今こそ私が話しておきたいこと。

12日に正式発表があって一週間が過ぎましたが、私の元には何の連絡もありません。

私の気持ちはすでに伝えてあるのですから、何もないということはそういうことなのだと、そろそろ気持ちを切り替えなければならないとは思いながら、万に一つがゼロにならない限り、今回のことが頭を離れることはありません。

昨日ツイッターにもつぶやいた通り、不覚にもスマホを落とし、画面を破損させてしまうということになってしまったことも、今の私が平常心ではないということの表れだと自戒する出来事となりました。

Jクラブを短期間で辞めてしまい、現在の施設を作って早4年が過ぎました。

もう二度とそういう仕事に関わることはないと思いながら、色々な思いが交錯し自分がやってきたことを整理して行く中で、自分でも気づいていなかった様々なことを、身に付けてきたこを気づかせてもらった貴重な日々でした。

そしてそれらをもっと分かりやすく伝える方法があったのではないかと考えるようにもなりました。

それらが整理されていく中で、やはり伝えるという行為がやりたいと思うようになり、西本塾や個人指導の形で、試行錯誤を続けて行く中で、私の能力を現場で発揮したいという気持ちが少しずつ大きくなっていくことも自然なことだったと思います。

「正しいことは正しい、こうすれば必ずこうなるのに」、そういう自信めいたものが膨らんで行くことと、それを発揮する環境がないということにジレンマを感じていました。

しかし、私の築き上げてきたものがどんなに正しいものだったとしても、それを受け入れ、それぞれの能力向上に役立ててもらうということが最も重要なことであることにも、遅まきながら気づいていくこととなりました。

すべては『誰かのために』が大前提であるということです。

それは体の不調を訴え、私の施術を受けに来てくれる人たちへの思いも同じです。

「私の言っていることは絶対に間違っていないのに、なぜ分かってくれない」、では、何のお役にも立てないということです。

8月の後半、依頼を受けて『大阪府立大学サッカー部』の指導をさせてもらいました。

これまで温めてきた指導方法を試す絶好のチャンスでした。

けっして考えを押し付けるのではなく、チームとして選手個人として成長したいという気持ちのアシストをするというスタンスです。

そのためには、今彼らが行っている体の使い方と、私の指導する体の使い方を行うことによって、何が違うのか、どういう利点があるのか、それを身に付けるためにはどんな考え方で何を行えばよいのかをきちんと伝えて、その気になってもらうことが一番大事なことだと思いました。

彼らは全員ではなかったかもしれませんが、私から学ぶことを自ら希望してくれた選手たちです。

私のことなどまったく知らないチームに押し掛けて行ったわけではありません。

実技の指導は1日だけでしたが、私が準備した内容は伝えられたと思っています。

この4年間は決して無駄ではなかったと思わせてくれました。

そして今、選手としての環境やレベルは違いますが、彼らと同じ年代の選手を相手にするかもしれないという気持ちで色々なことを考え続けています。

万に一つ、それが実現したとしたら、こうして具体的に発信することはおそらく難しくなってくると思うので、今私が考えていることを言葉にしておきます。

まさに、「生涯一トレーナ西本直が話しておきたいこと」です。

私はサッカーの経験がまったくありません、24年前Jリーグが開幕するときに合わせ、サンフレッチェ広島からの誘いを受け、トレーナーとして仕事をするために広島に移り住んできました。

U23と言うカテゴリーの選手たちは、まだこの世に生を受けていない頃の話です。

そこから様々な競技の様々なレベルの選手を相手に仕事をしてきましたが、サッカーに関してはWカップにアジアの代表として、連続して出場できるレベルにはなりましたが、本選で世界の強豪を相手に互角以上に戦うというレベルには、残念ながら到達してはいないと思います。

それこそJリーグが開幕して24年、育成年代の競技人口は野球を上回るところまで来ています。

戦術的にも個人の技術レベルも、まさに隔世の感があると思います。

多くの指導者が海外に渡って指導方法を学び、小学生の選手たちでも海外遠征がある時代です。

もう井の中の蛙ではないはずです。

ではなぜもう一歩踏み出せないのか、殻を破れないのか、多くの指導者が研鑽を重ねているところだと思います。

そこに私の考え方がなぜ役に立てると考えたのか、その切り口というかものの見方が、残念ながら疎かにされているのではと思うからです。

5年ほど前、Jクラブからトレーニングコーチとしてチームの強化を手伝ってほしいという誘いを受けた時に、すでにその骨格は出上がっていました。

私が理想とするサッカー選手の理想像は、「90分間頭と体を動かし続けることが出来る」と言う能力を持った選手です。

世界の超一流選手はもちろんのこと、日本のJリーグに所属するクラブから声をかけられるレベルにある選手は、サッカーの底辺の広がった現在、特別な能力を持った選ばれた選手であることは間違いないことだと思います。

その個人の能力を、監督が思い描く戦術の中でどう活かし、自分の持っている個人の技術とミックスして90分間動き続けることが出来るかということが、選手に求められる最も重要な能力であると思います。

