走るという行為がすべての運動の基本と考える理由。

昨日書いた記事をもっと自分の言葉で整理しておかなければと、今日も文字を書き連ねて行きます。

私は技術という言葉を、「自らが意図(企図)した筋肉の収縮活動を、反復継続して行うことのできる能力」と定義しています。

人間の体が動くという現象は、骨と骨が構成する関節の角度が、筋肉の収縮によって角度を変えるということに他なりません。

筋肉はその両端が腱という組織に移行し、骨にしっかりと付着していることで、脳からの指令で筋肉の収縮が起こり、一つまたは二つの関節をまたいだ筋肉がそれぞれの骨を引っ張り合うことで関節の角度が変わるというわけです。

ですから「筋肉の仕事は骨を引っ張ることで、それ以上でも以下でもない」と言っているのです。

とてもシンプルな仕組みですが、これがとんでもなく複雑に連携して、体全体の連動を作り出しています。

では走るという行為に置き換えてみるとどうでしょう。
人間が走るという行為を行う必要があるのはどういう時でしょうか、歩いているスピードでは間に合わない時、これしかないと思います。

今でこそ、歩くことや走ることが健康づくりの手段となっていますが、つい100年くらい前までの日本でウォーキングやジョギングをしている人を日常的に見かけることはなかったと思います。

目的地に早く着きたいから、少し急いでいるから、他の人に遅れないようについていかなければならないから、とにかく必要に迫られた結果だったと思います。
おそらくはだれかと競うということはなかったと思いますから、目的地までの距離を考えそれぞれにできる範囲のスピードアップだったでしょう。

その際、体をどう使おうなどと考えることはなかったと思います。
意図したことは、目的地に早く着きたい、それだけだったと思います。

スポーツを行う場合、それがレクレーション的なレベルであろうと、プロやそれに準ずる競技レベルのスポーツであろうと、それぞれの競技に必要な動作があります。
一般的には、その動作そのものを指して「技術」と呼ばれています。

ここで冒頭に記した、私の技術の定義に戻ります、「自らが意図(企図)した筋肉の収縮活動を、反復継続して行うことのできる能力」でしたよね。

このことに対しては、反論の余地はないと思います。

様々な競技に特有の動作があります、体一つで行うもの手具を使うもの、各種のボールを使うもの、相手との直接のコンタクトがあるもの、ネットを挟んでコンタクトがないもの、色々な競技があります。

弓道やアーチェリー、射撃など、静止した状態で行われているように見えるものであっても、体のどこかは必ず動いています。
動きが小さければ小さいほど、理想とする動きとの誤差が結果を大きく左右するはずです。

技術を向上させたいと思っている選手すべてが目標としているのは、「自分の体を自分の思ったように動かせるようになること」ではないでしょうか。

しかし、現実に選手や指導者が考えることは、体の動きそのものではなくボールを正確に蹴りたいとか、思ったところにボールを投げられるようになりたいとか、狙った的に正確に矢を当てたいという結果の部分です。

その結果を得るために必要なことは何かというのが、私の技術の定義なのです。

その基本中の基本が、誰にでもできる「走るという行為」です。

どうやって体を使いたいかを考えて走っているのは、おそらく陸上競技の選手だけでしょう。
それは私に言わせると、いわゆるフォームのことであって、人間の体の仕組みに沿ってという、根本の部分が抜け落ちているような気がします。

当然他の競技の選手は、走るという行為を二次的なことと捉え、たんにスピードと持久力の向上がその目的となっています。

しかし、走るという行為ほど難しいものはありません。
体の仕組みに沿ってこれが正しい体の使い方だと、心から信じて「意図」できている選手指導者はいるのでしょうか。

体を動かすにあたって、最もシンプルで基本となる「走るという行為」に対してすら、正しく意図できないのに、それぞれの競技動作に対する筋肉の収縮活動を「意図」することなどできるのでしょうか。

