私にとって忘れてはいけない「初心」とは。

いつもブログを読んでいただきありがとうございます。
誰に対して発しているものなのか、私自身よく分かりませんが、自分の考えていることを言葉にする作業を続けています。

面白くもない独り言のような、延々と文字だけが連なる、読みにくいことこの上ないブログですが、多い日には100人を超える方が目を通していただいていることに、感謝以外言葉がありません。

さて昨日の月曜日、家内のパートの休みと重なったので、隣町の呉市にある「大和ミュージアム」に行ってきました。

見学するのは三度目になると思います。
一度目は覚えていませんが、二度目は今は亡き私の両親が、長年携わった食品衛生協会の全国表彰を受けることになり、その表彰式が広島で行われるということで、夫婦揃って初めて広島にきてくれたときに、父のたっての望みで大和ミュージアムの見学に行きました。

父は15歳で志願兵として徴兵され、海軍の通信兵として従軍していたそうです。
そして終戦間近、沖縄戦の支援に向かった戦艦大和と一緒に航行中に、大和撃沈の無線を受け、基地に帰還命令が出たそうです。

大和以下、9隻の駆逐艦が囲むように艦隊を組んでの航行だったようでしが、右後方に位置していた父が乗る駆逐艦「雪風」は連合軍の砲撃を免れ運良く帰還できたそうです。

多くの海戦を経験しながら、終戦まで沈まなかった雪風は強運艦とか幸運艦と呼ばれることもあったようですが、訓練が行き届いた本当に頑張った艦だったようです。

逆に、一緒に出撃した他の艦船が大きな損害を受けることも多く、違う言われ方もしていたようでした。

こんな話も、自分の父が戦艦大和とともに出撃していたという事実を知らなければ、きっと興味を持つこともなかったと思います。

あの時、雪風の模型を見つけて、食い入るように見つめていた父の顔が目に浮かびます。

当たり前ですが、船は海に浮かんでいますから、船の下側を見たことはないので、いろいろ思い出話を聞かされながら、なかなかその場を離れようとしない父をじっと待っていました。

写真をつなぎ合わせて、大きなパネルのようにして送ったことを覚えています。

私が生まれたのは敗戦から13年を経た昭和33年、高度成長に沸き立ち、戦争のことも少しずつ語られなくなった頃でしょうか。

しかし、街には戦争で手足を失った傷痍軍人の方がたくさんおられ、子供ながらに大変そうだなと思ったことも覚えています。

今の世の中で、こんな話を自分の子供達にしても、興味を持つどころか、バカなことをしたもんだねで終わってしまいます。

今、私がこの歳になって、自分の子供たちを戦地に送り出すなどという状況は想像すらできません。

世界には、今日、今現在も戦場と化している地域がたくさんあるのはなぜなのでしょうか。
尊い人の命を奪っても、何も得るものがないことは歴史が証明しているはずなのに。

他国はどうでもいいということでは勿論ないのですが、日本の今の平和が続いて欲しいと祈るしかありません。

柄にもないことを書いていますが、今回見学で、改めて自分にとっての初心とはどういうものだったのかと考えました。

明日をも知れぬ命と覚悟を決めた特攻隊員の、家族にあてた遺書とそれを読む肉声を聞き、改めて自分が生きている意味を考えないわけにはいかない気持ちになりました。

私がこの仕事を志した一番のきっかけは、子供の頃から大好きだった野球を、高校の途中でやめてしまったことだと思います。

理由は色々ありますが、一つは体の故障です、体が細く力もなかった私は、それでも夢を持って真剣に努力をしていたつもりでした。

しかし、その努力の方向性というか、何が自分にとって必要なことで、何が正しいことなのか、まったくわからないまま闇雲に頑張っていたように思います。

当時の子供としては当然のことだったかもしれません。

それが大人になり、こういう道を目指すようになってきた時に考えたのは、今の自分のような人間が身近に居てくれれば、自分の人生はもう少し違ったものになっていたのではないかということです。

それが働いていた東京を離れ、故郷宇和島に帰って開業することになった一番の理由でした。

2年間という短い期間でしたが、まさに私が思い描いていたような、中学生高校生で部活に励んでいる子供たちの、駆け込み寺のような存在になっていました。

若さに任せてどんな無理難題にも応えて、彼ら彼女らのために必死で仕事をしていたと思います。

それが私の初心であり、なりたい自分であったはずです。

あれから26年、様々なことがありました。

そして今、私の元を訪れてくれる、あの頃のような純粋な若いスポーツ選手の数はほんのわずかです。
私が歳をとってしまい、あの頃のような兄分のような存在ではなくなったせいかもしれません。

スポーツのそして勝負の世界にどっぷり浸かり、プロのチームやそれに準ずるレベルのチームや選手を相手に仕事をしていた期間が長かったためか、私はそういう人間たちしか相手にしないと思われてしまった部分もあるのかもしれません。

もちろんそんなことがあるはずはありません。

現在行っている競技をずっと続けるわけではないのでしょうが、中学生でも高校生でも3年間汗を流して頑張った仲間たちと一緒に試合に出たい、そう思わないはずがありません。

少々の痛みなら、なんとか我慢してでもプレーをしたい、そんな気持ちを応援する保護者の方や教員の姿を、あの頃たくさん見てきました。

今の私の仕事の形態は、しっかり週休二日の休みを取り、時間もきちんと定めています。

昔のように体の続く限り、どんな状況にも対応します、とは言いきれません。

それでももし、時間外や休日であっても、なんとかして欲しい、こちらもそういうことならなんとかお役に立ちたい、そう思える状況があるならば、それに応えることも私の使命かなと思いました。

人の信頼を得て、それに応える、そして笑顔で帰っていただける、我ながら素晴らしい仕事を選び続けてきたのですから、もう一度初心に返って自分のできることをやっていきたいと思います。

スポンサーサイト

Trackback

Comment

Post a comment

Secret


プロフィール

Author:西本 直
1993年、Jリーグサンフレッチェ広島を皮切りに、社会人野球三菱重工広島・協和発酵・ヴィッセル神戸・川崎フロンターレ、そして広島カープ佐々岡真司投手など、プロアマ問わず競技レベルのスポーツ選手から一般の方まで、トレーニングやメンテナンスの指導を行ってきました。
その経験と知識の蓄積を「西本理論」としてまとめ、一人でも多くの方に実践していただくことが、これからの私の使命であると信じ、このブログから発信していきます。
私の理論はスポーツ選手のみを対象としたものではなく、ビジネスマンや家庭の主婦まで老若男女すべてに当てはまる不変のものです。
指導や講演のご依頼も受け付けています。
実名でツイッターも書いていますので、チェックしてみてください。
また、2013年9月9日にConditioning Studio 操をオープンしました。こちらもご覧ください。
また、遠隔地にお住まいの方を対象とした動き分析とアドバイスを行っています。
詳細は「スタジオ操」のホームページ内の「遠隔サポート」をご覧ください。
西本塾を深める会を9月10日(日)に開催を予定しています。
詳細はstudio操のホームページ内の「講習会情報」をご覧ください。

最新記事

カレンダー

07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

カウンター

検索フォーム

QRコード

QR