それが「足が止まる」という一言で片づけられてしまうサッカーの世界の固定概念に、どうしても納得がいかなかったのです。

スタミナ持久力という能力を得るために、過酷な走り込みが常態化し、故障者が絶えない中、それを乗り越えた選手だけが指導者の評価を得ることが出来ます。

しかし、どれだけそういうトレーニングをしたとしても、最後まで走り切ることが出来ないこともみんな分かっているはずです。

一対一のぶつかり合いに関しても、本来そういう状況にならないようにプレーできればそれが一番良いのでしょうが、そうはいかない状況の中で、日本の選手は体格に恵まれず、いわゆるフィジカルが弱いという烙印を押され、肉体改造の名のもとに筋力トレーニングに励み、人も羨む立派な肉体を手に入れたにもかかわらず、やはり海外の選手と渡り合って、日本の選手が強いという評価を受けるレベルにはありません。

この発想を続けて行く限り、永遠に目的に達することは出来ないと考えることは間違っているのでしょうか。

けっして諦めているわけではなく、発想を変えてそれらをクリアする方法を考える人がなぜいなかったのかと言いたいのです。

その一つの答えが、私の提唱する人間本来の体の仕組みを活かした、体づくりではなく動きづくりを前面に押し出したトレーニングの方法であり、それを基本とした体の使い方を身に付けようというものです。

それらを、クラブチームではなく、年に数回しかまとまってトレーニングや試合を行わない代表チームの選手たちにどうやって伝えるか、徒労に終わるかもしれませんが、そのことをまさに真剣に考えています。

最初から大上段に振りかぶって自説を説くのではなく、まずは選手の動きを分析し、改善点を見つけ出し、それを受け入れてもらうための人間関係を構築するところから始めなければなりません。

それぞれの年代を代表する選手たち、なかにはすぐにでもA代表から声がかかる選手もいるかもしれませんし、そういう選手を育てなければなりません。

目的ははっきりしています、3年後の2020年、自国開催される東京オリンピックでメダルを獲得できるチーム作りの一端を担うことです。

私がどうのこうのではなく、監督が思い描く戦術を90分間表現し続ける能力を身に付けてもらうことです。

現時点でも選ばれた才能の持ち主の彼らが、さらに成長していくきっかけを作ってあげることが出来れば、私の役割は十分果たせたことになると思います。

普段それぞれのチームで戦っている選手たちの元に足を運び、動きを確認し話をして新たな提案をして歩く、そしてみんなが集まって一緒にトレーニングを行う時に、3年後に向かって一歩ずつ着実に成長してくれる選手を、一人でも多く作って行きたい、そんなことを今考えています。

2020年東京オリンピック日本代表チームに私は必要とされるでしょうか。

久し振りの更新となりました。

ブログを書き始めてこれほどの期間、と言っても2週間くらいですが、更新しなかったことはなかったと思います。

さて昨日、日本サッカー協会から、2020年東京オリンピック日本代表の監督が、元サンフレッチェ広島監督の『森保一』君に決まったことが発表されました。

彼との出会いはJリーグ開幕の年、私が初めてサッカーのJクラブの一員として、トレーナーと選手の立場で出会うことになりました。

あれから24年、未だに個人的な縁が続いている唯一の人間です。

そんな彼がサンフレッチェから監督としてオファーを受けた時、スタッフとして私を是非呼んで欲しいと、フロントに掛け合ってくれたそうです。

当時は前監督の元、成績が低迷し、J1残留を至上命令として、経営状況も含めクラブの実情を最も理解している彼に白羽の矢が立ったようでした。

経営上の問題で有力な選手の補強もままならない状況の中、選手のコンディショニングやトレーニングで、現有戦力の底上げを図りたいと、私の力を必要としてくれたようでしたが、フロントからは「西本さんはね・・・」という言葉で、受け入れてはもらえなかったそうです。

そのことを聞いて、私も「そんなことを言われてまでチームのために働こうとは思わない」と、彼に言ったことも覚えています。

サンフレッチェに在籍したのは、Jリーグが開幕してからの3年間だけで、20年以上も前のことですが、昨日のことのように覚えていることがいくつかあります。

ひとつは、現在名古屋グランパスを率いる風間八宏君のことです。

そしてもうひとつの思い出は、森保一君とのリハビリの日々でした。

3年目のシーズン、6月の梅雨の時期、毎日降り続く雨に練習場の芝生が根腐れをしてしまい、異臭が漂うような状況になってしまいました。

ピッチコンディションは日に日に悪化し、ホームゲームの3日前と2日前には、ピッチでの練習を回避せざるを得ない状況にまでなってしまいました。

しかし試合前日、当時の監督はスタッフミーティングでその日の練習はピッチを使って行うと宣言しました。

私も事前に状況はチェックしていて、とてもじゃないけどこんな状況で練習を強行すれば、ケガ人が出ることは避けられないと抗議しましたが、「西本、サッカーの試合はどこで行うか知っているよね、明日は公式戦が行われるんだ、ピッチの上で練習しないでどこで練習するんだ」と、当然のように言われたことをはっきり覚えています。

それは監督として当然の判断だったかもしれません、しかし、その日のピッチの状況は想像を絶する酷さで雨も降り続いていました。

そんな状況の中で強行された練習の最中、私の危惧していたことが実際に起こってしまいました。

それが、当時の言い方に変えますが、ポイチの足首を襲った『脱臼骨折』という選手生命をも脅かすほどの大ケガでした。

駆け寄った私の目の前で、あらぬ方向に曲がってしまった足首を、自分の手でぐきっと捩じり、元の状態に戻した彼の姿は、生涯忘れることが出来ません。

色々なケガの現場に立ち会いましたが、私自身がくらっとなる体験はそれが最初で最後です。

どれほどの痛みだったか想像もつきません。

そのまま私が背負ってクラブハウスに運び、病院の手配をし、二人だけでロッカーで過ごした時間から、私の車に乗せ病院に運び検査を受け、その足で手術を受けるために別の病院に移動している間の彼の姿を絶対に忘れることは出来ません。

