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生涯一トレーナー「西本直」が話しておきたいこと

木を見て森を見ずにならないために、丸ごとひとつの体と仲良く付き合っていきましょう

深める会を終えて、改めて気づいたこと。

「西本塾を深める会」、日・月の二日間4名の方に参加していただき無事終了しました。

秋の大型連休中にもかかわらず参加してくれた、高い志と熱い気持ちを持った方々と一緒に過ごせて時間は、私自身にとってもとても貴重なものとなりました。

西本塾という形の勉強会を始めて、すでに2年近い歳月が過ぎました。

様々な立場で様々な目的を持った方々に参加していただき、その数は100人を超えました。

毎回私の持っているすべての力を振り絞って、わざわざ来てくれた皆さんに対して期待を裏切らない内容を届けたいと頑張っています。

その思いは参加してくれた一人一人に届いていると信じています。

そして、それぞれが自分の目的に応じて何かを学び、それぞれの環境で活かしてくれていると思います。

西本塾自体に複数回参加してくれた方もありますが、基本的には西本塾の二日間で、西本理論の基本となる私の体に対する考え方と、それをベースにした実技を一通り見て感じていただけるような内容にしています。

ブログを読み、各種の媒体で発表した私の考え方に触れ、その上で二日間私から直接指導を受けることが出来たのですから、その方なりに西本理論とはこういうものだという理解は出来たと思うのは当然のことかもしれません。

そんな中、私自身回を重ねるごとに自分の考えていることが変化し、参加してくれる人たちに求めるものも変わっていることを感じています。

言葉は悪いですが、1回2回で分かったような気になっている人たちに対して、当初はそれぞれの理解の中で、私の理論を自由に使ってくれればそれだけでも、今までに比べれば大きな変化をもたらすことができ、私の出会うことのない誰かのために十分役に立つことができる、ならばそれで十分ではないかと思っていました。

初めて参加してくれる人を対象にした西本塾ではなく、二日間の西本塾を終えた方が対象の深める会も、西本塾と隔月で、2か月に一度の開催で回を重ねてきました。

私が本当に西本理論と呼べるものを伝えられるのは、この深める会に参加してくれる人たちではないかと思うようになりました。

確かに西本塾では二日間という短い時間ではありますが、その中で少しでも多くのことを知ってほしいと、精一杯話し続けています。

しかしそこで伝えられることは、私がこれまでの20数年で培ってきたことのほんの一部にしかすぎません。

そこから先は、学校の勉強のように、西本塾で学んだことを基本的として、順序立てて学べば、誰でも同じレベルに到達することができるという世界ではありません。

ここまで学べばいいとか、正しい答えはこれですとかいう、到達すべき目標というか設定できるゴールがないからです。

深める会も当初は、西本塾では人数の問題もあり、「からだほわっと」や「オクタントトレーニング」そして、「操体法の実技」においても、私から直接手を触れて体験できる人が限られるため、自分も直接体験したい、またその後見よう見まねで練習してきた実技を、直接私に行うことで評価を受けたいという気持ちで参加してくる人が多かったように思います。

当然のことだと思います、施術を業としている人であれば、日々接する患者さんに施す施術の、一つの技術として自分の引き出しを増やしたいと思って受講してきたはずですから。

そういう目的で参加してきた人は、そこで一つの目的を達したのですから、それ以上何度も深める会に参加する必要はないと思います。

そんな中でも、今回の参加者も含め深める会に何度も参加してくれる人がいます。

その方たちも実は参加する目的は同じで、自分の技術の向上を確認したい、自分のやっていることに自信を深めたい、そんな気持ちで参加してくれる人が多いと思います。

私もその目的に沿って、参加者のメンバー構成を考慮して、二日間の内容を決めるようにしてきました。

今回は特に、それぞれの目的が明確で、私自身それぞれの方に対する思い入れが強かったため、今までにも増して気合が入っていました。

もう二日間があっという間でした。

そして最後の全体総括の時間の中で、とくに千葉から参加してくれた望月さんの言葉に、私自身考えさせられることがありました。

彼はある意味、西本塾の中でも優等生だと思います、学ぶ姿勢、それを継続して実践する行動力、もしかしたら100名を超えた受講者の中で、走るという自分で行っている運動、そして施術者、また子供たちを相手の体操教室の講師として、西本理論を最も有効に活かしてくれている人ではないかと思います。

