の思いは選手にも、そして当時の監督であるバクスターさんにも通じたようで、私の仕事の範囲はどんどん広がり、どうでもいいことですが、一言トレーナーと書かれていた名刺の肩書きも毎年変わっていきました。

何も知らずに飛び込んだプロスポーツの世界、一番楽しい時期でした。

それが監督が変わり、クラブとしての方針も変わったことで、私はトレーナーという枠の中に押し返されてしまいました。

そうなると自分がこのチームの勝ち負けに関与しているという感覚はどんどん薄れ、自分の存在そのものが本当に必要とされているのかさえ疑問に感じるようになりました。

それでもその年には、主力選手の大きなケガが相次ぎ、元のトレーナーとして大きな責任を負う仕事があったため、その時の選手やチームとしては、やることはきっちりやってくれていると思われていたのかもしれませんが、自分の中での勝負に対するこだわりは、まったく感じることができませんでした。

その後、社会人野球のチームやプロ野球選手の個人トレーナーとしての仕事もしましたが、私の仕事は個人の成績を向上させることであり、チームを勝利に導くことであると思い続けてきました。

もちろんチームであれば監督がいてコーチがいてという組織ではありますが、私の中にある勝つためにはこうした方がいいという、頑としたものがあり、それが生かされない環境であると感じたときには、もうそこにいる必要がないと思ってしまうほどでした。

様々な要素の中で戦力を整え育て、戦っていくなかで意見の相違があるのは仕方のないことですが、ここは譲れないという部分は如何ともしがたいものがあるのです。

勝っても負けても反省は残ります、もっとこうしておけばよかった、これも教えておけばよかった、いろいろなことを考えますが、修正点が見つかったときにそれを実行に移せる環境であるかどうかが、私にとって一番大きな問題なのです。

言いたいことも言えないままに負けてしまうのであれば、もうそこにいても仕方がないのですから。

個人を相手にするときにはなおさらです。

やってほしいことやらせたいこと、身につけてもらわなければならないこと、私の頭の中には溢れるくらいたくさん入っています。

例えばシーズンオフのこの時期にはこういうトレーニングをやらせたい、シーズン前の始動時にはこういうトレーニングから始めさせたい、結果を残すための最善の方法を取ってもらいたい、個人として契約する場合には、選手本人以上に結果に対して、私の方が大きな責任を負うと本気で考えていました。

野球の投手は、その動作そのものを改善することで必ず結果が変わります、スピードもコントロールも持久力も、もちろん打者を打ち取るという投手本来の目的も含めてです。

ですから、できれば年間を通してそのすべてに関わらなければ、本当の意味で私の思った通りの結果に結びつけることはできません。

佐々岡投手とは9年間一緒に戦いましたが、正直私の思っていることの6割くらいしかできなかったように思います。

それでも彼は立派な成績を残してくれました。

すべて私の思った通りのことをやらせてくれたら、それ以上の成績が残せたのか、あまりの窮屈さに離れていったのか、今となってはもう分かりません。

そういう部分に関して完全主義者である私は、こういう関わり合い方では、自分の納得できるような指導ができないから、来年の契約は無しにしようと、何度言ったかわかりません、その度に、今のままの関係でやらせてくださいという、彼の言葉に、まあいいかと続けてしまったのも私ですが。

それでも9年間にわたり一緒に戦いましたが、その日数を数えると、チームの人間ではない私と過ごした時間はとんでもない日数になります。

彼ほどの選手でも、一朝一夕に指導したことを身に付けていけたわけではなく、毎日毎日の地道な努力であったことは明らかです。

昨年末、その彼から連絡があり、新たな選手の指導に取り組みましたが、思ったような結果を残すことができませんでした。

同じことというより、あの当時より指導の仕方も要領を得た教え方ができていると思いますが、環境が違いすぎました。

もっと数多くの時間をかけられると思いましたが、ここを訪れてくる回数が少な過ぎて、本当の意味で頭と体が理解しているという状態にまでは至っていませんでした。

今回はある程度こういう状況も予想できていたので、過剰な感情移入はしないように、また結果責任も感じすぎないようにと、当初は思ってスタートしましたが、どうしても気持ちは抑えきれず、ストレスのたまるシーズンとなりました。