入院の準備のために駆けつけた奥さんの前では気丈にふるまっていましたが、私の前では悔しさと痛みと怒りが交錯した、人間『森保一』をぶつけてくれました。

彼を復活させるために、自分のできることを、いやできないことでも何でもやってあげたい、心からそう思わせてくれました。

当時はスポーツヘルニアという呼び方がされていた鼠蹊部の痛みに関しても、足首の手術後、同じ安静期間が必要なら、しっかり診てもらって本人と私が納得できる説明が得られたなら手術を受けようと、当時浦和レッズのチームドクターをされていた仁賀先生の元を二人で訪ね、診察を受けた結果、それならこの際手術を受けようと、彼をそのまま埼玉の病院に残して、などということもありました。

広島に帰ってからは、まさに彼の為だけに働いたというか、辞めるまでの半年間、他に何をしていたのか、何もしていない訳ではなかったと思うのですが、まったく記憶に残っていません。

彼を少しでも万全の状態にするまではチームを離れることは出来ないと頑張りましたが、シーズン終了間際にぎりぎり間に合い、そのシーズンをもってサンフレッチェを辞めることにしました。

詳しいことは書けませんが、自分の考えを曲げられなかったことが一番の原因で、その後の紆余曲折の人生も、その繰り返しだったと思います。

翌年から、地元広島の社会人野球チーム、三菱広島のコンディショニングコーチとして1年間仕事をしましたが、1月に練習を開始した直後に、彼は私の新天地に差し入れを持って陣中見舞いに来てくれました。

日本代表の花形選手がグランドに足を運んでくれたことで、選手たちの士気も上がり、私にとっても本当に有難い出来事でした。

その後は直接的なつながりは少なくなりましたが、オフには食事に誘ってくれたり、私の近況を心配して電話をくれたりという関係が続いていました。

サンフレッチェの監督になった後、風間八宏君からオファーがあったことを告げると、広島に残って欲しいと言ってくれました。

最初に断られたけれど、その後も折に触れて私をチームに呼び戻してほしいと言い続けてくれたようでした。

その後川崎に行ってしまいましたが、数か月で広島に帰ってしまうことになり、彼にはすべてを話しました。

それからはチームへの復帰は諦め、けが人や故障者が出て、チームのスタッフには任せきれないと彼が判断した時、私の電話が鳴り、時には彼自身が選手を連れてくることもありました。

選手からは、「監督がこんなに信頼している方なのに、どうしてチームに戻ってくれないのですか」と、必ず聞かれましたが、「昔のことがあってね、いろいろ難しいんだよ」と答えるしかありませんでした。

そしてもう一言、「僕はねサンフレッチェのために君たちを診ているんじゃないんだよ、ポイチのために頑張っているんだから、とにかくしっかり治してポイチのために頑張ってくれ」と付け加えました。

営業時間の幅を超え、彼らのために頑張ったのはどんな形でもポイチを応援したいという気持ちからでした。

そんな彼がいよいよ苦境に立たされ、J1残留さえ危ぶまれる状況になった時、サンフレを応援してくださっている方には申し訳ないですが、これは運命の流れが動き出したのだと感じました。

チームがそれなりの成績であれば、彼が解任されるなどということは絶対になかったはずです。

そうなると毎年主力選手を抜かれ、一からチームを立て直す作業を延々と続けなければなりません。

彼が理想とするサッカーを、自分の選んだ選手を使って、思いっきり表現して欲しい、私はずっとそう思っていました。

前任者から引き継いだ戦術は、J2に降格させないための、現状できる最低限のシステムにすぎなかったのですから。

幸か不幸か、解任という形であったとしても、彼はやっとフリーな立場を手にすることが出来ました。

そしてちょうどそのタイミングが、2020年のオリンピックを率いる監督を決めなければならないという時期だったのです。

これはもう運命だと私は勝手に思ってしまいました、彼以外には考えられないと。

解任のニュースが流れた後、「お疲れ様でした、少し休んで新たなステージでの活躍を期待しています」とメールしました。

彼からは、「苦しい時に助けていただいてありがとうございました」と、感謝の言葉が返ってきましたが、悔しくて仕方がない状況の中でも人を思いやることが出来ることに、やはり違うなと素晴らしい彼の人間性を感じました。

その後オーストラリアに勉強に行っているということを報道で知りましたが、9月の中旬、台風の影響が一番強く、不要不急の外出は控えてくださいと、広島に警報が出ているさなかの日曜日の午後、突然彼から電話がかかってきました、私の都合がよければこれから伺いたいのですが、というものでした。

もちろん断る理由などなく、自宅近くの喫茶店で彼の到着を待ちました。

そこで約1時間くらいだったでしょうか、お互いの現状、とくに彼の現状を詳しく話してくれました。

政治家の常套句ではありませんが、決まっていない仮定の話にコメントは出来ないと言いながら、もしこうなったらこんなことをやってみたい、こっちになったらこうしたいと、熱く語ってくれました。

私もそれに応えて、こうだったらこんな形で、こっちになったら引っ越ししてでも手伝わせて欲しいと、仮定のこととはいえ自分の思いを伝えました。

土砂降りの雨の中、帰って行く彼の車を見送りながら、今の会話は私に対する意思確認だったのか、それとも友人としての会話の延長だったのかと、真意を測ることが出来ませんでした。