他にも、自分だって頑張っているという方がいるかもしれませんが、彼のように自分の活動内容をブログのコメント欄やツイッターを通じて、私に届けてくれていなければ、皆さんの活動を私が知るすべはありませんから。

そのやり取りの中で、申し訳ないですが、それは違うよと言う部分があったとしたら、それを指摘することがあるかもしれませんし、良い方向に進んでくれていると感じさせてくれれば、私も安心して遠くから応援していればいいと思えます。

残念ながらそういう受講者がほとんどいません。

皆さんにとっては数ある勉強会や講習会の一つで、私もその指導者の一人にすぎないかもしれません。

私の「西本理論」が、そういう評価しか受けられなかったとしたら、それはそれで仕方がないことなのかもしれません。

望月さんは、その中でも西本理論を深く学び追求したいと思ってくれている一人でした。

だからこそその実践は、私から見れば他の追随を許さないくらい素晴らしいものだと感じていました。

本人もその自覚とプライドを持って、仕事とプライベートのマラソンに活かしてくれていますから、今回の参加の目的も、今まで高めてきたレベルを、さらに高めるためのきっかけにしたいと意気込んで来たようです。

その表れが、マラソンを走るための体のエネルギー源と栄養をテーマに、前日の夜も時間を取って話をしてほしいという行動を起こさせたのだと思います。

素晴らしい行動力です。

ところが彼のその自信とプライドは、初日の施術をメインとした実技の中で大きく音を立てて崩れてしまったというのです。

自分が分かったような気持ちになって日々の仕事に活かしてきた技術や、もう「西本走り」という名前まで付きかけた走り方も、自分なりにマスターして、さらにスピードアップのための体の使い方はと言うテーマを持ってきたはずだったのに、まったくそれ以前のところで、自分で自分の体がどうなっているのかという現実に気づいていなかったという事実を私に突き付けられ、自分は何を学び何をやってきたのだと、まさに叩き落されたような気持ちになったというのです。

私が深める会の参加者に求めているのは、まさにこういうことなのではないかと思いました。

私が伝えたことを分かったとかできたというのは簡単ですが、「何が分からなかったのか何を理解できていなかったのか、何が出来ていなかったのかが分かったような気がする」、まさにここに気づいてくれなければ、「深める会」は、ただのおさらい会になってしまうのです。

西本理論はそんな簡単なものでも薄っぺらなものでもありません。

私自身その全容は未だ見えてきませんし、昨日考えていたことと今思っていることは少しずつ変わっていくし、当然ですが1年前2年前に自分がこれだと思って西本塾で伝えたことと、昨日一昨日話したことは全然違うことかもしれないのです。

確かに西本塾でお話しする初日の座学の部分は変わりません、人間の体を相手にしている限り、あの中でお話する部分はもう変わることがあってはならない不変なものを見つけていると思っていますから。

それさえ、もしかしたら変えなければならない日が来るかもしれません。

毎日様々な人間を相手に積み重ねれらていく経験の中で、私自身が新たな気づきを与えてもらっているからです。

地上にある枝葉や、綺麗に咲いている花の部分は、誰の目にも見えていますが、地中に埋まる根っこの部分こそ、日々その根を広げ土台を安定させ、栄養を枝葉に送ってくれています。

その根っこの部分がどうなっているか、そこを知りたいという気持ちになった人が、深める会に参加する本来の意義を見つけ出した人たちでしょう。

そんな人たちと過ごす時間こそが、「私自身を深める会」にしてくれています。

今回も本当に充実した時間を共有させてもらいました、参加者それぞれの皆さんに心から感謝します。

二日目の午前中、好天にも恵まれ、いつものようにみなと公園の広場で、走るという動きの実技を行っている時、もう当たり前のことになってしまっていて、改めて言葉に出したことがありませんでしたが、皆さんの走りを見ながらふっと思うことがありました。

私が提唱し実践している走り方は、人間という二足歩行の動物に与えられた機能を無理なく無駄なく利用して、速く移動するためにはこういう体の使い方がベストであろうと考えたものです。

その効果として、体の負担が少ないため肉離れ等のケガを誘発しにくいとか、サッカーであれば90分間、頭と体を動かし続けることができるとかいう効果がありますと言ってきました。