やはり目の前で自分の目で見て感じたものを直接伝えるという作業でないと、画面を見て感じたことを、言葉や文字では絶対に伝わらないものだということを、今回改めて痛感しました。

本気で私の指導を受けいれるという選手の覚悟と、結果責任まで負うんだという私の覚悟がなければ、そう簡単に結果を残せるほど甘い世界ではないということです。

難しい立場です、チームの一員であれば、特定の選手だけのための指導に多くの時間を割くことはできないでしょうし、こうして個人で仕事をしていれば、正面切って組織の中に入っていくこともできない、本当に選手のために仕事をして結果を残すためには、どういう形が一番いいのでしょうか。

散々いろいろやってきて、今頃何を言っているんだと言われそうですが、一つ所にとどまって、次々と入れ替わる選手を相手に、波風立てず最低限のことをやっていればいいという仕事は絶対にしたくないし、個人相手では組織の壁があるし、自分ならこうできるという思いがあるだけに、忸怩たる思いにかられます。

ここまで自信を持って言い切れる根拠は何かと言われても、返事のしようがないのですが、私が誰にも負けないと思うところは、勝負に対するこだわりと結果責任に対する覚悟です。

中途半端な気持ちで仕事はしていません、私の能力を発揮させてくれるのは、選手の本気度以外にありません。

その熱さの度合いはすぐに分かります、言葉使い目の輝き、私の接する態度そのままが、私の目の前に立つあなたの本気度のバロメーターです。

私に一生懸命指導してもらったと思ってくれる人は、あなたが一生懸命だったからです。

私の熱さを感じた人は、あなたの熱さが伝わってきたからです。

私につまらないことを言われた人は、あなたがつまらないと思って私の前にいたからです。

一般の方の施術も同じです、自分の体と真剣に向き合い、本気で自分の体を改善しようという気持ちがない人には、私の気持ちも技術も届きません。

すべてはその瞬間瞬間の勝負です、無駄に時間を使いたくはありません。

少し気合が入りすぎました、私なりに思うことはたくさんありますが、結果にこだわり続けてきた結果、見えてきたものがあるということです。

最後に、トレーナーという呼び方、今までにも違和感を覚えたり他に自分のやっていることをうまく表現できる言葉はないかと考えたこともありました。

今朝ふっと思いついたのですが、私は自分が果たせなかった夢を、実現可能なポジションにいる選手や、本当にこれからその夢に向かって羽ばたこうとする若者に対して、大きな船が港に入港するときに先導して案内する「水先案内」に例えて作られた造語だと思いますが、山口百恵さんのヒット曲のタイトルである「夢先案内人」と呼んでもらえたら一番嬉しいのかなと思いました。

いくつになっても夢を追い続け、その先導役として同じ夢を見させてもらえる、いい仕事をさせてもらっていると思います。

(今日はiPadの調子が悪いのか、色を変えたり太字にしたりという加工ができません、いつも以上に読みにくくてすみません。)
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プロフィール

Author:西本 直
1993年、Jリーグサンフレッチェ広島を皮切りに、社会人野球三菱重工広島・協和発酵・ヴィッセル神戸・川崎フロンターレ、そして広島カープ佐々岡真司投手など、プロアマ問わず競技レベルのスポーツ選手から一般の方まで、トレーニングやメンテナンスの指導を行ってきました。
その経験と知識の蓄積を「西本理論」としてまとめ、一人でも多くの方に実践していただくことが、これからの私の使命であると信じ、このブログから発信していきます。
私の理論はスポーツ選手のみを対象としたものではなく、ビジネスマンや家庭の主婦まで老若男女すべてに当てはまる不変のものです。
指導や講演のご依頼も受け付けています。
実名でツイッターも書いていますので、チェックしてみてください。
また、2013年9月9日にConditioning Studio 操をオープンしました。こちらもご覧ください。
また、遠隔地にお住まいの方を対象とした動き分析とアドバイスを行っています。
詳細は「スタジオ操」のホームページ内の「遠隔サポート」をご覧ください。

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