家内が仕事から帰った後そのことを話すと、「もし森保さんがあなたを必要としてくれるのなら、どんな状況になってもそれを優先してください」と言ってくれました。

ただの世間話のために、こんな雨の中わざわざ来てくれるわけないでしょとも言ってくれました。

その言葉に勇気づけられ、改めて自分の気持ちをメールしました。

返事は「約束はできませんが、気持ちは受け止めました」というものでした。

その数日後、協会の西野さんと初めての接触があり、その後は何の支障もなく、昨日の正式発表に至ったようです。

彼がこうなって行くことは運命だと言いましたが、私が今、本気で彼をサポートすることが出来ると思える人間になったことも運命だと感じています。

タラレバを言っても始まりませんが、そのすべてがこのタイミングのために準備された出来事だったのではなかったのかと本気で思っています。

もし私が必要とされたとしたら、これまで積み重ねてきたことのすべてを活かして、トレーニングの常識を変え、動きづくりの重要性を知らしめ、90分間頭と体を動かし続けて、森保一監督が思い描く理想のサッカーを表現できる選手を育成したいと思います。

これまでの常識や固定概念を変えなければ、だれが監督になろうと協会の役職者が変わろうと、何も変わることはないと思います。

この2週間余り、現実には私がチームのスタッフになることは難しいことを十分わかっているつもりですが、万に一つ、もしそんな仕事をさせてもらえるのならと、頭の中がそのことでいっぱいになっていました。

知らない人が聞いたら、何を寝言を言っているんだと思われるかもしれません。

でも私は本気でそう思っていますし、それが出来ると思っています。

会社員を辞めてこの道に進んでから約30年、日本を代表する指導者と一緒に仕事ができるかもしれないという可能性が1%でもある人間になれたことを誇りに思います。

私はこれまでの人生で、自分からこうしたいと売り込んで仕事に就いたことがありませんでした、今回のことは人生で初めての自己アピールです。

コーチングスタッフはこれから決まるそうですが、私が必要とされることはあるのでしょうか・・・。


4周年を迎えて、思うところを書いておきます。

広島港旅客ターミナルビルの2階に、「Conditioning Studio 操」をオープンして丸4年が過ぎました。

もうあの頃の心模様を思い出すことが難しいくらい、日々の活動に集中する毎日となっています。

もう二度とサッカ-に関わることはないだろうということだけは、強く思ったように記憶していますが、意に反してサッカ-選手の能力向上のための動きづくりという一大テーマを追い続けているように思います。

何度も書いてきたように、スポーツライターの木崎伸也さんのお蔭で、私の中で整理しきれていなかったことを、言葉として発信できるレベルにまで引き出してくれたことは感謝しかありません。

過去の仕事を振り返った時、最もやりがいを感じていたのは社会人野球チームと、個人としてかかわったプロ野球の投手の仕事でした、もちろん私が野球少年であったからです。

どちらも目指したことは、人間の体そのものをどう効率的に使うかということでした。

野球に関して、プレーヤーとして人に言えるほどの経験はない私ですが、体そのものをどう使うかという問いに対して、常になぜどうしてを繰り返していました。

それがもう5年近く前の出来事になってしまいましたが、これまで仕事の面では感じたことがない、やり残してしまったという感覚が、木崎さんとのやり取りの中で、もう少しこうすれば良かった、もっと選手そしてチームの役に立てたはずだという気持ちが膨らんで行きました。

それを発揮する対象がないままに月日が流れて行きましたが、振り返ってみると「西本塾」であったり、個人指導であったりと、形は違えど私から何かを学ぼうとしてくれる人がたくさんいました。

比率で言えばサッカーに関わる人が最も多かったと思います。

それ以外の種目やスポーツに直接関係ない方々も含めて、それぞれの方々に対し少しでもお役に立てる内容の指導をしたいと試行錯誤を繰り返してきました。

そして、一つひとつの問題点に対してその答えとなるものを見つけ出していくうちに、これを個人としてはもちろんのこと、チーム全体で取り組んでくれたらどんな動きが出来るチームになるのだろうと、我ながら夢が膨らむ思いでした。

個人として指導を受けてくれた選手たちは、それぞれのレベルで成長の手ごたえを感じてくれ、そのレベルが高ければ高いほど、知り得たノウハウをライバルとなる他の選手には教えたくないと思ってしまうようで、私の理論が表だって広がりを見せるまでには至っていません。

それはある意味仕方がないことで、そういう中でも私を探し出し、指導を受けてくれた選手たちを、何とかしてライバルたちより一歩先んじた存在になってもらうために、真剣に向き合ってきました。

その成果は、もちろん感じています。

スポーツ選手の指導だけではありません、体の不調に悩まされ、藁をもつかむ思いで私の元を訪れてくれる一般の方に対しての施術においても、大きな手ごたえを感じる毎日です。

私でなければ、そう思ってくれる人がたくさんいます。

そうやってあらためて足元が安定してくると、やはり考えてしまうのが、もう一度トップレベルの戦いの場に戻ってみたいという、長年やってきたことへの思いです。

あの時点で、もう勝った負けたは卒業させてほしいと、社会人野球の仕事を辞し、平穏な日々を送ろうと決めた矢先に新たな挑戦へのオファーがありました。

人生あみだくじが私のキャッチフレーズのようになっていましたが、まさに新たな1本の線を加えられた思いで、その線に身を任せることを選びました。

上下関係や規律の厳しい野球の世界から、まったく雰囲気の違うサッカーの世界への再々転身には、心の準備というか気持ちの切り替えが出来ていなかったのかもしれません。

しかし、短い期間でしたが色々なことを経験させていただき、自らの体調管理も含めて、改めて自分の能力を組織の中で活かすためにはどうすれば良かったのかという、私にとって一番苦手なことに関しても、少しは勉強できたと思っています。