実際に室内のドリル等段取りを経て公園に出てくると、一人の例外もなく、普段ほとんど走るという行為を行っていない人であっても、私の要求通りに何度も何度も50メートルほどの距離を走り続けているにもかかわらず、膝に手を置いて大きな息をしたり、合図をしても息が整っていないからちょっと待ってくださいと言う人が一人もいないのです。

1時間近く外で各種の実技を行いますが、疲れたという言葉が出るどころか、こんなに走っているのにどうして疲れないのだろうとお互いが顔を見合わせることさえあるのです。

そんなことは私にとっては当たり前で、それを実感してもらうために行っているのですから、私自身何の不思議も感じたことはありませんでした。

それが今回、22歳28歳31歳44歳と幅広い年齢層の参加者に加え、57歳の私が加わり、普通に考えればこの年齢差の5人が、同じドリルを同じようにこなし、全員が走るスピードも遜色なく、体の使い方、いわゆるフォームに関しては44歳の内田さんが最も私の求める動きを忠実に再現してくれているという事実は、よく考えるとこれを驚かずして何を驚くのかというくらい、衝撃的な事実が目の前で繰り広げられていると思いました。

その内田さん、初参加の時は私から何度もダメ出しをされ、正直染み付いた動きをこの人は変えられないと思いました。

二度目の参加の時にはそれでも大きな変化が見られ、相当悔しかったのだろうな、これは必死で練習してきたぞと言うのが分かりました。

そして今回、見事に動きをマスターしてくれました。

私を含め5人が並んで走ったら、誰が一番早く走れるか分からないほど、それぞれが良い動きを身に付けてくれました。

普通に考えれば、20代や30代そこそこの男性が、44歳や57歳という年齢の人と一緒に走っていること自体が日常ではなく、ましてやスピードで負けるかもしれなという現実は受け入れがたいものではないでしょうか。

それが現実として目の前で展開され、それを悔しいともおかしいとも思わないことが当たり前になっていくのです。

若いから速い、筋力があるから速いではないことが自然と受け入れられるのです。

楽には走れるようになったけれどスピードが出ないという感想もありましたが、この走るという行為そんな簡単にマスターできるものではありません。

まさに根っこの深い、追い求めるにふさわしいテーマです。

今回奥の空き地では、小学生のサッカー大会が行われていましたが、応援に来ているお父さんや、私の年齢に近いお爺ちゃん、そして指導しているコーチの中から、我々5人と同じ年齢構成の集団を作ったとして、我々より速いスピードで走れるグループあるでしょうか。

44歳や57歳という年齢で、これだけのスピードで走れる人が何人いるでしょうか。

それも体に無理なく息も上がらない走り方で。

周りを見渡しながら、参加者の皆さんにもこんな話をしました、「僕たちってすごいことやってるんだね」と。

これが当たり前のことなのです、44歳だから57歳だから走れるわけないじゃん、そんなの常識じゃないのです。

サッカーでも野球でも30歳を過ぎればベテランと呼ばれたりするようになってきます。

一昔前のギャグですが、まさに「そんなの関係ねえ」です。

私の理論と実践はまだまだ知られていませんし、固定概念に縛られている人たちから見れば常識外のことかもしれません。

今回4人の参加者と一緒に走って改めて思いました、「こっちが普通だぞ、こっちが常識だぞって」。

ボールを追って走り回っている子供たちが、みんな私の走り方が当たり前だと思って育って行ってくれて、技術が向上し高度な戦術を身に付けて行ってくれたとしたら、日本のサッカーはどんなレベルにまで到達できるのでしょう。

そのためには、そういうことを知らないで育ってきた大人たちが変わらなければ、絶対に何も変わらないのです。

指導者でも父兄の中から、一人でもいいから私たちのところに足を運んで、「何やってるんですか」と興味を持って声をかけられる日は来るのでしょうか。

今回の参加者のお蔭で、改めて自分のやっていることに自信が持てました。

いつまで続けられるか分かりませんが、咲いた花の綺麗さに目を奪われることなく、枝葉のバランスの美しさでもなく、目に見えない地中に根を張る根っこの大切さに気付いてくれる仲間を一人でも増やす活動を行っていきたいと思います。

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