私はここにすべての問題の原点があると思うのです。

投手のコントロールが悪い、サッカー選手が後半足が止まってしまう、基本となるボールを止める蹴るが上手にならない、挙げればきりがないですが、すべて正しく体の動き、筋肉の収縮活動の結果起こる関節の角度の変化という人間の動作そのものを「意図」できていないからではないでしょうか。

サッカーで言えば走るという行為を正しく行えるようになれば、90分間頭と体を動かし続ける能力が向上することで、結果として個人そしてチームとしてのレベルアップに繋がるはずなのです。

走るという基本的な能力の改善もできないのに、いわゆる技術や体力の向上などできるわけがないと私は考えます。

走るという行為は、静から動のイメージがありますが、それではまったく居着いた状態から地面を蹴って反力を得る、体重移動という効率の悪い移動方法となります。

そのことについては過去何度も書いてきましたので詳しく書きませんが、正しい動きを習得するためのドリルとして、最も重要視しているのが「アイドリング」という動作です。

アイドリングという言葉は、辞書によると「主目的に貢献せず、しかし稼働に即応できる様態を維持していること。あるいはその動作である。」と記されていました。
まさに私の思いそのものの言葉でした。

アイドリング状態を作っておくことで、静止してしまうのではなく、次の動作に備えて体全体が波を打つように連動して、いつでも体のどの部分からでも、どんな方向のどんな動作にでも対応できる状態を保っておくことができるのです。

これまでアイドリングドリルの重要性があまり伝わっていないようでしたが、写真と動画を提供してくださった「岩城巧」さんのおかげで、あのアイドリングの動画を見て、多くの方が衝撃を受け、アイドリングってそういうことだったのかと認識を改めてくれたと思います。

たんに走るためのドリルではないのです、あの動きの延長線上に、人間が行うすべての動作があると言っても過言ではありません。

単純に考えても、あれだけの動きができれば、サッカーで言えばそう簡単に逆を取られるなどという状況が想像できるでしょうか。

全身の骨格を筋肉の収縮によって連動させる、そこで動員されている筋肉は大きく肥大しているとか物凄い筋力を持っているという必要はありません。

自分の動きにとって最も効率的に収縮してくれるスピードと滑らかさが必要となります。
そこには当然、それに必要な筋力が要求されますし、結果として筋肥大も起きることは岩城さんの体が証明してくれています。

「自分の体を自分の思ったように動かすことができる能力」その最も基本となるのが「走るという行為」、それすら満足した動きを獲得できないままに、それぞれの競技動作を習得しようというのは安易な考えだとは思いませんか。

私も改めてアイドリングの動作を繰り返しています。
体が喜んでいるというか、いつでも次の動作に移れる、そんな余裕も感じます。
静から動ではなく、動から動、アイドリングのドリル、真剣に取り組む価値はあると思います。

走るという行為の重要性、理解していただけたでしょうか。


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プロフィール

Author:西本 直
1993年、Jリーグサンフレッチェ広島を皮切りに、社会人野球三菱重工広島・協和発酵・ヴィッセル神戸・川崎フロンターレ、そして広島カープ佐々岡真司投手など、プロアマ問わず競技レベルのスポーツ選手から一般の方まで、トレーニングやメンテナンスの指導を行ってきました。
その経験と知識の蓄積を「西本理論」としてまとめ、一人でも多くの方に実践していただくことが、これからの私の使命であると信じ、このブログから発信していきます。
私の理論はスポーツ選手のみを対象としたものではなく、ビジネスマンや家庭の主婦まで老若男女すべてに当てはまる不変のものです。
指導や講演のご依頼も受け付けています。
実名でツイッターも書いていますので、チェックしてみてください。
また、2013年9月9日にConditioning Studio 操をオープンしました。こちらもご覧ください。
また、遠隔地にお住まいの方を対象とした動き分析とアドバイスを行っています。
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