サッカーに拘っているわけでは決してないのですが、終盤戦を迎えたJリーグですが、今年も過去に実績を残した指導者たちがクラブから解任という現実を突き付けられました。

私が5年前に目指したのは、90分間頭と体を動かし続けることが出来る選手を一人でも多くピッチに立たせ、監督が思い描いた戦術を全うできるチームを作りたいということでした。

たくさんの試合を見ているわけではありませんし、元々サッカーの経験者でもない私が言うのは少し見当違いかもしれませんが、今行われているJリーグの試合で、それを感じさせてくれるチームがいくつあるのでしょうか。

試合展開によってはある程度仕方がない部分もあるのでしょうが、毎回毎回判で押したように言われる「足が止まる」という現象が改善しない限り、世界のサッカーを自由に見ることが出来るようになって、目の肥えたサポーターを満足させるゲームは出来ないように思います。

監督を代え選手を代えても、その部分に取り組むという本質的な意識改革なしに、現状を変えて行くことは出来ないと思います。

既に現役を退いて年数が経った指導者は、こういう考え方になかなか賛同できないようですが、自分がやってきたこと以外に方法があると思いたくないだけのことです。

まだまだ体が動く若い指導者なら、自分の体でそのことを理解し、もっと早く現役時代に知りたかったという声は私の所にも届いています。

来ーシーズン、もし私にその仕事を任せてくれるチームがあったとしたら、今度こそそのチームに所属する選手や指導者の意識を根本から改革し、サッカーに関わる全ての人をあっと言わせるチームを作るお手伝いをしたいと思います。

私が手塩にかけて育て上げた選手たちを自在に操り、自分の理想とするサッカ-をピッチの上で表現できる優秀な監督とでなければ一緒に仕事は出来ませんが、もしそんな夢が叶うのなら、最後の力を振り絞って、その任を全うしたいと思います。

とは言え、現実としてそれが実現する可能性はゼロに等しいと思います。

それでもそのゼロの可能性のために、頼まれてもいないことを常に考え続けてきた結果が今の私なのです。

こんなことを考えている時が一番楽しいのです。

私がフィジカルコンタクトの時の体の使い方で説明している通り、私自身が屈筋を固め、もう収縮の余力がない、3・5・7理論の3の方向へ出力しきっている筋肉になってはいけないのです。

屈筋を使って力むのではなく、伸筋の収縮度合いを冷静に判断し、必要十分な筋力発揮行うことで、私自身の視野を広げ、少しでも多くの人たちのお役に立てるようにしなければ、これまで身に付けてきたことを世の中に還元することなどできませんから。

「誰かのためにお役に立ちたい」、そのためには、「正しいものは正しい、良いものは良い」と言い続けるだけではなく、相手が求めていることを正確に判断し、それ以上のものを与えられるように柔軟に対応できるようになることこそ、今そしてこれからの私に求められる姿なのではないかと思っています。

先日行った、「大阪府立大学サッカー部」の指導では、このことが一番のテーマでした。

今回それをクリアできたと、私なりには納得しています。

この場所で4年間築いてきた信頼を継続させることが、今の私に一番求められていることは確かだと思います。

ただ一度きりの人生、何度でも挑戦は続けたいと思います。

どんな形であれ、常に立ち止まることなく、あみだくじの上を歩き続けて行きたいと思います。

ブログの更新も週に一二度となっていますが、記事の更新に関係なく、文字通り毎日アクセスしてくださる方が何人もいるということをお聞きし、これからも思うところを書いていきたいと思いますので、よろしくお付き合いください。


今は異端と呼ばれても。

明日からの二日間、以前に1週間の遠隔サポートを受けてくれたサッカー少年とそのお父さんが、金沢から直接指導を受けに来てくれます。

プロや競技レベルのスポーツ選手が指導の対象だった私が、いつの間にか小学生から中学生、高校生そして大学生と、アマチュアの選手と言うよりも、育成年代の子供たちを相手に指導する機会が増えてきました。

私の指導は基本的に個人を対象としていて、特に器具を使ったトレーニングでは、ほぼマンツーマンの指導となりますので、二人を同時に指導することさえ、自分としては納得できる指導が出来ないような気になってしまいます。

それは、すべての動作においてマニュアル化されたものはあってないようなもので、一瞬一瞬の体の動きとそれを行う意識が、私の要求するものであってほしいと思うからです。

こんなやり方では10人20人いやもっと大人数のチーム単位では指導できるわけがありません。

ほとんど私の趣味の領域を出ないように思われるかもしれませんが、私はこのスタイルで仕事を続けています。

以前に社会人野球のチームを指導していましたが、その時にも全体を3班に分け、一度の指導するのは10人以下でした。

器具やスペースの問題はもちろんありますが、私の目がすべて届く範囲の中での指導でした。

日々接していく中で人間関係も出来て行きますので、それなりに納得できる指導は出来ていたと思います。

更には選手たちが、1年1年経験を積んでくれることで、先輩が後輩の本当の意味での手本となってくれ、私の手間というか指導を楽にしてくれました。

月末に指導する予定の『大阪府立大学サッカー部』には、器具を使ったトレーニングを指導するのではなく、あくまでもグランドレベルで行う、まさにサッカー選手に必要な動きづくりを指導する予定です。

私に興味を持ってくれる人たちにはいくつかの共通点があります。

ひとつは、ある程度の年齢、30歳くらいでしょうか、その頃になって自分のこれまでを振り返った時、正しいと思って真剣に取り組んでいたこと、とくにトレーニングに関してですが、本当に自分にとって正しい方法だったのか、あれだけ努力したのに、どうして目標に届かなかったのかという問いに対して、納得できる答えが欲しいという方が何人もいます。

そういう人たちは本当にまじめで、目標に届かなかったのは自分の努力が足りなかった、そして何より、自分はそこまでの選手だったのだと、自らに問題があったと思ってしまいます。

もう一つは、自分なりに一生懸命練習をしてきたが、常に体に故障を抱え、納得いく練習が出来なかったという人たちです。

同じ練習をしても故障をしない人もいれば、自分のようにあちこち痛いところだらけで、まともに練習することが出来なかったが、それも自分の努力が足りなかったと、誰のせいにすることなく自らを責めてしまうのです。

私は体が悲鳴を上げる原因は3つだと常に言い続けています。

ブログを真剣に読んで頂いている方々はもう何度も聞いたよと言う話ですが、もう一度整理しておくと、

① その運動動作が、人間の体の仕組みに沿った効率的なものとなっているか。

② 正しい動作が行われているとしても、それぞれの競技レベルに応じた基礎体力が備わっているか。

③ ①②を満たしていたとしても、体にとって多き過ぎる負荷、オーバートレーニングになっている。

このどれかと言うよりも、育成年代の故障の原因は、それらすべての複合要因だと思います。

そしてケガをしないために、パフォ-マンスの向上のために、筋力向上肉体改造の号令のもとに、一生懸命トレーニングを行うことになります。

もちろんそれを結果に結びつけ、トップレベルに成長していく選手はたくさんいます。

しかし、同じ努力をしてもその高みには届かないどころか、故障に悩み消えて行く選手が多いことも事実です。

私の存在に気づき、指導を受けたいと思ってくれる人たちは、ある意味エリートではない人たちかもしれません。

子供の頃から体格に恵まれ、技術的にも他を圧するものを持っていたならば、さらにその長所を磨くためにトレーニングに励むことは当然のことだと思います。

遺伝的に体格に恵まれなかったり、努力の結果が体の故障となって表れ、頼るところさえない状況に陥った人たちが、もしかしたらの思いで私の元を訪ねてくれます。

色々な意味で王道を歩んでいる人たちにとって、私の理論と言うか考え方など、ただの小理屈にしか聞こえないのかもしれません。

しかし、そんな人たちも必ず壁にぶち当たる時が来ます。

そして、そこでもがき苦しんだ時、初めて私の話も少しは聞いて見ようかなと思ってくれるようです。

トップレベルの選手たちの中に、そういう例が何人かありました。

私はそうならないように、若さだけで突っ走っている選手に、今このことに気付けば、違う自分というか新しい自分の能力に出会うことが出来る、ということを伝えたいとは思っていますが、そういう年齢の選手たちには、なかなか私の言葉は響いていかないようです。

何と言っても、私の言っていることやっていることがマイナー過ぎるからです。

最新のトレーニング理論だとか、有名な選手が取り入れているからとか、数値化され客観的に効果が証明されているものを行いたいと思うのは当然のことです。

私はそれに異を唱えるつもりはありません。

しかし、全員が一つの方向に向いてトレーニングを行ったとしたら、誰がとび抜けた存在になりうるのでしょうか、と言うよりも、そこで示された結果以上のなにかを得ることが出来るのでしょうか。

私がやっていることは数値化したり客観的な評価も得ることは出来ないでしょう。

数は少ないですが、お互いの感覚として周囲との相対評価ではなく、自らの成長を確実に感じられる絶対評価という意味では、間違いなく結果に結びついていると思います。

世の中の99.999%の人たちが正しいと信じてやっていることで結果が出なかった人たちが、数字にも表せないようなマイナーな私の理論に沿って、動きづくりの掛け声のもとに、地道な努力を積み重ねた結果、それぞれのレベルで納得できる変化を感じてくれているとしたら、私のやっていることにも意味があると思います。

周りの選手たちと同じ、世間が認めた王道を歩むも良し、私のような人間の言うことに興味を持って取り組んでみるも良し、どちらが良い悪いという話ではなく、それぞれが自分の判断で決めればいいと思います。

その自分の判断がまだできない育成年代の子供たちには、「こんな考え方もあるよ、こんなやり方もあるよ」と、出来れば知って欲しいと思います。

その機会を与えてくれるのは、大人である保護者の方や指導者しかいないわけで、そういう意味でも固定概念に縛られず、広く話を聞いてみようという人が増えて欲しいと思います。

本当に数は少ないですが、私の考え方に興味を持ち、更には共感してくれる人が増えてきました。

私の考え方がスタンダードになる日は、残念ながら来ないかもしれませんが、一つの選択肢として認めてもらえるレベルにはなって欲しいと思います。

そのためには、私を信頼して集まってくる人たちを確実に成長させ、これが特別なことではなく、人間の体の仕組みに沿った、ごく自然な考え方であることを理解していただくという作業を積み上げて行くしかないと思います。

悲観的な気持ちはまったくありません、種を蒔き始めたのは、まだ4年ほど前のことですから。

今はサッカーが指導を受けに来てくれる競技のメインとなっていますが、元々専門だと思い結果も残してきた野球の投手や、ゴルファ-のトレーニングも指導したいと思っています。

現在の状態からレベルアップするためには、「大きく強くだけが目的ではない、こんな考え方もあるんだよ」と言うことを知るだけでも、成長のきっかけになるのではないかと思います。

新しい出会いに期待ですね。

明日からの指導、週末の『西本塾』、そして月末に迫った大阪府立大学の指導、楽しみな毎日が続きます。

私も体力勝負です(笑)

学び合う楽しさを感じながら。

私もそれなりの年齢になってきました。
もしずっと会社勤めをしていたとしたら、そろそろ定年後の生活を考えなければならない状況を迎えていたことでしょう。
幸いなことに私の仕事には定年というものはありませんし、施術と動きづくりのトレーニング指導という両輪ともに、まだまだ続けていくことができそうです。

どんな仕事でもマスターしなければならないスキルがあって、それをベースにして応用発展させていくことが個人としての成長だと思います。
今私が行っていることにスキルという概念を当てはめるとしたら、いくつかそれに当てはまるものはあると思います。
ではそれを形の上でマスターすれば、同じような結果を出すことができるかというと、なかなかそうはいかないことがこの仕事の難しいところです。

何を持って結果を出せたと言えるのかも、正直これと言った定義さえ見つけることができません。
いまの世の中では当然のこととなっている、数値化する可視化するという客観的な評価を受けることが最も難しい分野かもしれません。
それではダメだとすべてをデータ化し、情報を共有することでケガの予防や能力向上に貢献しようという試みは、以前から行われてきました。
私はそれを否定する気はありませんが、私がやりがいを感じているのは、目の前にいる人間の体と心の変化を、まさに手に取るように分かるという、なんとも曖昧な表現しかできない部分です。

様々な人間を相手にしています。
私の仕事の片輪である施術行為ですが、一般的な概念では、施術行為を行う施設を訪れる人たちは、ほぼ例外なく受け身な立場です。
受け身というのは、それぞれの施術者が行う行為に依存し、その技術で自分の不調を改善してもらおうという意味です。
そんなことは当然で、それ以外何を目的にそんな所に行くのかと言われることでしょう。
もし自分の抱える痛みや体の不調が、その行為によって改善したとしたらそれはそれで素晴らしいことかもしれませんが、本当の意味でその人の体は改善できたと言えるのでしょうか。

人間は産まれてから男性は18歳、女性は16歳で個人差はありますが人間という動物として成熟します。
地球上に存在するすべての生き物は、種を保存して行くために成長し終焉を迎えます。
人間だけがそうでない営みを行うようになってしまいました。

そんな一生の中で、自分の体はどういう風にできていて、どういう風に使うことが自分に与えられた能力を十分に発揮できるのか、などということを考えて生きている人はほとんどいないと思います。

私は何故か、そしていつからかは分かりませんが、そんなことばかり考える人間になっていました。

体の痛みや不調を訴える人に対して、そんな理屈など関係なく、施術を終えた時に「楽になりました、ありがとう」と言ってもらえれば十分お役に立てたと思える仕事なのに、「あなたはどうしてこういう状態になってしまったのか、どういう風に自分の体と向き合っていればこんなことにならなかったのか」、「人間の体はね・・・」と、聞きたくもない話かもしれませんが、このことを知らないままにこれからの人生を続けて行くことは得策ではないと、聞かれてもいない話を始めてしまうのです。

せっかく縁あって私の元を訪れてくれた人には、身に付けた技術を発揮して体の状態を改善してあげるだけではなく、自分の体を見つめ直し、自分の体と対話するための「文法」のようなことを伝えてあげなければ、ここに来てもらった意味は半減すると勝手に思っています。

「治してもらう」ではなく、自分の体は自分で責任を持って使い、責任を持って手入れして欲しいと思っています。

入り口を入ってその方法を、一緒に身に付けて行きましょう、というのが私のスタンスです。

同じようにスポーツ選手の能力向上を目的としたトレーニングも同じです。
有名な選手が取り入れているから、今流行っていてみんながやっているから、そんな動機で特定のトレーニングを取り入れる人が多いと思います。

よく例に出す話ですが、子供の頃駄菓子屋さんで、色や大きさの違う糸のついた飴玉があって、その糸が束ねられた中から一本を選んで引いて、引っ張られた飴玉をもらえるというのがありました。
たぶん5円で1回引けたと思いますが、同じ5円なら大きな飴玉をもらえた方が嬉しいに決まっています。
飴玉の方をちょっと引っ張って、目当ての飴玉につながっている糸を見つけてやろうと、子供ながらに工夫しましたが、私はそういうところは生真面目で、間違ってもお店のおばちゃんの目を盗んで、はっきりと分かるように飴玉を引っ張るなどということはしませんでした。

今の世の中ではインターネットを使って、自分の知らない分野のことでもそれなりの知識を得ることができるようになりました。
逆に言えば上っ面の言葉だけで、分かったような気になっている人が多いのではないでしょうか。

途中の考え方どころか、基礎となる一番大事なところさえ知ろうとせず、すぐに結果を求める、そんな人が多くなって来たようにも思います。

スポーツ選手にとって「結果を出す」という表現はとても難しいことです。
個人の対人競技であっても、勝ち負けはその時その瞬間の相対的な力関係の評価であって、その選手の能力の「絶対評価」ではありません。
私はこの絶対評価という言葉にこだわりますが、絶対評価にはこれが最上でこれ以上はないという言い方はあり得ません。
自分がこれで良いと満足してしまった時点で成長は終わりだということです。

そこで重要となってくるのが成長を加速させて行くための方法論と言うことになります。
その一つの考え方が私の提唱している「動きづくり」と言う概念です。

大雑把な言い方ですが、最終的な能力の向上を選手自身と私が、共に納得できるレベルに達するためには、様々な段階を経て積み上げていかなければなりません。
「動きづくり」という言葉は、ある意味ゴールに近いもので、この部分だけを知りたい、教えて欲しいと言う目的が見え見えの依頼を受けたことも、一度や二度ではありません。

どんなレベルの選手であっても、一番基礎の部分から時間をかけて頭と体に染み込ませていけば、絶対に能力を向上させられます。
それには多少の時間がかかります、チームの専属ではありませんから、そう言う意味で私が満足できる指導はできません。

しかし、私のような何の肩書きもなく無名な人間の考え方に共感し、指導を受けてみようと広島まで足を運んで来てくれる選手たちは心構えが違います。
現状より一歩でも半歩でも成長したい、そんな熱い気持ちを持っている選手には、私はそれ以上の熱を持って指導しています。

口先だけの選手はすぐに分かります、飴玉の大きさに気を取られて、結局は最後の部分だけしか覚えて帰ろうとしませんから。
当然成長も望めません、例えば走ると言う行為なら、畳一枚のスペースがあればできるドリルに費やす時間が7割で、実際に外で走る時間は3割で良いと言っています。
ドリルが完全に身につかなければ、走ると言う行為の体の使い方を変えることはできないからです。

先日指導を受けに来てくれたドイツのシュツットガルトでプレーしている浅野拓磨選手は日本代表には呼ばれ続けているものの、定位置を確保するところまでは至っていません。
選手としてはもちろん満足できるはずもなく、彼の大きな武器であるスピードを活かすためにはどんな体の使い方をしたら良いのか、サンフレッチェ広島在籍時から、私の指導を受けたことのあるチームメートが行なっている、見たこともないトレーニングの仕方に興味を持ち、私の存在もとても気になっていたそうです。

代表選手として行動していると、他の選手がどんな人からどんな指導を受けているという類の話がたくさん聞こえてくるそうです。
目の前で体幹トレーニングやヨガを取り入れたトレーニングを行う様子を目にすることも多いようです。

彼の良いところは、他の選手がやっているからと言う理由で飛びつくのではなく、そもそもそれを行う意味は何かとか、自分にとって本当に必要な知識でありトレーニングなのかを知らないままに行うことは得策ではないと考えたことです。

ですから私の指導したことが、単なる方法論ではなく、人間の体を考える上での基礎となっている理論であることはすぐに理解してくれました。

こうして様々なタイプの選手と接することで、私の対応力というか指導する側としての心構えや言葉の選び方まで、本当に勉強になります。

浅野選手は22歳(11月に23歳になります)、世界で戦う上でまだ若いからとは言っていられない年齢です。
彼の大きな武器であるスピードを最大限に活かすためには、日常の体のケアは絶対条件で、加えてまだまだ身につけてもらわなければならない体の使い方が沢山あると感じました。
彼が望んでくれれば、私が専属トレーナーとしてドイツに行っても良いと思わせてくれるほどの大きな可能性と潜在能力を持った選手です。
私が直接関わった選手でそう思わせてくれたのは浅野選手が初めてです。
私が直接世界を相手に仕事ができるかも、そんな夢を見させてくれました。

現実にはあり得ないことでしょうが、こうして夢のようなことを考えているからこそ、色々なアイデアが湧いてくるのが私の常ですから、浅野選手との出会いを私も糧にして、さらに成長して行きたいと思います。

相手のために何をどう伝えれば良いのか、やればやるほど自分の中でもっともっとという欲が出て来ます。
もう自己満足ではなく、私が行った指導で選手がどう変わって行ったか、そこまで追い求めて行くことで、西本理論を学び、同じように選手のために指導して行きたいと奮闘してくれてる西本塾生たちが、胸を張って指導できるように、小さな声かもしれませんが、声を上げ続けていこうと思います。


プロフィール

Author:西本 直
1993年、Jリーグサンフレッチェ広島を皮切りに、社会人野球三菱重工広島・協和発酵・ヴィッセル神戸・川崎フロンターレ、そして広島カープ佐々岡真司投手など、プロアマ問わず競技レベルのスポーツ選手から一般の方まで、トレーニングやメンテナンスの指導を行ってきました。
その経験と知識の蓄積を「西本理論」としてまとめ、一人でも多くの方に実践していただくことが、これからの私の使命であると信じ、このブログから発信していきます。
私の理論はスポーツ選手のみを対象としたものではなく、ビジネスマンや家庭の主婦まで老若男女すべてに当てはまる不変のものです。
指導や講演のご依頼も受け付けています。
実名でツイッターも書いていますので、チェックしてみてください。
また、2013年9月9日にConditioning Studio 操をオープンしました。
また、遠隔地にお住まいの方を対象とした動き分析とアドバイスを行っています。
詳細は「スタジオ操」のホームページ内の「遠隔サポート」をご覧ください。
「第25回西本塾」を11月18・19日の土日に開催を予定しています。
詳細はStudio操ホームページ内の「講習会情報」をご覧ください
尚、深める会も12月9・10日に予定しています。

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